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2016年5月28日 (土)

コンターサークル地図の旅-巴川谷中分水

数日前の天気予報では、確実に雨具が必要とされた今日5月4日。確かに昨夜はひどい嵐で、大粒の雨が宿の窓ガラスを激しく叩いていた。しかし目が覚めたら、窓の外はもう眩しい青空が広がっている。お天道様も私たちの旅を祝福してくれているようだ。

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巴川分水点

コンターサークルSの正式行事で、巴川(ともえがわ)の谷中分水を見に行く。場所は愛知県奥三河地方、今は新城(しんしろ)市に含まれるが、かつては南設楽郡作手(つくで)村だったところだ。標高が500m以上ある高原上の浅い盆地を、巴川が貫いている。面白いことにこの川は、1本の連続した水路にもかかわらず、平たい谷の真ん中で水流だけが二手に分かれているのだ。一方は北進して最後は矢作川(やはぎがわ)に注ぎ、もう一方は南進して豊川(とよがわ、下注)に合流する。その分水する現場をこの目で確かめようというのが、本日の歩き旅の目的だ。

*注 市名は「とよかわ」だが、川の名は「とよがわ」。

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作手盆地周辺の1:200,000地勢図に、矢作川・豊川の分水界等を加筆

豊橋からJR飯田線の特急「伊那路1号」にのんびり揺られ、10時33分に新城駅に着いた。駅の待合室に集まったのは、堀さんをはじめ、真尾さん、大出さん、相澤さん、石井さん、外山さん、私の7人。さっそく3台の車に分乗して、現地へ向かった。

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(左)特急「伊那路1号」で新城駅へ (右)駅の待合室で本日の行程を打合せ

新城の町がある豊川平野の北側には、本宮山を主峰に、山が屏風のように連なっている。それを攀じ登る国道301号線は、ヘアピンカーブが連続する手ごわい山道だ。見上げる高さにあった新東名の高架橋が、いつのまにか眼下に沈んでしまう。作手盆地は、この山並みの上に載るいわば天空の別天地だ。

籠瀬良明氏の解説(下注)によれば、この場所はもとは海面からそう高くない盆地で、水を湛えた沼が広がっていた。水の出口は二つあり、北と南へ流れ出ていた。その後、地面の隆起か、海面の下降によって、小盆地周辺は海面から500mの高さに変わっていった(=隆起準平原)。しかし、「造物主が水の入った大皿を一方へ傾けないようバランスを保ちながら、慎重に持ち上げた」ので、水が南北に流れる状態は保たれた。やがて沼は湿原になり、人の手が入って水田に整えられたが、この巴川だけは、もとのまま盆地の水を二方に流し続けているのだという。

*注 「地図の風景」中部編II 愛知・岐阜(そしえて、1981年) p.42~43

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作手盆地の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

峠の後もしばらく山道が続く。2つ目の峠を過ぎてようやく、のどかな農村風景が広がってきた。作手盆地に入ったのだ。連休中とあって、目星をつけていた道の駅は、クルマがひっきりなしに出入りしている。満杯の駐車場に、私たちもなんとか空きを見つけることができた。郷土の名産品を商う売店も大賑わいだ。

売店の裏手を、くだんの巴川が走っている。正確に言えば、豊川水系の巴川だ。雨後の濁り水を集めて、流れに勢いがある。真尾さんが言う。「この川に沿って行けば、1kmほどで分水点のはずです」。私たちは地形図を片手に、農道を北へ向かって歩き始めた。

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(左)道の駅を起点に豊川水系巴川を遡る (右)雨の後の濁り水を集めて

田んぼになみなみと水が張られ、初夏の強い日差しを撥ね返している。耕運機を操る人影が動き、エンジン音が山裾にこだまする。岸に植えられた名残りの八重桜を愛で、青草を食むヤギたちを眺めながら行くうちに、足もとの川幅はみるみる細くなっていった。

観察すると、その原因は左右から注ぎ込む用水路にあるようだ。つまり、本流よりも周囲の山から用水路を通じて流れてくる支流のほうが、集水域がはるかに広い。それによって巴川の水量が維持されているのだ。実際、地形図で「市場」の地名注記がある辺りまで来ると、本流も細い溝のようになってしまった。直線化され、水田より2m以上掘り下げてあるので、自然の川ではもちろんない。

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(左)岸を彩る名残りの八重桜 (右)やがて巴川は細い溝に

