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2011年11月16日 (水)

ドイツ 大砲鉄道 III-ルートを追って 後編

全体図
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ライネフェルデ~トライザ間 Leinefelde - Treysa その2

カノーネンバーン(大砲鉄道)の中間部、ライネフェルデ Leinefelde ~トライザ Treysa 間には、なお2回の山越えがある。その一つは、エシュヴェーゲ西駅 Eschwege West(現在は廃止)からマルスフェルト Malsfeld までの行程で、ヴェラ川 Werra からフルダ川 Fulda へ流域も変わる。

エシュヴェーゲ西駅の南で、大砲鉄道はゲッティンゲン=ベブラ線 Bahnstrecke Göttingen-Bebra を乗り越えるが、その後も3km以上並走してから、おもむろに針路を西に振る。ヴァルトカッペル Waldkappel では、カッセル=ヴァルトカッペル線 Bahnstrecke Kassel-Waldkappel、あるいはヴァルトカッペル鉄道 Waldkappeler Bahn と呼ばれる路線が接続していた。この路線は大砲鉄道と同じ1879年に、数か月遅れで開通したもので、エシュヴェーゲ方面から地方の中心都市カッセル Kassel(下注)への最短経路を構成した。旅客流動の大勢も、当路線経由でカッセルへ向いていたに違いない。

*注 カッセルは、1866年にプロイセンに併合されるまでヘッセン選帝侯国 Kurfürstentum Hessen(略してクーアヘッセン Kurhessen)の首都だった。

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  ヴァルトカッペル線のその後を紹介している。

図4 エシュヴェーゲ~マルスフェルト間
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大砲鉄道はさらに西へ広い谷中を進み、サミットを長さ1503mのビショフェローデトンネル Bischofferoder Tunnel(下注)で貫く。あとは下り坂で、ドイツの人口重心(2004年現在)に位置するというシュパンゲンベルク Spangenberg を経て、フルダ川 Fulda を渡ると、カッセル=ベブラ線 Bahnstrecke Kassel-Bebra(フリードリヒ・ヴィルヘルム北部鉄道 Friedrich-Wilhelms-Nordbahn)と交わるマルスフェルト Malsfeld だ。同線と大砲鉄道は十文字に立体交差するのだが、双方をつなぐ連絡線が北側と南側に1本ずつ造られていた。

*注 ビショフェローデ Bischofferode はトンネル西口の集落名。トンネルはまた、近くの山の名を採ってアイスベルクトンネル Eisbergtunnel とも呼ばれる。

図5 マルスフェルト~トライザ間
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山坂はまだ終わらない。マルスフェルトからホンベルク Homberg (Efze) にかけては、もう一山越える必要がある。再び谷を遡ったバイスハイム Beisheim の小盆地には、山懐を大回りしながら高度を稼いでいく見せ場があった。オーバーバイスハイム Oberbeisheim がサミット手前の駅になり、長さ917mのオーバーバイスハイムトンネル Oberbeisheimer Tunnel でエーダー川 Eder の支流エフツェ川 Efze の谷へ抜ける。坂を降りていく途中でエフツェの谷を一気にまたいでいる鉄橋にも注目したい。構造が上路式プレートガーダー(鈑桁)のため、先のレンゲンフェルトのような優美さはないが、長さ220m、高さ20mと、規模ではそれに次ぐものだ。

目立つ城山を擁するホンベルクまで来ると、あたりはすっかりのびやかな丘陵地に変わり、やがてトライザ Treysa でフランクフルト Frankfurt am Main 方面へ向かうマイン=ヴェーザー鉄道 Main-Weser-Bahn(時刻表番号620)に合流する。トライザの町は1970年に東隣のツィーゲンハイン Ziegenhain ほかと合併し、その際、市名は域内を貫く川の名を採ってシュヴァルムシュタット Schwalmstadt(シュヴァルム川の町の意)になった。グリム童話、中でも赤ずきんの故郷として、今や市名の方が通りがいいかもしれないが、駅名は開通当時のまま残っている。

