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2012年6月11日 (月)

ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史

もし存続していたなら、きっと観光路線として人気を博していたに違いない。先のことなど見通せないと言ってしまえばそれまでだが、廃止された鉄道の中にはこう思わせるケースがいくつかある。オーストリア中部の湖水地方を東西に貫いていた「ザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn」、略称SKGLB もその一つだ。

SKGLBは軌間760mmの蒸気鉄道で、本線は、皇帝の夏の離宮が置かれた保養地バート・イシュル Bad Ischl を発して、ヴォルフガング湖 Wolfgangsee とモント湖 Montsee の南岸を通り、フラッハガウ Flachgau と呼ばれる台地を越えて、国際観光都市ザルツブルク Salzburg に達する63.2kmの路線だった。中間部のザンクト・ローレンツ St. Lorenz では、モントゼー Mondsee 市街に向かう3.5kmの支線が分岐していた。また、前回紹介した登山鉄道、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn やヴォルフガング湖上の航路も、かつてはSKGLBの経営だった。

起点、終点、経由地のいずれもが著名な観光地という非常に恵まれた条件を有しながら、鉄道は1950年代に蒸気運転のままあっさりと廃止されてしまった。あまりに早すぎた終焉の背景には何があったのだろうか。その歴史から振り返ってみよう。

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ザルツカンマーグート地方鉄道 全体図

ザルツカンマーグート地域は貴重な岩塩が採れることから、ハプスブルク帝国の直轄領だった。その中心に位置するイシュル(バート・イシュル)は塩分の多い鉱泉が湧く土地で、効能が知られるようになった19世紀に貴族の保養地として発展した。19世紀後半に入ると、ここでも鉄道敷設の機運が高まり、1877年、トラウン川 Traun に沿って標準軌の路線(下注)が開通した。

*注 シュタイナッハ=イルトニング Stainach-Irdning ~アットナング=プフハイム Attnang-Puchheim 間106.9km。現在も連邦鉄道の路線網の一部を成す。さらに北のシェルディング Schärding までの区間を含めてザルツカンマーグート鉄道 Salzkammergutbahn と称されることがあるが、これらは今回のテーマであるザルツカンマーグート「地方」鉄道とは全く別の路線だ。

この新線が地域を南北に貫いたのに対して、東西方向の鉄道を整備しようという動きも早くからあった。すでに1860年代に最初の計画ができていたのだが、1873年の株価暴落をきっかけとした大不況のために、いったん無に帰した。

政府の地方振興策に刺激されて新たな建設構想が生まれたのは、イシュルへ鉄道が通じてから10年後の1887年だ。それは、交通企業シュテルン・ウント・ハッフェル社 Stern & Hafferl の創業者ヨーゼフ・シュテルン Josef Stern に引継がれたことにより、実現に向かった。シュテルンらが出資してザルツカンマーグート地方鉄道会社が設立され、1890年に路線の認可を受けた。

路線は、資金的な理由で線路規格を狭軌にせざるをえなかった。沿線には木材以外に目ぼしい貨物需要がなく、旅客輸送なら狭軌で賄えるという判断もあったと思われる。しかし、これが後に運命の分かれ目になる。

軍当局は、軌間(線路幅)を760mmのいわゆるボスニア軌間 Bosnische Spurweite(下注)にするよう圧力をかけてきた。この基準は、オーストリア(当時はハンガリーとの二重帝国)が1878年に事実上占領したボスニア=ヘルツェゴヴィナの鉄道で採用されていたものだ。ロシアやトルコが絡むバルカン半島情勢の行方はなお不透明で、軍は国内の狭軌線をこの軌間に統一させ、半島有事の際に徴発することを目論んでいた。

*注 ほぼ同じ軌間だが、イギリスとその影響を受けた諸国では2フィート6インチ(762mm)と定義されている。

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参考文献(下記)の表紙

建設工事は3段階に分けて実施された。最初の開通区間は、東側のイシュル地方鉄道駅 Bad Ischl Localbahnhof ~シュトロープル Strobl 間9.0kmで、1890年8月のことだ。この区間は平坦な地形が広がるため、工事は比較的容易だった。なお、起点となった地方鉄道駅は、標準軌線のイシュル国鉄駅とは場所が異なり、市街をはさんで反対の北西郊にあった。国鉄駅へ接続するには市街を迂回するトンネルの掘削が必要だったため、本開通までの間、暫定駅が造られたのだ。一方、終点シュトロープルはヴォルフガング湖岸に近く、旅客は湖上を行く船に乗換えて先へ進むことができた。

