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2013年1月19日 (土)

ワシントン山コグ鉄道 II-創始者マーシュ

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1880年ごろのワシントン山コグ鉄道
image from wikimedia

ワシントン山に上る鉄道の認可を得るために、シルヴェスター・マーシュ Sylvester Marsh はニューハンプシャー州議会へコグ機関車の模型を持ち込んだ。計画の説明を聞くか聞かないうちに、議場はどっと沸きかえった。機知に富んだ議員が有名なからかいの言葉を投げた。「彼には月へ行く鉄道を造らせたらいい。」

時は1858年、マーシュはすでに54歳だった。彼は、蒸気の力で最高峰の頂点を極めるという、当時としては前代未聞の事業に本気で挑戦しようとした。人生半ばを過ぎてから、なぜ私財を投じてまでこの計画に打ち込んだのだろうか。その理由を知るには、彼の前半生を俯瞰しておく必要があるだろう。

マーシュは1803年9月に、ニューハンプシャー州中部のキャンプトン Campton にある自営農場で生まれた。11人兄弟の9番目だったので、家業は継げず、19歳でボストンへ働きに出た。彼が身を投じたのは食料品や食肉の小売だった。商才があったとみえ、ボストン中心部に今もあるクインシー・マーケット Quincy Market が1827年に開業したとき、そこに店を構えた。しかし翌年には西を目指してオハイオ州アシュタビューラ Ashtabula に行き、さらに1833年にはイリノイ州シカゴ Chicago に移り住む。

今ではアメリカ第3の大都市であるシカゴも、当時はまだ小さなフロンティアで、人口わずか200人ほどだった。彼はこの土地で精肉業を営み続け、町の急速な発展とともに事業を拡張していった。1850年に地元新聞は、マーシュのブランドが有名で、加工場には蒸気動力の大規模な設備があると報じている。ところが彼はそれに飽き足りない。

この頃、シカゴはすでに、プレーリーを後背地に持つ世界有数の穀物の積出し港になっていた。ヨーロッパの大消費地に向けて貨物船で送り出すのだが、それには一つの問題があった。長い航海中にトウモロコシなどの穀物が腐敗したり、発熱で傷んでしまうのだ。マーシュは、加熱式の穀物乾燥機を考案して、この悩みに終止符を打った。新型装置の評価は高く、彼はその勢いに乗って、精肉業から穀物輸出の事業に転進する。乾燥機関連の特許権と穀物貿易は、彼にかなりの収入をもたらすことになった。

作業機械に対する彼の関心は今に始まったことではない。産業革命を牽引していた蒸気機関の応用技術に、彼は早くから熱中していた。シカゴに来る前に、オールバニー Albany で運行を始めた当時最新の蒸気機関車デウィット・クリントン号 DeWit Clinton にもわざわざ乗りに出かけている。11件の合衆国特許を取得する根っからの発明家で、急速に近代化する社会を率いていた先頭集団の一員だったのだ。

*注 デウィット・クリントン号は1831年にニューヨーク州で初めて運行された蒸気機関車。数か所の閘門を経由するエリー運河 Erie Canal の水運に対して、オールバニー Albany とスケネクタディ Schenectady の間を短絡するモホーク・アンド・ハドソン鉄道 Mohawk & Hudson Railroad(当時の名称)で使われた。

1855年、52歳で再婚したのをきっかけに、マーシュは仕事中心の実生活から引退することを決意する。そして、懐かしいボストン郊外へ戻ってきた。その後のエピソードは、コグ鉄道の前史としてよく語られる。

引退後の退屈さのため体調不良を起こしていた彼は、1857年、友人とワシントン山へ徒歩旅行に出かけた。晴れた8月の午後だったが、稜線の上で突然の嵐に襲われ、危うく遭難しかけた。なんとか山小屋にたどり着いた彼は、「もっと容易で安全に山を上るための何らかの手段」を提供することを使命と考えるようになったというのだ。数々の発明で事業の成功体験をもつ彼は、思いがけないところで見つけた新たな課題に夢中になり、結局後半生をこれに賭けることになる。

山を上る鉄道としてケーブルカー(英語でfunicular railway)の技術は知られていたが、ワシントン山では距離が長すぎ、ケーブルの自重を支えることすら困難だ。やはり蒸気機関車に自力で上らせるしかないと判断した彼は、技師の長男とともに、コグ(歯車)を装備した機関車とラックレールの構造について研究を始めた。

