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2011年6月24日 (金)

日本の地形図はどこへ行くのか

Blog_japantopo_fig 最近、1:25,000地形図の刊行点数が減っているのが気になる。ここ8年間の推移をグラフ(右図)に示した。赤の折れ線が1:25,000だ。2005~07年度には月平均で40点前後出されていたのだが、今年度は月平均8.5点、ピーク時の1/5までしぼんでいる。地表の様子は日々変化しているので、地図は実用性を維持するために、定期的に更新されなければならない。日本の1:25,000地形図は、全部で4,356面(2011年6月1日現在)という膨大な数だ。1か月に10点弱のペースでは、更新が一巡するまでに何年かかるか計算するまでもない。

周知のとおり、1:25,000地形図は、「ウォッちず」という愛称でウェブ上でも閲覧できるようになっている。しかしこのシステムも、今年(2011年)2月から電子国土基本図のフォーマットに切替えられており、旧来の1:25,000地形図のイメージ提供は7月末をもって打ち切られる。テレビのアナログ放送と期を同じくして、使い慣れた地形図もついに放棄されてしまうのだろうか。

その懸念を抱くのには理由がある。2007年8月に地理空間情報活用推進基本法が制定され、それに基づいて、国土地理院の地図政策がその後大きく転換したからだ。この法律では、地理空間情報を国民の生活向上と経済発展を図るために不可欠な基盤と位置付け、その整備と提供、利用の促進等の施策を総合的、体系的に行うとしている(同法第3条)。とりわけ注目すべきは、情報の記録を電磁的(デジタル)方式に限定し、提供方法もインターネットを利用して無償で(第18条)、と明記していることだ。これによって紙地図の刊行事業は、拠りどころを失ってしまった。さらに地理空間情報の規格についても、省令で都市部とそれ以外で異なることを許容し、全国統一基準で製作されてきた地形図体系とは別の、割り切った考え方を導入した。

デジタル化の必要性は、紙地図のもつ限界と表裏一体をなすものだ。資料(下注)では、明治期以降、紙地図が果たしてきた重要な役割を評価しつつも、急速に進展する高度情報化社会で活用していくには制約が大きいとして、5つの例示をしている。いわく、紙地図に用いる地形図図式は、縮尺に応じて真位置をずらして描かれることがあるため、GPS利用に適応しておらず(位置精度の制約)、都市部の建物群は総描のために個々の建物を特定できない(空間解像度の制約)。紙地図は、製作から流通まで日数を要し、情報の鮮度が落ちてしまう(時間精度の制約)。また、情報の場所の検索にかかる時間は、デジタルとは比較にならず(検索の制約)、情報の共有、情報の多層化など、拡大する多目的利用に対して柔軟度が低い(多目的活用における制約)。

*注 村上広史「デジタル時代の地理空間情報体系」月刊地図中心441号(2009.6)p.6-10

情報のデジタル化は、技術革新に伴う必然的な流れだ。地図の世界でも、デジタル画像の配信が主流になり、分厚い道路地図帳はカーナビに移行し、山岳地図はGPS端末に取って代わられている。地図は、紙ではなく画面で見るものという意識は、一般にもすっかり浸透した。大型書店には平棚が並ぶ地形図コーナーがまだ残っているとはいえ、最近、客が張りついているのをほとんど見たことがない。筆者自身、広い範囲を見渡すことができる紙地図の特性を評価しながらも、常に新図を手元に置くわけにはいかないので、最新情報はウェブのデジタル地図を併用しているのが実情だ。

紙の地形図の今後について、国土地理院の方針は明らかにされている。まず、主要な縮尺シリーズの廃止だ。長く人々に親しまれた1:50,000地形図は、すでに2008年度をもって更新作業が中止となり、1890(明治23)年に全国整備の方針が出て以来118年の歴史に終止符が打たれた。それに伴い、更新版の刊行も2009年6月の8面が最終となった。同様に、都市部をカバーしていた1:10,000地形図も、2009年1月をもって刊行が途絶えた。1:50,000については、刊行済みの図の在庫補給(増刷)を行う方針だが、情報が古くなれば骨董品でしかない。