2番目は、西側のザルツブルクからザンクト・ローレンツ St. Lorenz までの28.1kmと、支線のザンクト・ローレンツ~モントゼー Mondsee 間3.5kmだ。ザルツブルクでは、標準軌線の築堤をくぐって中央駅の裏側に、他のローカル線と共同使用の地方鉄道駅 Lokalbahnhof(時刻表ではザルツブルク・イシュル駅 Salzburg Ischler Bahnhofと表記)が設けられた。

最後の工事となる中間部、シュトロープル~ザンクト・ローレンツ間22.5kmは、断崖の迫る湖岸に発破をかけ、2つの湖を隔てる分水界にトンネルを穿つ難工事で、1893年6月の開通までに2年を要した。その2か月後にはシャーフベルクへ上る登山鉄道や山上ホテルも整備され、この地域に鉄道旅行の時代が訪れた。また、懸案だったバート・イシュル国鉄駅への乗入れは翌年、1894年7月に実現し、全国鉄道網と接続されている。行き止まりの旧 地方鉄道駅は廃止となり、ささやかながら車両基地に転用された。

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表紙絵の拡大、J.Varrone 画。1891年、SKGLBの依頼で壁貼り時刻表の挿図として発表
右がヴォルフガング湖、左手前がモント湖、左奥はアッター湖。中央奥の高い山がシャーフベルク山、中央手前の岩山はドラッヘンヴァント Drachenwand。よく見ると、左手前に煙を高々と噴き上げる地方鉄道の蒸機列車が描かれている。
壁貼り時刻表のオリジナルは次の写真参照
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:SKGLB_Mondsee_-_Fahrplan_1.jpg

全通によって、客足は会社が予想した以上の伸びを示した。ふだん、旅客列車は客車3~5両に手荷物車1両から成っていたが、夏のシーズンには押し寄せる旅行者をさばくために、しばしば機関車を重連にして長い編成で走った。好調な業績を受けて1907年には電化計画が持ち上がったが、軍部は、電気機関車ではボスニアへの投入が不可能になると考えて反対した。シュテルンは5年後にも再挑戦したが、結局実現はしていない。

順風満帆に見えたSKGLBの経営状況に大きな転換をもたらしたのは、戦争の勃発だった。1914~18年の第一次世界大戦では、軍部の目論見どおり、蒸気機関車6両が徴発に遭い、戦場に送られた。国内でも石炭や運行要員が不足したため、終盤になると減便や運休が相次いだ。さらに戦争終了後も、帝国解体に伴う不況の影響が大きく、会社は深刻な資金難に陥った。

1920年代、鉄道の運営は、オーストリア国鉄、シュテルン社その他の間を転々とする。乗客数が上向いてきたのも束の間、1929年に発生した世界恐慌で、再び打撃を蒙った。1932年にはついに、シャーフベルク鉄道と山上ホテル、湖上航路を売却することになり、40年近く続いた一体的関係に終止符が打たれた。

1938年にオーストリアがナチス・ドイツに併合されると、翌年、会社は資産没収を受け、鉄道の所有権は帝国大管区 Reichsgau(下注)に移された。時流は再び世界戦争へと突き進んでいく。

*注 併合によって設けられた行政区分。路線はザルツブルク帝国大管区 Reichsgau Salzburg と上ドナウ帝国大管区 Reichsgau Oberdonau にまたがるため、両大管区の所有となった。

すでに自動車交通が台頭して鉄道の旅客部門を蚕食し始めていたが、第二次大戦中はガソリン不足のため、乗客数は減るどころか、かえって激増した。戦前、最多時でも年間60万人程度だった旅客輸送量が、戦後まもない1946年には3倍以上の210万人を記録している。

