« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月25日 (月)

コンターサークル地図の旅-柏峠隧道

2015年のゴールデンウィーク後半、恒例のコンターサークルS「地図の旅」本州編に参加した。今回の舞台は伊豆半島だ。初日となる5月3日は、伊東市街西方にある、廃道となって久しい柏峠隧道を見に行く。

Blog_contour0401
リゾート21で伊東駅到着

日程表に伊東駅10時04分集合とあったので、私は前泊した静岡から普通電車を乗り継いでやってきた。熱海からの車両は、海側に向いたロングシートで知られる伊豆急2100系(リゾート21)。明かり区間では、大型窓から朝陽に光る相模湾のパノラマを心行くまで楽しむことができるが、トンネルに入ると、ずらりと並んだ自分たちの姿が映って、一瞬目のやり場に困る。

ヤシの葉そよぐ伊東駅前に集合したのは、堀さん、石井さん、今尾さん、大出さんと私の5人だった。いいお天気になり、吹く風も爽やかだ。目的の柏峠というのは、東伊豆と中伊豆を結んでいた旧道が半島の分水嶺を越える場所で、駅から西南西へ直線で約4kmと比較的近い。しかし、この旅を提案した石井さんによると、こちら側(東側)の坑口は土に埋もれてわからなくなっているという。私たちは形が残る西側の坑口を確かめるために、冷川(ひえかわ)峠を越えて車で迂回することになった。

Blog_contour04_map1
伊東~柏峠の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

石井さんの運転する白いジムニーが先導役を務める。今尾さんがそれに同乗し、あとの3人はタクシーに乗り込んで後を追った。実は、堀さんと石井さんは昨年秋にもここへ来ている。10月の「地図の旅」の2日目だったのだが、あいにく台風の襲来で峠には霧がたちこめ、結局車を降りるのを諦めたのだそうだ。今回は再挑戦ということになる。

冷川峠へ通じる県道(12号伊東修善寺線)は、舗装されているものの、際限なく急カーブを繰り返す山道だ。高度が上ると、林の合間から青い海原が見え隠れし、緑のお椀を伏せたような大室山も顔を覘かせた。対向車にほとんど出会わないのは、メインルートがさらに南にできたバイパスに移ってしまったためだ。「この道は、保養所へ行く客を乗せていくことはあっても、峠を越えることはなくなったねえ。昔はよく通ったもんだが」と、年配の運転手さん。

峠を通過して少し下ったところに、柏峠への分岐点があった。道の脇に地蔵と並んで、新旧の案内標識が固めて立っているので見逃しようがない。一番古いのは、「伊東近道 約壱里拾五丁」と読める苔むした石碑だ。裏に「大正三年正月建之」とある。ついで「冷川峠(柏峠)ここから二粁」と書いた木標、そして最も新しいのが伊豆市教育委員会(市制前は中伊豆町と書かれていたのだろう)の案内板で、峠道の変遷が簡潔に記されていた。

「往古より、大見・狩野地域と江戸との間の物資や文化の交流は、この峠を越えて伊東の港からであった。地形的に険阻なこの峠越えは、「極難の道」といわれ人々を悩ましてきた。明治十五年、峠下の断崖を刳りぬいて隧道を作り、新道を設けることに成功したのである。まさに干天の慈雨といえるものであった。しかしこの通路も明治三九年、新しい県道が開通すると、しだいに古い歴史を持つ柏峠越えは廃れていった」

Blog_contour0402
(左)冷川峠を越える (右)柏峠分岐にて
Blog_contour0403
(左)柏峠分岐に置かれた地蔵 (右)「伊東近道」の石碑

大見・狩野(かの)というのは中伊豆の一帯だ。そこから米や木炭、石材といった特産品が、この峠を越えて伊東の港(玖須美港)で船に積込まれ、大消費地の江戸/東京に運ばれていたようだ。峠の標高はおよそ450m。西側は冷川の主谷でもすでに標高が200m前後あるのだが、東からのアプローチは、海辺から正味450mの高度を克服する必要がある。

その極めて難儀な峠の直下を抜けて、1882(明治15)年に全長67mの隧道が開通した。実質的には最後の一登りを解消したにすぎないが、当時としては画期的な事業だったのだろう。

Blog_contour04_map2
柏峠越え旧道の現役時代。旧道を赤で示す
(1:50,000地形図「玖須美」図幅、1896(明治29)年修正)

しかしこのルートは、私たちも通ってきた県道(当時は伊東大仁線)が1906年(明治39)年に冷川峠経由で開通したことにより、わずか24年で主役の座を譲り渡すことになった。新しい県道は、荷車の通行が容易になるよう勾配の緩和が図られた反面、地形的に山襞を忠実になぞっていくため、距離が著しく延びた。歩いて通う人にとっては旧道のほうが早く着けたので、その後も隧道は、石碑の示すとおり「伊東近道」として重宝されたのだそうだ。

