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2014年4月30日 (水)

リギ山を巡る鉄道 III-アルト・リギ鉄道

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ゴルダウの教会前を行く旧型客車

フィッツナウ・リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn(以下VRBという)と並んで、観光客をリギ山頂へ運び上げているのが、アルト・リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn(以下ARBという)だ。南斜面からアプローチするVRBに対して、ARBは東の谷間を上ってくる。現在はSBB(スイス連邦鉄道)のアルト・ゴルダウ Arth-Goldau 駅が起点になっているが、かつてはさらに北西へ3km下ったアルト Arth の町から出ていた。アルト・リギ鉄道という名称もそこに由来している。

ともにリッゲンバッハ式のラックレールを使用し、軌間(1435mm)、電化方式(直流1500V)も同じと、まるで双子のような両線だが、経営が統合されたのは1992年で、たかだか20数年前のことだ。それまで実に117年間、両鉄道はライバルの関係にあった。

前回述べたように、山頂リギ・クルム Rigi Kulm への路線申請は、両鉄道の競合になったが、シュヴィーツ州は最終的に、自州のアルト市民が設立したARBのほうに認可を与えた。そのため、VRBのクルム延長は、ARBが施設を造り、VRBがそれを賃借するという形で実現した。それと並行してARBは、自らの路線建設計画も進めていた。こちらは1874年秋にアルトで起工され、翌年1月にまず、アルト(後にアルト・アム・ゼー Arth am See)~オーバーアルト Oberarth 間のいわゆる「山麓線 Talbahn(下注)」1.4kmが完成している。最急勾配23‰、通常のレール(粘着式)を使う区間だ。

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並走区間(リギ・シュタッフェル~リギ・クルム)の地図表現
複線の記号を使わず、単線記号を並列させている
スイス官製1:25,000地形図リギRigi 図葉の一部を使用

オーバーアルトから先はラックレールを用いたので、「登山線 Bergbahn」と呼ばれた。最急勾配200‰、リッゲンバッハのラック専用蒸機が活躍する舞台だ。VRBと合流するシュタッフェル Staffel からは線路を共用する計画だったが、VRBが専用線化を主張したため、クルムまで並行する独自の線路を建設することになった。こうした経緯で、両線は山上で隣接しているにもかかわらず、線路は接続しておらず、車両のやりとりが必要なときは遷車台(トラバーサー)を用いていた。現在シュタッフェルにある渡り線は、1990年に初めて設けられたものだ。ちなみに、シュタッフェルとクルムの共用駅舎も、経営統合されるまで出札は別々だった。

ARBは、VRBの開通に遅れることわずか2年、1875年6月にアルト~リギ・クルム間全線11.2kmを完成させ、開通式を挙行した。山麓線と登山線の間で行われる機関車の付替えを含めて、山頂までの所要時間は1時間半だった。2本の登山鉄道が競い合ったことで、リギ山はたちまち日帰り可能な観光地として一般化していった。

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アルトの町をSBB線の列車から遠望

ところで、VRBはなぜアルトを起点にしたのだろうか。それはこの時代、アルトの周辺にはまだ幹線鉄道がなく、遠方との交通をツーク湖 Zuger See に依存していたからだ(下図参照)。湖の北東岸にあるツーク Zug の町までは1864年にチューリッヒから鉄道が通じていたので(下注)、そこからアルトへ蒸気船が連絡していた。アルトの船着場前は、必然的に駅の最適地だった。

*注 チューリッヒ・ツーク・ルツェルン鉄道 Zürich-Zug-Luzern-Bahn が、1864年にチューリッヒ・アルトシュテッテン Zürich Altstetten ~ツークおよびルツェルン間を開通させた。この路線は、タールヴィール Thalwil 経由ではなく、アフォルテルン・アム・アルビス Affoltern am Albis を通るものだ。現在はチューリッヒSバーンに組み込まれ、9系統と15系統が設定されている。

