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2015年1月31日 (土)

スイスの地形図-今昔シリーズ II

地図と航空写真で国土の過去と現在を比較する「今昔 Einst und Jetzt」シリーズの残る2点は、都市をテーマにしていた他の4点(前回の記事参照)とはかなり趣きを異にしている。どちらもスイスアルプスが舞台なのだが、1点は要塞地域に関する地図、もう1点は氷河の盛衰に関する地図だ。いずれも2013年に刊行された。

前者は表題を、「サッソ・サン・ゴッタルド-ゴットハルトの要塞地図 Sasso San Gottardo - Festungskartografie am Gotthard」とする。アルプスを越える主要な峠の一つ、ゴットハルト(下注)に焦点を当てて、かつて国土防衛のための要塞地域であったことを示す各種の地図と写真を集めたものだ。

*注 ゴットハルト Gotthard あるいはザンクト・ゴットハルト St. Gotthard はドイツ語表記。フランス語ではサン・ゴタール Saint-Gothard、イタリア語はサン・ゴッタルド San Gottardo。

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「サッソ・サン・ゴッタルド」表紙 (左)表面 (右)裏面

中面に配置された地図は数点ある。まず、この地域最初の近代測量図として、デュフール図Dufourkarteのための1:50 000測量原図(1851年)、それを同じ縮尺で刊行したジークフリート図 Siegfriedkarte(1872年)。ここまでは要塞化以前の地形図だが、その次に、要塞地図のための1:10,000測量原図(1891~92年)、そこから編集された1:10,000要塞地域特別地図 Spezialkarte der Festungsgebiete(1947年)と並んでいる。裏面には、原図の作成に用いられた空中写真や地上ステレオ写真のサンプルも掲載されている。

要塞地域特別地図「531e モット・バルトーラ Motto Bartola」図葉は、峠下のアイロロ Airoro からゴットハルト峠までを図郭に含んでいる。アルプス山中の大縮尺図という希少感もさることながら、雄大な南斜面に多数の軍事施設が描かれていて、ここをレデュイ作戦の要と定めた強い緊張感が伝わってくる。レデュイ Réduit(フランス語で要塞、砦の意)というのは、1880年代初めに連邦政府が作成した防衛計画のことで、アルプスを外国からの侵攻に対する最後の防衛線と定めたものだった。

ゴットハルト近辺では、1888年ごろからアイロロ Airolo とウルゼレン Urseren 地域で、要塞化に関連する地形測量が始まった。さらに、第一次世界大戦が始まると、砲兵隊が使用する正確な砲撃地図 Schießkarte の整備が必要になった。足場の悪い山岳地帯で迅速に作業を進めるために、正確に測量された地点から地形写真を一部重なるように撮影し、これをオートグラフ Autograph という解析機にかけて図化する地上写真測量法 Photogrammetrie の実験が行われた。この方法はゴットハルトで初めて応用され、その後しばらく、従来の平板測量方式に代わる地図製作の主要な技法になった。

第二次世界大戦でフランスがナチスドイツに降伏すると、スイスは一時、枢軸国側に完全に包囲されてしまう。外敵の侵攻がにわかに現実味を帯びるなか、配置された要塞群の強化とともに、作戦に必要な地図作成が急ピッチで進められた(下注)。大砲や弾薬は絶えず性能が改良されており、それに適応させようとすると、地図の範囲と種類は相当なものになる。想定されるあらゆる任務に備えるために、例えばゴットハルトの前線では50~70枚、重さ25kgの地図が必要とされ、1941~43年には43名が砲撃地図関連の業務に従事していたという。

*注 本ブログ「スイスの地形図略史 III-ランデスカルテ」にも関連記事がある。

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1:10,000平板測量図(要塞地図のための原図)1891~92年と
1:10,000要塞地域特別地図1947年の合成
(地図表紙の一部を拡大)

軍用図の作成には当時の最高水準の技術が注ぎ込まれていたのだが、成果はすべて「秘図 Geheim」として扱われた。機密が解かれ、一般に公開されるようになったのは、戦後60数年が経過した2009年のことだ。今昔シリーズは、軍用図とはどのようなものであったか、その一端を教えてくれる。

後者は、「氷と氷河 Eis und Gletscher」という表題とともに、「地図『最終氷期最盛期のスイス』、スイスの五大氷河の今昔」という副題が付されている。スイスアルプスの谷間を埋める氷河の過去と現在を、地形図で比較しようというものだ。

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「氷と氷河」表紙 (左)表面 (右)裏面

まず、表紙のある外面には、興味深い地図が展開されている。「最終氷期最盛期のスイス Die Schweiz während des letzteiszeitlichen Maximums (LGM)」、およそ21,000年前、最終氷期で氷床が最も拡大した時期のスイスの国土を再現する、縮尺1:540,000の地形図だ。解説を拙訳で引用する。

