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2012年1月19日 (木)

モーゼル渓谷を遡る鉄道 II

図1
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モーゼル線のルート
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

モーゼル線 Moselstrecke の後半、ブライ Bullay 駅を出るところから話を再開しよう。

列車はホームを離れると、右に大きくカーブしながらモーゼル川の横断にかかる。モーゼルを渡るのはこれで3度目だが、この鉄橋は他にはない特徴がある。アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay と呼ばれるとおり、上部を鉄道、下部を道路が使うダブルデッキの重厚なトラス橋なのだ。全長314m、船の通行に支障しないよう最長径間は72mとってある。当初の計画は鉄道専用だったのだが、周辺自治体の負担で道路との併用橋が実現した。ブライから対岸のアルフ Alf へ渡るには、渡船が近道だが、車ならこの橋を使うことになる。橋は第2次大戦中、反攻する連合軍の爆撃を受けて破壊されたため、1947年に再建された。

■参考サイト
アルフ=ブライ二層橋の写真(Wikimedia)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Doppelstockbr%C3%BCcke_Alf-Bullay_2010.jpg

図2
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コッヘム、ブライ付近拡大図
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

橋の先に長さ458mのプリンツェンコプフトンネル Prinzenkopftunnel が待ち構える。プリンツェンコプフ(皇太子の頂)というのは、トンネルが貫いている山の頂の名前だ。ここはツェルのモーゼル湾曲 Zeller Moselschleife と呼ばれる大蛇行の付け根に当たり、谷を巡るモーゼル川が左右両側に迫ってくる景勝地として知られる。1818年、プロイセン皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルム(後の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世)がアルフの町に行啓してここを訪れたことから、山名がついた。頂には展望台(標高233m)がある。また、川に挟まれた細い尾根の先は、マリエンブルク Marienburg という聖アウグスチノ会女子修道院跡で、16世紀に廃絶してからは堡塁に利用されていた。現在は司教区の青少年研修センターになっている。

■参考サイト
マリエンブルクの眺め(Wikimedia)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Mosel_Marienburg_Umgebung.jpg

プリンツェンコプフトンネルを出ると、モーゼルの流れが再び左側に移るが、それは次のトンネルに入るまでのわずかな間に過ぎない。ここで注目したいのは、列車が走っているのが地面の上ではなく、ぶどう畑が広がる斜面に半分浮くように築かれた高架橋の上だということだ。距離がけっこう長く、全体が左に緩くカーブ(半径700m)しているので、列車の窓からも観察できる。これはピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と呼ばれ、モーゼル線きっての撮影名所になっている。長さは786mもあり、7.2m幅の支間をもつアーチが92個整然と連なる。橋脚を立てるために礫層に覆われた急斜面を掘削するのは、かなりの難工事だったという。

■参考サイト
ピュンダリッヒ斜面高架橋(Wikimedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Hangviadukt_Puenderich_2005-09-25.jpg

図3
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ピュンダリッヒ付近詳細図(1:50,000)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012

高架橋の南のたもとに、かつてピュンダリッヒ Pünderich 駅があった。駅名のもととなった村は対岸の滑走斜面に立地しているが、橋がないため駅の利用者が少なく、廃止されてしまった。モーゼル線は右にカーブしながら、長さ503mのライラーハルストンネル Reilerhalstunnel に突っ込んでいく。地図でわかるように、線路はここで蛇行を繰り返すモーゼル河谷を離れ、アイフェル山地Eifelとの間に広がるヴィットリッヒ盆地 Wittlicher Senke を駆け抜ける。次にモーゼル川と出会うのはプファルツェル Pfalzel で渡る鉄橋だが、46kmも先だ。

一方、ピュンダリッヒ旧駅から分岐する支線がある。正式には起終点の駅名をとってピュンダリッヒ=トラーベン・トラールバッハ線 Bahnstrecke Pünderich - Traben-Trarbach(以下、トラーベン線)というのだが、近年は観光客向けにモーゼルワイン鉄道 Moselweinbahn という愛称を掲げるようになった。運行は毎時1本の気動車で、ブライで本線列車と接続する。名称から、モーゼル川沿いのワイン産地を縫って走るモーゼルワイン街道 Moselweinstraße(下注)のような大規模なものと混同してはならない。こちらは、モーゼル河畔のトラーベン・トラールバッハ Traben-Trarbach へ行く延長10.4kmの短いローカル線だ。

