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2015年9月19日 (土)

ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線

ハルツ山地を東西に走るHSBゼルケタール線 Selketalbahn を支線も含めて完乗し、ついでに世界遺産都市クヴェードリンブルク Quedlinburg を見てこようというのが、この日の欲張りな計画だ。そのために宿の朝食はきっぱり諦め、ヴェルニゲローデ Wernigerode 7時25分発の始発列車に間に合うように駅へやってきた。昨夜はけっこう長く雨が降っていたのだが、その分今朝は快晴で、残んの月が空にまだかかっている。

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(左)朝7時過ぎのヴェルニゲローデ駅 (右)187形気動車で行く

列車はアイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle 行き187形気動車、乗客は私を入れてわずか5人だった。すがすがしい朝のドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne に人影はなく、エーレント Elend でリュックを背負った若者が1人、ベンネッケンシュタイン Benneckenstein で中年男性が1人乗ったきり。終点ドイツの備後落合に降り立ったのは合せて7人で、これが需要の現実だ。ノルトハウゼン Nordhausen 始発でゼルケタール線へ進む同じ187形が、隣のホームで待っている。乗り換えたのは私を含めて2人だけだった。

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(左)ドライ・アンネン・ホーネ駅もまだ8時
(右)昼間の喧噪が嘘のように静まっていた
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(左)アイスフェルダー・タールミューレ駅に到着
(右)ゼルケタール線の列車が右側に到着

ゼルケタール線は、クヴェードリンブルク~ハッセルフェルデ Hasselfelde が本線格で、それに2本の支線、すなわちアレクシスバート Alexisbad ~ハルツゲローデ Harzgerode、およびシュティーゲ Stiege ~アイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle が付属している(下の路線図参照)。しかし成立過程はこの順序ではない。

最初に開通したのは、ゲルンローデ Gernrode から丘の町ハルツゲローデまでの区間で、1887~88年のことだ。ゲルンローデでは標準軌線と接続していた。次にハルツゲローデの手前のアレクシスバート Alexisbad からゼルケ川の谷(ゼルケタール Selketal)を遡ってハッセルフェルデまでが1888~92年に開通したが、その後はしばらく進展がなかった。当時ゼルケタール線とハルツ横断線は別会社の路線だったので、接続は後回しにされたのだ。シュティーゲ~アイスフェルダー・タールミューレ間が開通したのは、13年後の1905年のことだ。なお、根元のクヴェードリンブルク~ゲルンローデ間は、2006年に標準軌を転換した新線で、これについては後述する。

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路線図
官製1:200,000 CC4726 Goslar (2010年版)に加筆
(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

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乗客は、撮影者を除いてこれで全員

9時32分発車。列車はさっき下ってきたのと同じような谷を、最急1:27(37‰)で上り詰めていき、峠を越えてハッセル川 Hassel の流域に出る。森が拓かれ、遠くまで牧草地や耕地が広がる丘陵地だ。列車はシュティーゲ Stiege を経て、行止りのハッセルフェルデまで行く。最後の1駅間は波打つ麦畑の中を走るのだが、右へ左へとカーブが連続して煩わしいくらいだ(下の地形図参照)。要するに等高線にできるだけ沿うことで土工量を減らしているのだが、速度が上がらないこと甚だしい。地方道が接近してきて、車がすいすい追い抜いていく。確かに車を使う人には、こんな辛気臭い(ドイツ語でなんというか知らないが)乗物は風景の一部としか映らないだろう。

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シュティーゲ~ハッセルフェルデ間
(左)カーブだらけの線路 (右)耕地が遠くまで広がる

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シュティーゲ~ハッセルフェルデ
旧東独官製1:50,000 M-32-10-D Wernigerode S 1988年版、M-32-22-B Nordhausen 1988年版に加筆

4.7kmに13分かけて(表定22km/h)、ハッセルフェルデに10時07分着。木立に囲まれた田舎町の終着駅だ。町中を少しでも散歩したいところだが、この列車は5分後に折返しなので、そうもいかない。駅の周りの写真だけ撮って、そそくさと列車に乗込んだ(下注)。

*注 ゼルケタール線の本線というべきハッセルフェルデ~クヴェードリンブルク間だが、直通列車は1日1本(かつ片道)のみ、所要120分。ハッセルフェルデの公共交通は実質的にハルツ交通事業 Harzer Verkehrsbetriebe, HVB の路線バスが担っており、ヴェルニゲローデへ平日1時間毎(所要50分)、ブランケンブルク Blankenburg へも1日数本の設定がある。

列車はいわゆるワンマンカーだが、運転士は運転に専念し、基本的に乗降客の切符を見ることはない。切符を持たずに乗った客は、車内備え付けの券売機で自主的に購入する。もちろん無札が発覚すると多額の追徴金が課せられるという前提があるのだが、ふだんは実に大らかだ。ところが、折返し便に乗ろうとしたら、運転士に「切符は?」と聞かれた。すぐに3日券を見せたものの、さすがに終点で降りない客は怪しいと思われたようだ。

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(左)終点ハッセルフェルデ駅 (右)列車は折返しハルツゲローデ行きに

ハッセルフェルデ10時12分発の行先は、ハルツゲローデ。ひげ線発、ひげ線着というおもしろい経路を行く。さらに興味深いのは、分岐駅シュティーゲでの動きだ。この列車は、2番線で客を降ろすとホームの先まで行って、1番線に戻ってきた。一方、これと交換するクヴェードリンブルク発アイスフェルダー・タールミューレ行きは、1番線で客を降ろすとハッセルフェルデ方へ出発し、ループ線を回って2番線に入ってきた。つまり両者が番線を入れ替えたわけだ(右下図参照)。蒸機列車がこのループ線で方向転換するのは本で読んだことがあるが、気動車も同じことをしていたとは驚いた。

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シュティーゲ駅の線路配置図

実は、私が乗った列車は6分停車する(と時刻表で読めた)ので、ホームに降りて、のんびり駅舎の写真などを撮っていたのだが、予告もなく列車が動き出して、大いに慌てた。ホームを外れてもまだ走っていくので、一時はてっきり置いていかれたと思い込んだ。なにしろ、1日4~5本しか列車がないから、乗り遅れると予定が大幅に狂う。

