« スイス ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 | トップページ | スイスの地形図-今昔シリーズ I »

2015年1月12日 (月)

MGBシェレネン線と悪魔の橋

アルプスの南へ行くSBB(スイス連邦鉄道)の優等列車に乗り、チューリッヒからだと1時間半もすれば、車窓はいよいよ深い山あいの風景に変わる。谷川を高い橋梁で渡り、スパイラルやジグザグループまで駆使して上り詰めたところが、ゲシェネン Göschenen の駅だ。目の前にアルプスを貫くゴットハルトトンネル Gotthardtunnel(下注)のポータルが2つ口を開けている。

Blog_schoellenenbahn1
車窓から悪魔の橋を望む

*注 ゴットハルトトンネルは、1882年に開通した長さ15003mの鉄道トンネル。ゴッタルドと呼ばれることも多いが、これはイタリア語のGottardoから来ている。

SBBの列車はそのままこの長大トンネルに入ってしまうが、駅舎の外側では、アンデルマット Andermatt 方面へ行く列車が乗換え客を待っているだろう。今回のテーマは、この列車が挑むゲシェネン~アンデルマット間の鉄道路線の話だ。

路線は、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) に属している。しかし、この社名になったのは2003年と比較的新しく、それまではフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-Bahn (FO) と言った(下注)。筆者などは今でもその名に親しみを覚えるが、時代をさらに遡れば、FOの傘下に入ったのは1961年で、古くは「シェレネン鉄道 Schöllenenbahn」という独立した鉄道会社が運行していた。シェレネンというのは、鉄道が遡る谷の名だ。現在MGBでは個々の路線名をつけていないようだが、この稿では氷河急行が走る「FO本線」と区別するために、ゲシェネン~アンデルマット間を「シェレネン線」と呼ぶことにしたい。

*注 フルカ・オーバーアルプ鉄道とブリーク=フィスプ=ツェルマット鉄道 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) が2003年に合併してMGBが誕生した。

シェレネン線はメーターゲージ(軌間1000mm)で、交流11500V、16.7 Hzの電化路線だ。距離は短く、3.7kmしかない(下注)。ところが、標高は起点ゲシェネンの1106mに対して、終点アンデルマットでは1436mもある。330mの高度差をこの距離で克服するには、アプト式ラックレールを使った最急179‰という登山鉄道並みの急勾配が必要だった。MGBの路線群には随所にラックレール区間が見られるが、その中で最も急な坂道になる。

*注 "Eisenbahnatlas Schweiz" Verlag Schweers+Wall, 2012による。なお、MGBの公式サイトではAndermatt–Göschenen 3.5kmとある。

Blog_schoellenenbahn_map2
MGBシェレネン線 周辺図
スイス官製1:50,000地形図 ズステン峠 Sustenpass 図葉の一部を使用

1882年に開通した標準軌のゴットハルト鉄道にも、今のルートの他に、アンデルマットまで上ってからトンネルを掘るという案があったらしい。しかし、通常のレール(粘着式)で達成するには、さらにいくつかの大ループを構える必要があっただろう。実際のところゴットハルト鉄道は、ロイス川の遡行をゲシェネンで諦めて、トンネルに潜り込んだ。川の上流を極めるという願いは、別の鉄道に託されることになる。

Blog_schoellenenbahn_map1

シェレネン線の最初のプランはすでに1890年から発表されていたが、実現に向かったのは1903年に技師リヒャルト・チョッケ Richard Zschokke が提案したものだった。銀行のほか、電気機関車の製造元ブラウン・ボヴェリ社などからも出資を募って、1913年にようやく着工まで漕ぎつけた。当時、後のFO線であるフルカ鉄道 Furka-Bahn はまだ工事中だったが(下注)、アンデルマットで車両の乗入れができるように、仕様が調整された。ラックレールは同じアプト式とされ、アンデルマット駅の位置もFOの計画に則っている。唯一FOと異なるのは、最初から電気運転だったことで、直流1200Vが採用された。

*注 1914年オーバーヴァルト~グレッチャー間開業、1926年全線開業。

工事は、決して順調ではなかった。山間の悪天候に作業員不足が重なり、着手が遅れたところへ、翌1914年には第一次世界大戦が勃発して、もはや中断寸前にまで追い詰められた。しかし、ゴットハルトは要塞地域だったので、鉄道の戦略的重要性を認めた軍当局から支援を受けて、工事が続けられた。こうして、シェレネン鉄道は1917年7月に何とか開通を迎えたのだった。戦時中のため盛大な開通式典は許されず、ささやかな出発式だけが行われたそうだ。

運行は始まったものの、工事遅延に伴う大幅な予算超過が、会社の経営を圧迫していた。そのうえ戦争が終わると、軍事輸送が激減した。1919年は晩秋に大雪が降り、除雪に手元資金を使い尽くした会社は、12月に運行中止の決断を余儀なくされる。やむなく連邦郵政省が乗り出し、冬季の運行経費を肩代わりした。

