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2011年5月 7日 (土)

インド ニルギリ山岳鉄道を地図で追う

Blog_nilgirirailway_map1 世界遺産「インドの山岳鉄道群」に含まれる3つの路線の中で、唯一ラックレールを使っているのがニルギリ山岳鉄道 Nilgiri Mountain Railway だ。山の麓から山上の町まで、高度差1900mを実にゆっくりと、しかし線路と機関車に仕掛けられた登坂装置のおかげで着実に上っていく。こんな路線だから、ダージリンと同じように万年雪を仰ぐヒマラヤ山脈の周辺を走っているのだろうと想像してしまうが、さにあらず。意外にも、インド亜大陸では最も南に位置するタミル・ナードゥ州 Tamil Nadu の一角が舞台だ。どうしてこの場所に、ラック式鉄道が必要だったのだろうか。

デカン高原の西縁を限る西ガーツ山脈 Western Ghats は、長さ1500kmの大山脈だ。紅茶の産地として名高いニルギリ山地 Nilgiri Mountains は、その南端近くに位置している。ニルギリとは、現地の言葉で青い山という意味だそうだ。山地に自生するユーカリの揮発成分による青い靄、あるいは12年に一度咲くクリンジの花が斜面を薄青色に染めるようすから名付けられたと言われる。ニルギリ紅茶の別称ブルーマウンテンは、地名を英訳したものだ。

Blog_nilgirirailway1
ニルギリ山岳鉄道
100周年記念の
パンフレット表紙

山地の高度は2000m前後あり、最も高いところでは2600mを超える。イギリス人支配層は、ヒルステーション(高原避暑地)に適した場所として、早くからこの地に注目した。19世紀半ばまでにはクーヌール Coonoor、コタギリ Kotagiri、そしてウーティ Ooty(ウータカムンド Ootacamund)といった現在の中心地の礎が築かれ、後者はまた、マドラス管区 Madras Presidency の夏の首都とされたことで発展した。

山地は、カーヴィリ川 Kaveri (Cauvery) の大平野から屏風のように立ち上がり、卓状の高原になっている。山上からのみごとな眺望が「ヒルステーションの女王」と称賛される一方で、アプローチの険しさは麓との往来の拡大を阻んでいた。

鉄道の計画は1854年から存在したが、70年代になると、検討が本格化する。1876年には、スイスの技師ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach から、ラック鉄道建設の提案があった。彼の考案したシステムは、すでに5年前にスイス中部のリギ山で採用され(下注)、実用性は証明済みだった。しかし、彼は建設の条件に土地の提供その他の優遇措置を要求したため、政府の受容れるところとはならなかった。これとは別に1877年、山の斜面に長さ2マイルのケーブルカーを敷設し、山上からクーヌールへは普通鉄道(粘着式)を接続させるという案も検討されたが、工費が同程度かかり、安全性にも疑念があった。

*注 リギ山のラック式鉄道については、本ブログ「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「リギ山を巡る鉄道 II-フィッツナウ・リギ鉄道」で詳述。

リッゲンバッハは諦めなかった。1880年(1882年とする文献も)に現地入りした彼は、県高官の支援を得て再提案を行った。その結果、政府の保証がつく形で、路線建設のための「ニルギリ・リギ鉄道株式会社 Nilgiri Rigi Railway Co., Ltd.」の設立が晴れて承認されることになった。

だが、その後の鉄道建設の道のりも、決して平坦ではなかった。リッゲンバッハの会社は、資金集めの見通しが立てられずに解散した。経営者を代えて設立された新会社は、1891年に着工を果たしたものの、工事途中で資金不足に陥った。結局、メットゥパラヤム(メートゥパラーヤム)Mettupalayam ~クーヌール(クヌール)Coonoor 間28kmの第一次区間を完成させたのは、植民地政府の支援を受けた第3の会社で、1897年のことだった。リッゲンバッハの撤退により、一時期、1:30勾配(33.3‰)の粘着式も検討されたが、最終的にはアプト式のラックレールが採用されている。

鉄道は1898年8月に公式開通を果たし、列車の運行は、一帯の路線に合わせてマドラス鉄道 Madras Railway に委ねられることになった。しかし、鉄道の不運はまだ続いた。開通式後まもなく見舞われた豪雨で、斜面に築いた線路が大きな被害を受け、実際の運行は翌年6月までずれ込んだ。所有会社はこうした不安定な線路を維持する費用に苦しみ続けて、経営不振に陥り、1903年、ついに政府は鉄道の買収に踏み切らざるをえなくなった。

政府の公共事業局によって、現在の終点であるウダガマンダラム Udagamandalam まで18kmが延長されたのは、その後1908年9~10月のことだ(下注)。運行は同年1月から南インド鉄道会社 South Indian Railway Co., Ltd.に移管され、同社は1951年に、国鉄の地域別組織の一つ、南部鉄道 Southern Railway(下注)に再編されて、現在に至る。ちなみに駅名に使われているウダガマンダラムは町の正式名称だが、実際の町の名はウータカムンド Ootacamund、さらに略してウーティ Ooty と呼ばれることが多い。以下の記述ではウーティと記すことにする。

