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2012年4月30日 (月)

ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存

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ラートハウス(市役所)停留所の
カッセルトラム5系統

ドイツ、ヘッセン州北部には、新型トラムとクラシックな蒸気機関車が線路を仲良く共有している区間がある。カッセルの西郊へ通じているカッセル=ナウムブルク線 Bahnstrecke Kassel-Naumburg、通称「ナウムブルク鉄道 Naumburger Bahn」だ。両者は線路軌間こそ同一だが、車両規格、特に車両幅の差は大きい。いったいどうやってこの差を克服したのか。そしてあまりにも対照的な新旧車両はなぜ競演することになったのか。ユニークな性格をもつローカル線を、その歴史を絡めて見ていこう。

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ナウムブルク鉄道は長さ33.4kmの標準軌線だ。1903年にカッセル・ヴィルヘルムスヘーエ支線駅 Kassel-Wilhelmshöhe Kleinbahnhof(あるいは同 西駅 Kassel-Wilhelmshöhe West)から途中のエルガースハウゼン Elgershausen まで、翌1904年に残るナウムブルクまでの全線が開通した。ヴィルヘルムスヘーエの支線駅が起点だったのは、当初カッセル=ナウムブルク鉄道 Kassel-Naumburger Eisenbahn (KNE) という私鉄だったからだが、その後、1966年に会社はヘッセン州立鉄道 Hessische Landesbahn に合併され、列車は1970年からカッセル中央駅 Kassel Hbf に発着するようになった。

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ナウムブルク鉄道のルート
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

これで乗換えの煩わしさが解消されたとはいえ、所詮は小さな町をつなぐ行き止まりのローカル線に過ぎない。早くも1977年には旅客輸送の休止措置がとられ、貨物輸送も1991年に大部分の区間で取止められた。唯一の例外は沿線の自動車工場による利用で、起点から7kmのアルテンバウナ Altenbauna(現 バウナタール Baunatal)にあるフォルクスワーゲンの主力工場を発着とする貨物輸送が、その後も継続された。

定期列車が消え去り、保存蒸機(後述)がたまに通るだけの鉄道に、カッセル市街からトラムが乗入れるようになったのは、1995年のことだ。成功したカールスルーエ・モデルに倣って、カッセル地域で最初に導入されたトラムトレインの事例だったことはいうまでもない。それまでカッセル南西郊ではマッテンベルク Mattenberg 止まりだった路線を、ナウムブルク鉄道の一部3.3kmの活用で、5.5km延長した。駅でいえば、バウナタールの南からグローセンリッテ Großenritte までが乗入れ区間で、中間に停留所4か所が新設された。ちなみにこれは、フォルクスワーゲンの貨物輸送ルートと重ならないように設定されている。

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トラム5系統と乗入れ区間
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

鉄道線への乗入れに際しては、車両面で、脱線に対する安全性と台車の安定性、施設面では、信号設備と建設・運行規則の違いによる規格差のカバーといった種々の条件を満たす必要があった。その中で素人にも興味深いのは、プラットホームで両者の規格差をどのように克服したかという点だ。トラムと機関車のサイズを比較した図がある(下図参照)が、機関車は断面積でトラムの2倍ほどもあり、ホームの端の位置もトラムの規程(路面軌道建設・運行規程 BOStrab)では線路の中心線から1.23mであるのに対して、鉄道(鉄道建設・運行規程EBO)では1.60mとなる。

■参考サイト
「トラムがバウナタールにやってくる Die Tram kommt nach Baunatal」
http://www.kvc-kassel.de/index.php?id=28

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トラムと機関車のサイズ比較
HP「トラムがバウナタールにやってくる」(上記参考サイト)より

