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2014年12月 3日 (水)

コンターサークル地図の旅-四十曲峠旧国道

2014年秋のコンターサークルS「地図の旅」本州編は、10月に関東地方で2日間、11月に中国地方で3日間計画された。しかし11月の回は、堀さんが不時の風邪を召されて(「…といっても予定されていた風邪などというものはありません。不時に決まってますが」と軽口のお便りをいただくほど、すぐ回復されたのだが)、残念ながら不在だった。旅そのものは他のメンバーによって実行され、私も2日目の四十曲峠(しじゅうまがりとうげ)旧道歩きに参加した。今回はその行程をレポートしたい。

その日11月2日は、寒くはないものの、山間で雨も混じるあいにくの空模様だった。私は前日から相澤さんのお宅に泊めていただいたうえに、愛車に乗せてもらって、集合場所の伯備線根雨(ねう)駅にやってきた。根雨は、日本海へ注ぐ日野川の中流域にあり、行政上は鳥取県日野郡日野町に属する。古くは姫路から、津山、四十曲峠を経て松江へ向かう出雲街道の宿場町だったところだ。

11時51分集合、車で国道181号四十曲峠へアプローチし、旧道を歩く、というのが、堀さんから示された本日のプランだった。小さな駅前広場で、百瀬川扇状地(前回の記事参照)でもご一緒した外山さんと再会する。彼も車を駆っての参加だ。集合時刻になっている特急やくも7号の到着を待ったが、ホームには誰も降りてこなかった。

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(左)根雨駅に特急やくもが入線(帰路写す) (右)駅舎正面

三人きりで駅前を出発する。国道181号線は現在、四十曲峠を長さ1863mのトンネルで抜けている。まずは、駅から約11km先にあるその場所へ車を走らせた。今年は朝晩の涼しさで紅葉が早く進み、山は上の方からすでに冬の装いに変わりつつある。

持参した地形図は、1:25,000「美作新庄」図幅だ。それによると、旧道は、トンネル西口の直前で新道から右に分岐する。そして峠を越えた後、トンネル東口近くで新道と交差している。堀さんのプランではさらに2kmほど川下の戸島集落まで行くことになっているが、「天気のこともあるし、峠道の探索に絞りましょう」と、歩きの終点をこの交差地点に定めた。全長3.5kmほどだ。

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四十曲峠周辺の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

車が2台あるので、1台を東口の空き地に置き、全員がもう1台で西口に移動する。長いトンネルには歩道などなく、車が高速で通過する脇を徒歩で戻ってくるのは、現実的でないからだ。西口でしばし休憩。相澤さんお手製の玄米おにぎりをおいしくいただいて、歩くための準備はすべて整った。

この四十曲トンネルは、1968年12月に開通している。ということは、旧道は廃道となってからすでに45年以上経過しているわけだ。地形図では、峠の周辺を幅員1.5m~3.0mの道路(新図式では幅員3.0m未満の道路)、つまり離合困難だが車は通れるというレベルで描いているが、実際の状態はどうなのだろうか。廃道歩きの初心者としては、怖いもの見たさでお二人の後をついていった。

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(左)四十曲トンネル西口 (右)旧道を歩き出す。しばらくは舗装道

旧道は、板井原川の渓流を遡る。新道との分岐から700~800mほどは、新見市側へ抜ける生活道路(県道112号大佐日野線)として使われているので、路側帯やガードレールが完備されたふつうの舗装道だ。ただし、カーブが多く、勾配も結構きつい。岡山と鳥取の県域では、中国山地の分水界が日本海側にかなり偏っている。そのため、日本海へ注ぐ川は河口までの距離が短く、谷は急勾配になりがちだ。道路もそれにつき合わなくてはならず、新道のS字ループや、この道のように谷を大きく回ることで、高度を稼いでいるのだ。

とこうするうちに、道の脇の斜面に古びたガードレールが上っているのを見つけた。旧道の遺構に違いない。少し行くと、道路の左側に猫の額ほどの平地があり、落ち葉を厚く敷いた踏み分け道がそれに続いている。旧道はここでヘアピンカーブを切って、進む方向を変えていたようだ。これからが本番だ。「さ、行きますか」 声をかけあって、未知の廃道に一歩を踏み出した。

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(左)斜面に古びたガードレールが現れる
(右)旧道はヘアピンカーブして矢印の方向へ上っていた

ほぼ森に覆われているせいか、藪は思ったほど深くなく、道路の形がわかる程度に開けている。しかし、昨日からの雨で、山から浸み出した水がちょろちょろと流れ、とりわけ、折れた枯れ枝や落石の上手はぬかるみと化していた。知らずに靴を入れたら、ずぼっとはまり込むだろう。足もとを見極めながら、慎重に進む。