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ARB開通当時の地形図
幹線鉄道はまだ到達していない(アルトはArtと綴られている)
スイス官製1:100,000デュフール図第8図 1879年版の一部を使用
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上図と同じエリアの現行地形図
山麓線(アルト~アルト・ゴルダウ)は消えて久しい
スイス官製1:100,000地形図ベロミュンスター Beromünster 図葉 2007年版の一部を使用

チューリッヒ方面からであれば、アルト経由のほうが時間的に有利だ。しかしツークへ通じた鉄道はルツェルンにも路線を延ばしていたため、早く手を打たなければ、登山客がルツェルン経由でVRBへ回る恐れが多分にあった。

一方その頃、アルプスを縦貫するゴットハルト鉄道 Gotthardbahn の建設が一部で着手されており、ルートはアルト付近を通るとされていた。イタリアに通じる大動脈と接続すれば、集客力は一気に高まるはずだ。この鉄道は1882年に開通するのだが、それを待つことなくARBの建設を急いだのは、ライバルの進出という差し迫った理由があったためだ。

しかし、先行して造ったがために、ARBのルートはその後、ゴットハルト鉄道側の事情によって2度にわたって変更を余儀なくされることになる。このいきさつは次回詳述するが、小規模路線にとって、線路移設を伴う改修費用の捻出は決して容易なことではない。とはいえ、幹線との接続を無視しては経営が成り立たず、最後は決定に従うより方法がなかった。

1897年6月に行われた2度目の移設で、山麓線と登山線は完全に分離された。山麓線はアルト・ゴルダウの新しい駅前広場から、一方、登山線は同駅構内をまたぐ形で設けられた高架ホーム(ホッホペローン Hochperron、下注)から出発するようになった。路線長も変わり、山麓線が3.0km、登山線は8.6kmとなった。

*注 ペローン Perron は玄関前の階段を意味するフランス語から転じて、(一段高くなった)乗り場を意味する。

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最古の電動車BDhe 2/3形 6号機
(c) Rigi Bahnen AG

ARBは、VRBに比べて路線が長く、観光鉄道にしては車窓の魅力が乏しいなど、最初から不利な条件を背負っていた。ゴットハルト鉄道が完成すると、年間利用者数は倍増したが、それでもVRBの実績を上回ることはついになかった。その代わりに、VRBから入る山上区間の賃貸料が、多いときには総収入の3割にも上った。この資金を投じて電化工事が進められ、山麓線は1906年、登山線も1907年に蒸気運転を切り替えた。これはスイスの登山鉄道ではかなり早い事例で、片やVRBが電化されたのは、ようやく1937年のことだ。

*注 ARBの先行例としてゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn のクライネ・シャイデック~アイガーグレッチャー間(いずれも1898年)があるが、これらは最初から電化鉄道として建設されている。

開通から140年、登山線は変わることなく運行されてきたが、山麓線は1959年に惜しくも廃止されてしまった。利用者数が減少し、老朽車両を更新する費用が賄えないことが理由とされた。運行はバスで代行され、廃線跡はすでに遊歩道などへ姿を変えている(下注)。

*注 山麓線のプロフィールについては、次回「リギ山を巡る鉄道 IV-アルト・リギ鉄道山麓線」で詳述する。

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それではARBの電車に乗って、リギ・クルムからアルト・ゴルダウへ降りていこう。リギ・クルムのホームには、VRB とARBの電車が仲良く停まっている。誤乗のないように、真っ赤な車体のVRBに対して、ARBは青色だ。それに、VRBは電動車の前に優雅なスタイルの古典客車が連結されたりするが、ARBのほうは至って飾り気のない電動車の2両編成だ。乗った時間帯によるのかもしれないが、醸し出す雰囲気が違う。乗り込んだARBの車内は空いていた。運転士と車掌はどちらも若い女性だ。

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(左)ARBの青い列車がリギ・クルムに到着 (右)折返し、アルト・ゴルダウ行きに
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(左)電動車の運転台 (右)車内は至って簡素

