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2011年11月16日 (水)

ドイツ 大砲鉄道 III-ルートを追って 後編

全体図
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ライネフェルデ~トライザ間 Leinefelde - Treysa その2

カノーネンバーン(大砲鉄道)の中間部、ライネフェルデ Leinefelde ~トライザ Treysa 間には、なお2回の山越えがある。その一つは、エシュヴェーゲ西駅 Eschwege West(現在は廃止)からマルスフェルト Malsfeld までの行程で、ヴェラ川 Werra からフルダ川 Fulda へ流域も変わる。

エシュヴェーゲ西駅の南で、大砲鉄道はゲッティンゲン=ベブラ線 Bahnstrecke Göttingen-Bebra を乗り越えるが、その後も3km以上並走してから、おもむろに針路を西に振る。ヴァルトカッペル Waldkappel では、カッセル=ヴァルトカッペル線 Bahnstrecke Kassel-Waldkappel、あるいはヴァルトカッペル鉄道 Waldkappeler Bahn と呼ばれる路線が接続していた。この路線は大砲鉄道と同じ1879年に、数か月遅れで開通したもので、エシュヴェーゲ方面から地方の中心都市カッセル Kassel(下注)への最短経路を構成した。旅客流動の大勢も、当路線経由でカッセルへ向いていたに違いない。

*注 カッセルは、1866年にプロイセンに併合されるまでヘッセン選帝侯国 Kurfürstentum Hessen(略してクーアヘッセン Kurhessen)の首都だった。

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  ヴァルトカッペル線のその後を紹介している。

図4 エシュヴェーゲ~マルスフェルト間
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大砲鉄道はさらに西へ広い谷中を進み、サミットを長さ1503mのビショフェローデトンネル Bischofferoder Tunnel(下注)で貫く。あとは下り坂で、ドイツの人口重心(2004年現在)に位置するというシュパンゲンベルク Spangenberg を経て、フルダ川 Fulda を渡ると、カッセル=ベブラ線 Bahnstrecke Kassel-Bebra(フリードリヒ・ヴィルヘルム北部鉄道 Friedrich-Wilhelms-Nordbahn)と交わるマルスフェルト Malsfeld だ。同線と大砲鉄道は十文字に立体交差するのだが、双方をつなぐ連絡線が北側と南側に1本ずつ造られていた。

*注 ビショフェローデ Bischofferode はトンネル西口の集落名。トンネルはまた、近くの山の名を採ってアイスベルクトンネル Eisbergtunnel とも呼ばれる。

図5 マルスフェルト~トライザ間
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山坂はまだ終わらない。マルスフェルトからホンベルク Homberg (Efze) にかけては、もう一山越える必要がある。再び谷を遡ったバイスハイム Beisheim の小盆地には、山懐を大回りしながら高度を稼いでいく見せ場があった。オーバーバイスハイム Oberbeisheim がサミット手前の駅になり、長さ917mのオーバーバイスハイムトンネル Oberbeisheimer Tunnel でエーダー川 Eder の支流エフツェ川 Efze の谷へ抜ける。坂を降りていく途中でエフツェの谷を一気にまたいでいる鉄橋にも注目したい。構造が上路式プレートガーダー(鈑桁)のため、先のレンゲンフェルトのような優美さはないが、長さ220m、高さ20mと、規模ではそれに次ぐものだ。

目立つ城山を擁するホンベルクまで来ると、あたりはすっかりのびやかな丘陵地に変わり、やがてトライザ Treysa でフランクフルト Frankfurt am Main 方面へ向かうマイン=ヴェーザー鉄道 Main-Weser-Bahn(時刻表番号620)に合流する。トライザの町は1970年に東隣のツィーゲンハイン Ziegenhain ほかと合併し、その際、市名は域内を貫く川の名を採ってシュヴァルムシュタット Schwalmstadt(シュヴァルム川の町の意)になった。グリム童話、中でも赤ずきんの故郷として、今や市名の方が通りがいいかもしれないが、駅名は開通当時のまま残っている。

