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2012年7月21日 (土)

オーストリアのラック式鉄道-シュネーベルク鉄道

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シュネーベルク鉄道の
蒸機列車

首都ウィーンの西から南西にかけては麗しい緑の山々が広がっている。そのうち市街に比較的近いエリアをウィーンの森、ウィーナーヴァルト Wienerwald(下注)と呼ぶのは、ワルツの名曲を引き合いに出すまでもなく周知のことだ。それに対してさらに遠方、南西方向に見える山々は、ウィーナー・ハウスベルゲ Wiener Hausberge と総称される。ウィーン市民にとっての地元の山々という語義だが、その範囲は70~80km離れた標高2000m級の山塊まで含んでいる。シュネーベルク山 Schneeberg やラックス山 Rax は、その代表格だ。今回は、そのシュネーベルクへ100年以上も走り続けているラック式登山鉄道を紹介したい。

*注:本稿ではドイツ語のWの日本語表記をヴとしているが、Wien, Wienerのみ、慣例に従いウィーン、ウィーナーとした。

シュネーベルクのピークは標高2076m。下オーストリア州では第一の高峰で、広域的にもアルプス山脈の最東端に位置づけられる。加えて、ウィーンに北東側すなわち日陰の斜面を向けているので、最も遅い時期まで残雪が見える。ドイツ語で雪の山という山名がつくゆえんだ。

堂々とした山塊は石灰岩で構成されている。緩やかな起伏の山上、険しい崖の連なる山腹と、山容は変化に富み、夏はトレッキング、冬場はスキーを楽しむ人々の主たる目的地だ。それだけでなく、降った雨は地下深く浸み込み、山裾で豊富に湧き出している。大都市には珍しくそのまま飲用できるウィーンの上質な水道水は、これを水源としている(下注)。市民にとって身近な存在であることが、この山に登山鉄道が敷かれた主たる理由であることは間違いない。

*注 1873年に延長94.75kmの第一ウィーン山岳泉源水道 I. Wiener Hochquellenwasserleitung が完成した(後に延長され112kmに)。さらに隣州にまで水源を求めた第二水道が1910年に造られている。

■参考サイト
ウィーン上空からシュネーベルク方向を望む(背後の山並みで、中央の最も高い山がシュネーベルク)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wienerbergbisschneeberg.jpg
シュネーベルク山写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Schneeberg_(Alps)

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中央円内が
シュネーベルク鉄道
(ÖBB路線図より)

シュネーベルク鉄道 Schneebergbahn は、標高577mのプフベルク・アム・シュネーベルク Puchberg am Schneeberg(以下、プフベルクという)を起点に、同 1792mのホッホシュネーベルク Hochschneeberg まで、高度差1215mを上る軌間1000mmのラック式鉄道だ。延長9.7km(全長9.851km)、ラックレールはアプト式を使っている。最急勾配は197‰だ。

山麓駅プフベルクへは、幹線のウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt 駅からオーストリア連邦鉄道ÖBBのローカル線で向かうのだが、建設認可時の定義によると、実はこちらがシュネーベルク鉄道の本線だ。すなわち、ウィーナー・ノイシュタット~プフベルク間の標準軌線が本線 Stammstrecke、同じ標準軌のバート・フィッシャウ=ブルン Bad Fischau-Brunn ~ヴェラースドルフ Wöllersdorf 間が支線 Abzweigung、そして、登山鉄道は続行線 Fortsetzungsstrecke(本線から先へ続くという意味)で、これらの総称がシュネーベルク鉄道ということになる(下注)。ただし、現在の鉄道事業者NÖSBBは、シュネーベルク鉄道の呼称を登山鉄道に限定しているようだ。

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シュネーベルク鉄道と
接続路線図

*注 後述するウィーン=アスパング鉄道は、シュネーベルク鉄道の運行権を握った後の1900年、自社線から直接プフベルク方面へ接続するゾレナウSollenau~フォイアーヴェルクスアンシュタルト Feuerwerksanstalt 間を開業した。これもシュネーベルク鉄道の一部で、補完線 Ergänzungsstrecke と称したが、1937年に廃止となった。