しかしそれがピークだった。復興が軌道に乗り始めると、利用者はバスや自家用車へ戻っていった。鉄道車両は、戦時中の過重な運行によって線路ともども疲弊しきっていた。それに主力はまだ蒸機が牽引する列車で、狭軌のため時速は40kmに制限されていた。道路の整備もまだ十分ではなかったが、全線60数kmに3時間近くを要する列車に比べれば、バスのほうが速く便利だった。「そいつは実にそろりそろりとやってくる Sie kommt gar langsam und bedächtig」。その頭文字がSKGLBだと揶揄されたのは、狭軌の蒸気鉄道が時代遅れの乗り物とみなされていた証拠だろう。

鉄道の所有権を引き継いでいたザルツブルク州と上オーストリア州は早くから、路線を近代化できなければ存続はないと考えていたようだ。そのため、最悪の事態を回避しようとする努力が繰り返された。両州は、電化のためにアメリカによる復興援助、いわゆるマーシャルプランの資金を獲得しようと連邦政府に働きかけた。続いて、国鉄ÖBBが運営を引継いで、ディーゼル機関車を導入するという案が報じられた。シュテルン社もまた独自の救済計画を提出した。

しかし、結果的にどの策も日の目を見ることはなかったのだ。このころになると列車ダイヤが切詰められ、本線といえども1日5往復の閑散路線に落ちぶれていた。ついに1957年9月30日、名残りを惜しむ1万人の人々に見送られて最後の旅客列車が出て行き、10月10日限りで貨物列車も運行を停めた。SKGLBはこうして全線廃止となった。

オーストリアの狭軌路線は、先述のように軍部の要求があったため、760mm軌間で建設されたものが多い。その中でSKGLBは、延長50kmを越え、州境をまたぐような規模の路線として最初の廃止例だったという。沿線は、比較的開けた土地で人の往来が多く、観光資源も豊富だった。それだけに、戦後の高度成長期、速さや快適さや新しさがもて囃された時代に、逆風をまともに受けてしまったのだろう。廃止後まもなく線路がすべて撤去されたため、保存鉄道での存続や復活も叶わなかった。

その一方で、ピンツガウ鉄道 Pinzgaubahn、ツィラータール鉄道 Zillertalbahn のように、もっと辺鄙な山中の狭軌路線が生き長らえている。当時、時代遅れだった蒸気機関車が、今ではノスタルジアを醸し出す誘客の道具になっているのは皮肉なことだ。

次回は、SKGLBが走っていたルートを追ってみたい。

本稿は、J.O.Slazak "Von Salzburg nach Bad Ischl" Verlag Josef Otto Slazak, 1995、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Salzkammergut-Lokalbahn, Fahrzeuge der Salzkammergut-Lokalbahn, Salzkammergutbahn, Bosnische Spurweite, Salzkammergut)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。

■参考サイト
www.SKGLB.org  http://www.skglb.org/
Club Salzkammergut-Lokalbahn  http://www.ischlerbahn.at.tf/
Salzkammergut-Lokalbahn 1890-1957  http://www.skglb.at/
Projekt Ischlerbahn(復活構想)  http://www.ischlerbahn.at/
同鉄道の車両データ
http://de.wikipedia.org/wiki/Fahrzeuge_der_Salzkammergut-Lokalbahn
同鉄道の写真、図面
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Salzkammergut-Lokalbahn

★本ブログ内の関連記事
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 オーストリアのラック式鉄道-シャーフベルク鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道

2012年6月 2日 (土)

オーストリアのラック式鉄道-シャーフベルク鉄道

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シャーフベルクアルペにて

映画「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する登山列車のシーンが、シャーフベルク鉄道で撮られたことはよく知られている。主人公マリアが厳格なトラップ家の子どもたちと打ち解ける過程で歌われる「私のお気に入り My Favorite Things」の終盤、ザルツブルクの市街から山上の草原の風景に移るつなぎのカットだ。黒い煙を吐いて急勾配を上る蒸機列車から、子どもたちが身を乗り出して転轍手に手を振っている(下注)。