この種の機構は、1812年という早い時期に、イギリスのリーズ Leeds で実用化されていた。ジョン・ブレンキンソップ John Blenkinsop が、石炭を輸送する鉄道で板状レールの摩擦力を補うために使用したラックレールだ。平地を走る路線のため、後に不要であることがわかって普及しなかったが、マーシュはこれを登山鉄道に応用しようと考えた。模型を使って実験を繰り返し、1858年、ついに建設計画の認可を議会に申請した。

これが冒頭で紹介した議会での一幕につながる。それでも認可が下りたのは、実現が不可能であり、承認したところで実害はないと誰もが思ったからだという。それから5年ほどの空白を置いて、事業は本格的に動き出した。機関車の命綱となる制動装置やラックレールの改良、必要な土地の購入などを進める一方で、彼は実業家らしく、重要な交渉にも奔走していた。それはお客をどのようにしてここへ呼び寄せるのかという問題の解決策だった。

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19世紀 ワシントン山周辺の鉄道網

西麓が起点のコグ鉄道に対して、現在、ワシントン山頂には東麓から上ってくる有料道路もある。意外なことにこの道路の開通は、登山鉄道の全通より8年も早い1861年だ。もちろんまだ自動車は普及しておらず、乗合馬車による山頂観光を狙ったワシントン山馬車道路 Mount Washington Carriage Road として造られた。それが東麓に設けられた理由は、山の北東にあるゴーラム Gorham の町まで1851年に鉄道(下注)が通じていたからだ。ゴーラムから道路を使えば山頂まで26km(16マイル)しかない。マーシュの鉄道は、馬車道路と競合しないよう、西麓に拠点を置かざるをえなかった。

*注 セントローレンス河畔のモントリオール Montreal と大西洋岸ポートランド Portland を結んだセントローレンス・アンド・アトランティック(大西洋)鉄道 St. Lawrence and Atlantic Railroad。

山の西側で最も近い鉄道駅は42km(26マイル)離れたリトルトン Littleton だった。マーシュはそのボストン・コンコード・アンド・モントリオール鉄道 Boston, Concord & Montreal Railroad (BC&M) の社長ジョン・E・ライアン John E. Lyon に書簡を送った。初め「正気の沙汰ではない」と思ったというライアンだが、発明品の作動をマーシュが実証することを条件に、協力に同意した。

1866年に、西麓の基地に造った400m(1/4マイル)の線路で、列車の試走会が行われた。その日の主役は、現在マーシュフィールドの空地に展示されている1号機関車ヒーロー Hero、後のペパーザス Peppersass だった。「機関車はみごとに動いている。悲観論者や疑り深い者でさえ、走る列車に乗るのをためらわなかった。」 新聞記事が伝えるとおり、実演は成功を収め、出資者をはじめ集まった人々は、鉄道の実用性を確信した。

*注 本稿で用いた数値は原文のマイル、フィート表記をメートル法に換算したものだが、この試験線について、200m(660フィート)としている文献もある。

その後、線路工事は本格化した。ライアンが送り込んだ現場監督は、橋梁建設に携わった経験があり、全線にわたるトレッスルの構築に力を発揮しただろう。建設認可はすでに1回延長されており、1868年8月が最終期限だった。ヤコブの梯子まで完成したところで開通式が行われたのは、それに間に合わせるためだ。夏の終わりの3週間、運行が続けられたが、開通の体裁を整えるのが目的だったのを知ってか、2ドルの規定料金を払わずに乗った者もいたという。

頂上まで線路建設が完了したのは翌1869年で、7月3日に正式に旅客輸送が始まり、8月には当時のグラント大統領も訪れた。コグ鉄道の往復料金は3ドル、それに山麓駅まで連絡の駅馬車の運賃も別途必要だったが、快適な箱型客車で上る登山観光の人気は高かった。幌なしの乗合馬車を使うライバルの有料道路はすっかり利用客を奪われてしまい、自動車が一般化するまで劣勢に立たされたほどだ。

コグ鉄道は全線開通から数年間、山麓駅への連絡手段を駅馬車に頼っていたが、1874年にライアンのBC&M鉄道が、リトルトンの東のウィング・ロード Wing Road からフェービアン Fabyan まで待望の支線24km(15マイル)を開通させた。2年後の1876年に山麓駅まで延長され、コグ鉄道は初めて幹線鉄道網と接続されることになった。

