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2012年5月17日 (木)

旧 東ドイツの地形図 II-国民経済版

1960年代は、ベルリンの壁建設(1961年)やキューバ危機(1962年)に見られるように、資本主義体制のいわゆる西側諸国と、共産主義体制の東側諸国間の対立が頂点に達した時代だ。すでに1950年代に、アメリカやカナダ、西欧各国は軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)を結成し、対抗するソ連と東欧諸国は、ワルシャワ条約機構を組織していた。高まる緊張を背景に1966年から、同 条約加盟国の域内では地形図が国家機密に分類され、使用が厳しく制限されるようになった。

前回紹介したとおり、ドイツ民主共和国(以下、東ドイツ)では、これらの軍用地形図を便宜上「国家版 Ausgabe Staat」(略称AS)と称した。これに対して、1978年以降、官庁・国営企業などの業務用に別の地形図シリーズが作成されるようになる。これが「国民経済版 Ausgabe für die Volkswirtschaft」(略称AV)と言われるものだ。名称が表題部に明記されているので、「国家版」とは容易に区別できる。

ベルリン自由大学地理学研究所 Institut für Geographische Wissenschaften, Freie Universität Berlin の研究資料(下記参考サイト)に沿って、今回は「国民経済版」の実態を見てみたい。

■参考サイト
ベルリン自由大学地理学研究所「1945年から今日までのブランデンブルク州の地形図製作 Die topographischen Kartenwerke des Landes Brandenburg von 1945 bis heute」
http://www.geog.fu-berlin.de/2bik/Kap7/kap7_3-01.php3

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1:200,000地形図(国民経済版) ドレスデン 1984年版

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地形図の機密表示
(国民経済版)

「国民経済版」の地形図にも、左肩に「Vervielfältigungen Unzulässig!(不許複製)、除外項目は地理地図機密法を参照のこと」、右肩に「Nur für den Dienstgebrauch(公務用に限定)」あるいは「Vertrauliche Dienstsache(機密公務用)」などと記載がある。このことから察せられるとおり、これは行政機関や国営企業の業務遂行上の資料、あるいは計画経済用に作られる主題図の原図という扱いにとどめられ、一般市民の利用に供されるものではなかった。一般向け旅行地図などで製作の際に参考資料とされたとしても、原図がそのまま印刷に用いられることはなかったのだ。

「国家版」の所管は国防省だったが、「国民経済版」のほうは、内務省測量・地図局 Ministerium des Innern, Verwaltung Vermessungs- und Kartenwesenだ。編集は、シュヴェリーン Schwerin とドレスデン Dresden に拠点を置く国営企業「測地・地図作成国営コンビナート VEB Kombinat Geodäsie und Kartographie」が行っていた。

「国民経済版」シリーズは「国家版」に準じて用意されたので、必要な縮尺を網羅している。すなわち1:10,000、1:25,000、1:50,000、1:100,000、1:200,000は「国家版」と同じように全土をカバーし、次が1:750,000(「国家版」は1:500,000)、そして1:1,500,000(「国家版」は1:1,000,000)と全部で7種類あった。1978年に開始された刊行作業は、1986年をもって完了した。「国民経済版」が「国家版」に基づいて作成されていたことは言うまでもないが、両者の内容はどこが違うのだろうか。

まず、投影法については、両者ともガウス・クリューゲル図法を用いている。しかし、投影の対象とする地球の形、すなわち地球楕円体の定義が異なる。「国家版」の場合、東欧諸国間の共通基準であるクラソフスキー楕円体 Ellipsoid von Krassowski だが、「国民経済版」は、戦前の帝国時代から採用されてきたベッセル楕円体 Ellipsoid von Bessel に拠っている。このため、表示されている座標系の目盛も両者は全く合わず、「国民経済版」の座標系は、むしろ西ドイツの地形図と共通だ。

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国民経済版の付番方式
(ブランデンブルク州測量局
地図目録より)