シュネーベルクに上る最初の鉄道構想も、スイスのリギ鉄道の成功に刺激を受けて出願されたものの一つだ。ただし、その起点は、南部鉄道 Südbahn のゼメリング越えが始まるパイエルバッハ Payerbach に置かれていた。1872年に予備免許が下りたものの、シャーフベルクがそうであったように翌年に発生した経済恐慌のため、失敗に帰してしまった。それから12年後の1885年になって、改めてウィーナー・ノイシュタット駅を起点とする路線計画が動き始める。しかし、資金の目途がつき、最終的に建設の認可を得たのはさらに10年を経た1895年だった。

この年の12月に、まず「本線」が着工され、1897年4月に開通した。本線から少し遅れて1896年に続行線たる登山鉄道の工事も始まり、バウムガルトナー Baumgartner までの部分開通を経て、1897年9月にホッホシュネーベルクまでの全線が開業した。翌年には山上ホテルも完成して、営業体制が整った。しかし鉄道の経営はうまくいかず、早くも1899年に、ウィーンから路線を延ばしてきたウィーン=アスパング鉄道 Eisenbahn Wien-Aspang (EWA, Aspangbahn) に買収され、その路線網に組み込まれてしまった。

1901年には山上駅の近くに、異国で無政府主義者の凶刃に倒れた皇妃エリーザベト(シシー Sisi)を追憶するエリーザベト教会 Elisabethkirche が献堂された。夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は当時70歳を越えていたが、翌年夏に、登山鉄道で教会を訪れている。1937年、今度はアスパング鉄道の経営難により、列車の運行が国鉄(オーストリア連邦鉄道、当時の略称はBBÖ)に引継がれた。しかしそれも束の間、翌38年のドイツによるオーストリア併合を受けて、鉄道は国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の一部となった。

第二次大戦が終わると、再びオーストリア国鉄 ÖBB の路線に戻り、これが1996年まで続く。1997年に、登山鉄道の列車運行は下オーストリア(ニーダーエースタライヒ) Niederösterreich 州とÖBBの出資で設立された下オーストリア・シュネーベルク鉄道会社 Niederösterreichsche Schneebergbahn GmbH (NÖSBB) に移管された。さらに2011年には同区間の鉄道施設もÖBBから分離され、州が出資する下オーストリア運輸機構会社 Niederösterreichischen Verkehrsorganisationsgesellschaft m.b.H. (NÖVOG) の所有となっている。

軽油焚きの新型車を導入してまで、蒸気機関車による運行にこだわるシャーフベルクと異なり、シュネーベルク「登山」鉄道の主力は、1999年に定期運用を開始したディーゼル動力の列車だ。山麓方から順に、動力車(機関車)、付随車(客車)、制御車(運転台のある客車)の3両固定編成になっている。

何よりも初めて訪れた旅行者の目を奪うのは、濃緑の地に黄色の大きな斑模様を配した奇抜ないでたちだ。もちろんこれは、軍用の迷彩色などではなく、山地に生息するザラマンダー Salamander(サンショウウオ)をイメージしている。蒸機で運行されていた1980年代、山上まで80分を要していたが、ザラマンダーは途中給水が省けることもあって、わずか49分と大幅な時間短縮を果たした。おもしろいことに、ザラマンダー・ベイビー Salamander-baby もいる。荷物を運ぶトレーラーに同じ塗装を施しているのだが、親子連れで走る姿は微笑みを誘う(下記参考サイトも参照)。

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(左)ザラマンダー (右)ザラマンダー・ベイビー

ザラマンダーの写真2点は、2014年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の戸城英勝氏から提供を受けた。ご好意に心より感謝したい。

■参考サイト
親子連れザラマンダーの写真
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Salamander-Triebzug_mit_Salamander-Baby_im_Bahnhof_Puchberg.jpg

蒸気機関車は、開通初期からの5両(車番999.01~05)が在籍する(下注)。1974年、増便のためにシャーフベルクから1両が移されてきたが、2007年に古巣に戻った。現役とはいえ110歳を越える蒸機は、夏季の日祝日に1日1往復設定されるノスタルギー・ダンプフツーク Nostalgie Dampfzug(懐古蒸機列車)と、団体予約の臨時列車に従事するのみだ。