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(左)分岐駅シュティーゲ
(右)方向転換用ループの分岐。右へ行く線路は森の後ろを回って左に出てくる
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シュティーゲでの転線風景

シュティーゲからまた分水界を越えて、今度はゼルケ川の谷に下りていく。しばらく谷の中をたどっていくが、駅名を追うほどに眠気を誘う行路だ。この区間は戦後40年近くも不通になっていて、復活したのはそれほど古い話ではない。第二次大戦後、ゼルケタール線の施設の多くは、この地域を占領したソ連軍によって、戦争賠償の一部として持ち去られた(下注)。このうちゲルンローデからシュトラースベルク Straßberg までは、産業路線とみなされて1949年に再建されたが、分水界を越えてシュティーゲまでの13.9kmは草に覆われたままで、再建のうえ定期運行が始まったのはようやく1984年のことだ。

*注 その中で、アイスフェルダー・タールミューレ~シュティーゲ~ハッセルフェルデ間は木材輸送のために、シュトラースベルク付近の一部区間は採掘したフローライト(蛍石)輸送のために、施設の撤去を免れた。

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(左)ゼルケ川の貯水池(ミュール池 Mühl-Teich)
(右)途中駅シュトラースベルク
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ハルツゲローデ支線が接近

銀の精錬所跡が残るジルバーヒュッテ Silberhütte の次が、分岐駅アレクシスバートだ。また進行方向が変わるので、シュティーゲの例を思い出して興味津々だったが、案の定、列車はホームに停まらず、構内の末端近くまで「過走」した。運転士が線路に降りて、転轍機を操作する。列車は後退しながら転線し、ようやく所定のホームに停車した。

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アレクシスバート駅
(左)駅舎の意匠はどれも個性的 (右)蒸機列車と連絡

14分間の停車中に、クヴェードリンブルクからの蒸機列車が入ってくる。これとの接続をとって、気動車はもと来た方向に発車した。すぐ本線から左に分かれ、小さな谷に沿って道路と一緒に高原へ這い上っていく。もちろん勾配(最急1:30=33.3‰)とカーブの連続だ。しかし距離はわずか2.9km、ノンストップで10分走って、あっけなく終点ハルツゲローデに到着した。

気動車のエンジン音が停まると、木立が風にそよぐ音が聞こえてきた。折返しの発車まで20数分ある。駅前食堂など期待するほうがおかしいが、ここで昼食を確保しないと食いはぐれてしまう。そう思って西側の踏切に立って見回すと、すぐ近くに郊外スーパーのレーヴェ Rewe があるではないか! まるで胸のうちを読んだかのような出現のしかただ。店内のレジでは大量に買い物をした人が前に並んでいた。列車に遅れそうでやきもきしたが、ここでもタイミングよく隣のレジが開いた。

ところで、ヴェルニゲローデやハルツゲローデなど、ハルツ山地にはローデ Rode のつく地名が多い。ドイツ語の動詞ローデン roden は根を掘り返す、開墾することを意味し、たとえば開墾地はローデラント Rodeland という。山地への入植が始まったのはおよそ1000年前で、ローデは入植地を拡張するために森を切り拓いた場所であることを今に伝えている。

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支線の終点ハルツゲローデ駅

列車はもと来た道を戻り、往路と同様、ホームを通過してから転線して12時19分、アレクシスバートに着いた。これで朝9時半からずっと私を運んでくれた気動車ともお別れだ。乗り継ぐクヴェードリンブルク行きが隣のホームに停まっている。また気動車(車番187 015)だが、窓が大きく、塗装も明るい色で、新しい形式に見える。見かけはそうだが、実は187形の量産に先立って造られたプロトタイプだ。起動時の轟音はまったく同じだった。

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アレクシスバートに戻ってきた
(左)3番線を過走してから2番線に入る (右)187形のプロトタイプに乗換え

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ゼルケタール川沿いの区間、
図中右下の市街がハルツゲローデ
旧東独官製1:50,000 M-32-23-A Harzgerode 1988年版、M-32-11-C Quedlinburg 1988年版に加筆

アレクシスバートを12時24分に発車した。ノルトハウゼンから長距離を走ってきた列車で、空気を運んでいた朝の状況とは異なり、20人くらい乗っている。今風のメイクをした少女も混じっていて、町へ向かう気分になってきた。列車はゼルケタール線の最難所にさしかかる(右図参照)。このあたりでゼルケ川は、極端に蛇行しながら比高約100mの峡谷を刻んでいる。線路はその底をトンネル無しで忠実になぞっていくので、きつい反向曲線の連続だ。事実、ドラートツーク Drahtzug ~メクデシュプルング Mägdesprung 間では、岩の切通しを半径60mの線内最急カーブで抜けている(下注)。ふと大井川鉄道井川線を思い出した。

*注 この急曲線は道路の間際にあり、切通しから顔を出す蒸機を捕えることができるため、撮影名所の一つになっている。

メクデシュプルングで東流するゼルケ川本流と別れた後はひと山越えるのだが、この上り坂には、1:25(40‰)という最急勾配が介在する。ブロッケン山でも最急33‰なので、短距離とはいえ機関車にとってはつらい坂道だろう。およそ半時間で最後の山越えを終えると、まもなくゲルンローデだ。ゼルケタール線は長い間ここが起点だった。構内配線といい、ホームの脇にある煉瓦造りの機関庫といい、拠点駅の雰囲気がよく残っている(下の配線図参照)。反対側は、風格のある旧DB駅舎だが、すでに駅の機能は有していない。

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平地に降りるとゲルンローデ

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ゲルンローデ駅の線路配置図

かつて接続していたのは、フローゼ Frose とクヴェードリンブルクを結ぶ標準軌線(下注)だった。バルカン Balkan と通称され、再統一後もDBが引継いで運行していた。ところが2003年、沿線のバレンシュテット・オスト駅 Ballenstedt Ost で信号所が放火により焼損し、使用不能となる。応急的に一部区間でバスが代行したものの、DBはもう不採算のローカル線を復旧する意思を持っていなかった。段階的にバスへの転換が進められ、2004年1月末をもってバルカン全線で列車の運行が終了した。

