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2011年8月21日 (日)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-メインサザン線とピクトン支線

大分水嶺 Great Dividing Range を越える目的は同じでも、そこに至るまでの地勢は場所によってさまざまだ。ジグザグに始まる険しいルート設定を強いられたメインウェスタン線 Main Western Line に対して、南西方向に進んだメインサザン線 Main Southern Line(当時はグレートサザン鉄道 Great Southern Railway)の行く手には、なだらかな高原地帯が広がっていた。

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保存運行の終点バックストン駅

Blog_pictonloopline_map1メインサザン線は、ニューサウスウェールズ州の州都シドニー Sydney とヴィクトリア州境にあるオルベリー Albury の間を走る646kmの路線だ。途中のゴールバーン Goulburn からは首都キャンベラ Canberra へ向かう支線が分岐する。また、オルベリーからはヴィクトリア州鉄道で南岸の港町メルボルン Melbourne まで標準軌でつながっている。オーストラリア第一と第二の都市、さらに首都とも連絡するという意味で、同国で最も重要な路線の一つといえるだろう。

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メインサザン線東部ルート概略

起終点をいずれも港町としながら、ルートはいっさい海岸線に沿わず、内陸のマレー川 Murray 流域をショートカットする。そのために、都合2回の大分水嶺越えが必要になった。現場の一つが、今回のテーマであるニューサウスウェールズ州南東部、標高600~700mの高原地帯だ(下注)。一帯は北、東、南の三方が比高500mの深い谷で断ち切られているが、幸いにも北東側(シドニー方向)には、開析の進んでいない尾根が張り出している。すでに19世紀前半、ここに道路が拓かれており、鉄道も同じルートを選んで高地にアプローチした。

*注 地域名としては、ミッタゴン Mittagong、ボーラル Bowral、モスヴェール Moss Vale を中心とするエリアをサザンハイランド Southern Highlands(南部高地)、その西側、ゴールバーン Goulburn を中心とするエリアをサザンテーブルランド Southern Tablelands(南部台地)という。分水界はサザンテーブルランドの西縁を限る。

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(左)現在のピクトン駅。
シドニー方からシティレールの近郊旅客列車が到着
(右)同、ミッタゴン方を望む(ピクトン支線は橋の100m先で分岐)

シドニー中央駅から85kmのピクトンPicton駅が、山越えの起点だ。蒸気機関車の時代は、機関庫や乗務員宿舎などが置かれ、多忙な拠点駅だった。ネピアン川 Nepean River を渡るメナングル Menangle の鉄橋が完成して、ここまで鉄道が開通したのが1863年、そのあと山を上りきって高原上のミッタゴン Mittagong に到達するのは、4年後の1867年になる。

山越えルートは、26km先のヒルトップ Hill Top まで、多少の踊り場はあるものの一貫して上り坂が続く。ピクトンの次のサールミア Thirlmere は、後述する鉄道博物館の所在地として今では有名だが、駅の歴史は、2つ目のクーリジャー Couridjah のほうが古い。前者が1885年開業(下注)に対して、後者は開通当初から存在した。その理由は、クーリジャー駅の西にあるサールミア湖群 Thirlmere Lakes(谷間に複数の池が連なる)が、機関車給水のための水源とされたからだ。バックストン Buxton を経てバルモラル Balmoral から、森の中を急勾配で突き進む最後の胸突き八丁となる。そのため、ヒルトップはシドニー方から来た列車にとって、文字通り山上の駅と感じられたはずだ。ピクトンの標高は165mに過ぎないが、ここでは600mを越えている。

*注 サールミアの開業時の駅名はレッドバンク Redbank、翌86年にサールミアに改称。クーリジャーも開業時はピクトン・ラグーンズ・タンク Picton Lagoons Tank。数回の変遷を経て、1929年に現駅名に改称。

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(左)本線との分離地点。
 手前がピクトン支線、左へ曲がるのがメインサザン線
(右)保存されているサールミア駅
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(左)サールミア駅北側の踏切。列車通行時以外は線路を遮断
(右)1867年開業のクーリジャー駅
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(左)保存運行の終点バックストン駅
(右)線路はバックストンからさらに山手へ続いている

ヒルトップの南方には、ビッグヒル Big Hill と呼ばれた丘を横断する深い切通しがある。次のコロヴェール Colo Vale まで、線路はまっすぐ谷へ降り、また上っていたが、後に西の山際を通るアップダウンの少ないルートに切替えられた(改修年不明)。旧線跡は、地方道ウィルソンドライヴ Wilson Drive の敷地に転用されている。コロヴェール~ブリーマー Braemar 間でも、急な下り坂を解消するため、東側に大回りする線路が建設された。それでも1:30(33.3‰)もあった勾配は依然として一部に残り、単線であることとあいまって、運行上の足枷となっていた。