さて、この区間の現状はどうなっているだろうか。ほとんどが山間部とあって、ご多分に漏れず列車の走る姿を見ることは叶わない。まず、エシュヴェーゲ西駅~ヴァルトカッペル間には、先述のとおりカッセル行きの列車が走っていたが、接続するカッセル~ヴァルトカッペル線とともに1985年に休止の措置がとられた。ヴァルトカッペル~マルスフェルト間はさらに早く1974年に休止され、マルスフェルト~トライザ間も1981年の段階で運行が途絶えた。貨物列車の運行も、早い区間は1974年、最後まで動いていたホンベルク~トライザ間も2002年に終了している。

その結果、ヴァルトカッペル~ホンベルク間ではレールが撤去されてしまい、鉄橋やトンネル、駅舎などの構築物だけが廃墟さながらの姿を晒している。前回見た東西ドイツ国境による分断とは事情が異なり、通過交通のほとんど見込めない区間だったのだろう。一方、レールが残るビッシュハウゼン~ヴァルトカッペル間では、約2kmに過ぎないが、2010年から軌道自転車(ドライジーネ)で走行できるようになった。同じくレールが現存するホンベルク~トライザ間では、地元自治体が定期列車の再開計画を温めているという。そのうちエシュヴェーゲのように、新型気動車が姿を見せる日が来るのかもしれない。

■参考サイト
ヴェーレタール・ドライジーネWehretal-Draisine
http://www.wehretal-draisine.de/inhalt/wehretal-draisine.html
大砲鉄道の現状写真集(説明はオランダ語)
3.フリーダトンネル~エシュヴェーゲ~ビショファローデトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_3/
4.ビショファローデトンネル~ホンベルク
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_4/
5.ホンベルク~マイン・ヴェーザー鉄道合流点
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_5/

ロラー~ヴェッツラー間 Lollar - Wetzlar

図6 ロラー~ヴェッツラー間
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図中の境界線はプロイセン Preußen とヘッセン大公国 Grhzm. Hessen の旧国境

大砲鉄道が合流したマイン・ヴェーザー鉄道の名は、起点フランクフルトと終点カッセルの町を流れる川の名から来ているが、鉄道はその中間部で別のラーン川 Lahn 流域をしばらく走る。合流点のトライザはヴェーザー流域の最上流部に近く、ものの10kmも行けば列車はもうラーン川斜面に足を踏み入れている。メルヘン街道の経由地であり大学都市でもあるマールブルク Marburg を経て、本線はギーセン Gießen へと続いていく。しかし、大砲鉄道はその手前8.1kmのロラー Lollar で分岐し、ギーセンを完全にバイパスしてしまうのだ。これがロラー=ヴェッツラー線 Bahnstrecke Lollar–Wetzlar と呼ばれる18.0kmの路線で、1878年に開通した。

ギーセンは、マイン=ヴェーザー鉄道とラインラント北部やルール工業地帯につながる幹線ディル線 Dillstrecke が合流する鉄道結節点のため、それを迂回するというのが建設の理由だ。しかしさらに重要なのは、ギーセンがプロイセン領ではなく、ヘッセン大公国 Großherzogtum Hessen(下注)領内の町だったという点ではないだろうか(図6参照)。

*注 ヘッセン大公国はダルムシュタットを首都とする。カッセルが首都のヘッセン選帝侯国(クーアヘッセンあるいはヘッセン=カッセル)とは別。選帝侯国が1866年にプロイセンに併合されて消滅したのに対して、大公国は1918年の民主化を経て1945年の敗戦まで存続した。

ギーセンのある大公国北部は、1867年からプロイセン主導の北ドイツ連邦に参加していた。また、普仏戦争を機に1871年には、大公国全体がドイツ帝国(連邦制)の一員となったので、この時点ではもはや同じ国内だった。しかし、わずか数年前、プロイセンとオーストリアの間で戦われた普墺戦争(1866年)では、南ドイツ諸国とともにオーストリア側についた敵国だったという事実がある。