*注 フローゼ=クヴェードリンブルク線 Bahnstrecke Frose–Quedlinburg は1885年全通、2004年7月31日正式廃止。時刻表番号332で、廃止前は、旅客列車がクヴェードリンブルク~フローゼ(ここで進行方向が変わる)~アッシャースレーベン Aschersleben 間で運行されていた。

ゼルケタール線が起点での鉄道接続を失ったため、利用者はバスへの乗継ぎを強いられることになった。だが、バルカンの退場は、他方でゼルケタール線の列車をクヴェードリンブルクに直通させるという課題に解決の道筋をつけた。実は、直通計画は、クヴェードリンブルク旧市街が世界遺産に登録された1994年からすでに存在していた。最初は、狭軌列車も通れるように3線軌条化する案が検討されたのだが、この場合、既存のPCまくらぎを全面的に交換しなければならず、費用面から議論は前に進まなかった。しかし、バルカン廃止となれば、その跡を狭軌線に完全転換することが可能になる。費用についても、他路線の廃止に伴い、州の助成金の余剰分を振り向ける目途が立った。

2005年4月、標準軌を狭軌に変更するという珍しい改修工事の起工式が挙行され、2006年6月からゼルケタール線の定期列車は、DBのクヴェードリンブルク駅に発着するようになった(下注)。

*注 転換のあらましについては、本ブログ「ハルツ狭軌鉄道のクヴェードリンブルク延伸」参照。

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ゼルケタール線の車両基地なので構内は広い
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ゲルンローデの機関庫にはさっき出会った機関車がいた

ゲルンローデのホームを離れると、線路は大きくカーブして旧バルカンの位置につく。その後は、羊腸の道だったのが嘘のような緩いカーブと直線で、一面の麦畑の上を進んでいく。乗客の顔ぶれは山中と全く変わらないが、車窓に広がる景色は実に開放的だ。ターレThaleから来る標準軌線としばらく並走した後、列車は13時25分、クヴェードリンブルク駅の3番線に滑り込んだ。隣に待っているのは、HEX(下注)と称する青と白のスマートな新型気動車で、州都マクデブルク Magdeburg まで快速運行している。

*注 HEXは、国際交通企業ヴェオリア Veolia による「ハルツ・エルベ急行 HarzElbe-Express」の略称。ハルツフォアラント Harzvorland(ハルツ前縁地)一帯のDB線で運行されている。

直通化によってここまで乗換えが不要になり、鉄道の利便性は一気に高まった。といっても、転換区間の列車はいまだ、わずか6往復に過ぎない。ゲルンローデからクヴェードリンブルクへはHVBが運行するバスが数系統あるので、列車利用は山地の住民か観光客に限られると聞いた。600万ユーロを費やした転換事業だったが、横断線ノルトハウゼン口のような目覚ましい変化には、結びついていないのが現状のようだ。

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(左)終点クヴェードリンブルクに到着 (右)1番線にはHEXの連接式気動車
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クヴェードリンブルク駅舎
(左)宗教建築風のファサード (右)内部も修道院を思わせる
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世界遺産都市クヴェードリンブルクの中心、マルクト Markt
正面右の建物が市庁舎
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クヴェードリンブルク
(左)マルクト、上の写真の反対側 (右)城山に建つ聖セルヴァティウス教会

ともかくこれで、ハルツ狭軌鉄道の探訪は完了だ。まだ13時台なので、蒸機列車の出発を見届けようと、折り返しの気動車でゲルンローデに戻った。隣のホームで発車を待っていたのは、ここが拠点の99 7232機を先頭に、無蓋車、荷物車、古典客車3両の計6両。デッキにも客車の窓にもけっこうな人の姿がある。土地の観光資源として、やはり蒸機列車は欠かせない。

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再びゲルンローデ駅へ
(左)蒸機列車がスタンバイ (右)発車を見送る(ビデオからのキャプチャー)

力強いドラフト音とともに列車が山の方へ去ってしまうと、田舎の駅は静けさに包まれた。構内の片隅に小さな鉄道博物館があるが、きょうは開いていない。日陰のベンチに腰を下ろして、ハルツから来る乾いた風に吹かれていると、早朝から列車に乗り続けてきたせいか、見上げる空がやけに広い気がした。

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静かな午後のゲルンローデ駅

本稿は、「ドイツ・ハルツ山地-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.11、コンターサークルs、2014に加筆し、写真、地図を追加したものである。

★本ブログ内の関連記事
 ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ
 ハルツ狭軌鉄道 II-ブロッケン線
 ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線
 ハルツ狭軌鉄道のクヴェードリンブルク延伸

2015年9月12日 (土)

ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線

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ヴェルニゲローデ駅舎側壁にあった
立体壁画

北麓のヴェルニゲローデ Wernigerode から南麓のノルトハウゼン Nordhausen まで、HSBハルツ横断線 Harzquerbahn(以下 横断線、下注)は文字どおりハルツ山地を横断する。行路のざっと3/4は人家のない山中で、起終点の周辺を除けば、経由地も小さな村ばかりだ。実際に乗っても、よくぞ鉄道が残ったものだ、と感心するようなところを走っていく。当然、利用者は限られているので、中央区間では1日4往復の設定しかない。ヴェルニゲローデの始発列車は7時25分発で、次は11時55分まで間が開く。

*注 南北に走るという意味では「縦断線」というべきだが、原語の quer(クヴェーアと読む)は横方向を意味するので、「横断線」とした。

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路線図
官製1:200,000 CC4726 Goslar (2010年版)に加筆
(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

本来、単行の気動車で賄える程度の需要なのだが、観光客向けに蒸機列車も運用されていて、11時55分発はそれだった。列車の構成は、蒸気機関車の直後に緩急車、ついで5両の客車、最後尾には無蓋車にベンチを取り付けたトロッコ車両(下注)が1両ついている。だが、きょうは曇り空で肌寒く、追って雨も降り出したので、わざわざ乗るような客はいなかった。

*注 HSBのサイトによれば、この車両(開放展望車 Offene Aussichtswagen またはシーネンカブリオ Schienencabrio)は、5~10月の間、ヴェルニゲローデ~アイスフェルダー・タールミューレ間の定期列車に連結されていて、1ユーロの追加料金が必要。