これに対して、当面更新を続けることになったのが、1:25,000地形図だ。1:25,000は全国をカバーする最大縮尺の地形図であり、上記の1:50,000もこれをもとに編集されていたので、その意味で地形図体系上の基本図に当たる。それに、2003年11月から、隣接図との重複を持たせて図郭を拡げた新しい規格での刊行が始まり、新旧の切替えが進んでいる最中だった。図式の項目の見直しはする(下注)ものの、紙地図全廃といったような徹底的な整理を見送ったのは、妥当な判断だったといえる。

*注 植生界、郵便局、送電線の情報は更新されない。

しかし、上記資料によれば、1:25,000についても「今後の利用動向を踏まえ、オンデマンド提供への全面的な移行に加えて、更新の中止等も視野に入れた検討が数年後に必要になる」としていて、それが冒頭で紹介した刊行点数の漸減の背景になっているのは間違いない。国土地理院に、今後の更新の見通しについて問合せてみた。すると、電子国土基本図の提供が主体となっているため、更新結果を反映した地形図の製作に時間を要している。1:25,000の今年の新刊は昨年並み、もしくはやや減となる見込みだという回答があった。なお、廃止を免れているもう一つのシリーズ、1:200,000地勢図については、5年で全国更新するという目標に変更はないとのことだ。

地形図は、わが国の近代国家への成長に伴う国土の変貌を克明に記録し続けてきた貴重な資料だ。しかし、事業予算の制約もあるなかで、ついに選択と集中の犠牲になってしまったと解釈すべきだろう。地理院は、電子国土基本図も毎年アーカイブとして保存するので、過去データとの比較照合は可能になるとしている。もはや国土の変化の痕跡も、地図棚にではなく、モニター画面の中に残されていく時代だ。

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2011年6月12日 (日)

新線試乗記-名古屋地下鉄桜通線、徳重延伸

2011年3月27日、名古屋の地下鉄桜通線(さくらどおりせん)の延伸区間、野並(のなみ)~徳重(とくしげ)4.2kmが開業した。

名古屋駅前からまっすぐ東へ延びる50m道路の桜通直下に地下鉄が完成したのは、そんなに昔の話ではなかったような気がする。しかし、資料を見たら、桜通線の最初の区間、中村区役所~今池間が開通したのは1989年、もう22年も前だった。それから後も、名古屋市地下鉄の路線網は拡張を続けていて、桜通線も1994年に今池~野並間の第一次延伸を果たしている。それ以来終点だった野並から、このたびは久しぶりの再延伸となる。

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路線図

桜通線(6号線)の整備にはいくつかの目的が込められている。一つ目に、東西方向の動脈となっていた地下鉄東山線のバイパスとしての役割だ。東部丘陵地の住宅開発が進んだため、小断面で建設された東山線の小型車両は当時、輸送の限界に達していた。県のデータによると、1980(昭和55)年、同線最混雑区間1時間の乗車率は実に265%だ(下注)。桜通線は市内中心部で、東山線とわずか300~450mの距離を並行したあと南に折れ、今池駅で乗換ができるようになっている。このルート設定で、利用客の転移とそれによる東山線の混雑緩和がもくろまれた。

*注 愛知県公式HP「あいちの陸上交通」(6) 路線別混雑率 による。
http://www.pref.aichi.jp/0000008567.html

二つ目の目的は、JR中央線の東側に位置する千種区、昭和区、瑞穂区のエリアで、公共交通の南北軸となることだ。今池駅から、桜通線は市道環状線の地下をまっすぐ南下していく。名古屋の文教地区でもある三区の中心部を貫くとともに、東山線、鶴舞線、名城線の間の連絡路を形成している。

そして三つ目の目的が、市域南部の、大規模な土地区画整理事業で宅地化されたニュータウンの足となることだ。今回の延伸区間はまさにその使命を負っている。途中の相生山駅から地下鉄は初めて緑区に足を踏み入れるのだが、空中写真で見ると、この辺りのほぼ全域が開発の波に洗われてしまったことに驚く。緑区が、名古屋市16区で最も人口が多いというのもうなずける。その一方、鉄道については鶴舞線と名鉄本線の間の空白域のままで、公共交通はバスに依存していた。新線開通で、従来の野並でのバス・地下鉄乗継ぎに比べて、徳重~名古屋駅の所要時間は50分から35分に15分短縮され、トータルの運賃も何割か安くなった。地元にとっては、待ちに待った路線ということのようだ。

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桜通線6000形電車(中村公園駅にて)