近い将来のフランスとの再戦争を想定した場合、直接統治が及んでいなかった地域にあるジャンクションを軍用列車がスムーズに通れるのか。新しい同盟国の協力姿勢をプロイセン当局がどの程度信用していたかは定かでない。しかし、そもそもプロイセンがフランスにアルザス=ロレーヌの割譲を要求した背景の一つに、この地域を掌握することで、南ドイツ諸国から対仏国境を遠ざけ、西部戦線全体を自らコントロールするという目論みがあったとされる。念願のドイツ統一を成し遂げたとはいえ、軍事国家として成長してきたプロイセンにとって、有事の体制は自らの統制下で構築すべきものだった。迂回路線の建設計画も、当然この方針の延長上にあったはずだ。

そのロラー=ヴェッツラー線は以後どうなっただろうか。旅客輸送は1980年で休止された。貨物輸送も、北側のロラー~アーベントシュテルン Abendstern 間がバイパス道路通過に支障するという理由で1983年に休止となり、残るアーベントシュテルン~ヴェッツラー間も1991年限りで運行が取止められた。先述のライネフェルデ~トライザ間と異なり、こちらは都市近郊の路線だが、フランクフルト方面に通じていないことが客貨の流動に合わなかった理由だろう。

現在、レールは撤去され、西側のドルラー Dorlar およびアッツバッハ Atzbach 村を通る一部区間は、鉄道用地の指定も法的に解除された。また、途中のキンツェンバッハ Kinzenbach の駅舎は博物館施設(ホイヘルハイム郷土博物館 Heimatmuseum Heuchelheim)に転用され、敷地に赤いレールバス2両が静態保存されている。

■参考サイト
ロラー=ヴェッツラー線の現状写真集(2007~2008年)
http://home.arcor.de/bernd.funken/xspecial_kanonenbahnmittelhessen.html
ホイヘルハイム郷土博物館 http://www.heimatmuseum-heuchelheim.de/

ヴェッツラー以西

ヴェッツラー Wetzlar は、ベルリンを発した大砲鉄道、別名ヴェッツラー鉄道の当面の目的地だった。ここから大砲鉄道のルートは、1858~1963年に開通済みのラーンタール鉄道 Lahntalbahn(時刻表番号625)を利用して、ライン川 Rhein とモーゼル川 Mosel の合流点に位置するコブレンツ Koblenz に向かう。

路線は、蛇行を繰り返すラーン川 Lahn にほぼ忠実に沿っている。車窓の眺めは申し分ないが、曲線が連続するため列車の速度は上がらない区間だ。ラーンタール鉄道は最初単線で開通したが、戦略的役割を与えられたことにより1875~1880年に複線化工事が実施された。しかし、現在は老朽化した鉄橋の改築などに伴い、部分的に単線に戻されている。

図7 ヴェッツラー~コブレンツ間
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コブレンツから先のモーゼル線 Moselstrecke については、「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」で取り上げる。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Kanonenbahn, Bahnstrecke Leinefelde–Treysa, Bahnstrecke Kassel–Waldkappel, Friedrich-Wilhelms-Nordbahn, Main-Weser-Bahn, Bahnstrecke Lollar–Wetzlar, Lahntalbahn)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Südwest(1986年版)、同1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5510 Siegen(1982年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版), CC6310 Frankfurt a.M.-West(1980年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.
また、図6のプロイセンとヘッセン大公国の境界線はドイツ帝国1:200,000地形図125 Marburg(1911年版)による。

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19世紀の軍事戦略鉄道プロジェクト、カノーネンバーン Kanonenbahn(大砲鉄道)のルートと現状を、区間ごとに2回に分けて見ていこう。

全体図
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ベルリン~ブランケンハイム間 Berlin - Blankenheim

起点のベルリン・シャルロッテンブルク Berlin-Charlottenburg 駅から南西の方角へ、ハルツHarz山地東麓にあるブランケンハイム Blankenheim を目指すこの区間は、大砲鉄道の新設4線のなかで最も長く188.1kmある。ヴェッツラー鉄道 Wetzlarbahn という別称を持っているが、これは1873年6月に認可された建設計画がベルリン~ヴェッツラー Wetzlar 間であったためだ。しかし目標のヴェッツラーは540kmのかなた、現在のヘッセン州の町だ。

