« フィリピンの地形図 | トップページ | ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道 »

2016年5月 8日 (日)

ヴィーゼンタタール鉄道 I-赤いレールバスが行く

東西に分断されていたドイツが再統一を遂げたとき、東部ではまだ多数のローカル線に旅客列車の姿が見られた。だがそれに続く25年の歳月は、地方の町や村に奉仕していた名も無き小路線を、時刻表地図から次々と消し去ってしまった。東部のザクセン州とテューリンゲン州にまたがる地域を走っていたヴィーゼンタタール鉄道 Wisentatalbahn も例外ではない。

しかし嬉しいことに、その後路線は、支援者たちの尽力によって保存鉄道として蘇った。今もシーズン中の週2回、ノスタルジックな風情の赤いレールバスが人々の笑顔を載せて行き来している。今回はこのささやかなローカル線を旅してみよう。

Blog_wisentatalbahn1
ミュールトロフ城をバックに走るレールバス

ヴィーゼンタタールとは、ヴィーゼンタ川が流れる谷(ドイツ語でタール Tal)のことだ。珍しい川の名は、かつて流域にヨーロッパバイソン(同 ヴィーゼント Wisent)が生息していた記憶を今に留めるものだという。草食のバイソンがのっそり現れてもおかしくないような緩やかな緑の谷間を、川は蛇行を繰り返してゆったりと流れ下る。

Blog_wisentatalbahn2
ヴィーゼンタ川のほとりを馬車が行く
Blog_wisentatalbahn3
シェーンベルク(フォークトラント)駅

Blog_mindenerbahn_map1

ライプツィヒ Leipzig からプラウエン Plauen を経て、ホーフ Hof へ南下するDB幹線がある。その途中駅シェーンベルク(フォークトラント)Schönberg (Vogtl)(下注1)が、ヴィーゼンタタール鉄道の起点だ。周りに小さな集落しかない寂しげな無人駅だが、ここから2本のローカル支線が出発する。一つは、南西へ走るシェーンベルク=ヒルシュベルク線 Bahnstrecke Schönberg–Hirschberg(下注2)。旅客列車はとうになくなり、不定期の貨物列車が終点の手前にある製材所へ走るだけになっている。

*注1 同名の駅と区別するため、地域名のフォークトラント Vogtland の略記 Vogtl を添えるのが正式名。
*注2 シェーンベルク=ヒルシュベルク線は19.9km、1890年開通、1994年に旅客営業廃止。

もう一つが、西へ走るヴィーゼンタタール鉄道で、起終点の名を採って正式名をシェーンベルク=シュライツ線 Bahnstrecke Schönberg–Schleiz という。延長14.9km、標準軌の支線として1887年に開通した。

Blog_wisentatalbahn_map2
1995年版DB路線図
中央(番号545)が
ヴィーゼンタタール鉄道
"Übersichtskarte für den Personenverkehr"
Deutsche Bahn AG, 5/1995 に加筆

路線は、戦前戦後を通してシュライツとその近傍の貨客輸送を担っていた。しかし、利用者の減少で2006年12月9日、ついに定期旅客列車の運行が休止となる。それに抗するように、2007年6月から地元のヴィーゼンタタール鉄道振興協会 Förderverein Wisentatalbahn が特別列車を動かし始めたが、2008年11月には線路が閉鎖されてしまった。その後も、一部区間の再開・休止など紆余曲折があり、ようやく2013年9月から全線で保存列車の運行が可能になったのだ。

2016年のダイヤによると、運行日は3月~12月の第2、第4土曜、それに不定期でその他の土曜や日曜の設定もある。レールバスがシェーンベルク~シュライツ・ヴェスト Schleiz-West 間を1日4往復し、所要時間は片道45分だ。

DB線を運行するフォークトラント鉄道 Vogtlandbahn の気動車に乗れば、北のゲーラ Gera から1時間、東のプラウエンからだと途中乗継ぎを含め約20分で、シェーンベルクに着く。ヴィーゼンタタール鉄道の赤いレールバスは、隣にもう入線しているはずだ。保存鉄道の場合、利用者の多くは自家用車かバスで拠点駅までやってくる。DBを乗継いで来る旅行者は少ないから、長く停まる必要はないのだろう。写真を撮る間もあらばこそ、すぐに発車の合図がある。切符は車内で売ってくれる。