「『ヴュルム氷期 Würm-Eiszeit』として知られる最終氷期は、およそ115,000年前から11,500年前まで続いた。氷河はしばしばミッテルラント(中央高原)まで広がり、後氷期にアルプスの谷間へ後退した。およそ24,000年前に、スイスの氷河の面積は最大になった。ライン氷河 Rheingletscher は今日のボーデン湖地方全域を覆ってシャフハウゼン Schaffhausen に達し、ローヌ氷河 Rhonegletscher はレマン湖を覆い尽くしてゾロトゥルン Solothurn の先まで達した。アルプスの南側では、氷河舌の先端がアルプスのへりにある湖水地方の南まで届いている。『最終氷期最盛期のスイス』図は、この氷河の最大範囲を表示したものである。
最終氷期後期(20,000~11,500年前)になると、地球温暖化の結果、氷河は徐々に融けてアルプスの谷間へ後退し、続く後氷河期には、現在広がっている地域と1850年の最大値の幅で変動した。」

地図は、縮尺1:500,000地形モデルをベースにしているので、既存の1:500,000地形図と照合すると位置関係がよくわかる(下に引用した画像もそのように合成されている)。解説のとおり、ミッテルラントはほとんどが広大な氷床に覆われてしまい、地表が顔を覗かせているのは、およそエメンタール Emmental から下流のアーレ川流域とジュラ山地のみというありさまだ。一方、アルプスでは標高2000~3000m以上の高峰群が、氷床の上で骨格を露わにしているが、西の方はまだしも、東では氷床の厚みが増して、もはや山頂すら呑み込まれかけている。

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「最終氷期最盛期のスイス」図と1:500,000地形図の合成
(地図表紙の一部を拡大)

文字どおり凍りつくようなこの概観図に対して、中面では、アルプスの有名な氷河5か所、すなわち大アレッチュ氷河 Grosser Aletschgletscher、ガートマー谷のトリフト氷河 Triftgletscher, Gadmertal、下グリンデルヴァルト氷河 Unterer Grindelwaldgletscher、モルテラッチュ氷河 Morteratschgletscher、ツェルマットのゴルナー氷河 Gornergletscher の19世紀と現在の様子を地図と写真で比較する。

「世界規模における山岳氷河の劇的な後退は、地球の気候が、小氷期の終了このかた著しく変動していることを最も可視的に示すものの一つである。13世紀半ばから19世紀までの比較的寒冷な気候の期間を、小氷期という。この期間は、おおむね冬は非常に長くて寒く、夏は涼しく、氷河の成長を促す多量の降水があった。氷河の成長は、1850年に最高値に達した。それ以来、スイスアルプスではおよそ100個所の氷河が消失している。過去150年間でアルプス氷河は、表面積で1/3以上、量でたっぷり1/2を失った。最近数十年の著しい氷河後退は、景観に明瞭な痕跡を残している。」

解説が述べているとおり、19世紀半ばには麓の村に襲いかかる勢いだった氷河が、今や極端に瘠せ細り、谷の奥深くへ後退している。地図に取り上げられた5か所の中で、ここではベルニナ山群 Bernina gruppe 最大のモルテラッチュ氷河を挙げておこう。この氷河は1857年に、現在のレーティッシェ鉄道モルテラッチュ駅付近まであと100mというところまで進出した(ただし当時、鉄道は未開通)。しかし、それを境に衰退期に入り、すでに約2.3kmの長さを失ってしまった。年平均で17m、最大値を記録した2003年には77mも後退したのだそうだ。

下の3点の地図はスイストポの閲覧サイトから取得したものだが、並べると130年間のモルテラッチュ氷河の著しい変化に愕然とする。第二次大戦後の1950年でも、まだ駅から1kmの位置に舌端があったのに、2009年には、はるか南へ遠ざかり、かつ見る影もないほどボリュームが減退してしまった。U字谷を遡る登山道は、氷河が退いた跡に作られたもので、昔はなかったことがわかる。レーアプファート Lehrpfad(学習歩道)になっているこの道には、氷河の舌端があった場所を示す標識が点々と設置されており、それを追いかけながら、駅から現在の末端まで歩くと1時間近くかかる。

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(左)1:50,000地形図(ジークフリート図)
サン・モリッツ St. Moritz 1875年およびベルニナ Bernina 1877年
(中)1:50,000地形図(ランデスカルテ初版)ユリアーパス Julierpass 1950年
(右)同 2009年

このように今昔シリーズは、地表の状態を長年にわたって記録し続けている地形図ならではの、様々な利用法を提示している。今回紹介した2種は、解説が独・仏・伊・英の4か国語で表記されているので、読み解くのも比較的容易だ。これらは前回の図と同様、連邦地形測量所スイストポのオンラインショップ(英語版なら Maps > Historical Mapsのくくり)で扱っている。

使用した地形図の著作権表示 (c) 2015 swisstopo.

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 スイスの地形図略史 II-ジークフリート図
 スイスの地形図略史 III-ランデスカルテ
 スイスの1:50,000地形図

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