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2015年11月22日 (日)

コンターサークル地図の旅-京阪奈3府県境会合点

2015年秋のコンターサークルS「地図の旅」の舞台は、関西地方に設定された。初日9月20日は、京都、大阪、奈良3府県境の会合点(三国界)を見に行くことになっている。県境の会合点自体は珍しくないが、2府が絡むものは2か所のみだ。どちらも山の中のため、こうして誘われない限りおそらく踏み入れる機会はなかっただろう。

堀さんからのお知らせには、京阪電鉄交野(かたの)線の交野市(かたのし)駅に10時集合、と書かれてあった。交野線というのは、枚方市(ひらかたし)と私市(きさいち)を結ぶ京阪電鉄の支線だ。平日は通勤通学のための路線だが、休日になると、生駒山地の山懐にあるくろんど池や星田園地をめざすレジャー客が利用する。きかんしゃトーマスのキャラクターが、駅構内や車両のいたるところにラッピングされ、親子連れに向けたアピールも怠りない。なにぶんここには大井川鉄道のようなお面をつけた本物の機関車はいないが、それなりに頑張っている印象だ。

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(左)きかんしゃトーマスのラッピング車は親子連れに大人気(私市駅にて)
(右)私たちもトーマス電車で移動

枚方市から普通列車で5駅目、交野市駅の改札を出ると、中井さんとTさんの姿があった。少し遅れて堀さんも到着し、4人で本日の行き方を打ち合わせる。目的の会合点までは直線で5kmほどだが、断層崖の直登を避けて、クルマ道はどれも迂回している。タクシーで向かう予定のところ、ありがたいことに、Tさんが私市の駅前に置いてきた愛車を提供してくださるという。それでもう一度電車に乗って、終点、私市へ移動した。

平野を勢いよく直進してきた交野線は、生駒山地を目前にしてここでぷっつりと途切れている。行く手は渓谷で、人家もしばらくないから、妥当な終わり方に見えるのだが、実は山を越えて生駒(いこま)方面へ延長する計画があった(下注)。私市の駅前に立つと、クスノキの並木道に仕立てた空地と、それに続く住宅の並びが目に入る。これが、使われなかった線路用地であるのは疑いない。

*注 交野線は、生駒~王寺間(現 近鉄生駒線)を開業した信貴生駒(しぎいこま)電鉄が、京都方面から信貴山への参詣客を当て込んで計画した路線の一部。1929(昭和4)年にまず枚方(東口)~私市を開通させたが、昭和恐慌のあおりを受け、生駒への南進を果たせずに終わった。

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(左)私市駅正面 (右)私市駅前の線路用地を利用した並木道

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私市駅周辺の1:25,000地形図

このあたりの道路事情に明るいTさんの運転で、一行は国道168号線(磐船街道)を南下する。鉄道のルートになるはずだった天野川の溪谷を遡り、大阪府から奈良県に入った。風景はすっかり山里だが、車の通行量は相変わらず多い。一つ東の富雄(とみお)川の谷に移って、山里を縫う道を今度は北へ進む。県道をはずれて車幅ぎりぎりの農道を上り、サミットを乗り越えたところで車を停めた。そこは奈良県生駒市と京都府京田辺市の境界に位置する高船という集落の入口だ。地理的には淀川水系と大和川水系の分水界に当たる。

時刻は早や11時半、「探検の前にまず腹ごしらえをしましょう」と、笠上神社へ上る石段に腰を下ろした。神社の本体は、府県境を成す尾根のすぐ東側、標高約300mの高みにある。案内板によれば、正式には瘡(かさ)神社といい、瘡を患う人たちが平癒を祈願した社らしい。狭い石段をなおも上っていくと石のお狐さまが護る小さな祠と、竹林ごしに木津川の谷を一望できる静かな境内が迎えてくれた。今年は9月初めから朝晩めっきり涼しくなり、残暑を経験しないまま、すでに秋本番を迎えている。きょうも日差しは強いものの、山上を吹き通る風は乾いて爽やかだ。

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笠上神社へ上る石段にて
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(左)笠上神社(瘡神社)参道 (右)神社の境内から木津川低地を望む

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京阪奈3府県境付近の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

昼食の後、府県境沿いに北へ向かう山道を歩き始めた。この道は、地形図にも実線で描かれているが、さっき来た農道(一車線道路の記号で記載)との分岐点は、地形図にあるような直角ではない。奈良県側に入ってすぐの地点から、浅い角度で分かれていくのが正解だ。最新の地理院地図では修正されているが、市販図を持参していた私たちはしばし戸惑った。

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クルマで来た左の農道から、府県境沿いに北上する道が右に分岐する

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境界の会合点で思い出すのは、規模がだいぶ違うが、アーヘン近郊の丘の上にあるベルギー、オランダ、ドイツの三国界だ。周辺が森と芝地ののどかな公園になっていて、動き回るのに何の制限も課せられない。堀さんの著書「風変わりオランダ紀行」(東京書籍、1997年)の一節、「(会合点の)モニュメントのまわりをぐるっと歩いたら、たった数秒間で三つの国をめぐったことになる」(p.138)という軽妙な文章が印象に残っている。「国境と聞くとつい争いごとを連想してしまいますが、公園の中の静かな会合点というのはいいですね」と私。これから行く3府県境会合点もひっそり閑としているには違いないが、果たしてどんな場所なのだろう。

