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2015年6月28日 (日)

アイルランドの道路地図帳

鉄道路線が地方の観光地をカバーしていないアイルランドでは、レンタカーも個人旅行の有力な選択肢になる。日本と同様、車両が左側通行であることも、慣れない土地では安心要素だ。そこで、アイルランドに特化した道路地図帳をいくつか紹介しておこう。

アイルランド共和国の地図作成機関であるアイルランド陸地測量部 Ordnance Survey Ireland (OSI) が、北アイルランドの測量局(OSNI)との共同編集による「アイルランドOSI公式道路地図帳 Official Road Atlas Ireland」を刊行している。現行版は2015年第6版だ。

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OSI公式道路地図帳 表紙 (左)2002年第3版 (右)2010~11年版

スパイラル綴じで、サイズはA4判より天地が少し短い横22.5×縦27cm。メインの道路地図は縮尺が1:210,000(3.3マイル1インチ、下注)で、68ページに区分され、主要11都市については別途、1:85,000または1:30,000の縮尺で市街図が用意されている。そのほか、道路標識の一覧や主要都市間距離表、そして巻末に地名索引が付く。

*注 3.3マイル1インチは、図上1インチで実長3.3マイルを表す縮尺の意。以下の用例も同じ。

色分けによる道路区分や旅行情報の記号形状など道路地図の基本仕様は、同じ共同刊行物である1:250,000図に準じている(下注)。地勢を段彩で表現するのも同様だが、1:250,000図が低地に緑、高地に茶色を使っているのに対して、地図帳のほうは茶系に統一され、道路網を強調するためか、0~150mは淡いクリーム色でほとんど白地に見える。縮尺が1:210,000と中途半端なのは気になるが、地図に10kmグリッドが引かれているので、距離感を掴むのに支障はない。

*注 1:250,000図については、本ブログ「アイルランドの1:50,000と1:250,000地形図」参照。

道路地図らしい特色と言えるのは、区間距離の記載とともに、速度制限に関する表示があることだ。速度検出区間が赤で縁取られ、スピードカメラの設置場所も赤い記号でよく目立つ。交通安全局 Road Safety Authority(RSA)の協力がうたわれているので、抑止効果を狙った政府の施策の一環なのだろう。

この縮尺でも市街地の詳細は描ききれないので、市街図が補完の役割を果たすことになる。筆者が持っている2002年の第3版では大雑把で実用性の低いものだったが、現行版は改良が進み、太く描いた街路の上に大文字で街路名を書き入れるという、A-Z風のスタイルになっているようだ。

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コリンズ総合道路地図帳
2014年版 表紙

アイルランドの旅行地図」の項で紹介したコリンズ Collins も、3種の道路地図帳を刊行している。掲載されている地図はどれも洗練された配色が好ましく、OSI図のそれが野性的に見えるほどだ。3種のうち最も情報量が多いのが「アイルランド総合道路地図帳 Ireland Comprehensive Road Atlas」で、A4判160ページ、スパイラル綴じの冊子になる。

地図の構成は2段構えで、まずルートプランニング図 Route Planning Maps として、縮尺約1:570,000(9マイル1インチ)で全島を8ページで表す区分図が提示される。100mごと(ただし700m以上は同色)の段彩をかけたベースマップに交通網、行政界、地名が詳しく盛り込まれており、美的にも優れた出来栄えだ。

続いて島内の見どころ Places of interest の案内が写真と地図索引つきで7ページ、その後ようようメインの道路地図が来る。縮尺1:200,000(3.2マイル1インチ)で、全島を64ページに区分している。フォントも地図記号もサイズがやや大きめなので、一種のでか字版と見なせるだろう。道路網の描写はOSI版と同程度の詳細さだが、ラウンドアバウトや立体交差の記号があるのが、運転中の位置確認に効果を発揮しそうだ。区間距離がマイルとキロメートルの併記になっているのも実用的だ。一方、速度検出区間の表示は道路の中央に点線を並べるスタイルで、注意喚起という意味ではOSI図のほうが視覚的に勝っているように思う。

