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2012年10月29日 (月)

オーストリアのラック式鉄道-アーヘンゼー鉄道 II

前回はアーヘンゼー鉄道の生い立ちをたどったが、今回はルートを案内したい。添えた写真は今年(2012年)8月に現地を訪れた時のものだ。

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ゼーシュピッツから眺めるアーヘン湖

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)イェンバッハ Jenbach 駅構内は改修の手が加えられて、新線の駅とみまがうばかりだ。駅舎の東側、すなわちクーフシュタイン Kufstein 方の一角に、アーヘンゼー鉄道 Achenseebahn の出札兼売店と乗降ホーム、そして留置線の奥には機関庫も配置されている。同鉄道にとってここは車両基地だ。結構広い敷地を構えているのは、かつて貨物輸送も盛んだったからだろう。

2008年に事務所を改装して整備された出札兼売店には、絵葉書はもとよりピンバッジやTシャツ、資料本など鉄道グッズが並んでいる。ファンとしては、立ち寄らずに済ませることはできない。私たちは大人2人、小人2人の家族連れだ。売店でそう告げると、硬券1枚のファミリー切符 Familienkarte を出してくれて、ゼーシュピッツ Seespitz 往復で77ユーロ(7,546円)だった。片道7km足らずの乗車距離からすると相当高いが、大人1人の同区間往復は29.50ユーロなので、これでもいくらか割引されている。

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イェンバッハ駅にて
(左)スタンバイする3号機 (右)2号機がアーヘン湖から戻ってきた

鉄道は、ここイェンバッハからアーヘン湖畔のゼーシュピッツ(正式名称はゼーシュピッツ・アム・アーヘンゼー Seespitz am Achensee)まで6.76kmを結ぶ。次の発車は10時15分だ。私たちが着いたときには、すでに列車がホームでスタンバイしていた。急勾配を上る路線の鉄則で、機関車は坂下側、したがって後方に付けられている。3号機「アーヘンキルヒ Achenkirch」、1889年の開通時から活躍するラック式・粘着式併用の小型機だ。その前に連結されたデッキつきのオープン客車2両も、最初から使われている古参車両らしい。

接続時間がそれほどないので、満席になっていはしないかと気を揉んでいたが、杞憂だった。まだ十分空いている。かつて独占的な交通機関だった鉄道も、1955年に並行する道路が整備されて以来、クルマにその役割を譲った。加えてこの道路には、バスも1時間間隔で走っている(下注)。イェンバッハ駅のバス停は裏口(ツィラータール鉄道側)にあるが、列車で32分かかるマウラッハ Maurach まで、バスなら20分だ。かくして列車に乗るのは、それ自体が目的の客に限られる。

*注 ポストバス ÖBB-Postbus がイェンバッハ~アーヘンキルヒ Achenkirch 間で運行。VVT(チロル運輸連合)時刻表番号4080。途中、マウラッハでペルティザウ行きのバスに連絡する。

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アーヘンゼー鉄道周辺図

蒸機列車は時刻通り、イェンバッハを出発した。この駅の標高は530mだが、サミットとなる中間駅エーベン(正式名称はエーベン・イム・チロル Eben im Tirol)は970mある。この高度差440mを克服する手段がラックレールだ。梯子状のリッゲンバッハ式を用いており、最急勾配は160‰にもなる。それに対して後半区間、エーベン~アーヘン湖畔は粘着式運転で、25‰までの下り勾配で降りていく。

構内のはずれ(起点から0.21km)で、早くもラック区間に入る。ラック区間の延長は3.43kmあり、坂を上りきるまで間断なく続く。さっそく車掌が検札に回ってきた。走行中に車外から声がかかるので、事情を知らない人はびっくりするかもしれない。客車は枕木方向に長椅子が並ぶコンパートメント式で、通路がないため、車掌は側面の渡り板を伝ってくるのだ。

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(左)構内を出るやラックが始まる (右)車掌の検札は車外から

斜面の住宅街を抜けていく間、ドレン切りの蒸気が勢いよく家の軒先まで達している。騒音と煙と蒸気に見舞われる沿線住民もたいへんだろう。続いて右側が森に覆われていくが、左側にはイェンバッハの町とイン川上流の眺望が開けている。谷の奥に顔をのぞかせる高山は、インスブルックの南方に広がるシュトゥバイ・アルプス Stubaier Alpen の一部だ。そうこうするうち、坂の途中に設けられたブルゲック Burgeck の停留所は通過した。リクエストストップなので、乗降する人がなければ停まらない。公式資料によるとここまでの勾配は115‰以下、この先は勾配がきつくなり、最急160‰に達する。

