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2011年8月 6日 (土)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I

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メインウェスタン線の列車から

シドニー Sydney はオーストラリア大陸東岸の美しい港町で、ニューサウスウェールズ州の州都であるとともに、国内最大の都市でもある。長距離列車インディアンパシフィック号 Indian Pacific も走るメインウェスタン線 Main Western Line は、ここを起点にしている。東岸の平野は奥行が浅く、列車は1時間も走らないうちに、早や山道にさしかかる。一帯は大分水嶺 Great Dividing Range の東側にあたり、ブルーマウンテンズ Blue Mountains と呼ばれて世界自然遺産にも登録されている風光明媚な地域だ。前回紹介したトゥーンバ坂とは違って、麓から峠までのアプローチは相当に長い。平野が尽きるペンリス Penrith から、峠を越えたリスゴー Lithgow まで、路線延長で101kmもある。

そして、この区間のルート設定もすこぶる興味深い。下図は当該エリアの1:250,000地形図だが、砂岩の大地が激しく侵食されて、複雑なひだを持つ峡谷が一面に広がっている。谷の縁に沿うジッパーの片割れのような記号は切り立った崖cliffを表し、年月をかけて刻み込まれた地形の険しさと深さが知れる。一方、谷と谷の間には、まだ侵食が及んでおらず比較的平坦な尾根が延びている。鉄道は勾配に弱いので、通常の山越えでは、谷の中をできるだけ上流まで遡ることで高度を徐々に上げようとする。しかし、ここでは迷宮のような峡谷をはじめから避け、道路と同様、尾根伝いに峠をめざすのだ。

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ブルーマウンテンズ地域
1:250,000 SI56-5シドニー図葉。王立オーストラリア測量隊 Royal Australian Survey Corps (RASvy) 作成の1989年版を使用。現行版に比べて旧図は、ぼかし(陰影)によって地勢が明瞭に読み取れる。<
© Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0

そのためには、まず尾根の末端をよじ登る必要がある。その上り下りで採用された工夫が、スイッチバックだ。1869年にリスゴー付近(現リスゴー駅の西2.4kmにあるボーウェンフェルズ Bowenfels)まで鉄道が開通したとき、尾根の両端に1か所ずつ、Z字形に上るスイッチバック、現地でいうジグザグ Zig Zag が設けられていた。この方式は、線路のポイントを切替えながら前進と後退を繰り返すため、通過に時間がかかる。西部の開発が進み、輸送量が増加すると、効率を上げるためにスイッチバックを迂回する別線が建設され、役目を終えることになる。

尾根の東側に造られたものを、付近の地名からラップストーン・ジグザグ Lapstone Zig Zag、西側の方をリスゴー・ジグザグ Lithgow Zig Zag と呼んでいるが、同時にその規模から、前者を「小ジグザグ The Little Zig Zag」、後者を「大ジグザグ The Great Zig Zag」とも称する。今回と次回で、この大ジグザグの歴史と現状を紹介しよう(なお、小ジグザグについては「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-もう一つのジグザグ」で詳述)。

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リスゴー・ジグザグと迂回線

Blog_zigzag_great_map1ブルーマウンテンズの中心都市カトゥンバ Katoomba から、ダーリング・コーズウェー Darling Causeway と呼ばれる長い尾根筋を北上してきたメインウェスタン線は、ベル Bell 駅の先(地図にニューンズ・ジャンクション Newnes Junction とある付近)で再び針路を西へ戻す。長い山越えの最終区間だ。現在線は10本のトンネルを連ねて通過するが、19世紀のルートはサミットに向かって、なおも浅い谷を上り詰めていた。峠の駅クラレンス(クラランス)Clarence は標高が1114mに達し、メインウェスタン線全体の最高地点でもあった。駅を出ると線路はすぐに、サミットに掘られた長さ494mのクラレンストンネルに突っ込む(下注)。

*注 クラレンス駅は開通5年後の1874年開業。ちなみにこのサミットは大陸分水嶺ではない。メインウェスタン線が実際に分水嶺を越えるのは、リスゴーの西約20km、ウォレラワン Wallerawang とライダル Rydal の間だが、風景は分水嶺のイメージからほど遠く、緩やかな高まりをもつ丘に過ぎない。

ここまで地形的にさほど難しい個所はなかった。問題はトンネルの向こう側で、下の谷まで約200mもある高度差をどうやって克服するのかだった。主任技師ジョン・ホイットン John Whitton は、下り勾配を当時の蒸気機関車の登坂能力の限界に近い1:42(23.8‰)としたうえ、谷壁をジグザグに降りることによって、この課題を解決しようとした。ジグザグ線の代わりに峠を一気に貫く2マイル(3.2km)の長大トンネル案も提案されていたが、メインサザン線 Main Southern Line の建設も同時進行しているなかで、政府が経済性を優先させたのは至極当然のことだった。