続く市街図は15都市を収載する。すべての街路に名を付したA-Z図スタイルで、余白に地名索引も付いている。とりわけベルファスト Belfast、コーク Cork、ダブリン Dublin、リムリック Limerickの主要4都市は拡大区分図とされ、路地の隅々まで明瞭に読み取ることができる。またこの4都市については、見どころ案内を含む旅行情報も提供されている。

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表紙の一部を拡大

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凡例

次に詳しいのは「アイルランド道路地図帳旅行版 Road Atlas Ireland Touring Edition」だ。これもA4判で、64ページのペーパーバック(並製本)になる。ルートプランニング図は縮尺が1:1,000,000で、全島を4ページに収める。一方、30ページを占めるメインの道路地図は1:330,000(5.2 マイル1インチ)と、総合地図帳より縮小されるが、却ってでか字感が解消され、筆者にはジャストサイズに映る。ただし、里道の描写は一部省略されているようだ。

市街図は11都市に減り、都市の見どころ紹介も割愛されているが、ガイドブックの役割をそれほど期待しないのであれば、価格を含めて3種のうちで最も実質的な地図帳と言えるだろう。

アイルランド ハンディ道路地図帳 Handy Road Atlas Ireland」は、扱いに便利なA5サイズ、64ページのペーパーバックだ。道路地図の縮尺は1:570,240(9マイル1インチ)になる。このレベルでは、地方道 Regional Road(北アイルランドではB級道路 'B' Road)に指定されていないような道路の描写はかなり省略されてしまう。1枚ものの旅行地図でもコリンズの場合、1:511,000(8マイル1インチ)とこれより大きく、敢えて区分図の地図帳を選ぶメリットは少ない。

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AAアイルランド道路地図帳
2012年第5版 表紙

イギリスのAA (Automobile Association) の出版リストにも、アイルランドの道路地図帳が2種載っている。「アイルランド道路地図帳 Road Atlas Ireland」はA4判104ページ、メインの道路地図の縮尺はライバルと同じ1:200,000だ。OSIやコリンズに比べて観光情報がこまめに記載されているが、地勢表現はなく、地名表記も少なめで、デザインは全体的に野暮ったい。実用性はともかく、見て楽しい地図とは言えない。

それに対して市街図は、街路索引を伴って各都市をコンパクトにまとめている。主要な通りや一方通行の表示が強調され、良好に読取れる。なお、街路名は一部記載が省略されている。高速道路については、路線ごとにインターチェンジやジャンクションの形状と接続道路を案内したページが用意されているのが興味深い。

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表紙の一部を拡大

もう1種の「グローブボックス版アイルランド地図帳 Glovebox Atlas Ireland」は、グローブボックス(車の助手席の前にある物入れ)に収まる大きさという意味で、横16.5×縦21.6cm、A5判よりやや大きい程度のコンパクトサイズだ。全80ページで、スパイラル綴じされている。メインの地図の縮尺は1:300,000で、地図表現としてはちょうどいい粗密度になる。

筆者は、デザインに長けたコリンズの「旅行版 Touring Edition」がやや優位なように感じるが、紹介した地図帳はそれぞれ特徴を持っている。大部分が日本のアマゾンでも購入できるとはいえ、現地に行く機会があるのなら、店頭で実際に手に取って吟味するのが一番だ。

■参考サイト
アイルランド陸地測量部オンラインショップ http://www.osi.ie/
AAオンラインショップ http://shop.theaa.com/store/

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 アイルランドの旅行地図
 北アイルランドの地形図・旅行地図

2015年6月 7日 (日)

コンターサークル地図の旅-静岡・千本松原

ゴールデンウィーク最終日の5月6日は好天に恵まれた。コンターサークルS「地図の旅」本州編も最終日となる。ただし本日4日目は予備日。初日の柏峠探索がまたもや天候不順で決行できなかったときのために取ってあったのだ。幸いにも柏峠は順調な運びで、日延べは必要なかった。