1910年代に入ると、輸送力増強の目的で、メインサザン線の抜本的な改良工事が始まる。それは、複線化とともに、全線各所で勾配緩和のためのルート変更、すなわち迂回線 Deviation の新設を伴っていた。中でも最大規模と目されたのが、このピクトン~ミッタゴン Mittagong 間に計画された延長45kmもの新線だった。新しいルートは、ピクトン駅を出たとたん、興味深い動き方をする。鉄橋を渡るといったん右にそれ、町裏のレッドバンク山 Redbank Range で半回転して、駅の川向うに再度姿を現すのだ。新線の通過に支障する旧線は、鉄橋の北詰めで分岐し、迂回線の外側に沿うルートに改められた(新旧線路の位置関係は、下図中の挿図参照)。

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迂回線とピクトン支線
© Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0

新線はその後、旧線がたどる尾根の東隣にある尾根にとりつき、高度を稼ぐためにいくつもオメガカーブを切りながら上っていく。サミットは長さ920mのアイルマートントンネル Aylmerton Tunnel で抜け、ミッタゴンの1.5km手前でようやく旧線との合流を果たす。最短距離をとった旧線に比べて曲線(半径400m)の目立つルートだが、制限勾配は1:75(13.3‰)と遥かに控えめだ。スピードが勝負を決める現代の旅客輸送とは事情が異なり、当時は機関車の牽引力を保つために、ルートの直進性より勾配の改良が優先だった。

迂回線は1919年に開通し、その時点で、旧線は支線に格下げとなり、ピクトン=ミッタゴン・ループライン Picton - Mittagong Loop Line(以下、ピクトン支線という。下注)と呼ばれるようになった。ピクトン支線はその後も営業を続けたが、沿線はもともと後背地がなく利用者が限られていたため、1978年、ついに休止に追い込まれた。現在この区間は、シティレール CityRail によるバス運行となっている。しかし、支線のレールは撤去されなかった。すでに沿線のサールミアに、鉄道博物館が進出していたのだ。

*注:ループラインは、日本で言うループ線(英語ではスパイラル Spiral)ではなく、本線と分かれてまた先でつながる線路という意味で使われている。

ニューサウスウェールズ鉄道交通博物館 New South Wales Rail Transport Museum は1962年にシドニー郊外エンフィールド Enfield で開設されたが、同地の再開発に伴って、1975年にここへ移転してきた。ピクトン支線が、保存列車の運行や本線との車両の授受に使えるという理由からだった。ジグザグ鉄道の記事で、同鉄道が標準軌車両の提供を受けられなかった理由に、州が自前で鉄道博物館を整備する計画を持っていたことをあげたが、その場所こそサールミアだ。

今ではここに、蒸気機関車をはじめ、ニューサウスウェールズ州で活躍した標準軌の古典車両が100両以上集結している。毎日曜にはピクトン支線を使って、蒸機牽引の観光列車が運行される。主催者サイトによれば、サールミア~バックストン間6.7kmを往復するコースで所要50分、日に4往復している。ジグザグのような車窓の見せ場はないが、バックストンへは高度差約100mの上り坂が続いているので、勇壮なドラフト音と排煙は期待できる。このほか、保存車両を使ったヘリテージエクスプレス Heritage Express(鉄道遺産急行)と称する本線ツアーも催行されている。列車はピクトンの分岐点を経由して本線に入っていく。

なお、同博物館は、レールコープ RailCorp(ニューサウスウェールズ州鉄道局)が全額出資したトレーンワークス社 Trainworks Limited に運営権が移り、展示施設の改装を経て、2011年4月に再オープンした。

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(左)鉄道博物館トレーンワークス入口
(右)館内。正面は1866年英国ロバート・スチーブンソン社製18号機
 (E17形2号機)
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(左)AD60形ガーラット式機関車。1956年製
(右)現在も保存運行に使われるC36形機関車。1926年製
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(左)豪華寝台列車の代名詞プルマン客車、4両セット(SET 88)。
 1899~1902年製
(右)オープンデッキ付ボギー客車、9両セット(SET 63)。1910年製

このようにバックストン以北は今なお活用されているが、対照的に山越えの中心であった南部区間は、列車の姿が絶えて久しい。南端のブリーマー~ミッタゴン間が工場への貨物線として利用されているほかは、長らく放置されたままで、草むしているか、朽ちているか、でなくとも使用できる状況にはないという。レールこそ残れど、19世紀の植民地の陸運を支えたピクトン支線全線の復活は、望み薄のようだ。

(2006年10月5日付「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-南部本線」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Main Southern railway line, New South Wales Rail Transport Museum)を参照して記述した。

写真はすべて、2012年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Wikipedia英語版 - ピクトン=ミッタゴン・ループライン
http://en.wikipedia.org/wiki/Picton_Loop_railway_line,_New_South_Wales
 写真が多く掲載されている
ニューサウスウェールズ鉄道交通博物館  http://www.nswrtm.org/
トレーンワークスTrain Works  http://www.trainworks.com.au/
ヘリテージエクスプレスHeritage Express  http://www.heritageexpress.com.au/
 博物館所有の車両を使った本線ツアーの案内
メインサザン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_south
サールミア付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-34.2072,150.5694&z=16

