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2014年12月31日 (水)

スイス ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道

正式な分類ではないが、山上(さんじょう)鉄道と言われるものがある。高地にある村や観光地へ人や荷物を届けるという役割では登山鉄道などと変わらないのだが、山麓または谷底で他の鉄道路線と直接接続してはおらず、高地で孤立している路線のことだ。通常、下界との間は、ケーブルカーやロープウェーなど他の交通手段で連絡されている。

このタイプが採用されるのは、たとえば急斜面の上に比較的なだらかな高地が広がる地形の場合だ。登山鉄道のように斜面に線路を引き回すと建設費が高くつくので、困難な斜面は直登し、高地に出たら水平に進むというルートを採る。そのような場所に敷かれた山上鉄道は、概して車窓の景色がいい。ましてやスイス中部でも人気の観光地、ユングフラウ三山のそばを走るとなれば、絶景の展開を期待しないほうがおかしいだろう。

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メンリッヘンから見たラウターブルンネン谷
BLMの通過地点を加筆

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その鉄道の正式名称は、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 Bergbahn Lauterbrunnen–Mürren (BLM) という。名前の通り、ラウターブルンネン Lauterbrunnen とミューレン Mürren(下注)を結び、地元では略して「ミューレン鉄道 Mürrenbahn」と呼ばれている。

*注 Mürrenの第1母音は短母音なので「ミュレン」と書くべきだが、スイス政府観光局公式サイトですら「ミューレン」と表記しているのでそれに従う。

鉄道の舞台であるラウターブルンネン谷 Lauterbrunnental は、氷河が造り出した典型的なU字谷だ。谷底にあるラウターブルンネンと、谷のへりに載る山の村ミューレンとの標高差は、およそ840m。これを、ラウターブルンネン~グリュッチュアルプ Grütschalp 間がロープウェー、グリュッチュアルプ~ミューレン間が粘着式鉄道と、2種類のモードの連携で克服している。開通は1891年8月で、当初、前者はロープウェーではなく、ケーブルカーで建設された。少し歴史を追ってみよう。

*注 標高は、ラウターブルンネンBLM駅800m(ロープウェー起点の案内板による。797mとする文献もある)、グリュッチュアルプ駅1486m、ミューレン駅1639m。

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ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 周辺図
スイス官製1:100,000地形図ブリューニック峠 Brünigpass およびオーバーヴァリス Oberwallis 図葉の一部を使用

1880年代、ユングフラウ地域(リュッチーネ川 Lütschine 流域)では、鉄道の建設計画がある種のブームを呈していた。認可を受けた鉄道は次の10年間に続々と完成を見て、現在もある鉄道網がほぼこの時期にできあがった。そのうち最初に開通したのが1890年7月、インターラーケンからラウターブルンネンとグリンデルヴァルトへ延びるベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahnen (BOB) だ。これはリュッチーネ川の谷を遡る路線だが、これを足掛かりにして今度は山を這い上がる観光鉄道が造られていく。BLMもその一つだった。

BLMの第一走者だったケーブルカーは、BOBラウターブルンネン駅の山側にある山麓駅から、標高1486mのグリュッチュアルプまで直線的に上っていた。路線延長は1.42kmで、高度差690mあった。動力は、当時普及していたウォーターバラスト方式が採用された。ウォーターバラスト(水の重り)というのは、釣瓶のように、山上で水を積んだ車両がその重みで下降し、ケーブルにつながれた麓の車両を上昇させる仕組みだ。しかし、作業時間の短縮と車両の大型化に対応するために、1900年代初めに電気運転に切替えられている。

第二走者の山上鉄道は初めから電気運転で計画されたが、これは当時としては大胆な選択だった。先行するBOBはいうまでもなく、少し遅れて1893年に開通したシーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige Platte-Bahn も、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn も蒸気運転だ(下注)。しかし、山上鉄道の場合、蒸気機関車本体は分解して運び上げるとしても、燃料調達を日常的に麓から行うのは現実的でなかっただろう。

*注 ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn だけは地中区間が長いため、最初から電気運転で建設されたが、地上区間(クライネ・シャイデック~アイガーグレッチャー)が開通したのはBLMの7年後の1898年、全通は1912年。

次に検討されたのは蓄電池式電車だ。しかし、当時の蓄電池は耐用年数が短いばかりか、重量で線路を傷めることが懸念されて、見送られた。最終的に架空線方式が採用されたのだが、スイス国内ではまだ珍しく、レマン湖畔ヴヴェーの路面軌道、バーゼル=ラント準州の路面軌道(下注)に次いで、実用化では3番目だった。両路線とも廃止されてしまったので、現在は、BLMが国内最古の粘着式電化鉄道になっている。