Blog_schoellenenbahn_map3
アンデルマット駅周辺の地形図
(左)シェレネン鉄道単独の時代。駅は現在と同じ位置にある(地図は1921年版)
(右)FO開通後(同 1965年版)
スイス官製1:50,000地形図アンデルマット Andermatt 図葉の一部(左)および1:25,000地形図ウルゼレン Urseren 図葉(右)の一部を使用

Blog_schoellenenbahn_map4
シェレネン谷の地形図
スイス官製1:25,000地形図
ウルゼレン Urseren 図葉の一部を使用

事態が好転したのは、1926年に待望のFO線が開通してからだ。シェレネン鉄道は、SBBゴットハルト線とFOを結んで、予定していた連絡機能を果たせるようになった。1928年にはゲシェネンで、SBBとの間で貨物を受け渡す設備が完成している。再び世界大戦が始まると、燃料逼迫の憂慮から、蒸機運転のままだったFOの電化が推進された。電化方式は、直通するレーティッシェ鉄道の交流11500V 16,7 Hzに合わせることになった。それに伴い、シェレネン鉄道も、発注した電気機関車の納入を待って、1941年に直流から交流へ切替えられた。

戦争中はガソリン不足で好況を呈したものの、終戦により利用者数は再び落ち込んだ。代わりに台頭してきた自動車交通との競争に喘ぐようになるのは、小規模の鉄道路線が共通して受けた試練だ。シェレネン鉄道も収益が思うように上がらず、1956年から赤字に転落していく。そして1961年、苦境に陥った鉄道はついにFOと合併する道を選び、ほぼ50年の歴史を自ら閉じた。車両はすでに共通運用が進んでいたが、ブルーグレーとクリームの独自色だった車両は、FOの赤一色に塗り変えられた。それ以来、シェレネン線はFO(現 MGB)の一路線として運行されている。

SBBゲシェネン駅は、谷間に造られたにしては構内が広々としている。ホームに降り立って周囲を見回しても、乗換えるべきアンデルマット Andermatt 方面の列車はどこにもいない。それもそのはず、シェレネン線の乗り場は、駅舎の前(SBBホームから見ると裏側)にあるのだ。地下通路を渡って再び地上に上がると、駅舎の軒先を間借りしたような小さなホームで、小振りの赤い列車(下注)が待っているはずだ。

*注 乗車した2013年当時、シェレネン線の列車はアンデルマットからブリーク Brig、フィスプ Visp へ直通しており、ディゼンティスへ行く旧FO線よりも本線のように扱われていた。乗客の流動に沿った措置かと思われたが、2015年の新ダイヤではアンデルマット乗換えに戻ってしまった。

Blog_schoellenenbahn2
(左)SBBゲシェネン駅、正面はゴットハルトトンネル
(右)駅舎の前にあるMGBシェレネン線のゲシェネン駅
Blog_schoellenenbahn3
(左)簡素な車内 (右)ブリーク~ゲシェネン直通のサボ(帰路写す)

ゲシェネンを発車すると、すぐにラックレール区間が始まる。ゴロゴロと低い音を立てながら、SBBの広いヤードの脇をぐいぐい上っていくので、SBBの線路とはたちまち高低差がついてしまう。左に、ロイス川が現れる。青白い雪解け水が、河原に転がる白い大岩の間を勢いよく流れ落ちている。ゴットハルトトンネルのポータルを左に見送ると、列車は車輪をきしませながら右に転じて、いよいよシェレネン谷の遡行にとりかかる。谷壁は両側とも仰ぐ高さにまで切り立ち、岩肌が剥出しの荒々しい姿を見せている。これからの行路が尋常なものでないことは、誰もが感じるところだ。

Blog_schoellenenbahn4
(左)発車するとたちまち急坂に (右)ゴットハルトトンネルのポータルを見送る
Blog_schoellenenbahn5
ゲシェネン駅遠望

二つ目の橋を渡って再度川を左にすると、まもなく列車は、落石や雪崩を避けるシェッド(覆道)に入ってしまう。途中にあるシュタインレケーア Steinlekehr 信号所では、しばしば列車交換がある。しばらくシェッドとトンネルが続くが、その中で列車はゆっくりと、しかし着実に高度を上げていく。これがどれぐらいの急勾配かは、横を走る道路が追いつくためにヘアピンカーブを何度も重ねているのを見れば一目瞭然だ。最後の長い暗闇の間に、カメラを用意しておこう。闇を抜けた途端、車窓左側に有名な悪魔の橋が見えるからだ。

