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2017年1月28日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

タウィン・ワーフ Tywyn Wharf ~ナント・グウェルノル Nant Gwernol 間 11.67km
軌間 2フィート3インチ(686mm)
開業 1866年、保存鉄道化 1951年

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タウィン・ワーフ駅の機回し風景

ポースマドッグ Porthmadog から、7時47分発のカンブリア線気動車に乗り込んだ。車内は見事にすいていたので、海側に座って、カーディガン湾の開放的な景色を思う存分眺めることができた。今朝もすっきりと晴れ渡り、空気はひんやりしている。酷暑の国から来た身にはまるで別世界だ。当地で快晴が3日も続くのは珍しく、テレビの天気予報も、さすがに午後からは雲が出てくると言っていた。

タウィン Tywyn で下車する。きょうの前半は、タリスリン鉄道 Talyllyn Railway(下注)を往復するつもりだ。小型蒸機が活躍する保存鉄道で、海岸の避暑地タウィンから、東の山中のナント・グウェルノル Nant Gwernol に至る12km弱を走っている。軌間は2フィート3インチ(686mm)と、フェスティニオグほどではないにしろ、かなり狭い。

*注 Talyllyn は Tal-y-llyn とも書かれ、終点が属する教区の名だ(山間の美しいタリスリン湖にあやかったとも言われる)。タラスリン、タル・ア・スリンと表記すべきところだが、慣用に従いタリスリンとした。

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タリスリン鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

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タリスリン鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

始発駅タウィン・ワーフ Tywyn Wharf は、カンブリア線のタウィン駅から少し距離がある。駅前の道を右へとり、線路に沿って300mほど歩くと、次の交差点の傍らに小ぶりの駅舎が建っている。屋根はスレート葺き、壁は煉瓦積みの伝統的な外見だが、実は2005年の再開発事業による新築だ。平屋部分が事務所、切符売り場、売店等で、隣の2階建部分は鉄道博物館になっている。

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(左)カンブリア線でタウィン駅下車 (右)タウィンの小さな市街地
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タウィン・ワーフの駅舎は2005年に改築された
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タウィン・ワーフ駅
(左)ささやかな始発駅の構内
(右)標準軌線に並行する側線はスレート貨物を積替えていた跡

さっそく乗車券を買った。特に言わなければ、寄付金つき一日券 Donation Day Rover の運賃になるようだ。その代わり、乗車券と一緒に渡される運賃15%分のバウチャーが、売店やカフェでの支払いに使える。私はウェールズ・パスを見せたので、運賃自体が20%オフになった。

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往復乗車券

ホームに出ると、短いながらもポースマドッグのハーバー駅を思わせる明るい庇屋根とフラワーバスケットの列が迎えてくれる。すでにコンパートメント形の客車がホームにつけられていた。扉が片側にしかないが、これには深い訳がある。

150年前、鉄道の建設工事の最終盤のことだ。商務省検査官による完了検査の結果を聞いた鉄道会社の役員は青ざめた。跨線橋の内寸が車両限界より小さいため、跨線橋の下で列車が立ち往生したときに、乗客が車両から脱出できない、として改善命令が出たからだ。従わなければ運行が開始できない。とはいえ、いまさら車両も跨線橋も造り直すわけにはいかない。そこで、会社は苦肉の策をひねり出した。跨線橋の下の線路位置を右にずらして左側に規定の空間を確保し、そのうえで車両は右扉を閉鎖して、左扉のみ使用するという妥協案だ。これでかろうじて検査に合格し、鉄道は開通を果たした。片側扉はその名残なのだという。

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(左)客車は片扉 (右)貫通路はなく、ボックスごとに扉がある

始発列車の出発は10時30分で、まだ1時間近くある。隣の鉄道博物館を覗くと、小型機関車にスレート貨車、硬券乗車券その他の小物と、狭軌鉄道のコレクションが充実している。しばらく見学しているうちに、時間はたちまち過ぎていった。

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鉄道博物館の展示品

タリスリン鉄道もまた、スレート運搬のために開設された鉄道だ。この地域では、1840年代からタウィン(下注)の北東7マイル(11km)のブリン・エグルイス Bryn Eglwys で、本格的な採掘が営まれていた。しかし、そのスレートは駄馬で南の山を越え、ペンナル Pennal から川舟でダヴィー川を下り、河口で貨物船に積み替えるという非常に手間のかかるルートで輸送されていた。そのため、さらなる増産は困難だった。

*注 タウィン Tywyn は、1975年まで Towyn と綴った。

1864年にイングランド北西部の工場主の一人ウィリアム・マッコーネル William McConnel が、商売の多角化のために採掘場の経営に乗り出した。彼は、輸送路を確立しようと、当時標準軌の鉄道が来ていたタウィンまで、軽便鉄道の敷設を計画した。採用された2フィート3インチ(686mm)という軌間は今では珍しいが、当時、近隣のコリス鉄道 Corris Railway ですでに使われていた規格だ。目的地のブリン・エグルイスは標高250mの山中にある。それで鉄道は、2か所のインクライン(勾配鉄道)を連ねて、必要な高度を稼いだ。

*注 コリス鉄道は、マハンレス Machynlleth(標準軌線開通以前はさらに下流のデルウェンラス Derwenlas)からコリス Corris やアベルスレヴェンニ Aberllefenni のスレート鉱山へ延びていた軽便鉄道。1859年開通。現在は、山中のコリスに1.2kmの短い保存鉄道が復元されている。

鉄道は1866年に完成し、同じ年に労働者や一般旅客の輸送も始まった。スレート生産がピークを過ぎると、近所のタリスリン湖やカデア・イドリス(カダイル・イドリス)山 Cadair Idris と組み合わせたグランド・ツアーを企画して、旅行客の掘り起こしにも努めた。

1910年にマッコーネルが手を引いた後は、地元の地主で下院議員だったハイドン・ジョーンズ Haydn Jones が採掘場と鉄道を引き継いだ。第一次世界大戦が終結すると、旅行者は再び増加に転じた。客車不足を補うために、スレート貨車に板張りの座席をしつらえて急場をしのいだことさえあった。観光輸送は運営費用の足しになったが、しかし十分な利益をもたらすほどではなかったようだ。

鉄道の経営を支えていたのは依然、スレート貨物だった。しかし、第二次大戦後の1946年に大規模な崩壊が起きて、採掘場は閉鎖のやむなきに至る。ハイドン・ジョーンズは、自分が生きている間は列車を動かすと公言していたので、鉄道は週2日に限って、細々と走り続けた。だが、1950年に彼が亡くなると、運行休止の懸念が現実のものとなった。