さらに、1875年にはポートランド・アンド・オグデンズバーグ鉄道 Portland & Ogdensburg Railroad (P&O) が、南からクローフォード・ノッチ Crawford Notch を越えて通じたので、にわかにフェービアンは鉄道交通の十字路に位置づけられた。マーシュはそこにフェービアン・ハウス Fabyan House と呼ぶ大きなホテルを建設し、山を訪れる旅行者の足場を整えた。

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フェービアン・ハウスと大統領連山
image from The New York Public Library

人生3度目の成功を手にしたマーシュは、終生コグ鉄道の社長の座にあったが、しかしそれは名誉職のようなものだった。なぜなら、彼の保有株式の多くは、機関車の購入代金代わりに、すでに工場主に譲渡されていた。そのため、経営の実権はもう一人の大株主であるライアンが掌握していたのだ。このようなエピソードが伝わっている。ある団体がマーシュに、コグ鉄道の山頂施設を使いたいと要請したが、「私には会社を代弁する権限がない」という回答が返ってきた。そこで、ボストンへ行ってライアンに事情を告げたところ、即決で承諾が得られたというのだ。

コグ鉄道の正式開通から2年後の1871年に、スイスのリギ山にヨーロッパ初、世界で2番目のラックレールを使った登山鉄道(下注)が開通している。実は1867年に在米スイス領事が、まだ工事中だったワシントン山のコグを視察したことがあった。マーシュは求めに応じて、コグの図面や写真を無償で提供し、助言まで与えた。領事は本国に向けて熱心にレポートを返し、それがリギ鉄道の実現を後押ししたと言われている。また、1883年にはマーシュの方式を使って、メイン州マウント・デザート島 Mount Desert Island でグリーン山コグ鉄道 Green Mountain Cog Railway が開通している。

*注 二クラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach 考案の方式を使ったフィッツナウ=リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn。本ブログ「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「リギ山を巡る鉄道 II-フィッツナウ・リギ鉄道」で詳述。

彼が最初に考案したユニークな登山鉄道は、こうして世紀の変わり目をはさんで、各地の山岳ツーリズムを刺激する原動力となっていった。元祖ワシントン山コグ鉄道も、2度の世界大戦中の休止を除いて運行を続け、これまでに延べ500万人近くを山頂へ運んだ。マーシュが1884年12月、81歳で永眠したとき、会社は次のような告別の辞を捧げている。「ここに、事業を提案し起業した非凡で思慮深い仲間の喪失を憶える。その快適さへの関心と最終的な成功に対する確信は、逆境と順境とにかかわらず決して弱まることがなかった。」

本稿は、Bruce D. Heald, "The Mount Washington Cog Railway: Climbing the White Mountains of New Hampshire " History Press, 2011、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
地形図は、アメリカ合衆国官製1:250,000地形図 Lewiston(1947年版)を用いた。

■参考サイト
ワシントン山コグ鉄道(公式サイト) http://www.thecog.com/
ワシントン山コグ鉄道(旧サイト) http://www.cog-railway.com/
ワシントン山自動車道(公式サイト) http://mtwashingtonautoroad.com/
WhiteMountainHistory.org   http://whitemountainhistory.org/

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2013年1月14日 (月)

ワシントン山コグ鉄道 I-ルート案内

アメリカ東海岸、ニューハンプシャー州 New Hampshire 北部一帯は、ホワイト山地 White Mountains と呼ばれる。その中心を成すのが、ピークに創成期の歴代大統領や有力政治家の名が冠されている大統領連山 Presidential Range だ。北から主なピークを順にあげると、マディソン山(4代)、アダムズ山(2代)、ジェファーソン山(3代)と来て、次がワシントン山 Mount Washington だ。初代大統領の名に恥じず、標高1917m(6288 フィート)でアメリカ北東部では最高峰となる。

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山腹を行く登山列車

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かつて、この記念すべき山の頂まで鉄道を敷こうと考えた男がいた。シルヴェスター・マーシュ Sylvester Marsh というその男の計画は、歯車の噛み合わせで支えながら、平均勾配250‰、最急勾配374.1‰の線路を上るという途方もないものだった。今でもスイスのピラトゥス鉄道 Pilatusbahn に次いで世界で2番目という険しい坂道を、19世紀半ばに蒸気の力で克服しようとしたのだから、当時の州議会で「彼には月へ行く鉄道を造らせたらいい」と呆れられたのも無理はない。

マーシュはなぜこのような破天荒な計画を思い付いたのだろうか。その経緯は次回詳述するとして、今回はこの「月へ行く鉄道 The railway to the moon」の概要を、現地写真とともに紹介しておきたい。