この課題に対して、費用と実用性を考慮した3つの解決策が採用された。1番目は、棒線(単線)の停留所で採用された張出しホームの設置だ。説明より下の写真を見た方が早いが、トラムの乗降扉が来る位置に限って、EBO規格のプラットホームからさらに線路寄りにホームを張出させたのだ。ここまで立入ることができるのは乗降時のみとされ、黄と黒の警戒色が塗られている。それでもEBOに支障するため、乗降のバリアフリーに必要なレール面からの高さ250mmが確保できなかった。レール面からの高さは115mmで、トラムの扉との間に段差が生じている。また、危険防止のため、通過する鉄道車両の速度は時速20kmに制限された。ただ、鉄道車両は観光用の保存列車と整備のために移送される機関車に限られるので、最小限の影響にとどまった。

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(左)張出しホームのあるアルベルト・アインシュタイン・シュトラーセ停留所
(右)注意喚起の標識「張出し部への立入りはトラム停車時に限る」

2番目は、列車交換駅のバウナタール市中央 Baunatal Stadtmitte で採用された4線軌条だ(下の左写真参照)。ホームを延ばすのではなく、レールを二重に設置してそれぞれの建築限界に対応したのだ。トラムはホーム寄りのレールを、鉄道車両はホームから遠いほうのレールを走行する。4線軌条が複線の片方にしかないのは、鉄道車両の対向が想定されていないからだ。

3番目は、終点グローセンリッテの例で、鉄道線とトラム線が完全に分離されている(下の右写真参照)。トラムは専用ホームで客を降ろした後、転回線(ループ)を回ってカッセル方面へ戻っていく。現在この区間には、カッセル中心街へ行く5系統が、平日の日中15分毎に(土日は減便)あるほか、ヴィルヘルムスヘーエ回りの7系統も平日の朝夕に限って運行されている。

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(左)バウナタール市中央停留所の4線軌条。トラムは右のホーム寄りの線路を走行する
(右)終点グローセンリッテ構内への進入路。鉄道車両は直進するが、トラムは右の専用線へ分岐

バウナタールで実用化されたトラムトレイン運行のための方策は、続いて、東郊のロッセタール鉄道計画へと応用されていくのだが、そのことは本ブログ「ドイツ ロッセタール鉄道-6線軌条を行くトラム」に詳述したので参考にしていただきたい。

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ところで、定期列車が休止となって久しいグローセンリッテ以西の区間も、捨て置かれていたわけではない。休止前の1972年からすでに、鉄道愛好家の手で旧型車両の運行が試みられていたのだが、この活動はやがて保存鉄道「ヘッセン・クーリエ Hessen Courrier(下注)」として知られるようになる。

*注 ヘッセン・クーリエは、ヘッセン急行便といった意味。Courrier はフランス語の綴りが用いられているので(ドイツ語の綴りはKurier)、日本語表記もそれに合わせた。

しかしこの間にも、路線自体は繰り返し廃線の危機に曝された。途中にあるエルガースハウゼン橋梁で、老朽化が進行していたのだ。保存鉄道を地域の観光振興の柱の一つとみなす沿線自治体は、保存鉄道団体とともに州政府に働きかけを続けた。州は運営組織が確立されるという条件で、橋梁の補修費用を負担すると表明した。こうして1992年に、関係自治体や鉄道会社、団体が出資して、路線を維持運営する保存鉄道協会が設立されることになった。

現在、協会は、路線をリースしたうえ、現在月1回程度の頻度で、カッセルとナウムブルクの間に保存列車を走らせている。かつて同鉄道で活躍した動輪5軸のタンク式機関車HC206をはじめとする蒸気機関車群が、旧型客車を牽引する。起点はカッセルと言っても、ヴィルヘルムスヘーエ駅から徒歩で南へ10分ほどのところにある貨物駅跡だ。ICEが停車するヴィルヘルムスヘーエ駅は今やカッセルの表玄関なので、国内各地からの足場はすこぶるよい。

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峠越え周辺の1:50,000地形図
(c) Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2012

最後に、保存列車が通るルートを少しなぞっておこう。本線から右に分かれてしばらくは平野部で、標高もノルツハウゼン Nordshausen(廃駅)付近で最も低い170mを示す。最初の停車駅バウナタール Baunatal(旧アルテンバウナ Altenbauna)を出ると、トラムの線路が右手から合流してくる。左側は、フォルクスワーゲンの工場敷地が続いている。この先は架線が張られ、スマートな停留所が整備されているので、保存列車の乗客は、逆にトラムの新線に乗入れたかのような感覚に陥るだろう。