今から思えば、鉄道を救うための社会活動は、彼の死をきっかけにして動き出したのだ。バーミンガムの新聞社の協力で、考えを同じくする人々が集い、準備作業が始まった。鉄道会社の株式は持ち株会社に移し、運営は保存協会が担うことにして、早くも1951年のシーズンには、保存鉄道としてのスタートが切られた。

ハイドン・ジョーンズの最晩年に稼働していた機関車は、2号機ドルゴッホ Dolgoch だけだった(下注)。そこで、先ごろ休止となったコリス鉄道から2両の機関車が購入され、3号サー・ハイドン Sir Haydn、4号エドワード・トーマス Edward Thomas と命名された。小さな鉄道は1957年にBBCの番組で紹介されたことで人気が高まり、運営が軌道に乗ったと言われている。

*注 1号機タリスリンは、戦時中酷使されたために故障し、修理待ちの状態だった。

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2号機関車ドルゴッホ

今年(2016年)の運行期間は、3月中旬から10月末と、冬季の一部の日だ。ピークシーズンには1日6便が運行されている。所要時間は往路が55分、復路が82~87分だ。復路のほうが長くかかるのは、途中のアベルガノルウィン Abergynolwyn で休憩タイム refreshment break があるためだ(下注)。

*注 最終便は往路に休憩タイムが設定されており、所要時間は逆転する。

博物館の中では、ほとんど一人だった。ところが、出発15分前にホームに戻ると、すでに客車のどの区画にも客の姿がある。私も、母と娘とおぼしき3人連れがいる区画に入れてもらったが、発車直前に、途中の信号所へ赴くという老スタッフ氏も乗り込んできた。向い合せのシートは一応片側3人掛けではあるものの、大人5人が入ると少々窮屈だ。スタッフ氏は「狭くて悪いね」と恐縮していたが、繁盛しているのだから結構なことだ。

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フラワーバスケットで飾られた始発駅のホーム

前につく機関車はそのドルゴッホ。1866年製で、ずっとこの鉄道を仕事場にしてきた最古参機だ。列車は、出発するといきなり掘割の中を行く。タウィンの町は背後の山から続く微高地に載っていて、線路はこれを切り通して造られているからだ。

一駅目のペンドレ Pendre は、機関庫、車庫、整備工場が置かれて、鉄道の管理拠点になっている。それからしばらく、広々とした牧場の中を進んでいく。明るい光が一面に降り注ぎ、羊たちが無心に青草を食むのどかな景色に心が和む。リダローネン Rhydyronen という野中の小さな駅にも、列車を待つ人の姿があった。無人の待合室のように見えた建物は、驚いたことに切符売り場兼売店で、人が配置されているらしい。

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(左)機関庫のあるペンドレ駅 (右)タウィンの町を抜けるとのどかな牧野が広がる
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(左)リダローネン駅では降車客あり (右)ナナカマドの木が見送ってくれる(帰路撮影)

次のブリングラス Brynglas には待避線があり、帰りはここで列車交換が行われた。閉塞は通票方式で、信号扱所に詰めている係員がポイントを操作し、手旗で閉塞区間への進入を許可している。商業鉄道ではとうに失われた暖かな手作り感が、ここではボランティアの手で連綿と維持されているということが、だんだんとわかってきた。

やがて左手の車窓にも、巨大なコッペパンのような山塊が見え始める。線路は緩やかな上り勾配で、浅いU字の谷に入っていく。機関車のドラフト音がせわしくなり、長く鋭い汽笛がときおり山にこだまする。林の中に、ナント・ドルゴッホ Nant Dol-goch の谷川を渡る高さ16mの高架橋がある。渡り終えると、左カーブしながらドルゴッホ駅に停車した。けっこう降りる人たちがいるのは、谷川にある3つの滝を見ながらハイキングを楽しむつもりだろう。機関車もここで給水を受けた。

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ドルゴッホ西方。緩やかな上り勾配が始まる
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(左)ナント・ドルゴッホの谷川を渡る (右)ドルゴッホ駅の発車風景(帰路撮影)

クォーリー・サイディング・ホールト Quarry Siding Halt では、帰りに列車交換をしたが、やってきたのはお面をつけた「ダンカン Duncan」だった。1918年製、動輪2軸の6号機で、ダグラス Douglas が本名なのだが、ずっと絵本「きかんしゃトーマス」の登場人物の扮装で走っている。トーマスの作者ウィルバート・オードリー牧師 Rev. Wilbert Awdry はタリスリン鉄道の保存協会の会員で、1952年からしばしば家族で現地を訪れて、ボランティアとして働いた。トーマスシリーズに登場する狭軌のスカーロイ鉄道 Skarloey Railway とその機関車は、タリスリン鉄道のそれをモデルにしているのだそうだ。

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(左)クォーリー・サイディング・ホールトで列車交換
(右)対向相手はダンカン(いずれも帰路撮影)

次は、アベルガノルウィンだ。森に囲まれ、近くに人家はなく、石切工とその家族が住んでいた同名の村へは1kmほど坂を下りていかなければならない。それにもかかわらず、長いホームと側線と、切符売り場、売店、カフェを収容した立派な駅舎がある。旅客列車は、鉱山軌道の時代からずっとここが終点で、拠点駅の雰囲気があるのはそのためだ。この先の貨物線だった線路をナント・グウェルノルまで旅客用として復活させる計画は、1968年に着工され、1976年にようやく完成した。

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アベルガノルウィンの村を遠望

アベルガノルウィンで降りた人はほとんどおらず、皆、終点まで行くようだ。傍らの谷が下りに転じる一方で、線路はなおも上り続ける。村へ直降していたインクラインの跡には、錆びた線路とワイヤを巻き取るドラムが残されていた。列車のスピードが落ち、崖際を回り込んでいくと終点だった。

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(左)村へ降りていたインクラインの跡
(右)アストウィスト・インクラインの図(タウィン・ワーフ駅前の案内板を撮影)

ナント・グウェルノルは、狭い岩棚の上にホームに面する本線と機回し線があるのみの、簡素な駅だ。先に延びていたアストウィスト・インクライン Alltwyllt Incline は撤去済みのため、鉄路としては完全に行止りになっている。機関車は切り離され、隣の機回し線をバックしていって、反対側に付け直された。列車は10分間停車の後、折返していく。ホームには、小屋が建つほかには土産物屋一つないので、乗客もとんぼ返りするのかと思ったら、そうでもない。多くの人はホームに立ち、戻る列車を見送っていた。周辺には遊歩道が整備されているので、ゆっくりと散策に出かけるのだろう。

