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2011年10月23日 (日)

オーストリアの新しい1:250,000地形図

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1:250,000地形図表紙
ウィーン 2011年版

1:50 000更新停止の断を下したわが国の例を引くまでもなく、官製地形図の印刷物刊行は世界的に見ても縮小傾向にある。デジタルデータで提供するほうが、多様化している利用形態に適応しやすいとか、製作・流通にかかるコストが削減できるといった点で、有利とみなされているのは明らかだ。

ところが、世の趨勢に逆らうかのように、オーストリアの測量局、連邦度量衡測量制度庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen(以下BEVと略す)のサイトで2011年6月8日、新たな印刷地図シリーズの刊行が告知された。それによるとこれは、オーストリア全土と隣接する国々を描いた1:250,000地形図で、経度2度×緯度1度の範囲で区切られ、12面から成るという。さっそくウィーンの地図専門店に注文して、実物を数点取り寄せた。

新シリーズは、横91cm×縦57.5cmの用紙サイズで、通常折図で販売されている。シンボルカラーには、1:25,000の緑、1:50,000の青、1:200,000のオレンジに対して紫色が当てられ、表紙部分に図名の都市を象徴する風景写真が配されている。地図の図郭は横長で、他の縮尺と同様、隣接図葉との間に図上2cm程度の重複を持たせてある。さらに、図の上端と右端が製本でいう断切り(たちきり)にされて、貼合せの便が図られている。

既存の1:200,000と比べてみると、地図全体の印象は淡泊でクリアになった。その原因の一端は、色や文字書体の使い方にあるだろう。森林を表すアップルグリーンは薄めにされ、地名注記の書体も細身のものに変えられたからだ。一方、等高線にぼかし(陰影)という地勢の表現方法は踏襲されている。等高線の版は1:200,000と同じデータだが、アルプスなどで広範囲に見られる露岩の描写は新たに書き起こされたようだ。

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1:250,000 凡例の一部

地図記号で最も目立つ違いは市街地の描写だ。1:200,000の場合、黒抹家屋か総描家屋を丁寧に置いているが、新図ではピンクのベタ塗りで、その上に載る市街地の道路網も最小限度だ。また、小さな集落は大小の円を用いて、位置を示すにとどめている。これは明らかに、昨今のデジタル地図データに共通の仕様だ。ただしこれは市街地の話で、郊外や山間部では、区間距離やインターチェンジの名称、サービスエリア、パーキングエリアなど、1:200,000にはないデータや記号が加えられ、道路地図の要件を兼ね備えている。

こうした個々の特徴もさることながら、新シリーズ自体、かなり異色な存在と言うべきだ。理由の一つは先述のとおり、旧来のオフセット印刷で提供されている点だが、それにも増して、すでに1:200,000地形図が完備されているところへ敢えて1:250,000図を投入したことに、驚きと戸惑いがある。なぜなら、縮尺こそ80%に縮小されるものの、見た目には両者の間に大差がないからだ。実は、同国のデジタル地形図データベースでは、欧州共通のユーロリージョナルマップ EuroRegionalMap(下注)に供給するために、縮尺1:250,000のデータを管理している。新シリーズはこれを利用したものと推測されるが、それにしても、紙地図を併存させれば事業予算を圧迫するし、利用者にしてもどちらを選ぶべきか、はたと迷うに違いない。

*注 ユーロリージョナルマップは、欧州各国の測量機関が参加する組織ユーロジオグラフィクス EuroGeographics が開発した、欧州全域をカバーする1:250,000汎用ベクトルマップ。

オーストリアの場合、1:200,000が州全域を1面に収める州別地図に切替えられたので、経緯度区切りの1:250,000とは競合しないという見方もあるだろう。しかし、機械的に経緯度で区切ると、行政的に一体のエリアでも複数面に分割される可能性がある。この不便さを解消することが州別地図にする意義だったとすれば、なにも以前の状態を復活させる必要はないはずだ。

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1:250,000索引図

なぜ今、新シリーズなのか。BEVのサイトはこの問いに正面から答えてはいないが、推測する手掛かりはある。1:250,000の紹介ページにこう書かれている。「(このシリーズは)軍事地理研究所 Institut für Militärisches Geowesen (IMG) の協力を得てBEVによって製作され、民生用であるとともにオーストリア軍の公式軍用地図としても使われる。内務省の国家危機災害対策局 Staatlichen Krisen- und Katastrophenschutzmanagement (SKKM) は、すべての危機対応組織に対して、この地図製品を計画と活動の基本資料として推奨している。」