さて、この区間の現状はどうなっているだろうか。ほとんどが山間部とあって、ご多分に漏れず列車の走る姿を見ることは叶わない。まず、エシュヴェーゲ西駅~ヴァルトカッペル間には、先述のとおりカッセル行きの列車が走っていたが、接続するカッセル~ヴァルトカッペル線とともに1985年に休止の措置がとられた。ヴァルトカッペル~マルスフェルト間はさらに早く1974年に休止され、マルスフェルト~トライザ間も1981年の段階で運行が途絶えた。貨物列車の運行も、早い区間は1974年、最後まで動いていたホンベルク~トライザ間も2002年に終了している。

その結果、ヴァルトカッペル~ホンベルク間ではレールが撤去されてしまい、鉄橋やトンネル、駅舎などの構築物だけが廃墟さながらの姿を晒している。前回見た東西ドイツ国境による分断とは事情が異なり、通過交通のほとんど見込めない区間だったのだろう。一方、レールが残るビッシュハウゼン~ヴァルトカッペル間では、約2kmに過ぎないが、2010年から軌道自転車(ドライジーネ)で走行できるようになった。同じくレールが現存するホンベルク~トライザ間では、地元自治体が定期列車の再開計画を温めているという。そのうちエシュヴェーゲのように、新型気動車が姿を見せる日が来るのかもしれない。

■参考サイト
ヴェーレタール・ドライジーネWehretal-Draisine
http://www.wehretal-draisine.de/inhalt/wehretal-draisine.html
大砲鉄道の現状写真集(説明はオランダ語)
3.フリーダトンネル~エシュヴェーゲ~ビショファローデトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_3/
4.ビショファローデトンネル~ホンベルク
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_4/
5.ホンベルク~マイン・ヴェーザー鉄道合流点
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_5/

ロラー~ヴェッツラー間 Lollar - Wetzlar

図6 ロラー~ヴェッツラー間
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図中の境界線はプロイセン Preußen とヘッセン大公国 Grhzm. Hessen の旧国境

大砲鉄道が合流したマイン・ヴェーザー鉄道の名は、起点フランクフルトと終点カッセルの町を流れる川の名から来ているが、鉄道はその中間部で別のラーン川 Lahn 流域をしばらく走る。合流点のトライザはヴェーザー流域の最上流部に近く、ものの10kmも行けば列車はもうラーン川斜面に足を踏み入れている。メルヘン街道の経由地であり大学都市でもあるマールブルク Marburg を経て、本線はギーセン Gießen へと続いていく。しかし、大砲鉄道はその手前8.1kmのロラー Lollar で分岐し、ギーセンを完全にバイパスしてしまうのだ。これがロラー=ヴェッツラー線 Bahnstrecke Lollar–Wetzlar と呼ばれる18.0kmの路線で、1878年に開通した。

ギーセンは、マイン=ヴェーザー鉄道とラインラント北部やルール工業地帯につながる幹線ディル線 Dillstrecke が合流する鉄道結節点のため、それを迂回するというのが建設の理由だ。しかしさらに重要なのは、ギーセンがプロイセン領ではなく、ヘッセン大公国 Großherzogtum Hessen(下注)領内の町だったという点ではないだろうか(図6参照)。

*注 ヘッセン大公国はダルムシュタットを首都とする。カッセルが首都のヘッセン選帝侯国(クーアヘッセンあるいはヘッセン=カッセル)とは別。選帝侯国が1866年にプロイセンに併合されて消滅したのに対して、大公国は1918年の民主化を経て1945年の敗戦まで存続した。

ギーセンのある大公国北部は、1867年からプロイセン主導の北ドイツ連邦に参加していた。また、普仏戦争を機に1871年には、大公国全体がドイツ帝国(連邦制)の一員となったので、この時点ではもはや同じ国内だった。しかし、わずか数年前、プロイセンとオーストリアの間で戦われた普墺戦争(1866年)では、南ドイツ諸国とともにオーストリア側についた敵国だったという事実がある。

