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2015年1月26日 (月)

スイスの地形図-今昔シリーズ I

ランデスカルテ Landeskarte と呼ばれるスイスの官製地形図のことはすでに記した(下注1)が、刊行元の連邦地形測量所スイストポ Bundesamt für Landestopographie Swisstopoは他にも興味深い地図出版物を世に送り出している。その一つが、地図と航空写真で国土の過去と現在を比較する「今昔 Einst und Jetzt」シリーズ(下注2)だ。今のところ6点刊行されているが、今回はそのうち主要都市の発展をテーマにした4点を見てみたい。

*注1 こうした区分図については、本ブログ「スイスの地形図-概要」「スイスの1:25,000地形図」などを参照。
*注2 本文ではドイツ語表記を掲げたが、仏語表記はHier et aujourd'hui、英語表記はOnce and Today。

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今昔シリーズ初代表紙 (左)ベルン 1995年版 (右)バーゼル 2000年版

シリーズの発端は、1995年に刊行されたベルン Bern 図葉だった。そのときは単発の企画ものかと思われたが、2000年にバーゼル Basel 図葉が追加され、2008年には既刊2都市の改訂版に加えて、ジュネーヴ Genève、チューリッヒ Zürich の2都市が、装いも新たに登場した。どの図葉も基本的な構成は同じで、都市とその周辺を対象に、19世紀中ごろの1:25,000着色測量原図と最新の1:25,000地形図、1930年代と現代の空中写真を、それぞれ対比させている。

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今昔シリーズ2代目表紙
左からベルン、バーゼル、ジュネーヴ、チューリッヒ いずれも2008年版

地図ファンとしては、とりわけ19世紀の測量原図が興味深い。これは当時、軍参謀本部長だったギヨーム=アンリ・デュフール Guillaume-Henri Dufour が指揮して、縮尺1:25,000(ジュラとミッテルラントおよびティチーノ南部)または1:50,000(アルプス)の精度で実施された地形測量、いわゆる「初期測量 Originalaufnahme」の成果だ。掲載されているものと同じチューリッヒの部分図が下記参考サイトに上がっているので、ご覧いただきたい。道路や鉄道は黒、集落は赤、川や湖は青、森は緑と明確に色分けされ、地勢は茶色の等高線で描かれている。精緻で見た目にも美しく、現代の地形図と比べても遜色のない出来栄えであることがわかるだろう。

■参考サイト
デュフール図のための1:25,000測量原図-チューリッヒ(1846~51年)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dufourkarte_Zürich.jpg

この原図をもとにして、スイス最初の近代測量による全国地形図、いわゆる「デュフール図 Dufourkarte」25面が製作されていくのだが、その際、広域が1面に収まるように縮尺は1:100,000に縮小され、等高線はケバ表現に変換され、刷り色は黒の単色になった(下注)。「スイス様式 Schweizer Manier」として諸外国でも高い評価を受けたことは理解しつつも、カラフルな現代の地図に慣らされた目には、測量原図のほうがずいぶんと判りやすく映る。

*注 デュフール図については、本ブログ「スイスの地形図略史 I-デュフール図」にあらましを記した。

デュフール図は最近、連邦地形測量所の公式サイトで画像公開され始め、容易にその全貌を知ることができるようになった。しかし、測量原図については、まだそこまでのサービスは提供されていない。その意味で、市街の範囲や郊外の道路網、集落分布、土地利用などを1:25,000という高い精度で比較できる今昔シリーズの存在は、今もってなかなか貴重なのだ。

では、測量原図には何が描かれ、何が読み取れるのだろうか。

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ベルン市街 測量原図(左)と最新図(右)の合成
(地図表紙の一部を拡大、以下同じ)

まず、ベルン図葉を見てみよう。この地域の測量原図(以下、旧図という)は、4都市の中で最も遅く1854年に製作されている。ベルンの町は、アーレ川 Aare が刻む深い谷で北、東、南の三方を囲まれた要害の地に発達した。西側だけは平地が続き、防衛上の弱点だったため、星形の堡塁が築かれた。旧図にもその一部が描かれている。

市街の範囲はまだ囲壁内にとどまっているものの、西縁ではすでに変化が見られる。すなわち、東から来た鉄道が、市街に接して行止りの構造(頭端式)の駅を設けているのだ。また、西方への路線延長に当たって、撤去された城壁の一部が鉄道用地に転用されたことが読み取れる。後にこの初代駅舎は、本線上の現在地へ移転することになる。なお、鉄道が開通したのは1858~60年なので、図中の鉄道記号は図面が完成してから補記されたものだ(他の3都市も同様)。