車内はがらがらだ。一応、ドライ・アンネン・ホーネでブロッケン行きに接続しているのだが、教えられなければ気がつかないだろう。ところが、編成の真ん中に唯一、満席になっている車両があった。予約の貼紙があったので、デッキで熱心に写真を撮っていた人に聞くと、団体旅行で香港から来たのだという。

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(左)ドライ・アンネン・ホーネへ羊腸の坂を上る
(右)ブロッケン行きと違って車内はがらがら
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ドライ・アンネン・ホーネでブロッケン行き(左の列車)に接続

ドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne までの「序奏」区間は前回記したとおりだ。どこへ足を延ばすにしてもこのルートは避けられないから、3日目はもはや通勤列車で通っている気分だった。ブロッケン線 Brockenbahn を右に分けた横断線は、しばらく走ってエーレント Elend という小駅に着く。静かなはずのホームが騒々しいので覗いてみると、予約車に乗っていた団体さんだ。てっきりブロッケン線に乗継ぐものと思ってさっきは目的地を尋ねなかったのだが、観光地でもない森の村に何の用があったのだろう。

列車はブロッケン山麓を離れると、針路を南にとり、下ハルツ Unterharz 一帯に広がる標高500m前後の高原を延々と走り続ける。高原といっても、駅と集落の周りを除けばどこまでも樹海の底だ。たまに道路と交差するが、警報機すらない(日本でいう)第4種踏切のことも多い。手前にPと書かれた標識(Pfeife、警笛の意)が間を置いて2本立っていて、列車はその位置で警笛を鳴らしつつ、徐行で踏切を通過する。

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P(警笛鳴らせ)の標識

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ハルツ横断線最高地点~ゾルゲ
旧東独官製1:50,000 M-32-10-C Braunlage
1988年版に加筆

横断線が達する最高地点、標高556mはこのあたりのはずだ。1:25,000地形図を読むと、鉄道が555mの等高線を越えている場所が南北2か所、エーレント~ゾルゲ Sorge 間と、ベンネッケンシュタイン Benneckenstein 駅北西で見つかる。資料(下注)によれば、前者すなわちノルトハウゼン起点38.2kmが最高地点なのだが、後者にも555.5mの標高点が確認できるので、順位は微妙だ。他にもドライ・アンネン・ホーネ駅が543m、ベンネッケンシュタイン南東の分水界横断地点が542m(ただし並行道路に打たれた標高点)と、サミットはほぼ高さが揃っている。これは、高原が東へ緩やかに下るのに対して、線路はそれに従わず、周辺の高みを伝っているからだ。野球場で、外野席の上段をライトからレフトへ移動していくようなものといえば、お分かりいただけるだろうか。

*注 Schmalspurparadies Harz, Eisenbahn Journal Sonderausgabe 3/2005, p.38

ゾルゲ Sorge あたりでは、土砂降りになった。駅舎の壁に国境博物館 Grenzmuseum と書いてある。この付近で、横断線が旧東西国境に最も接近することを思い出した。かつて、ゾルゲは乗換駅だった。同じ狭軌線の南ハルツ鉄道 Südharz-Eisenbahn, SHE(下注)の支線がヴァルメ・ボーデ川 Warme Bode の谷を東西に走り、ゾルゲを経て標準軌線終点のタンネ Tanne に連絡していたのだ。しかし1945年、敗戦で運行休止になった後、ルートと交差するように東西国境が引かれたため、ついに復活することはなかった。当時のゾルゲ駅は川沿いにあったが、1974年に村の南側へ移転したのが、現在の停留所になる(右上図参照)。

*注 南ハルツ鉄道は、ヴァルケンリート Walkenried ~ヴルムベルク Wurmberg 27.6kmの本線と、ブルンネンバッハスミューレ Brunnenbachsmühle ~タンネ Tanne 8.5kmの支線で構成されていたメーターゲージの非電化狭軌鉄道。1945年に支線が運行休止に、1963年に本線も休止となった。

一山越えたベンネッケンシュタイン駅の前後では珍しく視界が開けて、曇り空ながら気分が少し晴れる。村を包むように大きく波打つ牧草地を、線路は小さなカーブを重ねながら乗り越えていく。しかし、高原らしい風景はわずかの間だ。最後のサミットを乗り越えると、列車はまた昼なお暗い谷間へと下ってしまう。これは平地へ降りるための準備なのだが、ヴェルニゲローデ側と違うのは、ひたすら谷底を這って進む点だろう。隆起が続く山地の北側に比べて、南側は侵食が奥まで進んでいる。線路を無理に引き回さなくても、河谷の勾配が許容範囲に収まるのだ。

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(左)エーレント駅 (右)ベンネッケンシュタイン駅(別の日写す)
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(左)ゾルゲ駅では土砂降りに (右)国境博物館になっている駅舎

この列車の終点アイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle は、左手から同じような単線の線路が合流してまもなく現れる。まだ渓谷の途中で、構内は深い森に囲まれ、近くに人里の気配はない。ゼルケタール線 Selketalbahn との連絡のためだけに存在する駅、いわばドイツの備後落合(下注)だ。各方面とも少ない便数のため相互接続のダイヤが組まれ、1日数回、列車がホームで顔を揃える時間帯がある。乗換客は数えるほどだが、人里離れた場所でも公共交通がしっかり機能しているのを見ると、ちょっとした感動に捕われる。

*注 鉄道ファンなら先刻ご承知のとおり、芸備線に木次線が接続する中国山中の駅。

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蒸機列車の終点アイスフェルダー・タールミューレに到着
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森に囲まれたアイスフェルダー・タールミューレ駅

役目を終えた蒸気機関車は、給水の後、帰り支度のために機回しされる。それを見送りながら、途中で気づいたミステリーを思い出した。機関車の向きが最初と違うのだ。ヴェルニゲローデを出るときは、ブロッケン山行きに倣って、確かに正方向に付けられていた。ところが、後で写真を撮ろうとしたら、なんと逆向き、つまりテンダーが前だった。付け替わるチャンスがあるとしたら、ドライ・アンネン・ホーネの8分停車しかないのだが、線路に降りて写真まで撮っていたのにまったく気がつかなかった。