近い将来のフランスとの再戦争を想定した場合、直接統治が及んでいなかった地域にあるジャンクションを軍用列車がスムーズに通れるのか。新しい同盟国の協力姿勢をプロイセン当局がどの程度信用していたかは定かでない。しかし、そもそもプロイセンがフランスにアルザス=ロレーヌの割譲を要求した背景の一つに、この地域を掌握することで、南ドイツ諸国から対仏国境を遠ざけ、西部戦線全体を自らコントロールするという目論みがあったとされる。念願のドイツ統一を成し遂げたとはいえ、軍事国家として成長してきたプロイセンにとって、有事の体制は自らの統制下で構築すべきものだった。迂回路線の建設計画も、当然この方針の延長上にあったはずだ。

そのロラー=ヴェッツラー線は以後どうなっただろうか。旅客輸送は1980年で休止された。貨物輸送も、北側のロラー~アーベントシュテルン Abendstern 間がバイパス道路通過に支障するという理由で1983年に休止となり、残るアーベントシュテルン~ヴェッツラー間も1991年限りで運行が取止められた。先述のライネフェルデ~トライザ間と異なり、こちらは都市近郊の路線だが、フランクフルト方面に通じていないことが客貨の流動に合わなかった理由だろう。

現在、レールは撤去され、西側のドルラー Dorlar およびアッツバッハ Atzbach 村を通る一部区間は、鉄道用地の指定も法的に解除された。また、途中のキンツェンバッハ Kinzenbach の駅舎は博物館施設(ホイヘルハイム郷土博物館 Heimatmuseum Heuchelheim)に転用され、敷地に赤いレールバス2両が静態保存されている。

■参考サイト
ロラー=ヴェッツラー線の現状写真集(2007~2008年)
http://home.arcor.de/bernd.funken/xspecial_kanonenbahnmittelhessen.html
ホイヘルハイム郷土博物館 http://www.heimatmuseum-heuchelheim.de/

ヴェッツラー以西

ヴェッツラー Wetzlar は、ベルリンを発した大砲鉄道、別名ヴェッツラー鉄道の当面の目的地だった。ここから大砲鉄道のルートは、1858~1963年に開通済みのラーンタール鉄道 Lahntalbahn(時刻表番号625)を利用して、ライン川 Rhein とモーゼル川 Mosel の合流点に位置するコブレンツ Koblenz に向かう。

路線は、蛇行を繰り返すラーン川 Lahn にほぼ忠実に沿っている。車窓の眺めは申し分ないが、曲線が連続するため列車の速度は上がらない区間だ。ラーンタール鉄道は最初単線で開通したが、戦略的役割を与えられたことにより1875~1880年に複線化工事が実施された。しかし、現在は老朽化した鉄橋の改築などに伴い、部分的に単線に戻されている。

図7 ヴェッツラー~コブレンツ間
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コブレンツから先のモーゼル線 Moselstrecke については、「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」で取り上げる。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Kanonenbahn, Bahnstrecke Leinefelde–Treysa, Bahnstrecke Kassel–Waldkappel, Friedrich-Wilhelms-Nordbahn, Main-Weser-Bahn, Bahnstrecke Lollar–Wetzlar, Lahntalbahn)、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Südwest(1986年版)、同1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5510 Siegen(1982年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版), CC6310 Frankfurt a.M.-West(1980年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.
また、図6のプロイセンとヘッセン大公国の境界線はドイツ帝国1:200,000地形図125 Marburg(1911年版)による。

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コメント

いつも有難うございます

ご存知かと思いますが
取急ぎご報告です、旧ソ連地形図サイトen.poehali.org/mapsが、12月15日で提供
終了の模様です

もぐタン様

情報ありがとうございました。
ダウンロードに手間がかかるとはいえ、無料のpoehali.orgは重宝していたので残念です。

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