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(左)ナント・グウェルノル駅に到着 (右)10分で機回しして折り返す

帰りの列車は、さっきのアベルガノルウィンで30分ほど停車する。小さな客車に1時間以上揺られてきたので、体を伸ばすのにちょうどいい。機関士や車掌らスタッフも同様らしく、駅舎の端のテーブルに用意されたコーヒーとサンドイッチを囲んで、談笑している。時計を見たら、もうすぐ12時だ。私も、もらったバウチャーを使って何か食べ物を仕入れに行くとしよう。

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アベルガノルウィン駅に到着
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アベルガノルウィン駅 (左)復路に30分の休憩タイムがある (右)出札窓口

次回は、マウザッハ河口のフェアボーン鉄道に乗る。

■参考サイト
タリスリン鉄道 http://www.talyllyn.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Talyllyn Railway Guide Book" Talyllyn Railway Company, 2016 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

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2017年1月21日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道

下部区間:ヴィクトリア Victoria ~ハーフウェー Halfway 間 800m、開業 1902年
上部区間:ハーフウェー~サミット Summit 間 750m、開業 1903年
軌間 3フィート6インチ(1,067mm)

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グレート・オーム軌道の古典トラムが急坂を行く

アイリッシュ海に臨むスランディドノ Llandudno は人気のある海岸保養地だ。白い瀟洒な建物が建ち並ぶプロムナード Promenade(海岸遊歩道)が、休暇を過ごす多くの人で賑わう。その町の西側を、灰色の高い崖が限っている。草地の間にドロマイト(苦灰岩)が層状に露出して、まるでミルフィーユのような容貌のこの崖は、グレート・オーム Great Orme と呼ばれる台地の側面だ(下注)。

*注 ちなみに、グレート・オームに対するリトル・オーム Little Orme が、スランディドノ市街の東側にある。これらの岬は、船乗りたちにとって格好の目印だった。

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スランディドノの市街地の背後を、ミルフィーユのようなグレート・オームの崖が限る

東西3.5km、南北2km、標高207mのグレート・オームは、地形的に見ると、スランディドノの市街地が載る砂州によって陸地とつながれた島(=陸繫島)だ。海に突き出して、眺めがいいので、昔からスランディドノの滞在客に手近な気晴らしの場を提供してきた。これから乗るグレート・オーム軌道 Great Orme Tramway も、そこへ上る足として親しまれているケーブルトラム(トラム車両のケーブルカー)だ。

軌道は下部区間と上部区間に分かれている。それぞれ独立して運転され、乗客は両区間が接続するハーフウェー駅 Halfway Station で車両を乗換える。開業したのは、下部区間が1902年、上部区間が1年遅れて1903年のことだ。1932年に下部区間で車両がケーブルから外れて脱線する事故を起こし、2年間運休となった以外は、2度の大戦中も含めて110年以上走り続けてきた。その間に運行権は、1949年に民間会社からスランディドノ市に移り、その後の自治体再編によって、現在はコンウィ特別市 Conwy County Borough が運営主体となっている。

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グレート・オーム軌道(赤で表示)と周辺の鉄道網

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グレート・オーム周辺の地形図
1:25,000地形図 SH78, SH88 いずれも1956年版 に加筆。高度はフィート単位。

乗り場のヴィクトリア駅 Victoria Station は、町を南北に貫くグローザイス通り Gloddaeth Street から300mほど山手へ上った、台地の麓にある。駅名は、この敷地にかつて建っていたヴィクトリアというホテルが由来だという。主要道路から引っ込んでいて場所がわかりにくそうに思ったが、心配は無用だった。青い大きな看板のかかる乗り場の前の歩道に、すでに次のブロックまで達する長い行列ができていたからだ。

案内板によると、4~9月は始発10時、最終便が18時で、通常20分毎、繁忙時は10分毎に運行されている(下注)。真っ青な空が広がった今日は、もちろん10分間隔でフル稼働していたが、定員48名の小さな車両なので、並んでいる間も列は解消するどころか、次々と加わる人で長くなる一方だった。

*注 3月と10月は10~17時の運行で、冬場は全面運休となる。

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ヴィクトリア駅の前には長蛇の列が

車両が発着する様子を眺めながら1時間近く待って、ようやく大屋根の下の切符売り場までたどり着いた。ここまで来れば、あと1~2便で乗れる。たまたま前の便が私たちの直前で満席になったので、次に来た車両には先頭で乗込めた。できるならこの手の乗り物は、上るにつれて眼下の景色が開けていく最後尾の席を取りたい。

車両は開業時からいるオープンデッキ付き側窓なしのボギー車で、コバルトブルーの外壁に、クリーム色でクラシックな装飾や文字が描かれている。車内は通路の両側に、2人掛けの狭い木製ベンチが向かい合わせに並ぶ。乗り込んだ客が全員着席すると、すぐに発車した。

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開業時からの古典車両
(左)オープンデッキ付き側窓なし (右)2人掛けの木製ベンチが並ぶ

ヴィクトリアからハーフウェー Halfway までの下部区間は、長さが800m、最急勾配1:3.7(270‰)で、標高差123mを6分で上りきる。大部分が道路との併用軌道で、車両を引き上げるケーブルは、路面に埋められたZレールの溝の中に敷かれている。そのため、地表では車輪が走行する2本のレールと、その間にZレールの平たい頂部が見えるばかりだ。教えられなければ、ケーブルカーとは気づかないだろう。

見かけは有名なサンフランシスコ市内のケーブルカーに似ているが、あちらは、動いているケーブルを車両側の専用装置で掴むことにより移動する循環式だ。対して、こちらは車両がケーブルに固定され、ケーブルとともに移動する。普通のケーブルカーと同じ交走式と呼ばれる仕組みだが、併用軌道で残存しているのはイギリス唯一で、世界でも貴重な存在だそうだ(下注)。

*注 同じ方式がポルトガルのリスボン市内で3路線稼働している。

ところでこの車両、屋根の上にトロリーポールが載っている。見た目の違和感はないのだが、よく考えてみれば車両は動力装置を持っていないはずだ。何のためのポールだろうか。調べてみると、かつて線路の上空には、駅の運転要員と車両の乗務員が連絡を取り合う通信線が張られており、ポールはそれに接触させるものだった。無線機の導入によってすっかり用済みになり、今は固定されたままだ。

