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2014年4月16日 (水)

リギ山を巡る鉄道 I-開通以前

中央スイスの主要都市ルツェルン Luzern から東10数kmのところに、リギ山 Rigi がある。標高1798m、平地からの比高で1300m強と、数字の上ではさほど高いとは言えないが、三方を湖に囲まれ、尖った頂きから流れ下る優美な稜線が遠くからもよく見える。早くからアルプスの展望台として親しまれ、「レジーナ・モンティウム(山の女王)Regina montium」と謳われた名山だ。

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ルツェルンのカペル橋とリギ山 (左端が山頂リギ・クルム)
(c) Rigi Bahnen AG

この山はまた、ヨーロッパで最初、世界でも2番目にラック式登山鉄道が敷かれたことでも知られる。まだ周辺に普通鉄道すら到達していなかった時代で、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案した画期的な装置は大変な評判を呼び、その後、アルプスやその周辺の山や丘の上へ、次々と同じような鉄道が建設されていくきっかけを作った。山の女王は、観光開発の面でも先頭を走る存在だった。

こうしてリギ山の鉄道は、世界中から訪れる観光客を、開通から140年以上も山頂へ運び続けているが、その陰で、さまざまな事情によって存続の道を絶たれ、姿を消してしまった路線もある。明暗を分けたものは何だったのか。これから数回にわたって、それらの過去と現在を追ってみたい。初回は、最初の路線が現れるまでの、いわば前史について。

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今でこそ庶民的な日帰り観光で親しまれているリギ山だが、歴史を遡ると、初めに注目されたのは保養地としてだった。南斜面のカルトバート Kaltbad(ドイツ語で冷泉の意)で湧き出している鉱泉が体を癒す力を持つというので、早くも16世紀から療養客を集めていたのだ。18世紀半ばには、ここにガストハウス(食事つきの宿)が開業し、滞在者を迎え入れるようになった。

時代が下り、19世紀に入ると、登山そのものが貴族や富裕層の新たな娯楽に浮上してくる。リギに多くの人が登るようになり、山頂のクルム Kulm では、1816年に山岳ホテルの走りとなるガストハウスが建てられた。1832年にはルツェルンから、南麓に位置するフィーアヴァルトシュテッテ湖の港ヴェッギス Weggis へ汽船が就航した。船を下りた旅行者は、馬の背に揺られるか、あるいは男たちが担ぐ輿に乗って山を目指した(下注)。1860年ごろ、ヴェッギスには30の乗場に約1000頭もの馬が用意され、さらに輿を担ぐ男や案内人が多数、登山客を待っていたという。

*注 輿には肘付き椅子がとりつけられ、客はこれに座って運ばれた。輿を担ぐ男たちをゼッセルトレーガー Sesselträger(椅子担ぎ人の意)と称した。

19世紀後半には、発達著しい鉄道や汽船のネットワークを通じて、外国からの観光客が急増した。トーマス・クックをはじめとする旅行業の勃興で、客層も上流階級から中産階級へと底辺が拡大した。登山鉄道の生みの親であるリッゲンバッハがこの山に狙いを定めたのは、当時ここが国際的に知られた観光地だったからに他ならない。

では、ニクラウス・リッゲンバッハとは、どんな人物だったのだろうか。1817年生まれの彼は、少年時代をバーゼルで過ごした。機械工として働いたが、20歳でパリの夜学に入り、技術課程を学び直した。1830年代というのは、欧州各地で鉄道が本格的に導入され始めた頃で、蒸気機関車は時代の先端を行く乗り物だった。青年期の彼はそれに強い憧れを抱き、ドイツのカールスルーエで機械工場に職を得て、機関車製造に関わる技術を磨いた。

■参考サイト
Wikimedia - ニクラウス・リッゲンバッハの肖像写真
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Niklaus_Riggenbach.jpg

チューリッヒ~バーデン間で開業したスイス北部鉄道 Schweizerische Nordbahn(下注)がこの工場から機関車を購入した縁で、彼はスイスに戻ってくる。経験を買われて、オルテン Olten に建てられたスイス中央鉄道 Schweizerische Centralbahn の工場長に任じられ、機関車と橋梁の製造を指揮した。