図1 ベルリン~ギューターグリュック間
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大砲鉄道は、障害となるものがほとんどない平野部をまっすぐに進んでいる。国家戦略を託された路線にふさわしいルート設定だ。旧東独時代に西ベルリンの周囲を回る形に建設された外環状線 Berliner Außenring (BAR) と交差した後、鉄道は東部最大のゼッディン Seddin 操車場を通過していく。デッサウ Dessau 方面への分岐駅ヴィーゼンブルク Wiesenburg は、広大な丘陵地帯フレーミング Fläming の中にぽつんとある。1923年にこの駅とロスラウ Roßlau を結ぶ連絡線が完成して、ベルリン~デッサウ間の短絡ルートができあがった。現在も旅客列車の運行(時刻表番号207)がある。

対照的に、本線であるギューターグリュック Güterglück 方面は、1993~95年の間、ベルリン=ポツダム=マクデブルク鉄道 Berlin-Potsdam-Magdeburger Eisenbahn 改良工事に際して、インターシティなどの迂回路として活用されたのが最後の花道となった。旅客列車に続き、貨物列車の運行も2004年12月をもって終了し、現在はエルベ川 Elbe を渡ってギュステン Güsten までが休止扱いとなってしまった(下注)。都市間連絡の機能を想定していない戦略的鉄道の弱点が、如実に現れた形だ。

*注 ただし、カルベ西駅 Calbe West 前後の線路は、カルベ東駅 Calbe Ost ~ベルンブルク Bernburg 間のローカル列車(時刻表番号340)の経路として使われている。

図2 ギューターグリュック~ブランケンハイム間
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そのギュステンは、かつて鉄道で栄えた町だった。線路が5方面から集まる拠点駅であるとともに、大砲鉄道経由で西に向かう機関車にとってはハルツ東麓の峠越えを控えた補給基地となっていた。広い駅構内には給水塔や、1995年に廃止された扇形機関庫がまだ残されている。ベルリンからの本線線路は撤去されたものの、残り4方面はエルベ・ザーレ鉄道 Elbe Saale Bahn のブランドを掲げた新型気動車が導入されて、面目を一新している(時刻表番号334、335)。

ギュステンで胸のすくような直進ルートは終わり、次のザンダースレーベン Sandersleben からは、線路数も減って単線になる。ヘットシュテット Hettstedt の先では鉱山が点在する丘陵地をくねくねとたどり、やがて、左手から坂を上ってきたハレ=カッセル鉄道Halle- Kasseler Eisenbahn と合流する。ここ、ハルツ山地の東麓にあるブランケンハイム Blankenheim の峠越えは、線路標高こそ約270mに過ぎないが、蒸気機関車の時代には補機を必要とする勾配路だった。サミット直下のトンネル(ブランケンハイムトンネル Blankenheimer Tunnel)は長さ875mあり、これを抜けると線路はゴルデネ・アウエ Goldene Aue の広い盆地へと降りていく。

■参考サイト
ギュステン駅 Bahnhof  Güsten(写真集) http://www.eisenbahndet.de/BfGuesten.htm
エルベ・ザーレ鉄道(公式サイト) http://www.elbe-saale-bahn.de/
BW SangerhausenのDR52.80形 http://silkroad2000.web.fc2.com/105.htm
 ハレ~カッセル鉄道ザンガーハウゼンおよびブランケンハイム駅の蒸機写真集

ライネフェルデ~トライザ間 Leinefelde - Treysa その1

大砲鉄道の中間部に当たるライネフェルデ Leinefelde ~トライザ Treysa 間は、北流するヴェーザー川 Weser の支谷を渡り歩くために、3度も山越えをする。勾配が連続することが、カッセル Kassel 回りの幹線より距離が短いにもかかわらず通過貨物に嫌われた、最大の要因だ。