次のリギ・シュタッフェル Rigi Staffel まで、VRB線が右に並走する。線路脇の一段高いところに登山道が続いていて、見晴らしがいいので多くの人が散策している。シュタッフェル駅のARB線は1962年の改修で、列車交換が可能な島式2線になった。VRBも同じく2線あるが、片側がARBへの渡り線のため、通常の列車交換用ではない。VRBの列車交換は、1874年に完成したフライベルゲン Freibergen ~カルトバート Kaltbad の複線区間で行われる。

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(左)リギ・シュタッフェル駅でVRB線は直進するが、ARB線は右へ
(右)正面の谷をこれから下っていく

シュタッフェルを出るとVRB線と分かれ、線路は緑の谷間をずんずん下っていく。左の車窓には、森の木立を通して谷の向い側の急斜面が広がる。山頂のホテルと電波塔も、長い間見えていた。全線で6駅(または停留所)が設けられているが、うち4か所はリクエストストップのため、必ず停車するのはシュタッフェルのほかに、リギ・クレステルリKlösterliだけだ。ここは1689年に献堂された「雪のマリア巡礼礼拝堂 Wallfahrtskapelle "Maria zum Schnee"」の最寄り駅になっている。

谷はさらに深まり、列車は岩場と森の間を潜り抜けていく。見晴しが開けるのは、行程も終盤になり、2つ目の短いトンネル(ローテンフルートンネル Rothenfluhtunnel)を過ぎてからだ。眼下にゴルダウの町や駅の構内が広がり、遠くにラウエルツ湖も望めるようになる。線路はまもなく山裾に取り付き、牧草地の中を滑走するかのように下降する。高速道A4号線を乗り越えると、まもなく終点アルト・ゴルダウ Arth-Goldau だ。山頂からの所要時間は41~48分(上りは37~39分)。

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(左)下界が見えるようになると、もう終盤 (右)牧草地を滑り降りる

現在、ARBのアルト・ゴルダウ駅では、3度目となる大規模改修が実施されている。高架ホームの老朽化対策として、乗降ホームが山手に移設されるとともに2線化され、旧高架ホームはそこへ通じる歩行者用跨線橋になる予定だ。

筆者が訪れた時も工事中で、列車は駅の手前150mにある仮設の「ゴルダウ Goldau」駅止まりだった(下注)。実は駅名が示すとおり、この付近が街道沿いの旧ゴルダウ村の中心で、すぐ近くに村の教会がそびえている。SBBへ乗継ぐ客は、村の道を300mほど歩き、構内を地下道で横断するという、時ならぬ徒歩連絡を強いられた。この改修工事の完了時期はまだ示されていない。

*注 時刻表では駅名がゴルダウ・アイヒマット Goldau Eichmatt と表示されている。

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(左)ゴルダウ臨時駅 (右)下車客は歩いてSBBの駅へ向かう
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(左)ターミナルの新しいホームが完成間近 (右)車庫用のトラバーサーも改修済
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(左)使用停止になった旧 高架ホーム (右)新ターミナルの図面

本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Arth-Rigi" Prellbock, 2000、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
コピーライトを表示した写真はリギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/Unternehmen/Downloads/Bilder-Filme-Logo から取得した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2014 swisstopo.

■参考サイト
リギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/

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2014年4月23日 (水)

リギ山を巡る鉄道 II-フィッツナウ・リギ鉄道

リギ鉄道の最初の開通区間は、フィッツナウ Vitznau ~リギ・シュタッフェルヘーエ Rigi Staffelhöhe 間だ。終点は山塊のいわば肩に当たる場所で、山頂リギ・クルム Rigi Kulm まではあと約2kmの距離がある。ただ、その間は比較的なだらかな斜面が広がっており、工事に難渋するとは思えない。なぜ一気に延長しなかったのだろうか。