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鉄道の正式名は、ワシントン山コグ鉄道 The Mount Washington Cog Railway。軌間1422mm(4フィート8インチ、下注1)、延長4.8km(3マイル)の路線だ。コグとは歯車の歯のことだが、アメリカではラック式鉄道を一般に「コグ鉄道 Cog railway」または単に「コグCog」と呼ぶ。国内で現存するコグ鉄道はこのほか、コロラド州のパイクスピーク Pikes Peak とミシガン州ハンコック Hancock にあるのみ(下注2)で、希少価値の高い観光資源になっている。

*注1 ほぼ標準軌(1435mm=4フィート8インチ半)だが、下記参考文献では山地の気温変化その他の理由で生じた差だとしている。
*注2 パイクスピークのコグについては、本ブログ「マニトゥー・アンド・パイクスピーク・コグ鉄道」を参照。
 ミシガン州ハンコックのクィンシー・アンド・トーチ湖コグ鉄道 Quincy and Torch Lake Cog Railway は、1997年に開業した延長わずか700m(2300フィート)のミニ路線。最急勾配350‰。

1868年8月に開業したワシントン山のコグは、いうまでもなくラック式登山鉄道としては世界最古の歴史を誇る。ただしこれは、工事の認可期限に間に合わせるために、取り急ぎ途中まで開通させたにすぎない。山頂まで全線が完成したのは少し遅れて1869年7月のことだ。それでも二番手となったスイスのリギ山に上るフィッツナウ=リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn(1871年)より2年早く、先駆者としての地位は揺るがない。

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マーシュ式ラック装置

マーシュの考案したラック式装置(右写真)は、そのリギ山で初めて使われたニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach の方式(リッゲンバッハ式)とよく似ている。しかし、マーシュのラックレールの桟の断面が円形なのに対して、リッゲンバッハのそれは台形で、歯車との噛み合せが改良されているという。結局マーシュ式は、ここにしか残らなかった(下注)。その意味で、保存されているラック式蒸機と併せて、19世紀の鉄道工学史を証言する貴重な存在といえるだろう。

*注 メイン州アケーディア国立公園 Acadia National Park にあったグリーン山コグ鉄道 Green Mountain Cog Railway(グリーン山は現在のキャディラック山 Cadillac Mountain)でも使われたが、わずか7年(1883~1890)の短命に終わった。蒸機2機は、ワシントン山に引き取られた。

コグの舞台は、ボストン Boston から北へ266km(165マイル)、メイン州ポートランド Portland から西へ145km(90マイル)の山間部だ。地形図を2種類用意したので、それを参照していただきたい。起点はワシントン山の西麓にあり、地形図にマーシュフィールド駅 Marshfield Station と記された地点が乗り場だ。開通当時はここが基地駅(山麓駅)Base Station だったが、1920年代にコグの創設者と、ワシントン山頂に上った最初のヨーロッパ人とされるダービー・フィールド Darby Field にちなんで改称された。

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大統領連山周辺の地形図(原図1:100,000)
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コグ鉄道周辺の地形図(原図1:25,000)

一方、今の地形図ではマーシュフィールドより少し西にBase Stationの注記があり、コグの線路もそこまで延びている。ここにコグの車両基地(車庫と工場)があるからだが、かつてはここに麓の谷を走る標準軌線からフェービアン Fabyan 駅で分岐した延長9.7km(6マイル)の支線が上ってきていた。

支線開通はコグ全通の7年後の1876年のことで、その際、コグの線路が西(下手)へ約400m(1/4マイル)延長され、対面で乗換ができるようになった。支線は粘着運転ながら最急勾配60‰とこちらも相当険しく、機関車は急勾配線の常道である坂下側につけられたという。コグの会社は支線の開通をきっかけに株主に配当が出せるようになったといわれるくらい、集客に貢献したが、自動車に押されて1930年に休止されてしまった。支線跡は、地図上にOLD RAILROAD GRADEと注記を添えた小道の記号で残されている。

今は道路が唯一のアプローチだ。フェービアンから延びてくるこの道路(ベース・ロード Base Road)も、ワシントン山ターンパイク(有料道路)Mount Washington Turnpike としてコグ鉄道の工事のために造成されている。道路が現マーシュフィールド駅まで達しているのは、上述のように開通当時はそこがコグの起点だったからだ。