この路線はモーゼル線のわずか4年後、1883年に早くも開通している。この地域がつとに知られたモーゼルワインの主要集散地だったからだろう。1900年ごろ、町はフランスのボルドーに次ぐワイン取引量を誇っていたといい、当時流行のユーゲントシュティール(ドイツのアールヌーボー様式)をまとう建造物に繁栄の証しが窺える。駅には貨物用の側線が設けられ、農産物を載せた貨車とともにワインを詰めたタンク車が各地に送り出されていたそうだ。

*注 モーゼルワイン街道は、ロマンティック街道 Romantische Straße などと同様、観光用ルート(休暇街道 Ferienstraße)の一つ。コブレンツからフランス国境まで242kmある。

■参考サイト
トラーベン線の歴史
http://www.kbs621.hochwaldbahn.info/reload.html?moselweinbahn.html
 トラーベン・トラールバッハ駅の配線図や当時の時刻表がある。
ドイツワイン研究所 Deutsches Weininstitut
http://www.deutscheweine.de/

しかし、盲腸線の悲哀はいずこも変わらず、利用者減少で1980年代には休止が検討されるに至った。町の少し上流に、同じくワイン取引で栄えたベルンカステル・クース Bernkastel-Kues がある。ここにもモーゼル線の支線があり(下注)、同じ1883年に開通したトラーベン線の姉妹のような線区だったが、整理対象となり、1985年に旅客輸送、1989年に貨物輸送も止められて、自転車道に転換されてしまった。

*注 正式名称はヴェンゲローア=ベルンカステル・クース線 Bahnstrecke Wengerohr – Bernkastel-Kues といい、モーゼル線のヴェンゲローア Wengerohr(現在のヴィットリッヒ中央駅 Wittlich Hbf)とベルンカステル・クース Bernkastel-Kues を結んだ長さ15.1kmの支線。廃線跡は、マーレ=モーゼル自転車道 Maare-Mosel-Radweg の一部になっている。

■参考サイト
ヴェンゲローア=ベルンカステル・クース鉄道線 資料集
http://www.kbs622.hunsrueckquerbahn.de/
 ベルンカステル・クース駅の写真や当時の時刻表がある。

ところが、トラーベン線は運命を共にしなかった。観光開発の可能性を見込まれて、1時間間隔の運行と新型車両の導入が図られ、その結果、息を吹き返すことができたのだ。この運行形態は今も続いている。ただ、貨物のほうは廃止されたため、ホームが200mほど手前に移築された。歴史的な価値のある駅舎はもとの場所に保存されているが、不要となった旧構内はバスターミナルに改装されて跡をとどめない。

図4
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ヴィットリッヒ周辺
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

さて、モーゼル線のほうに話を戻そう。ライラーハルストンネルを抜けると、車窓は一変し、狭い谷間から農地の広がる緩い起伏の土地へと移る。沿線の町には目もくれず目的の西部国境をめざして平原を直進していくさまは、戦略的鉄道の使命を思い起こさせる。盆地の中心都市ヴィットリッヒ Wittlich もしかり。インターシティ(IC)も停車する中央駅 Hauptbahnhof(Hbfと略す)は、市街から南に4kmも離れた場所にある。

もともと市街地近くにはモーゼル線の支線であるヴェンゲローア=ダウン線 Bahnstrecke Wengerohr - Daun(以下、ダウン線)の駅があった。そちらが本来のヴィットリッヒ駅であり、現中央駅のほうは所在する村の名であるヴェンゲローア Wengerohr を名乗っていたのだ。しかし、閑散ローカル線だったダウン線の旅客輸送が休止される1年前、1987年9月にヴェンゲローアがヴィットリッヒ中央駅に、本来のヴィットリッヒはヴィットリッヒ市駅 Wittlich (Stadt) に改称された。2001年のダウン線廃止に伴い、市駅は消え、中央駅だけが残っている。市内に駅が一つしかないのに中央駅を名乗る珍しい例だ。

*注 ヴェンゲローア=ダウン線 Bahnstrecke Wengerohr - Daun は延長40.8km、1885~1909年開通。1981~1988年旅客輸送休止、2001年廃止。

図5
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トリーア周辺
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

やがて、アイフェル線 Eifelstrecke が右手の谷間から出てきて合流する。エーラング Ehrang の貨物駅の横をすり抜け、4度目となるモーゼル川を渡って、線路はいよいよトリーア Trier 市街に入っていく。