*注 機関車はシャーフベルク鉄道と同形だが、線区の最急勾配(シュネーベルク197‰、シャーフベルク255‰)に応じてタンクの傾斜角度を変えているという。

登山鉄道は2012年現在、4月の終わりから11月初めまでの季節運行になっている。日中およそ1時間ごとに出発しているが、利用者が少なければ間引きされるようだ。

■参考サイト
シュネーベルク鉄道(公式サイト) http://www.schneebergbahn.at/
同 時刻表 http://www.schneebergbahn.at/en/fahrplan.html
写真集-シュネーベルク鉄道
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Schneebergbahn

筆者が現地を訪れたのは1999年8月。あいにく山上は雲の中だったので、大したメモも残っていないが、資料で補足しながら全線をレポートしよう。

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プフベルク駅
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バウムガルトナー停留所
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ブーフテルンを手に
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山上のエリーザベト教会

7時58分ウィーン南駅発のICに乗って、ウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt 駅に降り立つ。ホームの数がやけに多い駅だが、ホームの時刻表には発着番線が記載されていない。プフベルク Puchberg 行きの列車がどこから出るのかすぐには分からなくても、リュックを背負った人たちの後をついていけば迷うことはない。待っていたのは単行のディーゼルカーで、座席数が少ないため、ほぼ満席の状態で出発した。のどかな田園を抜けて、やがて山中に入る。ちょっとした峠越えのあるグリューンバッハ Grünbach 付近では、パープーとユーモラスな警笛を鳴らしながら、山の中腹を巻いていく。

標高577mのプフベルクに到着したものの、接続するはずだった9時45分発の蒸機列車(下注)の席はすでに売切れで、1時間後の便をあてがわれた。絵はがきを書き、駅前の公園で池の白鳥に餌をやりながら、時間をつぶす。切符に10時42分発とあった列車は、クルマで来た客が多かったためか、40分と45分発の続行運転になった。乗るのはザラマンダーの名のとおり、黄と緑のまだら模様に塗ったディーゼルカーだ。視界の開ける進行方向左側に陣取る。

*注 当時はまだ蒸機列車が、ハイシーズン4~5往復運行されていた。

緑濃い村里は、最初の停留所シュネーベルクデルフル Schneebergdörfl(下注)付近までだ。次第に森に覆われていく中を、列車はぐいぐいと高度を上げていく。次のハウスリッツザッテル Hauslitzsattel で、一つ鞍部を越える(ザッテルは鞍の意)。ここは列車交換が可能だが、ポイントの切替えは集中制御ではなく、列車から無線で操作するのだそうだ。さらにヘングスト山 Hengst の斜面に張りついて上る。ヘングストヒュッテ Hengsthütte(ヒュッテは山小屋の意)と次のテルニッツァーヒュッテ Ternitzerhütte との間が全線の中間で、ここにも信号所がある。まもなく、線路は尾根に築かれた堤を渡る。天気が良ければ、ここからシュネーベルクの本体を眼前に仰ぐことができるはずだ。

*注 2008年にヘングストタール Hengsttal に改称。

山蔭を回った標高1398mのバウムガルトナー Baumgartner で、小休止がある。客はぞろぞろと列車から降りて、駅舎で何やら買い求めている。見倣って妻が買ってきたのは、プルーンジャムの入ったパンだった。後で聞いたところ、これは山小屋の主人が焼くブフテルン Buchteln というお菓子で、登山鉄道の名物として広く知れ渡っているらしい。給水の必要な蒸機はもとより、サラマンダーもこのために数分停車する。

全員車内に戻ったら、改めて山上に向け出発だ。線路はホーエ・マウアー Hohe Mauer(高い石垣)と呼ばれる石積みの堤を助走路にして、シュネーベルクの山腹に取り付く。一段と急になった勾配は最後までほとんど緩まることはない。急斜面を、カーブした2本のトンネルでS字状にしのいでいく。すでに森林限界を越えて、ラックス山 Rax やゼメリング Semmering に及ぶウィーナー・ハウスベルゲのパノラマが開けるところだが、残念なことに視界はまったくきかない。11時25分、終点ホッホシュネーベルクに到着する。風が強くとても寒いので、エリーザベト教会をのぞいた後は、さっさと山の家に避難せざるをえなかった。