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リギ・クルム駅全景

下の地図をご覧いただきたい。シュタッフェルヘーエ駅の目の前に州境が横たわっている。境界の南側はルツェルン州 Kanton Luzern、北側はシュヴィーツ州 Kanton Schwyz だ。当時、鉄道建設の認可権は、1852年鉄道法により州政府に属していた。リッゲンバッハたちのリギ鉄道(フィッツナウ・リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn、以下VRBという、下注)はルツェルン州の認可を得ただけなので、線路を敷けるのはここまでだったのだ。列車を降りた客は山頂まで、徒歩で行くか、馬を使った。鉄道会社は、認可の条件に馬の用意を義務付けられ、厩舎の建設費も負担した。

*注 1992年の合併まで、VRBの正式社名はリギ鉄道会社 Rigibahn-Gesellschaft だったが、下記ARBと区別するために、1969年に路線名を「フィッツナウ・リギ鉄道」とした。

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もちろん、VRBは延長を目論んで、シュヴィーツ州にも認可を申請していた。しかし、シュヴィーツ州側では、そうさせまいとする動きがあった。なぜなら、このままでは観光客がすべてルツェルン州のほうに吸い取られてしまうからだ。

ツーク湖の南端にあるアルト Arth の町は、それまで北のチューリッヒ方面から来る登山客の足場にもなっていた。町の有力者たちはルツェルン州側の計画に対抗して、1869年11月にリギへ上る独自の登山鉄道(アルト・リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn、以下ARBという)の認可を申請した。そのルートは、アルトからリギ・クルムへの本線とともに、シュタッフェルヘーエからの支線を含んでいた。すなわち、独自路線の建設にとどまらず、VRB線の延長部についても主導権を握ろうとしたのだ。

この申請に応えて、シュヴィーツ州は1870年6月に認可を与えた。まずは、VRBに接続するシュタッフェルヘーエからリギ・クルムまでの山上区間1.9kmが着手されることになった。工事と並行して、2社の合併あるいはVRBへの認可の一括譲渡という案も協議されたが折り合わず、結局、ARBがこの間の線路を建設し、VRBがそれを借りて運行することで合意が成立した。

実際の工事はリッゲンバッハが関わる会社に委託され、1873年6月に完成した。こうして紆余曲折を経ながらも、当初の計画であるフィッツナウ~リギ・クルム間6.9km全線の運行が可能になった(下注)。

*注 VRBの起終点間の正確な線路長は6,858m、高低差は1,317m。ARBのアルト~リギ・クルム間については次回詳述。

その一方でVRBは、ARBに施設の賃借料を支払わねばならず、その額は賃借区間の総収入の75%と法外なものだった。VRB全線の総収入に占める割合で見ても、賃借料は、第二次大戦以前で17~18%、戦後でも10%前後に上り、両鉄道の間で繰り返しもめごとのもとになった。この関係は、1992年に両社が合併してリギ鉄道 Rigi Bahnen になるまで、実に120年近くも続いたのだ。

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リギ山頂遠望
手前がシュタッフェル、奥の送信塔の位置が山頂、並行する線路は左がVRB、右がARB
(c) Rigi Bahnen AG

VRB創始期を担ったラック式蒸気機関車1~6号機は、リッゲンバッハが監督していたスイス中央鉄道 Schweizerische Centralbahn のオルテン工場で製造された(1870~73年)。1871年に創立されたヴィンタートゥールのスイス機関車機械工場 Schweizerische Lokomotiv- und Maschinenfabrik、いわゆるSLM社も、1873年に7~10号機となる4両を納入している。これらは竪型ボイラーを備えていたが、1882~92年に水平型に改造された。非電化時代に在籍した蒸機は、蒸気を含めて延べ17両に達した。しかし1937年に1500V直流で電化されてからは、もっぱらSLM/ブラウン・ボヴェリ社(BBC)製の電車が運行を担うようになった。