*注 右写真が、映画のロケ地であるシャーフベルクアルペ停留所の山上側。なおこの写真に写っている列車は山上から降りてきたところ。

シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn は、オーストリア中部の風光明媚な湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut にある。標高1782mのシャーフベルク Schafberg(羊山の意)へ上る1000m軌間のラック式鉄道だ。山麓ザンクト・ヴォルフガング St. Wolfgang から山上のシャーフベルクシュピッツェ Schafbergspitze まで5.85km、ラックレールはアプト式を使っている。オーストリアに残る登山鉄道は、隣国スイスのような電気運転の潮流に乗れなかったため、この鉄道の走行風景も、19世紀終わりの開通時からさほど変わっていない。後に、輸送力増強のために気動車やオイル焚きの新型蒸機を導入したとはいえ、1960年代製作の映画に出ていた創業以来の旧型蒸機もまだ残る。

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中央円内がシャーフベルク鉄道
(ÖBB路線図より)

同国の鉄道地図(右上図)を見ると、この鉄道は全国規模の路線網と接続がなく、ぽつんと孤立している。バスツアーならともかく、列車を使う旅行者には敬遠されそうなロケーションだ。しかし、開通したときからこの姿だったというわけではない。まずはその歴史をさぐってみよう。

鉄道が目指したシャーフベルク山は3つの湖、ヴォルフガング湖 Wolfgangsee、モント湖 Montsee、アッター湖 Atterseeに囲まれた位置にある。山頂に立てば、これらの湖をはじめ、ザルツカンマーグートの山紫水明が一望になる。名高い保養地イシュル(バート・イシュル Bad Ischl)にも近く、19世紀初めから、滞在する貴族たちにとって人気の行楽地の一つだった。彼らは、男たちが担ぐ輿(こし)に載って山へ上った。担ぎ手はゼッセルトレーガー Sesselträger と呼ばれ、職業組合を組織し、料金や乗り場も決めていた。それほど需要があったのだ。

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鉄道のルーツも1870年代に遡る。ヨーロッパ最初のラック式鉄道が1871年、スイスのリギ山に開通した(リギ鉄道 Rigibahn)。それに刺激されて各地で登山鉄道の認可申請が相次いだが、その中に、シャーフベルクに上る鉄道も含まれていた。敷設の目的は、ヴォルフガング湖の航路に客を呼び込むことだった。今と違って、ヴォルフガング湖の西端ヴィンクル Winkl を起点にしていたが、それはここで航路に接続させるつもりだったからだ。1872年8月に認可を得て、用地取得が進められたものの、翌年に起こった経済恐慌で資金の目途が絶たれたため、計画は結局実現しなかった。

次の構想が具体化するまでに、20年近い年月を要した。ようやく1890年に新たな計画が認可されたが、2年後に、ザルツブルク Salzburg とイシュルを結ぶザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Localbahn (SKGLB、下注)の建設と一体化されたことで、集客面での確実性が高まった。約1年半の工事期間を経て、1893年8月にシャーフベルク鉄道は開通した。

*注 ザルツカンマーグート地方鉄道については、本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史」「ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って」で詳述している。

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シャーフベルク鉄道とその周辺図

起点駅は、巡礼の町ザンクト・ヴォルフガングの西側で、湖に面している。開通に先立つ同年6月、その対岸にSKGLBの本線が全通しており、両者の間は汽船で接続された。SKGLBは1898年に湖上航路の経営権も取得して、地域の交通を独占した。利用者の伸びは予想以上で、それはおおむね第一次大戦のころまで続いた。しかし、その後の経済不況で、所有者は転々とする。さらに、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたため、1938年に登山鉄道はドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の管理に移された。第二次大戦が終わり、帝国が解体された後は、オーストリア国鉄 ÖBB に引継がれた。

もとの運営体SKGLBが1957年の本線廃止を機に解散(登記抹消は1964年)してしまったこともあり、シャーフベルク鉄道はそのまま最近まで国鉄の路線網の一部だった。しかし、地方線区整理の一環で、2006年に州政府などが出資する第三セクター(ザルツブルクエネルギー・交通・通信事業株式会社 Salzburg AG für Energie, Verkehr und Telekommunikation)に売却され、現在は、その子会社であるザルツカンマーグート鉄道会社 Salzkammergutbahn GmbH (SKGB) が、航路と一体で運営している(下注)。SKGBの社名は、もとのSKGLBを連想させるように選ばれたものだそうだ。