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駆動システム図解。動力装置はハーフウェー駅で集中管理されているため、左の下部区間と右の上部区間で方式が異なる

線路は、駅を出るとすぐにオールド・ロード Old Road と呼ばれる家並に囲まれた坂道に入り、そのまま急勾配で上っていく。歩く人でさえ、車両が通るときは石積みの側壁に身を寄せてやり過ごさなければならないほどの狭い道だ。クルマとの対向はとうてい不可能なので、運行時間帯は沿線の住宅への出入りを除いて、車両通行が禁止されている。

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下部区間は4号車と5号車が担当。最初は狭いオールド・ロードを行く
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上るにつれ、スランディドノのプロムナード(海岸遊歩道)が見えてくる

高度が上がるにつれて、弓なりになったプロムナードと波打ち寄せる海岸線が視界に入ってくる。くねくねと曲がったあと、ようやく2車線のティー・グウィンロード Tŷ Gwyn Road(Tŷ Gwyn は白い家の意)に躍り出た。ここでは道路の中央ではなく進行方向右端を走るので、最初に車道を横切らなければならない。その間、警報機が鳴り、道路側の赤信号が灯って、クルマの通行は遮断される。

帰りはここを歩いて降りたのだが、警報機が鳴り出すより前に、地面からガラガラと賑やかな音が響き始めた。ケーブルが溝の中で移動し、滑車が回転する音だ。そしてしばらくしてから車両が現れる。ドライバーはともかく歩行者にとっては、この音が車両の接近を知らせる一番の合図になった。

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ティー・グウィンロードに出る。警報機が鳴り、クルマは停止

まもなく下部区間の中間地点だ。線路が複線に分かれ、降りてきた車両とゆっくりすれ違う。交換所の先は、線路が一種のガントレット(単複線)になるのがおもしろい。走行レールのうち内側2本は近接し、かつ位置が逆転(左車線のレールが右側にある)している。さらに、内側の車輪のフランジが通る溝は、左右車線で共用する形だ。

確かに、中間地点より上半分は2本のケーブルが互いに逆方向に動くから、干渉を避けるにはZレールを分ける、すなわち線路を複線化する必要がある。しかしここは、用地に余裕のない道路上のため、こうした珍しい形状が採用されたようだ。

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道路わきの列車交換所を通過
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(左)交換所より下は単線 (右)交換所より上はガントレットに
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スランディドノ湾が大きく広がる。湾の先の断崖がある山がリトル・オーム

道路とともに右へ大きく曲がると、勾配は輪をかけて急になった。道端の建物が坂上側へ傾いて見える。トラムが涼しい顔で上る隣を、クルマがローギアでエンジンを唸らせながらやっとのことで追い抜いていく。そんなに気張らなくても、と思わず同情したくなる。後ろに開けていたスランディドノ湾の眺望は、いつしか山かげに隠れた。

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カーブを曲がると目に見えて急勾配に。左写真は坂上から、右写真は坂下から撮影

今度は左へカーブする。公園のゲートがあり、並行道路が線路から離れていった。まもなく、ケーブルカーも、ハーフウェー駅の切妻屋根の下へ半分吸い込まれ、そこで停車した。ハーフウェーは文字どおり道の中途なので、山頂へ行く乗客はここで上部区間の車両に乗り換えなくてはいけない。

駅舎は2001年の改築で、見かけはまだ新しい。半円の屋内通路の壁には、軌道の歴史や構造を説明したパネルがかかり、ガラス張りの内壁からケーブルを巻き上げたドラムも間近に見える。それはそれで興味深いのだが、接続する便に乗りたければ、残念ながらじっくり見ている時間はない。

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(左)ハーフウェー駅到着 (右)停車位置の先にある車両検査ピット
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(左)ガラス越しにケーブルの巻上げ機が見える (右)隣接する上部区間の発着場

ハーフウェーからサミット Summit までの上部区間は、750mの長さがある。最急勾配1:9.3(107.5‰)で、標高差44mを4分半で上ってしまう。すでに台地の上に出ているので、勾配は比較的緩く、速度も若干速めだ。下部区間とは違って終始単線(交換所を除く)の専用軌道で、ケーブルも露出している。

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上部区間 (左)ハーフウェー駅を発車 (右)終始専用区間のため、ケーブルが露出

駅を出ると、聖ティドノ教会(下注1)へ降りる道路と交差した後、ヒースが淡い彩りを添える緑の草原をそろそろと上っていく。海側を小さな空中ゴンドラが行き来しているのが見える。スランディドノ・ケーブルカー Llandudno Cable Car という名称のため紛らわしいが、グレート・オームへ上るもう一つの公共交通機関だ(下注2)。後で乗ろうとしたのだが、乗り場に山麓で見たのと同じような長蛇の列ができていたので諦めた。

*注1 ちなみに、聖ティドノ St. Tudno はスランディドノの守護聖人で、町の名の由来でもある。
*注2 公共交通機関としては、スランディドノの市内循環バス(26系統)も山頂まで1時間毎に走っている(日祝日を除く)。

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上部区間の列車交換所で6号車と7号車が交換。背後は空中ゴンドラ
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交換所のあとは少し急な勾配で山頂までひと上り

中間地点を過ぎると、交換した下り車両が、日差し降り注ぐのどかな景色の中を遠ざかっていく。線路には柵がないので、群れからはぐれた羊や牛が入り込むこともままあるそうだ。線路は左右にカーブを切りながら、短い切通しで起伏を乗り越えた。今度は左手に青いコンウィ湾が見えてきて、乗客の視線がそちらに注がれる、と思う間に早くも終点だった。

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(左)左手にコンウィ湾が開ける (右)サミット駅に到着

標高198mのサミット駅は、呼び名にたがわず山頂直下にある。右手の小道を少したどれば、ビジターセンターやショップ、レストランのある山頂の休憩施設だ。しかし、天気のいい日は何よりもまず、遮るもののない陸と海の眺望を楽しみたい。

南側は弧をなすコンウィ湾の後ろになだらかなスノードニアの山並みが続き、西はアングルシーの島影が長く尾を引く。北は、羊が放たれた山上牧場の向こうに、アイリッシュ海の大海原が目の届く限り広がり、そのまま明るい空に溶け込んでいる。こんな気晴らしの場所がすぐ近くにあるスランディドノの滞在客は幸せだと、心から思った。