雑木林のなかに竹藪が点在する尾根筋を伝ったあと、道は下りにかかる。急に上空が開けて、すすきが揺れる小さな池のほとりに出た。道の両側に棚田が迫り、地形的には鞍部になっている場所だ。向こうからカメラを提げた男性がやってきた。その格好から勝手に想像して、「会合点の探索ですか」と声をかけてしまったが、「いや、野辺の写真を撮りに来ているんです。会合点は見ましたが、藪蚊がひどいのでお気をつけて」とのこと。

稲穂が垂れる山田の脇をすり抜けるように、道はまた山手へ上っていく。Tさんはクルマに堀さんらを乗せて、地形図で実線の道(軽車道)が破線(徒歩道)に変わる地点まで先行した。さすがにそこからは道幅が狭まって、徒歩でしか進むことができない。ちょうど農作業帰りの女性が、西側の道を軽四輪で下ってきたので聞いてみると、まっすぐ行けば朱智神社(天王集落の西にある神社)に出るという。

「それなら道は正しいようです」とさらに奥へ進む。背の高い竹林がここでも空を覆い隠していて、昼間というのに足許はほの暗い。小道はその間を縫うように上っていく。「嵯峨野みたいになってきましたね」と私は冗談を飛ばしたが、実のところ、それほど優雅な散歩道ではなかった。男性の警告どおり、さっきから藪蚊が絶えず舞って、顔や半袖で剥き出しの腕を狙ってくる。地形図にはほとんど描かれていないが(下注)、付近には竹藪とともに、どす黒く淀んで沼と化した溜池がいくつもあり、吸血昆虫の繁殖には申し分ない環境なのだ。

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(左)鞍部にある小さな池 (右)道はまた山手へ上っていく
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(左)沼と化した溜池 (右)嵯峨野(?)のような竹林の山道

*注 溜池群は、最新の地理院地図ではほぼ漏れなく描かれるようになった。下図参照。

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そのうち道の勾配が、上りからほぼ水平に変わった。会合点が照準に入ってきたようだ。今どのあたりか、正確なところを知りたい。「斥候隊行ってきます」とTさんが勇敢にも先へ進んだ。まもなく戻ってきた報告は「この先はもう右の方へ降りていきます」。「…とすると、左の尾根と右の尾根が交わっているこの辺で間違いないでしょう」。

地形図を読むと、その地点は小道沿いではなく、左手の林の中に入り込んだところらしい。なおも襲来する藪蚊軍団とまとわりつく蜘蛛の巣に閉口しながら、Tさんと林の中をしばらく探索してみた。個人のホームページには、京都・大阪・奈良と書いた杭の写真が上がっているのだが、結局この日見つけたのは、田辺町(京田辺市の旧名)の文字が刻まれた黄色い杭と、枚方東消防署(大阪府枚方市)が立てた山火事防止の看板のみ。京都と奈良の境界がいつのまにか京都と大阪のそれに変わっているので、会合点が近くにあるのは確かなのだが、決定的な位置は不明なままに終わった。下の池で出会った男性にもっとしっかり聞いておくべきだったと悔やんだが、後の祭り。

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(左)田辺町と刻まれた黄色い杭 (右)坂道の脇に山火事防止の看板

山を下りた後、再びTさんの運転で近くのコメダ珈琲店に寄ってもらい、名物シロノワールなどを食しながら、反省会に耽る。生駒に到達できなかった交野線と同じように、目的を果たせなかった心残りはあるものの、廃道歩きとはまた趣の異なる小探検は楽しかった。それとともに、帰路も鉄道駅までクルマで送ってくださったTさんには感謝しなければ。タクシーだったら、これほど臨機応変にはいかなかったはずだ。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図枚方(平成18年更新)及び地理院地図(2015年11月22日現在)を使用したものである。

■参考サイト
3府県境 http://www.toshiomi.net/kyotojtn/3fukenkyou.htm

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コメント

ブログ拝読しました。あの時の情景が手に取るように思い浮かぶ丁寧な記述で、とても懐かしい気分です。ありがとうございます。ところで、堀さんが、以後は歩きの旅に来られなくなるとお伺いし、本当に残念です。世間に歩き旅を主宰する集まりは数多ありますが、コンターサークルのように時間を忘れて自由な気分で歩ける場は希少ではないかと思われます。私はまだまだ仕事や親の介護等で十分に参加できない状況ですが、レポートを楽しみにしつつ、「小さな地図旅」を楽しむ時間を見つけていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。(T)

コメントありがとうございました。
おっしゃるとおり、歩き会のたぐいはたくさんあっても、コースが決まっていて、ぞろぞろ団体で歩くようなのはつまらないですね。(私は団体旅行が苦手で、よく行方不明になって同行者に迷惑をかけます)
それではまた、ご一緒に地図の旅ができる日を心待ちにしております。

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