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2013年12月30日 (月)

スイスの地形図略史 III-ランデスカルテ

ヘルマン・ジークフリート Hermann Siegfried が推進した地形図整備事業によって、スイスは今もある1:25,000~1:1,000,000という汎用的な地形図体系を確立することができた。しかし、ジークフリート図 Siegfriedkarte が製作途上だった19世紀の終わりごろ、すでに全体計画の不備が指摘されていたという。すなわち、1:25,000は主に平地、1:50,000はアルプス地域に限定して作られたため、全土を同一縮尺で見ることができない。それを補完すべき1:100,000デュフール図 Dufourkarte は、一部古い資料に基づいており、地勢表現は、もはや前時代的なケバ式だ。

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1:50,000ランデスカルテ ヴィルトシュトルーベル Wildstrubel 1938年
(ランデスカルテ最初の刊行図)

20世紀に入ると、さらに新たな問題が浮上した。CH1903と呼ばれる新測地系に基づく国土測量計画が開始されたのだ(1903~27年)。水準原点「ニトンの標石 Repère Pierre du Niton、略称RPN」も373.6mと定義し直された(1903年)ことで、旧基準に基づき製作されてきたデュフール図やジークフリート図との不整合が表面化した。

1912年には、連邦の民法典 Zivilgesetzbuch (ZGB) で包括的な地籍測量に関する基準が定められ、各州の基本測量(縮尺1:5,000または1:10,000)に連邦政府が関与する根拠が確立する。並行して地図表現の面でも改良のための作業が繰り返された。1908年に1:100,000図、1910年には1:50,000図などの試作が開始されている。ただこれらの多くは、軍用で非公開とされた。

地形図改革が本格的に始動するのは、1927年になってからだ。この年、チューリッヒ工科大学 ETH Zürich のエドゥアルト・イムホーフ Eduard Imhof を迎えて、地形図体系の刷新に向け集中的な議論が始まった。イムホーフはこのときまだ32歳の新進学者だったが、ぼかし(陰影)による地勢表現法を改良し、官製地形図や学校用地図帳に応用して、後に斯界の権威として知られるようになる。

イムホーフが18世紀の欧州戦争をもじって「七年地図戦争」と呼んだ期間を経て、1935年6月21日に議会で、新たな全国地形図の製作に関する法律が承認された。新地形図は、ドイツ語で国の地図あるいは国土地図を意味するランデスカルテ Landeskarte(仏語名カルト・ナシオナル Carte nationale、伊語名カルタ・ナツィオナーレ Carta nazionale、英語名ナショナル・マップ National Map)と命名され、現在もこの語が用いられている。

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各縮尺の図郭の関係
40 Le Léman=1:100,000
260 St.-Cergue=1:50,000
1240 Les Rousses=1:25,000

翌年、整備のための実行計画が発表された。それは、大小6種の縮尺図でそれぞれ全国をカバーすることにより、旧来のデュフール図とジークフリート図を完全に置換えるというものだった。このうち、1:25,000 (LK25)、1:50,000 (LK50)、1:100,000 (LK100) は土地の状況を詳細に描く「地形図 topografischer Landeskarte」、1:200,000 (LK200)、1:500,000 (LK500)、1:1,000,000 (LK1000) は土地の概観を表現する「地勢図 geografischer Landeskarte」と区分された。

図郭は、デュフール以来の基準が踏襲された。1:100,000は東西70×南北48kmの面積を表し、23面で全土をカバーする。デュフール図のときは5×5=25面あったが、索引図でいうと、左上隅と右下隅の各1面はスイス領が全く含まれていないために省かれた。また、右上隅(図番28bis)は他国領が大半のため、西半分だけを描いた半裁図となった。

1:50,000は、1:100,000の1面を2×2=4等分した図郭(下注)、1:25,000はそれをさらに2×2=4等分(1:100,000からすれば4×4=16等分)した図郭となる(上図参照)。したがって用紙は1:100,000と同じ寸法だ。小判のジークフリート図の4面分に当たる。

*注 ただし1938年から1953年まで1:50,000は、所定の図郭を東西2面に分割する形で製作され(図名に-O、-Wをつけて区別し、これが通常図葉 Normalblatt の扱い)、戦後の市販図は東西を接合して1面にしていた(集成図 Zusammensetzung という)。国境を含む図郭では、他国領の部分の製作が後回しにされた結果、戦後もしばらくこの半裁図 Halbblatt が残っていた。

だた、この整備計画は少々いびつな形での実行を余儀なくされた。それは、この頃欧州が政治的緊張の度を深めていたことと大いに関係している。隣国ドイツでは、ヒトラー率いるナチス党が政権に就き、ヴェルサイユ条約の破棄による再軍備を宣言していた。情勢を憂慮したスイス連邦政府は、地形図体系のうち1:50,000の整備を急ぐこととし、中でもアルプス地域 Alpenraum の製作を最優先に置いた。