オプションのため、今日は旧道や隧道や特異な地形といった明確なテーマがない。東海道線原駅に10時26分集合、東田子の浦(ひがしたごのうら)駅まで駿河湾北岸をぶらりと散歩する、といういつになく緩いプランだ。

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防潮堤から千本松原越しに富士を望む

参加したのは、堀さん、大出さん、私の3名。駅前に立ち、さっそく持参した1:25,000地形図「沼津」図幅を拡げた。この周辺では、東海道線の両側に2車線道路が並行している。北側のそれが旧東海道。南側はバイパスができる前の国道1号線で、現在は県道380号富士清水線となり、千本街道と通称される。その南側に広がる針葉樹林帯は千本松原といい、さらに松原と浜を隔てる1車線道路が、擁壁の記号でわかるように、高い防潮堤だ。「何はともあれ、そちらに出てみましょう」と歩き出す。

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原~東田子の浦間の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

駅前通りを左に折れ、線路沿いの道をとる。住宅街の路地を行き当たりばったりに進むと、地形図には描かれていない踏切があった。駅構内の西端に接していて、六軒町踏切というらしい。これを南下すれば、うまい具合に最短距離で浜へ出られそうだ。千本街道はけっこう車が行き交い、横断のきっかけを計りかねたが、松林に入るとしだいに騒音が遠のき、代わりに上空を舞う鳶の甲高い鳴き声が届き始めた。

堤防の壁が視界を遮る。まずは海を見るべしと、側面につけられた斜路を上っていった。東海地震対策で整備されたコンクリートの防潮堤は、実に壮大なものだ。沼津港から富士川河口まで、途中、田子の浦港で分断されてはいるが、総延長は17kmを超える。沼津市作成のハザードマップによると、堤高もこのあたりでは17mある。もちろん海面からの高さなので、標高10m以上ある陸地側からは、それほど上る必要もないのだが。

堤頂(天端(てんぱ)というらしい)には、幅5mほどの通路が続いている。クルマは堤防の海側の一段低くなった段へ降りることはできても、バリカーに遮られて堤防上を縦走することはできない。それでここは事実上、ジョギングやサイクリング(時にバイクも!)を楽しむ人の専用道になっている。初夏の日差しは強くて眩しいが、絶えず吹きつける海風のために、案外肌のほてりは感じない。

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防潮堤からの眺望 (左)東方向 (右)西方向

防潮堤はまた、期待以上の大展望台だった。目の前に、緩い弧を描きながらはるかかなたまで海岸線が延びている。茶鼠色の砂浜と打ち寄せる白波、それらに縁取られてサックスブルーの駿河湾が視界いっぱいに広がる。水平線には青緑の山並みが浮かび、右手が有度山から南アルプスの前山群、左手は西伊豆の北斜面だ。

堀さんはその方を凝視していた。「大瀬崎(おせざき)はどの辺でしょう」。実は昨日、堀さんたちは路線バスとオンデマンドタクシーを乗継いで、伊豆半島の北西端にある大瀬崎へ行っていたのだ。駿河湾ごしに富士を望める景勝地とあって、私もぜひお供したかったのだが、仕事のために断念せざるを得なかった。「山並みが途切れる海岸線に周囲より黒ずんだところがある。あれかな」。しかし堀さんをもってしても、場所を特定する決定的な手掛かりは見いだせなかった。

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(左)大瀬崎が見えているはずだが… (右)駿河湾の投げ釣りに興ずる人々

いったん防潮堤を下りて、松林の中を歩くことにした。地形図には一部しか描かれていないが、林を縫うように遊歩道が通じている。30数万本はあるというクロマツは、昔農民が防風や防潮のために植えたのが始まりだそうだ。絶えず海からの風に曝されているので、どれも陸側へなびくように斜めに生えている。しかし観察すると、中に海側へかしいでいる木もある。松の木といえど、時流になびくのをよしとせず、わが道を貫き通すつわものがいるようだ。

私たちを導く遊歩道も、堤防道路のような人工的直線ではなく、程よく曲がりくねっていて趣きがある。ただ、一定間隔で置かれている石のキロ程標に、千本ジョギングロードと書かれていた。松林の散歩道にカタカナ名は似合わないように思うが。