Blog_wisentatalbahn4
シェーンベルク駅にレールバスが現れた
Blog_wisentatalbahn5
フォークトラント鉄道の最新気動車と並んで停車
Blog_wisentatalbahn7
(左)レールバスの運転席 (右)この日の車内は満員御礼

駅を出ると、ホーフ方面の幹線を左に、さらにヒルシュベルク支線も左に分けて、すぐに草生した線路の単独行になる。列車は森を抜け、畑地をかすめてゆっくりと走っていく。線路はほとんど下り坂だ。支線は谷を上っていくものという先入観があるからか、ちょっと不思議な感覚に襲われる。実はさっきの幹線は尾根筋を通っており、ヴィーゼンタタール鉄道のルートは川下へ向かっている。そのため、起点シェーンベルクの標高が514mで最も高く、終点シュライツは80mほど下って431mになる。

Blog_wisentatalbahn_map3
シェーンベルク周辺の1:50,000地形図
旧東独官製1:50,000 M-32-60-B Schleiz 1982年版に加筆

一つ目の停車駅が、ミュールトロフ Mühltroff だ。村の入口に位置し、駅舎も残るとはいえ、今は棒線の停留所に過ぎない。線路はこれから州境を越えて、ザクセン州からテューリンゲン州に移る(下注)。鉄道の終点シュライツはテューリンゲン州にあるが、わざわざザクセン側から線路が延びているのには少し訳がある。歴史を振り返ってみよう。

*注 ミュールトロフはザクセン王国領だったが、東独時代の1952年にゲーラ県 Bezirk Gera の区域に入れられた。そのため、再統一後もいったんテューリンゲン州となり、1992年4月に改めてザクセン州に区域替えされた。現在の自治体名はパウザ=ミュールトロフ Pausa-Mühltroff。掲載の地形図は東独製につき、ミュールトロフの東に境界線が引かれているので注意。

Blog_wisentatalbahn8
ミュールトロフ駅にて
Blog_wisentatalbahn9
ミュールトロフ城とレールバス

19世紀まで、テューリンゲンの地には小さな領邦が乱立していた。シュライツは、ロイス=シュライツ侯の本拠地すなわち王宮都市だったが、1848年に欧州を席巻した革命の嵐のさなか、弟系ロイス一族の間で領土統合が進められ、ゲーラを首都とする弟系ロイス侯国 Fürstentum Reuß jüngerer Linie(ロイス=ゲーラ侯国 Fürstentum Reuß-Gera ともいう)が誕生した。

世は鉄道建設ブームに沸いており、財力のあるドイツ諸邦は、独自に鉄道会社(邦有鉄道)を設立して、領内の路線網を着々と拡張していた。東隣のザクセン王国もその例に漏れない。もちろん弟系ロイス侯国も領内の都市を連絡する鉄道を欲していたが、弱小国のため、資金調達の目途が立たなかった。シュライツは長らく、近隣の路線網から取り残される日々をかこった。

Blog_wisentatalbahn_map4
シュライツ周辺の1:50,000地形図
旧東独官製1:50,000 M-32-60-B Schleiz 1982年版に加筆

結局、この町に通じる鉄道の検討が本格的に始まったのは1880年代になってからだ。東30kmにあるプラウエン Plauen 市から、既成線のシェーンベルクを起点とする路線の提案があったのだ。プラウエンはザクセン王国の西端に位置しており、邦は違うが隣接するシュライツ周辺の経済権益を取り込もうと狙っていた。その頃、北方のトリプティス Triptis からプロイセンの資本で支線を延長する構想があり、それが実現すれば、プラウエンは有望な市場をみすみす失うことになる。市はザクセンの国会に訴えて、建設計画の認可を引き出すことに成功した。

一方、侯国ではザクセンの進出に対して反対意見も挙がったものの、必要資金の半額近くをザクセンが負担するという好条件を拒めるはずもなかった。1885年に両邦間で協定が締結され、翌年、王立ザクセン邦有鉄道 Kgl. Sächsischen Staatseisenbahnen により着工、1887年6月、ついにシュライツは待望の鉄道開通を祝うことができたのだった。

Blog_wisentatalbahn10
ヴィーゼンタの河畔を行く(ミュールトロフ近郊)

