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2014年3月31日 (月)

フルカ山岳蒸気鉄道 III-ルートを追って

アルプスの十字路といわれるアンデルマット Andermatt に宿を取るなら、目指す保存鉄道はすぐ近くだ。朝食をゆっくり楽しんでから、MGB線(下注)9時37分発のフィスプ行き電車に乗っても、午前の便に間に合う。昨年(2013年)8月に現地を訪れたので、そのときのメモと写真をもとに、フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke(以下、DFB)のルートを追ってみよう。

*注 MGBは、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn の略称。ブリーク=フィスプ=ツェルマット鉄道 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) とフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-Bahn (FO) が2003年に合併して誕生した。

アンデルマットから西へ2駅、レアルプ Realp には9時50分に着いた。DFBの乗場までは少し距離がある。駅から左側の道に出て上流方向へ歩き、跨線橋を渡るのが早い。DFBのレアルプ駅は2面3線で、1番線に面して小ぢんまりした駅舎と、赤い客車を再利用したささやかなカフェがある。

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(左)DFBレアルプ駅 (右)発車案内、本日2便(右が筆者たちの乗る列車)

列車は要予約なので、旅行前に公式サイトの予約画面で済ませておいた(下注)。結構人気があるから、早めの行動がお薦めだ。ただ、残念ながら英語表記は不完全で、ドイツ語とのおつきあいを覚悟しなくてはならない。また、サイトには決済機能がついていない。送られてくる予約確認メールをプリントしておき、駅の出札窓口で提示して、切符を買うしくみだ。もちろんクレジットカードも使える。スイスパスなどの併用割引はないが、同伴する16歳までの子は1家族4人まで無料になる。

*注 予約は、公式サイト https://www.dfb.ch/ 左メニューのDampfbahn(蒸気鉄道) > Reservation

2013年の運行日は6月22日から10月6日まで。レアルプ発は1日2便で、このうち10時15分発は毎日、14時15分発は土・日曜のみの運行だ。また前者は、オーバーヴァルト Oberwald までこの列車に乗り通すコースと、グレッチュ Gletsch で休憩して次の区間列車(ただしディーゼル機関車が牽引)で残りの旅を続けるコースのいずれかを選ぶことができる。オーバーヴァルト側からは、グレッチュまでの区間運行を含めて1日4便が設定されている(下注)。

*注 2014年のダイヤではさらに増便が図られ、最繁忙期のレアルプ~オーバーヴァルト間は3往復になった。

発車5分前にようやく山手から1号機関車「フルカホルン Furkahorn」号が回送されてきて、ホームで待つ客車に連結された。ボディーは目の覚めるような青に塗られ、DFB 1と書かれた金色のプレートが誇らしげだ。何しろ、このHG 3/4形は、路線のルーツであるブリーク~グレッチュ間の部分開通に際して送り込まれ、FOの非電化時代を支え続けた由緒ある蒸機なのだ。

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(左)機関車の連結作業 (右)ホームは大賑わい

運転台側のプレートには、その来歴が刻まれている。1913年にブリーク=フルカ=ディゼンティス鉄道 Brig-Furka-Disentis Bahn(BFD、下注)に納入、1925年フルカ・オーバーアルプ鉄道が継承、1947年ベトナム(クロンパ~ダラット)へ売却、1993年フルカ山岳線に帰還。事実のみがさらっと記されているが、その波乱に富んだいきさつは、前回と前々回の記事を読まれた方ならご承知のとおりだ。

*注 保存鉄道の略称 DFB が、ブリーク=フルカ=ディゼンティス鉄道 BFD の逆綴りになっているのは偶然ではなく、相応の思いを込めた命名であるに違いない。

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(左)上のプレートは機関車改修に協賛した企業名、下は機関車の通称と来歴
(右)DFB 1号機、SLM社1913年製、アプト式

大賑わいのホームからレトロな客車に乗り込むと、座席は向い合せの4人掛けベンチで、背もたれには予約者の名が記されたシールが貼ってあった。予約サイトはもとより出札窓口でさえ座席指定の案内はなかったので、乗車人数だけ確定させて席は自由だろうと思っていたが、そうではなかった。指定されていたのは幸運なことに右側席。ローヌ氷河(後述するように実際は痕跡)は右の車窓に見える。ホームで機関車を見物していた人たちがそれぞれ自席に引き上げたころ、汽笛一声、列車はレアルプ駅のホームをゆっくりと離れた。

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(左)機関室 (右)出発前のスタッフたち
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(左)出発の時刻が迫る (右)車内はほぼ満席