4月のある日、桜通線の延伸区間に乗ってみることにした。金山から名城線で、桜通線との接続駅、新瑞橋まで行く。この駅、筆者などはいつも瑞穂(みずほ)区につられて、「しんみずはし」と読みそうになるが、正しくは「あらたまばし」だ。深いエスカレーターで桜通線ホームに降りると、赤帯を巻いたステンレス車が徳重の方向幕を掲げて入ってきた。昼間のこととて、車内はすいている。次の桜本町(これも「さくらもとちょう」ではなく「さくらほんまち」)を出ると、ゴロゴロと雑音を響かせながら左へ急カーブして、進路を東に変えた。ここから地上の道路は東海通に代わり、駅は鶴里、野並と続く。地形的には、両駅間で天白川が流れる低地を横断しているのだが、もとより地下なので気配も知れない。

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野並駅下車

新線の印象を脳裏に刻みこむには、線路が敷かれた土地の風景を見るのが一番だと思っている。地下線の場合、それには電車を降りるしかない。新規区間に踏み込むのは後回しにして、野並で下車した。沿線に目ぼしい名所旧跡があるわけでもないが、地図で興味を引かれた相生山に上ってみようと思ったのだ。

相生山は、東海通の北側に残された貴重な林地だ。東西に延びる3本の尾根のうち最も北のエリアがオアシスの森として保存整備されているのだが、それは次の楽しみとして、今日は東海通に沿う南の尾根道を歩いてみる。地図の読取りで開拓村の名残のように想像していたら、実物は、雑木林に囲まれた静かな住宅地だった。アップダウンの激しい小道の主として南側に、けっこう立派な邸宅が立ち並んでいる。道はその先で徳林寺というお寺の境内に入っていくが、本堂の正面にチベット仏教の八角の鐘楼が建てられようとしているのには目を疑った。この山には、どうも異次元的な雰囲気が漂っている。

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相生山の南尾根道

遅咲きの八重桜が風にそよぐ戸笠公園でしばし休憩してから、改めて地下鉄の駅へ向かった。最寄りはその名も相生山(あいおいやま)駅で、駅入口付近は道路の復旧工事がまだ完了しておらず、できたての路線であることを改めて意識する。ひどく深いホームに降りると、ホームドア(正確には、可動式ホーム柵)が設置されていた。桜通線では他の線に先駆けてホームドアを全駅に整備する計画で、新規開業の4駅は当初から設置済み、既存区間も順次工事を始めているそうだ。

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戸笠公園
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ホームドアが設置済み(相生山駅)

やってきた電車で、神沢、そして終点徳重とたどる。徳重駅の余裕のあるコンコースは、車庫や地上施設と一体的に設計施工された証しだ。地上に出ると、すぐ右手に広々としたバス発着場(交通広場)が設けられていた。鉄道延伸によって、路線網の重心が、野並の路上(車庫は現 鳴子北駅付近)からここに移ってきたのだ。隣接して公共施設ビルやショッピングモールもつくられて、すっかり地域の中心としての顔を整えている。

とはいえ、ここは里山を切り開き、計画的に築いたばかりの町だ。地域の特色を醸成させるにはまだ長い年月がかかるだろう。一介の風来坊に批評する資格はないが、緑区というのに緑が少ないし、相生山めぐりのほうがよほど心が騒いだな、と呟きながら、そそくさと地下鉄の駅に戻った。

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徳重駅ホーム
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徳重駅地上部 (左)交通広場 (右)駅前も真新しい

■参考サイト
名古屋市交通局 桜通線の延伸
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/about/construction/sakuraline/
名古屋市交通局 2011年3月27日桜通線野並・徳重間開通
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/sakuraline/
徳重駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.095100/136.997500
徳重駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=35.0951,136.9975&z=17

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2011年6月 3日 (金)

インド カールカー=シムラー鉄道を地図で追う

Blog_kalkashimlarailway_map1 インド北西部の山中を走るカールカー=シムラー鉄道 Kalka-Shimla Railway(以下KSRと記す、下注)は、軌間762mm(2フィート6インチ)、延長96.54kmの狭軌路線だ。イギリス領時代に夏の都として栄えたシムラーへ、下界から人と物資を100年以上にわたって運び続けてきた。鉄道は、同じ狭軌のダージリン、ニルギリに続いて、2008年に世界遺産「インドの山岳鉄道群」の一員に加えられたが、先の2線とは異なる特色をもつ。列車の進路に、平地を突き進む直線区間が一切ないこと、そして重厚な石造りの橋や長いトンネルが次々と現れることだ。どちらも、KSRの前に立ちはだかっているのが尋常ならぬ険路であることを証するものだろう。徹頭徹尾、山岳鉄道というKSRの素顔を、地図の上から追ってみたい。