*注 前者は正式名ヴヴェー=モントルー=テリテ=シヨン路面軌道 Tramway Vevey—Montreux—Territet—Chillon (VMC) 、1888年5月開通、1952~58年段階的廃止。後者はジサッハ=ゲルターキンデン鉄道 Sissach—Gelterkinden-Bahn (SG)、1891年5月開通、1916年廃止。

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ラウターブルンネン村とシュタウプバッハ滝 Staubbachfall
(WABの車窓から撮影)

開通式は6月1日に予定されたものの、車両の送達が間に合わなかった。後でようやく届いたものの、試運転中に客車が脱線してひどく損壊し、その影響で別の客車も、運輸当局から安全性に疑念があるとして使用の差止めをくらうなど、さんざんなスタートとなった。とりあえず貨車を人が乗れるように改装して充当した、というのが8月14日開通当日の真相だ。その一方で鉄道の人気は高く、押し寄せる利用者をさばくのに苦労したという。機関車3両と客車が揃って、山上鉄道が完全な形で開通したのは翌1892年5月になってからだった。

ケーブルカーの敷設ルートは、谷の西側に連なる断崖がとぎれた場所をうまく選んでいる。100年以上もそうして運行されてきたが、設計者の誤算があったとすれば、それはこの斜面の一部が地滑り地帯だったことだ。建設以来、地盤が横方向に最大2.5m、下方向に同じく3m以上動いており、BLMはそのつど対策工事を迫られてきた。

ロープウェーなら、地質の安定した場所に支柱を立て、地すべりの恐れがある斜面をまたぎ越すことができる。運行の安全性を担保するために、連邦運輸省はケーブルカーの営業認可を2006年半ばまでとして、転換を促した。ルートは変更せず、駅施設も再利用することにしたため、ケーブルカーの運行は、着工に先立つ2006年4月23日限りで休止となった。工事が完成し、ロープウェーで運行が再開されたのは同年12月16日で、この間8か月あまり、BLMでは、山上鉄道だけが列車本数を削減した臨時ダイヤで動いていた。

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ラウターブルンネン~グリュッチュアルプ間の地形図
(上)ケーブルカー時代(地図は1998年版)
(下)ロープウェー転換後(同 2006年版)
スイス官製1:25,000地形図ラウターブルンネン Lauterbrunnen 図葉の一部を使用

筆者が初めてBLMに乗った1984年には、もちろんケーブルカーが健在だったが、昨年(2013年)8月に再訪したときは、ロープウェーに置き換わっていた。ケーブルカーの路盤はすでに撤去され、痕跡すら定かでなかった。新しいロープウェーのキャビンは、一度に100人を運べる大型のものだ。山麓駅の乗場にはけっこうな行列ができていたのだが、難なく全員が車内に収まった。

ケーブルカーのルートをなぞって斜面を這い上がるので、側窓の眺望は望み薄だろう。そう考えて谷側の窓のほうに寄っていたのだが、実際、針葉樹林が両側に迫ってくるため、視界は縦方向にしか広がらない。その狭いフレームのなかで、谷を隔てた山の中腹に広がるヴェンゲン Wengen の村が目の高さになり、そして眼下に沈んでいった。1台の搬器が往復しているだけですれ違いがないせいもあって、あれよと言う間に山上駅に到着する。ケーブルカーの時代は片道11分(当時の時刻表による)かかっていたが、ロープウェーならわずか4分だ。

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(左)ラウターブルンネンBLM駅舎 (右)ロープウェーの大型キャビン
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(左)ロープウェーの車窓から(2013年)
(右)旧ケーブルカーの車窓から(1984年)

グリュッチュアルプでの乗換はスムーズ、と言いたいところだが、夏のシーズン中で利用者が多い。山上鉄道のホームで待っていたのは、1967年製造(1997/98年改造)のBDe 4/4形単行電車。定員が座席56名+立席44名、計100名なので、数字上はロープウェーからの乗換客を収容できるはずだが、大きなバックパックを背負っている人のことは計算に入れているまい。案の定、車内はデッキを含めて、ぎっしり満員御礼の状況になり、運転席の右側の折畳み椅子も、臨時の敬老シートに転用された。予想外の混雑だが、終点までは所要14分なので、少しの辛抱だ。