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山頂から、コンウィ湾とスノードニアの山々を遠望
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(左)山上の台地はのびやかな放牧地 (右)カモメの楽園でもある

次回は南に転じて、鉱山軌道だったタリスリン鉄道に乗る。

本稿は、Keith Turner "The Great Orme Tramway - Over a Century of Service" Gwasg Carreg Gwalch, 2002および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
グレート・オーム軌道(公式サイト) http://www.greatormetramway.co.uk/

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2017年1月14日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線

スランディドノ Llandudno ~スランディドノ・ジャンクション Llandudno Junction ~ブライナイ・フェスティニオグ Blaenau Ffestiniog 間 49.6km
軌間 4フィート8インチ半(1,435mm)、開業 1858~79年

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保養地スランディドノを遠望

今日も晴れるというので、ウェールズ北海岸にある有名な保養地スランディドノ Llandudno へ行くことにした。グレート・オームという岬に上がるケーブルトラムに乗り、それから世界遺産のコンウィ城へ回るという行程だ。ポースマドッグからスランディドノへは、ブライナイ・フェスティニオグ経由で山を越えていくのが速い。

7時55分、私たちはポースマドッグの公園前にあるバス停から、1B系統の路線バスに乗った。例のフェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway は早朝には動いていないし、なにより鉄道で70分かかるこの区間を、バスならわずか30分で走り切ってしまう。移動手段として見た場合、後者の選択になるのはやむをえない。バスはドゥアリド川 Afon Dwyryd に沿って進み、谷底からいきなりスラン・フェスティニオグ Llan Ffestiniog(フェスティニオグ本村)のある山の中腹へ攀じ登り始める。鉄道とはまったく別のルートをたどるので、興味の尽きることがない。

ブライナイ・フェスティニオグ駅の構内は、がらんとしていた。最も山側の標準軌ホームに、連接気動車がぽつんと停まっている。この路線の旅客輸送を担うのは、カンブリア線と同じアリーヴァ・トレインズ・ウェールズ Arriva Trains Wales で、車両も同形だ。この便の接続時間は12分と、十分余裕がある。バスからの乗継ぎ客が車内に収まると、人影の消えたホームにアイドリングの音だけが響いた。

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朝のブライナイ・フェスティニオグ駅で発車を待つ

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コンウィ・ヴァレー線(赤で表示)と周辺の鉄道網

ここブライナイ・フェスティニオグからスランディドノに通じる路線は、コンウィ・ヴァレー線(コンウィ渓谷線)Conwy Valley Line と呼ばれている。スランディドノ・ジャンクション Llandudno Junction を起点に、ノース・ウェールズ・コースト線(ウェールズ北岸線)North Wales Coast Line から南と北に分岐する本来別の2本の路線を、統一名称で売り出しているのだ。呼称だけではなく運用上も、ブライナイ・フェスティニオグ発着の列車は一部を除き、スランディドノへ直通する。

歴史をたどると、海側の方が登場が早く、避暑客の利用を見込んで1858年に、スランディドノ・ジャンクション~スランディドノ5.1kmが開通している。

一方、コンウィ川の谷を遡る山側区間は、1863年に、コンウェー・アンド・スランルースト鉄道 Conway and Llanrwst Railway(Conway はコンウィの英語における旧綴り)の手で、ノース・スランルースト North Llanrwst まで建設されたのが最初だ。これがロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道 London and North Western Railway に引き継がれ、1868年にベトゥス・ア・コイド Betws-y-Coed、1879年にようやくブライナイ・フェスティニオグの仮駅に通じた。その後、1881年に新設された本駅まで延伸され、ようやく44.5kmの全線が完成した(下注)。

*注 仮駅は、トンネルの出口近くに造られた。1881年の本駅(国有化後はブライナイ・フェスティニオグ北駅 Blaenau Ffestiniog North と称した)も現在の位置ではない。

最後の開通区間には、モイル・ダルノギズ Moel Dyrnogydd の下を貫く長さ3,520mのフェスティニオグトンネル Ffestiniog Tunnel がある。わざわざイギリスでも有数の長大トンネルを掘ってまで線路を延ばそうとしたのは、それまでフェスティニオグ鉄道が独占していたスレート輸送に参入するのが目的だった(下注)。そのために鉄道会社は、スランディドノの手前の、コンウィ川河口デガヌイ Deganwy に専用の積出し港も整備した。

*注 ブライナイ・フェスティニオグでの路線網と駅の変遷については、前回「ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II」参照。

しかしその後、採鉱事業の斜陽化が進んで貨物輸送は廃止されてしまい、今はアリーヴァの気動車が旅客輸送だけを続けている。海側区間は、マンチェスター Manchester 方面からの直通列車を含め、1時間に1~2本と比較的高頻度で運行されているが、山側区間では平日・土曜に一日6往復、日曜は3往復(冬季は運休)が走るのみだ。

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スレドル川の谷から見るモイル・シャボード Moel Siabod

始発駅の車内でも1列おきに座席が埋まっていて、ローカル線とはいえ、この時間帯はそれなりの需要があるのが見て取れる。8時35分定刻に走り出すと、列車は、うず高く積まれたスレート屑の山をすり抜け、フェスティニオグトンネルに突入した。長い闇の中から解放された後は、スレドル川の谷 Dyffryn Lledr に沿って下っていく。眺めはおおむね進行方向左側の車窓に開け、濃淡の緑をまとう山麓の上に、岩がちのどっしりした山塊が朝日を浴びている。途中に小駅がいくつかあるのだが、リクエストストップのためすべて通過した。

谷が狭まったところで、川を斜めに横切っていく。石造アーチのゲシン高架橋 Pont Gethin を渡るのだが、列車に乗っていたのでは気づかない。帰りは路線バスを使ったので、思いがけなくも、城壁のような重厚な石積みをカメラで捉えることができた。

まもなく、ベトゥス・ア・コイド Betws-y-coed だ。渓流が岩をはむ佳景で知られた小村で、以前車で通ったことがある。駅の裏にはコンウィ・ヴァレー鉄道博物館 Conwy Valley Railway Museum があって、15インチ(381mm)軌間のミニチュア鉄道も運行されている(下注)。一度ゆっくり訪ねてみたいものだ。

*注 同館サイトによれば、ミニチュア鉄道は2015年12月に洪水の被害を受け、運行休止中。

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(左)石造アーチのゲシン高架橋(帰りの路線バスから撮影)
(右)ベトゥス・ア・コイド駅裏の鉄道博物館