図3 ライネフェルデ~エシュヴェーゲ間
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ハレ~カッセル線上のライネフェルデからすぐに新線が始まるわけではなく、まずはゴータ=ライネフェルデ線 Bahnstrecke Gotha-Leinefelde に乗り入れる。すでに1870年に完成していたこの路線は、駅から東向きに出ているため、大砲鉄道としては方向転換が必要になった。先を急ぐ軍用列車にとって機関車の付け替えは避けたいところだが、折り返さずに通過できるような連絡線が造られた形跡はない。

ゴータ線を8.2km進んだところに新線の分岐点がある。同線上のジルバーハウゼン駅より手前に位置するため、ジルバーハウゼン分岐駅 Silberhausen-Trennungsbahnhof と称した。駅とはいえ、旅客の乗降を扱ったのは1905年から40年代までで、その後は信号所の機能のみとなった。

新線区間は121.8kmあるが、最初のサミットは、長さ1530mのキュルシュテットトンネル Küllstedter Tunnel だ。ちょうど、東側エルベ水系と西側ヴェーザー水系の分水界を成している。そしてここからが、沿線随一のハイライト区間だろう。しばらく谷壁に沿った10‰前後の下り坂が続き、4本の短いトンネルを経て、前回紹介した半回転ループのあるレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタイン Lengenfeld unterm Stein まで降りていくのだ。そして、長さ1066mのフリーダトンネル Frieda-Tunnel を抜け、ヴェラ川 Werra の鉄橋を渡り、エシュヴェーゲ・ヴェスト(西)駅 Eschwege West(下注)でゲッティンゲン=ベブラ線 Bahnstrecke Göttingen-Bebra と連絡する。

*注 同駅は、開通当時ニーダーホーネ Niederhone と称した。ニーダーホーネ~エシュヴェーゲ・シュタット駅 Eschwege Stadt(後にエシュヴェーゲに改称)3.3kmはゲッティンゲン=ベブラ線の一部として1875年に完成しており、大砲鉄道の新線では最も早く開通したことになる。

しかしこの区間は、第二次大戦の後で設けられた東西ドイツ国境(地図では INNER GERMAN BORDERと表記)により、致命的な影響を受けた。大戦末期の1945年、ガイスマール Geismar ~シュヴェブダ Schwebda 間のフリーダ川 Frieda に架かる鉄橋が爆撃で破壊されたのだが、運行不能状態にとどめを刺すように、鉄橋の1.5km北側に国境が引かれることになった。両駅間は正式に休止となってしまい、国土の東西を直結するという、大砲鉄道に託された意義は失われた。

その後も東側の運行は、ガイスマールを終点として続けられたが、再統一後の1992年に終了した。西側は、シュヴェブダから分岐するヴェラタール鉄道 Werratalbahn(下注)と一体で運行されていたが、1981年に旅客が、1994年には貨物列車も休止となった。

*注 同鉄道は、終始ヴェラ川に沿ってシュヴェブダ~ヴァルタ Wartha 間を結んでいた。大砲鉄道と同様、1945年に途中の鉄橋が破壊され、さらに国境設定で直通不能となった路線だ。そのため、全廃直前はシュヴェブダから1駅目のヴァンフリート Wanfried まで細々と運行されていたに過ぎない。

これで大砲鉄道として造られたジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ・ヴェスト駅間は、全線が過去帳入りしたかに見えた。ところが最近、地方鉄道網を刷新する取組みが進み、その一環として、エシュヴェーゲに旅客列車が戻ってきた。ゲッティンゲン=ベブラ線を走る列車系統(時刻表番号613)が、エシュヴェーゲ・シュタット駅に寄り道するのだ。列車は町駅で折り返してゲッティンゲン=ベブラ線に戻る。

この運行形態を可能にするために、同線との接続点が三角線化された。また、もとのエシュヴェーゲ・ヴェスト駅は廃止され、その代り、大砲鉄道上にエシュヴェーゲ・ニーダーホーネ Eschwege Niederhone 駅が開設された。利便性を高めるために、集落に近い位置に移設されたのだ。同駅は一つの時刻表に2回登場する。その理由は、折り返してきた列車がまた停まるためだが、事情を知らなければ表の誤植を疑ってしまうだろう。

