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2013年11月30日 (土)

スイスの地形図略史 I-デュフール図

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スイス1:100,000地形図
モンテ・ローザ 2009年

丘陵から高山へ、変化に富む地勢を実感させる繊細な着色とぼかし、岩山を表すエッチングさながらの迫真的描写...スイスの官製地形図は、誰もが認める世界で最も美しい地図の代表だ。ユングフラウやマッターホルンほかアルプスの名峰を擁し、観光地として人気の高い国だが、官製地形図もその魅力を伝える役割の一端を担ってきたに違いない。

現在見られるような多色刷りの地形図の本格的な刊行は1952年に始まったのだが、これほど完成された地図表現はどのようにして生み出されたのだろうか。それを知るために、数回に分けてスイスの地形図の発展過程をたどってみたいと思う。

三角測量に基づき、スイス全土をカバーした近代的地図シリーズの出現は、18世紀終盤に遡る。1786年からアーラウの実業家ヨハン・ルドルフ・マイヤー Johann Rudolf Meyer が自ら資金を提供し、ストラスブールの測量家ヨハン・ハインリヒ・ヴァイス Johann Heinrich Weiss が製作した「スイス地図集成(アトラス・シュイス Atlas Suisse)」だ。作業の成果は1796~1802年に発表された。

サイズは70×51cm、縮尺はほぼ1:120,000で、16面から成るが、後に全国を1面に収めた1:500,000図も作成されている。後世の地図の精密さには及ばないものの、アルプスとその周辺の複雑な山容をケバの濃淡で巧みに描いていて、表現には迫力がある。黒1色の銅版刷だが、氷河や万年雪のエリアは青色が加えられている。

■参考サイト
ベルン中央図書館 Zentralbibliothek Bern-スイス地図集成 画像集
http://www.unibe.ch/universitaet/dienstleistungen/universitaetsbibliothek/recherche/sondersammlungen/kartensammlungen/meyer_weiss/index_ger.html

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1:100,000デュフール図
ヴァーレンシュタット Walenstadt付近
1854年

民間資金による上記地図集に対して、連邦政府による現在の地形図の直接のルーツとなるのは、1845~64年に刊行された縮尺1:100,000の「スイス地形図 Topographische Karte der Schweiz」だ。ギヨーム=アンリ・デュフール Guillaume-Henri Dufour が製作を指揮したので、「デュフール図 Dufourkarte」という通称で知られる。

デュフールは連邦軍の参謀本部長だったが、全土の新たな地図作成という任務を果たすために、1838年にジュネーヴ近郊のカルージュCarouge(現 ジュネーヴ市内)で連邦地形局 Eidgenössische Topographische Bureau を設立した。組織では、同年まず「ジュネーヴ州地形図 Carte topographique du Canton de Genève」を製作し、この経験を足掛かりに、アルプス地域で本格的な地形測量を開始する。

ジュネーヴのレマン湖上に2つの自然岩が顔を出しているが、その大きい方が「ニトンの標石(ルペール・ピエール・デュ・ニトン Repère Pierre du Niton、略称RPN)」と呼ばれ、スイス水準網の原点になっている。ヨハネス・エッシュマン Johannes Eschmann が1840年に発表した「スイスにおける三角測量成果 Ergebnisse der trigonometrischen Vermessungen in der Schweiz」のなかで、ニトンの標石の高度が、地中海マルセイユ港の基準海面から376.2mと定義されていた(下注)。デュフールは、これを新たな地形測量の基準に採用した。

*注 この高度は後年のジークフリート図では376.86mと改められた。さらに1903年に373.6mの新基準点に置換えられたため、それ以前の基準値は「旧水平面 alter Horizont」として区別されている。

スイスは地形的に、石灰岩の山並みが続く北西部のジュラ Jura、人口の大半が集中する中央の丘陵地ミッテルラント Mittelland、急峻な山岳地帯であるアルプス Alpen の3地域に大別される。測量はジュラとミッテルラントおよびティチーノ南部 Südtessin / Sud del Ticino が1:25,000、アルプスが1:50,000の縮尺で行われる一方、一部の地域については、すでに州政府や民間人が実施していた測量成果も利用した(下注)。刊行に用いた図はこれを縮尺1:100,000に編集したもので、1845年の第17図を皮切りに1864年の第8図まで、20年近くにわたり順次発表されていった。

*注 連邦地形局が手掛けたこの測量成果を「初期測量 Originalaufnahme」と呼ぶ。また、既存の測量成果を用いたのは、バーゼル・シュタット Basel-Stadt(1836年測量)、ヌーシャテル Neuchâtel(1838~1845)、トゥールガウ Thurgau(1839)、ジュネーヴ Genève(1842)、アールガウAargau(1845~1848)、ツーク Zug(1850)、ザンクト・ガレン St Gallenおよびアッペンツェル Appenzell(1851~1956) 、フリブール Fribourg(1955)、チューリッヒ Zürich(1852~1865)、ヌーシャテル Neuchâtel(1858)、ヴォー Vaud(1862~1885)およびルツェルン Luzern(1864~1867)の各州。
なお、この初期測量で作成された測量原図の一部は、連邦地形測量所スイストポ刊行の「今昔 Einst und Jetzt」シリーズに掲載されている。詳しくは本ブログ「スイスの地形図-今昔シリーズ I」参照。