共用区間はグローセンリッテで終わり、トラムの転回線と車庫を見送ったあとは、峠越えにさしかかる。線路は最小曲線半径200mで山裾を巻きながら、1:60(16.7‰)から最急1:35(28.6‰)の勾配で高度を上げていく。峠の駅ホーフ Hoof の標高は403mに達する。ここまでが沿線随一の見どころで、峠の向こう側は再びなだらかな丘陵を縫っていく行程だ。終点ナウムブルクまでの所要時間は、上り坂に奮闘する往路が95分、復路は90分となっている。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Bahnstrecke_Kassel–Naumburg, Baunatal, Naumburg (Hessen))、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版)、ヘッセン州1:50,000 L4720 Wolfhagen(2008年版)、L4722 Kassel(1986年版)を用いた。

■参考サイト
ヘッセン・クーリエ http://www.hessencourrier.de/
ヘッセン・クーリエ自転車道
http://www.hb-internetservice.de/rad/hessencou.htm
グローセンリッテ付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.2522,9.3908&z=17

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2012年4月 6日 (金)

ウィスキー・ウォッカ線-国境を動かした鉄道

国境が移動したため、鉄道の敷地だけが他国の領土になった事例を、以前紹介したことがある(下注)。今回は、大砲鉄道探求の番外編として、その近所で生じた別の史実を取り上げよう。すなわち、他国に占領されてしまった鉄道の敷地を取り戻すために、互いの占領地を交換したという話だ。土地の交換によって境界線が引き直され、その後、各占領地の上に西ドイツ、東ドイツという2つの国家が樹立された。結果として、鉄道の存在が国境を移動させたことになる。

人々は鉄道のことを「ウィスキー・ウォッカ線」と呼んだが、ドイツだというのに、ビールでもワインでもなく、他国産の酒の名が使われたのはなぜなのか。ドイツ中部の現場に視点を移そう。

*注 本ブログ「ベルギー フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史 I」参照

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アイヘンベルク(図左上)付近の1:200,000地形図
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

カッセルの東30~40kmにあるヴェラ川 Werra 沿いでは、現在、ニーダーザクセン、ヘッセン、テューリンゲンの各州が接している。時代を遡ると、この境界線は、1815年のウィーン会議で確定したハノーファー王国、ヘッセン選帝侯国、プロイセン王国の国境だった。三者は1866年、他の諸邦とともに北ドイツ連邦 Norddeutscher Bund を結成し、さらに1871年の普仏戦争で連邦国家ドイツ帝国に統一された。その時点で国境としての重要性は薄れたといってよい。

地域に鉄道が敷かれたのも、ちょうどこの時期だ。ハレ=カッセル鉄道 Halle-Kasseler Eisenbahn が1867年、ライネ川 Leine 沿いに東方から延長されてきて、北方のゲッティンゲン Göttingen につながった。続いて1869年には、同線のアーレンスハウゼン Arenshausen で分岐して、アイヘンベルク Eichenberg を通り、ハン・ミュンデン Hann. Münden からカッセル Kassel 方面への連絡線が開通した。

これを横糸とすると、少し遅れて1876年に、縦糸となるゲッティンゲン=ベブラ線 Bahnstrecke Göttingen–Bebra が南から延びてくる。ドイツ統一で増加することが確実視された南北間の交通需要に応えるために、路線は構想されていた。横糸と縦糸はアイヘンベルクで交差し、同駅が連絡駅となった(下注)。かつての国境は建設の障害でなくなったと見え、鉄道のルートは駅の南で、入り組んだ境界線を堂々と横断している。