一方、旧東側のレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタインでは、村の観光資源としてレールの残る旧線で軌道自転車(ドライジーネ Draigine)を貸し出している。走れる区間はキュルシュテット Küllstedt ~ガイスマール間16.8kmで、その間に、村の上空に架かる優美なレンゲンフェルト鉄橋と、サミットを抜けるキュルシュテットトンネルが含まれる。鉄橋を渡る爽快さもさることながら、トンネルのポータルも見逃せない。左右にタレット(装飾用の小塔)が付くなど、中世の城壁に見立てた技巧がこらされ、国家事業の威風を漂わせているからだ。加えて急坂とカーブが連続する野趣に富んだ廃線跡は、探索ファンの興味を掻き立てる。もちろん、トンネルの長い闇に備えて、ドライジーネの車体にはヘッドライトがついているそうだ。

大砲鉄道は複線用地を持っているが、1920年代に片方の線路が取り払われてしまった。撤去された側を自転車道にする計画もあるらしいが、現地写真を見る限り、まだ着手には至っていない。

エシュヴェーゲ以西は、次回詳述する。

本稿は、Günter Fromm "Die Geschichte der Kanonenbahn" Verlag Rockstuhl, 2004、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Kanonenbahn, Berlin-Blankenheimer Eisenbahn, Halle-Kasseler Eisenbahn, Bahnstrecke Leinefelde–Treysa, Bahnstrecke Göttingen-Bebra, Bahnstrecke Schwebda–Wartha)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Nordost(1990年版)、同1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

■参考サイト
北ヘッセン運輸連合Nordhessischen VerkehrsVerbund (NVV)   http://www.nvv.de/
 エシュヴェーゲを通るのはR7系統ゲッティンゲン~ベブラ間。カントゥス交通会社Cantus Verkehrsgesellschaft  http://www.cantus-bahn.de/ が運行している。
レンゲンフェルトのドライジーネ(写真多数)
http://www.bahntrassenradwege.de/index.php?page=kanonenbahn-draisine
大砲鉄道の現状写真集(説明はオランダ語)
1.ジルバーハウゼン分岐駅~キュルシュテットトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_1/
2.キュルシュテットトンネル~レンゲンフェルト~フリーダトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_2/
3.フリーダトンネル~エシュヴェーゲ~ビショファローデトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_3/

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ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線

鉄道地図帳を眺めていると、時の経つのを忘れる。ページを繰りながらとりわけ注目するのは廃止線、休止線のたぐいだ。昔はこんなところに列車が走っていたのか、何のために敷かれたのだろう、と想像を巡らしてみる。資料に当たれば、鉄道が担った役割の向こうに、土地がもつさまざまな歴史事情が浮かび上がってくるのだ。

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中央部に
"Kanonenbahn"の注記

この鉄道を知ることになったきっかけも、そうだった。ドイツ中央部の鉄道地図(下注)を開いていた時に、カッセル Kassel の近くで「カノーネンバーン Kanonenbahn」と注記された廃止線が描かれているのに気付いた。北東から南西に向かうルートをたどっていくと、けっこう遠くまで伸び、しかも南北方向の2本の幹線と立体交差している。900~1500mといった長めのトンネルを連ねて幾山を越えているところも、ただのローカル線とは思えなかった。

*注 「ドイツ鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Deutschland」。この地図帳については、本ブログ「ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス・ウント・ヴァル社」で詳述。

いったいどんな素性を秘めているのだろうか。興味を掻き立てられて、てっとり早くウィキペディアで調べてみると、「カノーネンバーンは、ギュステン Güsten、ヴェッツラー Wetzlar、コブレンツ Koblenz およびトリーア Trier を経由してベルリン Berlin ~メス Metz 間を結んだ軍事戦略鉄道の俗称である。軍事戦略目的で建設された鉄道はほかにもあるが、なかでもこのベルリン~メス連絡線が最もよく知られている。」(ウィキペディア、ドイツ語版から翻訳引用)