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2011年8月16日 (火)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-もう一つのジグザグ

前回紹介したジグザグ鉄道は、ブルーマウンテンズ Blue Mountains の尾根道の両端に設けたスイッチバックの一つを復活させたものだった。尾根からリスゴー Lithgow 盆地に降りていくこの大ジグザグ The Great Zig Zag に対して、シドニー平野から尾根へ上る位置にあるのが小ジグザグ The Little Zig Zag だ。付近の地名を採ってラップストーン・ジグザグ Lapstone Zig Zag とも呼ばれている。

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小ジグザグ最大の遺構、ナップサック高架橋
Photo by sv1ambo from wikimedia. License: CC-BY-2.0

シドニーからやってきた郊外電車(ブルーマウンテンズ線 Blue Mountains Line)は、平野西端の町ペンリス Penrith を出ると、ネピアン川 Nepean にかかる鉄橋を渡る(下注)。まもなく、高巻くようにして山の斜面にとりつき、徐々に高度を上げていく。現在は尾根を南に迂回して、グレンブルック川 Glenbrook Creek の溪谷の壁に沿うようにして走るが、主任技師ジョン・ホイットン John Whitton が設計したオリジナルのルートは、ジグザグで折り返しながら直接尾根へ這い上がるというものだった。

*注 ヴィクトリア橋 Victoria Bridge という。ちなみに、進行方向左側(南側)に並行する道路橋(ボックスガーダー橋)が1867年開通時の鉄橋。単線線路と道路の併用橋として造られたもので、メインサザン線のメナングル Menangle 鉄橋とともにNSW鉄道建設初期の大工事の一つだった。1907年の複線化にあたって現在の4連トラス橋が新設され、旧橋は道路専用となった。

ネピアン川の河岸は標高20m程度、それに対してグレンブルック Glenbrook の町が載る尾根の上は標高200m前後だ。鉄道がこの先、標高1000m以上のサミットに達することを思えば、小ジグザグを含む高度差180mなどほんの序の口とみなされても仕方がない。ところが、この区間には意外にも、初代を含めて3代のルート変遷が行われている。それだけ改修を重ねなければならなかったという意味で、大分水嶺の向こう側をめざす鉄道の前に立ちはだかった難所の一つといっても過言ではない。

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ブルーマウンテンズ地域
© Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0

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ラップストーン・ジグザグと迂回線

では、小ジグザグとその後継ルートを、時代順に地図(上図)で追ってみたい。まず初代は、グレーで表示したルートだ。東方からきた線路は、滑らかなカーブで山裾に取り付いたあと、東斜面にZ字を描き、最後に尾根の張出しを半周して上りきる。ジグザグを採用したのは、トンネルや深い切通しのような地形に逆らう土木工事を極力減らして経費を節約するためだが、それでもZ字の底辺、ボトムロードの取付け部で、ナップサック溪谷をまたぐ橋梁を築く必要があった。砂岩を積んだ長さ118m(388フィート)、高さ37m(120フィート)のアーチ橋で、建設当時このタイプでは大陸最大の規模だったという。

工事は1863年に始まり、1867年に当該区間を含むペンリス~ウェントワースフォールズ Wentworth Falls(下注)間が開通を果たしている。Z字の途中にあるルーカスヴィル Lucasville 駅は、州の鉱山大臣が持っていた休暇用別荘の最寄り駅として設けられたもので、ホーム1本の小駅だ。ジグザグの折返し、いわゆるボトムポイント Bottom Points とトップポイント Top Points も単線のため、列車交換は急坂を上り終えたグレンブルック(旧駅)で行われた。

*注 開通当時の駅名はウェザーボード Weatherboard。

■参考サイト
当時のラップストーン・ジグザグのボトムポイントの写真(Wikimedia)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Railway_tracks_at_Lapstone_(2886372560).jpg

この区間は、すぐに運行上の隘路になった。理由はまず、ジグザグ前後の勾配が1:33(30‰)と蒸気機関車にはことさら厳しく、上り下りとも低速走行を強いられたことだ。それにもまして問題だったのは、輸送量の増加に応じて貨車の増結をしようにも、ジグザグの各折返しポイントにある線路の有効長が短いという点だった。大ジグザグでは、構内の2線化と線路延長により線路容量を増やす改良が行えたが、小ジグザグの場合、Z字の前後に深い谷が迫っており、いま以上の延長は困難だった。比較的早い時期にジグザグが放棄され、別線が建設されることになったのはそのためだと考えられる。

1892年に開通した2代目の新線は、地図に赤茶色で示したルートをとった。東側では従来のボトムポイント付近で線路を引出し、旧線の南側の谷底を通ってから、グレンブルックトンネル Glenbrook Tunnel(初代)で一つ北の谷間へ抜けて、従来線に合流する。これで列車は切返しなしに通過できるようになり、運行効率は格段に向上するはずだった。

