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2016年7月11日 (月)

カールス鉄道-百年越しの夢の跡

何の変哲もないローカル線が、思いもよらぬ来歴を秘めていることがある。ヴェーザー川上流の小さな港町で行止りになる16.4kmの支線は、その名をカールス鉄道 Carlsbahn と言った。すでに廃止され線路も撤去されているが、そのルートは昔、ドイツが統一される前に存在したヘッセン選帝侯国にとって非常に重要だった。その証拠にこの鉄道は、1840年代というかなり早い時期に、同国で最初に開通した路線なのだ。それがなぜ、発展することもなく消えてしまったのだろうか。その経緯と現況を探ってみよう。

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カールス鉄道最大の遺構、ダイゼルトンネル

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ヘッセン選帝侯国 Kurfürstentum Hessen、略してクーアヘッセン Kurhessen は、19世紀のドイツ中部にあった領邦だ(下注)。カッセル Kassel(当時の綴りは Cassel)が首都で、そのためヘッセン=カッセルという呼称もある。いうまでもなく内陸国で、外海との交易は北海に注ぐヴェーザー川 Weser に頼っていた。船は河口から450kmこの川を遡って、ミュンデン Münden(現 ハン・ミュンデン Hann. Münden)の港で荷を下ろす。ここで川が二手に分かれて水量が減るため、荷船は上流へ進めなかったのだ。

*注 ダルムシュタット Darmstadt を首都とするヘッセン大公国 Großherzogtum Hessen は別の領邦。

しかしハン・ミュンデンは、名前がハノーファーのミュンデン Hannoversch Münden を意味するとおり、隣国ハノーファー王国 Königreich Hannover の領地だ。荷揚げされた物資には、カッセルへ送られる前に王国によって関税が課された。喉元を他邦に押さえられた形のクーアヘッセンにとっては、ミュンデンをバイパスする交通路を開拓することが、かねての宿願になっていた。

自国にも、ヴェーザー川に面する唯一の港町がある。カールスハーフェン Karlshafen というその町は、ヘッセン=カッセル方伯だったカール1世が、1699年にユグノー教徒の入植地として創設した由来をもっている(下注)。願いを達成する方法はただ一つ、ここを陸揚げ港にすることだったが、カッセルへは、ディーメル川の谷を遡り、鞍部を越えて、40~50kmの陸路を克服しなければならない。

*注 プロテスタントのユグノー教徒は、カトリックから迫害を受け、母国フランスを脱出して多くがドイツ各地に移住していた。町は創設当時ジーブルク Sieburg という名だったが、1717年にカールスハーフェン(当時の綴りは Carlshaven)に改称されている。現在の正式名称はバート・カールスハーフェン Bad Karlshafen。

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バート・カールスハーフェンのヴェーザー川

カール方伯はこの間に運河を開削しようとしていた。1710年に発表された計画は、さらに南へ延長してラーン川Lahnに接続し、結果として首都カッセルを南北物流の中心にするという壮大なもので、後にカール方伯運河 Landgraf-Carl-Kanal と呼ばれるようになる。しかし港から順次着工したものの、カッセルどころか途中の鞍部までもたどり着かないうちに、カールは亡くなった。指導者を失った計画は、未完のまま放棄されてしまう(下注)。

*注 1730年の彼の死までにホーフガイスマー Hofgeismar 近くのシェーネベルク Schöneberg まで完成しており、後述のように、ルート上には水路や水門などの遺構が存在する。

クーアヘッセンを含む近隣諸邦の間で東西連絡鉄道の建設構想が持ち上がったのは、それから1世紀を隔てた1840年のことだ。今度はハレ Halle ~カッセル~ヴェストファーレン Westfalen を結ぶというもので、各邦が領内に建設した路線をつないでいくことになっていた。クーアヘッセンは、これこそカールの遺志を実現するまたとない機会と考えた。それに、鉄道建設に必要な資材や設備は船で運ばれてくるため、いずれにしても港まで線路を延ばす必要があったのだ。

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19世紀半ばのヘッセン北部における河川と鉄道の位置関係
ハノーファー王国領の河港ミュンデン Münden を避けるために、カールスハーフェン Carlshafen (Bad Karlshafen)~カッセル Cassel (Kassel) 間の鉄道が計画されたことがわかる

決定したルートは次のようなものだった(上図参照)。カッセルから北上して、ヒュンメ Hümme(現 ホーフガイスマー=ヒュンメ Hofgeismar-Hümme)に至る。そこで分かれて一方は東西連絡のために西へ進み、もう一方は北上を続けてカールスハーフェンで河港に臨む。後者がカールの鉄道を意味するカールス鉄道と呼ばれるようになるのは、ごく自然なことだ。最初は馬車鉄道で計画されたが、後で蒸気機関車を導入することが決まった。