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リギ鉄道の保存蒸機
左はSLM社製17号機、右は竪型ボイラーに復元されたH1/2形7号機
(通常はスイス鉄道博物館で展示)
(c) Rigi Bahnen AG

それではVRBの現在(2013年8月)の様子を見てみよう。ルツェルンの駅前にある埠頭から湖岸の町や村をつないでいる連絡船は、観光ルートとしても人気が高い。湖面を渡る快い風を切り、ピラトゥス Pilatus やビュルゲンシュトック Bürgenstock の個性的な山並みを愛でた後、船は方向を変えてリギ山麓に接近する。ルツェルンから約1時間で、フィッツナウ Vitznau に着く。町は背後に山を背負った静かなリゾートで、アールヌーボー風のレタリングを施したメルヘンチックな船着場が、訪問者を迎えてくれる。

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(左)ルツェルン駅前の埠頭を出航 (右)湖を横断して北岸へ
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(左)光降り注ぐフィッツナウの町 (右)レトロな雰囲気の船着場

公共交通機関でリギ山に上るには、今も2通りのルートがある。ルツェルン起点の場合、より速く着けるのはSBB(スイス連邦鉄道)でアルト・ゴルダウ Arth-Goldau まで行き、ARBの登山電車に乗換えるルートで、約70分(乗換時間含まず)。それに対して、船とVRB線を乗継ぐルートは90分(同左)かかり、時間的にはハンディがある。

しかしそれを補うように、船上のみならず登山電車の車窓からも湖の美しいパノラマが開け、景色の点では断然こちらが優れている。事実、年間利用者数でも、開通直後から一貫してVRBのほうが多く、合併前1980~90年代で、ARBの1.5倍の乗客を運んでいた。沿線に保養施設が立地するという有利な点があるとはいえ、利用者はVRBに、速達性以上の価値を認めているという証しだろう。なお、湖上の連絡船、リギ鉄道ともに、スイスパス等の所持者なら追加料金なしに乗ることができる。

フィッツナウに上陸すれば、登山電車の乗場は探すまでもない。港の前の広場を大きな転車台が占拠していて、筆者が訪れた時も、赤い電車が車庫と駅との間で入替え作業の真っ最中だった。湖に面した無骨な造りの車庫は1991年に改築されたもので、2階は駐車場として使われている。山に向いた駅のホームには、山頂行きと途中のカルトバート止まりの2本が、仲良く出発を待っていた。

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(左)広場を占領する転車台 (右)車庫
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(左)フィッツナウ駅 (右)リッゲンバッハ式ラックレール

標準軌の利点で、車内は中央通路をはさんで1列3+2席の5人掛けだ。大柄な現地の人にはちょっと窮屈そうだが、輸送効率は高い。フィッツナウから上る場合、車窓の眺めは進行方向左側に開ける。最急勾配は250‰とかなり険しく、進むにつれ、町裏の森や牧草地を前景に、蒼い鏡になった湖水とそれを限る屏風の山並みが、舞台装置のように立ち上がってくる。

いくらか上ったところで、素掘りのトンネル(シュヴァンデントンネル Schwandentunnel、長さ67m)を抜ける。さらに、曲線を描きながら鉄橋(シュヌーアトーベル橋梁 Schnurtobelbrücke、80m)を渡る。概してなだらかな斜面が続く沿線では珍しく、どちらも沿線唯一の構築物だ。

中間駅リギ・カルトバート=フィルスト Rigi Kaltbad-First までに4か所の停留所が設けられている(下注)が、すべてリクエスト・ストップのため、この列車はロミティ1か所を除いて通過した。フライベルゲンからカルトバートの間は1.9kmの長い複線区間で、走行中に山麓行きの列車とすれ違う。

*注 4か所の停留所は、山麓側から順に、ミットラーシュヴァンデン Mittlerschwanden、グルービスバルム Grubisbalm、フライベルゲン Freibergen、ロミティ・フェルゼントーア Romiti Felsentor。

