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2013年12月15日 (日)

スイスの地形図略史 II-ジークフリート図

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1:25,000ジークフリート図
ゼンティス Säntis 1887年

ギヨーム=アンリ・デュフール Guillaume-Henri Dufour が指揮する地形図の全国カバーが完了しないうちから、もっと詳しい地形図の刊行を求める声が高まっていた。地質調査や鉄道の構想・設計、あるいは登山を試みる人たちにとって、デュフール図の縮尺1:100,000はいかにも粗すぎたのだ。前回述べたとおりデュフール図は編集図であり、もととなる手描きの測量原図は1:25,000または1:50,000の縮尺で作成されている(前回の記事参照)。この「初期測量 Originalaufnahme」本来の縮尺で作られる地図を彼らは望んだ。

1863年に設立されたスイスアルペンクラブ Schweizer Alpen-Club (SAC) では、さっそく初期測量の成果を使って自前で登山地図 Exkursionskarte(図での表記は Excursions-Karte)の製作を開始している。デュフール図が完成する1年前のことだ。第1弾は主峰テーディ Tödi を含むグラールスアルプス Glarner Alpen を描いた地図で、以後も年報の付録として会員に頒布された。

地勢表現はデュフール図に倣っている。原図の等高線から精妙なケバを描き出すとともに、氷河や万年雪に覆われたエリアは、等高線にぼかしを重ねて立体感を強調した。岩山の彫塑的表現も原図を生かしている。下記サイトで、同じシリーズの地図(翌1864~65年の年報付録)が公開されているので参照されたい。

■参考サイト
スイスアルペンクラブ登山地図1864~65年版の画像
http://www.zumbo.ch/maps/navigate/navigate.php?map_nr=223
ローヌ氷河 Rhonegletscher を含めて、イネルトキルヘン Innertkirchen、ヴァッセン Wassen、アンデルマット Andermatt、グリムゼル峠 Grimselpass に囲まれた地域を描いている。

SACは一方で、政府に対してもこうした初期測量の成果刊行について働きかけを続けた。しかし、初期地形測量の継続と刊行に関する連邦法が議会で承認され、実現への道が開けたのは1868年になってからだった。このとき、功労者デュフールはすでに引退し、後任として1865年にヘルマン・ジークフリート Hermann Siegfried が地形局長に就任していた。地形局も同年ジュネーヴからベルンに移転し、連邦参謀局 Eidgenössische Stabsbureau の傘下に入っていた。

ジークフリートは、1852~65年に作成されたチューリッヒ州の等高線式初期測量図(下記参考サイト参照)をもとに、新たな地形図を設計した。かつてデュフール図の製作に当たって州や民間による既存の測量成果も使った経緯から、原図の中には地勢をケバ式で描いた測量時期の古いものも多数残っている。これらの地域では改めて正式測量を実施し、レベルを揃えることに努めた。アルプス地域でも一部測量をやり直している。水準原点である「ニトンの標石 Repère Pierre du Niton、略称RPN」については、測量成果に基づきマルセイユ港の平均海面から376.86mの新基準値を採用した(下注)。

■参考サイト
Wikimedia- デュフール図(測量原図)チューリッヒ市街 1850年
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dufourkarte_Zürich.jpg

*注 1903年にはさらに373.6m(いわゆる「新水平面 neuer Horizont」)に改められたが、これは1938年から刊行が始まる新たな全国地形図 Landeskarte シリーズで初めて適用された。

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ジュネーブ中心部と、376.86mの注記がある二トンの標石(円内)
(1:25,000 ジュネーヴ 1899年)

彼が製作を指揮したこのシリーズは、正式名を「スイス地形図集成 Topographischer Atlas der Schweiz」といったが、「ジークフリートアトラス Siegfriedatlas」という通称もある。ただ、現在ではアトラスという単語がもつ紛らわしさ(下注)を避けて、「ジークフリート図 Siegfriedkarte」と呼ぶようになっている。ジークフリート図の全体像は、下記サイトで閲覧できる。

■参考サイト
連邦地形測量所地図閲覧サイト map.geo.admin.ch-ジークフリート図初版
http://map.geo.admin.ch/?layers=ch.swisstopo.hiks-siegfried
 左上のTransparenz(透過)バーを左右に移動させることで、現行図と対比できる。

*注 アトラス Atlas は地図書、地図帳のことだが、19世紀には、例えばバイエルン王国地形図集成 Topographischer Atlas vom Königreich Bayern のように、1枚ものの地図の揃い(セット)の総称にも使われた。本ブログでは、この種のアトラスを「地図集成」と訳している。

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ジークフリート図表紙、刊行時期によってデザインに変化がある