水路が北東から北へ向きを変える地点まで来ると、いよいよ水の量が減ってきた。石井さんの車で先回りしていた堀さんも合流して、じっと目を凝らす。白鳥神社から南東に延びる農道との交点に橋がかかっていて、その南側では、まだ南向きのわずかな水の動きを認めることができた。北側には、水路にコンクリートの枡が切ってある。東側から道の下をくぐって水がたっぷり流れ込んでいるのだが、その大部分はなんと北へ出ていくのだ。というのも南側の水路には砂が堆積していて、枡の水位がある程度高くならないと、そちらに水が流れていかないらしい。「分水点はここということですね」。一同顔を上げて、本日の調査の成果を確かめ合った。

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橋の下の枡が現在の分水点
大部分の水は北(手前)へ
残りは南へ

豊川・矢作川分水点と書かれた大きな看板が、100mほど先に立っている。ささやかな公園もこしらえてあった。説明板によると、ここは昔、大野原湿原といって作手村で最も広い湿原だった。泥炭の層が、深いところで4mも堆積している。水の流れが一定しなかったために、すぐそばの祠が祀ってある場所にあった橋は乱橋(みだればし)と呼ばれていたのだそうだ。

せっかくの「分水」公園だが、実際の分水点とは位置がずれてしまっている。しかし、それを言い咎めても意味がない。なぜなら、小さな水路として存在する巴川は、おそらく水田の造成過程で湿原から水を抜くために掘られたもので、分水点もそのとき人工的に生じたはずだからだ。人手が入る前は、湿原全体が境目のあいまいな分水「面」を構成していたと考えていいのではないだろうか。

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(左)分水点ではなくなった「分水」公園
(右)遠方の橋が現在の分水点。水は北(手前)へ流れている
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白鳥神社東方から北望。矢作川水系巴川が北(奥)へ流れ去る

とそこへ、農道をこちらに向かってきた軽自動車の窓から手を振る人がいる。木下さんと息子のキリ君だ。総勢9人となった一行は、近くの白鳥神社の境内を借りて、持参した昼食を広げた。堀さんは昔、当地を訪れていて、そのことは「誰でも行ける意外な水源・不思議な分水」(東京書籍、1996年、p.197~201)に記されている。久しぶりに再訪しようと思った理由は、「近所にもう1か所、行ったことのない谷中分水があるから」だというので、午後はそちらへ足を向けることになった。

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(左)白鳥神社正面 (右)境内で昼食休憩

白鳥神社の前の道をまっすぐ東へ進むと、作手鴨ヶ谷(つくでかもがや)という集落に入る。集落の位置する谷は巴川本谷から延びる支谷のように見えるのだが、実は反対側(東向き)に下っている。ということは、その間に矢作川・豊川を分けるもう一つの分水点があるはずだ。

行ってみたところ、道が南東へ曲がるあたりはまだ上り坂だった。ところが、地形図で538m標高点の打ってあるY字路まで行くと、左に分岐する道は明らかに下っている。田んぼの段差も同様だ。そればかりか、標高点のすぐ西で、宅地と林を載せた高まりが谷を横断していた。ちょうどそこは地形図でも、等高線が最もくびれている場所に当たる(下注)。鴨ヶ谷の谷中分水は、景観上も明瞭な分水「界」を成していたのだ。

*注 ちなみに、分水界周辺の535m補助曲線は、西側では閉じているのに、東側は開いたまま途切れている。明らかに描画ミスだ。

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(左)宅地の載る高みが鴨ヶ谷分水界 (右)道端に咲いていたシャガの花

林の裏(西側)の、道路から草の道を少し降りた先に、小さな湿原が残っていた。一面、背の高いヌマガヤで覆われ、ひょろりと立つハンノキの枝が吹き通る風に揺れている。「北海道みたいだなあ」と北海道に住む真尾さんが感心する。案内板によれば、この鴨ヶ谷湿原は、かつて大野原湿原の一部だったのだそうだ。すると、さっきの巴川分水点を含めて、作手盆地を埋め尽くしていた大湿原の貴重な生き残りということになる。

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(左)鴨ヶ谷湿原 (右)今も山からの水をたっぷり含む

案内板を見ていた誰かが「湿原植物のクサレダマってありますけど、可愛い花に似合わない名前ですね」とつぶやいた。堀さんが苦笑しながら「腐れ玉じゃないですよ。草レダマです」。なら、レダマって何だろうというので、さっそく木下さんが持参のポケット植物図鑑を広げた。漢字で書くと連玉なのだそうだ。「腐れどころか、優雅な名前じゃないですか」と頷き合う。

人とクルマで溢れかえる道の駅とは違って、ここには私たちのほか誰もいない。旅の最後に、思いがけなく本当の別天地を見つけたような気がした。

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湿原を吹き渡る風にハンノキの枝が揺れる

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図豊橋(昭和56年編集)、2万5千分の1地形図高里(平成19年更新)を使用したものである。

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