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(左)グリュッチュアルプに到着 (右)山上鉄道に乗換え

粘着式鉄道は軌間1000mm、斜面を水平に移動しているように見えるが、実態は最急勾配50‰、最小曲線半径40mの、けっこうな山岳路線だ。全長わずか4.3kmの間に、高度150mを上っていく。車窓の眺望はミューレン行きの場合、一方的に左側に開ける。スイスの絶景鉄道は数々あるが、ユングフラウ三山をこれほど近くから良い並びで拝めるというのは、この路線だけが持つアドバンテージだ。

グリュッチュアルプを出ると、まもなく草原が広がる区間があり、左手前方にくだんの雪山が見えてくる。中間地点のヴィンターエック Winteregg で、対向列車をかわした後、線路は張出し尾根を巻くためにU字谷のへりに最も近づいていく。運転席の後ろにかぶりついていると、まるで雪山に向かって突進しているように錯覚する。線路の左手には高さ700~800mもある大断崖がぱっくりと口を開けているのだが、目の前の雄大な風景に夢中で、足もとのことは誰も気に留めない。

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(左)運転台拝見 (右)かなたにヴェンゲンの村とメンリッヒェン
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(左)ヴィンターエックで列車交換(帰路写す)
(右)対向列車が下りてくる。右上の目のマークは、フロントガラスに貼られたワンマン運転(乗車券を車内で発売しない)の目印
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(左)雪山が車窓に迫る (右)遊歩道が線路に沿う

気がつくと、終点ミューレンが目の前に迫っている。大して乗った気がしないうちに、早やホームに到着だ。駅は村のはずれに位置している。駅前で二手に分かれる道を、左に行くのがメインストリートだ。

大きな木組みの家が立ち並ぶ村の中は、一般車の通行が禁止されている。ぶらぶら歩いて静かな村を通り抜けると、鉄道駅とは反対側のロープウェー乗場に着くだろう。ここから007の展望台シルトホルン Schilthorn に上るもよし、時間がなければ谷底のシュテッヘルベルク Stechelberg へ降り、バスでラウターブルンネンに戻るというコースもとれる。このロープウェーは1967年の全通以来、BLMのライバル的存在だが、BLMのロープウェー転換工事の際には、山上の村にとって貴重な代替交通手段になった。車の入らない村では、両者持ちつ持たれつの関係が成立しているのだ。

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(左)終点ミューレンに到着
(右)駅構内にはためくベルン州旗とミューレン村旗。なお、左にいるBe 4/4形31号機は、2011年1月に運用開始したBLMの新顔(ASmの中古車を改修)
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(左)ミューレン村の「大通り」、一般車は乗入れできない
(右)アルメントフーベル Allmendhubel の展望台に上るケーブルカー
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ミューレンの町裏からの眺望

■参考サイト
ユングフラウ鉄道公式サイト http://www.jungfrau.ch/

この記事は、Florian Inäbnit "Schweizer Bahnen, Berner Oberland" Prellbock Druck & Verlag, 2012、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2014 swisstopo.

ご参考までに、その他の山上鉄道(筆者が思いつくもののみ)のリストを挙げておこう。

日本
・信貴山急行電鉄(大阪府、奈良県):粘着式の山上鉄道は廃止、ケーブルカーは近鉄西信貴鋼索線として残存
・住友別子鉱山鉄道(愛媛県):廃止

スイス
・エモッソン観光鉄道 Train Touristique d'Emosson :ケーブルカー+軌間600mmのトロッコ鉄道+小型ケーブルカー
・リギ・シャイデック鉄道 Rigi-Scheidegg Bahn :廃止(本ブログ「リギ山を巡る鉄道 V-リギ・シャイデック鉄道」で詳述)

ドイツ
・オーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn :ケーブルカー+標準軌鉄道

オーストリア
・ライセック登山鉄道 Reißeck-Bergbahnen :ケーブルカー+軌間600mmのトロッコ鉄道

フランス
・アルトゥスト小列車 Petit Train d'Artouste :ロープウェー+軌間500mmのトロッコ鉄道

イタリア
・リットナー(リッテン)鉄道 Rittnerbahn :ロープウェー+軌間1000mmの狭軌鉄道。ロープウェーは旧 ラック式鉄道を転換したもの

2014年12月 3日 (水)

コンターサークル地図の旅-四十曲峠旧国道

2014年秋のコンターサークルS「地図の旅」本州編は、10月に関東地方で2日間、11月に中国地方で3日間計画された。しかし11月の回は、堀さんが不時の風邪を召されて(「…といっても予定されていた風邪などというものはありません。不時に決まってますが」と軽口のお便りをいただくほど、すぐ回復されたのだが)、残念ながら不在だった。旅そのものは他のメンバーによって実行され、私も2日目の四十曲峠(しじゅうまがりとうげ)旧道歩きに参加した。今回はその行程をレポートしたい。