客車の座席は公園のベンチのような板張りで、車体の振動が直接伝わってくる。ぐいっと前に引っ張られ、すぐさま引き戻されるような小刻みな前後の動きと、レールから来る上下振動が混ざりあい、複雑な揺れ方をする。列車は時速8kmという、降りて走っても追いつけそうな実にゆっくりしたペースで上っていく。そのうち止まってしまうのではないかと不安になるほどだ。

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(左)イェンバッハとイン谷の眺望 (右)眺望は途中で右側に移る

坂の中間部で尾根筋をまたぐため、眺望が右側に移る。アーヘン湖方面へ行く道路が、ヘアピンカーブを描きながら下方から近づいてくる。遠方に望めるのは、イン川にツィラー川が合流するあたりだ。イェンバッハを起点にするもう一つの狭軌線ツィラータール鉄道 Zillertalbahn は、手前に見える尾根を回ってツィラー川が造る谷に入っていく。高度が上がって見晴らしもいいが、楽しめる時間は長くない。まもなく両側とも森に覆われてしまうからだ。木立を縫って上ってくる旧道がヘアピンを繰り返しているのに、線路のほうは直登で、勾配の険しさが実感できる。力強いドラフト音が絶え間なく木立の中にこだまし、風向きが変わるとシンダー(石炭の燃えかすの黒い粒)がばらばらと所構わず降ってくる。

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(左)ツィラー谷を遠望 (右)しかしまもなく森の中へ

そんな蒸機列車ならではの我慢の旅も30分あまりで終わる。全線のサミットとなるエーベン Eben は、ドイツ語で「平らな」という意味のとおり、坂の上にある開けた土地だ。駅には、機回し兼用の待避線があり、機関車の付け替えが行われる。解結された機関車はいったん後ろに下がり、右側の線路を通って前方に移動する。定例の作業なので手慣れたものだ。

機関車が坂下側に付くのは、急勾配でもし客車の連結器が壊れたときに暴走の危険を回避するためだ。確かにこの先はずっと下り坂だが、勾配は最大でも25‰と普通鉄道並みなので、その必要性は低い。それでも手間をかけるのは、車道との平面交差があるため、機関士の前方視認を容易にするのが目的だろう。その証拠にこの作業は往路限定で、復路は終始、機関車は前方に固定されている。

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(左)エーベンに進入する列車 (右)160‰を示す勾配標
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(左)機関車の付け替え作業 (右)エーベン駅で列車交換(帰路写す)

地形図を見ると、エーベンの集落が載る高台は、湖のあるアーヘン谷 Achental の続きであることが推測できる。イン川に注ぐカースバッハ川 Kasbach が深い谷を造っているが、その下刻作用がまだ及んでいない部分ということになる。線路はこの狭い高台の山手に敷かれている。時速20kmまで出すので、上り坂に比べれば走りは軽快だ。

3分ほどで標高956mのマウラッハ Maurach に到着。数名の乗降があった。この付近には、高地リゾートらしいまとまった集落がある。時刻表では次が終点になっているが、この間に今年(2012年)、マウラッハ・ミッテ Maurach-Mitte(ミッテは中央の意)という停留所が新設された。旧来のマウラッハからわずか500mほどの地点だ。

新停留所をはさむ延長460mの区間は、2002年にルート変更が行われている。旧ルートは、弓なりに緩く曲がる道路に寄り添っていたが、これを道路から離してほぼ直線化した。線路と道路の間にできた空地は、交差点のロータリーと小公園に供されたが、さらに、今回、一部が停留所にも活用されたわけだ。砂利を敷いた低いホームにバス停のような標識が1本立っているだけの至って簡素な造りだが、私たちの列車では往復とも利用者が見られた。停留所ができたことで、北側のエアフルター・ヒュッテ Erfurter Hütte(エアフルト小屋)へ上がっていくローファン ロープウェー Rofanseilbahn の乗場へは、ここが最寄りになった。

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(左)既存のマウラッハ停留所 (右)新設のマウラッハ・ミッテ停留所