なぜなら、アルプスは1880年代初めに作成された防衛計画「レデュイ Réduit(フランス語で要塞、砦の意)」ですでに、外国からの侵攻に対する最後の防衛線とされていたからだ。北の平野部を奪われたときは、南へ退却して、険しい山岳地帯で持久戦に持ち込む戦術だった。実際、第二次世界大戦中、フランスがドイツに降伏した1940年6月に、スイスは枢軸国に完全に包囲されてしまうが、将軍アンリ・ギザン Henri Guisan は、スイス建国の地リュトリ Rütli に部隊長全員を集めて、レデュイ作戦による徹底抗戦を訴えた。

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世代間の表現比較
(上)ジークフリート図 1922年 (中)ランデスカルテ 1938年 (下)ランデスカルテ 2010年 いずれもヴィルトシュトルーベル図葉

作戦には、山域の詳細な地図が必要となる。地上写真測量から1:10,000要塞図 Festungskarte が作成され、これをもとに1:50,000図が編集された。地形測量局(下注)設立100周年だった1938年に、1:50,000ランデスカルテ最初の図葉(冒頭の地図および右図参照)が刊行されているが、翌39年には第二次大戦の開戦に伴い、地形図の市販は停止されてしまった。

*注 デュフール以来の連邦地形局 Eidgenössische Topographische Bureauは、1908年にAbteilung für Landestopographie(Abteilungは部局の意)に改称されたが、長い間 Eidgenössische Landestopographie の通称が定着しており、1968年にこれが正式名称となった。本稿ではこれを連邦地形測量局と記している。現名称の、連邦地形測量所 Bundesamt für Landestopographie に改められたのは1979年だ。ちなみにeidgenössische(アイトゲネシッシェと読む)はスイス草創期の盟約者団 Eidgenossenschaft に由来し、「スイス連邦の」と同義。

1945年に戦争が終結すると、地図の販売も再開された。このころ、スイスの地形図の整備状況は、1:100,000がケバ式のデュフール図(2~4色刷)、1:50,000は3色刷のジークフリート図とランデスカルテが混在、1:25,000はまだジークフリート図が健在だった(下注)。

*注 ジークフリート図の改訂は1949年まで行われ、印刷は1952年まで続けられた。

戦後は空中写真の全面活用により測量作業のスピードアップが図られ、残る旧図を置換える作業も1950年代に急ピッチで進む。1952年に1:25,000のランデスカルテが初めて現れた。1954年には1:100,000や、図郭を拡大した1:50,000集成図(図番5001ゴットハルトGotthard)の刊行が始まった。1:200,000以下の小縮尺図についても、少し遅れて1960年代から製作が進められた。

同時に、図式や整飾(図郭外の記載事項)の見直しも行われている。地勢を表すぼかし(陰影)はそれまで茶色1色の濃淡だったが、1952年から2色法に切替えられた。ハイライト(光が当たる部分)に明るい黄色を加えることで、シャドーの色を薄くでき、等高線や地物を見易くする効果がある(下図参照)。1:25,000では、岩山の表現に100mの等高線が加えられた。また、図郭の左側に印刷されていた凡例(記号一覧)が省かれ、別刷りに切替えられた。地図の折寸が今に続く13×19cmになったのもこの頃からだ。

地図の新作と並行して、既刊図についても、経年変化を反映した改訂が逐次行われた。1936年の実行計画では、地籍測量の最新状況を考慮するとされていたが、忠実な実行は人的、資金的に困難なため、改訂周期を6年とすることが1968年に決められている。

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ぼかし(陰影)の改良
(左)初期は1色の濃淡で表現 1950年 (右)ハイライトに黄色を置く 2010年
いずれもロシェ・ド・ネー Rochers de Naye 図葉

ランデスカルテの面数、初版刊行の初年と終年等を、連邦地形測量所スイストポのサイトの記述に従い、下表にまとめた。ランデスカルテは1970年代に、全土を1面でカバーする1:500,000までひととおり製作を完了していたが、厳密な意味では、1993~94年の1:1,000,000刊行(下注)をもって、1935年の連邦法が予定したすべての縮尺が揃ったのだった。

*注 行政界を描いた暫定版が1993年、ぼかし(陰影)に入った最終版が1994年の刊行。

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ランデスカルテの縮尺別データ

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Cartography of Switzerland, National Redoubt (Switzerland))および特集「スイスの地図」『月刊地図中心』2010年8月号を参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2013 swisstopo.