相澤さんはときどき道路の縁を覗き込んで、護岸の石組みを確かめている。外山さんは、忘れられたコンクリートの電柱にカメラを向ける。廃道歩きにもいろいろな楽しみ方があるものだ。私はずっと地形図を追っていたくせに、ヘアピンカーブを勘違いして、「変な分かれ道がありますね!」と叫び、二人を呆れさせた。

峠の手前で、垂れ込めた空から雨粒がぽつぽつと落ちてきたので、慌てて雨支度を始めた。私のリュックは防水仕様になっていないのだが、濡れたら濡れたときだと開き直る。運のいいことに雨はほどなく止み、その後は雲間から薄日が漏れるほど天気は回復していった。

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(左)倒木の間を行く (右)湧き水の先にぬかるみあり

たどり着いたサミットは、深い掘割の底に眠っていた。一面草むし、倒木が道を塞ぐものの、斜面に目立った崩壊はなく、道路の記憶がきれいに保存されている。さらに三人を喜ばせたのは、県境を示す立派な石碑が、道路標識とともに立っていたことだ。石碑の正面には「縣界 東宮殿下行啓記念 岡山(県?)」、両側面には当時の行政地名が刻まれている。裏に回った外山さんが「大正十五年五月とあります」と報告すると、「それじゃ、東宮殿下は昭和天皇のことだな」と相澤さん。

一方、道路標識いわゆる白看のほうは、両県で好対照を見せていた。鳥取県側はのっぽの二本足、県名と町名の二枚看板だ。造りは立派なのに腐食が進んで、哀愁を誘う。対する岡山県側はちびの一本足で、県名標のみ。安普請でかしいでいるものの、文字は明瞭に読めるし、タイヤ会社の広告看板がレトロ感を漂わせている。

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サミットにて
(左)県界碑と道路標識。右端の標識は裏に鳥取県、日野町と記されている
(右)すっくと立つ石碑

岡山県に入ると旧道は、それまで谷間をくねくねと這ってきたのも忘れて、直線的に進んでいく。地形図に描かれた築堤と切通しの記号が示すとおり、山を崩して谷を埋め、かなりお金をかけた工事をしているのだ。もちろん、築堤には笹が生い茂り、切通しには土盛りや道幅一面のぬかるみもあって、通りにくさは鳥取県側と変わらないのだが、どこかが違う。「岡山には有力な代議士でもいたんでしょうか」と私。相澤さんは笑って、「今は広島のほうが、道路は立派ですがね」。

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(左)岡山県側の直線路。築堤付近で写す
(右)画面左手から来る旧道が再び生活道路と合流する

私は疑問を抱いた。この土木工事はどう見ても近代のものだ。とすれば、それ以前の街道はどこを通っていたのだろう。後で調べたら、出雲街道の旧道は、戸島の北西にある峠(嵐ケ乢(あらせがたわ)というらしい)を越えて二ツ橋の集落に至り、さらにその西にある鞍部を越えて峠根(たわね)に降りていたことがわかった。

その鞍部こそ、近世までの四十曲峠だったのだ。地形図には、旧道跡とおぼしきものが幅員1.5m未満の道路記号(新図式では、徒歩道)で描かれている。確かにここは最も標高が低く、東から来ると取り付きやすい位置にある。しかし、峠の西側は一転してかなりの急斜面だ。細かいジグザグを繰り返し、しじゅう曲がるから四十曲という俗説を身をもって体験させるような難路だったに違いない。

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四十曲峠周辺の最も古い1:50,000地形図(「湯本」図幅、1899(明治32)年測図)
すでに旧国道が完成しているが、旧街道の峠道(青の円内)は現在の地形図と少し位置が異なり、かつジグザグに描かれている。

私たちのたどったルートは旧街道ではなく、あくまで後世の整備による「旧国道」だ。堀さんも、それを歩くおつもりだったと思う。だが仮に、本当の目的が旧街道のほうで、私たちが道の選択を間違えていたとしても、悔いはない。廃道を歩き通した達成感に加えて、峠で目撃した舞台装置が案外魅力的だったからだ。半世紀前にタイムスリップさせてくれるあの光景は、難儀して上った者だけに与えられるご褒美といっていい。

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四十曲トンネル東口

最後の切り通しを抜けると、一車線の舗装道に出た。ここからは再び生活道路で、二ツ橋の集落から新道へ抜けるルートとして使われている。きつい下り坂をゆっくり降りていくと、車が行き交う国道トンネルの東口が見えてきた。私たちの時間旅行がそのとき終わった。

■参考サイト
街道歩きの旅 四十曲峠越え http://kaidoaruki.com/area_chugoku/izumo/izumo05.html

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図美作新庄(平成5年修正測量)および5万分の1地形図湯本(明治32年測図)を使用したものである。

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