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リスゴー・ジグザグ詳細図

ジグザグを構えたのは、峠付近を発した谷筋の、大きく湾曲した急斜面だ。線形を整えるためには、Z字の平面形を著しく撓めてなお、3か所のアーチを連ねた石造橋と1本の小トンネルが必要だった。谷は湾曲しているがゆえに、高みに上がれば大仕掛けな線路の全体を眺望することができる。ホイットンは、いつも第2橋梁の傍らの岩に刻んだ椅子に腰かけて、工事の指示を飛ばしたと伝えられ、その場所は、技師の見張り台 Engineer's Lookout として知られるようになる。約2年半の工事期間を経て、この区間は1869年10月に開通し、西部平原で獲れる農産物やリスゴー谷で産する石炭や鉄鉱石を東海岸へ運び出す役割を担った。

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リスゴー・ジグザグ
上の詳細図のView1付近を走行中に撮影した写真を接合
そのため一部不整合がある。写真内の数字はジグザグの段数

サミットをはさむ当区間で、複線化を含む抜本的な改良が完成したのは、1910年になってからだ。しかし、それ以前にもマイナーチェンジが繰り返されている。1897年には峠の東側、ベル~クラレンス間の一部が、ダーガンズ迂回線 Dargans Deviation として知られる別線に移された。これはもとの線の北側を大回りするもので、勾配の緩和を目的としていた。旧線は後に、主要道であるベルズライン道路 Bells Line of Road の用地に転用された。

20世紀に入ると、線路容量を増やすために2か所の交換所が新設されている。一つは上記の迂回線上で1902年に造られたダーガンズ Dargans、もう一つはサミットからジグザグに至る中間地点で1901年に置かれたエッジコム Edgecombe だ。さらに1906年にはベル~ダーガンズ間にニューンズ・ジャンクション Newnes Junction が開設されたが、その名のとおり、ウォルガン・ヴァレー鉄道 Wolgan Valley Railway という油母頁岩鉱山のための路線を分岐する駅だった(下注)。

*注 ウォルガン・ヴァレー鉄道は、1907年に開通した約50kmの産業鉄道(ニューンズ・ジャンクション~ニューンズ Newnes)。路線はその終盤で、尾根上から谷底のニューンズまで約500mの高度を降下する。この区間に設けられた1:25(40‰)の連続勾配では、シェイ形機関車4両が活躍した。1932年に廃止。

もちろん、ジグザグ自体にも改良が施されている。Z字の上部の折返し駅をトップポイント Top Point、下部のそれをボトムポイント Bottom Point と呼ぶが、元来いずれも構内は単線だった。1895年に両駅とも2線に増やされ、折返しと同時に列車交換ができるようになった。さらに1908年までに、長い貨物列車を扱えるように構内の線路が延長された。ボトムポイントでは線路を谷の奥へ延ばす余裕があったが、トップポイントの先端は崖っぷちに面していたため、大きく左に回り込んだ別線に付け替えられた。

しかし、いくら局部の改良を加えたところで、メインウェスタン線最大のボトルネックの解消にならないのは明らかだ。もっと抜本的な提案が求められていた。1906年に議会で承認された計画は、ジグザグ経由の線路をバイパスして所要時間を30分以上短縮し、全線複線化も実現するという画期的なものとなった。新ルートはニューンズ・ジャンクションの手前(この駅も迂回線上に660m移転)で旧線と分かれる。そして浅い谷を巻くように180度回転し、ハートレー Hartley の盆地に落ち込む懸崖に沿って大小10本のトンネルをうがっていく。最後の第10トンネルでようやくリスゴー谷側に抜けて、旧ボトムポイント駅の先で旧線と合流する。勾配も1:90(11‰)まで緩和されることになっていた。

後に10トンネル迂回線 Ten Tunnels Deviation と呼ばれるようになる新線の工事は、1908年に始まった。断崖に阻まれて道路のない現場へ、インクラインを仮設して工夫や資材を送り込むというような苦労を経て、迂回線は1910年に開通した。峠のクラレンス駅もこのとき新線上に移された(利用者減により1974年廃止)。工事に従事した作業員や機材は、引き続きラップストン付近の改良に投入され、それが終了する1913年をもってメインウェスタン線は、名実ともに産業の動脈にふさわしい鉄道に生まれ変わった。

おしまいに、当該区間のその後についても触れておこう。電化されたのは1957年で、貨物列車の牽引をディーセルから電気機関車に置換えるのが目的だった。その副産物がインターアーバン(都市間)電車の導入で、1978年にはダブルデッカー(2階建て)車に対応して、トンネル内の盤下げも行われた。峠を越えたリスゴーまで、インターアーバンの旅客サービスは現在も続いている。

一方、廃止となった大ジグザグはレールが撤去されたまま、長い間ブッシュの中に放置されていたが、1975年に一部区間が1067mmの狭軌観光鉄道として復活した。1988年からは運行区間がクラレンス~ボトムロード間に拡大され、往時を彷彿させる力強い蒸機列車の旅を、壮麗なアーチ橋の眺めとともに体験することができる。次回は、この保存鉄道としての「ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway」について詳述しよう。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Main Western railway line, Lithgow Zig Zag, Newnes railway line, Ten Tunnels Deviation 1910)を参照して記述した。

■参考サイト 
Blue Mountains Railway Pages - Zig Zag
http://infobluemountains.net.au/rail/upper/zigzag.htm
メインウェスタン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_west
ジグザグ鉄道公式サイト  http://www.zigzagrailway.com.au/
大ジグザグ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-33.4717,150.1969&z=17

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