隣の島式ホームにノルトハウゼン行き単行気動車、HSB 187形が停車している。外見はくたびれ気味だが、カミンズエンジンを積んだ1999年製の車両だ。蒸機列車以外の定期便は(後述するトラムを除き)、すべてこのタイプの気動車で運用されている。しかし、乗り換えたのは数人だけで、残り10数人は慌てる様子もなく駅舎併設の食堂へ入っていく。どうやら、蒸機列車に乗るのが目的のツアー客らしい。

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(左)機回し作業中 (右)隣のホームは、接続するノルトハウゼン・ノルト行き気動車
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帰りは午後6時半、夕闇迫る構内に187形気動車が勢ぞろいした

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アイスフェルダー・タールミューレ
~イールフェルト
旧東独官製1:50,000 M-32-22-B Nordhausen
1988年版に加筆

これまでの行路に比べれば、気動車が引き継いだ渓谷の旅は、割合単調だ。地形図ではわかりにくいが、リクエストストップのイールフェルト・バート Ilfeld Bad 付近に遷急点があって、川との高度差が一時開くのが唯一の変化だろう。列車は時速30kmをキープして走る。イールフェルト Ilfeld でようやくゴルデネ・アウエ Goldene Aue につながる平野に出た。家並みと教会の尖塔がちらほら見えてきて、人里に下りたのを実感する。そのうち車窓が町裏の雰囲気になり、右手からDB南ハルツ線(下注)の線路が近づいてきた。

*注 ノルトハイム(Nordheim)~ノルトハウゼン間の標準軌線。前述の南ハルツ鉄道とは別。

横断線の終点はノルトハウゼン・ノルト Nordhausen Nord(ノルトハウゼン北駅の意)といい、DB駅から見て左手(北西)に、立派な駅舎を構えている。これはかつて、横断線とブロッケン線を建設したノルトハウゼン・ヴェルニゲローデ鉄道 Nordhausen-Wernigeroder Eisenbahn, NWE の本社建物だった(下注)。ファサードに、路線名を浮彫りした装飾が施されている。

*注 そのため横断線のキロ程はノルトハウゼン起点になっている。ただし、NWEは1916年に本社をヴェルニゲローデに移した。現在のHSB本社もヴェルニゲローデにある。

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HSBの本来の終点ノルトハウゼン・ノルト駅
(左)頭端式ホーム (右)浮彫り装飾のある駅舎

HSB線のルーツには、このノルトハウゼン・ヴェルニゲローデ鉄道ともう1社、ゼルケタール線群を建設したゲルンローデ・ハルツゲローデ鉄道 Gernrode-Harzgeroder Eisenbahn がある。2社の路線網は1887~1905年に完成し、50年以上もハルツ山地の産業振興や観光開発に貢献した。しかし、第二次大戦後は国に強制収用され、1949年から東ドイツ国鉄DRの路線となった。再統一後、DRはDBに統合されたが、ハルツの狭軌線群は対象からはずされ、地元自治体などの出資で設立されたHSBに引き継がれたのだ。

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ノルトハウゼン駅周辺の線路配置図

私の乗った便は、時刻表に北駅着と書かれているが、実際はそうではなかった。運転席の後ろにかぶりついて見ていると、駅構内で左手に分岐していく。そして、駅横の路面に敷かれた連絡線を伝って、駅前広場の路上にある電停で停まった。ノルトハウゼン市電のための停留所で、ノルトハウゼン・バーンホーフプラッツ Nordhausen Bahnhofplatz(駅前広場の意)という。同じ軌間だからできることとはいえ、事情を知らなければとまどいそうだ(右図参照)。

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HSBとトラムの連絡線
(左)鉄道と軌道の境界 (右)左の写真の反対側、トラムの駅前停留所が見える

市内トラムが既存の鉄道路線に乗り入れて郊外へ直通する運行形態を、最初に手掛けた都市の名をとってカールスルーエ・モデル Karlsruher Modell と呼んでいる。このトラムトレイン方式は利用者の大幅増など目覚ましい成功を収め、その後欧米の多くの都市で採用されていった。ノルトハウゼンもその例にもれず、2004年にHSBの横断線へ乗り入れて、市内線との直通運行を実現させた。乗入れ区間はイールフェルト・ネアンダークリニーク Ilfeld Neanderklinik(下注)までの11.5kmで、10系統と称している。

*注 イールフェルト・ネアンダークリニークは、乗入れに際して新設された停留所。隣接する同名の老人福祉施設への足として設けられた。

ノルトハウゼンの場合、特徴的なのは、乗入れ相手が非電化のため、ハイブリッド駆動の新型車両(下注)を導入したことだ。市内では直接吊架線から電力を取り入れ、横断線内では搭載したディーゼル発電機で電力を供給する。それで、この区間では新型トラム、187形気動車、99形蒸機という3世代の車両が線路を共有することになった。187形は市内に入らないのだが、乗換えの便を図って直通トラムと同じ駅前広場の電停に着くようにしているのだ。

*注 シーメンス(ジーメンス)社 Siemens AG が開発したコンビーノ・デュオ Combino Duo 3編成が現在も運用されている。

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バーンホーフプラッツ(駅前広場)停留所
(左)HSB気動車が乗入れ (右)コンビーノ・デュオと市内線用コンビーノが並ぶ
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(左)DBノルトハウゼン駅舎 (右)駅前通りはトランジットモール化

試しに乗入れ区間を1往復して、3世代の車両を乗り比べてみた。もともとHSBでは全線にPCまくらぎが敷かれ、線路の整備状況はローカル線と思えないほどなので、車両の如何にかかわらず乗り心地は悪くない。とはいえ、新旧の格差は随所に見られる。

たとえば走行音だが、蒸機のドラフト音(ノスタルジックで私は好きだが)や187形気動車のエンジンが発する轟音に比べて、ハイブリッドトラムのそれはずいぶんおとなしい。また、乗降口に踏み段のある高床式の古典客車や187形に対して、トラムは完全低床だ。長距離運用がある187形は、車内中央にトイレが設けられている。そのためボックス席を減らし、通路の確保のために跳上げ式の座席を縦に並べている。持込み自転車などの置き場を兼ねてのアイデアだが、乗客が増えてくるとさすがに座りにくい。その点、トラムは3車体連接の固定席で、いくらかでも余裕がある。