また、「国民経済版」には、図郭の四隅に通常記される経緯度の表示がない。図郭自体は同じ切り方のように見えるが、実は両者の間で最大で10mmのずれがあるという。経緯度を含めて、地物の正確な位置は特定できないようにしてある。図番も、「国民経済版」は旧帝国方式に似た4桁のコード(下注)を用いており、「国家版」と全く共通性がないのも意図的なものだろう。

*注 前2桁が南北方向、後ろ2桁が東西方向を表す(例0905)。ただし、現行ドイツの付番方式が1:25,000の図郭を基にしているのに対して、東ドイツの「国民経済版」は1:100,000の図郭が基本だ。1:50,000は0905-1、1:25,000は0905-11、1:10,000は0905-111のように枝番で区別する(右図参照)。

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「国家版」(上)と
「国民経済版」(下)の比較
(メクレンブルク・フォアポンメルン州測量局地図目録より)

さらに、前回紹介した軍用地図ならではの道路や橋梁の細かなデータの記載が、標高点を除いて「国民経済版」ではすべて消されている。空港、軍港といった軍事関連施設はもとより、貨物駅その他の施設名称、そして隣国の領土(西ベルリンや西ドイツを含めて)もすべて抹消の対象になっていた。右図では、シュヴェリーン Schwerin の町を描いた1:50,000地形図の2つの版を並べている。中央の橋や右端の運河、あるいは教会の塔の高さなど、数値の表示が「国民経済版」にないことが確かめられる。

更新作業についても「国家版」ほど定期的に行われなかったと見え、「国民経済版」の製作年次は、手元にあるものでも1970~80年代とかなり幅がある。

国際的に図式を共通化していた「国家版」と比べ、東ドイツ独自の「国民経済版」は、各縮尺間でも仕様に差異が見られる。

1978年に完成した1:25,000の初版は、きわめて簡素な表現に改変されており、利用者の不評を買った。機密事項を省いたばかりか、居住地も範囲を大雑把に囲ったに過ぎず、1:100,000の総描と大差がなかったからだ(下図上参照)。ようやく1986年から、「国家版」と同じ版を使用して編集されることになったが、全図葉の改訂が完了しないままドイツ再統一を迎えたため、後に市場に出回った「国民経済版」には、改良前後の図葉が混在した。

改訂版では、「国家版」と同じように、都市部で街路名が入った地形市街図 Topographische Stadtplan の図式が使われている(下図下参照)。さらに1:10,000を単色で拡大して住居番号(ハウスナンバー)を加えた縮尺1:5,000の地形市街図もあった。

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1:25,000地形図(国民経済版) ドレスデン
(上)1978年初版 (下)1988年地形市街図版
(ザクセン州測量局地図目録より)

1:50,000は、1978年初版の時点ですでに「国家版」と同じ版から編集されており、他の縮尺とは扱いが異なる。また、これに先立つ1970年代に、特殊目的すなわち民衆警察や、たとえば災害防備や民間防衛といった警察行動のために、A-S-E版(Ausgabe "Ausbildung-Schulung-Einsatz"、訓練教育用の意)と呼ばれる地図が、東ドイツ全域にわたって作成されたことがあった(下図参照)。1:50,000の編集方針が他の縮尺とは異なる背景には、こうした用途が想定されていたのかもしれない。

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1:50,000地形図(A-S-E版) ポツダム 1973年第2版
(上記参考サイトより)

1:100,000以下の小縮尺図では、また集落表現の総描が強化されている(下図下参照)。市街地は一面山吹色に塗られ、道路にもオレンジや黄色を配しているので、「国家版」に比べて一見華やかな印象だ。しかし、街路網の思い切った簡略化など、情報量はかなり削減されてしまっているのが実態だ。

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1:200,000地形図 ドレスデン
(上)国家版 1986年版 (下)国民経済版 1984年版