Blog_contour04_map3
冷川峠経由の県道開通後。新しい県道を緑で示す
(1:50,000地形図「伊東」図幅、1927(昭和2)年修正測図)
Blog_contour04_map4
柏峠付近を拡大 (左)1896年版 (右)1927年版

今は林道平野線とされている峠道に入ったとたん、道を横切ってチェーンが渡してあった。一般車両は入れないようだ。タクシーを返して歩き出す。その先も、沢に沿うように舗装道が続いていたが、距離にして300mほど上ると、右手に落ち葉に埋もれかけた分かれ道が現れた。足もとに誰が立てたか、柏トンネル入口と書いた手作りの木標もある。

いよいよ地形図の出番だ。しかし残念なことに、現行1:25,000地形図「伊東」図幅にはこれからたどる旧道が、隧道を含め一切描かれていない(下注)。柏峠の注記はあるものの場所が異なり、もっと古い時代の歩き道を示しているらしい。堀さんが、旧版5万分1地形図の拡大コピーを全員に分けて下さった。1896(明治29)年修正の図で、わが目標の隧道もしっかり記載されている。よく見ると、峠道は片方を破線にした「荷車ヲ通セザル部」の記号だ。そして、濶葉樹林(広葉樹林)に混じって、荒れ地の記号が全山に広がっている。

*注 この時点の印刷図の最新版は2008(平成20)年更新図。現在の「地理院地図」(2015年5月24日閲覧)では、旧道の一部とおぼしき道が復活している。

「手近なところから木を伐り出したので、禿げ山になっていたということですね」と私。「植林が奨励されるようになるのはその後です」「急な坂道で馬車も通れないとすると、どうやって木材を運んだんでしょう?」「山で炭を焼いたので、担いで行ったのかもしれませんね」。

Blog_contour0404
(左)林道平野線からいざ山道へ (右)地形図で位置確認

Blog_contour0405
杉林を上り続ける

旧道は、杉が密植された森の中を急勾配で上っていく。少しの間、路面にコンクリートが打ってあったが、すぐに途切れた。右手の沢に平成2年建造のプレートがはまった砂防堤が作られていたので、工事車両のために整備したのかもしれない。その先は、枯れ枝と落ち葉が散り敷き、石ころも転がるふつうの山道になった。小さな沢渡りも2か所ばかり。水はほとんど流れていないのだが、うち1か所は細い丸太が5本並べてあった。足もとに注意しながら渡る。

地形図をチェックすると、標高にしてもう70mほど上ってきた。気が付けば、周囲が少し明るくなっている。人工林の谷間を抜けて、広葉樹が覆う山の斜面に達したのだ。ヤマフジの純白の花房が、頭上で木漏れ日とともに揺れている。と、誰かが叫んだ。「ありました!」。

視線の方向、茂みの奥に、ひしゃげた半円形の黒い穴が口を開けていた。柏峠隧道だ。遠目には小さく思えたが、近寄ると、屈まずに入れる高さがある。薄い石積みのアーチが、辛うじて隧道を支えている。ポータルらしき痕跡は見当たらず、どうやらこの石積みは内壁の一部が露出したもののようだ。近くに大きめの石が転がっているのは、隧道の石材が崩れて流されたのだろうか。

Blog_contour0406
頭上に垂れる純白のヤマフジ
Blog_contour0407
隧道前に到達

その石材に腰を下ろして昼食を取った後、内部探検に踏み出した。隧道のアーチは、右から左へ押されたように微妙に歪んでいる。さらにその左上部に穴が開き、雨水の侵入路になっているらしい。今にも崩れ落ちそうなアーチを気にしながら、中に入る。意外なことに石積みは入口のわずかな間だけで、あとは素掘りのままだった。

石井さんが、左の壁面にうがたれた窪みを指さす。「ここは地蔵が安置されていた場所で、さっき林道の入口にあった石の地蔵がそれです」。東口にも同じように龕があり、地蔵が祀られていたのだという。昔の人々は、ここで先々の道中の無事を祈ったのだろう。

もう一つおもしろいものがあった。側壁上部に何やら掘ってある。扇形に整えた彫面の中央に、マルにヱの印。その左側はキクチと読め、右にも判然としないが文字がある。「隧道を掘った石工が残したものらしいです」。施工者が貫通記念に自ら銘を刻んだということか。

Blog_contour0408
(左)辛うじて原形をとどめる石積みの内壁 (右)上部にも大きな穴が
Blog_contour0409
(左)地蔵が祀られていた龕 (右)石工が残した銘