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(左)千本松原 (右)松原を貫く遊歩道

千本松原は、いうまでもなく長い砂州の上に形成されている。砂州は、富士川が上流から搬出してきた大量の土砂が駿河湾の沿岸流によって東へと運ばれ、弓なりに堆積したものだ。一方、砂州と愛鷹山(あしたかやま)との間には潟湖が残された。それは次第に陸化して、浮島沼と呼ばれる湿地帯になった。人の通行を阻む湿地帯に対して、砂州は比較的地盤が安定している。古い東海道はその上を通って富士川扇状地の扇端に取り付き、明治期の鉄道も、そして初代国道1号バイパスである現 千本街道も、この地形を利用した。

芦原か、せいぜい泥田として利用されるにとどまっていた湿地帯だが、戦後は近代的な排水路が整備されて、乾田や工業用地に姿を変えていく。象徴的なのは1号線の新道(沼津バイパス)で、交通路としては初めて砂州からはみ出し、かつての湿地帯に通された。通過車両の多くがそちらに移ったおかげで、松林も以前よりは静かになっているに違いない。

暫く行くと、少し日当たりのいい場所にちょっとした花の群落があった。愛らしい紫の花弁を穂の形につけているのがタツナミソウ、その隣ですっくと立つタンポポに似た黄色い花はハマニガナだ。思わずカメラを向けたくなる。近くでは、ノイバラの木も負けじと、白い小さな花をたっぷり咲かせていた。

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咲いていた花々 (左)タツナミソウ (中)ハマニガナ (右)ノイバラ
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花畑の前で撮影タイム

また海を見たくなったので、「堤防の上へ出てみましょうか」と、再び防潮堤へ戻る。さっきは光る大海原のほうに気を取られていたが、ふと振り返ると松林の緑の上に、雪渓を残した富士山が顔を覗かせているではないか。広重が連作東海道五十三次の「原」で描いた、画枠から突き抜ける富士をふと思い出した。東から来ればこのあたりで、それまで愛鷹山の後ろに隠れていた富士の全容が見え始める。あの図柄からは、雄大な光景を前にした絵師の感動が素直に伝わってくる。

「やっぱり富士はいいですね」。遠来の私にとって、この景色は広重の版画と同じくらい絶景に思えたのだが、大出さんは富士の見える土地で育っている。「そうですね。でも近くにあると当たり前になってしまって、山頂まで上ったこともないんです」。

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クロマツの林と富士

そうこうしているうちに、沼津市と富士市の境界近くまでやってきた。遅い昼食をと、旧道との合流地点にあるラーメン屋へ入った。「いやー、少々食べなくても平気ですよ」と堀さんはおっしゃるが、そうもいかない。ラーメンを囲みながら、著者ご本人から近著「北海道 地図の中の鉄路」の舞台裏を解説していただいた。地図の旅ならではの幸福な時間はたちまち過ぎてしまう。

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ゴールの東田子の浦駅はもうすぐだ。実は堀さんは何十年か前にここへ来ておられる。浮島ヶ原を北上し、岳南鉄道(現 岳南電車)に乗車されたのだ。「片田舎のローカル線の駅のような、ひっそりとした東田子の浦駅から東海道を東へ歩き、左へ折れてガードをくぐり、バイパスを越えると、浮島沼だ。沼、といっても、水はもうほとんどない。」(「地図の風景」中部編I 静岡・山梨 そしえて, 1981, p.52)

本日の旅はその続編ということになるだろうか。初めは取り立てて目的もないと言われ、地形図を見ても浜辺を延々と行く単調な行程に思えた。でも実際に歩いてみれば、堀さんのお好きなくねくね曲がる道にも、きらきら光る水辺にも出会うことができた。これこそ地形図の余白を読み、風景を想像する力のなせる業だろう。修行の浅い私には遠い道のりだが、少しずつでもその域に近づきたい。東田子の浦駅のホームで、堀さんの乗った上り列車を大出さんと見送りながら、ひそかにそう願った。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図沼津(平成24年更新)を使用したものである。