すでに進行方向には、淡いブルーの湖面と優雅に浮かぶヨットの群れが見え隠れしている。アーヘン湖は長さ9.4km、最大幅1kmの氷河湖で、チロル州では最も大きな湖だ。大きいだけでなく、風の条件がよいため、ヨットやウィンドサーフィンの適地になっていて、チロルの海 Tiroler Meer という別称があるそうだ。列車は牧草地の間をすべるように降りていき、湖岸を少し走って、桟橋のある終点ゼーシュピッツに時刻通り11時に到着した。

標高931m、高原の湖畔も日差しは強いが、涼風が吹いて爽快だ。背後に森が迫るため、簡易レストランと売店を兼ねた駅舎の周りに、人家は1軒もない。桟橋の先で遊覧船が待っていて、乗客の多くはそれに乗換える。リゾート地ペルティザウ Pertisau をはじめ、湖岸の主要ポイントを巡っていく船だ。湖に蒸気船が就航したのは1887年で、鉄道開通の2年前だ。20世紀に入ってディーゼル船に交替したが、今も蒸気鉄道とともに周遊観光の主軸を担う。

一方、残された列車には、代わりにイェンバッハに戻る客が乗込み始めた。機関車は湖から引いた水道で給水を受けた後、客車を推して待避線まで後退し、機回しされて前面に付く。10分あまりで一連の作業を終えた列車は、再びエーベン方向へ元気に出発していった。

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(左)行く手に湖が見え隠れする (右)終点ゼーシュピッツでは遊覧船が待つ
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(左)復路に備えて給水
(右)イェンバッハへ帰る列車(動画からのキャプチャー)

アーヘンゼー鉄道の運行スケジュールは、2012年の場合、5月26日から10月7日のハイシーズン中が7往復、5月1日~25日と10月8日~28日の「前後」シーズンは3往復だ。それ以外の期間は休止となる。

本稿は、英語版公式ガイドブック "Achensee Steam Cog Railway" Management of Achenseebahn-AG. 10th revised edition, 2009、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Achenseebahn, Achensee)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。

■参考サイト
アーヘンゼー鉄道(公式サイト) http://www.achenseebahn.at/
イェンバッハ駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.3879,11.7787&z=16
ゼーシュピッツ駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.4251,11.7309&z=16

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2012年10月16日 (火)

オーストリアのラック式鉄道-アーヘンゼー鉄道 I

アルプスに囲まれたチロル州 Tirol(下注1)に、開通当時のスタイルのまま、蒸気機関車がラックレールを上るアーヘンゼー鉄道 Achenseebahn(下注2)がある。蒸機を残す同種の鉄道はほかにもあるが、いずれもイベント用に限定したり、油焚きの新型に入れ替えたり して、旧型機の負担をできるだけ減らそうと努めている。機関車の延命もさることながら、運行コストの圧縮、あるいは多客時の機動性を考えてのことだ。

ところがアーヘンゼー鉄道は、全便をオリジナルの蒸機で運行するという方針を決して崩そうとしない。しかも1889年開業という経歴は、現役のラック式蒸気鉄道ではヨーロッパ最古だ。今や動く重要文化財ともいうべきこの頑固一徹の鉄道を紹介しよう。

*注1 Tirol(ティロール)の日本語表記は慣用の「チロル」を使用する。
*注2 Achenseebahn の日本語表記は「アッヘンゼー鉄道」もよく見かけるが、ここではオーストリア政府観光局のHPに従う。ただし地名は「アーヘンゼー湖」と重ねず「アーヘン湖」、鉄道名は「アーヘンゼー鉄道」と記す。

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アーヘンゼー鉄道の蒸機列車 (イェンバッハ駅にて)

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アーヘンゼー鉄道は、標高530mのイェンバッハ Jenbach から、サミットとなる標高970mのエーベン Eben を経てアーヘン湖畔にある標高931mのゼーシュピッツ Seespitz に至る、軌間1000mmのラック式・粘着式併用の鉄道だ。延長6.76km(うちラック式区間3.43km)、最急勾配はラック式160‰、粘着式25‰。ラックレールは梯子形の平面形をもつリッゲンバッハ式を使っている。ラック式鉄道というと、見晴しのいい山頂に上るか、険しい峠を越えるものというイメージが強いが、この路線は高台にある湖が目的地だ。そのため、終点では連絡船が、列車の到着を待っている。