工事はカールスハーフェンから始まり、南へ進められた。ヒュンメを経てグレーベンシュタイン Grebenstein(仮駅)までが1848年3月30日に完成し、クーアヘッセンで最初の鉄道になった(下注)。引き続き、カッセルへの延長線が同年8月18日に開通、ヒュンメから西へ、邦境を越えてヴァールブルク Warburg に接続したのは、3年後の1851年2月だった。

*注 開通式は1848年4月3日に挙行された。ちなみにこの経緯は、中山道鉄道の資材運搬のために敷設され、東海地方で最初に開通した武豊線(正確には武豊~熱田間)に似ている。

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開通間もない頃のカールスハーフェンの1:25,000地形図
ヘッセン選帝侯国作成 1857年版

ついに実現した念願の短絡路だったが、残念なことに、鉄道が思いどおりの効果を発揮した期間はごく短かった。どうしてだろうか。

クーアヘッセンは当時すでに、プロイセンが主導するドイツ関税同盟 Deutscher Zollverein の一員だった。そこへ1851年にハノーファー王国も加わったことで、両邦間にあった関税障壁が解消されてしまったのだ。船のコストが安くなり、荷揚げは再びカッセルにより近いミュンデン港で行われるようになった。さらに決定的だったのは、1856年にゲッティンゲン Göttingen、ミュンデンを経てカッセルに至るハノーファー南部鉄道 Hannöversche Südbahn が全通したことだ。水量の季節変化に影響を受けがちな川船に比べて、速くて安定した輸送が可能になった。ヴェーザー川の水運は大打撃を受け、カールス鉄道を利用する貨物も、域内発着のわずかな量に絞られてしまった。

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1960年代のカールスハーフェン左岸駅の眺め(ディーメル・エコ歩道の案内板の写真)

川で行止まる路線では発展が見込めないと、カールスハーフェン以遠への延長が画策されたが、資金不足のため、一向に話が前に進まない。そうするうちに1878年、ヴェーザー川対岸にゾリング鉄道 Sollingbahn が開通し(下注)、進出の余地さえ奪われてしまった。ゾリング鉄道にもカールスハーフェン駅が設けられたので、併存していた時代は、そちらを右岸(レヒテス・ウーファー Rechtes Ufer, r.U.)駅、カールス鉄道のほうを左岸(リンケス・ウーファー Linkes Ufer, l.U.)駅と呼んだ。

*注 ゾリング鉄道は、オットベルゲン Ottbergen ~ノルトハイム Northeim 間64.0kmで、カールス鉄道が狙っていた東西連絡を先に実現した。この路線は現在も運行中。

カールス鉄道は、カッセルへの直通列車の増便など地元の需要をこまめに拾いながら、第二次大戦後もなんとか命脈を保った。しかし、所詮ローカル線の域を出ず、戦後、自動車交通の興隆で不採算路線が整理される局面になると、抗うすべはなかった。1966年9月25日、最後の旅客列車が運行されて、カールスハーフェン駅は閉鎖された。トレンデルブルク Trendelburg にあった砂利採取場のために、ヒュンメとの短区間が貨物線で残されたが、これも1986年9月に終了し、ついに全線が廃止となった。

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カールス鉄道周辺の1:50,000地形図
ニーダーザクセン州測量局1:50,000 L4322 Höxter 1996年版
ヘッセン州測量局1:50,000 L4522 Hannoversch Münden 1992年版

カールス鉄道の線路はまもなく撤去され、今は多くの区間が、ディーメル自転車道 Diemelradweg、ディーメル・エコ歩道 Eco Pfad Diemel として活用されている。根元のヒュンメから見て行こう。

ヒュンメへは、カッセル市内からレギオトラムRT1(旧RT3)系統が通っている。レギオトラム RegioTram というのは、市内の路面を走るトラムがそのままDB鉄道線に乗り入れて郊外まで足を延ばすサービスだ。アルストーム Alstom 社製の白い低床車レギオツィタディス RegioCitadis がその役を担っている。カッセル中央駅に設けられた専用ホームから乗込むと、40分弱で終点ホーフガイスマー=ヒュンメ Hofgeismar-Hümme 駅に到着する。ここがカールス鉄道廃線跡探索の起点だ。

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ホーフガイスマー=ヒュンメ(旧 ヒュンメ)がカールス鉄道の分岐駅

地図を見ると、ヒュンメ駅前後で線路が不自然な馬蹄形に曲がっている。西から張出す山脚を回り込むという理由もあるにせよ、ヒュンメでの分岐を前提にしたルート設定なのは間違いない。廃線跡は、駅の北側で右にカーブしていく並木の小道だ。目の前に広がるブライテ・ヴィース Breite Wiese の盆地は、大雨が降るたびに、トレンデルブルクの狭い谷に阻まれた水が溢れて地面を覆った。洪水を避けるために線路は、盆地を最小限の距離で横断し、東の山際に沿ってシュタンメン Stammen 集落の東側を抜けていく。