軍用地図である証拠として、地図記号のなかに、橋梁の重量制限、道路の狭隘個所、桁下制限高、3段階に分類された道路勾配表示といった汎用図には珍しいものが含まれる。大型あるいは重量のある軍用車両が通行できるかどうかを示す目的だ(下注)。こうした行軍用の情報が、旧社会主義国の地形図におびただしく盛り込まれていたのを思い出す。しかし紹介文から読み取るかぎり、これは軍事作戦に向けたものというより、国家組織が担う災害救援活動などへの活用を意図しているらしい。

*注 道路整備が行き届いているからなのか、図中における特殊記号の使用例は、勾配表示を除けばごく少ない。

地形図を民軍共用にすることは、隣国ドイツでも採られている政策だ。このような国家的要請が背景にあるのなら、既存の地形図との競合は二の次の話になる。また、公的機関の需要を念頭に置いているとすれば、あえて商業ベースに載せることもない。新シリーズ刊行の理由が見えてくるのだ。

地図は3年ごとに更新されると、アナウンスされている。内容が最新に近い状態に保たれることで、地図の実用性が維持され、軍用のみならず民生用としての存在価値も高まるだろう。その反対に、従来の汎用図である1:200,000の用途は限定されていく予感がする。規格が類似しているために、長期的に見れば市場での両立は難しいと思うからだ。新しい縮尺図の登場は、オーストリアの地形図体系が有する19世紀以来の伝統を覆すきっかけになるのかもしれない。

■参考サイト
連邦度量衡測量制度庁BEV  http://www.bev.gv.at/
同サイトの記事「新しいBEVの地図製品:オーストリア1:250,000地形図」
Neues Kartenwerk des BEV: Österreichische Karte 1:250 000 (ÖK250)
http://www.bev.gv.at/portal/page?_pageid=713,2168919&_dad=portal&_schema=PORTAL
オーストリアの地形図の種類、入手方法などについては「官製地図を求めて-オーストリア」にまとめた。
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_austria.html

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 ドイツの1:200,000地形図

2011年10月16日 (日)

新線試乗記-九州新幹線、博多~新八代間

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800系電車入線、新鳥栖駅にて

「祝!九州」のCMに感動したせいか、今年(2011年)3月12日に全線開業した九州新幹線(鹿児島ルート)が、何かしら旅心を誘う。夏には阿蘇と高千穂を巡る家族旅行で使い、先日は鹿児島からの帰路に利用して、新規開業区間の駅もいくつか見てきた。今回はその印象を綴りたい。

九州新幹線の開業順序はちょっと変則的だ。南側の新八代(しんやつしろ)~鹿児島中央間が先行して2004年3月に開業し、他の新幹線とは接続しない飛び地のまま7年間運行されてきた。八代~西鹿児島間は、在来線特急で2時間10分程度かかっていたのだが、新幹線の登場で一気に40~50分まで短縮されてしまった。初乗りした時は、和風の意匠を凝らした800系車両も居心地良く、もう少しゆっくり走ってほしいとさえ思ったものだ。

一方、北側の博多~新八代の開通は後回しにされ、ダークグレーの渋い面構えで気を吐く787系電車が、「リレーつばめ」の名でこの間をつないでいた。新八代では新幹線のホームに上がり、あたかも通勤電車の緩急接続のように、横に並んだ新幹線の「つばめ」号と乗客を受け渡しするというので話題になった。しかし、この長らく続いた乗継ぎの手間も今年、ついに解消するときが来た。前日に東日本を襲った大地震を受けて祝賀行事は全面中止となったものの、運行は予定通り始まり、実キロ256.8kmにおよぶ九州旅客輸送の新しい動脈がここに完成を見たのだ。

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800系車内 (左)粋な和のインテリア (右)金箔貼りの妻壁も

