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2013年8月 3日 (土)

ライトレールの風景-近鉄内部・八王子線

三岐鉄道北勢線とともにニブロク(762mm)軌間の鉄道として残る近鉄内部(うつべ)線と同 八王子線に、今存続の危機が迫っている。近鉄が四日市市に対し、「バス高速輸送システム(BRT)」への転換とそのための公的補助について、今年(2013年)夏までに方針を固めるよう求めているのだ。結論を急ぐのは車両が更新時期に来ているためで、まさに10年前、北勢線の身に降りかかった難題の再来といえる。

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日永駅での両線接続

内部線は近鉄四日市~内部間5.7km、八王子線はその途中駅である日永で分岐して西日野まで1.3kmのミニ路線だ。列車の運行はいずれも近鉄四日市駅を起点にしており、車両も共通運用なので、内部・八王子線とひとくくりに呼ばれることが多い。まずはそのルートをたどってみよう。

近鉄四日市駅の前後は1973~74年に早くも高架化されているが、名古屋線からの乗継ぎは、知らないと必ずとまどう。湯の山線は高架ホームの山側5・6番線ですぐわかるのに、路線図で同じように分岐しているように見える内部方面の乗り場(9・10番線)が、どこにも見当たらないからだ。

それもそのはず、内部・八王子線は、名古屋線の高架下にある。改札もまったく別で、中央通りの南側に置かれている。利用者は、まるで別の鉄道会社に乗継ぐようにいったん改札を出たうえ、連絡通路の階段を上り下りして大通りを越え(あるいは地上の大通りを横断歩道で渡り)、また改札を入るという負担を強いられる。

高架下の島式ホームでは、左が内部行き、右が西日野行きの乗り場と案内されていた。日中は両線とも30分間隔の運行なので、分岐駅の日永までは都合15分おきに便がある。バスのような交差点の信号待ちも朝夕の渋滞もないという点を含め、地方の市街地の足としては便利で、そのためか日中の乗客も北勢線より明らかに多いと感じた。

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(左)近鉄四日市駅内部・八王子線改札 (右)同ホーム

列車は北勢線と同じタイプの3両編成で、各車両にはパステル調の塗装が施され、見た目は明るく可愛らしい。しかし、あろうことか全車が非冷房だ。訪れた6月上旬はまだ開放した窓から入る風が心地よかったが、真夏の混雑時はきついだろう。乗り込んだのは八王子線西日野行き。オレンジ色のク163を先頭に、サ123、モ263の編成だ。中間車はロングシートだが、前後の2両は1人掛けの椅子が並ぶ。転換シートではないので、後尾車両では後ろ向きに座ることになる。

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(左)赤堀駅付近 (右)1人掛けシートが並ぶ車内

四日市駅を出るとしばらくは町中を淡々と行く。時速40kmほどしか出ていないが、吊り掛けモーターがうなり、揺れも激しい。赤堀駅を経て、高い堤防の鹿化川をぐいと乗り越すように渡ると、日永駅だ。直進する内部線と別れて、西日野行きは右に折れる。停まるホームは扇状に開いた3番線で、半径100mで大きくカーブしている。向かい側にホームの残骸が残っていて、八王子線の列車もここで交換ができた時代があったようだ。

駅を出ると、また直線主体のルートに戻る。田んぼの中を2分ほど走れば、あっけなく終点だ。西日野は、片面ホームの先に無人の簡易駅舎があるだけの殺風景な駅で、駅前の空き地はおびただしい数の自転車に占領されている。存在感の薄いヒゲ線という印象の八王子線だが、線名が示すとおり、もともとここが終点ではなくさらに川の上流へ延びていたし、意外にも、内部線より先に開通した「本線」だった。そのことは後で述べよう。

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(左)日永駅3番線ホームは八王子線用 (右)八王子線終点 西日野駅
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(左)内部駅の運賃図 (右)日永駅発車時刻表(近鉄HPのPDFから)

日永に戻って、内部線内部行きに乗換える。駅のすぐ先で曲がりくねりながら天白川を渡るが、その後はこちらも見通しのいいルートだ。4車線の笹川通りを堂々と横切り、町裏を進む。泊(とまり)では列車交換がある。次の追分(おいわけ)は、京へ向かう東海道と伊勢神宮へ行く伊勢街道の分岐点だった場所だ。線路は駅の手前で、いにしえの東海道である旧国道1号線を横断する。

