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2015年6月 7日 (日)

コンターサークル地図の旅-静岡・千本松原

ゴールデンウィーク最終日の5月6日は好天に恵まれた。コンターサークルS「地図の旅」本州編も最終日となる。ただし本日4日目は予備日。初日の柏峠探索がまたもや天候不順で決行できなかったときのために取ってあったのだ。幸いにも柏峠は順調な運びで、日延べは必要なかった。

オプションのため、今日は旧道や隧道や特異な地形といった明確なテーマがない。東海道線原駅に10時26分集合、東田子の浦(ひがしたごのうら)駅まで駿河湾北岸をぶらりと散歩する、といういつになく緩いプランだ。

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防潮堤から千本松原越しに富士を望む

参加したのは、堀さん、大出さん、私の3名。駅前に立ち、さっそく持参した1:25,000地形図「沼津」図幅を拡げた。この周辺では、東海道線の両側に2車線道路が並行している。北側のそれが旧東海道。南側はバイパスができる前の国道1号線で、現在は県道380号富士清水線となり、千本街道と通称される。その南側に広がる針葉樹林帯は千本松原といい、さらに松原と浜を隔てる1車線道路が、擁壁の記号でわかるように、高い防潮堤だ。「何はともあれ、そちらに出てみましょう」と歩き出す。

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原~東田子の浦間の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

駅前通りを左に折れ、線路沿いの道をとる。住宅街の路地を行き当たりばったりに進むと、地形図には描かれていない踏切があった。駅構内の西端に接していて、六軒町踏切というらしい。これを南下すれば、うまい具合に最短距離で浜へ出られそうだ。千本街道はけっこう車が行き交い、横断のきっかけを計りかねたが、松林に入るとしだいに騒音が遠のき、代わりに上空を舞う鳶の甲高い鳴き声が届き始めた。

堤防の壁が視界を遮る。まずは海を見るべしと、側面につけられた斜路を上っていった。東海地震対策で整備されたコンクリートの防潮堤は、実に壮大なものだ。沼津港から富士川河口まで、途中、田子の浦港で分断されてはいるが、総延長は17kmを超える。沼津市作成のハザードマップによると、堤高もこのあたりでは17mある。もちろん海面からの高さなので、標高10m以上ある陸地側からは、それほど上る必要もないのだが。

堤頂(天端(てんぱ)というらしい)には、幅5mほどの通路が続いている。クルマは堤防の海側の一段低くなった段へ降りることはできても、バリカーに遮られて堤防上を縦走することはできない。それでここは事実上、ジョギングやサイクリング(時にバイクも!)を楽しむ人の専用道になっている。初夏の日差しは強くて眩しいが、絶えず吹きつける海風のために、案外肌のほてりは感じない。

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防潮堤からの眺望 (左)東方向 (右)西方向

防潮堤はまた、期待以上の大展望台だった。目の前に、緩い弧を描きながらはるかかなたまで海岸線が延びている。茶鼠色の砂浜と打ち寄せる白波、それらに縁取られてサックスブルーの駿河湾が視界いっぱいに広がる。水平線には青緑の山並みが浮かび、右手が有度山から南アルプスの前山群、左手は西伊豆の北斜面だ。

堀さんはその方を凝視していた。「大瀬崎(おせざき)はどの辺でしょう」。実は昨日、堀さんたちは路線バスとオンデマンドタクシーを乗継いで、伊豆半島の北西端にある大瀬崎へ行っていたのだ。駿河湾ごしに富士を望める景勝地とあって、私もぜひお供したかったのだが、仕事のために断念せざるを得なかった。「山並みが途切れる海岸線に周囲より黒ずんだところがある。あれかな」。しかし堀さんをもってしても、場所を特定する決定的な手掛かりは見いだせなかった。

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(左)大瀬崎が見えているはずだが… (右)駿河湾の投げ釣りに興ずる人々

いったん防潮堤を下りて、松林の中を歩くことにした。地形図には一部しか描かれていないが、林を縫うように遊歩道が通じている。30数万本はあるというクロマツは、昔農民が防風や防潮のために植えたのが始まりだそうだ。絶えず海からの風に曝されているので、どれも陸側へなびくように斜めに生えている。しかし観察すると、中に海側へかしいでいる木もある。松の木といえど、時流になびくのをよしとせず、わが道を貫き通すつわものがいるようだ。