今回の旅の1日目は、鹿児島中央から熊本まで移動する。東海道新幹線の「のぞみ」「ひかり」「こだま」に対応して、九州新幹線には「みずほ」「さくら」「つばめ」が設定されている。「みずほ」は熊本しか停まらない速達便、「さくら」は主要駅停車、そして「つばめ」は全ての駅に停まる。ただし日中の「つばめ」は熊本以南に入らず、「さくら」がその役を代行する。今回は乗車目的からして、1時間に1本あるこの各停「さくら」を敢えて選んだ。

車両はN700系8両編成、連続35‰勾配に対応した九州仕様だ。始発駅だからすいているものと高を括って自由席に乗ったら、窓側はたちまち塞がり、発車時点で空いていたのは3連中央のB席程度という盛況ぶりだった。川内(せんだい)、出水(いずみ)と、どの駅でも乗降客が結構あり、すっかり地元の足として定着しているようだ。

新八代からは初乗りになるので、車窓に集中する。新幹線は広い八代平野を縦断していく。ルートは在来線より3~4kmも海寄りで、江戸期に干拓で造成された土地を通っている。区画の整った農地を貫くまっすぐな水路に、夕闇迫る西の空が映える。視野の先に広がる水面は八代海で、背景に浮かぶシルエットは三角半島か天草か。最近の新設区間は防音壁が高くて興をそぐのだが、このあたりは上部を透明素材に変えてあり、断続的でも眺望が保てるのがありがたい。しかし、宇土以北、熊本平野では在来線に寄り添うように敷かれていて、周囲に人家が増えるため、視界はほとんど絶望的だ。

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(左)新八代駅発車 (右)夕映えの八代海(遠景)、松橋南方にて

いつのまにか減速して、熊本駅に到着した。さすがは中九州の中心、2面4線が大屋根を戴く堂々たる駅だ。東口(白川口)に回る前に、西口(新幹線口)に出てみた。こちらは市街の反対側で駅前はまだがらんとしているが、駅舎の透ける外壁を通して、上り外側線(11番線)に停車した列車を眺めることができるのが売りだ。日が傾いてホームに明かりが点ると、さらに見栄えがした。

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(左)熊本駅到着 (右)車両もインテリアの一部、熊本駅西口

2日目は、熊本から博多までの行程だ。この区間は夏の旅行の際に通しで乗っているので、今回はいくつか途中駅を訪問してみるつもりだ。当然、乗る列車は各停の「つばめ」となる。噂には聞いていたが、車内に入ると見事なほどすいている。昨日の「さくら」とは大違いだ。

「つばめ」に主として使われる800系は、自由席でも1列4席という他の新幹線電車ならグリーン車並みのゆったりした座席配置が特色だが、それでも不人気の理由はおよそ見当がつく。熊本から博多へ行く人は、停車駅の少ない「さくら」を選ぶ。安くあげたい人は、中心部から頻繁に出ている高速バスを利用する。途中駅の利用者はというと、新玉名、新大牟田は中心街から離れていてアクセスがよくない。久留米はもともと西鉄が中心で、特急なら天神までわずか30分強だ。新幹線でも2枚きっぷのような格安切符が発売されているが、値ごろなフリークエントサービスに慣れた市民には、費用対効果が低いと見なされているのではないか。京阪神間でもそうだが、新幹線はよそ行きの乗り物なのだ。

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朝の熊本駅に列車入線

列車が熊本市街を去る前に、ビルの間からお城の天守閣が見送ってくれるが、それもつかの間、視界はトンネルで閉ざされる。しばらくこの闇と明かりが断続したあと、田園地帯に出て新玉名(しんたまな)、トンネルを過ごして新大牟田(しんおおむた)と、こまめに停まっていく。この2駅は在来線の接続がなく、降りてしまうと次の列車は1時間後なので、今回は敬遠した。

下車した筑後船小屋(ちくごふなごや)は熊本から3つ目の駅で、在来線である鹿児島本線に5分もあれば乗換えられる。というのも、この辺りからしばらく新幹線は在来線に並行しているからだ。新幹線の開業を期に、元来もう少し北にあった在来線の駅(駅名は船小屋)が真横に移設された。両駅舎の間には小ぶりなロータリーがはさまれているが、通路にシェルターがあるので一体化も同然だ。しかし、ここも市街地から遠く、上り列車から降りた客は筆者の他になかった。改札口の前も閑古鳥が鳴いていて、立派な構えの駅舎が手持ち無沙汰に見えた。