*注 日本語では、「カルカ=シムラ鉄道」、「カルカ・シムラ鉄道」、「カルカ・シムラー鉄道」など複数の表記がある。本稿では、ヒンディー語由来の地名について、筆者のわかる範囲で長母音と短母音を区別して表記した(ヒマラヤのように定着した語を除く。もし誤りがあればご指摘願いたい)。

鉄道の目的地シムラー Shimla は、標高2200m前後の稜線とその周辺に延びる町だ。ヒマラヤ山脈の前山を構成するシヴァーリク山脈 Sivalik Hills に位置し、夏の平均気温が19~28度、真冬には氷点下にもなり、雪が降る。ここは19世紀前半、イギリス人によって、低地の酷暑を避けるためのヒルステーション(高原避暑地)として開発された。1864年からは英領インド帝国 British Raj の夏の首都とされ、軍司令部や政府部局も置かれた。稜線の一角に、いにしえの副王公邸 Viceregal Lodge が堂々たる姿を今にとどめているが、支配階級は、帝国の首都カルカッタ Calcutta(現在のコルカタ Kolkata)からはるばる1500kmもの長旅をして、ここにやってきたのだ。

シムラーへの鉄道路線の構想は19世紀半ばからあったが、1889年に、デリー Delhi からアンバーラー Ambala 経由で、山際のカールカー Kalka まで広軌鉄道が延びたことで、建設の気運が高まった。1895年には、途中のソーラン Solan までの区間について、詳細な路線調査が行われた。ラック式鉄道か粘着式鉄道のどちらを選ぶかを巡って長い議論が続いたが、最終的に後者が選ばれた。

1898年に政府とデリー=アンバーラー=カールカー鉄道会社 Delhi-Ambala-Kalka Railway Co. との間で契約が交わされ、建設事業がスタートした。当初の計画では、軌間をダージリンなどと同じ2フィート(610mm)としていた。しかし、路線に戦略的役割を期待した軍の要請で、2フィート6インチに変更され、一部の完成区間については手直しが実施された。トンネル107か所(現在使用しているのは102か所)、橋梁864か所、制限勾配1:33(30.3‰)、総距離の7割がカーブで最小曲線半径37mという途方もない山岳路線は、1903年11月にシムラーまで全通した。

鉄道は、麓から荷馬車で4日かかると言われた道のりを一気に短縮した。しかし、土地は無償提供するが財政援助はしないという政府との契約で進められた建設事業は、会社の経営を圧迫した。他の路線より高く設定した賃率も効果はなく、1906年、ついに路線は国に買収された。

KSRのルートを描いた地図をいくつか用意した。全体を把握できるのは、いつものとおり、AMS(旧米国陸軍地図局)1:250,000図【図2】と旧ソ連1:200,000図【図4】だ。

注意すべきは、AMS図が、平野部と山岳部で等高線の間隔を変えていることだ。掲載した図では、シムラーの載る上半分がなだらかな地形のように見えるが、実はそうではない。等高線の刻みが、上半分(SIMLA図葉)は500フィート間隔、下半分(AMBĀLA図葉)は200フィート間隔と異なっているのだ。これでは読図しにくいので、同じ1:250,000の縮尺で公開されているJOG図(米軍の軍用地形図【図3】)も挙げておいた。AMS図に比べて地名などの情報量は圧倒的に少ないが、等高線が100m単位に統一され、ぼかし(陰影)もついているので、地勢の概略を知るのに好都合だ。ただし、使用した下半分の図は、ぼかし版のずれがひどい。

図1 AMS 1:250,000
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路線と駅、駅名を加筆。枠は下図4~7の範囲
図2 JOG 1:250,000
Blog_kalkashimlarailway_map3
図3 旧ソ連1:200,000
Blog_kalkashimlarailway_map4

*注 ちなみにJOG図とソ連図では、図の左下隅にチャンディーガル Chandigarh 市街が描かれているが、AMS図になく、鉄道も市街に寄らずにまっすぐ南下している。これはチャンディーガルが1950年代に造成された計画都市で、AMS図の編集(1954~55年)に反映されていないため。