一方、自転車道のほうは、ヒュンメの集落を貫いた後、エッセ川に沿った小気味よい直線路を使うが、これは廃線跡ではなく、未完となったカール方伯運河の側道だ。左側の窪みが運河の跡になる。古地図には、並行する3列の水路が描かれているが、中央が運河で、両側は排水用の水路だ。洪水の際に、運河航行に与える影響を和らげるための工夫だそうだ。

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(左)ディーメル・エコ歩道の案内板
(右)未完に終わったカール方伯運河の側道を行く。左側の窪みが運河跡
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案内板の古地図。ブライテ・ヴィース(右半)に3列の直線水路が描かれている

さて、トレンデルブルク付近からは、自転車道が廃線跡に載ってくる。ディーメル川の谷に忠実に従って、線路は大きく蛇行している。道端にはトレンデルブルクの旧駅舎が残っているが、今は銀行の支店だ。村の中心部は、狭まる谷を窺う丘の上にある。

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(左)トレンデルブルクの旧駅舎。線路跡は標識柱の後ろ、青い柵に沿って左へ入る小道
(右)トレンデルブルクの村が丘の上から谷を見下ろす
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ディーメル川の谷越しにダイゼルベルク Deiselberg を望む
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廃線跡はディーメル川に沿って下る

2つ目の山脚ケッセルベルク Kesselberg を回り込むところに、最も重要な遺構が存在する。カールス鉄道唯一のトンネルだった長さ202mのダイゼルトンネル Deiseler Tunnel だ。長らく放置されていたが、再整備のうえ2014年に通れるようになったばかりだ。案内板には「ヘッセン最古の鉄道トンネル、蝙蝠の楽園、夏の半年間(4~10月)、自転車と歩行者に開放」と書かれている。

自転車道からそれ、標識に従い坂道を上ると、南口にたどりつく。森の中に、赤い砂岩で築かれたポータルが静かにたたずんでいる。扁額はないものの、両側に太い付け柱が立ち、洞口はアーチ環を重ねて輪郭を強調したデザインだ。小鉄道には不釣合いな威厳を放つ姿は、当時の人々の鉄道に託した思いをよく表している。

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ダイゼルトンネル (左)南口 (右)再整備が終わったトンネル内

ヴュルマーゼン Wülmersen 停留所跡の手前で、ホルツァペ川 Holzape という小川を横断する。ここに架かる3連の石のアーチも、見逃せない遺構の一つだ。このあたりからは、谷を囲む斜面がしだいに高さを増し、自転車道は川端の緑濃い林の中を行くようになる。ヘルマースハウゼン付近にも、川を短絡する形で運河(ケーゲルスグラーベン Kegelsgraben)や水門が残っている。

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ホルツァペ川を渡る3連アーチの石橋

ディーメル川に沿う緩い左カーブを流していくうちに、目的地のバート・カールスハーフェンに近づく。川岸にあった駅の構内は、そっくりマリー・デュラン学校 Marie-Durand-Schule の校地に転用されている。校庭の一角に静態展示されているのは、DBで走っていたVT2.09形のレールバスだが、雨ざらしのため塗装の傷みが目につく。

駅前からは、その名もカール通り Carlstraße という広い通りがヴェーザー川の方へ延びている。往時は貨物線がこの通りを川べりまで進み、埠頭に並行する荷揚げ用側線に接続していた。貨物線と側線は直交していたため、貨車は2基の転車台で向きを変えて相互に行き来した。

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カールスハーフェン(左岸)駅跡に建つ学校の校庭にレールバスが

町の中心部はハーフェン Hafen(港)と呼ばれて、広い船溜まりがそのまま保存されている。周辺一帯はバロック様式を引き継ぐ白壁の建物が立ち並び、田舎町らしからぬきりっと引き締まった風情が美しい。南側のひときわ目立つ建物は、もと税関 Packhaus で、市役所や観光案内所が入居している。

傍らのカフェで少し休憩した後、ヴェーザー川をまたぐ橋で対岸に渡れば、DB線(ゾリング鉄道)のバート・カールスハーフェン駅(下注)まで、ほんの500mほどだ。平日はおよそ1時間ごとに、北ヘッセン交通連合 Nordhessischer VerkehrsVerbund (NVV) のRB85系統の列車が停車する。これに乗って東の終点ゲッティンゲンまで行くと、旅の起点カッセルへ戻る列車を捕まえられる。

*注 NVVのRB85系統は、ゲッティンゲン~オットベルゲン Ottbergen 間を運行する。

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(左)カールスハーフェンの旧税関、前の船溜まりは水が抜かれて工事中
(右)白壁の建物が立ち並ぶヴェーザー通り Weserstraße
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対岸のバート・カールスハーフェン(旧 カールスハーフェン右岸)駅

掲載した写真は、2015年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
北ヘッセン交通連合 http://www.nvv.de/
カッセル郡エコ歩道 http://www.eco-pfade.de/

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