古都トリーアの見どころはガイドブックに任せるとして、この町でのモーゼル線(下注)の歴史に触れておこう。同線が開通した1879年、すでにトリーアは鉄道の要衝だった。1860年に南のザールブリュッケン Saarbrücken からザール線 Saarstrecke が、1861年に西のルクセンブルク Luxembourg からモーゼル=ジューアタール線 Mosel-Syrtal-Strecke が、1871年に北のケルン Köln 方面からアイフェル線 Eifelstrecke がこの町に到達していたからだ。しかし、当時のトリーア駅は現在の中央駅ではなく、市街地からモーゼル川を渡った対岸に設置されていた。

*注 ここでは、同時に開通したトリーア以西のオーバーモーゼル線 Obermoselstrecke(上モーゼル線の意)と呼ばれる区間を含めて、モーゼル線と記述する。

これに対して新参のモーゼル線は、市街の東側を通るまったく独自のルートを採用した。その理由はおそらく、市街に近づけるという営業上の理由よりも、輸送路のバイパス機能を重視したからだと考えられる。既存3線のジャンクションは、南西8kmにあるコンツ・モーゼル鉄橋 Konzer Moselbrücke の北詰めにあった。モーゼル線もこの鉄橋を経由させれば経済的なのは明らかだが、列車が多方向から集中して運行上のボトルネックになる。カッセル Kassel やギーセン Gießen の例で見てきたように、戦略的鉄道は往々にして、列車が輻輳する市街地やジャンクションを避けようとした。新ルートが選定されるのは必然だった。

モーゼル線に設けられたトリーア中央駅 Trier Hbf は、川向うの旧駅から市の代表駅の座を奪った。旧駅はトリーア西駅 Trier-West と改称され、路線もトリーア西線 Trierer Weststrecke と言われるようになった。その後1983年の旅客列車廃止で、西駅は事実上廃駅となり、同線は現在、貨物だけが運行されている。

ベルリン~メス間805kmの大砲鉄道計画では、全線の約6割にあたる511kmの新線が建設されたが、その中で今も幹線の機能を担っているのは、ほぼこのモーゼル線に尽きる。ここまで見てきたように、モーゼル川という天然の通商路に沿い、都市間交通を担えるルート設定だったことが、路線の利用可能性を拡張した。戦争目的で計画された鉄道が、地域の発展にも貢献することができた幸福な例といえるだろう。大砲鉄道そのものは、終点メス Metz までまだ100kmばかり続いているが、跡をたどる旅はこの辺で幕としたい。

モーゼル川の旅に携行する旅行地図としては、ラインラント・プファルツ州測量局が刊行する1:50,000休暇地図 Freizeitkarte「モーゼル体験ルート Mosel.Erlebnis.Route」(下写真の左側)がお薦めだ。1:50,000官製地形図上に、ハイキングやサイクリングルート、観光関連施設等を表したもので、コブレンツからトリーアを経てペルル Perl まで、ドイツ国内のモーゼル川周辺を1枚(両面刷り)でカバーしている。

もっと詳しい地図が必要なら、同じ出版元から出ている1:25,000休暇地図「モーゼル山道 Moselsteig」(同 右側)がある。こちらは3点(基本はばら売りだが、セット販売もある)で上記のエリアをカバーする。これらの旅行地図は、日本のアマゾンや紀伊國屋書店のウェブサイトでも扱っている。"Topographische Freizeitkarte Mosel" あるいは "Moselsteig" などで検索するとよい。

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本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Moselstrecke, Doppelstockbrücke Alf-Bullay, Marienburg (Mosel), Bahnstrecke Pünderich–Traben-Trarbach, Bahnstrecke Wengerohr–Bernkastel-Kues, Eifelstrecke, Trierer Weststrecke, Mosel-Syrtal-Strecke)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Südwest(1986年版)、同1:200,000 CC6302 Trier(1984年版)、ラインラント・プファルツ州1:50,000 L5908 Cochem(1989年版)を用いた。

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2012年1月14日 (土)

モーゼル渓谷を遡る鉄道 I

ライン川とモーゼル川が出会う場所、コブレンツ Koblenz からその鉄道は出発する。白ワインの産地モーゼル川の溪谷を遡り、ローマ時代の遺跡が残るドイツ最古の都市トリーア Trier に至る、延長113kmのモーゼル線 Moselstrecke だ。しかし風光明媚な観光路線のイメージとは裏腹に、出自をたどれば19世紀に構想された対仏戦略路線「大砲鉄道」に行き着く。今は幻となった大砲鉄道ルート(下注)の中でほとんど唯一、幹線としての機能を果たしている区間でもある。これから2回にわたって、そのモーゼル線の見どころを探ってみたい。今回は前半、コブレンツ~ブライ Bullay 間だ。