■参考サイト
スイストポ 公式サイト http://www.swisstopo.admin.ch/
同 現行のランデスカルテに関する記述(英語版)
http://www.swisstopo.admin.ch/internet/swisstopo/en/home/products/maps/national.html
Virtual Library Eduard Imhof
(独語版)http://www.library.ethz.ch/exhibit/imhof/
(英語版)http://www.library.ethz.ch/exhibit/imhof/index_e.html

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2013年12月15日 (日)

スイスの地形図略史 II-ジークフリート図

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1:25,000ジークフリート図
ゼンティス Säntis 1887年

ギヨーム=アンリ・デュフール Guillaume-Henri Dufour が指揮する地形図の全国カバーが完了しないうちから、もっと詳しい地形図の刊行を求める声が高まっていた。地質調査や鉄道の構想・設計、あるいは登山を試みる人たちにとって、デュフール図の縮尺1:100,000はいかにも粗すぎたのだ。前回述べたとおりデュフール図は編集図であり、もととなる手描きの測量原図は1:25,000または1:50,000の縮尺で作成されている(前回の記事参照)。この「初期測量 Originalaufnahme」本来の縮尺で作られる地図を彼らは望んだ。

1863年に設立されたスイスアルペンクラブ Schweizer Alpen-Club (SAC) では、さっそく初期測量の成果を使って自前で登山地図 Exkursionskarte(図での表記は Excursions-Karte)の製作を開始している。デュフール図が完成する1年前のことだ。第1弾は主峰テーディ Tödi を含むグラールスアルプス Glarner Alpen を描いた地図で、以後も年報の付録として会員に頒布された。

地勢表現はデュフール図に倣っている。原図の等高線から精妙なケバを描き出すとともに、氷河や万年雪に覆われたエリアは、等高線にぼかしを重ねて立体感を強調した。岩山の彫塑的表現も原図を生かしている。下記サイトで、同じシリーズの地図(翌1864~65年の年報付録)が公開されているので参照されたい。

■参考サイト
スイスアルペンクラブ登山地図1864~65年版の画像
http://www.zumbo.ch/maps/navigate/navigate.php?map_nr=223
ローヌ氷河 Rhonegletscher を含めて、イネルトキルヘン Innertkirchen、ヴァッセン Wassen、アンデルマット Andermatt、グリムゼル峠 Grimselpass に囲まれた地域を描いている。

SACは一方で、政府に対してもこうした初期測量の成果刊行について働きかけを続けた。しかし、初期地形測量の継続と刊行に関する連邦法が議会で承認され、実現への道が開けたのは1868年になってからだった。このとき、功労者デュフールはすでに引退し、後任として1865年にヘルマン・ジークフリート Hermann Siegfried が地形局長に就任していた。地形局も同年ジュネーヴからベルンに移転し、連邦参謀局 Eidgenössische Stabsbureau の傘下に入っていた。

ジークフリートは、1852~65年に作成されたチューリッヒ州の等高線式初期測量図(下記参考サイト参照)をもとに、新たな地形図を設計した。かつてデュフール図の製作に当たって州や民間による既存の測量成果も使った経緯から、原図の中には地勢をケバ式で描いた測量時期の古いものも多数残っている。これらの地域では改めて正式測量を実施し、レベルを揃えることに努めた。アルプス地域でも一部測量をやり直している。水準原点である「ニトンの標石 Repère Pierre du Niton、略称RPN」については、測量成果に基づきマルセイユ港の平均海面から376.86mの新基準値を採用した(下注)。

■参考サイト
Wikimedia- デュフール図(測量原図)チューリッヒ市街 1850年
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dufourkarte_Zürich.jpg

*注 1903年にはさらに373.6m(いわゆる「新水平面 neuer Horizont」)に改められたが、これは1938年から刊行が始まる新たな全国地形図 Landeskarte シリーズで初めて適用された。

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ジュネーブ中心部と、376.86mの注記がある二トンの標石(円内)
(1:25,000 ジュネーヴ 1899年)

彼が製作を指揮したこのシリーズは、正式名を「スイス地形図集成 Topographischer Atlas der Schweiz」といったが、「ジークフリートアトラス Siegfriedatlas」という通称もある。ただ、現在ではアトラスという単語がもつ紛らわしさ(下注)を避けて、「ジークフリート図 Siegfriedkarte」と呼ぶようになっている。ジークフリート図の全体像は、下記サイトで閲覧できる。

■参考サイト
連邦地形測量所地図閲覧サイト map.geo.admin.ch-ジークフリート図初版
http://map.geo.admin.ch/?layers=ch.swisstopo.hiks-siegfried
 左上のTransparenz(透過)バーを左右に移動させることで、現行図と対比できる。

*注 アトラス Atlas は地図書、地図帳のことだが、19世紀には、例えばバイエルン王国地形図集成 Topographischer Atlas vom Königreich Bayern のように、1枚ものの地図の揃い(セット)の総称にも使われた。本ブログでは、この種のアトラスを「地図集成」と訳している。