なお、筆者たちが訪れた頃はまだ、ホッホシュネーベルク駅が教会の正面にあった。その後2009年に、山の家 Berghaus への引込線を利用して線路が延長され、駅舎も山の家の手前に移設された。かつて吹きさらしだったホームは、天候に影響されないドーム型の乗降施設に一新された。

ちなみに、山上駅で降りると、左手(西側)は上り斜面になっているので、これを上がれば山頂と早合点しそうだ。しかし、これはヴァックスリーゲル Waxriegel という小山で、いわば前座に過ぎない。シュネーベルク山の本尊はその遥か後方に控えている。緩やかな尾根でつながった2つのピークをもち、南側が標高2076mのクロスターヴァッペン Klosterwappen、北側が山小屋フィッシャーヒュッテ Fischerhütte の載る標高2061mのカイザーシュタイン Kaiserstein だ。登山鉄道の駅からほんとうの山頂までは、まだ片道約3kmの山歩きを覚悟しなければならない。

本稿は、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Schneebergbahn, Schneebergbahn (Zahnradbahn), Aspangbahn, SKGLB Z, NÖSBB Salamander, Schneeberg (Niederösterreich), Elisabethkirche (Hochschneeberg), I. Wiener Hochquellenwasserleitung)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。

■参考サイト
移設前のホッホシュネーベルク駅とエリーザベト教会(写真)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Schneeberg_station_and_church.jpg
移設後のホッホシュネーベルク駅(写真)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Schneeberg_5552.jpg
ウィーナー・ノイシュタット駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.8103,16.2338&z=16
ホッホシュネーベルク駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.7571,15.8367&z=14
(精細画像はない)
YouTube-Schneebergbahn 2010
http://www.youtube.com/watch?v=e5K88vtSDoI

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2012年7月 8日 (日)

ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って

蒸機に牽かれたザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(略称 SKGLB)の列車は、いったいどんな場所を走っていたのだろうか。1950年代の地形図(官製1:25,000)を手掛かりに、起点のバート・イシュルから順に見ていこう。

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ザルツカンマーグート地方鉄道 全体図

ハプスブルク皇帝が夏の離宮と定めた優雅な市街地の東の端、曲流するトラウン川との間にバート・イシュル駅(国鉄駅 Staatsbahnhof)はある。駅舎の南側で、標準軌の国鉄線と並行して760mm狭軌のSKGLBがホームを構え、湖水地方を訪れる旅行者を出迎えていた。

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バート・イシュルの4線軌条(模式図)

【図1】狭軌線は、トラウン川左岸に広がる市街地を避けて、大きく迂回する。建設費を節約するために、駅を出るといきなり標準軌のレールの間に分け入り、4線軌条となって南下する(右図参照)。4線軌条は、トラウン川 Traun の鉄橋を渡り、短いトンネルを抜けて、約1kmの間続いていた。標準軌と分離してすぐの地点に設けられたのが、バート・イシュル貨物駅 Güterbahnhof だ。川に両端を挟まれて狭隘な国鉄駅に代わり、貨物の受渡しが行われ、機関庫も併設されていた。

国鉄線に別れを告げたSKGLBは、トラウン川を再度横断し、保養地の西郊をかすめて北上する。短絡のために穿たれたカルヴァリエンベルクトンネル Kalvarienbergtunnel は長さ683mあって、線内で最も長い。通過中、列車の乗客たちは、さぞ煙の洗礼に苦しんだことだろう。

ところで、部分開通の1890年から4年間、SKGLBは町の北西に暫定の駅を構え、イシュル地方鉄道駅 Ischl Lokalbahnhof と称していた。トンネルを出た列車は西に針路を変えながら、その旧線に合流する。1894年の国鉄駅直結によって暫定駅は役目を終えたが、引き続き車両庫として利用されたので、線路は残っていた。

【図1】
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本線に戻ろう。合流点からイシュル川 Ischl の開けた谷の中を進むこと10km弱で、最初の開通区間の終点だったシュトロープルに到着する。ここは、ヴォルフガング湖の水がイシュル川に流れ出す湖尻に当たる。