*注 大砲鉄道については、本ブログ「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」参照

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ピュンダリッヒ付近 (1989年撮影)

図1
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モーゼル線と大砲鉄道のルート

コブレンツを出てまもなく、モーゼル線はモーゼル川に架かるギュルス鉄橋 Gülser Brücke を渡る。これからしばらく、レギオナルエクスプレス Regional-Express(快速列車)なら30分強の間、モーゼル川の左岸にぴったり沿って走ることになる。ヴィニンゲン Winningen の先では、頭上に深い谷を一気に跨ぐスマートな高架橋が現れる。アウトバーンA 61号線のモーゼルタール橋 Moseltalbrücke だ。全長935m、谷底からの高さは136mもあって、1972年の完成当時は世界で最も高い高速道路橋といわれた。

■参考サイト
ギュルスの町と鉄橋(Wikimedia)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Guels.jpg
モーゼルタール橋の写真集(Wikimedia)
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Moseltalbrücke

図2
Blog_moselstrecke_map2
モーゼル線のルート
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

川が流れる谷間はライン川より小ぶりながら、同じように両側に見上げる斜面が迫り、整然と植えられた葡萄畑が点在している。谷底のわずかな平地には、必ずグレーのスレート屋根が肩を寄せ合う小さな町がある。各停列車しか停まらないモーゼルケルン Moselkern 駅で降りるハイカーは、きっと支流の狭い谷間を伝ってエルツ城 Burg Eltz へ行くのだろう。中世の姿をとどめる凛々しい外観で、かつてドイツマルク紙幣(下記参考サイト)にも使われ、同国内で最も知られた古城の一つだ。

■参考サイト
エルツ城(公式サイト) http://www.burg-eltz.de/
エルツ城の写真(Wikimedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Burg_Eltz_HDR.jpg
エルツ城を配した西ドイツ時代の500マルク紙幣の裏面(Wikimedia)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:500_DM_Serie3_Rueckseite.jpg

図3
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コッヘム、ブライ付近拡大図
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012

川面を悠々と行き交う大小の船を車窓から見送るうちに、行く手の小山の上にいかめしげな構えの古城が見えてくる。コッヘム Cochem のライヒスブルク城 Reichsburg だ。コッヘムは9世紀から記録に名を残す古い町なので、城もさぞ由緒のある建物と思いきや、山上に放置されていた廃墟を1868年にベルリンの実業家がゴシック復興様式で再建したものだという。正統性はともかくとして、町随一の名所になっていることだけは間違いない。コブレンツ方面からインターシティ(IC)に乗った人にとっては、最初の停車駅がこのコッヘムだ。下車したら、趣きある街中へ繰り出す前に、ハーフティンバーの外観を組み込んだハイマートシュティール Heimatstil(郷土様式)の堂々たる駅舎も見学しておきたい。

■参考サイト
コッヘムの町とモーゼルの眺め(Wikimedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Panorama_Cochem.jpg
コッヘム駅舎の写真(Wikimedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Bahnhof_Cochem.jpg
コッヘム付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1475,7.1669&z=16

片や列車に乗り続ける人には、車窓風景がこの駅を境にして一変することを伝えておかなければならない。駅を出ると、列車は初めて長いトンネルに突入するからだ。長さが4205mあるこのヴィルヘルム皇帝トンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel は、3年の歳月をかけて1877年に完成した。1985年にハノーファー~ヴュルツブルク間の高速線上にラントリュッケントンネル Landrücken Tunnel(長さ10,779m)が開通するまで、100年以上もドイツの鉄道で最長のタイトルを護り続けていたトンネルだ。大砲鉄道プロジェクトの中でもかなめの位置を占めていたことは、当時のドイツ皇帝の名が冠されていることから知れる。トンネルのポータル最上部には、帝国の盟主プロイセンの象徴、翼を広げた鷲の像が誇らしげに掲げられている。

■参考サイト
トンネルポータル-路線番号3010(モーゼル線)の写真
Tunnelportale - Bilder der Strecke: 3010
http://www.eisenbahn-tunnelportale.de/lb/inhalt/tunnelportale/3010.html