この後は山がしだいに遠のき、牧場や畑を森が縁取る穏やかな風景が車窓を支配するようになる。コンウィ川 Afon Conwy と名を改めた流れを渡ると、スランルースト Llanrwst に停車した。かつて羊毛交易で栄えたコンウィ谷の中心地だ。左側に見える川もその幅を広げていき、やがて川と海の境があいまいな三角江の様相を呈し始めた。小さな干潟で水鳥の群れが羽を休めている。線路が川岸から離れる直前、遠方にコンウィの鉄橋と古城がその姿を現した。

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スランルーストから下流は川幅が広がる
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川と海の境があいまいな三角江に
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三角江の先にコンウィの鉄橋と古城が見えた

コンウィの町は、スランディドノからの帰り途に立ち寄った。町の東側に、13世紀後半、イングランド王エドワード1世がウェールズ征服に際して築いた古城、コンウィ城 Conwy Castle があり、世界遺産にも登録され、観光名所になっている。それとともに鉄道ファンには、傍らに架かるコンウィ鉄橋 Conwy Railway Bridge も見逃せない。ロバート・スティーヴンソン Robert Stephenson が設計し、1848年に竣工、翌49年に開通した橋だ。クルー Crewe ~ホリーヘッド Holyhead 間の幹線鉄道ノース・ウェールズ・コースト線 North Wales Coast Line が通っている。

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コンウィ城
(左)コンウィ川を渡るA547号線から城を見る(2階建バスから撮影) (右)塔が立ち並ぶ城内

鉄橋はチューブラーブリッジ(管状橋)といわれる構造で、スパンを長くとるために橋桁を鋳鉄製の四角い箱にし、その中に線路を通している。両岸には城の一部かと見紛う立派な橋楼(バービカン barbican)が建ち、列車はそのたもとに開いた門口から箱の中に吸い込まれていく。せっかく名城が背景を固めているというのに、列車が橋を渡る姿は見えない。それで、鉄道写真の被写体としてはインパクト不足なのが惜しいところだ。

ちなみに、西のメナイ海峡を渡る同線のブリタニア橋 Britannia Bridge も当時同じ構造で造られたのだが、1970年に火災で損傷し、再建に際してトラスアーチ橋に変更された。それでコンウィ鉄橋は、管状橋の現存する唯一の作例になっている。コンウィ城の塔の上からは、眼下にこの珍しい鉄道橋と、トーマス・テルフォード Thomas Telford 設計の優雅な吊橋が並ぶさまを眺めることができる。

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(左)城のすぐ横をノース・ウェールズ・コースト線が通る
(右)コンウィ川を渡る3本の橋。右からスティーヴンソンの鉄道橋、テルフォードの吊橋、改修中の道路橋

鉱山町を出て約1時間で、スランディドノ・ジャンクションまで下ってきた。ここは駅名のとおり、本線格のノース・ウェールズ・コースト線との乗換駅だ。乗ってきた客の多くがここで降り、コースト線ホームへ移動していく。駅舎は上下線の間のホーム上にあり、レトロな風情の中央階段で、駅前広場へ通じる跨線橋につながる構造だ。本線の接続列車を待ち合わせるために15分停車したので、観察時間はたっぷりあった。いっとき人の動きが止まったホームを、カモメが一羽、わがもの顔で散歩していた。

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スランディドノ・ジャンクション駅
(左)ノース・ウェールズ・コースト線ではヴァージン・トレインも運行中
(右)レトロな風情の中央階段
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ホームを一羽のカモメが闊歩

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コンウィ~スランディドノ間の地形図(図中のConwayはConwyの旧綴り)
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 107 Snowdon 1959年版 に加筆

9時48分に再び発車、列車は上り線をゴトゴトと横断して、コンウィ・ヴァレー線の海側区間へ進入した。左手はコンウィ川の広い河口で、水面越しにもう一度コンウィ城と、それに続く石造りの街並みを遠望できる。デガヌイに造られたスレートの積出し港はもはや跡形もなく、ヨットがもやる優雅なマリーナに変身していた。列車は、ゴルフコースの横をかすめたかと思うと、早くも終点だった。この間わずか8分だ。

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デガヌイ駅付近から河口を隔ててコンウィの町の眺め

スランディドノはアイリッシュ海に臨む夏の保養地で、19世紀には「ウェールズのリゾートの女王」と称され、上流階級の人気を集めていた。煉瓦造りの現駅舎は、利用者が増えて初代駅舎が手狭になったため、1892年に新築されたものだ。建設当初は待合室や軽食堂を擁し、頭端式のプラットホームが5番線まであったそうだ。

その後、鉄道輸送が縮小するにつれ、設備を持て余すようになったことから、2014年に大改修が行われた。旧駅舎は半分撤去され、総ガラス張りのモダンな待合室に生まれ変わった。ホームも3面3線に縮小されたが、かつて送迎車両が乗り入れていた構内車道、ロンドン・ミッドランド・アンド・スコッティシュ鉄道 London, Midland and Scottish Railway (LM&S) のモノグラムを埋め込んだ改札柵、ホームを覆っていた大屋根の一部は残されていて、最盛期の威容をしのばせる。

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スランディドノ駅
(左)フェスティニオグからの列車が到着 (右)LM&S のモノグラムのある改札柵
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(左)大屋根の架かるホームの中央はかつての構内車道
(右)駅正面。中央部は総ガラス張りに改築された

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駅前に立つアリスの木像

駅前に出ると、天気予報の言ったとおり、町の上には雲一つない青空が広がっている。スランディドノには、不思議の国のアリスのモデルになったアリス・リデル Alice Liddell 一家の別荘があり、彼女はよく家族と訪れていたそうだ。駅の向かいの角に立つ大きなアリスの木像に見送られて、私たちは保養地の瀟洒な通りをグレート・オームの方角へ歩いていった。

次回は、グレート・オームのケーブルトラムに乗る。

■参考サイト
Cambrian Lines http://www.thecambrianline.co.uk/
Arriva Trains Wales  https://www.arrivatrainswales.co.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II

2017年1月 7日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II

フェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway(以下、FR)の旅を続けよう。

機関車リンダ Linda が牽く列車は、リウ・ゴッホ Rhiw Goch 信号所を後にすると、高い石垣で谷を渡り、苔むした森に入っていく。この辺りは、かなりの急斜面だ。1830年代という早い時期に、起伏の多い山地で20kmもの勾配線路を築いていくのは、大変な工事だったに違いない。