筆者はカメラ片手にほとんど座る暇もなかったのだが、意外にも車内に同類が見当たらない。乗客の多くは、悠然とおしゃべりしながら過ごしている。車窓もそれと似て、牛たちが線路のすぐそばで悠然と草を食んでいる。斜面にぽつんと建つ牧場小屋の軒先には、牛の首にかけるカウベルが行儀よく並んでいた。

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(左)標準軌の強みで車内は広い (右)急坂をぐいぐい上る
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序盤の車窓は湖水の蒼い鏡に目を奪われる(南方向の眺め)
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同じく西方向の眺め
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(左)走る列車にも動じず悠然と草を食む (右)軒先にカウベルが並ぶ小屋

リギ・カルトバート=フィルストでは、少し長めに停車した(時刻表では2分)。600年の歴史をもつ古くからの保養地だが、再開発が完了し、あまり風景に似つかわしくない大きな保養施設が出現していた。南斜面の登坂は、次のシュタッフェルヘーエ、例の暫定終点だった停留所までだ。この後、線路は、州境でもある鞍部を越えて、西斜面に移る。眼下にキュスナハト Küssnacht 周辺の丘陵地が地平線まで広がっている。すでに山上の眺望だ。

右手からARBの線路がせり上がってきて、まもなくリギ・シュタッフェル Rigi Staffel、稜線上にあるARBとの分岐駅だ。渡り線が設けられているものの、両者は合流することなく、最後の「パレード区間 Parade-Abschnitt」を自前の線路で並走する。南に開けるなだらかな谷間を眺めながら、もう一息上ったところが終点リギ・クルムだ。起点からの乗車時間はちょうど30分(下りは40分)。

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稜線に出ると西側の丘陵地の眺望に変わる
(左)キュスナハト周辺 (右)リギ・シュタッフェル駅
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終点リギ・クルムに到着

天気のいい日だったので、周辺にはたくさんの人が集まっていた。駅から5分ほど草原の山道を上ると、標高1798m、360度のパノラマが開ける山頂に達する。北はツーク湖 Zuger See、東はアルトの町やラウエルツ湖 Lauerzersee、ミーテン山 Mythen、南にはなだらかなリギの山腹とその後方、たなびく雲の上に雪の衣を戴くアルプスの山並みが長く延びている。圧巻の眺望を前にして、山の女王の風格を疑う者はおそらくいないだろう。

次回は、ARB(アルト・リギ鉄道)を紹介する。

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(左)層を成すリギの山稜 (右)歴史あるリギ・クルムホテル
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山頂からアルプスの眺望、ティトリスからユングフラウにかけて

本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Vitznau-Rigi" Prellbock, 2002、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
コピーライトを表示した写真はリギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/Unternehmen/Downloads/Bilder-Filme-Logo から取得した。

■参考サイト
リギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/
スイス政府観光局 リギ山観光パンフレット(日本語版)
http://www.myswiss.jp/smalltrip/luzern/rigi.html

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2014年4月16日 (水)

リギ山を巡る鉄道 I-開通以前

中央スイスの主要都市ルツェルン Luzern から東10数kmのところに、リギ山Rigiがある。標高1798m、平地からの比高で1300m強と、数字の上ではさほど高いとは言えないが、三方を湖に囲まれ、尖った頂きから流れ下る優美な稜線が遠くからもよく見える。早くからアルプスの展望台として親しまれ、「レジーナ・モンティウム(山の女王)Regina montium」と謳われた名山だ。

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ルツェルンのカペル橋とリギ山 (左端が山頂リギ・クルム)
(c) Rigi Bahnen AG

この山はまた、ヨーロッパで最初、世界でも2番目にラック式登山鉄道が敷かれたことでも知られる。まだ周辺に普通鉄道すら到達していなかった時代で、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案した画期的な装置は大変な評判を呼び、その後、アルプスやその周辺の山や丘の上へ、次々と同じような鉄道が建設されていくきっかけを作った。山の女王は、観光開発の面でも先頭を走る存在だった。