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2015年6月 1日 (月)

コンターサークル地図の旅-江浦湾の旧隧道群

コンターサークルS「地図の旅」本州編2日目は、伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆長岡駅が起点になる。テーマは、駅の西方約4km、狩野川放水路の海への出口近くにある、名も無い古隧道を訪ねること。昨日の柏峠に引き続き、隧道研究家の石井さんが案内役を務めてくださる。

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長塚から多比へ通じる里道の峠に隧道が描かれている
(1:20,000地形図「韮山」「江浦」図幅、いずれも1894(明治27)年修正測図)

まずは旧版地形図で、隧道の位置を確かめておきたい。上図は放水路が影も形もなかった明治20年代の正式1:20,000地形図だ。内陸にある長塚の集落から海辺の多比(たび)へ通じる里道が、峠に隧道を伴って描かれている(青い円で囲った部分)。ここが私たちの目指すポイントなのだが、一見何でもないこの隧道には、いささか不自然な点がある。

一つは、前後の道が「荷車ヲ通セザル部」、つまり人しか通れない前近代的な道であること、二つに、標高がたかだか50~60mで、徒歩で難なく越えられる程度の峠であることだ。隧道や橋梁といった構造物を造るには高度な技術と相応の工費が必要で、おいそれと手掛けられるものではない。他に先駆けてここに隧道が存在したという事実の裏に、どんな必然性があったのだろうか。

三島駅で白地に青帯の駿豆線電車に乗換えれば、20分あまりで伊豆長岡駅だ。朝から曇り空で、午後一時雨の予報も出ていたが、それに臆することもなく、すでに多くの参加者が堀さんの周りに集っていた。石井さん、大出さん、丹羽さん、森さん、木下さん親子(息子さんは小学一年生)、それから私。まさに老若男女、合計8人。「途中道が混んでますから、すぐに出発します」と運転手さんにせかされながら、あたふたと沼津駅行きのバスに乗り込んだ。

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多比バス停で下車

青いトラスの千歳橋で狩野川を渡り、長岡温泉の狭い街路を、あみだ籤をなぞるように進んでいく。口野トンネルを出てすぐの交差点で、いよいよ海が見えてきた。バスはここで運転手の予言どおり渋滞に巻き込まれたものの、私たちの降りる多比の停留所は、もう次だ。

バス停に降り立った私たちは、石井さんの案内に従って、もと漁村だった小さな集落の中の道を山手へ歩き出す。すぐに分かれ道があった。右へ折れるのが口野方面への本道だが、私たちは左へ進む。家並みを縫う舗装道は次第に細くなり、いつしか狭い谷間を上る坂道へと変わっていった。それも、最後の住宅を過ぎると、早や踏分け道と化す。

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江浦湾付近の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

枯葉が厚く積もり、しきりに足を取られるので、行軍をためらいかけていた時だ。左手の茂みの奥に、何か白いものが見えた気がした。「何かありますね」。絡み合う木の枝を掻き分けて近づくと、白く見えたのは岩の露頭に過ぎなかったが、その先に古墳の石室のような四角い空洞が口を開けていた。石の梁が渡されているのかと思ったが、そうではなく石を切り出した跡のようだ。

「たぶんこれです」と石井さん。えっ、これが隧道? 馬蹄形の坑口を想像していた一行は、にわかに信じられないようすで見つめる。内部に入ってもやはり四角い空間が続き、しかもけっこう横幅がありそうだった。地面には大小の石材が無造作に放置してある。なぜもっと合理的な形状にしなかったのだろう。

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(左)舗装道は山へ向かう (右)ついに細い山道と化す
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(左)石室のような空洞を発見 (右)実際は大人の背丈以上の高さがある