ところが1980年代になると、情勢に明らかな変化が現れる。知られているように、1985年にソ連の共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、硬直した体制の立て直し、いわゆるペレストロイカを進める一環で、「グラスノスチ(情報公開)」を提唱した。その余波で、東ドイツでも1988年に地理地図機密法 Geo-Kart-Sicherheitsanordnung が改正され、地形図の利用制限が初めて緩和された。1:100,000以下の「国民経済版」は、当局の承認を受ければ利用可能となり、翌年には、まだ「業務用」と断りがあるものの、申請書式のついた地形図目録が刊行されるに至った。とはいえ、価格の高さが申請のハードルとなり、まだ普及を妨げていたようだ。

結局、大縮尺図を含めて機密が完全に解除されるのは、1990年のドイツ再統一を待たなければならなかった。新連邦州となった旧東ドイツ地域では、1991年から地形図の一般販売が始まり、「国民経済版」にとどまらず、「国家版」も分け隔てなく民生用に広く提供された。東ドイツ政府が膨大な量の地形図を密かに整備していたことは、このとき一般市民の知るところとなった。

同年、新たに各州で測量局が設立されて、現在も続く更新維持体制ができあがった。当初は旧体制時代の地形図をそのまま頒布していたが、数年のうちに、旧体制時代の地形図をベースにしながらも西側仕様の図郭に合わせた地形図が、順次刊行されるようになった。当地域の地形図体系は、こうしてようやく新時代を迎えた。

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2012年5月 4日 (金)

旧 東ドイツの地形図 I-国家版

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1:25,000地形市街図(国家版)
ドレスデン 1986年版

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同 一部拡大

1990年に実現した東西ドイツの再統一は、地図の領域にも大きな変化をもたらした。新連邦州 Neue Bundesländer と呼ばれた旧東側の各州でも、西側と同様に州の機関として測量局が設立され、地形図の頒布を行うようになったのだ。更新準備が整うまでの間、旧体制下で製作された膨大な地形図のストックが、民間利用にも供された。ほんの少し前まで国家機密として持出しが厳しく制限されていたこれらの資料が、一個人の要望に応じて国外へも簡単に届けられる状況に、隔世の感を覚えたのは筆者だけではないだろう。

それから早や20年以上が経過し、もはや東部様式の地形図を見かける機会はほとんど無くなったが、ドイツの地形図の概要を知る上で、一時代を画したこれらのシリーズも見過ごすわけにはいかない。幸いにも、ベルリン自由大学地理学研究所 Institut für Geographische Wissenschaften, Freie Universität Berlin がウェブ公開している研究資料がある(下記参考サイト)。ブランデンブルク州を中心にした記述ではあるものの、秘密のベールに覆われていたドイツ民主共和国(以下、東ドイツという)の地形図製作の状況を知ることができる。この資料を手掛かりに、東ドイツの地形図について紹介してみたい。

■参考サイト
ベルリン自由大学地理学研究所「1945年から今日までのブランデンブルク州の地形図製作 Die topographischen Kartenwerke des Landes Brandenburg von 1945 bis heute」
http://www.geog.fu-berlin.de/2bik/Kap7/kap7_3-01.php3

第二次世界大戦が終結したとき、ドイツの官製地形図も深刻な被害を受けていた。地図の原版は大部分が破壊されるか、連合軍に押収されて利用できなくなっていたからだ。それでも戦後1年目から、印刷図からの複製品が、新しい行政界など若干の訂正を施して多数刊行された。当面は地籍図と、戦前の地形図シリーズ、主として1:25,000と1:200,000の更新が測量機関の任務だった。

しかし、東西陣営間の対立が表面化するなか、ソビエト連邦は、政治経済への介入や武力による民衆への抑圧を通じて体制内の締め付けを強化していく。1952年、後にワルシャワ条約機構に加盟する東欧諸国間で、地図作成にソ連式の統一的な測地基準を採用することを決定したのも、その延長線上にあった。すでに1949年、東西ドイツが相次いで成立し、以後40年にわたる分裂国家の歩みが始まっていた。西ドイツが戦前の帝国時代に確立された測地地図体系を継承したのに対して、東ドイツは1953年から、この新たな測地基準の導入に踏み出した。こうして東西ドイツは、地図作成の分野でも別々の道を進んでいくことになる。