*注 連絡駅設置によって、アーレンスハウゼン Arenshausen からゲッティンゲン方面へ北上するもとのハレ=カッセル鉄道本線は、1884年に廃止された。

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連合軍による占領地域

第二次大戦前の時点では、境界線は帝国内の行政区分により、ハノーファー州 Provinz Hannover、ヘッセン・ナッサウ州 Provinz Hessen-Nassau、ザクセン州 Provinz Sachsen(下注)の州境となっていた。1945年、戦争が終結すると、ドイツはポツダム条約に基づき、連合国による分割占領下に入った。ハノーファー州はイギリスの、ヘッセン・ナッサウ州はアメリカの、そしてザクセン州はソ連の占領地域(ゾーン Zone)に属するとされた。

*注 1938年から帝国大管区 Reichsgau に再編され、区域・名称が変更されたが、ここでは便宜上、それ以前の行政区分で記述する。なお、ここでいうザクセン州は、1815年にザクセン王国からプロイセンに割譲された地域(現在はテューリンゲン州の一部)であり、残された王国領を引き継いだ形の現ザクセン州とは別。

そのことが俄然、ゲッティンゲン=ベブラ線の存在を際立たせることになった。なぜなら、南ドイツを占領したアメリカが、北海に通じるブレーマーハーフェン Bremerhaven を陸揚げ港に確保して、南部まで物資を輸送しようとしたからだ。さらに、従来南北交通の主流だった東回りのルートが、ソ連ゾーンに組み込まれたため、利用が難しくなっていたという事情もあった。

とはいえ、ゲッティンゲン=ベブラ線自体も輸送路として万全ではなかった。先述のとおり、アイヘンベルクのすぐ南で州境をまたいでいるからだ。そのため、延長にして4kmあまりが、ソ連ゾーンに含まれてしまった。赤軍兵士は、この区間に入ってきた列車を停車させ、積荷を略奪したり、乗客に危害を加えるといった露骨な妨害手段に出た。高まる緊張を解くために、米ソ間で会談が持たれることになった。会場として用意されたのは、現場から南東20数km、ヴァンフリート Wanfried にある貴族の屋敷「カルクホーフ Kalkhof」だった(冒頭地図の右下に位置する)。

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米ソ会談の会場となったカルクホーフ
Photo by Jürgen Katzer from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

協議の末、1945年9月17日に調印されたいわゆるヴァンフリート協定で、鉄道が通過しているソ連ゾーンのヴェルレスハウゼン Werleshausen 周辺8.45平方kmと、アメリカゾーンにあるアースバッハ・ジッケンベルク Asbach-Sickenberg 他3村の7.61平方kmの交換が決定した。これにより、鉄道は晴れて全線がアメリカゾーンに編入されることになった。調印に立ち会った関係者らは、協議が無事整ったことを祝して会場で杯を交わした。アメリカ人はウイスキー、ロシア人はウォッカの瓶を空けた。こうして土地交換の原因となったゲッティンゲン=ベブラ線のことを、地元の人々は「ウィスキー・ウォッカ線」と呼ぶようになったという。

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ヴァンフリート協定による境界変更

このときは単なる占領地の線引きと考えられていたかもしれない。しかし、後に東西ドイツが成立したことで固定化され、世界地図に数十年も残る内部国境になってしまった。同じ州の隣村が、協定のために遠い異国となった。アイヘンベルクの東で境界をまたいでいた線路は撤去され、鉄条網と緩衝地帯で閉ざされた。駅も、境界に沿って走る鉄道も、長い間、東ドイツの監視塔の視界に入っていた。「ウィスキー・ウォッカ線」の呼び名には、他国に運命を変えられた土地の人々の複雑な思いが込められているのだ。

連合軍による軍政期には、ほかにもこうした小規模な境界整理が実施されたが、占領国間の協定という形をとったのはヴァンフリート協定だけだ。おそらく南北輸送路としての鉄道の重要性が、ポツダム協定と同じ形式での問題解決を要求したのだろう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Bahnstrecke Göttingen–Bebra, Halle-Kasseler Eisenbahn, Wanfrieder Abkommen)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版)を用いた。

■参考サイト
東西冷戦史-ウイスキー・ウォッカ線
http://www.coldwarhistory.us/Cold_War/The_Whisky-Vodka-Line/the_whisky-vodka-line.html
アイヘンベルク付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.3762,9.9270&z=14

★本ブログ内の関連記事
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