石井さんがここを調査したことがあるという友人に、電話で来歴を尋ねてくださった。それによると、この一帯は良質の石材が採れることで知られており、私たちがいる山も明治の初めに開発された石切り場だった。両側から掘り進んでいくうちに坑道が接近してきたので、経営者が通路として使うことを思い立ち、県に申請して1887(明治20)年に貫通させた。坑口を入って左手に立つ古い石碑が、その史実を証言しているという。つまり、これは初めから隧道として建設されたのではなく、坑道を転用したものだったのだ。それなら冒頭の疑問にも説明がつく。

しかし1902(明治35)年頃に南回りの新道(以下、旧県道と記す)が完成したため、隧道はしだいに使われなくなった。その後、昭和に入ってから再び石を切り出す作業場となり、その結果、現状の複雑な構造ができあがったのだそうだ。

*注 このことは、この友人の方のサイトに非常に詳細かつ丁寧に記述されている。あくなき探究心に敬意を表したい。なお、上に記した年代等はこのサイトから引用させていただいた。
http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main.html

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(左)内部も四角い空間 (右)由来を記した石碑

だんだん雲行きが怪しくなってきたので、山を下りることにした。集落まで戻った後、口野へ通じる歩道トンネルの入口に腰を下ろして、昼食をとる。このトンネル(多比第二隧道)こそ、石切り場ルートの役割を奪った旧県道の一部を成すものだ。1964(昭和39)年に海側に現 国道トンネルが開通するまで使われていた。近くにお住まいの方に聞けば、国道トンネルができたとき(下注)、用済みとなったこのトンネルはいったん塞がれたものの、あとで通学路として再整備されたのだという。

*注 県道沼津土肥線の一部が国道414号線に昇格したのは1982(昭和57)年だが、それ以前に実施された道路整備を含めて、ここでは表現を「国道」に統一する。

近代的な形状のポータルを観察すると、なるほど上部に古い石積みが一段分残されている。反対側で国道トンネルと合流しているため、車の騒音が大きく反響するのが難だが、内壁には小学校の卒業制作とおぼしき壁画が何年分も描かれ、このトンネルを大切にしている地元の人たちの気持ちが伝わってきた。

にわか雨が襲ってきたのを機に腰を上げ、バス停へ急ぐ。伊豆長岡駅へ帰る人もあれば、沼津駅へ出る人もあり、本日の地図の旅はここで自由解散となった。

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(左)多比第二隧道前で昼食 (右)にわか雨に急き立てられて戻る

石切り場の隧道の役割を奪った旧県道だが、1954(昭和29)年修正測量の旧版地形図を見ると、口野東方から江浦(えのうら、現行表記は江の浦)までトンネルを5本も連ねているのが特徴的だ。上述の歩道トンネルは実見できたが、あとの4本はどうなったのか。日を改めての再訪で確かめたことを補足しておこう。

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江浦湾岸に掘られた5本の旧隧道
(1:25,000地形図「韮山」、1954(昭和29)年修正測量)

歩きの起点は、長塚口のバス停にした。まずは、口野の切通しを見たかったからだ。国道から左に折れ、ラブホテルと鉄工所の前を過ぎたところで、早くも「通行止、落石の恐れあり」の看板が道を塞いでいた。予想はしていたが、全面封鎖ではなかったので突破する。半ば草むらに覆われた舗装道を上っていくと、まもなく深い切通しに差し掛かった。

おそらく隧道をうがつのにも匹敵する大工事だったに違いない。湿りを帯び、一部苔むした層状の岩壁が両側にそそり立ち、通る者を無言で威圧する。ぽつんと残るカーブミラーの先に回ると、大きな岩塊が道のまん中でぐしゃりと潰れていた。見上げると、壁の上方に岩と似た大きさの窪みがぽっかり空いている。これが通行禁止措置の原因らしい。

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口野切通し (左)口野方向 (中)長塚方向 (右)崩れた大岩が道を塞ぐ

切通しを抜けると道は一転下りになった。遠くに海を見遣りながら、三津(みと)方面から来る旧道と合流したところに御場隧道、長さ35mがある。旧県道の隧道群のうち最も東に位置するが、1962(昭和37)年の改築で2車線に拡幅が行われたらしく、昔の面影は残っていなかった。