私たちを導く遊歩道も、堤防道路のような人工的直線ではなく、程よく曲がりくねっていて趣きがある。ただ、一定間隔で置かれている石のキロ程標に、千本ジョギングロードと書かれていた。松林の散歩道にカタカナ名は似合わないように思うが。

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(左)千本松原 (右)松原を貫く遊歩道

千本松原は、いうまでもなく長い砂州の上に形成されている。砂州は、富士川が上流から搬出してきた大量の土砂が駿河湾の沿岸流によって東へと運ばれ、弓なりに堆積したものだ。一方、砂州と愛鷹山(あしたかやま)との間には潟湖が残された。それは次第に陸化して、浮島沼と呼ばれる湿地帯になった。人の通行を阻む湿地帯に対して、砂州は比較的地盤が安定している。古い東海道はその上を通って富士川扇状地の扇端に取り付き、明治期の鉄道も、そして初代国道1号バイパスである現 千本街道も、この地形を利用した。

芦原か、せいぜい泥田として利用されるにとどまっていた湿地帯だが、戦後は近代的な排水路が整備されて、乾田や工業用地に姿を変えていく。象徴的なのは1号線の新道(沼津バイパス)で、交通路としては初めて砂州からはみ出し、かつての湿地帯に通された。通過車両の多くがそちらに移ったおかげで、松林も以前よりは静かになっているに違いない。

暫く行くと、少し日当たりのいい場所にちょっとした花の群落があった。愛らしい紫の花弁を穂の形につけているのがタツナミソウ、その隣ですっくと立つタンポポに似た黄色い花はハマニガナだ。思わずカメラを向けたくなる。近くでは、ノイバラの木も負けじと、白い小さな花をたっぷり咲かせていた。

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咲いていた花々 (左)タツナミソウ (中)ハマニガナ (右)ノイバラ
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花畑の前で撮影タイム

また海を見たくなったので、「堤防の上へ出てみましょうか」と、再び防潮堤へ戻る。さっきは光る大海原のほうに気を取られていたが、ふと振り返ると松林の緑の上に、雪渓を残した富士山が顔を覗かせているではないか。広重が連作東海道五十三次の「原」で描いた、画枠から突き抜ける富士をふと思い出した。東から来ればこのあたりで、それまで愛鷹山の後ろに隠れていた富士の全容が見え始める。あの図柄からは、雄大な光景を前にした絵師の感動が素直に伝わってくる。

「やっぱり富士はいいですね」。遠来の私にとって、この景色は広重の版画と同じくらい絶景に思えたのだが、大出さんは富士の見える土地で育っている。「そうですね。でも近くにあると当たり前になってしまって、山頂まで上ったこともないんです」。

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クロマツの林と富士

そうこうしているうちに、沼津市と富士市の境界近くまでやってきた。遅い昼食をと、旧道との合流地点にあるラーメン屋へ入った。「いやー、少々食べなくても平気ですよ」と堀さんはおっしゃるが、そうもいかない。ラーメンを囲みながら、著者ご本人から近著「北海道 地図の中の鉄路」の舞台裏を解説していただいた。地図の旅ならではの幸福な時間はたちまち過ぎてしまう。

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ゴールの東田子の浦駅はもうすぐだ。実は堀さんは何十年か前にここへ来ておられる。浮島ヶ原を北上し、岳南鉄道(現 岳南電車)に乗車されたのだ。「片田舎のローカル線の駅のような、ひっそりとした東田子の浦駅から東海道を東へ歩き、左へ折れてガードをくぐり、バイパスを越えると、浮島沼だ。沼、といっても、水はもうほとんどない。」(「地図の風景」中部編I 静岡・山梨 そしえて, 1981, p.52)

本日の旅はその続編ということになるだろうか。初めは取り立てて目的もないと言われ、地形図を見ても浜辺を延々と行く単調な行程に思えた。でも実際に歩いてみれば、堀さんのお好きなくねくね曲がる道にも、きらきら光る水辺にも出会うことができた。これこそ地形図の余白を読み、風景を想像する力のなせる業だろう。修行の浅い私には遠い道のりだが、少しずつでもその域に近づきたい。東田子の浦駅のホームで、堀さんの乗った上り列車を大出さんと見送りながら、ひそかにそう願った。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図沼津(平成24年更新)を使用したものである。

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