ところがこの対策は、予期せぬ新たな難所を生み出すことになってしまった。「ネズミの穴 rathole」とあだ名されたトンネルは長さ634mとそれほど長くないために、換気立坑(ベンチレーション・シャフト)が設けられていなかった。トンネルを含む前後は1:33(30‰)と急勾配のままで、S字形にカーブしているため見通しが悪かった。漏水がレールを常に濡らし、その結果、動輪はしばしば空転を起こした。煙に巻かれる乗務員の苦闘は言うに及ばす、当時の新聞記事によれば、「乗客は1時間近く、グレンブルックトンネルの内部の美しさを賞賛し続けなければならなかった。トンネルの中を進むうちに列車は停まってしまい、2つに分割されて初めて動き出した。立ち往生したのは、十分な蒸気圧が得られなかったためだと言われている。」(1912年9月12日付ネピアンタイムズ Nepean Times)

メインウェスタン線 Main Western Line の抜本的改良の一環として、3代目に相当する現ルートが開通したのは、1913年5月のことだ(下注)。迂回線のルートは地図上に赤で示した。勾配を1:60(16.7‰)まで緩和するために、旧線とは大きく離れた場所を通り、ブラックスランド Blaxland 駅の手前でようやくもとの道に合流する。ラップストーン駅から先、グレンブルック溪谷の北壁を縫う区間は深い切通しが連続し、とりわけ大工事となった。なお5月の時点では、新線はまだ単線運行だった。そのため、リスゴー方向(上り坂)の列車が新線を回り、シドニー方向(下り坂)は旧線を使ったと推測される。左側通行のために、新から旧への渡り線が臨時に設置された(地図では Temporary Junction の表示)。新線の複線化は4か月後の同年9月に完成し、旧線は完全に廃止となった。

*注 開通を1911年としている資料もあるが、ここではwww.nswrail.netのデータに拠った。

さて、最後に小ジグザグの廃線跡の現況を見ておこう。トップロードとミドルロードは自然歩道 Lapstone Zig Zag Walking Track になっている。ハイウェーM4号線から左にそれてボトムポイントに車を置けば、ちょっとした廃線跡ハイキングが可能だ。M4号線の下をくぐってミドルロードを上ると、トップポイント付近にルーカスヴィル駅のホームも残る。トップポイントの先端は展望台になっていて、旧ナップサック高架橋 Knapsack Viaduct が俯瞰できる。橋は後に道路橋に転用されたため、路面は2車線に拡張されているが、橋脚はもとの状態を保っている。橋へは、斜面を降りる歩道と階段でアプローチできる。一方、旧グレンブルックトンネルは閉鎖され、坑内はキノコ栽培に利用されているそうだ。

(2006年9月29日付「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-もう一つのジグザグ」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Lapstone Zig Zag, Lapstone)を参照して記述した。

■参考サイト
Blue Mountains Railway Pages - Lapstone Hill Railway Routes
http://infobluemountains.net.au/rail/lapstone.htm
Blue Mountains Railway Pages - Old Glenbrook Tunnel
http://infobluemountains.net.au/rail/lower/glen-tunnel-old.htm
Wild Walks - Lapstone Bridge ZigZig walk
http://www.wildwalks.com/bushwalking-and-hiking-in-nsw/glenbrook-eastern-blue-mountains/lapstone-bridge-zigzig-walk.html
メインウェスタン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_west
小ジグザグ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-33.7638,150.6404&z=16

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2011年8月13日 (土)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 II

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ジグザグ鉄道の
公式ガイドブック

1860年代に土木技術の粋を集めて建設されたリスゴー・ジグザグ Lithgow Zig Zag(大ジグザグ The Great Zig Zag)を現代に蘇らせたのは、若い鉄道愛好家たちだった。

ジグザグ周辺は開通当初から名所として知られ、1881年には早くも州の保護地域に指定された。そのこともあって、迂回線の完成によって1910年に廃止となってからも、橋梁やトンネルなどの構築物が撤去されずに残されていた。この場所に再び蒸気機関車を走らせたいと考えた彼らは、1969年から、夢の実現に向けて関係機関との交渉を開始する。そして1972年には、運営母体となる協同組合 Co-operative を設立した。

しかし、肝心の車両の入手交渉はうまくいかなかった。ニューサウスウェールズ(NSW)州の鉄道当局は、すでに自前の鉄道博物館をサールミア Thirlmere の旧メインサザン線上に整備する計画を進めており(1975年開館)、保存車両をそこに集約することにしていたからだ。線路敷については、1974年に保護地域を管理するジグザグ・トラスト Zig Zag Trust およびリスゴー市との間の協定で、リースを受けることが決まったが、車両は他州からの購入を考えざるを得なかった。オーストラリアで1435mm(4フィート8インチ半)標準軌の鉄道網をもつのはNSW州だけだ。結局、車両のほとんどは、日本のJR在来線と同じ1067mm(3フィート6インチ)狭軌で運行する北隣のクイーンズランド鉄道からもたらされた(下注)。ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway の線路の軌間が、オリジナルと異なる1067mmになっているのはそのためだ。