KSRのルートは、一言で表現するのが難しい。単純に、山麓から山上をめざして一気に上りきっているわけではないからだ。起点カールカーの標高は656m、終点シムラーは2076m、この差1420mを96kmの距離で稼ぐとすれば、平均15‰程度の勾配で済むはずだが、複雑な地形がそれを阻んでいる。線路は、山塊の間の鞍部や尾根を伝いながら、階段状に高度を上げていく。その詳細は、グーグル衛星画像と同 地形図をもとにして自家製の地図4面【図4~7】に描き入れたので、以下の説明の参考にしていただければ幸いだ。

沿線のエピソードを交えながら、列車に乗ったつもりでルートを追ってみよう。

【図4】カールカー Kalka でKSRは、全国の広軌鉄道網から乗客を引き継ぐ。赤いディーセル機関車に牽かれた狭軌列車は、ゆっくりと駅を後にする。左手に機関庫を見送って右に曲がった線路には、もう勾配がついている。この先、直線距離でせいぜい6~7kmの間に450mほどの高度を稼ぐため、線路は急勾配で、すさまじいループ(つづら折り)を斜面に描きながら進んでいくのだ【図5】。途中、タクサール Taksal、グンマン Gumman の駅をはさむが、これらに限らずどの駅も8両分、長さ82mの立派な対向線を備えている。黄の地色に駅名を太書きしたインドでおなじみの駅名標には、山岳鉄道ならでは、底部に小さく標高データが添えてある。

図4 路線図(カールカー~ソーラン)
Kalka-Shimla railway route map 1
図5 カールカー周辺拡大図
Blog_kalkashimlarailway_map8
(c) 2011 Google
注:基図に使用したGoogle Mapの等高線は(おそらく)メッシュ標高データから生成されているため、等高線の間隔が狭い(=急傾斜の)場所では、空中写真からトレースした線路の位置と一部整合していない。

深い谷の遥か上方をしばし走り、コーティー Koti 駅の先端で、列車は路線で2番目に長い694mのコーティートンネル Koti Tunnel に突入する。峠でもない場所に長いトンネルを設けたのは、斜面を割いて谷底まで達していた大規模な崩壊地を避けるためだ。
今は停車する列車がなくなったジャーブリー Jabli 駅を過ぎ、ソンワーラー Sonwara 駅の先に、またも3段のループがある。下段の折返しの手前にある直線の第226号橋梁は、路線最長の97mあって、折返した後、左の車窓から木の間越しに観察できる。ローマの水道橋を思わせる石灰岩の多層アーチ橋は乗客にとって格好の被写体になっているが、4層に積み上げられたのは、ここともう1か所(後述)のみという。上段の折返しはトンネル内で半回転している。

ループをやり過ごすと、列車は約800mの高度を上りきって、風通う鞍部に出る。ダランプル・ヒマーチャル Dharampur Himachal の駅名は、同じダランプルを名乗る他の駅と区別するため、ヒマーチャル(下注)の地域名が添えられた。ここは、小さく静かな避暑地カサウリー Kasauli への下車駅でもある。続くクマールハッティー・ダグシャーイー Kumarhatti Dagshai の駅名も長いが、これは近隣の2つの集落名をつなげたものだ。標高1579m、地理的にはルート前半のサミットに当たる。駅のすぐ先の小さなトンネルを抜けた後、線路は下り坂になる。

*注 ヒマーチャル Himachal はヒマーラヤ(ヒマラヤ)Himalaya から派生した言葉で、シムラーを州都とするヒマーチャル・プラデーシュ州 Himachal Pradesh の範囲を指す。ちなみに他の州名にも用いられるプラデーシュは「地方」の意の普通名詞。
参考 http://www.himachalpradesh.us/geography/himalayas_in_himachal.php