こうしてリギ山の鉄道は、世界中から訪れる観光客を、開通から140年以上も山頂へ運び続けているが、その陰で、さまざまな事情によって存続の道を絶たれ、姿を消してしまった路線もある。明暗を分けたものは何だったのか。これから数回にわたって、それらの過去と現在を追ってみたい。初回は、最初の路線が現れるまでの、いわば前史について。

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今でこそ庶民的な日帰り観光で親しまれているリギ山だが、歴史を遡ると、初めに注目されたのは保養地としてだった。南斜面のカルトバート Kaltbad(ドイツ語で冷泉の意)で湧き出している鉱泉が体を癒す力を持つというので、早くも16世紀から療養客を集めていたのだ。18世紀半ばには、ここにガストハウス(食事つきの宿)が開業し、滞在者を迎え入れるようになった。

時代が下り、19世紀に入ると、登山そのものが貴族や富裕層の新たな娯楽に浮上してくる。リギに多くの人が登るようになり、山頂のクルム Kulm では、1816年に山岳ホテルの走りとなるガストハウスが建てられた。1832年にはルツェルンから、南麓に位置するフィーアヴァルトシュテッテ湖の港ヴェッギス Weggis へ汽船が就航した。船を下りた旅行者は、馬の背に揺られるか、あるいは男たちが担ぐ輿に乗って山を目指した(下注)。1860年ごろ、ヴェッギスには30の乗場に約1000頭もの馬が用意され、さらに輿を担ぐ男や案内人が多数、登山客を待っていたという。

*注 輿には肘付き椅子がとりつけられ、客はこれに座って運ばれた。輿を担ぐ男たちをゼッセルトレーガー Sesselträger(椅子担ぎ人の意)と称した。

19世紀後半には、発達著しい鉄道や汽船のネットワークを通じて、外国からの観光客が急増した。トーマス・クックをはじめとする旅行業の勃興で、客層も上流階級から中産階級へと底辺が拡大した。登山鉄道の生みの親であるリッゲンバッハがこの山に狙いを定めたのは、当時ここが国際的に知られた観光地だったからに他ならない。

では、ニクラウス・リッゲンバッハとは、どんな人物だったのだろうか。1817年生まれの彼は、少年時代をバーゼルで過ごした。機械工として働いたが、20歳でパリの夜学に入り、技術課程を学び直した。1830年代というのは、欧州各地で鉄道が本格的に導入され始めた頃で、蒸気機関車は時代の先端を行く乗り物だった。青年期の彼はそれに強い憧れを抱き、ドイツのカールスルーエで機械工場に職を得て、機関車製造に関わる技術を磨いた。

■参考サイト
Wikimedia - ニクラウス・リッゲンバッハの肖像写真
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Niklaus_Riggenbach.jpg

チューリッヒ~バーデン間で開業したスイス北部鉄道 Schweizerische Nordbahn(下注)がこの工場から機関車を購入した縁で、彼はスイスに戻ってくる。経験を買われて、オルテン Olten に建てられたスイス中央鉄道 Schweizerische Centralbahn の工場長に任じられ、機関車と橋梁の製造を指揮した。

*注 スイス北部鉄道は同国内で完結する最初の鉄道で、1847年開業。

中央鉄道はそのときバーゼル~オルテン間で路線を建設していたが、途中に急勾配(26.3‰)のハウエンシュタイン越えと呼ばれる難所があった。彼はその坂道を克服する方法を研究する過程で、地上に設置した梯子形のラック(歯棹)に機関車側のピニオン(歯車)を噛み合わせるというアイデアに行き着いた。試作車を完成させたものの、故国では全く理解されなかったため、パリに転じ、1863年にフランス政府から特許を取得した。