*注:一部の車両は、南オーストラリア、西オーストラリア、タスマニア各州の狭軌線からも来ている。

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リスゴー・ジグザグと迂回線

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リスゴー・ジグザグ詳細図

大ジグザグとは、どんな場所なのだろうか。前回記事で使った地図を再掲しておこう。右図で茶色のルートが保存鉄道である「ジグザグ鉄道」の使う線路、赤の二重線がシドニーSydneyとリスゴー Lithgow 以西を結ぶ現在のメインウェスタン線 Main Western Line だ。黄色の番号1を添えた部分がZ字の上辺にあたり、トップロード Top Road と呼ばれる。同様に番号2はZ字の斜辺でミドルロード Middle Road、番号3は底辺でボトムロード Bottom Road となる。トップロードとミドルロードには、砂岩を積んだ壮麗なアーチ橋が計3か所あり、ジグザグの景観に花を添えている。ミドルロードには短いトンネルも存在する。

Z字の上辺から斜辺に移る角、すなわち列車が逆向きに折返す場所がトップポイント Top Point、斜辺と底辺の角がボトムポイント Bottom Point だ。後者は現在、保存鉄道の終点となり、駅舎とホーム、給水施設、信号所などが整備されている。旧線跡はこのあと保存鉄道の車庫の山側を通って、現在線と合流する(図の点線部分はレール撤去済)。

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リスゴー・ジグザグ
上の詳細図のView1付近を走行中に撮影した写真を接合
そのため一部不整合がある。写真内の数字はジグザグの段数

さて、構成員の努力が実り、ジグザグで蒸機牽引の列車が観光客を乗せて走り始めたのは1975年10月18日、実に65年ぶりの運行再開だった。ただし、このときはボトムポイントからトップポイントまでのミドルロード約1.5kmをピストンのように往復していたに過ぎない。

第2期の拡張は、州から建国200周年の助成金を受けることで可能になった。1987年4月にトップロードを経てサイナイ山 Mount Sinai 付近まで、1988年10月29日に峠のトンネルを抜けて現在の終点であるクラレンス(クラランス)Clarence まで、運行区間が拡大した。サイナイ山からクラレンストンネルの間は、旧線跡が道路の拡幅用地に転用されてしまったため、道路脇に新たに路盤が造成された。電車でのアクセスに限られるボトムポイント駅(下注)に比べ、主要道路に近接し、駅前に駐車場が確保されたクラレンスは、これ以降、観光鉄道の主たる玄関口の機能を果たすようになる。

*注:ボトムポイント駅は、シドニー中央駅~リスゴー間のシティレール CityRail 電車でジグザグ Zig Zag 下車。当駅はリクエストストップ(時刻表の表現は Stops on demand only。乗降客があるときのみ停車)のため、降車したければあらかじめ車内で車掌に告げておく必要がある。逆に乗車するときは、ホームに上がって列車が見えたら手を挙げる。
シティレール、ブルーマウンテンズ線(シドニー中央駅~リスゴー)の時刻表
http://www.cityrail.info/timetables/
Intercity Lines : Blue Mountains Line : Central to Lithgow and v.v.

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硬券の往復切符

鉄道の運行日も、1994年までは週末と祝日、学休日のみだったが、その後は毎日運行となった。2011年の時刻表によると、1日4往復が設定されている。車庫がボトムポイントにある関係で、1番列車はここが起点、終列車は終点となるので、クルマでクラレンスに来た人は要注意だ。週末、祝日、水曜および州の学休日は、蒸気機関車が列車を牽引する。それ以外の日は保存ディーゼルカー(レールモーター Railmotors)が代役を務めるが、特典として第1橋梁とトップポイントで写真撮影、ボトムポイントで車庫見学の時間が確保されている。

ところで、ジグザグ鉄道はさらなる延長計画をもっている。空中写真を見ると、線路はすでにクラレンスからダーガンズ迂回線を東へ、旧ダーガンズ Dargans 信号所付近まで敷かれているが、最終的にはこれをニューンズ・ジャンクション Newnes Junction(2代目)まで延長して、峠越え旧線(1897年のルート)を全線復活させるという。舞台と役者が揃ったオーストラリア屈指の保存鉄道は、今も意気盛んだ。

筆者たちは10年前(2001年1月3日)に、シティレール CityRail に乗ってここを訪れたことがある。沿線のようすもレポートに盛り込んでいるので、ジグザグ鉄道の項を締めるにあたって引用しておこう。

「カトゥンバを過ぎたあたりから、断崖の下に深く平たい谷底が散見されるようになってきた。巡回してきた車掌氏にジグザグで降りたいと告げる。目的地はフラッグ・ストップ、すなわち告知しておかないと停車しない小駅なのだ。やがて車内アナウンスがあった。「ジグザグで降りる人は後ろの車両へ」。最後尾へ急ぐと、もう6人ばかり集まっている。陽気な車掌氏は運転席を開けて妻を座らせ、シャッターチャンスをくれた。10:53着。列車から降りてみてわかった。最後尾に集まれというのは、要するにその部分にしかホームがないからだった。