*注 1908年9月にファーンヒル Fernhill まで、10月にウダガマンダラムまで全通。

では、全線45.88km(46.61kmとする文献も)のルートを地図で確かめよう。AMS(旧米国陸軍地図局)と旧ソ連が作成した1950年代編集の地形図【図1、2】、それにグーグル衛星画像と同 地形図をもとに描いた自家製の地図2面【図3、5】を参考にしていただきたい。

図1 AMS 1:250,000
Blog_nilgirirailway_map2
路線と駅、駅名等を加筆。図中の枠は下図3、4の範囲
図2 旧ソ連1:200,000
Blog_nilgirirailway_map3

路線は大きく、メットゥパラヤム Mettupalayam ~クーヌール Coonoor の下部区間【図3】、クーヌール~ウダガマンダラム Udagamandalam の上部区間【図5】の2つに分けることができる。下部区間は先述のとおり、先行開通した部分で、ラックレールを使ってニルギリ山地の側壁をよじ登る。上部区間は、後の延長区間で、起伏の多い高原を走っている。

【図3】起点メットゥパラヤムは標高326m、広軌線と接続するニルギリ山地の南の玄関口だ。メーターゲージ(1000mm軌間)線のホームは、駅舎を間に挟む形で広軌線と並行している。停車している列車は急勾配線のセオリーどおり、機関車が後ろに連結されている。機関士はどうやって前方を確かめるのだろうか。それは、各客車の前側のデッキに乗っている信号手が代行しているのだ。列車の先頭にいる信号手が進路を確認し、後方の信号手へ順番に、手旗信号を送る。そうやって最後尾の機関士へ伝えていくシステムだ。

図3 路線図(カラル~クーヌール)
Nilgiri railway, Lower section route map

ホームを後にすると、機関車と客車の車庫の間を抜け、町のはずれのバーヴァニ川 Bhavani を渡って、まっすぐ山の方に向かっていく。起点から8km進んだカラル Kallar(標高381m)で、いよいよラック区間に入る。線路は、山裾を大きく巻きながら上り始める。最急勾配が1:12.5(80‰)、曲線半径100mのきついカーブもある難路で、列車の最高時速は13kmだ。うっそうとした森におおわれた斜面に、素掘りのトンネルと、沢を渡る石積みの橋が次々に現れるが、全線でトンネルは16か所、橋は主なもので47か所あるという。

坂の途中にいくつか駅が設けられている。しかし、現行ダイヤでは、ラック区間の中間部にあるヒルグローヴ Hillgrove だけで乗降を扱い、他の駅は停まっても給水が目的だ。このヒルグローヴで、すでに標高は1091m。道路が激しいつづら折で下方から追いつき、追い越していく。谷川(クーヌール川)に沿い始めてしばらくすると、線路は流れを横切って向きを変え、クーヌールの町が載る台地へ最後の坂道を這い上る。

図4 クーヌール駅配線図
Nilgiri railway, Coonoor station track map

クーヌール Coonoor は沿線でウーティに次ぐ町で、避暑地であるとともに紅茶生産の中心地だ。鉄道にとっても、構内に機関車の整備工場をもつ拠点駅となっている。ラックレールは駅の手前で終わる。駅の標高は1712mに達し、ラックシステムで高度差1300m以上を稼いだことになる。駅舎は正面の石積みアーチが美しい2階建ての建物だ。ホームは元来、駅舎側にしかなかったが、近年、反対側に増設されて2面2線になった。

【図5】この先の上部区間にはラック区間はないが、高度差がまだ約500m残っている。機関車はディーゼル駆動のYDM4形に交替して、相変わらず最後尾に連結される。クーヌール駅の構内配線は一種のスイッチバックになっているため(【図4】参照)、列車はいったん後退し、側線に入ってから改めてウーティに向けて前進を始める。沿線はのどかな疎林と畑が続き、中間のケーティー Ketti 駅の前後では、車窓左側にゆるやかな高原の風景が広がる。勾配は最大1:25(40‰)と普通鉄道としてはかなり急で、時速は30kmに制限されている。

標高2193mのラヴデール Lovedale 駅付近は地形的に鞍部をなし、長かった上り坂もこれでほぼ終了だ。次のファーンヒル Fernhill は通過し、長めのトンネルを抜け、ウーティ湖の岸をかすめて、列車は標高2203mのウダガマンダラム(ウーティ)Udagamandalam (Ooty) 駅に滑り込む。

図5 路線図(クーヌール~ウダガマンダラム)
Nilgiri railway, Upper section route map

*注 駅の標高、路線長の数値は文献によって少しずつ異なる。標高はダージリン・ヒマラヤ鉄道協会から入手した路線図(出典は陸地測量部インド1インチ地図)のフィート値をメートルに換算、路線長は南部鉄道の資料(下記参考サイト)から引用した。

Blog_nilgirirailway2
坂の途中で給水
(アダレーAdderley駅)