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東ドイツ地形図の付番方式

地図の縮尺体系では、測量原図から製作する基本図の縮尺を1:10,000とした(1961年に決定)。戦前の基本図は縮尺1:5,000で整備されていたので、東ドイツの方針はこの点でも独自だった。ここから1:25,000、1:50,000、1:100,000、1:200,000、1:500,000そして1:1,000,000(100万分の1)の各シリーズが編集される。各縮尺の4面分の収載範囲が、次に小さい縮尺の1面分になるという合理的な地形図体系だ。

各図葉を特定するための図番についても、1:1,000,000国際図の図郭を基準にしたソ連の付番方式を準用している(下注、上図参照)。東欧諸国の地形図は同一基準で作成されるので、国境を越えても問題なく地図を接続できる。ソ連は世界中の軍用地図を秘密裏に製作していたことが知られているが、後で見るように、東欧諸国については各国が作成した図版を直接利用することができた。

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1:10,000地形市街図 エアフルト
(ザクセン・アンハルト州
地図目録より)

*注 ソ連図の付番方式については、本ブログ「旧ソ連軍作成の地形図 II」参照。ただし東ドイツでは、図番中のキリル文字がローマ字や数字に置換えられている。

さて、基本図1:10,000は、1956年から製作が始まった。1958年からドレスデン工科大学に技術者の養成課程を設けてまで量産に努めた結果、1970年までに国土全域をカバーしている。各図葉は経度3分45秒、緯度2分30秒の区域を範囲とし、4色刷で刊行された。なお、都市部では仕様が異なり、道路や地物の色を薄めにした5色刷の「地形市街図 Topographische Stadtplan」(TSP) になっている。色を薄めたのは、市街図特有の街路名表示などを読み取りやすくするためだ。さらに裏面には街路名の索引が付けられた。これで住所がほぼ特定できるところに重要な意味があったと考えられる。

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1:25,000地形図 ポツダム
(上)1956年版 (下)1966年版
(上記参考サイトより)

次は1:25,000だが、こちらは図式の変遷がある。1955年に着手された初版は、帝国が残した「メスティシュブラット Meßtischblatt(平板測量図)」をソ連図式に応じて置換えた作業の結果だ。旧図を継承して密集市街地は網掛け(ハッチング)で済ませているが、網が格子状にされているのが目を引く。それが1964年からの改訂版では、地図記号体系が他の縮尺と共通化された。市街地も黒抹家屋中心になり、サンプル図を見る限り、初代より表現が詳細になった印象を受ける。鉄道記号はこの図式で、太い実線(1本線)に直交する短線を等間隔で置くデザインに変えられた。また、1:10,000と同じように、都市部の図葉は5色刷の「地形市街図」仕様で、地名注記や特定の建物を強調するために、道路や地物には鶯色を充てている。

1:50,000は1950年代半ばに粗い表現の初版が出た後、1964年から新図式に対応した改訂版が刊行されていった。また、1:100,000の初版は1958~1960年で、これも1964年から同じく新図式となった。

1:200,000は1959~1963年に初版が刊行されている。1970年以降、改訂版が刊行されたが、興味深いのは、駐留ソ連軍に向けたものと思われる2か国語版が存在することだ。図郭内の注記はロシア語(キリル文字)で表記され、地名だけドイツ語表記が紅色で加刷されている。参考までに、ソ連が自国で作成したロシア語表記のみの版と並べてみよう(下図参照)。図版は、明らかに3種とも同じものを使い回している。地名その他の注記も単純に置換えただけのようだが、西ベルリンの表記が、2か国語版ではドイツ語を音訳したБЕРЛИН(ВЕСТ) (ベルリン・ヴィエスト)のところ、ロシア語版はЗАПАДНЫЙ БЕРЛИН(ザーパドニ・ベルリン)と意訳されている。