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(左)在来線側から見た筑後船小屋駅 (右)駅前の公園化計画

ここから久留米(くるめ)へ行くのに新幹線を使う人はいまい。距離にして15.8km、在来線の電車でも15分ほどで着く。久留米には、石橋美術館へ青木繁の名作を見に行くために寄り道したことがある。都会的な西鉄久留米に対して日通倉庫が似合いそうな雰囲気を漂わせていたはずの駅は、全面改築により面目を一新していた。線路に直交してドーム状の翼部が設けられ、柱はレンガ調、天井と正面にはステンドグラスが嵌められている。駅前広場も整備されて、昔の鄙びた面影はない。ちょうど午後3時で、正面に据え付けられた田中儀右衛門のからくり時計(下注)が始まるところだったので、しばし見とれた。こうして朝8時から夜7時まで1時間おきに、儀右衛門人形と彼の手になる発明品たちが、5分間のちょっとしたショーを演じている。

*注:儀右衛門こと田中久重は江戸時代、久留米出身の発明家。東芝のルーツの一つとなった田中製作所を設立した。

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(左)改築された久留米駅 (右)ドーム状の中央通路
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(左)久留米駅前 (右)からくり時計が動く

まだ時間があったので、次の新鳥栖(しんとす)まで再び在来線で行くことにした。この駅は長崎本線との交差点に設けられている。それで在来線の場合、鹿児島本線で鳥栖へ着き、長崎本線に乗り換えて1駅目となる。在来線が形作る三角形の二辺に対して新幹線は残り一辺を通り、久留米~新鳥栖間の実キロは5.7kmとあまりに短い。これでは電車が十分加速する間もないのだが、駅が存在する理由は二つある。将来ここから長崎新幹線(九州新幹線 長崎ルート)が分岐する予定であることと、今のところここが佐賀県にとって唯一の新幹線駅であるということだ。

鳥栖は読んで字のごとく鳥のすみかなので、駅舎のファサードも鳥の翼をイメージしているそうだ。筆者にはユーロ通貨のマークにも見えたが。筑後船小屋と同様、この駅も新幹線の改札が地上にある。ホームに上がるには3階分の長いエスカレータを使う。島式2面4線のホームは一方が通過列車なら不要なはずだが、これも長崎新幹線のための準備らしい。

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(左)新鳥栖駅正面 (右)2面4線が用意されたホーム

久留米方から800系がゆっくり進入してきた。これに乗って博多に戻ろう。鹿児島から2日かけて乗継いできた九州新幹線もいよいよ最後の行程になる。新鳥栖を出ると、列車はすぐに、脊振山地を貫く九州新幹線最長11935mの筑紫トンネルに突入する。トンネルを含む前後に35‰という急勾配のアップダウンがあって、全電動車の本領が発揮される区間なのだが、乗客はせいぜいトンネルを出た博多方で、左手に見える宅地の高さの変化に気づく程度だ。その頃、右手車窓には、レールスターをはじめ、さまざまな新幹線電車が居並ぶ博多総合車両所が開けてきて、山陽新幹線の縄張りに入ったことを意識する。車両所からの線路が合流すると、側壁の色が古くなりスピードも落ちて、まもなく博多、「つばめ」の終点だ。

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(左)防音壁越しに博多総合車両所 (右)博多駅到着

■参考サイト
JR九州-九州新幹線 http://kyushushinkansen.com/
熊本駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/32.790000/130.689200
熊本駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=32.7900,130.6892&z=16

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2011年10月 2日 (日)

新線試乗記-東北新幹線、新青森延伸+レールバス見学

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(上)新幹線七戸十和田駅
(下)在りし日のレールバス
(1984年3月、七戸駅)

8月の終わりのある日、盛岡駅で新青森行き「はやて159号」(下注)に乗り込んだ。お昼の便なので盛岡から先ならすいているだろうと、特定特急券を買っていた。列車がホームに停まっている間に空席をざっと探してみたのだが、車内は案外混んでいて、片側1列空いているのは数えるほどしかない。なんとか右側の窓際席に落ち着き、午後の活動に備えてさっそく弁当を広げることにした。