それではなぜここに鉄道が敷設され、そして現在まで生き残ることができたのか。生い立ちに遡ると、もともとこの鉄道は、大規模な南北縦断線の一部を構成するはずだった(下図参照)。1886年に発表された構想では、ドイツ、バイエルン州のテーゲルン湖 Tegernsee を起点にして南下し、アーヘン峠 Achenpass を越える。オーストリアに入り、アーヘン湖からイェンバッハへ(この区間が現路線)、さらにツィラー川に沿ってマイヤーホーフェン Mayrhofen まで延伸するとされた。ミュンヘンからテーゲルン湖沿岸のグムント Gmund までは、すでに1883年に鉄道が通じていた(下注)ので、これとの連絡を目論んでいたのだろう。

*注 この路線は1902年に現在のテーゲルンゼー Tegernsee 駅まで延長されて、現存する。

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広域図

資金調達の目途がつき、急勾配区間でのラックレールの採用も決まり、計画の予備認可が下りたのは1888年。ところが、地元自治体が猛反対したため、湖の地主であり、汽船の運航もしていたフィーヒト Fiecht の修道院長のとりなしで、ようやく正式認可に漕ぎつけたという。認可期間は90年間とされた。さっそく秋から工事が始まり、その冬の穏やかな気候も与って、6.36kmの路線がわずか8か月の工期で竣工した。1889年6月に盛大な開通式が執り行われている。

引き続き、北方への延伸が検討された。しかし、あらゆる働きかけにもかかわらず、バイエルン州は関心を示さなかった。それと対照的に、南方への延伸計画は具体化し、1902年にツィラータール鉄道として実現するのだが、経営体は別で、かつ軌間は760mmが採用された。そのため、メーターゲージ(1000mm)のアーヘンゼー鉄道は、直通の不可能な短い支線として残ることになった。それでも第一次世界大戦までは、旅客輸送のほかに湖の周辺から伐り出された木材の輸送もあり、電化が検討されたほど経営は堅調だった。

ところで、開通時の終点は現在の場所と異なる。船の桟橋の400m手前、線路がちょうど湖岸に達したところがもとの駅の位置だ(下図で、Former Terminusと注記した星印)。遠浅のため、この付近に桟橋を設けることはできず、別に600mm軌間のトロッコ用レールが桟橋まで敷かれていた。貨物は手押しトロッコに載せられ、列車と船の間を往復した。これは例の修道院の意図によるもので、ささやかな連絡運輸から上がる収益を狙ったらしい。しかし、第一次大戦中の1916年、軍部は輸送力増強のために、トロッコ線を撤去し、本線を桟橋横まで延ばした。この改造は戦時措置だったが、1929年、正式に認可され、アーヘンゼー鉄道の延長は6.76kmとなった。

*注 下図で、Former Terminusと注記した星印の位置が開通当時の終点。遠浅のため、この付近に桟橋を設けることはできなかった。

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アーヘンゼー鉄道周辺図

船との接続が改良されたとはいえ、その後の歩みも決して平坦ではなかった。敗戦で帝国が解体されると、国内に不況が蔓延し、鉄道はたちまち運行中止の危機に陥った。なんとか持ちこたえられたのは、発電所の建設に伴って資材運搬という任務が生じたおかげだ。アーヘン湖の水は南のイン川 Inn へ注いでいるように錯覚するが、そうではなく、もともと北へ流れ出て山中を抜け、ミュンヘン市街を貫くイーザル川 Isar に合流していた。その水を南へ導き、イン谷 Inntal との間に生じる380mの高低差を利用して発電する。この開発計画は1928年に実現した(下注)。発電所を経営したのは、このために設立されたチロル水力発電株式会社 Tiroler Wasserkraft AG、略称TIWAGで、この先、鉄道とも深い関わりをもつことになる。

*注 図2で、湖から発電所(Power Stationと表記)につながる青色の破線が導水路。取水の結果、湖水の北への流出はほぼ止まってしまった。

1930年、小鉄道の将来に希望を見いだせない会社は、バス路線を併営するようになる。1933年からのナチスドイツによる経済制裁、いわゆる1000マルク封鎖は旅行者を激減させ、再び鉄道を危機に追い込んだ。しかし、1938年にオーストリアがドイツ帝国に併合されたことで旅行需要は回復し、さらに第二次大戦中は、労働者や工場の疎開、ガソリン不足などの事情が重なって、年間利用者数が14万人を越えた。