*注 スイス北部鉄道は同国内で完結する最初の鉄道で、1847年開業。

中央鉄道はそのときバーゼル~オルテン間で路線を建設していたが、途中に急勾配(26.3‰)のハウエンシュタイン越えと呼ばれる難所があった。彼はその坂道を克服する方法を研究する過程で、地上に設置した梯子形のラック(歯棹)に機関車側のピニオン(歯車)を噛み合わせるというアイデアに行き着いた。試作車を完成させたものの、故国では全く理解されなかったため、パリに転じ、1863年にフランス政府から特許を取得した。

そのころアメリカ合衆国でも、同じような試みを続けている男がいた。ワシントン山コグ鉄道 The Mount Washington Cog Railway のシルヴェスター・マーシュ Sylvester Marsh だ(下注)。彼はリッゲンバッハより一足早く1868年にラック式登山鉄道を実現させた。リッゲンバッハがそれに関心を示さないはずがなく、さっそく部下の一人を現地に派遣して、視察報告書を書かせている。2人の方式はよく似ているのだが、マーシュのラックレールは梯子の桟の断面が円形、リッゲンバッハのそれは台形で、後発となった分、ピニオンとの噛み合せに改良が施されている。

*注 ワシントン山コグ鉄道については、本ブログ「ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内」、マーシュについては同「ワシントン山コグ鉄道 II-創始者マーシュ」で詳述。

スイスでの実用化に向けてリッゲンバッハの背中を押したのは、在米スイス総領事のジョン・ヒッツ John Hitz だった。ワシントン山の鉄道を調査して、大層な評判になっていることを知っていた彼は、オルテンの工場を訪れて、旅行者の多いリギ山での実現を強く薦めた。

事業を興すにあたって、リッゲンバッハは2人の技師、オリヴィエ・チョッケ Olivier Zschokke とフェルディナント・アドルフ・ネフ Ferdinand Adolf Naeff を招き入れた。彼らは、鉄道建設の経験とともに有力政治家とのつながりを持っていた。働きかけが功を奏して、1869年6月9日にはルツェルン州政府から認可が下りた。

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リギ山周辺の地形図(原図1:200 000)にリギ鉄道と航路を加筆
(c) 2014 swisstopo

路線は、フィッツナウ Vitznau からリギ・シュタッフェルヘーエ Rigi Staffelhöhe までの5.0kmだ。起点のフィッツナウは、上述のヴェッギスと同じフィーアヴァルトシュテッテ湖に面する村で、ルツェルンとの間は汽船が連絡する。それまでリギの登山口は、主としてヴェッギスや西麓のキュスナハト Küssnacht だった。フィッツナウの場合、それより距離が延びる代わりに、勾配が緩和でき、何より既存の登山口を拠点とする運搬業者と直接競合しない。

建設は9月に開始された。人々の関心は高く、資金調達のための株式募集は、わずか一日で発行予定数を上回った。契約では8か月後の完工が求められていたが、冬場は作業員不足に見舞われ、普仏戦争が勃発するとロレーヌにある工場からのレールの輸入が止まってしまい、計画のとおりには進まなかった。結局、開通式は目標より1年遅れた。

1871年5月21日、この日はリッゲンバッハの54歳の誕生日でもあった。フィッツナウ港の前に設けられた駅に、客車を前に付けた1号機関車「ルツェルン」号が待機していた。着飾った来賓たちの乗車が完了すると、機関車は汽笛一声、山上の式典会場へ向けて山腹をゆっくりと上っていった。ヨーロッパ初の登山鉄道はこうして産声をあげたのだ。

ところで、最初の開通区間はなぜ山頂ではなく、手前のリギ・シュタッフェルヘーエだったのか。続きは次回に。

■参考サイト
Wikimedia - 開通式数日前のフィッツナウ駅(写真)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:20cf071212.jpg

*注 ちなみにリッゲンバッハの前にもリギ山に上る装置を考案した人物がいた。建築家フリードリヒ•アルブレヒトが1859年に発表した気球鉄道 Ballon-Bahn だ。走路上の旅客用ゴンドラをヘリウム気球で山へ引上げるというもので、もちろん机上の計画に終わった(Wikimedia - 気球鉄道の図 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Die_Gartenlaube_(1859)_181.jpg)。 

本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Vitznau-Rigi" Prellbock, 2002、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
コピーライトを表示した写真はリギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/Unternehmen/Downloads/Bilder-Filme-Logo から取得した。

■参考サイト
リギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/

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 ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内
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