*注 震災後の暫定ダイヤのため、平常の「はやて19号」のスジで159号が運転されていた。

説明するまでもないが、「はやぶさ」はもとより「はやて」も早朝・深夜の一部を除いて、座席はすべて指定席だ。しかし、盛岡以北については座席指定をしない特急券が発売されていて、普通車の空いている座席が利用できる。これが特定特急券で、料金も他の区間と同じ1駅840円からの設定になっている。これは自由席のある列車が走らないことに対する救済措置だが、空いていればどこでも座れるというのがなんだかヨーロッパの特急列車のようで、ちょっと羨ましい。

車窓から見える山並みの一番奥に、早池峰山(はやちねさん)のシルエットがひときわ高く浮かんでいる。それもつかの間、外は闇に閉ざされてしまった。八戸の手前まで、岩手一戸トンネルをはじめ長短のトンネルが連続していることは知っている。在来線時代、奥中山を越えていく列車の窓から山里の景色を飽きるほど味わえたことを思い返せば、実に味気なくなった。ただ、この「はやて」は各駅停車なので、駅の前後で減速がある。前回乗った時より明かり区間が多いように錯覚したのは、たぶんそのせいだ。

八戸では、さすがにかなりの客が下車して、周囲の席に空きが目立つようになった。ここからが昨年(2010年)12月4日に開通したばかりの初乗り区間なので、鞄から地図を取り出す。八戸駅は、市街地から5kmも離れた川向うに設置されている。そして駅を出ると、線路は町に目もくれず、そそくさと向きを北西に変えて、内陸へ走り去る。これでも国道4号線(奥州街道)の道筋に比べれば、八戸市街を十分に意識したルートなのだが、窓から眺めていてもよそよそしさはぬぐえない。

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八戸駅遠望

新幹線は、青い森鉄道に転換された旧東北本線の西側を進む。洪積台地の末端を一直線に、今まで地元の人しか見ることのなかった風景に割り込んでいく。奥羽山脈から流れてきた川が台地を削って谷底平野を拡げているので、車窓には、青い稲穂の田園風景と掘割やトンネルが交互に現れる。

「まもなく七戸十和田(しちのへとわだ)に到着」と車内のアナウンスが入った。この機会にぜひとも訪れたいところがあるので、降りる支度を始めた。七戸十和田は、新規開業区間の中間に一つだけ設けられた駅だ。三沢や十和田市の市街地から遠く離れ、七戸の町からも北に2km行った鶴児平(つるのこたい)と呼ばれる開拓地の一角にぽつんとある。空中写真で見ると、一帯は広々とした牧場や畑地だが、駅の周囲だけは今、商業施設や住宅が建ち始め、にわか景気の真っ只中だ。

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(左) 高い防音壁越しに田園風景が飛び去る (右)七戸十和田駅南口

駅前に降り立つと、吹き通る風がさらっとしていて心地よい。真新しいロータリーに、タクシーと十和田湖行の観光バスが数台停まっている。路線バスの時刻を調べてあったので、それを待って七戸方面へ出た。国道を約10分、笊田川久保(ざるたかわくぼ)のバス停で降り、少し東へ歩くと、目的の南部縦貫鉄道、旧七戸駅がある。

南部縦貫鉄道の名を聞いて懐かしさがこみあげてくる人は、年季の入った鉄道ファンに違いない。1997年5月、ついに運行休止となるまで、野辺地からこの七戸へ原野を貫いて走っていた。20.9kmの小路線ながら、バス用の車体を載せたディーゼルカー、いわゆるレールバスが名物で、車体を激しく揺らしながら健気に走る姿を多くの人がカメラに収めようとしたはずだ。

筆者が最初で最後に乗ったのは1984年3月18日、北の大地は深い雪に覆われていた。野辺地へ帰る途中、運転士が急ブレーキをかけた。見ると、切通しの法面から崩れてきた雪で線路が半分埋まっている。どうするのかと思ったら、運転士と車掌がやおら線路に降りて、スコップで雪を掻き出し始めた。示し合せたように作業をしていたので、よくあることだったのだろう。しかし、筆者は初めて見る光景に、遥か遠くまでやってきたという感慨にとらわれた。あの光景は今も脳裏に焼き付いている。