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1:200,000地形図 ベルリン
(上)国家版 1989年 (中)2か国語版 1989年 (下)ソ連製 1987年

地形図には、地図記号に付記する形で、軍事行動に必要なさまざまな数値が記載されていたことが知られている。その例を以下に挙げておこう。なお、具体的な地図記号と数値の表現法については、下の2図を参考にしていただきたい(和訳は必ずしも正確とは言えないのでご了承を)。

まず道路については、アウトバーンから村々を連絡する田舎道に至るまで、幅員の記載がある。さらに主要道では、舗装の材質がアルファベットで付される(A=アスファルト Asphalt、B=コンクリート Beton、P=敷石 Pflaster など)。トンネルには、断面の高さ×幅員と長さ、同じく橋梁は、材質に始まり、幅員と長さ、制限荷重まで示され、隘路での軍用大型車両の通行可否が即座に確認できるようになっている。

三角点、水準点、標高点は地形図の必須項目だが、それ以外に、目印になるような構築物の高さ(比高)が記される場合がある。送電用鉄塔の高さの表示もそのたぐいだ。

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地形図の凡例抜粋 (交通網、標高点など)

植生では、広葉樹林、針葉樹林を記号で区別するだけでなく、樹種もアルファベットで記される(Bu=ブナ Buche、Ei=カシ Eiche、Fi=ドイツトウヒ Fichte、Ki=マツ Kiefer など)。さらに樹高、幹の平均的な直径、樹間の距離など、およそ森林の諸要素が把握できる。湿地や沼地では、葦が茂っているか、沼の深さはどれくらいか、牧草地では乾燥しているか湿っているかなど、歩兵や車両の横断可否を判断するための情報が揃っている。

水部は青色で表示され、川や運河の幅、深さの数値とともに、底質がアルファベットで区分される(st=岩石質 steinig、k=礫質 kiesig、s=砂質 sandig、schl=泥質 schlammig など)。さらに流速(秒速何m)が流水方向を示す矢印とともに、水面標高が位置を示す小円とともに、それぞれ表示される。ダムに関する材質、長さ、堤頂幅の表示があるが、これは水位や湛水量のデータとは別に、ダムを利用して川を横断できるかどうかを伝えるためだろう。水門や運河の閘門についても、数、長さ、幅、閘室(船を上下させるプール)の深さのデータが添えられている。なお、これらの地図記号や数値表示は縮尺を問わず共通に使用されていた。

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地形図の凡例抜粋 (植生、水部)

膨大な情報を盛り込んだ地形図シリーズはいずれも、最新の1:10,000を資料にして、5年周期で更新が行われた。刊行は当初、内務省測量・地図作成局 Ministerium des Innern, Verwaltung Vermessungs- und Kartenwesen が担当していたが、1956年から国防省軍用地図部 Ministerium für Nationale Verteidigung, Militärtopographischer Dienst に移管された。そのためか、編集を内務省、発行を国防省と切り分けて記載した図葉もある。

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地形図の機密表示(国家版)

東ドイツの地形図は大きく2つの群に分けられる。ここまで説明してきたものは、「国家版 Ausgabe Staat / Ausgabe für den Staat」(略称AS)と通称される軍用地図だ。東西間の冷戦が緊張の度を加えていた1966年、ワルシャワ条約機構加盟国の域内では、地形図の利用に制限がかかり、厳格な管理が徹底された。「国家版」地図の右肩には、「機密禁帯出品 Vertrauliche Verschlußsache」(略称VVS)あるいは「公務用 Dienstsache」などと注記が付けられ、ものものしさを漂わせている。

これに対して、官庁・国営企業などの業務用として作成された地形図は、「国民経済版 Ausgabe für die Volkswirtschaft」(略称AV)と称された。「国家版」とはどう違うのか。次回はその点について詳述しよう。

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