隧道はもう少し先まで進めるけれども、蝙蝠のねぐらになっていると聞いた。石井さんによれば、廃トンネルにはしばしば蝙蝠が棲みついていて、地面に長年の糞が積もっている。そこを歩くと服にもリュックにも異臭が染みつき、マイカーならともかく、電車ではとても帰れないらしい。

電車で帰る予定の私たちは名残りを惜しみながら、車を停めておいた場所まで戻った。これで本日の目的は果たしたのだが、地形図談義に花を咲かせているうち、今尾さんが言う。「伊東のあたりは小さな噴火口の跡が残っていて、底が平たいのでグラウンドなどに利用されてます。南伊東駅近くのもそうですよ」。地形図を見ると、それはちょうど冷川峠を降りきったところにある。地図の旅の締めくくりにふさわしそうだ。

石井さんが車で麓との間を2往復して、私たちを運んでくれるというので、そこを合流場所にと決めた。ところが現地に行ってみると、グラウンドは影も形もなく、代わりに真新しい医療施設が建っているではないか。駅の近所にあった喫茶店でマダムに聞けば、「あそこは球場で、30年くらい前まではプロ球団がキャンプで使ってました。その後放置されていて、2年前ですかねえ、市民病院になったのは」。

Blog_contour04_map5
噴火口跡の変貌を記録する1:25,000地形図
(左)グラウンド時代(2008年) (右)医療施設が立地(2015年)

まもなく小さな喫茶店に5人が揃った。飲み物で山道の疲れを癒しながら、期待していた噴火口のあまりにあっけない消失を口々に惜しむ。自然に還っていくものがある一方で、二度と戻らない自然があるのも現実だ。小一時間ここで休憩。それから南伊東の駅前に出て、石井さんの愛車ジムニーが走り去るのを見送った。今日一日たいへんお世話になりました。

■参考サイト
旧伊東街道 柏峠 http://yamaiga.com/road/kasiwa/main.html
峠の向こうへ 変態する峠 / 柏峠(冷川峠)・片倉越え?
http://homepage3.nifty.com/tougepal/kashiwa.htm

掲載の地図は、陸地測量部発行の5万分の1地形図玖須美(明治29年第一回修正)、同 伊東(昭和2年修正測図)、国土地理院発行の2万5千分の1地形図伊東(平成20年更新)および地理院地図(2015年5月24日現在)を使用したものである。

★本ブログ内の関連記事
 コンターサークル地図の旅-四十曲峠旧国道
 コンターサークル地図の旅-江浦湾の旧隧道群
 コンターサークル地図の旅-静岡・千本松原

2015年5月13日 (水)

アイルランドの鉄道地図 III-ウェブ版

意欲的な鉄道地図を多数公表してきたイギリスのサイト、プロジェクト・マッピング Project Mapping にアイルランドのページが創設されてから、早や数年が経つ。このページには、オンラインで入手できるアイルランドの現行鉄道地図がおよそ網羅されている。

■参考サイト
Project Mapping - Ireland and Northern Ireland
http://www.projectmapping.co.uk/Europe World/ireland_train_rail_maps.html

Blog_ireland_railmap_hp1

まず、ページ左上の図は、アイルランド共和国の鉄道網を運営するアイルランド鉄道 Iarnród Éireann (IÉ)/ Irish Rail が自社サイトでも公開している「インターシティ路線図 IÉ intercity map」だ。自社線は緑、接続する北アイルランド鉄道は黄緑色で描いている。ダブリンなど後述する詳細図のあるエリアを除いて停車駅をすべて掲げ、西海岸近くで開業準備中の駅も薄いグレーで書き入れてある。インターシティ(都市間急行)に限定しているとはいえ、ダブリン近郊を別とすればこれが島の全旅客路線になる。

デザインは、距離や方角をデフォルメしたスキマティックマップ(位相図)だ。首都ダブリンを右中央に置き、そこから各地へ放射状に広がる路線を縦・横・対角線だけを用いて描いている。影響を受けてか、島の形状も実際と違って東西にやや長い。「やれやれ、これがアイルランド島の形なのか? Oh dear, is that the shape of Ireland?」というキャプションはそのことを指している。

なお、自社サイトのほうのURLは以下の通り。こちらにはインタラクティブマップも用意されている。

■参考サイト
Irish Rail - Station and Route maps
http://www.irishrail.ie/travel-information/station-and-route-maps

左端列の下の方には、近年、南東岸のコーク Cork で整備されたコミューター(通勤通学)路線の図がある。

これに対して、左から2列目には、本サイトを運営するアンドリュー・スミザーズ Andrew Smithers 氏による「アイルランド鉄道地図 Ireland rail network map」が並んでいる。最上段が最新版で、以下旧版が続く。鉄道の自社版路線図を参考にしながらも、私ならこうデザインするという主張が明確な作品群だ。