DFBは、全線17.8kmのルートだ。起点レアルプ(標高1546m)から、最急勾配110‰の険しい坂道をアプト式ラックレールで上り、最高所の駅フルカ Furka(標高2163m)に達する。大陸分水嶺のフルカ峠を長さ1874mのトンネルで越え、今度は110‰の下り坂で往年の氷河観光スポット、グレッチュ(標高1762m)へ。さらにローヌ源流に沿って、終点オーバーヴァルト(標高1366m)に至る。

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DFB路線図 (c) DFB/Moser

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DFB周辺図(レアルプ~フルカ峠トンネル)
スイス官製1:50,000地形図ズステン峠 Sustenpass 図葉およびヌーフェネン峠 Nufenenpass の一部を使用。追記した駅の標高は、地形図記載の数値を採用した。そのため、上記路線図の記載値とは若干差異がある。

列車は、フルカ基底トンネルに突っ込むMGB線を左に見送った後、フルカ峠に通じる谷間を延々と上っていく。窓を開けると、石炭の燃えかすが容赦なく飛び込んでくるが、すぐに慣れてしまった。プレートガーダー(鋼桁)のヴィーラー橋梁 Wilerbrücke で、白濁した流れのフルカロイス川 Furkareuss を渡る。もとは5連の石造アーチ橋だったが、FO時代の1955年に、洪水で橋脚が倒壊したため、架け替えられた。このあたり、斜面の侵食が激しく、河原には大きな石がごろごろ転がっている。短いながらトンネルが3か所続くので、客は窓の上げ下ろしに忙しい。

長さ36mのシュテッフェンバッハ鉄橋 Steffenbachbrücke を渡る。まだ開通する前の1916年に、谷の上流から押し寄せた雪崩で流されてしまい、結果的に全通を10年も遅らせたという因縁の橋だ。以来、再度の被害を避けるために折畳み式の構造に替えられ、シーズンオフになると両岸に格納されてしまう。列車がくぐる鉄骨のやぐらは、作業用の滑車を吊るすためのものだ。

谷が広まり、ラック区間が途切れたところで停車。1992年にDFBが初めて定期運行を始めたときの終点ティーフェンバッハ Tiefenbach だが、今は側線に倉庫代わりの客車が1両ぽつんと置いてある。機関車に水の補給が始まった。勝手知った乗客がさっそく降りて、写真を撮っている。対岸では牛たちがのどかに草を食んでいた。もうだいぶ乗ったような気がしたが、まだ峠へのアプローチの半分しか来ていない。

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(左)谷川沿いに遡る (右)折畳み式のシュテッフェンバッハ鉄橋
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(左)ティーフェンバッハ駅 (右)最初の給水

10時35分発車。少し行くと、初めてFOらしい石造のアーチ橋(シュタインシュターフェル橋梁 Steinstafelviadukt)を渡った。谷は左側に移り、青草に覆われたのびやかな谷間を見下ろしながら走る。客室を出て左側に車掌室らしい誰も来ない一角を発見したので、しばらくそこから外を眺めていた。110‰の勾配は見るからに急で、登山鉄道と言われてもおかしくない。そのうち車掌氏がやってきて、次の駅で20分停車するので食事やトイレを済ませるように、と案内してくれた。

行く手に、峠のトンネルの入口が見えてきた。その手前にフルカ駅がある。標高2160mは、旧FO線の中でも最も高所にある駅だ。ここは7年間DFBの終点だったので、側線や転車台も残っている。時刻は11時ちょうど、駅の広場にはテントが張られ、テーブルと椅子が用意され、お腹を空かせた乗客を迎える準備が万端整っていた。列車が停まると、たちまち店の前には長い行列ができた。

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(左)石積みのシュタインシュターフェル橋梁 (右)フルカ峠が近づく
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(左)フルカ駅 (右)テーブルと椅子が客を待っている

11時 20分、再び動き出した列車は、すぐに長いトンネルに吸い込まれていく。大陸分水嶺を貫くトンネル(下注)は長さが1874mあり、闇から抜け出るのに10分近くかかった。排水のために東口から600mの間は2.5‰のわずかな上り勾配だが、残りは25~35‰で下っているので、煙に苦しめられることはなかった。

*注 峠の東側は北海に注ぐライン川 Rhein 水系、西側は地中海に注ぐローヌ川 Rhône 水系に属する。

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(左)フルカ駅舎は耐雪仕様 (右)フルカトンネルに突入
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(左)トンネル西口のムットバッハ・ベルヴェデール駅に停車 (右)列車交換があった