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ノルトハウゼンの市内トラムは、2系統のみのシンプルな路線網
(左)市中心部の緑化軌道
(右)南北に走る1系統の終点クランケンハウス Krankenhaus(市民病院前)
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コンビーノ・デュオは東西に走る2系統でも運用 (終点パークアレー付近にて)
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車内比較
(左)コンビーノ (右)コンビーノ・デュオ、中央の車体に発電用エンジンが鎮座している(DUOと書かれた黄色い箱)

森の出口のイールフェルト Ilfeld 駅にしばらくとどまって、3世代の車両が交換する様子を愉しんだ。大きな木立の傍らに建つ駅舎は、木組みに白壁のコントラストが清々しい。構内は意外に奥行きがあって、山側には小ぶりの機関庫まで備えている。トラムはここに1時間間隔で発着し、その間を埋めるように気動車もやってくるが、蒸機列車はブロッケンへの直通便が1日1往復残るだけで、出会えるチャンスはごく限られる。事前に時刻表を睨んでその時刻を狙ったまではよかったのだが、写真のとおり、まさか機関車がお尻を前にして入ってくるとは予想しなかった。何事も思うようにはいかないものだ。

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イールフェルト駅
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異世代の車両が交換 (左)気動車とトラム (右)トラムと蒸機

次回はゼルケタール線に乗る。

本稿は、「ドイツ・ハルツ山地-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.11、コンターサークルs、2014に加筆し、写真、地図を追加したものである。

★本ブログ内の関連記事
 ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ
 ハルツ狭軌鉄道 II-ブロッケン線
 ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線
 ハルツ狭軌鉄道のクヴェードリンブルク延伸

2015年9月 5日 (土)

ハルツ狭軌鉄道 II-ブロッケン線

1日目は天気予報が晴れを告げていたので、ブロッケン Brocken の山頂へ上る計画を立てた。列車のヴェルニゲローデ Wernigerode 始発は8時55分と遅いのだが(下注)、8時過ぎには駅へ着いていた。時差ぼけのせいで早く目が覚めてしまう。

*注 ヴェルニゲローデ駅の始発は7時25分だが、これはハルツ横断線の単行気動車で、ブロッケンには行かない。

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HSBの主力機関車99.23-24形、ヴェルニゲローデ駅構内にて

駅舎の裏にあるHSB(ハルツ狭軌鉄道 Harzer Schmalspurbahnen)のホームは頭端式で、連ねた客車を受け入れるために有効長をかなりとっている。右端の31番ホーム Gleis 31 には、乗るべき車両がすでに据え付けられていた。構成は、オープンデッキの古典ボギー客車6両と、その前に緩急車1両。機関車はまだ入線していないが、待ち時間も退屈することはない。プラットホームの脇に、出入り自由の展望台があるからだ。駅構内とともに、機関庫や転車台や給炭クレーンのある車両基地全体が見渡せ、しかも遠景にはブロッケン山とあれば、シチュエーションに文句のつけようがない。

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ヴェルニゲローデ駅のホーム(別の日に撮影)
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ヴェルニゲローデ駅 (左)乗降設備、奥は駅舎 (右)構内が見渡せる展望台
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展望台から (左)転車台 (右)機関庫

ブロッケン方面の列車はすべて蒸気機関車が牽引する。主力になっているのは軸配置2-10-2のDR99.23-24形蒸気機関車で、1954~56年にかけて当時のドイツ国営鉄道 Deutsche Reichsbahn, DR(東ドイツ国鉄)が調達したいわゆる「新造機関車 Neubaulokomotive / Neubaulok」のグループに入る。全部で17両(231~247号機)製造されたうち、10両が改修を受けて現在も稼働している(下注)。

*注 車番231~247は1970年のコンピュータ化に際して7231~7247に改番され、その後油焚き改造で0231のように再改番された。ナンバープレートは3桁と4桁が混在している。

やがて、99 7247機が前に連結され、発車の準備が整った。間際になってもホームは割合閑散としていて、車内も比較的空席がある。いつでも座れる状況なので、まずは最後尾のデッキに陣取った。車掌の腕が上がり、軽い汽笛とともに列車は定刻に発車した。

■参考サイト
Wikimedia - DR99.23-24形の写真集
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:DR_Class_99.23-24

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(左)客車との連結作業 (右)出発を待つばかり

次のヴェルニゲローデ・ヴェステルントーア Wernigerode Westerntor まではわずか1kmだ。ヴェステルントーアというのは西門のことで、旧市街を囲む市壁にあった4つの門の一つだが、今はこれしか残っていない。門が近いということは旧市街の最寄り駅を意味しているので、帰りはここで下車して宿へ戻った。この駅で列車交換が行われることも多いし、鉄道の整備工場が隣接していて、留置中の車両が車窓からも見える。撮り鉄ならば見逃せないスポットだ。

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ヴェステルントーア駅

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ヴェルニゲローデ市街とその周辺、赤い円で囲んだ位置が撮影スポット1~3
官製1:25,000 4130 Wernigerode 1997年版に加筆
(c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Sachsen-Anhalt (LVermGeo) 2015

その他近辺にある撮影スポットも紹介しておこう。

1.駅のはずれの跨線橋(上図の1の円内、以下同じ)

DB線とHSB線をまたぐ自転車と歩行者専用の跨線橋で、ヴェルニゲローデの車両基地を遠望できる。本線の線路も跨線橋の前後でカーブしているので絵になる。ヴェルニゲローデ駅から跨線橋まで約500m。

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駅のはずれの跨線橋
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跨線橋から遠望した駅構内
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跨線橋からの眺め (左)ブロッケン山に向けて出発 (右)煙を残して去る

2.西門に通じる交差点

ここでは十字路になった道路に対して、線路がたすきがけに交わっている。列車通過時は、警報が鳴るとともに道路信号は全方向が赤になる(ただし、線路に支障しない右左折のみ通行可)。大名行列に遭遇したかのように車が一斉にひれ伏す中、蒸機がしずしずと交差点に進入してくる。ヴェステルントーア駅から南へ200m、市庁舎のあるマルクトから西へ300mにある。