車窓には近郊農村の風情が漂い始めるが、まもなく側線で休む同僚の車両群が見えてきて、左に緩くカーブした終点、内部駅に到着する。四日市からだと20分のミニトリップだ。ここは両線の車両基地で、検車庫もあるが、駅へ通じる道沿いにコンビニ一つ見当たらない。車が激しく行き交う道路の脇で、「乗って残そう」と書かれた幟が寂しげにはためいていた。

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(左)内部駅正面 (右)駅前の沿道にはためく幟
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(左)内部駅構内の検車庫 (右)内部線の終端

内部・八王子線のルーツは、1912(大正元)年に八王子村(後の伊勢八王子)~日永間3.0kmを開業した三重軌道(1916年から三重鉄道)だ。路線は日永から順次延長され、1915年に関西本線に連絡する四日市市駅まで6.0kmが全通した。つまり、この界隈で最初に敷かれた軽便線は、後年の八王子線だったのだ。

その理由は、【図1】をご覧いただくと氷解する。明治から大正期にかけて、鉄道が経由する室山地区は紡績、製茶、醸造などの産業が盛んだった。地形図にも製造所の記号がついた大きな建物が少なくとも3棟描かれている。鉄道は、港との間で製品の積出や原料の搬入を行うことを目的としていた。なお、八王子線を支線と誤解させがちな日永駅構内の急曲線は、街道筋に駅を寄せるために開通当初から存在したものだ【図2】。

図1
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室山付近の1:25,000地形図 1927(昭和2)年
図2
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日永付近の1:25,000地形図 1920(大正9)年
内部線開通以前の状況を示す

1916年には、湯ノ山(現湯の山温泉)~四日市間が、四日市鉄道によって同じニブロク軌間で全通した。後の近鉄湯の山線だ。諏訪(下注)から東では、両鉄道があたかも複線のように並行し、終点には立派な造りの共同駅が建てられた(詳細は下記参考サイト参照)。一方、内部線は少し遅れて1922年に、日永から内部まで三重鉄道の鈴鹿支線として開通した。現 鈴鹿市の伊船(いふな)まで延長する計画だったが、資金不足のために実現することはなかった。

*注 付近の諏訪神社に由来する地名。四日市鉄道は諏訪(すわ)駅、三重鉄道は諏訪前(すわまえ)駅で、別の駅だったが、伊勢電延伸の際に諏訪駅として統合。

■参考サイト
北勢軽便王国物語 http://www2.cty-net.ne.jp/~muramasa/
 四日市市街を走っていた軽便鉄道(三重軌道、四日市鉄道)に関する詳細な考察

図3
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四日市付近の1:25,000地形図 1927(昭和2)年
軽便線が関西本線の四日市駅まで達している

軽便鉄道の独占時代は、しかしここまでだった。同じ年(1922年)、四日市駅前に、津から線路を延ばしてきた軌間1067mmの伊勢鉄道がターミナルを構えた【図3】。この会社は本来、津~四日市間の短絡を目的とした蒸気鉄道だったが、1926年に社長が交代してから、俄然積極策に転じる。伊勢電気鉄道と改称して電化を進めるともに、名古屋方面へ路線網を拡張しようとしたのだ。

ルート選定にあたって伊勢電は、四日市駅の北側に広がる市街地を突っ切らず、軽便線の用地を利用して諏訪から北上する案を採用した。市街地の買収を避けるとともに、関西本線の向こうを張って、旧東海道に沿う町の中心部を経由したかったのだろう。伊勢電は、1927年に三重・四日市両鉄道を傘下に収めて四日市~諏訪間を譲り受け、1929年に桑名までの開業を果たした。これが後の近鉄名古屋線だ。この経緯により、軽便線は短縮され、諏訪を起点とするようになる【図4】。電化は内部方面のほうが早く1943年、日永~八王子間は戦後の1948年だ。内部線と八王子線の主従関係がすでに逆転していた様子が知れる。この間に、両社は三重交通に統合されている(下注)。