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デュフール図表紙の例
(図番XV 1912年版)

デュフール図1面の寸法は横70×縦48cm。縮尺1:100,000なので、東西70km×南北48kmの面積を表す計算だ。これが5×5=25面でスイス全土をカバーする。この図郭は現行図にも踏襲されている。

ただし、左上隅に当たる第1面はタイトルと凡例で占められ、地図は描かれていない。また、第5面(右上隅)には地名の2か国語対比一覧、第21面(左下隅)は索引図、第25面(右下隅)は主要地点の高度一覧が配され、地図が占める領域は少ない。これらの図葉が表すエリアは多くが他国領だからだ。ちなみに測量原図である1:50,000は1:100,000の図郭を東西4×南北4の16面に区分し、1:25,000はさらにそれを4面に区分したものだった。

印刷図は、はじめ凹版墨1色だったが、1905年から平版刷に、また1908年以降の改訂版では水部を青にして2色化されている。1938年には森林に緑のぼかしを加え、キロメートル線を赤で表した4色版も出された。

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1:100,000デュフール図(2色刷)
ヴィルトシュトルーベル Wildstrubel ~ロイカーバート Leukerbad 付近 1915年

デュフール図の整備は、スイスが1848年の新憲法施行によって近代的な連邦国家として歩み出した時期と一致している。それまで土地測量は各州でばらばらに実施されていたが、その成果も引継ぎながら、州ごとの相違点を取り除いて全国統一の地図表現を確立させた点に、大きな意義がある。

とりわけ地勢の表現法がよく引き合いに出される。用いているのは、ブラシのような細かい線を最大傾斜の方向に並べるケバという手法だ。これ自体は伝統的な技法だが、とりわけ北西方向から光を受けたように明暗を描き分けることで、起伏の強調に成功している。このアイデアは、「スイス様式 Schweizer Manier」として1855年のパリ万国博覧会での金メダルをはじめ、数々の国際賞を受賞して、スイスの地形図の国際的名声を高めることにも貢献した。

また、19世紀後半から20世紀前半のスイスの地理的状況を克明に図化した記録資料としても貴重だ。そこには、デュフールが「できるだけ正確に so genau als möglich」と指示した測量作業の方針が生かされている。都市や交通網や水系など、数次の改訂図や現行図と比較すれば、経年変化の興味深いサンプルが随所に見つかる。

参考までにここでは、中世さながらの堅固な城壁に囲まれたジュネーヴ旧市街、グリンデルヴァルトの村から見えていた氷河の舌を現行図と対比して挙げておこう(下図参照)。なお、デュフール図の全体像は、下記サイトで閲覧できる。

■参考サイト
連邦地形測量所地図閲覧サイト map.geo.admin.ch-デュフール図初版
http://map.geo.admin.ch/?layers=ch.swisstopo.hiks-dufour
 左上のTransparenz(透過)バーを左右に移動させることで、現行図と対比できる。

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デュフール図と現行図の比較
ジュネーヴ (左)1845年 (右)2009年
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グリンデルヴァルト (左)1864年 (右)2006年

計画の完了を目前に控えた1863年、連邦政府はモンテ・ローザ山群にあるスイス最高峰をデュフールシュピッツェ Dufourspitze に改称することに決定して、彼の功績を讃えた(冒頭の地図参照)。

もとより、デュフールは軍の指揮官として、スイスが分裂の危機に瀕した1847年の分離同盟戦争 Sonderbundskrieg で電撃的に事態を収拾し、国家統一を導いた男だ。スイスの国旗デザインの提唱者でもある。晩年はアンリ・デュナン Henri Dunant らとともに、赤十字国際委員会の基礎を築いた。その名は、彼が主導した地図遺産とともに19世紀スイスの歴史に深く刻み込まれている。

1:100 000デュフール図は1939年まで改訂が続けられた後、第二次大戦後の新図式に置換えられた。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Cartography of Switzerland, Atlas Suisse, Pierres du Niton)および特集「スイスの地図」『月刊地図中心』2010年8月号、森田安一「物語 スイスの歴史」中公新書, 2000を参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2013 swisstopo.

■参考サイト
スイストポ 公式サイト http://www.swisstopo.admin.ch/
同 デュフール図に関する記述(英語版)
http://www.swisstopo.admin.ch/internet/swisstopo/en/home/products/maps/hist/dufour_digital.html
 デュフール図の索引図Map sheet index へのリンクもある。

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