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フェスティニオグへ向けて列車は上り続ける

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タン・ア・ブルフ~ブライナイ・フェスティニオグ間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 116 Dolgellau 1953年版 に加筆

プラース・ホールト Plas Halt(ホールトは停留所の意)の手前に、「タイラーのカーブ Tyler's Curve」と呼ばれる半径2チェーン半(50.3m)の最小カーブが控えている。線路横に立つ「W」と書いた標識は、「警笛鳴らせ」の意味だ。車輪をきしませながら回り込む間、ドゥアリド川が流れるフェスティニオグ谷 Vale of Ffestiniog と、それを隔てて向かいに大きな山塊が見晴らせた。谷底で軒を寄せ合うマイントゥログ Maentwrog の村のたたずまいも美しい。

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(左)リウ・ゴッホ信号所を通過 (右)マイントゥログの村を遠望

列車は、続いてマイル湖 Llyn Mair のある支谷を巡り始める。その途中に、タン・ア・ブルフ Tan-y-bwlch (下注)の駅がある。森に囲まれたS字状の島式ホームに軽やかな跨線橋が架かり、FRでは一番絵になる中間駅だ。ミンフォルズから20分奮闘し続けてきた機関車は、しばらく停車して水の補給を受ける。帰りはここで列車交換も行われて、眠ったようなホームがいっとき生気を取り戻した。

*注 タン・ア・ブルフ(峠下の意)は、ふつう続けてタナブルフと読まれるが、分かち書きの地名は中黒でつないで表記した。

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タン・ア・ブルフ駅 (左)森の中の島式ホームと跨線橋 (右)列車交換(帰路写す)
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坂を上る列車はここで給水を受ける(帰路写す)
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眼下にマイル湖。線路は対岸の山を回ってきた

ガルネズトンネル Garnedd Tunnel(55m)の短い闇を経て、しばらくはカンブリア山地を見渡す高みを走っていく。すでに谷底との標高差は160m以上あり、開いた窓から強めの風が入ってくる。タン・ア・ブルフから10分、そろそろ次の見どころ、ジアスト Dduallt のオープンスパイラル(ループ線)だ。ジアストの駅を過ぎると、線路は右へぐんぐん回り込み、今通った線路の上を乗り越える。そしてモイルウィントンネル Moelwyn Tunnel(262m)を介して、北側のアストラダイ Ystradau の谷へ抜けていく。

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フェスティニオグ谷を隔ててカンブリア山地の眺望が開ける
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ジアストのオープンスパイラル (左)ジアスト駅 (右)駅を出ると右へぐんぐん回り込む

あたかも鉄道模型を実地で再現したような構造だが、これはオリジナルのルートではない(下図参照)。1836年の開通当初は、インクライン(勾配鉄道)でこの山を越えていた。1842年に、山を貫く長さ668mの(旧)モイルウィントンネルが完成して、産業鉄道の時代はこのトンネルを行き来した。スパイラルになったのは、意外にも保存鉄道になってからで、正確にいうなら、鉄道を復元するためにわざわざ建設されたのだ。その理由を知るには、少し20世紀のFRの歩みを振り返る必要があるだろう。

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ジアスト~タナグリシャイ間の路線の変遷
(左)開通当初はインクラインで山越え("Old Tramway" と注記)
   旧モイルウィントンネルの完成で全線重力運行が可能に
    1:25,000地形図 SH64 1953年版に加筆
(右)現在は、貯水池の水位を超えるまでスパイラルで高度を稼ぐ
    1:25,000地形図 OL18 2015年版に加筆 © Crown copyright 2017

ウェールズのスレート産業が絶頂期を迎えたのは1880年代だ。世紀が変わると、タイルのような新素材の普及や、世界大戦に起因する労働力不足と販路の途絶、経済不況など、いくつも悪条件が重なって、凋落の傾向がはっきりしてくる。フェスティニオグでも採石場の閉山が相次いだため、ついにFRは1939年9月に旅客輸送を中止、1946年8月にはスレート輸送も断念せざるを得なくなった。鉄道施設が撤去を免れたのは、路線の建設を許可した19世紀の法律に、休廃止に関する規定がなかったからに過ぎない。

鉄道愛好家のグループが鉄道の復元に取組み始めたのは、それから5年後の1951年のことだ。まず1954年にボストン・ロッジ工場で機関車の修復に着手し、翌55年にはザ・コブ(築堤)の区間で保存走行を開始した。線路は山に向かって段階的に復旧されていき、1968年にはここ、ジアストまで到達した。

しかし、そこからが難関だった。鉄道が休止している間に、線路が通るアストラダイの谷では、揚水式水力発電所の建設計画が進められていたからだ。谷をダムで締め切って調整池にしたため、線路は2km近くにわたって水没してしまった。モイルウィントンネルの北口も使えなくなり、より高い位置にトンネルを掘り直す必要があった。足掛け18年2か月に及ぶ長い法廷闘争で英国中央電力庁CEGBから補償金を獲得した彼らは、ボランティアを動員して約4kmの新線建設を敢行した。これは1978年に最終的に完成し、保存鉄道は調整池の北端にあるタナグリシャイ Tanygrisiau まで延長されたのだ。

列車がループを回りきって新トンネルに入る直前に、旧線を載せていた築堤が右車窓の下方に見える。オープンループで稼いだ高度はわずか11mに過ぎないが、これがなければFRの復元は尻切れトンボで終わっていたに違いない。

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ジアストのオープンスパイラル
(左)今通って来た線路を乗り越える。左奥にジアスト駅が見える
(右)石積みが残る旧線の築堤

トンネルを出ると、その調整池が右手に姿を見せる。きょうは水位が下がっていたので、旧トンネルに突っ込む廃線跡も確認できた。列車は、発電所の建物の裏をかすめた後、坂を下りてタナグリシャイ駅に入っていく。ここでも列車交換があった。先頭に立っていたのは、同じダブル・フェアリーで赤塗装の12号機「デーヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George」だ。

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発電所の調整池の向こうに、スレートの採掘跡が残る山々
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(左)池の底に旧線跡が露出。旧トンネルの入口(封鎖)も見える
(右)揚水式発電所の裏手をかすめる

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タナグリシャイ駅
(左)駅の手前にあるクーモルシン滝 Cwmorthin Waterfall
(右)最後の列車交換は赤塗装の12号機と