作成の経緯から、ジークフリート図には2種類の縮尺が混在する。北西部のジュラ Jura、中央部のミッテルラント Mittelland、イタリア語圏のティチーノ南部 Sud del Ticino という主として低山や丘陵が卓越する地域は1:25,000、土地利用の密度が比較的低いアルプス地域 Alpenraum は1:50,000だ。ただし、両エリアは一部重複がある。

図郭も初期測量を踏襲している。デュフール図1面を縦4×横4=16等分したのが1:50,000ジークフリート図、それをさらに4等分したのが1:25,000という関係だ。したがって地図1面の寸法は35×24cm(用紙は44×35cm、折り寸法11×17.5cm)とコンパクトで、結果的に野外へ携帯するのに適したサイズになった。

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ジークフリート図索引図(一部)
1:25,000(小さい図郭)と1:50,000(大きい図郭)が一部重複している
索引図全体は下記参考サイト参照

印刷は、1:25,000で当初凹版が用いられたが、1905年から平版も併用された。1:50,000は最初から平版印刷だった。連邦地理調査所のサイトにある沿革の記述によれば、その用紙には1871年から耐久性のある和紙が採用され、1904年まで使われたという。

地図には識別用の図番が付されているが、図の縦横の接続関係を図番から判別するのは難しい。1:100,000の図郭を大きな単位とする連番方式で、縮尺による区別もない。そればかりか、追加された図葉などでは、番号の空きがないためbis(~の2)やter(~の3)を付けて区別され、利用者をとまどわせる。

縮尺のほかに先行のデュフール図と大きく違うのは、多色刷であることと等高線を使っていることだ。デュフール図でも後年、分版による多色化が図られたが、ジークフリート図は最初から、墨、茶、青の3色刷りで製作された。手彩色の測量原図は集落を赤に塗り、森林に緑をかけるなど美しく仕上げているが、印刷版としては費用や手間の点から3色が限度だったのだろう。それでも等高線に別の色を与えたことで、地勢が格段に読取りやすくなった。

その等高線は、1:25,000が10m間隔、1:50,000が30m間隔となっている。茶色が基本だが、氷河や万年雪が覆うエリアは青で、露岩や崖など植生のないエリアは黒で描かれる。各色の接点にずれがほとんどないのは製版・印刷技術の高さを物語る。

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1:50,000 ジークフリート図 グレイナ Greina(図葉全体)

それとともに、スイス地形図の見どころである岩山の精緻で臨場感あふれる描写にはさらに磨きがかけられた(冒頭の地図参照)。現行図と比較すると表現の誇張や精度不足の個所も散見されるのだが、迫力の点では明らかにジークフリート図に軍配が上がる。彼のもとには、後に立体描写の大家となったフリードリン・ベッカー Fridolin Becker やクサーファー・イムフェルト Xaver Imfeld といった名人技師が集っていたのだ。

地図の刊行は1870年から始まった。この年、最初の13面が出され、1901年までに581面が製作された。その後も若干の追加があり、1:25,000は1922年に全462面、1:50,000は1926年に142面が揃って、ついに事業の完了を見た。もちろんその間に、経年変化を盛り込む改訂作業も逐次実施されていて、地図の更新は1949年まで続けられた。

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1:50,000 ジークフリート図 アレッチュ氷河 Aletschgletscher 1882年
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1:25,000 ジークフリート図 フリブール Fribourg 1874年

ジークフリートは、1:25,000と1:50,000の製作と並行して、1:250,000(全4面、1867~73年初刊)や1:1,000,000(1878年)といった全土を概観できる小縮尺図の整備も行った。惜しいことに彼は構想した事業の完成を見届けることなく、1879年に急逝してしまう。しかし在職中、スイスの総合的な地形図体系の確立に向けて多大な貢献をしたことを、人々は心から讃えた。刊行された地形図の表紙に、通称のはずの「ジークフリートアトラス Siegfriedatlas」という文字が必ず添えられている。それが何よりの証拠だろう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Cartography of Switzerland)および特集「スイスの地図」『月刊地図中心』2010年8月号を参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2013 swisstopo.

■参考サイト
スイストポ 公式サイト http://www.swisstopo.admin.ch/
同 ジークフリート図に関する記述(英語版)
http://www.swisstopo.admin.ch/internet/swisstopo/en/home/products/maps/hist/siegfried.html
 ジークフリート図の索引図 Map sheet index や凡例(記号一覧)Conventional signs などへのリンクもある。
 
ジークフリート図サンプル画像集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Topographischer_Atlas_der_Schweiz
Relief Shading  http://www.reliefshading.com/
Xaver Imfeld - Meister der Panoramen Reliefs Karten
http://www.xaverimfeld.ch/

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