戦後は反動で一時利用者が落ち込むが、1950年にTIWAGが鉄道会社の大株主を引受けたころから再び持ち直した。だが、課題は別のところに潜んでいた。戦中戦後の酷使によって、施設設備の疲弊が進行していたのだ。1970年代になると状況は深刻化し、観光利用は安定的ながら、保守に要する費用はTIWAGが内部補填できる限界に達するようになった。時あたかも路線認可の期限(1889年から90年後)が近づいており、延長申請を行わないという選択肢も検討されていたようだ。

存続の危機に直面したとき、19世紀の建設計画には反対した市民が、今度は良き理解者となって現れた。歴史的価値が高く、地域振興に欠かせない観光資源を救おうと、1978年に市民主導で行動委員会が組織され、行政への働きかけが行われた。その結果、認可は2年間延長されることになり、その間にTIWAGが保有する鉄道会社の株式は、エーベン Eben、アーヘンキルヒ Achenkirch 両村が折半で引き受けることが決まった(1991年からイェンバッハ村も資本参加)。これに先立ち、バス事業は本体から切り離され、他社に譲渡された。さらに連邦や州政府、TIWAGの財政援助を得て、老朽化した線路の更新工事が開始された。1982年からは、認可期間が10年単位で延長されており、アーヘンゼー鉄道の運営は軌道に乗っているようだ。

一方、老機関車たちも、この間にさまざまな試練を乗り越えてきた。1889年の開通時に配備されたのは4両の蒸気機関車だった。粘着式・ラック式が併用できる仕様で、ウィーン・フローリッツドルフ機関車工場 Wiener Lokomotivfabrik Floridsdorf から納入されたものだ。このうち4号機は早くも1930年に廃車となり、同僚への部品供給の役を果たした後、1954年に最終処分された。残る1~3号機が、傷んだ部品の交換を受けながら現役を続けてきた。

ところが2008年5月に、イェンバッハの機関庫で電気回路のショートによる火災が発生し、建物とともに1号機が丸焼けになるという事態に見舞われる。他の2両は被害を免れたものの、それだけでシーズンを乗り切るのは難しい。幸いなことに、長年空番のままの4号機を復活させる計画が約10年前から進められていた。台車や駆動装置など主要部に1~3号機の改修で生じたお下がりを使うなど、オリジナルに忠実に製作されており、ほとんど完成の状態だった。そこで、運行に必要な整備が3週間の突貫作業で行われ、ピンチヒッターとして送り出された。また、焼損した1号機も、ボイラーを新調するなどして2009年中に修復が完了した。これによって2010年のシーズンには、80年ぶりに4両の蒸機が揃い踏みを果たすことになった。

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側面のネームプレート

機関車は、それぞれ財政支援をしている沿線自治体の名にちなんだ愛称を持っている。1号機は「エーベン・アム・アーヘンゼー Eben am Achensee」、2号機「イェンバッハ Jenbach」、3号機「アーヘンキルヒ Achenkirch」だ。側壁には名称プレートがもう一つついているが、これは開通当時の愛称だ。1号機「テオドーア Theodor」2号機「ヘルマン Hermann」3号機「ゲオルク Georg」。そして、復活した4号機は、理解ある主要株主の孫娘の名をとって「ハナー Hannah」と命名されている。

次回はアーヘンゼー鉄道のルートを追っていこう。

本稿は、英語版公式ガイドブック "Achensee Steam Cog Railway" Management of Achenseebahn-AG. 10th revised edition, 2009、Günter Denoth "Drei Spurweiten, Ein Bahnhof" Sutton Verlag, 2011、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Achenseebahn, Achenseebahn 1 bis 4, Achensee)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。

■参考サイト
アーヘンゼー鉄道(公式サイト) http://www.achenseebahn.at/
4号機関車「ハナーHannah」の落成式(写真)
http://www.achenseebahn.at/erlebnis/fotoalbum/lok_4_einweihung_hannah.html
イェンバッハ駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.3879,11.7787&z=16
ゼーシュピッツ駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.4251,11.7309&z=16

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