その日11月2日は、寒くはないものの、山間で雨も混じるあいにくの空模様だった。私は前日から相澤さんのお宅に泊めていただいたうえに、愛車に乗せてもらって、集合場所の伯備線根雨(ねう)駅にやってきた。根雨は、日本海へ注ぐ日野川の中流域にあり、行政上は鳥取県日野郡日野町に属する。古くは姫路から、津山、四十曲峠を経て松江へ向かう出雲街道の宿場町だったところだ。

11時51分集合、車で国道181号四十曲峠へアプローチし、旧道を歩く、というのが、堀さんから示された本日のプランだった。小さな駅前広場で、百瀬川扇状地(前回の記事参照)でもご一緒した外山さんと再会する。彼も車を駆っての参加だ。集合時刻になっている特急やくも7号の到着を待ったが、ホームには誰も降りてこなかった。

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(左)根雨駅に特急やくもが入線(帰路写す) (右)駅舎正面

三人きりで駅前を出発する。国道181号線は現在、四十曲峠を長さ1863mのトンネルで抜けている。まずは、駅から約11km先にあるその場所へ車を走らせた。今年は朝晩の涼しさで紅葉が早く進み、山は上の方からすでに冬の装いに変わりつつある。

持参した地形図は、1:25,000「美作新庄」図幅だ。それによると、旧道は、トンネル西口の直前で新道から右に分岐する。そして峠を越えた後、トンネル東口近くで新道と交差している。堀さんのプランではさらに2kmほど川下の戸島集落まで行くことになっているが、「天気のこともあるし、峠道の探索に絞りましょう」と、歩きの終点をこの交差地点に定めた。全長3.5kmほどだ。

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四十曲峠周辺の1:25,000地形図に、歩いたルートを加筆

車が2台あるので、1台を東口の空き地に置き、全員がもう1台で西口に移動する。長いトンネルには歩道などなく、車が高速で通過する脇を徒歩で戻ってくるのは、現実的でないからだ。西口でしばし休憩。相澤さんお手製の玄米おにぎりをおいしくいただいて、歩くための準備はすべて整った。

この四十曲トンネルは、1968年12月に開通している。ということは、旧道は廃道となってからすでに45年以上経過しているわけだ。地形図では、峠の周辺を幅員1.5m~3.0mの道路(新図式では幅員3.0m未満の道路)、つまり離合困難だが車は通れるというレベルで描いているが、実際の状態はどうなのだろうか。廃道歩きの初心者としては、怖いもの見たさでお二人の後をついていった。

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(左)四十曲トンネル西口 (右)旧道を歩き出す。しばらくは舗装道

旧道は、板井原川の渓流を遡る。新道との分岐から700~800mほどは、新見市側へ抜ける生活道路(県道112号大佐日野線)として使われているので、路側帯やガードレールが完備されたふつうの舗装道だ。ただし、カーブが多く、勾配も結構きつい。岡山と鳥取の県域では、中国山地の分水界が日本海側にかなり偏っている。そのため、日本海へ注ぐ川は河口までの距離が短く、谷は急勾配になりがちだ。道路もそれにつき合わなくてはならず、新道のS字ループや、この道のように谷を大きく回ることで、高度を稼いでいるのだ。

とこうするうちに、道の脇の斜面に古びたガードレールが上っているのを見つけた。旧道の遺構に違いない。少し行くと、道路の左側に猫の額ほどの平地があり、落ち葉を厚く敷いた踏み分け道がそれに続いている。旧道はここでヘアピンカーブを切って、進む方向を変えていたようだ。これからが本番だ。「さ、行きますか」 声をかけあって、未知の廃道に一歩を踏み出した。

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(左)斜面に古びたガードレールが現れる
(右)旧道はヘアピンカーブして矢印の方向へ上っていた

ほぼ森に覆われているせいか、藪は思ったほど深くなく、道路の形がわかる程度に開けている。しかし、昨日からの雨で、山から浸み出した水がちょろちょろと流れ、とりわけ、折れた枯れ枝や落石の上手はぬかるみと化していた。知らずに靴を入れたら、ずぼっとはまり込むだろう。足もとを見極めながら、慎重に進む。

相澤さんはときどき道路の縁を覗き込んで、護岸の石組みを確かめている。外山さんは、忘れられたコンクリートの電柱にカメラを向ける。廃道歩きにもいろいろな楽しみ方があるものだ。私はずっと地形図を追っていたくせに、ヘアピンカーブを勘違いして、「変な分かれ道がありますね!」と叫び、二人を呆れさせた。