【図6】北への進路を阻むように、山塊が東西方向に横たわっている。並行する国道22号線はこれを大きく回り込んでいくが、鉄道は、山の中腹を穿つ路線最長1144mのバローグトンネル Barog Tunnel で、一気に向こう側へ抜ける。トンネルを出たところにバローグ Barog 駅がある。駅名は、最初にトンネル工事を担当したイギリス人技師を追憶するものだ。彼は重要なこの工事で測量を誤り、その結果、両側から掘り進められたトンネルは、位置がずれて貫通できなかった。罰金を科せられた彼は屈辱に耐えきれず、愛犬と散歩中に銃で自殺を図った。村に駆け戻った飼い犬の知らせで人々が現場に駆けつけたが、すでに彼は息絶えていた。現在のトンネルは後に1km離れた場所に掘られたものだが、いわくつきの旧トンネルも坑口を閉鎖した状態で残っているという。バローグではほとんどの列車が10分前後停車するので、ホームに降りて記念写真を撮る人も多い。

図6 路線図 (ソーラン~カトリーガート)
Kalka-Shimla railway route map 2

次のソーラン Solan は、きのこが特産品の、沿線でシムラーに次いで大きな町だ。KSRの旅もこの駅でちょうど半ばになる。チャンバーガート Chambaghat 駅の次に、列車が停まらなくなったソーランブルワリー Solan Brewery という駅がある。すぐ左の山際にあるのがそのビール工場、モーハン・ミーキン醸造所 Mohan Meakin Brewery だ。工場のルーツは1820年代、カサウリーに設立されたアジアで最初のビール醸造所で、まもなく豊かな湧水を求めて現在地に移ってきた。1840年から1世紀以上、ここで造られる「ライオン Lion」ビールは国内のトップブランドだったそうだ。

サローグラー Salogra 駅を過ぎ、カンダーガート Kandaghat 駅は標高1432m、今年(2011年)5月に、歴史ある駅舎内部を漏電による火災で惜しくも焼失した。地形的には鞍部を成していて、ルート断面図で見れば、ダランプルからここまでが緩い勾配の、いわば踊り場だ。ガート Ghat という語は、聖なる川へ降りる階段を指すとともに、険しい山道の意味もある。名が示すとおり、ここで再び上り坂が始まる。山腹を激しく巻いていく坂道の途中にカノー Kanoh 駅があるが、その直前で、列車は、沿線名物となっている第493号橋梁「アーチギャラリー Arch Gallery」を渡る。橋は第226号と同じ4層アーチだが、路線中最も高い23mを誇る。線路は右にカーブしているので、角度は浅いが右の車窓から眺めることも可能だ。

【図7】カトリーガート Kathleeghat 駅以降は、シムラーの載る山塊から南に延びる尾根筋を伝うコースだ。高度が1800m台に上がって、眺望も一段と広く深くなっていく。ガートの地名にそむかず、ここにも山腹を右巻きする上り坂があるが、長くは続かない。

図7 路線図(カトリーガート~シムラー)
Kalka-Shimla railway route map 3

ショーギー Shoghi 駅を出ると、正面に山が近づいてくる。線路はその東斜面に回っていき、最後に路線で3番目に長い492mのトンネルを抜けて、ターラーデーヴィー Taradevi 駅に着く。ターラーデーヴィーとは星の女神のことで、山頂に彼女を祀る寺がある。星が自ら燃えるように、この女神は抑制できない欲望を象徴するといわれ、鋏を持ち、血塗られた口をした恐ろしい姿で描かれる。この山にトンネルを建設すると知った現地の人々は、女神の崇りを怖れた。あるとき、掘削現場で大蛇が出現したという噂が立ち、動員されていた労働者たちが怯えて、工事が止まってしまったことがあった。後でそれは、新鮮な空気を送り込んでいた鉄管を見間違えたことがわかったのだが、山間での建設工事は、地形の険しさだけでなく、こうした迷信とも闘っていたのだ。

ターラーデーヴィー駅を過ぎると、列車はシムラーに向けて高度差240mの最後の上り坂に挑む。山を左から巻きながら高度を稼ぐ途中に、ジュート Jutogh、サマーヒル Summerhill の各駅がある。

終着駅シムラー Shimla は、最後の長めのトンネルで尾根の南側に抜けて間もなくだ。標高2076m、斜面に張りつく狭い敷地に、ホームに面した本線と機回しが可能な側線、その奥に機関庫、カールカー方には転車台や数本の留置線を備えている。ホームは1本きりだが、前後に分けて2本の着番線を確保している。

線路のほうはこの先まだ1kmほど延びて、長距離バスターミナルの先まで達しているものの、しばらく使用されていないようだ。線路上に人工地盤が築かれ、バスの駐車場にされてしまった終点に、1930年代の地図は貨物駅 Goods station の注記を付している。現在の駅より中心街にずっと近く、地形も緩やかなこの地は、駅を構える場所にふさわしい。もしかすると、ここが当初のシムラー駅予定地だったのかもしれない。

