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2016年3月27日 (日)

台湾の旧版地形図地図帳 II-光復初期

太平洋戦争終結後、日本では、占領行政に資する目的で米軍が地形図を製作した。米軍は戦時中すでに、日本の陸地測量部が作った地図資料を入手して、密かに軍用地形図を製作しており、空中写真を使ってこれに現状の修正を施したのが、いわゆる米軍地形図だ。図式は米国陸軍地図局 Army Map Service(略称 AMS)の仕様で、地名もアルファベット表記だったが、漢字表記を赤字で加刷した版も用意された。

同じような地図製作が、日本撤退後の台湾でも実行されている。1955年から1964年にかけて、当時台湾政府の測量局であった聯勤測量製図廠は、米軍の成果をもとに新しい5色刷の1:50,000地形図を発行した。「譯註美版臺灣五萬分一地形圖(訳注美版台湾五万分一地形図、下注)」と呼ばれるこのシリーズは、周辺の島嶼を含めて108面あり、それまで単色刷しかなかった台湾で最初の多色刷の地形図となった。

*注 美版の「美」はアメリカ(中国語で美國)を意味する。

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上河文化股份有限公司が今年(2016年)1月に刊行した「光復初期五萬分一臺灣地形圖」は、これを1冊にまとめた地図帳だ。「光復」は、日本の降伏撤退に伴う国土回復を意味している。同社にはすでに、戦前の1:50,000地形図を集成した「日治時期臺灣地形圖新解」(2007年、下注)があるので、これはその続編ということになるだろう。

*注 本ブログ「台湾の旧版地形図地図帳 I-日治時期」で詳述。なお、日治時期または日拠時期は、日本の統治下にあった1895~1945年の50年間を指す。

対象となった訳注美版1:50,000の図郭は、戦前のそれを踏襲して、東西15分×南北10分の横長タイプだ(下注1)。しかし地図帳ではそのままのサイズで複製するのではなく、同社の現代版1:50,000地図帳である「台灣地理人文全覧圖」(下注2)の図郭に合せて、区分し直している。つまり3種の地図帳は基本的に編集スタイルが共通で、同じページに同じエリア範囲が掲載されていることになる(ただし現代版は南北2冊に分冊)。そのため、各地図帳の当該ページを並べれば、そのエリアの戦前から戦後、現代に至る変遷をたやすく追うことができる。

*注1 現行の東西15分×南北15分の縦長形になるのは、1966~1971年に刊行された老五萬系列新製五萬分一地形圖(旧五万シリーズ新製五万分一地形図)から。
*注2 本ブログ「台湾の1:50,000地図帳」で詳述

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第5図大台北(北)の一部
©上河文化社 2016 (画像は同社サイトより取得)

AMSの図式仕様は、日本でも特定図式という名で知られている。1960年代には古い1色刷に代わって、この図式を取り入れた1:50,000地形図が多数出回ったので、見覚えのある方もおられるだろう。図式の特徴として二点挙げておこう。

一つはいうまでもなく多色化だ。黒、茶、赤、青、緑の5色を使い分けることにより、まず等高線とその他の地物との判別が容易になった。日治時期地図帳では集落や水部に色を付加して読取りの便を図っていたが、本来の単色版では、等高線と地物が錯綜する丘陵地のようなエリアの読図には根気を要したからだ。

色の効用はさらに、濃い赤の舗装道、赤いアミ掛けの市街地、緑色で塗られる植生にも顕著に現れる。この時代、台湾でも道路の舗装は幹線に限られるので、図面を支配するのは、未舗装道を示す独特の赤い破線だ。また、樹林は濃いアミを置き、菓園・農場は粗いアミにしているので(ただし図式の異なる図幅もある)、開墾された台地に目を遣れば、土地利用区分が明瞭にわかる。

もう一つの特色は、表現の簡略化だ。軍用地図は短期間に多量の図化作業が要求されるため、仕様もそれに適したものになっている。したがって、繊細かつ入念に描き込まれた戦前の地形図と対比すると、その差は歴然とする。

たとえば、集落は一定規模になると、独立建物の形では描かず、範囲を縁取るだけになる。街路網は描かれるものの、均一化され、主従関係はほとんど判別できない。公共施設の記号も全く見あたらない。戦前図では村落の周辺に小道、築堤、切通し、並木、小さな池などが事細かに描かれ、土地の風景を彷彿とさせていたが、これもほとんど省かれてしまった。

AMS図式の仕様は確かに大味なのだが、一方で注目すべき点もある。写真測量の成果で、特に人跡稀な奥地において等高線が格段に精緻化されているのだ。日治時期版では粗い描画の蕃地地形図を充てるしかなかった地域が、一定の精度を有する等高線でぎっしり埋め尽くされているのには感動すら覚える。中には、改測せずに旧図を引用したことを示す破線状の等高線や、NO PHOTO COVERAGE として空白にされた個所も残るが、全体から見ればごく一部に過ぎない。

内容はどうだろうか。ここには、およそ1950年代の状況が収められている。やがて台湾は、急速な経済成長を遂げて、韓国、香港、シンガポールとともにアジアの四小龍と称されるようになるのだが、これはまだ興隆前夜の段階だ。土地利用景観や産業基盤は、戦前のそれを反映していると考えていいだろう。

たとえば多数の産業鉄道が残っている。製糖、製茶、産炭地に張り巡らされた軌道群、羅東や八仙山の山間に分け入る森林鉄道など。それから台北南郊へ行く新店線(旧 台北鉄道)も現役だ。桃園台地を埋めつくす溜池が、堤の記号でことさら強調されているし、遠浅の西部海岸もまだ多くは自然のままに置かれている。

その一方で、戦前道路橋のなかった濁水渓には、長さ1.9kmの長大な西螺大橋が完成した(1952年)。また、嘉南大圳(かなんたいしゅう)の要となる台湾最大の烏山頭ダム(1930年)や、溢寮渓の大規模な流路固定(1938年)など、戦前完成済みの大型土木事業もこの地図でようやく登場する(下注)。

*注 参考までに各施設が表示されている地図帳の図幅番号を記しておく。羅東森林鉄道:21、22、27図、八仙山森林鉄道:37、44、45図、台北鉄道:5、10図、桃園台地の溜池群:8、9図、西螺大橋:56図、烏山頭ダム:93図、溢寮渓の水路固定:118、119図。なお、厳密に言えば、烏山頭ダムは戦時中の1:25,000地形図(航照修正版、1944年)で初めて表示された。

台湾の旧版地形図集として、日治時期の1:50,000を題材にしたものがあることは冒頭に述べた。これは日本で外邦図のジャンルに含まれており、国立国会図書館などへ行けば実物に接することもできる。しかし、日本が関与しなくなった後の地形図は、これまでまず目にする機会がなかった。その意味で「光復初期五萬分一臺灣地形圖」は待望の書であり、戦後台湾の出発点を示す貴重な資料と言えるだろう。

■参考サイト
上河文化社-光復初期五萬分一臺灣地形圖
http://www.sunriver.com.tw/map_21.htm

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