地形図を読む限り、起点の標高は820m(2700フィート)、終点は頂上のすぐ下で1910m(6270フィート)程度になる。この高度差1090mを、列車は上り65分(蒸機の場合。ディーゼルは37分)、下りは40分でつなぐ。

■参考サイト
ワシントン山山頂付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=44.2700,-71.3026&z=15

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(左)コグ鉄道の玄関、マーシュフィールド駅舎
(右)同 列車乗り場。山へ駆け上がる線路が見える
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(左)蒸機に石炭を補給するホッパーも現役 (右)鉄道工場・車庫は下手にある

では、マーシュフィールド駅から山頂へ行く列車に乗り込もう。板張りの簡素な客車だが、機関車は後ろにつくので前方の視界を遮るものはない。発車すると、いきなり線路は急な上りにかかる。渡る谷川はアモヌーザック川 Ammonoosuc River といい、ワシントン山の西斜面を駆け下りてきた清流だ。斜度の差でジェットコースターのようにも見えるコールド・スプリング・ヒル Cold Spring Hill の坂道をしばらく上っていく。まだ周囲に森林が広がるが、蒸機の排煙による延焼を防ぐため、線路の左右は防火帯のように刈り取られている。

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(左)山上行き列車が乗り場に待機 (右)板張りの客車は前方の視界良好
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(左)谷川を渡っていきなり急坂に (右)コールド・スプリング・ヒルを一気に上る

やがて前方に、巨大な桶のようなワウムベック・タンク Waumbek Tank(地形図ではWater Tankと表示)が現れる。高度1160m(3800フィート)の表示があり、線路はタンクを挟んで複線になる。これは列車交換のためのパッシングループ(待避線)で、延長が550m(1800フィート)あり、所要時間短縮のために2004年に完成した。両端にある転轍機はトラバーサー(遷車台)式で左右に動くが、その動力は太陽光発電で供給されているという。以前は1941年に造られた枝状の長い側線(下注)だったため、待つ側の列車はスイッチバック運転が必要だった。

*注 この形の待避線は、上部のスカイライン・スイッチ Skyline Switch にまだ残っている。

蒸機は、山頂往復に備えてこのタンクから給水を受けるし、二番列車以降なら、山を下ってくる列車と行き違う。後ろを振り向けば、いつのまにか小さくなった山麓の基地とともに、森のかなたにワシントン山ホテル(現オムニ・ワシントン山リゾート Omni Mount Washington Resort)の赤屋根を載せた白亜の城が望めるだろう。

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(左)上りきると前方にワウムベック・タンク。 転轍機はトラバーサー式
(右)長い待避線の間で列車交換がある

複線区間が終わると、傾斜はさらに険しさを増し、線路は進行左側に落ち込む斜面にかろうじて張り付いていく。周りの樹木が次第に低く疎らになるのも高度が上ってきた証拠だ。全線の中間地点は、右手にある「ハーフウェー・ハウス(中途の家)Half-way House」と書かれた小屋でわかる(地形図には小屋 barn の記号がある)。小屋はもちろん水平に建っているのだが、坂を上る車窓からは山側にかなり傾いているように見える。高度は1370m(4500フィート)に達する。

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(左)待避線の末端。急勾配はこれからが本番 (右)ハーフウェー・ハウスの横を通過

コグ鉄道の線路は、全線にわたって木組みの架台(トレッスル)の上に敷かれている。雪や岩屑の排除を容易にする工夫だが、これから通る区間は地面から高さがある。さらに最急勾配374.1‰もこのあたりで、客車の前と後ろで4.2メートルの高低差があるそうだ。建設当時から、旧約聖書の創世記でヤコブの夢に出てきた天に通じる梯子(はしご)のようだと言われ、今も「ヤコブの梯子 Jacob's Ladder」と案内される。トレッスルはほとんどが木造で、古くなれば交換するため、線路の周りには朽ちた丸太が散乱している。高度は1440m(4725フィート)。

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(左)天に通じる「ヤコブの梯子」
(右)画面中央が山麓駅。遠くの白い建物はワシントン山ホテル

この名所を乗り切ると、線路はついにスカイライン Skyline と呼ばれる尾根の上に出る。手前のクレー山 Mount Clay に隠されていたジェファーソン Jefferson、アダムズ Adams、マディソン Madison といった大統領連山の北側の主峰群が、初めて姿を見せる。その右に落ち込む大きな谷の一帯は、グレート・ガルフ(深い淵あるいは湾)Great Gulf と呼ばれる原生林だ。