なぜ、このような長大トンネルが必要とされたのかは、地図を見れば納得がいく(図3参照)。ここから上流で、モーゼル川が極端な蛇行を繰り返しているのだ。この流域は、河谷が鎹(かすがい)のような鉤型に曲折していることから、モーゼルクランペン Moselkrampen(モーゼルの鎹)あるいはコッヘマー・クランペン Cochemer Krampen(コッヘムの鎹)と呼ばれる。これを一挙に直線化した複線トンネルは、当時としては画期的な工事だった。しかし、世はグリュンダーツァイト Gründerzeit(建国時代)と呼ばれる好景気に沸いており、通過列車が増加して、長さゆえの悩みを抱え始める。

それは換気の問題だった。蒸気機関車の全盛時代、トンネルにこもる煤煙を外に出す方法がいろいろと試みられた。まず1904年に、トンネル北口に送風機が設置された。しかし、10年も経たないうちに機関車の出力増や通行量の増え方に追いつかなくなり、換気立坑の掘削が行われた。

さらに第一次大戦中、西部戦線への主要な供給路に位置付けられていたモーゼル線に対して、軍部はバイパスの設置を求めた。排煙の問題を解決するために、せっかくの直線トンネルを迂回させよという要請だった。迂回線にはまた、モーゼル右岸をブライまで走っているモーゼルタール鉄道 Moseltalbahn(下注)をコブレンツ方面へ延長することで、まだ鉄道のない右岸一帯を開発するという目論見もあった。

*注 モーゼルタール鉄道あるいはモーゼル鉄道 Moselbahn は、トリーア Trier ~ブライ Bullay 間を走っていた延長102kmの標準軌私鉄線。ブライ以西で川から離れてしまう国鉄モーゼル線に代わって、モーゼル川中流域の振興のために、右岸に忠実に沿って敷設された。1905年全線開通、1962年廃止。

■参考サイト
モーゼルタール鉄道 Die Moseltalbahn
http://www.alt-bernkastel.de/moseltalbahn.html
 当時の写真集がある

これを受けて1916年に、カルデン Karden とブライ Bullay(下注)を結ぶための新線工事が開始された。しかし、第一次大戦での敗北と、ヴェルサイユ講和条約で軍備制限が課せられたことで、バイパス設置の大義は失われ、さらに不況と財政難が工事の継続を困難にした。結局、1923年に工事は中止となる。この時点ですでに、トライス Treis~ブルッティヒ Bruttig 間にある長さ2565mのトライストンネル Treiser Tunnel とその前後数kmの地上区間は完成していた(図3の右上部に完成区間のルートを加筆)。トンネルの入口は後に破壊されたが、地形図上には長らく残っていたし、トンネル南側ではブルッティヒの町中を、今も線路敷きの石垣を積んだ築堤が貫いている。

*注 実際にモーゼル線と合流するのは、ブライの一つ手前のネーフNeef駅付近になるはずだった。

さて、道草が長くなったので、本線に戻ることにしよう。1973年にモーゼル線が電化されて、ヴィルヘルム皇帝トンネルの換気問題は永遠に解決した。現在、すぐ脇に2本目の単線用トンネルを掘る工事が行われていて、これが完成すると、列車運行はいったん新トンネルに移される。引き続き旧トンネルの改修が行われ、2016年にこの区間は2本の単線トンネルが並列する形に変わる予定だ。

長いトンネルを出てもまだ、線路は直線的に延びている。そのままエーディガー=エラー Ediger-Eller の駅の先で長さ281mの鉄橋を渡るが、橋の上で右の車窓に目をやろう。川の左岸、奥まで続く斜面は、ゲーテが「自然の円形劇場 Natur-Amphitheater」と呼んだという最急傾斜65度のぶどう畑、ブレマー・カルモント Bremmer Calmont だ。しかし列車はすぐに短いトンネル(ペータースベルクトンネル Petersberg-Tunnel、長さ367m)に突っ込むので、残念ながらゆっくり鑑賞する暇はない。

トンネルの後、ネーフ Neef とブライ Bullay 両駅の間は、モーゼル川の右岸を走っていく。トリーアに向かう列車で右側の車窓に川が寄り添ってくれるのはこの1駅間だけなので、貴重な時間だ。ブライまで来ると、美しいモーゼル川との仲睦まじい旅も終わりが近いのだが、まだ最後の見せ場が残されている。この先は次回に。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Moselstrecke, Kaiser-Wilhelm-Tunnel, Moselbahn, Burg Eltz, Cochem)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Südwest(1986年版)、同1:200,000 CC6302 Trier(1984年版)を用いた。

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 モーゼル渓谷を遡る鉄道 II
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 ドイツ 大砲鉄道 II-ルートを追って 前編
 ドイツ 大砲鉄道 III-ルートを追って 後編

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