自社版は、ハリー・ベック Harry Beck がデザインした有名なロンドンのチューブマップ Tube map(地下鉄路線図)のスタイルに基づいていた。対するプロジェクト・マッピング版は、ルートを直線主体で描くものの、向きを強制的に縦・横・対角線に揃えることはせず、地理的な位置関係にも配慮する。それで、島の輪郭は直感的に正しい形を保ち、各路線も本来進むべき方向に延びている。

また、自社版で別図となっているダブリンやコーク近郊の拡大図は、ベルファストのそれとともに余白に挿入され、一面で島の旅客全線全駅の把握が可能になっている。ダート DART やコミューター Commuter といった日本でいう「国電」が走る区間が全国図にも表示され、拡大図とすぐに対照できるのも親切だ。

3列目は、ダブリンの近郊路線図を集めている。最上段はアイルランド鉄道が公開している「ダブリン地域路線図 IÉ Dublin area rail map」だ。近郊列車の走るルートと停車駅を、色分けによってすべて描いている。実線は鉄道、破線は連絡バスを意味する。まるで多数の路線が並行しているように錯覚するが、サバーバン Suburban とダート DART は同じ線路を走る快速と各停の関係だ。また、むりやり路線を折り曲げているので、「スライゴー線は折返し!ヒューストンから出る線は南行き? The Sligo line goes back on itself! And the line from Heuston south?」とキャプションは皮肉っている。

2段目からは、スミザーズ氏の「ダブリン地域鉄道・トラム地図 Dublin area rail and tram map」になる。上のダブリン図と比較すれば、同じ横長のレイアウトながら、地図表現がずいぶんと改良されていることが実感できる。すなわち、線路を共有しているインターシティ(上図では省略)とサバーバンとダートは束にして描かれ、路線が進む方向もおおむね正しい。さらに、二大鉄道ターミナルであるコノリー Connolly 駅とヒューストン Heuston 駅の間を、ルアス LUAS と呼ばれる市内トラムが連絡していることも明らかになる。緑色を別の線に使っているため、ルアスのグリーンライン Green Line(下注)が緑っぽく見えないのが玉に瑕だが、この図さえあれば、ダブリンとその近郊の鉄道は問題なく乗りこなせるだろう。

*注 現在、セント・スティーヴンズ・グリーン St.Stephen's Green が起終点のルアス・グリーンラインは、2017年完成予定で北方への延伸工事が行われている。レッドラインと交差し、ブルームブリッジ Broombridge でコミューター路線と接続する。

ページ右端は、北アイルランドに舞台が移る。最上段は、スミザーズ氏の「北アイルランド鉄道地図 Northern Ireland rail map」で、3段目からが北アイルランド鉄道 NI Railways のオリジナル路線図になる。ベルファストBelfastのグレート・ヴィクトリア・ストリート Great Victoria Street 駅を起点にする4系統と、セントラル Central 駅からダブリンへ向かうエンタープライズ Enterprise 号のルートが描かれている。

自社製作図は繰り返すまでもなくベックスタイルのデザインだが、スミザーズ氏の改良図と比べると、たとえば、ロンドンデリー線 Londonderry Line コールレーン Coleraine 駅のぎこちない表現(線路の向きが不明)、バンガー線 Bangor Line の上下交互の駅名配置(連続性が把握しにくい)、ダブリン線 Dublin Line とニューリー線 Newry Line の不自然な乖離といった点が目につく。

なお、同鉄道は、この地域の公共交通を一手に担う公営企業トランスリンク Translink(正式社名は、北アイルランド運輸持株会社 Northern Ireland Transport Holding Company)が運営している。同社の公式サイトには、路線バス(アルスターバス Ulsterbus、メトロ Metro)を含めた公共交通地図も見つかる。

■参考サイト
トランスリンク(公式サイト) http://www.translink.co.uk/

前回、アイルランドの鉄道網の今昔を比較する地図帳を紹介したが、ウェブサイトにもモノクロながら1906年当時の鉄道地図が挙がっていた。いうまでもなく鉄道輸送全盛の時代であり、レールが全土をくまなく覆っていたことがよくわかる。現状と比較すれば(比較するまでもないかもしれないが)、あまりの変わりように言葉を失う。

■参考サイト
1906年の鉄道地図(Viceregal Commission)-軽鉄道を含む
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Map_Rail_Ireland_Viceregal_Commission_1906.jpg

★本ブログ内の関連記事
 アイルランドの鉄道地図 I
 アイルランドの鉄道地図 II-今昔地図帳
 アイルランドの旅行地図
 北アイルランドの地形図・旅行地図

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照
 イギリスの鉄道地図 V-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

BLOG PARTS


無料ブログはココログ