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西門に通じる交差点 (左)背後の塔が西門 (右)交差点をたすきがけに横断

3.ホッホシューレ・ハルツ Hochschule Harz 停留所(下注)のすぐ西にある併用軌道

ごく短区間だが、1車線の生活道路に蒸機が堂々と割り込んでいく。ちょっとバート・ドベラーン Bad Doberan の「モリー Molli」を思わせる珍しい光景だ。

旧市街からは1.5kmほど離れているので、列車の便がないときは線路沿いの遊歩道を歩くか、並行する道路(上の地形図で黄色に塗られた道路)を走る市内バスHVB(1系統と4系統)を利用するとよい。最寄りのバス停はホッホシューレ・ハルツではなく、キルヒシュトラーセ Kirchstraße。

*注 鉄道のこの停留所はかつてヴェルニゲローデ・キルヒシュトラーセ Wernigerode Kirchstraße(教会通りの意)と称したが、近くにあるホッホシューレ・ハルツ(ハルツ大学)の名をとって改称された。

なお、機関車は基本的に、ヴェルニゲローデ発の列車では正面を向いているが、同駅着の列車は逆向き(後退運転)になるので注意のこと。

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(左)ホッホシューレ・ハルツ停留所から見た併用軌道
(右)通過する列車の最後尾から撮影
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(左)停留所を出発する列車 (右)生活道路を一時占有

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路線図
官製1:200,000 CC4726 Goslar (2010年版)に加筆
(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

私を乗せた列車は、今ヴェルニゲローデを駅名に冠する最後の停留所ヴェルニゲローデ=ハッセローデ Wernigerode-Hasserode を出たところだ。ここから本格的な山登りが始まる。ハルツ山地は、西北西~東南東の方向に走る断層(北ハルツ境界断層)に沿って隆起したいわゆる地塁山地だ。ヴェルニゲローデは渓口集落の一つで、山地から流れ下るホルテンメ川 Holtemme が平地に出る場所に立地する。

HSBはこの谷を遡って山地の本体にとりつくのだが、今も隆起運動が継続しているため、谷は深くて急傾斜だ。ハッセローデ駅の標高280mに対してサミットの先にあるドライ・アンネン・ホーネ駅は543m、高度差が260m以上もある。これを規定の勾配に収めるには、2駅間の直線距離が6km足らずのところ、線路延長を9.8kmと1.6倍に引き延ばす必要があった。地形図でご覧いただけるように、山襞に忠実に沿う羊腸の軌跡がその答えになる(下の地形図参照)。

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ハッセローデ~
ドライ・アンネン・ホーネ
鉄道記号の矢羽根は
20‰以上の勾配区間を表す
旧東独官製1:50,000 M-32-10-C Braunlage 1988年版
M-32-10-D Wernigerode S 1988年版に加筆

具体的に見ていこう。ハッセローデを出ると、まず東北東~西北西の谷筋シュタイネルネ・レンネ Steinerne Renne(下注)に少し寄り道する。迂回して高度を稼ぐ目的もあるだろうが、ここは渓流が剥き出しの岩肌を無数の小さな滝となって流れ落ち、以前から景勝地として知られていた。狭い谷の中で線路が方向転換した先に同名の駅が設けられ、観光名所への足も確保されることになった。

*注 シュタイネルネ・レンネ Steinerne Renne は、石の多い渓谷の意。Renne は Rinne に同じ。

ちなみにこの方向転換は半径60mで、線内での最急曲線だ。ここまで私はずっと最後尾のデッキにとどまっていたのだが、それは、曲線に入った時に後ろから列車の全景を捉えようと狙っていたからだ。ところが、期待はあっさり裏切られてしまった。曲線があまりに急なために、先頭の機関車は周りの森に隠され、たなびく煙しか見えない。カメラのアングルに収めようとするなら、前から4~5両目までが限界だろう。過ぎたるは及ばざるがごとしと、ここで思い知った。

線路は1:30(33.3‰)の急勾配で上り続けている。谷奥への2つ目の迂回を過ごしたあと、短いトンネルに入るが、これが長さ58mのトゥムクーレンコプフトンネル Thumkuhlenkopftunnel だ。HSB全線でトンネルはこれ一つしかなく、たとえ短くても言及する価値がある。確かに、蒸機運転ではトンネルが少ないほうがありがたいが、これだけの山岳路線でトンネルを回避しようとすれば、どれほど厳しい線形が要求されたか、想像に余りある。

このあたりでは谷底との比高が70~80mに達するが、トウヒの大木が斜面をすっかり覆っていて、視界が開ける区間はほとんどない。次の駅との間は8.2kmも開いているので、途中に列車交換のためのドレンゲタール信号所 Drängetal Betriebsbahnhof がある。ドレンゲタール(ドレンゲ谷)は、今たどっている南北に切れ込んだ谷の名だ。やがて車窓下方に道路が見え隠れするようになると、前半の難路も終わりが近い。上りきったところはブロッケン山塊の東麓にあたり、標高500m前後の高地に広大な森が広がっている。

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(左)今はさびれたシュタイネルネ・レンネ駅 (右)ドレンゲタール信号所を通過

深い森を切り拓いたドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne 駅に9時32分到着。ブロッケン線 Brockenbahn の本来の起点で3面3線を擁する立派な駅だが、それでもお昼前後のピーク時には3線とも満杯になる。というのも、麓の町から来る列車のほかに、当駅始発・終着となる便が設定されているからだ。ヴェルニゲローデ発の山頂行きは朝を除きおよそ90分間隔だが、ここで間に1本入って45分間隔になる。実は、山頂方面への道路は許可車両を除いて進入不可のため、歩いて登る元気がないなら列車に乗るしか方法がないのだ。そのために駅の南側に大きな駐車場が用意されていて、多くのマイカー客がここから列車を利用する。その点で、ドライ・アンネン・ホーネはブロッケン山への隠れた玄関口だ。この列車にもたくさん乗り込んで来て、空だったボックスもあらかた埋まった。