いよいよ次が終点になる。最後の区間は、大きく崩された山肌や赤鼠色の巨大なボタ山を眺めながら、ブライナイ・フェスティニオグの町の方へゆるゆると向かう。見ての通り、ここはスレート鉱山の町だ。長い地名はフェスティニオグの上手(かみて)という意味で、本村であるスラン・フェスティニオグ Llan Ffestiniog から約4km北に位置する。

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(左)ボタ山を眺めながら行く
(右)左はディナス Dinas 方面の引込線。正面はグラン・ア・プス Glan y Pwll の旧機関庫

かつて町がどれだけ栄えていたかは、ここに3方向から鉄道が集中したことからも想像できる。ブライナイ・フェスティニオグの路線網と駅の変遷図(下図)をご覧いただきたい。

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ブライナイ・フェスティニオグの路線網と駅の変遷

一番乗りしたのは、もちろんフェスティニオグ鉄道だ。北を向いているのが本線で、東へ出ているのは支線の扱いだった。客扱いを始めた1865年から数年間、列車は、本線上のディナス Dinas 駅と東支線のディフス Duffws 駅へ交互に通っていた(図左上、1860s の欄)。しかし町から遠いディナスが1870年に休止となった後は、全旅客列車がディフスを終点とするようになった(下注1)。一方、1868年にFRと同じ軌間でフェスティニオグ・アンド・ブライナイ鉄道 Festiniog and Blaenau Railway が開通し(下注2)、FRディフス駅の近くに駅が造られた。

*注1 FRの本線もディナス駅も、その後成長したボタ山の下に埋没した。
*注2 ブライナイ・フェスティニオグ~フェスティニオグ Festiniog 間。で、鉄道はフェスティニオグ本村の周辺で採掘されたスレートを輸送する目的で敷かれた。FRと直通し、貨車もFR所有で、実質的にFRの支線だった。なお、当時は "Ffestiniog" ではなく "Festiniog" と綴った。

狭軌の路線網しかなかったこの町に、1879年、標準軌のロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道 London and North Western Railway が北から到達した(図左中)。現在のコンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley Line だ。こちらもスレート輸送が目的で、わざわざコンウィ川の河口デガヌイ Deganwy に自前の積出し港を築いての進出だった。1881年に町の北西に本駅が完成し、FRも自社線上に乗換駅を設けた。

間を置かずして1883年には、ライバルたるグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway も進出を果たす。バラ=フェスティニオグ鉄道 Bala Festiniog Railway という別会社を立てて、既存のフェスティニオグ・アンド・ブライナイ鉄道を買収し、改軌の上で接続したのだ。駅の位置は狭軌時代を踏襲したので、FRはここにも乗換え用のホームを用意した。

FRのディフス駅は1931年に休止となり(図左下)、グレート・ウェスタンとの乗換駅がその代替とされた。スレート輸送の衰退で1939年にFRの旅客輸送は途絶してしまうが、大手2社の路線はこの地に残った。

*注 ディフス駅の旧駅舎は当時の位置に残っている。

第二次世界大戦後、鉄道の国有化が実施され、標準軌線は英国国鉄 British Railways となる。それに伴い、旧ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン(当時はロンドン・ミッドランド・アンド・スコッティシュ鉄道 London, Midland and Scottish Railway)の駅は北駅 Blaenau Ffestiniog North、旧グレート・ウェスタンは中央駅 Blaenau Ffestiniog Central と改称された(図右上)。後者は1960年に休止となったものの、1963年にフェスティニオグ本村の南に建設が決まった原子力発電所への物資輸送用として一部が復活し、北駅から接続線が造られた(図右中)。もとよりこれは貨物専用であり、旅客輸送は従来どおり、北駅を終点としていた。

復元されたフェスティニオグ鉄道が、数次の延長を経て、鉱山町に帰ってきたのは1982年だ(図右下)。これに合わせて旧 中央駅の位置に、新たに国鉄とFRの共同使用駅が設けられ、開業式が華々しく催された。これが、現在のブライナイ・フェスティニオグ駅だ。ジアストのオープンスパイラルと同様、終点駅もまた保存鉄道のために造られた施設なのだ。

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ブライナイ・フェスティニオグにあった旧駅の位置
1:25,000地形図 SH64 1953年版、SH74 1953年版 に加筆

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終点ブライナイ・フェスティニオグ駅に到着

小柄なリンダが1時間10分かけて牽いてきた列車は、グラン・ア・プス Glan y Pwll の旧機関庫を見ながら右に大きくカーブした後、その新駅に進入する。到着は定刻の15時40分。やはり遅れていたのではなく、途中駅の時刻表がおおまかだったようだ。国鉄(現 ナショナル・レール)コンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley Line(下注)のホームは片側1線、対するFRは島式ホームの両側を使っている。線路幅は並ぶと大人と子供ほども違うが、FRのホームにはしっかり屋根がかかり、簡素ながら切符売り場兼売店の入った建物もある。先駆者のプライドを示しているのかもしれない。

*注 コンウィ・ヴァレー線は、この路線の観光開発にあたり、運行会社のアリーヴァ・トレインズ・ウェールズや沿線自治体が用いている線路名称。

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跨線橋から見た終着駅。右の線路は標準軌のコンウィ・ヴァレー線
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(左)線路幅は倍以上違う(597mmと1435mm) (右)構内踏切を渡れば町の中心部へ

ただ、利用実態は、コンウィ・ヴァレー線が地元の一般客、FRはほとんど観光客で、まったく異なっている。そのため、時刻表上も相互連絡しているとはいいがたく、この日もFRの列車が滞在中、隣のホームに標準軌の気動車は現れなかった。

実はFRに並行するポースマドッグとの間には路線バス(1B系統、下注)が1時間ごとに走っており、コンウィ・ヴァレー線に接続しているのはそちらのほうなのだ。一時は狭軌の伝統が途絶した鉱山町に、今は再びナロー蒸機の鋭い汽笛がこだまするようになった。せっかく便利な乗車券もできているのだから、うまく周遊旅行が組めるように、鉄道各社も協調してくれるといいのだが。

*注 Express Motors http://www.expressmotors.co.uk/ が運行。

次回は、コンウィ・ヴァレー線を北上して、スランディドノへ向かう。

■参考サイト
フェスティニオグ及びウェルシュ・ハイランド鉄道(公式サイト)
http://www.festrail.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Ffestiniog Railway, A Traveller's Guide" Ffestiniog Railway Company, 2016および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
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 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
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 ウェールズの鉄道を訪ねて-コンウィ・ヴァレー線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

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