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ジークフリート図表紙、刊行時期によってデザインに変化がある

作成の経緯から、ジークフリート図には2種類の縮尺が混在する。北西部のジュラ Jura、中央部のミッテルラント Mittelland、イタリア語圏のティチーノ南部 Sud del Ticino という主として低山や丘陵が卓越する地域は1:25,000、土地利用の密度が比較的低いアルプス地域 Alpenraum は1:50,000だ。ただし、両エリアは一部重複がある。

図郭も初期測量を踏襲している。デュフール図1面を縦4×横4=16等分したのが1:50,000ジークフリート図、それをさらに4等分したのが1:25,000という関係だ。したがって地図1面の寸法は35×24cm(用紙は44×35cm、折り寸法11×17.5cm)とコンパクトで、結果的に野外へ携帯するのに適したサイズになった。

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ジークフリート図索引図(一部)
1:25,000(小さい図郭)と1:50,000(大きい図郭)が一部重複している
索引図全体は下記参考サイト参照

印刷は、1:25,000で当初凹版が用いられたが、1905年から平版も併用された。1:50,000は最初から平版印刷だった。連邦地理調査所のサイトにある沿革の記述によれば、その用紙には1871年から耐久性のある和紙が採用され、1904年まで使われたという。

地図には識別用の図番が付されているが、図の縦横の接続関係を図番から判別するのは難しい。1:100,000の図郭を大きな単位とする連番方式で、縮尺による区別もない。そればかりか、追加された図葉などでは、番号の空きがないためbis(~の2)やter(~の3)を付けて区別され、利用者をとまどわせる。

縮尺のほかに先行のデュフール図と大きく違うのは、多色刷であることと等高線を使っていることだ。デュフール図でも後年、分版による多色化が図られたが、ジークフリート図は最初から、墨、茶、青の3色刷りで製作された。手彩色の測量原図は集落を赤に塗り、森林に緑をかけるなど美しく仕上げているが、印刷版としては費用や手間の点から3色が限度だったのだろう。それでも等高線に別の色を与えたことで、地勢が格段に読取りやすくなった。

その等高線は、1:25,000が10m間隔、1:50,000が30m間隔となっている。茶色が基本だが、氷河や万年雪が覆うエリアは青で、露岩や崖など植生のないエリアは黒で描かれる。各色の接点にずれがほとんどないのは製版・印刷技術の高さを物語る。

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1:50,000 ジークフリート図 グレイナ Greina(図葉全体)

それとともに、スイス地形図の見どころである岩山の精緻で臨場感あふれる描写にはさらに磨きがかけられた(冒頭の地図参照)。現行図と比較すると表現の誇張や精度不足の個所も散見されるのだが、迫力の点では明らかにジークフリート図に軍配が上がる。彼のもとには、後に立体描写の大家となったフリードリン・ベッカー Fridolin Becker やクサーファー・イムフェル トXaver Imfeld といった名人技師が集っていたのだ。

地図の刊行は1870年から始まった。この年、最初の13面が出され、1901年までに581面が製作された。その後も若干の追加があり、1:25,000は1922年に全462面、1:50,000は1926年に142面が揃って、ついに事業の完了を見た。もちろんその間に、経年変化を盛り込む改訂作業も逐次実施されていて、地図の更新は1949年まで続けられた。

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1:50,000 ジークフリート図 アレッチュ氷河 Aletschgletscher 1882年
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1:25,000 ジークフリート図 フリブール Fribourg 1874年

ジークフリートは、1:25,000と1:50,000の製作と並行して、1:250,000(全4面、1867~73年初刊)や1:1,000,000(1878年)といった全土を概観できる小縮尺図の整備も行った。惜しいことに彼は構想した事業の完成を見届けることなく、1879年に急逝してしまう。しかし在職中、スイスの総合的な地形図体系の確立に向けて多大な貢献をしたことを、人々は心から讃えた。刊行された地形図の表紙に、通称のはずの「ジークフリートアトラス Siegfriedatlas」という文字が必ず添えられている。それが何よりの証拠だろう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Cartography of Switzerland)および特集「スイスの地図」『月刊地図中心』2010年8月号を参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2013 swisstopo.

■参考サイト
スイストポ 公式サイト http://www.swisstopo.admin.ch/
同 ジークフリート図に関する記述(英語版)
http://www.swisstopo.admin.ch/internet/swisstopo/en/home/products/maps/hist/siegfried.html
 ジークフリート図の索引図 Map sheet index や凡例(記号一覧)Conventional signs などへのリンクもある。
 
ジークフリート図サンプル画像集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Topographischer_Atlas_der_Schweiz
Relief Shading  http://www.reliefshading.com/
Xaver Imfeld - Meister der Panoramen Reliefs Karten
http://www.xaverimfeld.ch/

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