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(左)シティレール ジグザグ駅、左は保存鉄道の整備工場
(右)ジグザグ駅のささやかなホーム
写真はすべて2001年1月3日撮影

ここは新線の連続トンネルを抜けたばかりの深い谷間。保存鉄道の列車が降りて来るのを待つ間、整備工場を自由に見学させてくれる。100年前の機関車も残してあると、案内人氏は誇らしげに語る。引込み線に沿って少し坂を上ったところが、乗り場であるボトムポイント駅。売店を兼ねた窓口でクラレンス往復の切符を買う。11時半ごろ、あたりにドラフト音がこだまし、私たちが待つホームに蒸機が牽引する列車がゆっくり姿を現わした。客車は、コンパートメントごとに乗降ドアがついて貫通路がないクラシックスタイルだ。けっこう人気の高いイベントらしく、どの区画にも乗客の姿がある。

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(左)工場内部を見学
(右)ボトムポイントの信号所
左手前の線路は整備工場へ続く旧ボトムロード
右に分かれるのが保存鉄道本線(ミドルロード)
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(左)ボトムポイント駅 (右)列車が入線

934のプレートをつけた機関車はいったん切り離されて前進し、水の補給を受ける。子どもも大人も見に集まり、記念写真を撮ったりしてはしゃいでいる。給水を終えた機関車はバックで機回し線を移動して、後方(帰路の進行方向)に連結される。転車台の設備がないので、ここからトップポイントの折返しまでは逆行運転になるのだ。私たちのように電車で来た客はこの駅から乗り込むが、実は、マイカーまたは観光バスでクラレンス駅にアプローチしている人の方がずっと多い。それで、給水の一部始終を見届けると、みな車内に戻ってくる。私たちも空いているボックスを探して乗り込んだ。

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(左)復路に備えて給水
(右)給水を終えた機関車は前へ付替えられる
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(左)スラムドア客車の車内 (右)工学遺産のプレート

11時48分。鋭い汽笛が鳴り響き、列車は動き出した。上り始めると短いトンネルがあり、続いて呼びものの雄大な風景が展開する。断崖にジグザグに引かれた線路。谷壁に張りつく白い砂岩造りのアーチ橋が美しい。今走っているのはミドルロードにあたり、はるか下に、複線電化され現役で使われているボトムロードがある。

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ミドルロードの第2橋梁(詳細図View2)からの眺望

やがて左手からトップロードの線路が近づいて、トップポイント到着。ここで再び機関車を付替えるので、写真を撮る程度の時間はある。それが終わると逆向きに発車し、さっき上方に見えていた石橋を渡っていく。後は灌木林に囲まれた山道だ。急坂が続くため、石炭を盛んにくべているらしく、開け放した窓から粉塵が容赦なく入ってくる。視界を閉ざしていた林がとぎれ、高原の風景が広がったと思ったら、まもなく峠のトンネル。それを抜けたところが終点クラレンスだった。12:24着、所要36分。

私が駅舎で記念グッズを漁っている間に、妻が昼メシ用のサンドイッチと飲み物を確保してくれた。なにしろ周囲に人家もない峠の停車場なので、ここで食いはぐれると大変だ。駅舎は明るい森に囲まれていて、ベンチも置かれている。腰を下ろしてサイドイッチをほおばればピクニックに来た気分だ。13時ちょうど、帰りの便が出発する。今度は下り道なので煙もほとんど出さず、快調に降りていく。こうして念願のジグザグ鉄道訪問が無事終わったのだった。」

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(左)トップポイントで折返し待ち (右)眺望開けるトップロード
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(左)やがて灌木林の中へ (右)終点クラレンス

本稿は、"The Great Zig Zag - A Masterpiece of Railway Engineering" Pictorial Press Australia, 1992 (Revised 1999、冒頭画像はその表紙)、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Lithgow Zig Zag, Zig Zag Railway)を参照して記述した。

■参考サイト 
ジグザグ鉄道公式サイト  http://www.zigzagrailway.com.au/
NSWRail.net - The Lithgow Zig-Zag
http://www.nswrail.net/library/lithgow-zigzag.php
Blue Mountains Railway Pages - Zig Zag
http://infobluemountains.net.au/rail/upper/zigzag.htm
メインウェスタン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_west
大ジグザグ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-33.4717,150.1969&z=17

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2011年8月 6日 (土)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I

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メインウェスタン線の列車から

シドニー Sydney はオーストラリア大陸東岸の美しい港町で、ニューサウスウェールズ州の州都であるとともに、国内最大の都市でもある。長距離列車インディアンパシフィック号 Indian Pacific も走るメインウェスタン線 Main Western Line は、ここを起点にしている。東岸の平野は奥行が浅く、列車は1時間も走らないうちに、早や山道にさしかかる。一帯は大分水嶺 Great Dividing Range の東側にあたり、ブルーマウンテンズ Blue Mountains と呼ばれて世界自然遺産にも登録されている風光明媚な地域だ。前回紹介したトゥーンバ坂とは違って、麓から峠までのアプローチは相当に長い。平野が尽きるペンリス Penrith から、峠を越えたリスゴー Lithgow まで、路線延長で101kmもある。