旅行案内によると、カールカー駅からシムラーへはタクシー、バス、列車の選択肢があるが、列車はその中で最も時間がかかる手段だ。タクシーで2時間半、バス3時間半のところ、KSRの列車は「りんごを満載した40トン積みトラックより遅い」ので、4時間半~5時間20分を要する。もとより効率を重視するなら、トイトレインに乗る意味はないし、乗客は車窓の絶景をゆっくり味わいたいがこそ列車を選んでいるはずだ。

時刻表に載っている定期列車は1日5往復で、シムラー行きは早朝に、カールカー行きは午後に集中する。カールカーには、早朝着の夜行列車カールカー・メール Kalka Mail で来る人が多いだろう。これはコルカタ Kolkata 対岸のハウラー Howrah 駅が始発で、帝国時代からの伝統的な長距離列車だ。この便を受けてシムラーに向け、レールモーター Rail Motor、シヴァーリク・デラックス急行 Shivalik Delux Express、カールカー=シムラー急行 Kalka Shimla Express が次々に出ていく。ちなみにレールモーターというのは、ボンネットバスに似た形の14~18人乗り単行気動車で、身軽なため速く、外見に似合わず高級列車の位置づけだ。

昼前には、ニューデリー New Delhi を朝出た列車(ヒマラヤン・クイーン Himalayan Queen とシャターブディー急行 Shatabdi Express)がカールカーに到着する。これを受けるKSRの列車は同名のヒマラヤン・クイーンだけだ。シムラーに着くのは夕方になる。ただし、旅行シーズンには、定期の間を縫って特別列車も設定されるようだ。

せっかく乗るなら、左右どちらの車窓の眺めがいいのかも気になるところだ。カールカー始発の場合、右側が谷になる区間が多いのは確かだが、左の席に座っても後悔することはない。ダランプル~クマールハッティー・ダグシャーイー間、カトリーガートを出たすぐ後、それにショーギー前後では、谷が左手に移る。さらに、高度も上がったターラーデーヴィー以後の最終区間は、重畳たる山並みの見事なパノラマが展開して、左側席の乗客を大いに納得させてくれるに違いない。

本稿は、M.S. Kohli "Mountains of India: Tourism, Adventure & Pilgrimage" pp.101-104, Indus Publishing, 2002、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Kalka-Shimla Railway, Solan, Shimla)、Wikitravel英語版の記事(Shimla)を参照して記述した。
地形図は、AMS 1:250,000地形図NH43-4 SIMLA(1954年編集)、NH43-8 AMBĀLA(1955年編集)、JOG 1:250,000地形図NH43-4 SIMLA(1982年編集)、NH43-8 AMBĀLA(1982年編集)Map images above all are courtesy of University of Texas Libraries、旧ソ連1:200,000地形図H-43-XI, H-43-XII(1985年編集)を用いた。

■参考サイト
北部鉄道アンバーラー管理区「カールカー=シムラー鉄道関連情報1903~2003」(ヒンディー語版、英語版)Northern Railway, Ambala Division
http://www.ambalarail.com/klksmlhome.php
シムラー・トラベルの同鉄道の記事
http://www.shimla-travel.com/shimla_railway.shtml
世界攻略ジャーナル「カルカ-シムラ鉄道を攻略」
http://sekakoh.web.fc2.com/india/india_train_kalka_shimla.html
 日本語によるカールカー=シムラー鉄道の詳細な乗車記

インド・トリビューン紙-バローグトンネルの陰で忘れ去られた男
http://www.tribuneindia.com/2002/20020615/windows/main4.htm
カールカー=シムラー鉄道カールカー駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=30.8375,76.9328&z=16
カールカー=シムラー鉄道「アーチギャラリーArch Gallery」付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=30.9912,77.1163&z=18
カールカー=シムラー鉄道シムラー駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=31.1026,77.1603&z=17
写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Kalka-Shimla_Railway
http://www.irfca.org/gallery/Steam/KSRailway/
http://www.irfca.org/gallery/Steam/heritageruns/KSR/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/KalkaShimla/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/kalka_shimla_nishant/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/ksr09/
http://www.irfca.org/gallery/Events/KSR-Centenary/

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