隧道の北口は、「口野放水路」という名の交差点だ。狩野川からの分水がここで海に注ぐのだが、注目すべきは、放水路に架かる口野橋の上からの眺めだ。なんと8本ものトンネルが一望になる。試しにパノラマ写真を撮ってみた。画像にかなり歪みが生じてしまったが、なんとか「隧道が辻」の特異な全貌をご理解いただけるのではないだろうか。

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御場隧道 (左)東口 (右)西側はすぐ交差点
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「口野放水路」交差点の歩道橋から。放水路が左奥の湾に流れ込む
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「隧道が辻」のパノラマ
右から御場隧道、国道の口野トンネル、その脇に工事用の小トンネル(封鎖)、放水路の3本のトンネル、国道の多比第二トンネル+歩道用トンネル(ポータルは一体化)で計8本

橋の西側にある国道の多比第二トンネルは間口が広いが、入ってまもなく歩道用トンネルが右手に分岐する。先述のとおり、これが旧県道を構成していた長さ108mの(旧)多比第二隧道の改修後の姿だ。トンネルの途中で歩道だけ別ルートをとるというのは珍しい。

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多比第二トンネル
(左)内部で歩道用が分岐
(右)歩道用トンネル(旧 多比第二隧道)に描かれた卒業記念の壁画

多比の集落を通過し、多比神社をかすめて右斜めに坂道を少し上ると、3本目の(旧)多比第一隧道が現れる。長さは76m。東口はモルタルが吹き付けられ、そっけない外観だが、西口では精密な石積みのポータルと内壁の一部が往時のまま保存されている。歩道専用ではないが、めったに車も通らず、5本の隧道の中で最も風情がある一角だ。

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多比第一トンネル
(左)左が国道トンネル、右奥に旧隧道 (右)旧隧道の東口はモルタル塗り
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(旧)多比第一隧道西口は美しいポータルが残る

集落を通る道は、多比船越のバス停の前で国道と交差する。国道は張出し尾根を開削しているが、里道は海側で長さ30mの江ノ浦第二隧道をくぐっていた。ここも石積みのポータルが残り、通り抜けも可能だ。しかし、地山のほうは無残極まりない。国道で稜線を断ち切られた上、津波の際の避難所にすべく上部が平らにカットされたため、まるで鼠色のショートケーキだ。いくら隧道本体が無傷でも、この異様なシチュエーションはいただけない。

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無残な地山に開いた江ノ浦第二隧道

最後の江ノ浦隧道は、比較的遅くまで現役だった。私の手元にある1:25,000地形図(1974(昭和49)年修正測量)にも記載されている。それどころか、山側を切り通す国道が完成した後も、引き続き通行できたようだ。しかし今回訪れたら、すでに両側ともフェンスで閉鎖されていた。第二隧道ほどではないにしろ、取り残された小山にぽっかり空いた隧道というのは、存在意義を根元から否定されているようで哀れを誘う。

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江ノ浦隧道
(左)左へ入るのが旧道、白い家の奥に隧道東口がある (右)閉鎖された西口

ところで、印刷版地形図では長らく、御場隧道を除く4本の隧道の存在は無視されてきた。いくら総描だといっても、国道とかぶるほど近接してもおらず、相応の道幅もあるのに、まったく描かないのは不当だ。

そう思って現行「地理院地図」を見直したら、4本中2本(多比第一と江ノ浦)の記載が復活している(下記参考サイト)。自治体作成の基本図に基づいているので、これまでとは取捨選択の基準が違うようだ。それなら、多比第二の歩道トンネルも描いてもらいたいものだ。通しで歩いてみようという人が他にも現れるかもしれないから。

■参考サイト
多比付近の1:25,000地形図(地理院地図)
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.050200/138.903200

掲載の地図は、陸地測量部発行の正式2万分1地形図韮山(明治27年修正測図)、同 江浦(明治27年修正測図)、国土地理院発行の2万5千分の1地形図韮山(昭和29年修正測量)、同 韮山(平成19年更新)を使用したものである。

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