Blog_nilgirirailway3
終点ウーティ駅

ニルギリ山岳鉄道の実用ガイドを、手持ちの資料でまとめておこう。鉄道へのアプローチは、タミル・ナードゥの州都で南インドきっての大都市、チェンナイ Chennai(旧称マドラス Madras)から始めるのが順当だ。チェンナイ中央駅21時発の「ニルギリ急行 Nilgiri Express」がある。列車は夜通しかけて西へ532km走り、朝6時15分、メットゥパラヤム Mettupalayam に到達する。

ここからウーティまで山岳鉄道全線を通して走る列車は、ニルギリ急行を受ける7時10分発(復路はウーティ15時発)の1往復しかない。他の3往復は、山上のクーヌール~ウーティを結ぶ区間列車だ。しかも、蒸機運転は現在のところ、ラック区間をはさむメットゥパラヤム~クーヌール間に限って行われているため、山岳鉄道の真髄を味わいたい乗客は、どうしてもこの列車に集中する。

インド鉄道の他の定期列車と同様、IRCTCのウェブサイトで予約が可能というものの、二等約100席と一等10数席しかないこの小列車は、早々に売切れるらしい。ウィキペディアには、4~5月のシーズン中は、メットゥパラヤム9時30分、ウーティ12時15分着の臨時列車も出ると書かれている。もし座席を選ぶ余裕に恵まれたなら、車窓風景が、ウーティに向いて主に左側に開けることも覚えておきたい。

運よく切符が手に入ったとしても、次なる試練が待ち受けている。ウーティまでの所要時間は実に4時間50分(復路は3時間35分)、途中のクーヌールまででも3時間半(同 2時間20分)かかる。定刻通りに走ったとしても、窮屈な車内での長旅は、途中から次第に苦行に変わるだろう。列車のスピードが遅いので、飛び降りて伴走する人もいるそうだが、体を動かしたくなる気持ちもわからないではない。片や並行するバスなら、この間を2時間足らずで走破する。このような事情で、往復とも列車移動を選択する人は稀だということだ。

山岳鉄道の主役であるX形蒸気機関車は、スイス機関車会社 Schweizerische Lokomotiv- und Maschinenfabrik (SLM) 製で、動輪4軸、従輪1軸のタンク機関車(0-8-2T)だ。動輪用の高圧シリンダとともに、ラックレールと噛合うピニオン(歯車)のための低圧シリンダを一対ずつ備えている。初回配備が1920~25年、増備車でも1952年と車齢が高く、故障や部品損耗で近年は定時運行に支障が出始めていた。

世界遺産の登録基準である完全性と真正性を維持するために、蒸機運行を廃止するわけにはいかない。しかし、問題は耐用年数だけではなく、煙に混じる燃えかすで乾期には山火事の危険がつきまとう。乗務員も、機関士のほかに、石炭をくべる機関助手を2名必要とする。そこで南部鉄道は、蒸機の外形を保存しつつ、燃料を石炭から軽油に変えた新型機関車4両を導入して旧車を置換えることを計画した。地元紙によると、今年(2011年)2月に最初の1両が納入され、6月には次の1両が配備される予定だという。100年以上の歳月を走り抜けてきたラック式鉄道も、いま近代化の波に洗われている。

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Nilgiri Mountain Railway, Nilgiri Mountain Railway X class, Ootacamund)、Wikitravel英語版の記事(Coonoor, Ootacamund)を参照して記述した。
地形図は、AMS 1:250,000地形図NC43-4 ERODE(1953年編集、Map image courtesy of University of Texas Libraries)、旧ソ連1:200,000地形図C-43-V, C-43-XI, X(1954年編集)を用いた。
クーヌール駅配線図は、ダージリン・ヒマラヤ鉄道協会The Darjeeling Himalayan Railway Societyから入手した 路線図 "THE NILGIRI MOUNTAIN RAILWAY" by J.C.Gillham および現地写真を参照した。

写真は、2007年12月に現地を訪れた日印友好協会(JAIFA) http://www.npo-jaifa.com/ の和田 実氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
南部鉄道(旧サイト)「ニルギリ登山鉄道-インド鉄道の所有遺産」Southern Railway, "Nilgiri Mountain Railways - Heritage Property of Indian Railways"
http://203.176.113.182/SR/nmr/index.jsp
インド鉄道ファンクラブIRFCAのニルギリ登山鉄道関連記事
http://irfca.org/docs//history/nilgiri-railway.html
http://www.irfca.org/articles/isrs/fnrm1-nmr.html
http://www.irfca.org/faq/faq-seltrain.html#rack
ニルギリ登山鉄道の実用的な紹介記事
http://indica.co.in/nilgiri-mountain-railway
ニルギリ登山鉄道メットゥパラヤムのGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=11.2986,76.9353&z=16
ニルギリ登山鉄道ウダガマンダラム(ウーティ)のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=11.4049,76.6959&z=16
写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Nilgiri_Mountain_Railway
http://www.irfca.org/gallery/Steam/nmr/

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