一方、郊外は小さな集落が点在するだけだ。土地利用について、旧図では軍事上の必要性から樹木で覆われているか否かだけを区別して描いているので、厳密には畑か牧場か、それとも原野なのかはわからないのだが、少なくとも囲壁を一歩出れば、遠く山裾まで見渡せただろうと想像できる。

最新図との比較で驚くのは、150年の時を隔ててなお、淡い緑に塗られた森の範囲にほとんど変化がないことだ(これも他の3都市に共通する)。雑木林も田園も根こそぎ宅地に変えたわが国とは違い、市街地化したのは牧草地か畑だったところで、森はしっかり保存されている。唯一の例外は、市街北西にある広大なブレムガルテン森 Bremgartenwald を貫通するハイウェーだ。市街地がすでに森の際まで達していたので、新たに道路を通す場所を確保できなかったのだろう。

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バーゼル市街

バーゼルの場合は、既成の測量図が存在したので、デュフールはそれを1:25,000に修正して利用した。シュタット(市街)は1836年、ラントシャフト(郊外)は1839年に完成している(下注)。市街地はライン川 Rhein の左岸に位置し、旧図では、いびつな形をした囲壁に護られている。四方から街に向かって道がまっすぐ延び、そこを通って物資が街に集積する様子が目に見えるようだ。

*注 バーゼル州は利害対立が原因で、1833年にバーゼル・シュタット Basel-Stadt とバーゼル・ラントシャフト Basel-Landschaft の「準州 Halbkanton」に分裂したまま、現在に至る。

ラインの対岸にあるクラインバーゼル Kleinbasel との間は、中橋 Mittlere Brücke で結ばれている。橋に添えられた764という数字は、フランス・フィート(ピエPied、1ピエ=0.324m)による標高値だ。一方、ラントシャフトの図の標高値は、メートル単位で記載されているという。左上のBahnhof(駅の意)の注記は、1844~45年に建設されたストラスブール=バーゼル鉄道 Chemin de fer de Strasbourg à Bâle の終着駅だが、今は存在しない。

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ジュネーヴ市街

ジュネーヴは、デュフールが育った町であると同時に、連邦地形局長として測量と地図作成を最初に指揮した記念すべき土地でもある。彼は既存の土地台帳をもとに追加測量を行って、1838年にジュネーヴ州地形図 Carte topographique du Canton de Genève 全4面を刊行した。掲載されているのはその一部だ。

町はレマン湖 Lac Léman からローヌ川 Rhône が流れ出す地点を押さえていて、旧図では、とりわけ今は無き星形要塞の立派さが目を引く。南を流れるアルヴ川 Arve の左岸にカルージュ Carouge の町があるが、連邦地形局のオフィスはここに設けられた。最新図ではすっかりジュネーヴ側から溢れ出た市街地と一体化してしまっている。

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チューリッヒ市街

チューリッヒの地形測量は1843~51年に、ヨハンネス・ヴィルト Johannes Wild の指揮のもとで実施され、その成果はデュフール図の原図(参考サイトは上述)になるとともに、州独自の1:25,000地形図として刊行された。後者は「ヴィルト図 Wild-Karte」と称される(下記参考サイト)。

■参考サイト
ヴィルト図のチューリッヒ北部(1848年)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wildkarte_Zürich_Nord.jpg
ヴィルト図のチューリッヒ南部(1848年)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wildkarte_Zürich_Süd.jpg

この町も、ジュネーヴ同様、湖からリンマート川 Limmat が流れ出す場所に築かれた。平地に連なる街の西側は、ジール川 Sihl と濠で二重の防衛線が張られていた。旧図には、葉脈のように小路が細かく入り組む市街地が精密に描かれていて、その赤色と周囲に散らばる庭園の緑との対比がひときわ鮮やかだ。

郊外のリンマート川沿いには、水車小屋 Mühle(図中では M..le と略記)や更紗染め工場 Kattundruckerei(Kttd. と略記)が並び、湖岸の丘陵地には一面、葡萄畑(薄いグレーの塗り面)が広がっている。それに比べて、湿地が残るジールフェルト Sihlfeld(ジール川沿いの原野)はまだほとんど手つかずだが、1847年開通のスイス北部鉄道 Schweizerische Nordbahn が一直線に横断し、やがて来る開発の波を予感させている。

都市を覆う1世紀半の時の隔たりを解き明かしてくれるこのシリーズは、連邦地形測量所スイストポのオンラインショップ(英語版なら Maps > Historical Mapsのくくり)で扱っている。
(2006年2月21日付「スイスの都市いまむかし」を全面改稿)

使用した地形図の著作権表示 (c) 2015 swisstopo.

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