そして、この区間のルート設定もすこぶる興味深い。下図は当該エリアの1:250,000地形図だが、砂岩の大地が激しく侵食されて、複雑なひだを持つ峡谷が一面に広がっている。谷の縁に沿うジッパーの片割れのような記号は切り立った崖cliffを表し、年月をかけて刻み込まれた地形の険しさと深さが知れる。一方、谷と谷の間には、まだ侵食が及んでおらず比較的平坦な尾根が延びている。鉄道は勾配に弱いので、通常の山越えでは、谷の中をできるだけ上流まで遡ることで高度を徐々に上げようとする。しかし、ここでは迷宮のような峡谷をはじめから避け、道路と同様、尾根伝いに峠をめざすのだ。

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ブルーマウンテンズ地域
1:250,000 SI56-5シドニー図葉。王立オーストラリア測量隊 Royal Australian Survey Corps (RASvy) 作成の1989年版を使用。現行版に比べて旧図は、ぼかし(陰影)によって地勢が明瞭に読み取れる。<
© Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0

そのためには、まず尾根の末端をよじ登る必要がある。その上り下りで採用された工夫が、スイッチバックだ。1869年にリスゴー付近(現リスゴー駅の西2.4kmにあるボーウェンフェルズ Bowenfels)まで鉄道が開通したとき、尾根の両端に1か所ずつ、Z字形に上るスイッチバック、現地でいうジグザグ Zig Zag が設けられていた。この方式は、線路のポイントを切替えながら前進と後退を繰り返すため、通過に時間がかかる。西部の開発が進み、輸送量が増加すると、効率を上げるためにスイッチバックを迂回する別線が建設され、役目を終えることになる。

尾根の東側に造られたものを、付近の地名からラップストーン・ジグザグ Lapstone Zig Zag、西側の方をリスゴー・ジグザグ Lithgow Zig Zag と呼んでいるが、同時にその規模から、前者を「小ジグザグ The Little Zig Zag」、後者を「大ジグザグ The Great Zig Zag」とも称する。今回と次回で、この大ジグザグの歴史と現状を紹介しよう(なお、小ジグザグについては「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-もう一つのジグザグ」で詳述)。

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リスゴー・ジグザグと迂回線

Blog_zigzag_great_map1ブルーマウンテンズの中心都市カトゥンバ Katoomba から、ダーリング・コーズウェー Darling Causeway と呼ばれる長い尾根筋を北上してきたメインウェスタン線は、ベル Bell 駅の先(地図にニューンズ・ジャンクション Newnes Junction とある付近)で再び針路を西へ戻す。長い山越えの最終区間だ。現在線は10本のトンネルを連ねて通過するが、19世紀のルートはサミットに向かって、なおも浅い谷を上り詰めていた。峠の駅クラレンス(クラランス)Clarence は標高が1114mに達し、メインウェスタン線全体の最高地点でもあった。駅を出ると線路はすぐに、サミットに掘られた長さ494mのクラレンストンネルに突っ込む(下注)。

*注 クラレンス駅は開通5年後の1874年開業。ちなみにこのサミットは大陸分水嶺ではない。メインウェスタン線が実際に分水嶺を越えるのは、リスゴーの西約20km、ウォレラワン Wallerawang とライダル Rydal の間だが、風景は分水嶺のイメージからほど遠く、緩やかな高まりをもつ丘に過ぎない。

ここまで地形的にさほど難しい個所はなかった。問題はトンネルの向こう側で、下の谷まで約200mもある高度差をどうやって克服するのかだった。主任技師ジョン・ホイットン John Whitton は、下り勾配を当時の蒸気機関車の登坂能力の限界に近い1:42(23.8‰)としたうえ、谷壁をジグザグに降りることによって、この課題を解決しようとした。ジグザグ線の代わりに峠を一気に貫く2マイル(3.2km)の長大トンネル案も提案されていたが、メインサザン線 Main Southern Line の建設も同時進行しているなかで、政府が経済性を優先させたのは至極当然のことだった。

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リスゴー・ジグザグ詳細図

ジグザグを構えたのは、峠付近を発した谷筋の、大きく湾曲した急斜面だ。線形を整えるためには、Z字の平面形を著しく撓めてなお、3か所のアーチを連ねた石造橋と1本の小トンネルが必要だった。谷は湾曲しているがゆえに、高みに上がれば大仕掛けな線路の全体を眺望することができる。ホイットンは、いつも第2橋梁の傍らの岩に刻んだ椅子に腰かけて、工事の指示を飛ばしたと伝えられ、その場所は、技師の見張り台 Engineer's Lookout として知られるようになる。約2年半の工事期間を経て、この区間は1869年10月に開通し、西部平原で獲れる農産物やリスゴー谷で産する石炭や鉄鉱石を東海岸へ運び出す役割を担った。