*注 会社では、シャーフベルク鉄道の綴りを SchafbergBahn と、Bを大文字にしている。

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鉄道リーフレット

湖畔の起点、ザンクト・ヴォルフガング・シャーフベルク鉄道駅 St. Wolfgang Schafbergbahnhof が標高542mであるのに対して、終点シャーフベルクシュピッツェ Schafbergspitze(シュピッツェは頂の意)は標高1732mと、高度差は1190mにもなる。線路はひたすら上り続け、最急勾配は255‰だ。

列車が対向できるのは、標高1010mのドルナーアルペ Dorneralpe と、標高1363mのシャーフベルクアルペ Schafbergalpe の2か所。乗降は後者でしか扱わず、定期便の対向ももっぱらそこで行われるが、旧型蒸機の場合は、ドルナーアルペでも給水のための停車が必要だ。シャーフベルクアルペは広々とした尾根の上で、宿泊施設も用意され、そこから頂上まで歩いて登る(所要約1時間)、あるいは頂上からそこまで歩いて降りるという人も少なからずいる。

登山列車なので、どちらの車窓が開けるかも気になるところだ。山を上る場合、山麓からシャーフベルクアルペまでの25分は進行方向の左側だが、森の中を進むので眺望はとぎれがちだ。シャーフベルクアルペを出てからは、湖が右側の窓に移る。最後のトンネルに入るまで遮るものがない後半の数分間は、晴れていれば最高の眺望が楽しめる。

シャーフベルク鉄道への公共交通機関でのアプローチは、路線バスか、湖上の連絡船になる。バート・イシュルからはバスでの直行が便利だ。ザルツブルク Salzburg から来る場合は、バスでザンクト・ギルゲン St. Gilgen 下車、モーツァルト家ゆかりのこの町を散策してから、船で到達するコースをお勧めしたい。時刻表は下記参考サイトにある。

■参考サイト
ポストバスPostbus  http://www.postbus.at/
 時刻表は、トップページ(英語版)> Timetable > Timetable-Download
 Timetable searchの検索窓に路線番号を入力する。
 バート・イシュル~ザンクト・ヴォルフガング:路線番号546
 ザルツブルク~バート・イシュル:路線番号150、155

シャーフベルク鉄道とヴォルフガング湖航路  http://www.schafbergbahn.at/
 鉄道は、トップページ > SchafbergBahn > Fahrplan/Preise(時刻表/運賃)> Fahrplan
 航路は、トップページ > Schifffahrt(航路)> Fahrplan/Preise(時刻表/運賃)> Fahrpläne

シャーフベルク周辺の俯瞰写真
http://www.schafbergbahn.at/images/stories/wandern/schafbergbahnwanderplanlarge.jpg

いささか古くなってしまったが、1999年8月に筆者が乗車したときのメモを、スナップ写真とともに付しておこう。

日曜朝の山麓駅(ザンクト・ヴォルフガング・シャーフベルク鉄道駅)は意外に閑散としていた。先日マリアツェルで会った女性は、イシュル駅8時発のバスで行っても2時間待ちと脅していたが、今なら待ち無しで乗れる。しかし、帰り便の予約状況を知らせる掲示板が13時頃まで赤ランプ、つまり満席の表示だったので、あまり早く登っても頂上は寒いだろうと、出発を2時間遅らせて11時10分発の便を予約した。それまでの間、駅前の船着場のベンチで絵ハガキを書いたりして時間をつぶす。

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山麓駅で改札を待つ
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仕度中の新型蒸機

10時45分、ディーゼル車の臨時便が先に発車していった。私たちの乗る11時10分便は蒸機推進。軽油焚きの新型車なので煙はわずかだが、シャカシャカと蒸気の音が響き、客車の車体も小刻みに揺れる。改札に早くから並んでいた甲斐あって、最前列の席を確保した。