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DFB周辺図(フルカ峠トンネル~オーバーヴァルト)
スイス官製1:50,000地形図ズステン峠 Sustenpass 図葉およびヌーフェネン峠 Nufenenpass の一部を使用

出口にあるムットバッハ・ベルヴェデール Muttbach-Belvédère 駅では、短い停車の間にオーバーヴァルト Oberwald から上ってきた列車と交換した。ここから再び110‰の、今度は下り勾配が始まる。グレッチュの谷底を目指して、列車は足元を確かめるようにゆっくりと降りていく。途中に、フルカ峠道路と交差する踏切がある。鉄道休止中に道路が直線状に改修されたため、復活に際して交差部で勾配を緩和するようにルート変更を行った個所だ。

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(左)フルカ峠道路と平面交差 (右)もとは線路のほうが直線だったのだが…

車窓右手は典型的なU字谷で、古い絵葉書を見ると、ローヌ氷河が斜面を覆い尽くし、谷底にまで届いている(下記参考サイト)。これを沿線一番の名物にして、氷河急行 Glacier Express が運行されたのも当然と思わせる(下注)。しかし現在では、氷河がすっかり後退してしまい、乾いた岩場を早瀬が勢いよく滑り落ちているのが見えるだけだ。

*注 前々回に記したように、氷河急行は1930年、ブリーク~フィスプ間のメーターゲージ線開通を機に、ツェルマット~サン・モリッツ間で運行を開始した。1942年の電化まで、このHG 3/4形蒸機が牽引していた。

■参考サイト
Wikimedia - グレッチュから見た1900年ごろのローヌ氷河
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gletch_und_Rhonegletscher_um_1900.jpeg

草地に覆われていた東斜面とは違って、線路が張り付くU字谷の壁は、灌木が群生している。平たい谷底には針葉樹も見られる。西風が当たるこちらのほうが湿潤なのだ。雄大な山岳風景を楽しんでいるうちに、グレッチュGletschが近づいてきた。11時55分に到着。

グレッチュとは氷河を意味し、名の通り、迫力ある氷河が真正面に見える場所だった。1857年開業で最近再興されたローヌ氷河ホテル Hôtel Glacier du Rhône や、その別館だったブラウハウス Blauhaus(青い家の意)の建物が残され、人気の観光地だった昔をしのばせる。10年間西の終点として機能していた駅構内は、本線3本のほか、レアルプ方に転車台、オーバーヴァルト方に車庫と、設備が充実している。グレッチュで休憩するコースの参加者はここで途中下車することになる。

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(左)平たい谷の出口(写真奥)がグレッチュ (右)後退したローヌ氷河の跡
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(左)グレッチュ駅に到着 (右)グレッチュ休憩組の乗降がある

■参考サイト
Wikimedia - グレッチュからローヌ氷河方向の展望
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hotelsiedlung_Seiler_Glacier_du_Rhône_Gletsch.jpg

一方、終点まで直行する私たちを乗せた列車は、5分の停車中に給水を済ませ、間もなく動き出した。道路と交差したあと、スパイラルトンネルに潜っていく。ラック区間は下りの方がスピードを落として走るせいか、長さ548mの暗闇はけっこう長く感じた。

トンネルを抜けるとすぐにローヌ源流を渡って、線路は谷の右側に移る。白いしぶきを上げる川の周囲は、一転ピンク色の高山植物(エスパールゼッテ Esparsette?)の花畑に変わり、乗客は思わず歓声を上げた。森の中を縫うように下っていくと、木々の間から基底トンネルの西口が遠望できる。

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(左)最後の給水 (右)グレッチュを後に
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(左)スパイラルトンネルへ (右)線路沿いは高原の花畑

やがて行く手に広がる谷中の平地に、終点オーバーヴァルト駅の構内が見えてきた。旧線はまっすぐMGBの現在駅へつながっていたはずだが、DFBの線路は少し左にずれて、MGBの裏手に施設を設けている。12時25分、定刻に保存蒸機列車はホームに滑り込み、100年前のアルプス旅行を再現する旅は無事終わった。

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(左)基底トンネル西口を遠望 (右)終点が見えてきた
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(左)オーバーヴァルト到着 (右)帰路の準備完了

本稿は、"Reiseabenteuer am Rhonegletscher - Dampfbahn Furka-Bergstrecke" Eisenbahn Kurier Themen 45、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
フルカ山岳蒸気鉄道(公式サイト) http://www.dfb.ch/

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