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リスゴー・ジグザグ
上の詳細図のView1付近を走行中に撮影した写真を接合
そのため一部不整合がある。写真内の数字はジグザグの段数

サミットをはさむ当区間で、複線化を含む抜本的な改良が完成したのは、1910年になってからだ。しかし、それ以前にもマイナーチェンジが繰り返されている。1897年には峠の東側、ベル~クラレンス間の一部が、ダーガンズ迂回線 Dargans Deviation として知られる別線に移された。これはもとの線の北側を大回りするもので、勾配の緩和を目的としていた。旧線は後に、主要道であるベルズライン道路 Bells Line of Road の用地に転用された。

20世紀に入ると、線路容量を増やすために2か所の交換所が新設されている。一つは上記の迂回線上で1902年に造られたダーガンズ Dargans、もう一つはサミットからジグザグに至る中間地点で1901年に置かれたエッジコム Edgecombe だ。さらに1906年にはベル~ダーガンズ間にニューンズ・ジャンクション Newnes Junction が開設されたが、その名のとおり、ウォルガン・ヴァレー鉄道 Wolgan Valley Railway という油母頁岩鉱山のための路線を分岐する駅だった(下注)。

*注 ウォルガン・ヴァレー鉄道は、1907年に開通した約50kmの産業鉄道(ニューンズ・ジャンクション~ニューンズ Newnes)。路線はその終盤で、尾根上から谷底のニューンズまで約500mの高度を降下する。この区間に設けられた1:25(40‰)の連続勾配では、シェイ形機関車4両が活躍した。1932年に廃止。

もちろん、ジグザグ自体にも改良が施されている。Z字の上部の折返し駅をトップポイント Top Point、下部のそれをボトムポイント Bottom Point と呼ぶが、元来いずれも構内は単線だった。1895年に両駅とも2線に増やされ、折返しと同時に列車交換ができるようになった。さらに1908年までに、長い貨物列車を扱えるように構内の線路が延長された。ボトムポイントでは線路を谷の奥へ延ばす余裕があったが、トップポイントの先端は崖っぷちに面していたため、大きく左に回り込んだ別線に付け替えられた。

しかし、いくら局部の改良を加えたところで、メインウェスタン線最大のボトルネックの解消にならないのは明らかだ。もっと抜本的な提案が求められていた。1906年に議会で承認された計画は、ジグザグ経由の線路をバイパスして所要時間を30分以上短縮し、全線複線化も実現するという画期的なものとなった。新ルートはニューンズ・ジャンクションの手前(この駅も迂回線上に660m移転)で旧線と分かれる。そして浅い谷を巻くように180度回転し、ハートレー Hartley の盆地に落ち込む懸崖に沿って大小10本のトンネルをうがっていく。最後の第10トンネルでようやくリスゴー谷側に抜けて、旧ボトムポイント駅の先で旧線と合流する。勾配も1:90(11‰)まで緩和されることになっていた。

後に10トンネル迂回線 Ten Tunnels Deviation と呼ばれるようになる新線の工事は、1908年に始まった。断崖に阻まれて道路のない現場へ、インクラインを仮設して工夫や資材を送り込むというような苦労を経て、迂回線は1910年に開通した。峠のクラレンス駅もこのとき新線上に移された(利用者減により1974年廃止)。工事に従事した作業員や機材は、引き続きラップストン付近の改良に投入され、それが終了する1913年をもってメインウェスタン線は、名実ともに産業の動脈にふさわしい鉄道に生まれ変わった。

おしまいに、当該区間のその後についても触れておこう。電化されたのは1957年で、貨物列車の牽引をディーセルから電気機関車に置換えるのが目的だった。その副産物がインターアーバン(都市間)電車の導入で、1978年にはダブルデッカー(2階建て)車に対応して、トンネル内の盤下げも行われた。峠を越えたリスゴーまで、インターアーバンの旅客サービスは現在も続いている。

一方、廃止となった大ジグザグはレールが撤去されたまま、長い間ブッシュの中に放置されていたが、1975年に一部区間が1067mmの狭軌観光鉄道として復活した。1988年からは運行区間がクラレンス~ボトムロード間に拡大され、往時を彷彿させる力強い蒸機列車の旅を、壮麗なアーチ橋の眺めとともに体験することができる。次回は、この保存鉄道としての「ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway」について詳述しよう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Main Western railway line, Lithgow Zig Zag, Newnes railway line, Ten Tunnels Deviation 1910)を参照して記述した。

■参考サイト 
Blue Mountains Railway Pages - Zig Zag
http://infobluemountains.net.au/rail/upper/zigzag.htm
メインウェスタン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_west
ジグザグ鉄道公式サイト  http://www.zigzagrailway.com.au/
大ジグザグ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-33.4717,150.1969&z=17

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