【図2】鉄道は湖の南岸の湿地帯を進み、次はザンクト・ヴォルフガング地方鉄道駅 St. Wolfgang Lokalbahnhofだ。パッハーの多翼祭壇画がある巡礼教会やオペレッタの舞台、白馬亭 Hotel Weißes Rössl で知られ、シャーフベルク山 Schafberg に上る登山鉄道も出ているザンクト・ヴォルフガングの町は、湖の向こう岸にある。そのため、駅は湖を渡る連絡船の桟橋に直結していた。主要乗換駅だったこの駅では、列車が到着するたび、旅行客が一斉に降り立ち、桟橋へ急ぐ姿が見られたはずだ。鉄道が物流を担った時代には、貨物も船着場へ通じる引込線を行き交ったことだろう。

鉄道はツィンケンバッハ川 Zinkenbach が押し出した扇状地の上をまっすぐ進むが、やがてグシュヴァント Gschwandt で、湖に落ち込むツヴェルファーホルン山 Zwölferhorn の北斜面にぶつかる。ここからしばらくは、断崖を削り、あるいは護岸工事を施してようやく路盤を確保する難所だったが、その代償として、車窓には絵のような山と湖の風景が広がった。途中のルーク Lueg では、湖畔に建つ旅館(ガストホーフ・ルーク Gasthof Lueg)の目の前に列車が停まる。窮屈な列車の長旅に疲れたら、下車して飲み物で一息つき、次の列車を待つという選択も可能だった。

■参考サイト
断崖を削ったグシュヴァント~ルーク間の写真(1900年ごろ)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:SKGLB_Strecke_3_V2.jpg
ルーク付近を描いた絵葉書
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:SKGLB_Lueg.jpg

【図2】
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【図3】次の駅はザンクト・ギルゲン St. Gilgen だ。湖の西端にあるこの町は、モーツァルトの母の生地で、姉ナンネルもここへ嫁いだ。彼自身はザルツブルク生まれなので、SKGLBは図らずも偉大な音楽家の故地を結んでいたことになる。ちなみに、モーツァルトを記念するザルツブルク音楽祭は夏の一大イベントだが、SKGLBはこれにも関係があった。音楽祭が定期開催されるようになった1920年、観劇帰りの客を送り届ける深夜急行の運行を始めているのだ。「劇場列車 Theaterzüge」と呼ばれたその便は、ザルツブルクを22時50分に発ち、ザンクト・ギルゲンをはじめ主要駅に停まって、深夜1時20分、バート・イシュルに到着した。

【図3】
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さて、鉄道はここから、一つめの峠越えにかかる。町を遠巻きにしながら上っていくうちに、ヴォルフガング湖のはろばろとした眺めも見納めとなる。山懐に入れば、ヒュッテンシュタイン城 Schloß Hüttenstein とその姿を写す小さな湖、クロッテン湖 Krottensee の景観が、乗客の目を引いただろう。

【図4】しかしそれもつかの間、列車はトンネルの闇に突入する。シャルフリンガーヘーエ Scharflinger Höhe(シャルフリングの高みの意)の峠の下を抜けるヒュッテンシュタイントンネル Hüttensteiner Tunnel(別名アイベンベルクトンネル Eibenberg-Tunnel)だ。長さは436mと2番目に長い。峠の反対側にはモント湖 Mondsee が控えているが、水面標高がヴォルフガング湖より60m近く低いため、線路は25‰前後の急勾配で長い坂道を下っていかなければならない。ここも急峻な山が湖岸に迫っていて、3か所のトンネル掘削を含む難工事を強いられた。1948年に路盤崩壊により、SKGLB最大の災害となった崖下への機関車転落事故が起きたのも、この付近だ。

【図4】
Blog_skglb_map5

【図5】遠方からも目立つ大絶壁ドラーヘンヴァント Drachenwand(竜の絶壁の意)を左の空に仰ぎながら平坦な牧草地を進むうちに、ザンクト・ローレンツ St. Lorenz に達する。周囲にとりたてて集落もないような立地だが、この駅は2つの点で重要だった。一つは、駅の東はずれに製材所があったことだ。地形図にS.W.(Sägewerkの略)と注記があるのがそれで、引込線が延びている。沿線から伐り出した木材が貨車で運び込まれ、沿線随一の貨物需要を喚起していた。