Blog_schoellenenbahn6
(左)カーブと勾配の難路 (右)大岩が転がるロイス川
Blog_schoellenenbahn7
(左)シェッド(覆道)が連続 (右)シュタインレケーア信号所で列車交換

垂直に切り立つ深い谷間に、みごとなアーチ橋が2本架かっている。これが悪魔の橋だ。そのうち上方にあるスパンの長いほうが3代目、1958年に建設された2車線の道路橋だ。下にあるのは2代目、1830年に造られた石造橋で、谷間に石垣を高く積んで足場を造り、高いアーチで谷川をまたぎ越している。とすると、初代の橋はどこにあるのか。

Blog_schoellenenbahn8
(左)悪魔の橋、上が3代目、下が2代目。左下の遊歩道を行くと橋のたもとに出られる
(左)上流から望む

初代は1595年に、それまでの木橋に替えて造られたのだが、1888年の嵐で崩壊して、今は左岸に基礎だけがわずかに残っている。見るからに険しい渓谷に人の手で橋を架けるのは大変な困難を伴った。土地の伝説によると、ある日、村人の前に悪魔が現われてこう言ったそうだ。「橋を造ってやろう。その代り、最初に橋を渡った者の魂は俺がいただく」。彼らは取引を受け入れた。

3日後、できあがった橋の向こう側に悪魔が座り、報酬を待っていた。村人たちは一計を案じ、人間の代わりにヤギを一匹送り出した。「約束が違うぞ」。激怒した悪魔は、橋を壊そうと大岩に手を掛けた。そのとき小さな老女がやってきて、石に十字架を刻んだ。十字架を目にした悪魔は、とたんに投げる方向を見失った。岩はゲシェネンから遠くない谷間に落ち、それ以来そこにあるという。

Blog_schoellenenbahn_map5
ゲシェネン付近の地形図。図上方に Teufelstein(悪魔石)の注記がある
スイス官製1:25,000地形図ウルゼレン Urseren 図葉の一部を使用

大岩は、実際にゲシェネンの高速道路の脇に存在し、悪魔の石 Teufelsstein と呼ばれている(下注)。もとはここから127m離れた場所にあったのだが、高速道路建設の用地と重なるため、1973年に現在地に移されたのだ。重さが2000トンもあり、曳家の要領で移動させるのに30万スイスフランもの費用がかかった。完成したゴットハルト道路トンネルで事故が多発したため、地元の人々は石を動かしたせいだ、と噂したそうだ。

*注 地形図には Teufelstein(悪魔石)とあるが、本稿では下記観光局のサイトに従い、Teufelsstein(悪魔の石)と表記する。

■参考サイト
アンデルマット=ウルゼレン谷観光局公式サイト-悪魔の橋(英語版)http://www.andermatt.ch/en/erlebnisse/schoellenen/Teufelsbruecke
 
初代悪魔の橋の絵
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Teufelsbrücke_UR.jpg
二代目悪魔の橋とシェレネン沿線の空撮(1934年)
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:2.Brücke_1934.jpg
移設前の悪魔の石
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Teufelsstein_alt.jpg
移設後の悪魔の石
http://www.panoramio.com/photo/9673154

悪魔の橋を後にして、列車は三たびロイス川を渡る。道路併用の大きなシェッドを出るところで、長く続いたラック区間がようやく終わる。右手車窓に、周囲を高い山に囲まれたウルゼレン Urseren の盆地が広がるようになれば、終点アンデルマットはまもなくだ。

Blog_schoellenenbahn9
(左)ディゼンティスからの線路と合流 (右)アンデルマット駅

■参考サイト
マッターホルン・ゴットハルト鉄道(MGB)公式サイト
http://www.matterhorngotthardbahn.ch/
Die schmale Spur - Die Schöllenenbahn
http://www.schmalspur-europa.at/schmalsp_73.htm
Andermatt-Urserntal Tourismus http://www.andermatt.ch/

使用した地形図の著作権表示 (c) 2015 swisstopo.

★本ブログ内の関連記事
 フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代
 フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり
 フルカ山岳蒸気鉄道 III-ルートを追って
 リギ山を巡る鉄道 III-アルト・リギ鉄道

« スイス ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 | トップページ | スイスの地形図-今昔シリーズ I »

登山鉄道」カテゴリの記事

西ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事

軽便鉄道」カテゴリの記事

コメント

ずいぶん奥地まで行かれたのですね。

アルプスの急斜面をみていると、落石や岩石崩壊による鉄道や道路の被害は無いのか心配になります。

コメントありがとうございます。
確かに、落石や雪崩の危険性が高い個所はシェッドで線路を保護しているのですが、それでもあちこちで落石などによる運行休止が報じられています。そういうところに限って景色がいいので、心情的には複雑です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« スイス ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 | トップページ | スイスの地形図-今昔シリーズ I »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

BLOG PARTS


無料ブログはココログ