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1984年3月の記録から
(左)七戸駅舎 (右)七戸駅ホームにて
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(左)2条のレールだけが頼り (右)崩れた雪を掻き出す
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(左)天間林駅 (右)雪に埋もれた野辺地駅ホーム

レールバスは鉄道の正式廃止後も、愛好家の手により七戸駅で動態保存されてきた。そして、今年は新幹線開業を記念して、町の観光協会の主催で車庫が見学できるようになっている(下注)。2011年の七戸駅舎は、のっぺりとした外観といい、筆書き風の社名の文字と言い、遠い昔のままだった。中に入ると、女性が一人店番をしていた。きょうは日曜なので社員はおらず、観光協会から派遣されて見学の世話をしているのだという。さっそくホームの向こうにある車庫に案内してもらった。

*注 1か月に一度程度、屋外展示も行われている。詳しくは下記参考サイト。また同サイトで、観光協会による一般公開は2012年3月までと告知されている。

納屋のような木造車庫に電球の明かりが点ると、あの車体が記憶と変わらぬ姿で目の前にあった。クリームとオレンジの塗り分けに白帯を巻き、乗降用の折り扉、上下2段のバス窓、正面の額にヘッドライト、無骨だがちょっとユーモラスな独特の風貌だ。ボディーに刻まれた無数の凹みや塗装を重ねた跡は、35年間に及んだ奮闘の証しだろう。2両仲良く並んだレールバスの後ろには、国鉄キハ10形、砂鉄輸送計画の形見であるディーゼル機関車、その脇には小さな除雪車も残されている。かすかに機械油の匂いが残る車庫は、時代の宝箱ともいうべき濃密な空間だった。

案内の礼を言って外に出ると、構内はきれいに整備され、線路が国道バイパスの手前まで延びている。ホームの先にぽつんと一本残された腕木式信号機が、来ることのない列車を待ち続けているように見えた。

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(左)2011年8月の旧 七戸駅 (右)保存されたレールバス
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(左)サボも昔のまま (右)傍らに除雪車も
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(左)夏草茂る七戸駅跡 (右)ぽつんと立つ腕木式信号機

ところで、新幹線とレールバス、一見かけ離れた取り合せだが、実は因縁がある。新幹線が開通すれば、南部縦貫鉄道の厳しい経営状態が改善されると期待されていたからだ。新幹線駅予定地のすぐ近くを走る地の利を生かし、線路を駅まで引き込んで、野辺地方面との連絡運輸の受け皿とする構想だった。しかし鉄道の廃止で、それは見果てぬ夢に終わってしまった。

七戸十和田駅に戻り、新青森に向けて再び「はやて」の客となる。駅を出ていくらも経たないうちに、列車はまたトンネルに突入する。岩手一戸を抜いて、東北新幹線最長となる26455mの八甲田トンネルだ。湾沿いに走る在来線に比べて、緩い曲線でショートカットしているので、付随するトンネルをいくつか抜ければ、もう青森平野だ。右手遠方には青森市街が白く光り、左の窓には、八甲田連峰が優美に裾野を広げている。しかし、新幹線は市街に入らず、遠巻きにしながら西へ北へと回り込んでいく。減速して、到着を告げるアナウンスが聞こえる頃には、八甲田山さえ右の窓に移っていた。

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(左)青森平野を貫く線路(空港バスから撮影)
(右)三内丸山高架橋から見た青森市街

北海道に直通するため、新青森駅が設けられた場所は、在来線の青森駅から西4kmの町はずれだ。在来線(奥羽本線)のホームが併設されているとはいえ、駅前広場も閑散としていて、唯一活気があったのが、構内1階にオープンした名産コーナーだった。おそらく、在来線青森駅頭の賑わいがここへ引っ越してきたのだろう。再びホームに上がると、緑地に紅帯のE5系電車が北方の車両基地に引揚げていくのが見えた。あの先が数年後、青函トンネルを経て北海道に延びる。レールバスの鉄路は永遠の眠りについたが、こちらの夢はまだ当分続いている。

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(左)新青森駅到着 (右)車両基地へ引揚げるE5系
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新青森駅東口

■参考サイト
南部縦貫鉄道 思い出のレールバス
http://www.ogaemon.com/r-bus/r-bus-top.html
七戸十和田駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/40.720000/141.153800
七戸十和田駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=40.7200,141.1538&z=16

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