10分強停車して、9時45分定刻に発車。左手にハルツ横断線の線路を見送ったあと、列車はブロッケン線を上り始めた。すでにハルツ国立公園 Nationalpark Harz の域内だ。深い森がさっきと同じように続いているが、これからはブロッケン山塊の南斜面に沿っての上り道になる。気がつくと、デッキに出て写真を撮っている顔ぶれが交代している。さっき乗り込んできた人たちだろう。

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ドライ・アンネン・ホーネ駅
(左)ホームと駅舎 (右)この駅始発もあるので、帰りは3線とも列車で満杯

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ブロッケン線シールケ~ブロッケン
旧東独官製1:50,000  M-32-10-C Braunlage  1988年版に加筆

次のシールケ Schierke が、最後の旅客駅になる。標高は687m。地図を見ると、駅は森の中にぽつんとあり、シールケの村までは1.5kmほど離れている(下注)。ドイツが東西に分断されていた時代、国境に隣接する村は立入りが厳しく制限されていた。シールケまで1日2本だけ運行されていた旅客列車も、当局の特別通行証がないと乗れなかった。

*注 シールケ村から山手へは許可車両以外走行できないため、駅へのアプローチは徒歩のみ。しかし、このとき駅のそばに乗用車が何台も停まっているのを見かけたので、制限が緩和された可能性もある。

その先入観でうら寂しい無人駅を予想していたが、現実は全く違った。列車が着くと、見物なのか乗るつもりか定かでないが、わらわらとホームに上がってくる人たちがいる。駅舎では店も開いて繁盛しているようだ。シールケ村は戦前、夏は登山、冬はスキーのリゾートで「北のサン・モリッツ St. Moritz des Nordens」の異名をとっていた。再統一後はその復興が進んでいる。乗換え客主体のドライ・アンネン・ホーネと違って潜在需要があることが、駅頭の賑わいからも窺い知れた。

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シールケ駅
(左)昼間は必ず列車交換がある (右)乗降客と見物客で大賑わい(いずれも帰路写す)

さらに上っていくと、徐々に車窓が明るくなるのに気づくだろう。まだ森は森なのだが、木々の背丈が低くなってきているのだ。やがてゲーテヴェーク信号所 Goetheweg Betriebsbahnhof を通過。西方のトルフハウス Torfhaus から来る登山道「ゲーテの道」(下注)と交差するので、その名がある。1:30(33.3‰)の急勾配上のため通過式スイッチバックになっていて、帰りはここで列車交換が行われた。下山する列車が側線に入って、登ってくる列車を待避する。車窓からは、上ハルツ Oberharz の蒼く優美な山並みが視界いっぱいに広がるので、通過を待つ時間も苦にならなかった。

*注 ゲーテヴェーク(ゲーテの道)は、1777年にブロッケン山に登った文豪ゲーテがたどったとされるルートに沿う登山道。

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ゲーテヴェーク信号所
(左)登山者に見送られて
(右)勾配途中のためスイッチバック式。帰りはここで上ってくる列車を待った
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(左)対向列車通過 (右)観光客でデッキまで鈴なり(いずれも帰路写す)

いつのまにか山腹を南から西へ、そして北へと回り込んできた。ケーニヒスベルク Königsberg との間の鞍部からは、山頂の送信塔がよく見える。地形図では、線路がいよいよブロッケンの本体に取り付いて、反時計回りというか、「の」の字ロールの形に上っていくのがわかる(上図参照)。森林限界を越えたから視界を遮るものはほとんどなく、回転展望台に座っているようなものだが、1周以上も回ったとは意識しないうちに、早や山頂のブロッケン駅に着いてしまった。10時36分着、最後まで定時運行だった。機関車はすぐに切り離され、機回し線を通って、山麓側に付け直される。転車台は山麓のヴェルニゲローデにしかないので、帰りはどの列車も機関車は逆向きだ。テンダーを前にして走る機関車では絵にならないが、仕方がない。

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最後の区間 (左)山頂が指呼の間に (右)「の」の字の途中で登山道と交差
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ブロッケン駅到着(左写真はビデオからのキャプチャー)

予報どおりのいい天気で、視界はきわめて良好。目の前に展開する大パノラマには大いに感動するものの、吹きさらしの山頂は長袖シャツにパーカーを重ねても寒いくらいだ。周りを見ると、ジャンパー姿の人も多い。寒いとトイレが近くなるが、有料トイレも山頂価格で、1ユーロする(麓の相場は50セント)。札をくずそうと土産物屋へ行くと、箒にまたがった魔女人形が鈴なりになっていた。ゲーテ「ファウスト Faust」のヴァルプルギスの夜の段に描かれているように、ブロッケン山は魔女の集う山だ。言い伝えでは、4月30日の陽が沈むと世界中から魔女がこの山頂に飛んできて、一晩の饗宴が催されるらしい。魔女人形は麓の町でいくらも売っているが、集会の現場で見るとありがたみが増すような気がする。ただ、どれもけっこう怖い顔をしているので、土産にいいのかどうか躊躇するところだ。

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山頂から北望

駅から2~3分歩けば、真の山頂に到達する。広場中央の最高地点には、中央に花崗岩の自然石を使ったモニュメントが据え付けられている。記念写真を撮ろうとして銘板をよく見ると、BROCKEN 1142mとある。待てよ、私の地形図に記された標高は1140.7mだが...。

後で調べたところ、ドイツ再統一以前、ブロッケンの標高は1142mとされ、西側の地図にはそう記されていた(東側の地形図では1140.7mと記載)。しかし、1990年代初めの再測量で、新たに1141.1mの標高値が与えられた。モニュメントは1990年代半ばに設置されたものだが、小さな銘板に下向きの矢印で示されているのが旧標高1142mの位置なのだそうだ。経緯は分かったが、北ドイツの最高峰に造った記念碑にしては、えらく細かい辻褄合わせをしたものだ。

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(左)左からホテル・展望塔、送信塔、博物館 (右)山頂のモニュメント
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山頂を後にするハイカーの一団

次回はハルツ横断線に乗る。

本稿は、「ドイツ・ハルツ山地-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.11、コンターサークルs、2014に加筆し、写真、地図を追加したものである。

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