峠の手前で、垂れ込めた空から雨粒がぽつぽつと落ちてきたので、慌てて雨支度を始めた。私のリュックは防水仕様になっていないのだが、濡れたら濡れたときだと開き直る。運のいいことに雨はほどなく止み、その後は雲間から薄日が漏れるほど天気は回復していった。

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(左)倒木の間を行く (右)湧き水の先にぬかるみあり

たどり着いたサミットは、深い掘割の底に眠っていた。一面草むし、倒木が道を塞ぐものの、斜面に目立った崩壊はなく、道路の記憶がきれいに保存されている。さらに三人を喜ばせたのは、県境を示す立派な石碑が、道路標識とともに立っていたことだ。石碑の正面には「縣界 東宮殿下行啓記念 岡山(県?)」、両側面には当時の行政地名が刻まれている。裏に回った外山さんが「大正十五年五月とあります」と報告すると、「それじゃ、東宮殿下は昭和天皇のことだな」と相澤さん。

一方、道路標識いわゆる白看のほうは、両県で好対照を見せていた。鳥取県側はのっぽの二本足、県名と町名の二枚看板だ。造りは立派なのに腐食が進んで、哀愁を誘う。対する岡山県側はちびの一本足で、県名標のみ。安普請でかしいでいるものの、文字は明瞭に読めるし、タイヤ会社の広告看板がレトロ感を漂わせている。

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サミットにて
(左)県界碑と道路標識。右端の標識は裏に鳥取県、日野町と記されている
(右)すっくと立つ石碑

岡山県に入ると旧道は、それまで谷間をくねくねと這ってきたのも忘れて、直線的に進んでいく。地形図に描かれた築堤と切通しの記号が示すとおり、山を崩して谷を埋め、かなりお金をかけた工事をしているのだ。もちろん、築堤には笹が生い茂り、切通しには土盛りや道幅一面のぬかるみもあって、通りにくさは鳥取県側と変わらないのだが、どこかが違う。「岡山には有力な代議士でもいたんでしょうか」と私。相澤さんは笑って、「今は広島のほうが、道路は立派ですがね」。

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(左)岡山県側の直線路。築堤付近で写す
(右)画面左手から来る旧道が再び生活道路と合流する

私は疑問を抱いた。この土木工事はどう見ても近代のものだ。とすれば、それ以前の街道はどこを通っていたのだろう。後で調べたら、出雲街道の旧道は、戸島の北西にある峠(嵐ケ乢(あらせがたわ)というらしい)を越えて二ツ橋の集落に至り、さらにその西にある鞍部を越えて峠根(たわね)に降りていたことがわかった。

その鞍部こそ、近世までの四十曲峠だったのだ。地形図には、旧道跡とおぼしきものが幅員1.5m未満の道路記号(新図式では、徒歩道)で描かれている。確かにここは最も標高が低く、東から来ると取り付きやすい位置にある。しかし、峠の西側は一転してかなりの急斜面だ。細かいジグザグを繰り返し、しじゅう曲がるから四十曲という俗説を身をもって体験させるような難路だったに違いない。

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四十曲峠周辺の最も古い1:50,000地形図(「湯本」図幅、1899(明治32)年測図)
すでに旧国道が完成しているが、旧街道の峠道(青の円内)は現在の地形図と少し位置が異なり、かつジグザグに描かれている。

私たちのたどったルートは旧街道ではなく、あくまで後世の整備による「旧国道」だ。堀さんも、それを歩くおつもりだったと思う。だが仮に、本当の目的が旧街道のほうで、私たちが道の選択を間違えていたとしても、悔いはない。廃道を歩き通した達成感に加えて、峠で目撃した舞台装置が案外魅力的だったからだ。半世紀前にタイムスリップさせてくれるあの光景は、難儀して上った者だけに与えられるご褒美といっていい。

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四十曲トンネル東口

最後の切り通しを抜けると、一車線の舗装道に出た。ここからは再び生活道路で、二ツ橋の集落から新道へ抜けるルートとして使われている。きつい下り坂をゆっくり降りていくと、車が行き交う国道トンネルの東口が見えてきた。私たちの時間旅行がそのとき終わった。

■参考サイト
街道歩きの旅 四十曲峠越え http://kaidoaruki.com/area_chugoku/izumo/izumo05.html

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図美作新庄(平成5年修正測量)および5万分の1地形図湯本(明治32年測図)を使用したものである。

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