機関庫の傍らを通り、家並と牧草地もすぐに抜けて、列車は山の南斜面を200‰を超える急勾配で上っていく。途中、いくども木々の間から湖面が見えるが、それは序の口だ。シャーフベルクアルペで森林限界を超えると、車窓は一気に大パノラマと化した。まだ雲が多めで、綿菓子のようにちぎれて下界を隠すのだが、それでも十分に美しい。険しい斜面を這い、カーブした素掘りのトンネルを抜けると、まもなく終点シャーフベルクシュピッツェだった。

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ドルナーアルペで対向
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最後の胸突き八丁(シャーフベルクアルペ~山上駅間)
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山上駅に到着

山上の別天地には似つかわしくない近代的な造りの駅舎で、さっそく帰りの便を予約する。シュネーベルクと違って、下の駅では予約できないと言われたからだ。しかし案ずることもなく、12時の便でさえ空席があった。私たちは13時28分発を選んだ。

この山頂、南側は急傾斜ながら一面草地が広がっているが、北側は比高200m以上のすさまじい断崖だ。そちらはモント湖が見えるのだが、断崖というのに柵すらないところもあって、スリル満点だ。妻は私より高所に強いので、平気で崖際に擦り寄っていくから見ていられない。

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シャーフベルク山頂から南斜面のパノラマ

下山便の発車ぎりぎりまで粘った末、駅に戻ると、なんと蒸機列車はすでに満席で、先発する気動車に回されてしまった。予約といいながらいい加減なものだ。麓の駅へ降りると、出発前に係の女性が客を一人一人手持ちカメラで撮影していたのができあがっていた。私たちのも見つけたが、冴えない表情で買う気が失せる。

船着場でトルコブルーの湖面を眺めながら、私たちはザンクト・ギルゲン行きの船が来るのを待った。

最後に機関車の運用状況にも言及しておきたい。開通当時、クラウス社 Krauss & Co リンツ工場からラック用蒸気機関車が導入された。全部で6両あり、Z1~Z6号機と命名された。オーストリア国鉄への移管後、1953年に形式番号999.1を与えられ、車両番号は999.101~106とされた。機関車は「エンツィアン Enzian」(りんどうの意)、「エーリカ Erika」(ヒースの意)のような愛称のプレートを側面に掲げて走った。なお、101(旧Z1)号機は1970年に同じ国鉄のラック式路線であるシュネーベルク鉄道 Scheebergbahn に移されたが、民営化後の2007年に買い戻されている。車両番号ももとのZ1~6に戻った。

運営の合理化と蒸機の延命を兼ねて、1964年に2両の気動車が追加されている。一方、1992年にはSLM社が製造したオイル焚きの新型蒸機が登場した。旧型が推せるのは60席の客車1両だけだが、こちらは2両計105席を推し上げるパワーがある。1995~96年にも増備され、4両の主力部隊となっている(下注)。車番は999.201~999.204だったが、現在はZ11~14だ。

*注 この形式の蒸機は、同時期にスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道にも納入された。本ブログ「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」参照。

2012年の夏ダイヤによると、1日8往復で片道の所要時間は35分。新型蒸機による運行が基本だが、故障や多客時には気動車を使用するとある。齢120歳になろうとする旧型蒸機は、7月から9月初めまで運行される1日1往復の特別列車にのみ使われる。映画のように黒い煙を勢いよく吐いて上る姿に遭える機会は、ごく限られているようだ。

本稿は、Gunter Mackinger " Schafbergbahn und Wolfgangseeschiffe" 2. Auflage, Verlag Kenning, 2011、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Schafbergbahn, Salzkammergut-Lokalbahn, St. Wolfgang im Salzkammergut, St. Gilgen)を参照して記述した。

■参考サイト
シャーフベルク鉄道(公式サイト) http://www.schafbergbahn.at/
狭軌鉄道-シャーフベルク鉄道  Die schmale Spur - Die Schafbergbahn
http://www.schmalspur-europa.at/schmalsp_57.htm
写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Schafbergbahn
http://www.schafbergbahn.at/foto-a-video/bildergalerie.html
http://www.alpenbahnen.net/html/schafbergbahn_.html

ザンクト・ヴォルフガング・シャーフベルク鉄道駅(山麓駅)付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.7392,13.4400&z=17
シャーフベルクシュピッツェ駅(山上駅)付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.7751,13.4344&z=17

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