図1 カノーネンバーン(大砲鉄道)路線図
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起点のベルリンはプロイセン王国以来、ドイツの首都に位置付けられている。終点のメス(ドイツ語読みはメッツ)は現在フランス、ロレーヌ地方の中心都市だが、1870~71年の戦いで敗れたフランスは、メスを含むアルザス=ロレーヌをプロイセンに割譲していた(下注)。つまり、あの廃止線は一介のローカル線どころか、首都と領土西端の主要都市を直結するために構想された全長805kmに及ぶ壮大な幹線鉄道プロジェクトの一部だったのだ(図1参照)。

*注 割譲されたロレーヌは、本来のロレーヌ地方の東半分に当る。この地域がフランスに復するのは第一次大戦後になる(1919年のヴェルサイユ条約で確定)が、その後第二次大戦でもドイツの占領下に置かれた。

この普仏戦争の後、プロイセンは周辺諸邦とともに連邦制のドイツ帝国 Deutsches Kaiserreich を築きあげるのだが、アルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)は帝国直轄州(ライヒスラント Reichsland)とされ、実質的にプロイセンが支配した。なぜなら、この地は鉄鉱石や石炭を産する重要な鉱工業地域であり、また敵国フランスと接する西部国境の最前線だったからだ。鉄道が計画された理由もそこに見出すことができる。

ベルリンから西へ向かい、モーゼル川流域を到達点とする鉄道路線は、早くも1855年には提唱されていたというが、具体的な建設計画として議会に提案されたのは、普仏戦争終結後の1872年だ。フランスからの賠償金を建設資金の一部に充当することで、計画は一気に現実的なものとなった。鉄道は、新幹線のようにすべて新規に建設されたわけではなく、805kmのうち新線は511kmで、それ以外は既存線の活用あるいは改良で補った。

図2 建設当時の状況
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その状況は図2のとおりだ。まず、新設線は次の4区間に分けられる。

1.通称ヴェッツラー鉄道 Wetzlarer Bahn(188km)
 ベルリン市内を出て直線コースでブランケンハイム Blankenheim まで
2.ジルバーハウゼン分岐駅 Silberhausen-Trennungsbahnhof ~トライザ Treysa 間(122km)
 最急20‰勾配の峠道が点在する山あいの区間
3.ロラー Lollar ~ヴェッツラー Wetzlar 間(18km)
 ギーセン Gießen の町をバイパスする
4.モーゼル線 Moselstrecke および上モーゼル線 Obermoselstrecke(188km)
 ライン右岸のホーエンライン Hohenrhein からコブレンツを経由し、モーゼル川に沿ってロレーヌ地方のディーデンホーフェン Diedenhofen(仏名ティオンヴィル Thionville)まで

その間は以下の既存線5区間でつないだ。

1.ブランケンハイム~ライネフェルデ Leinefelde間
 1860年代に完成していたハレ~カッセル線 Halle-Kasseler Eisenbahn (Hauptbahn Cassel–Halle) を利用
2.ライネフェルデ~ジルバーハウゼン分岐までの短区間
 ゴータ~ライネフェルデ線 Bahnstrecke Gotha-Leinefelde を利用
3.トライザ Treysa ~ロラー Lollar 間
 1850年から運行されているマイン・ヴェーザー鉄道 Main-Weser-Bahn を利用
4.ヴェッツラー Wetzlar ~ホーエンライン Hohenrhein 間
 1858~63年にかけて造られたラーンタール鉄道 Lahntalbahn を使い、複線に改良
5.終端となるディーデンホーフェン~メス間
 フランスの東部鉄道会社 Compagnie des Chemins de fer de l'Est が1854年に開通させていた路線に乗入れ

新規区間は1875年から順次完成し、1880年5月15日、ジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ Eschwege 間を最後に全線が開通した。ただし、この時点でベルリン市内のシャルロッテンブルク Charlottenburg ~グルーネヴァルト Grunewald 間3.1kmだけは未完成で、同区間が通じる1882年まで、列車はベルリンのポツダム駅 Potsdamer Bahnhof から出発したという。

カノーネンバーンのカノーネン Kanonen は、ドイツ語で大砲(複数形)を意味する。有事の際に兵器や兵士を戦地へ運ぶ目的で造られた路線だから、「大砲鉄道」と呼ばれてきたのだが、あだ名には別の隠喩が込められているようにも思う。つまり、大砲しか運ぶものがなかった鉄道という含意だ。