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尾根上(スカイライン)に出る。手前はクレー山
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大統領連山の眺望
ピークは左からジェファーソン山、アダムズ山、奥の少し低いのがマディソン山

山上でしか味わえない雄大な眺めを楽しみながら、右手に枝状の側線(スカイライン・スイッチ Skyline Switch)を見送って、列車はさらにワシントン山の北西斜面をゆっくりと上っていく。地図には給水タンク Water Tanks の表示があるが、実物はすでに撤去されている。右手に山頂の建物を仰ぎながら自らも大きく右に回り込んでいくと、まもなく終点だ。先行列車で着いた人たちが私たちの列車を写真に撮ろうと待ち構えているだろう。東斜面に山上まで有料道路(ワシントン山自動車道 Mt. Washington Auto Road)が通じているので、クルマで上ってきた観光客とも合流することになる。

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(左)スカイライン・スイッチを通過 (右)頂上のビジターハウスが見えてきた
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山頂駅に到着
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(左)1917mの山頂 (右)最強の風速記録をもつ測候所があった山頂のスーベニア・ショップ

往復ツアーの場合、頂上滞在の1時間を含めて所要3時間だ。すべて蒸機運行だったころは頂上の滞在時間が20分と言われていたが、ディーゼル化によるスピードアップが観光時間の拡大に寄与した。それだけに防寒具は必須といえるだろう。なにしろ、山頂は1934年に世界で最も強い風速103m/s(当地の表示は時速231マイル。2010年に破られた)が観測されたという現場でもあり、天候は荒々しく常に不安定だ。

長らくコグ鉄道の主役は、蒸気機関車だった。下の写真の左側は1866年製の1号機で、開業時に走った最初のコグ機関車だ。初めヒーローHeroと名付けられたが、縦型ボイラーがペパーソースの瓶(タバスコのような)に似ていたので、後にペパーザス Peppersass と呼ばれるようになった。

これがマーシュフィールドの乗り場に展示されているのには訳がある。水平ボイラー車の導入によって引退していたペパーザスは、1929年の開業60周年記念行事の目玉として、復活運転されることになった。ところが晴れの舞台で山を上る途中、車軸が突然破損し、坂を逆走する大事故を起こしてしまったのだ。列車は脱線して壊れ、逃げ遅れた乗員1名が死亡した。ペパーザスはその後修復されたものの、一度も走らせてもらえず、記念碑のように広場に置かれたままになっている。

それに対して、右の9号機ワウムベック Waumbek(下注)は現役だ。ニューハンプシャー州にあったマンチェスター機関車工場 Manchester Locomotive Works で1908年に造られた蒸気機関車で、このほかにも数両の同僚が基地の工場に動態保存されている。

*注 ワウムベックは、大統領連山の北に位置する標高1221m(4006フィート)の山の名。

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(左)1号機ペパーザスはお化粧直しの最中 (右)仕業を終えた9号機ワウムベック

蒸機は、コグ・スモッグ Cog Smog と揶揄されるほど大量の煤煙を出す。州の大気汚染防止法に抵触するので、特別に除外規定があるほどだ。2008年からはスピードアップと環境対策を兼ねて、順次自社工場製の液体式ディーゼル機関車の配備が始まった。すでに4両が揃い、列車の運行は基本的にこのディーセルで担われている(写真左は2008年製M-1号機、右は2009年製M-2号機)。その結果、昔ながらの蒸機による運行は、夏のシーズン中、朝8時15分に出る1便に限定されてしまった。

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(左)現在の主力ディーゼル機関車M-1号機 (右)同 M-2号機

さて、このようなユニークな鉄道の建設を実行したシルヴェスター・マーシュとは、どのような人物だったのか。マーシュとコグ鉄道の関わりについて、次回詳述したい。

(2006年12月28日付「ワシントン山コグ鉄道」を全面改稿)

本稿は、Bruce D. Heald, "The Mount Washington Cog Railway: Climbing the White Mountains of New Hampshire " History Press, 2011、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
地形図は、アメリカ合衆国官製1:100,000地形図 Mount Washington(1988年版), 1:25,000 地形図Mt Washington(1982年版)を用いた。

写真はすべて、2011年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ワシントン山コグ鉄道(公式サイト) http://www.thecog.com/
ワシントン山コグ鉄道(旧サイト)http://www.cog-railway.com/
WhiteMountainHistory.org   http://whitemountainhistory.org/
 ワシントン山、コグ鉄道を含むホワイト山地の豊富な歴史資料がある。

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