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2011年2月24日 (木)

カナダ ケトルバレー鉄道 II-見どころ

屈指の山越え路線であったケトルバレー鉄道 Kettle Valley Ralway (KVR、下注) を記念する名所を、西の起点ホープ Hope から順にたどってみよう。

*注 本記事内では、表記をケトル「ヴァ」レーではなく「バ」レーに統一した。

Blog_kettlevalley_map2
図中1~6は下記詳細図の範囲

クインテットトンネル Quintette Tunnels
クインテットトンネル、あるいはオセロトンネル群 Othello Tunnels は、難所コキーハラ Coquihalla 越えの前哨戦というべき関門だ。どのような地形で、何が珍しいのか。簡潔に説明しているKVRの資料サイト(下記参考サイト)から引用させていただく。

「ホープを出てほんの数マイルで、コキーハラ川は高さ300フィート(90m)の切り立った花崗岩の断崖がある幅の狭い峡谷にさしかかる。峡谷に入るとすぐに、川は突然ヘアピン状に折り返し、たとえ余地があったとしても、鉄道が川に沿いながら峡谷を通過することは不可能だった。人々はこのルートを完全に避けるか、でなければ1マイルの長いトンネルをぶち抜くことが、通過する唯一の方法だと本気で考えた。

マカロック(同鉄道の主任技師アンドリュー・マカロック Andrew McCulloch)は同意せず、ルートを調査するために自らロープで体を吊り、崖の表面を降りた。彼は、トンネルを1本ではなく、4本うがてばよいことを発見した。その1つは「明かり窓」、すなわち片側が開いたもので、トンネルが5つあるような印象を与える。そのため、これはクインテット(5組の)トンネル Quintette Tunnels と呼ばれるようになった。さらに驚くべき事実は、4本のトンネルと間にある2本の橋の全体が、完全に一直線に並んでいることだった。」

図1
Blog_kettlevalley_map3
グリッド1km間隔、標高データはフィート単位(図2、3も同じ)

地形図では、崖の記号は使われず、線路に架かる2本の橋だけがあっさりと描かれている(トンネルは筆者の加筆)。ただ、これでは難工事の実感が湧かないので、ぜひ下記参考サイトの実景写真で確かめていただきたい。現在ここは州立公園内の自然歩道(トレール)として4~10月の間開放されている。

なお、オセロ Othello という地名はいうまでもなく、文豪シェークスピアに由来している。命名者は主任技師マカロックで、この区間の駅名を考えるときに、お気に入りの戯曲の登場人物名を借用したのだ。オセロの次の駅はリア Lear、そしてジェシカ Jessica、ポーシャ Portia、イアーゴ Iago、ロミオ Romeo と続き、コキーハラの峠を隔ててジュリエット Juliet がある。このルートには何のゆかりもなかったが、乗客には評判で、駅の郵便局では訪問記念の絵葉書も扱ったという。

■参考サイト
ケトルバレー鉄道(KVR資料集) http://www.hectorturner.com/kettlevalley/
ブリティッシュコロンビア州公園局(BCパークス)-コキーハラ峡谷州立公園 BC Parks - Coquihalla Canyon Provincial Park
http://www.env.gov.bc.ca/bcparks/explore/parkpgs/coquihalla_cyn/
クインテットトンネル付近の概略図(BC ParksのサイトにあるPDFファイルに直接リンク)
http://www.env.gov.bc.ca/bcparks/explore/parkpgs/coquihalla_cyn/coq_canyon_map.pdf
クインテットトンネルの写真
http://www.env.gov.bc.ca/bcparks/explore/parkpgs/coquihalla_cyn/photos/
クインテットトンネル付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.3722,-121.3655&z=16

ブローディ Brodie
人里離れた山中のこの場所で、北のスペンシズブリッジ Spences Bridge 方面から来た線路と合流する。名所とは言えないが、KVRにとっては重要なポイントだ。地形図は1976年現在の情報で編集されているため、1961年に廃止されたコキーハラ越えの線路はすでに見えない。接続状況は筆者が加筆した。スペンシズブリッジから来た線路が狭い谷間を折返しているのは、ブルックミアの集落が載る谷との間に50mほどの高度差があるためだが、コキーハラ越えを優先した線形であるのは間違いない。

図2
Blog_kettlevalley_map4

■参考サイト
ブローディ付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.8187,-120.9330&z=15

プリンストン北方 North of Princeton
プリンストンでカッパーマウンテン Copper Mountain の鉱山へ行く支線を分けた後、線路は再び山越えにかかる。途中、旧駅でいうとベルフォート Belfort とジュラ Jura の間では、約100mの高度をかせぐために4回の折り返し(ループ)で丘を上っていく。

図3
Blog_kettlevalley_map5

■参考サイト
プリンストン北方(蛇行部)のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.5251,-120.4873&z=15

ケトルバレー蒸気鉄道 Kettle Valley Steam Railway
KVRのルート中、フォールダーFaulder~トラウトクリーク橋 Trout Creek Bridge 間16kmだけは線路が残されている。場所は、オカナガン湖 Lake Okanagan の南西岸にあるサマーランド Summerland の町の裏手で、トラウトクリーク Trout Creek(鱒の小川の意)の谷を下りてきた線路が湖岸の高台(段丘)に出ようとするところだ。ここでは1999年から蒸機牽引の観光列車が運行されている。公式サイトによれば、5~10月の間、週末を中心に1日2往復していて、所要時間は90分。ほかに、電飾を施したクリスマス列車や、悪名高い地元ギャングに列車が乗っ取られる「大列車強盗 Great Train Robberies」のような特別企画もある。