そのころアメリカ合衆国でも、同じような試みを続けている男がいた。ワシントン山コグ鉄道 The Mount Washington Cog Railway のシルヴェスター・マーシュ Sylvester Marsh だ(下注)。彼はリッゲンバッハより一足早く1868年にラック式登山鉄道を実現させた。リッゲンバッハがそれに関心を示さないはずがなく、さっそく部下の一人を現地に派遣して、視察報告書を書かせている。2人の方式はよく似ているのだが、マーシュのラックレールは梯子の桟の断面が円形、リッゲンバッハのそれは台形で、後発となった分、ピニオンとの噛み合せに改良が施されている。

*注 ワシントン山コグ鉄道については、本ブログ「ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内」、マーシュについては同「ワシントン山コグ鉄道 II-創始者マーシュ」で詳述。

スイスでの実用化に向けてリッゲンバッハの背中を押したのは、在米スイス総領事のジョン・ヒッツ John Hitz だった。ワシントン山の鉄道を調査して、大層な評判になっていることを知っていた彼は、オルテンの工場を訪れて、旅行者の多いリギ山での実現を強く薦めた。

事業を興すにあたって、リッゲンバッハは2人の技師、オリヴィエ・チョッケ Olivier Zschokke とフェルディナント・アドルフ・ネフ Ferdinand Adolf Naeff を招き入れた。彼らは、鉄道建設の経験とともに有力政治家とのつながりを持っていた。働きかけが功を奏して、1869年6月9日にはルツェルン州政府から認可が下りた。

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リギ山周辺の地形図(原図1:200 000)にリギ鉄道と航路を加筆
(c) 2014 swisstopo

路線は、フィッツナウ Vitznau からリギ・シュタッフェルヘーエ Rigi Staffelhöhe までの5.0kmだ。起点のフィッツナウは、上述のヴェッギスと同じフィーアヴァルトシュテッテ湖に面する村で、ルツェルンとの間は汽船が連絡する。それまでリギの登山口は、主としてヴェッギスや西麓のキュスナハト Küssnacht だった。フィッツナウの場合、それより距離が延びる代わりに、勾配が緩和でき、何より既存の登山口を拠点とする運搬業者と直接競合しない。

建設は9月に開始された。人々の関心は高く、資金調達のための株式募集は、わずか一日で発行予定数を上回った。契約では8か月後の完工が求められていたが、冬場は作業員不足に見舞われ、普仏戦争が勃発するとロレーヌにある工場からのレールの輸入が止まってしまい、計画のとおりには進まなかった。結局、開通式は目標より1年遅れた。

1871年5月21日、この日はリッゲンバッハの54歳の誕生日でもあった。フィッツナウ港の前に設けられた駅に、客車を前に付けた1号機関車「ルツェルン」号が待機していた。着飾った来賓たちの乗車が完了すると、機関車は汽笛一声、山上の式典会場へ向けて山腹をゆっくりと上っていった。ヨーロッパ初の登山鉄道はこうして産声をあげたのだ。

ところで、最初の開通区間はなぜ山頂ではなく、手前のリギ・シュタッフェルヘーエだったのか。続きは次回に。

■参考サイト
Wikimedia - 開通式数日前のフィッツナウ駅(写真)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:20cf071212.jpg

*注 ちなみにリッゲンバッハの前にもリギ山に上る装置を考案した人物がいた。建築家フリードリヒ•アルブレヒトが1859年に発表した気球鉄道 Ballon-Bahn だ。走路上の旅客用ゴンドラをヘリウム気球で山へ引上げるというもので、もちろん机上の計画に終わった(Wikimedia - 気球鉄道の図 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Die_Gartenlaube_(1859)_181.jpg)。 

本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Vitznau-Rigi" Prellbock, 2002、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
コピーライトを表示した写真はリギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/Unternehmen/Downloads/Bilder-Filme-Logo から取得した。

■参考サイト
リギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/

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 ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内
 ワシントン山コグ鉄道 II-創始者マーシュ

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