もう一つは、モントゼー Mondsee 支線が接続し、全線のほぼ中間にあるため、車両基地としての役割を果たしていたことだ。支線は、湖の北岸にある市場町モントゼーへの足として機能していた。分岐は1903年まで三角線になっていたので、地形図にも跡が残っている。支線は延長3.5kmと短いが、途中に2か所の停留所があった。終点モントゼーは湖上輸送との連絡のため、町から500mほど離れた湖畔に造られた。

【図5】
Blog_skglb_map6

【図6】ザンクト・ローレンツからタールガウ Thalgau までは、広い谷の中を淡々と進むが、終点までの間にもうひと山を越える必要があった。ザルツブルク盆地 Salzburger Becken の東を限るフラッハガウ Salzburger Flachgau と呼ばれる丘陵地だ。線路は緩やかな丘のひだをなぞるように上って、やがて路線の最高地点でもあった標高約630mのサミットに達する。地形図に描かれている建設中の道路は、首都とザルツブルクを結ぶ予定のアウトバーン(西部自動車道 West Autobahn)だ。

【図6】
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【図7】オイゲンドルフ Eugendorf を過ぎると再び下り坂で、谷を回り込みながら、目的地へと降りていく。バート・イシュルがそうであったように、ザルツブルクでも、終点の手前に鉄道の拠点が置かれていた。イッツリング Itzling の駅が併設されたその場所は、機関庫を備え、操車場と貨物駅の機能も有していた。

市街に近づくとSKGLBは、整然と敷かれた標準軌の国鉄線路の隙間を縫うようにして進む。敷地の取得に窮したのか、短距離ではあるものの街路の併用軌道(下注)さえ設けられた。終点ザルツブルク地方鉄道駅 Salzburg Lokalbahnhof は、広場をはさんで国鉄中央駅 Hauptbahnhof の向かいにあった。現在は地下に移設されたが、ランプレヒツハウゼン Lamprechtshausen 方面へのローカル列車が発着していた場所だ。かつてザルツブルク中央駅の正面には、市内軌道、地方鉄道など鉄軌道が四方から集まり、ターミナルを構えていた。その中でSKGLBは、最後まで残った蒸気鉄道だったのだ。

*注 延長約500mの街路は、今もイシュル鉄道通り Ischlerbahnstraße と呼ばれる。

【図7】
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■参考サイト
ザルツブルク地方鉄道駅の写真
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:SKGLB_Bahnhof_Salzburg.jpg

SKGLBの廃止後、施設がほとんど撤去されてしまったため、往時を追想できる場所は限られている。シュトロープルからツィンケンバッハ Zinkenbach 付近までは、ザルツカンマーグート自転車道 Salzkammergut-Radweg に転用されて、ほぼ残っている。ルーク Lueg の短い湖畔路と、オイゲンドルフ Eugendorf からイッツリングの手前までの長い下り坂も同様だ。また、モントゼー駅跡には鉄道博物館 SKGLB-Museum があり、動態保存の蒸機を含む車両や、図面、写真などの歴史資料が公開されている。関係者は将来、支線の一部に線路を復活させ、保存鉄道として再建するという構想を温めているようだ。

■参考サイト
SKGLB博物館の写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:SKGLB_Museum_Mondsee
ザルツカンマーグート自転車道
http://www.radfahren.at/salzkammergutradweg.html

本稿は、J.O.Slazak "Von Salzburg nach Bad Ischl" Verlag Josef Otto Slazak, 1995、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Salzkammergut-Lokalbahn, Salzburg Hauptbahnhof, Bad Ischl, St. Wolfgang im Salzkammergut, St. Gilgen)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、オーストリア官製1:25,000  63/4 Salzburg(1954年版), 64/3 Eugendorf(1954年版), 64/4 Thalgau(1956年版), 65/3 Mondsee(1955年版), 95/1 Sankt Wolfgang im Salzkammergut(1958年版), 96/1 Bad Ischl(1959年版。幸いにもSKGLBはまだ描かれている)を使用した。 (c) BEV  http://www.bev.gv.at/

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