*注 四日市周辺の軽便3線は、三重(みえ)線と総称された。三重はこの地域の郡名。

図4
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四日市付近の1:25,000地形図 1932(昭和5)年
伊勢電延長で軽便は諏訪駅起点に
(最新地形図は下記サイト参照)

■参考サイト
近鉄四日市駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.966600/136.618500

ところで、名古屋線にとって、四日市駅付近の急曲線を介したルートは、戦後の高速化や車両大型化の障害となっていた。そのため、これに代わる短絡新線が1956年に造られた。軽便以来の諏訪駅は廃止され、新線上に近畿日本四日市(現 近鉄四日市)駅が開業した。内部線、湯の山線ともここへ接続すべく、線路が一部移設されている(詳細は下記参考サイト参照)。

■参考サイト
駅ものがたり-近鉄四日市
http://punt.jp/chunichi/machi/08_11_eki%20/eki_yokkaichi.html
 なお、言及されている半径100mの「善光寺カーブ」は、国鉄四日市駅前の急カーブを指す。諏訪駅北東方のそれは通称「天理教カーブ」。

今に続く軽便線の劣勢は、1964年を境に顕在化するといっていいだろう。列車が内部・八王子線と相互に往来していた湯の山線が、この年、温泉地へ通じる観光ルートとして単独で標準軌に改められたからだ。一方、八王子線については廃止申請も出されたものの、結論が出ないまま、旧三重交通線(当時は三重電気鉄道)は翌65年、近鉄に合併された。その後1973~74年に名古屋線と湯の山線が高架化された際、地上に取り残されたのも、会社が路線の未来に希望を持っていなかったからに違いない。

決定的な不運に見舞われたのは、その直後だ。この地域を襲った集中豪雨で、天白川が氾濫を起こした。川岸の併用軌道だった八王子線は被災し、長期にわたり不通となった。近鉄は機に乗じて廃止の意向を表明したが、沿線住民から強い反対に遭う。結果的に、伊勢八王子~西日野は河川改修の用地となって廃止、無傷だった西日野~日永の1駅間だけが1976年に復活した。なお、もとの西日野駅は川沿いにあったが、運行再開にあたり東へ移設されている。

さっき北勢線に乗ってきた者から見れば、内部・八王子線との施設設備の格差は歴然としている。扇風機が回る旧型車両、すすけた無人駅、雨ざらしの駐輪場、線路や車両の保守のレベルも最低限だろう。利用者は鉄道に対し、定時運行以外多くを期待せず、鉄道会社も改良する意思はない。ジリ貧の状況下で老朽化だけが確実に進行している。

BRTに転換すると決まれば、とりあえず税金で施設設備は一新されるし、維持コストも低いかもしれない。しかし、バスは道路との交差(もと踏切)で一旦停止が必要だ。電車ほどの収容力がないから、増発される朝夕は行違い待ちも増えるだろう。唯一評価されている時間的メリットが損なわれても、利用者は喜んでBRTを使ってくれるのだろうか。

四日市市長の定例記者会見では、毎回のように路線の存廃と市の対応に関する質問がある。近鉄への回答期限が目前に控えているというのに、市長の答弁は今一つ煮え切らない。鉄道を残したい気持ちはやまやまだが、費用の丸抱えは困るというのが本音だろう。員弁川流域の自治体にとって、北勢線は公共交通機関の中心軸で、多額の支援をしても護るべき理由があった。片や内部・八王子線は短距離で、四日市市の一部の地区しか潤さない。このままでは時間切れになり、BRTどころか一般道路を走るバスの増発程度で片づけられてしまうかもしれない。難題解決に必要な決断は、市が下すしかないのだが。

【追記 2013.9.30】
その後、四日市市は、「公有民営」方式で存続させることで、9月19日に近鉄との間で合意が成立したと発表した。土地は無償貸与、施設と車両は無償譲渡により市が保有し、運行は近鉄75%、市が25%を出資する新会社が行う。市は10年間に車両新造その他で11億6800万円を負担し、近鉄も赤字補填に8億円を拠出するという。双方の歩み寄りで存続の方向が決まったのは何よりだ。新方式への移行は2015年春が予定されている。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図四日市(昭和2年鉄道補入、昭和5年鉄道補入)、日永(大正9年測図、昭和2年鉄道補入、昭和5年鉄道補入)を使用したものである。

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