州境を越えても畑と森の風景が続く。右の車窓にいっときレッサウダム Talsperre Lössau の湖面が顔をのぞかせるのが唯一の変化だろう。時刻表にはミュールトロフと終点の間に4つの停留所が記載されているが、すべてリクエストストップ(乗降があるときのみ停車)だ。ヴィーゼンタ川の浅い谷の中を左右に曲がりくねるうちに、前方に工場やシュライツの家並みが見えてくる。

Blog_wisentatalbahn11
(左)シュライツ旧駅へ分岐するポイントを渡る(振り返り撮影)
(右)旧駅との連絡用に設けられたシュライツ停留所、旧駅のすぐ北にある。

列車はポイントの手前でやおら減速し、右へ転線する。ここで直進すればシュライツ旧駅で、元来そこが鉄道の終点だ。駅舎や機関庫、側線を含む構内線路などは今も保存されているが、列車の発着はなくなった。どうして旧駅は放棄されてしまったのか(下図参照)。

1930年にザーレ川 Saale に建設するダムの資材輸送用として、ヴィーゼンタタール鉄道を延長させる形で、シュライツから河畔のザールブルク Saalburg まで新線が建設された(下図の中央。下注1)。このときシュライツでは、旧駅の手前300mで右に分岐する連絡線が造られ、直通列車は旧駅を経由しなかった。代わりに、市街地により近い場所に別の駅が設置された。駅ははじめ、軽便鉄道駅 Kleinbahnhof と言ったが、後にシュライツ・ヴェスト(以下、西駅という。下注2)に改称されている。

*注1 この路線については次回紹介する。
*注2 対するシュライツ旧駅は「国鉄駅 Staatsbahnhof」と呼ばれた。

1996年にこのシュライツ=ザールブルク線 Bahnstrecke Schleiz–Saalburg が廃止され、バスに転換されるに当たり、列車とバスの乗継ぎ施設(公共地域旅客輸送インターフェース ÖPNV-Schnittstelle)が整備されることになった。その設置場所として、利便性に勝る西駅が選ばれたのは自然の成り行きだろう。それ以来、ヴィーゼンタタール鉄道の全列車は西駅を終点とするようになり、残された貨物輸送も翌年廃止されたため、旧駅の機能は完全に停止してしまったのだ(下図右)。

Blog_wisentatalbahn_map5
シュライツ駅周辺の路線変遷
1887年 シュライツ駅開業
1930年 シュライツ軽便鉄道(のち、DR シュライツ=ザールブルク線)と軽便鉄道駅(のち、西駅)が開業
1996年 ザールブルク線廃止に伴い、西駅が終点に

保存鉄道もこの西駅が終点だ。旧駅の設備を利用して蒸機牽引の観光列車を走らせる構想もあるそうだが、まだ実現していない。現在保存運行を担っているのは、1950~60年代に製造されたレールバスだ。使用車両は一定しておらず、2013年の撮影時には、頬の膨らんだDR(東ドイツ国鉄)VT2.09形が使われていた。

Blog_wisentatalbahn6
DRで活躍したレールバスVT2.09形

ポイントから連絡線に入れば、終点はもうすぐだ。ヴィーゼンタ川とその畔を縁取る林に沿って大きくカーブした後、列車は棒線に簡易な片側ホームを付けただけの西駅に到着する。先述のとおり、かつて線路はさらに14km先の湖に臨むザールブルクまで続いていた。その跡地は数年前に、気持ちのいい自転車道に転用された。ザールブルクへは路線バスの便もあるのだが、レールバスで持ち込んだ自転車を駆っていくのも一興だ。

次回はこの廃線跡をたどってみよう。

Blog_wisentatalbahn12
(左)パーク・アンド・ライドも整備した西駅だったが…
(右)現在はプラットホームのない側で乗降

掲載した写真は、2013年4~5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ヴィーゼンタタール鉄道振興協会 Fördervereins Wisentatalbahn
http://www.wisentatalbahn.de/

★本ブログ内の関連記事
 ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道
 ミンデン保存鉄道-風車と運河の郷へ
 テューリンガーヴァルト鉄道 I-DB線からのアプローチ
 テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る

« フィリピンの地形図 | トップページ | ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道 »

保存鉄道」カテゴリの記事

西ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« フィリピンの地形図 | トップページ | ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

BLOG PARTS


無料ブログはココログ