総じて戦略的鉄道は、長大な軍用貨物列車が頻繁に往来しても支障がないように、待避線は長く、勾配は緩く、可能な限り複線で建設される。それとともに、列車が輻輳する市街地を迂回するルートを採用することが多い。この鉄道も、地図でもわかるとおり、マクデブルク Magdeburg やカッセル Kassel といった主要都市を避けるようにして敷かれている。このことは路線の平時における利用価値を低下させ、せっかくの立派な施設をなかば遊休化させてしまう原因となった。

開通当時からベルリン~ブランケンハイム間では定期列車が設定されない区間があり、ライネフェルデ~トライザ間は軍用列車も避けて、カッセル回りのルートを選んだと言われる。勾配区間の多さとともにライネフェルデ駅での方向転換(すなわち機関車付け替えの手間)が嫌われたのだろう。また後には、列車頻度に応じて、片方の線路を撤去して単線に戻す区間も現れた。ジルバーハウゼン分岐駅~トライザ間やラーンタール鉄道の一部区間がそうだ。

図3 現在の状況
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2010年現在の状況(下注)を図3に示した。当時の新設線のうち今も活用されているのは、たまたま都市間連絡の機能を担うことができた区間に限られる(図の濃い赤線)。まずベルリン~ヴィーゼンブルク Wiesenburg 間、ここはデッサウ Dessau 方面への定期旅客列車のルートとして定着した。ギュステン Güsten ~ブランケンハイム間は、マクデブルク Magdeburg とエアフルト Erfurt を結ぶ列車の経路になっている。コブレンツ Koblenz ~トリーア Trier 間はルクセンブルク方面へのインターシティが走る幹線に成長し、トリーア~メス間にも国際列車の設定がある。しかし、それ以外の区間(図の淡い赤線)は実質的にローカル線の状況のまま、衰退の一途をたどった。

*注 ドイツ鉄道公式サイトの路線図 Streckenkarte による。

中でも、ジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ間は悲運をかこった区間だ。直通列車をカッセル経由の幹線から奪えなかっただけでなく、第二次大戦とそれに続く東西冷戦の影響をまともに蒙ったからだ。戦争末期に沿線のフリーダ川 Frieda を渡る鉄橋が爆撃を受け、レールが分断されてしまう。さらに、東西ドイツの国境が鉄道を横切って設定されたため、鉄橋とその前後区間は二度と復旧されなかった。ローカル列車の運行は東西両側に分かれて細々と続けられたものの、いずれも1990年代になって廃止の最終宣告が下された。

Blog_kanonenbahn_map6 ところで、この鉄道はどれほどの規模で建設されたのだろうか。締めくくりにあたって、それを少しでも想像できる写真を紹介しておこう(下記参考サイト)。場所は、上で述べた分断地点の東側、山懐に抱かれたレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタイン Lengenfeld unterm Stein の村だ。東の分水界から長い下り坂を降りてきた線路が、村を巻くように半回転している。その途中、家並みと小川をまたぎ越しているのが、6つの逆アーチ(魚腹トラス)を連ねた複線幅の堂々たる高架橋だ。長さ237m、高さ24m、集落からはまさに仰ぎ見る位置にある。

■参考サイト
ウィキペディア(ドイツ語版)レンゲンフェルト橋梁の写真
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Viadukt_Lengenfeld.JPG
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Lengenfeld_Frieda.jpg
レンゲンフェルト付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.2128,10.2221&z=16

このような立派な構造物を地表に遺したまま、歴史のかなたに消え去った大砲鉄道。次回はそのルートと現況を、地形図と照合しながら見ていきたい。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Kanonenbahn, Berlin-Blankenheimer Eisenbahn, Bahnstrecke_Leinefelde–Treysa, Bahnstrecke Lollar–Wetzlar, Lahntalbahn, Moselstrecke)およびドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
レンゲンフェルトの地形図は、ドイツ連邦官製1:200,000 CC4726 Goslar(1987年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.

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