図4
Blog_kettlevalley_map6
グリッド1km間隔、標高データはm単位(図5も同じ)

Blog_kettlevalley1 実際に走るのは、保存鉄道の拠点として設けられたプレーリーヴァレー Prairie Valley 駅とトラウトクリーク橋(リーフレットではキャニオンヴュー Canyon View 駅と紹介されている)の間約10kmだ。トラウトクリーク橋は、同名の川が刻んだ峡谷をアプローチトレッスルと上路トラスで跨ぐもので、長さ619フィート(189m)、高さ238フィート(73m)、KVRではもちろん最大規模だった。1912年の完成当時はトレッスル部が木製だったが、1927~28年に鋼鉄製に改修されている。観光列車は、オカナガン湖を遠くに眺める橋の上で停車して、折返す。なぜなら、橋の南詰めより先は、もはや線路が外されてしまっているからだ。

■参考サイト
ケトルバレー蒸気鉄道  http://www.kettlevalleyrail.org/
(右写真はリーフレット表紙)
トラウトクリーク橋付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.5657,-119.6543&z=16
トラウトクリーク橋の写真
http://wikitravel.org/upload/en/1/15/Trout_creek_trestle.jpg

オカナガン湖東岸の3段ループ Triple Loops, East of Okanagan Lake
オカナガン湖南端(湖尻)のペンティクトン Penticton を出ると、コキーハラに匹敵する難所であるカーミ区間 Carmi Division に入る。ペンティクトンは標高350m程度だが、オカナガン山 Okanagan Mountain 東側の鞍部にあるシュート湖 Chute Lake は、標高1200mに近い。KVRは、勾配を2.2%に抑えるために、湖の東側の山腹に3段の大規模なループ(下注)を構えて高度を稼ぐ。下部の折返しはオープンだが、上部のそれはトンネルを介している。アドラトンネル Adra Tunnel というこのトンネルは、長さ約500mに過ぎないが、KVRでは最長だ。いや、これほどの山越え路線に500m以上のトンネルがないこと自体が、驚異的というべきか。

地図からも想像されるように、現役当時、この区間は、木間隠れに山と湖の壮大なパノラマが開ける随一の絶景区間だった。よく紹介されるのは、通称「リトルトンネル Little Tunnel」からの展望だ(地図に展望地の印をつけておいた)。現在はトレールに転用され、後述するマイラ峡谷とともにサイクリストに人気が高いが、アドラトンネルは内部崩壊のため通行止めとされ、手前に短絡路が設けてある。

*注 ループ Loop は、勾配緩和などのために大きく引き回した線形(あるいは環状線)をいう。日本でいうループ線は、欧米ではスパイラル Spiral と呼ぶ。

図5
Blog_kettlevalley_map7

■参考サイト
ループ下部折返し(グレンファーGlenfir付近)のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.6614,-119.6028&z=16

マイラ峡谷 Myra Canyon
シュート湖の5km先で線路は峠に達するが、そこから距離にして約50kmは標高1200m台の高原を延々と走り続ける。地形的には、ケローナ Kelowna の南に陣取るリトルホワイト山 Little White Mountain の肩あたりに位置する。山塊にはいく筋かの峡谷が刻まれていて、中でもマイラ峡谷 Myra Canyon は際立って広く深い。KVRは上流へ大きく迂回しながら、木製トレッスル18か所(うち2か所は1929年に鉄製に改修)と短いトンネル2本を連ねて、これを渡り切る。要した木材は貨車25台分にのぼり、主任技師マカロック自身「これほどの山腹に建設された鉄道は見たことがない」と回想したほどだった。鉄製に改修されたトレッスルは、東側の6号が長さ220m、高さ55m、西側の9号が長さ111m、高さ48mと見ごたえのある規模だ。

ちなみにマイラ Myra というのは峡谷の東縁にあった駅名だが、由来は技師の娘の名前だそうだ。また、マイラの西隣の駅ルース Ruth はマカロックの娘の名、同じく東隣の駅はずばりマカロック McCulloch と命名されている。

図6
Blog_kettlevalley_map8
グリッド1km間隔、標高データはm単位、ただし下部はフィート単位の地形図を接続

Blog_kettlevalley21980年の線路撤去後、この区間も橋ごとトレールに整備され、爽快な谷渡りが楽しめると評判をとった。ところが、2003年の夏に一帯で落雷による山火事が発生し、12か所の木製トレッスルが焼失、鉄製トレッスルも路面の損壊を蒙ってしまった。被害の様子は、マイラ峡谷トレッスル修復協会のサイト(下記参考サイト)で確認できるが、夏は高温で乾燥する地域とあって、木橋の火の回りも速かったようだ。しかし、2008年までにすべて以前の姿に復元され、新たに沿線の切通しの安全策も講じられて、通行できるようになった。州南部を一つに結んだケトルバレー鉄道を思い起こさせる最大の遺構として、これからも自然に親しむ人々を迎えてくれるに違いない。

■参考サイト
BCパークス-マイラ・ベルヴュー州立公園 Myra-Bellevue Provincial Park
http://www.env.gov.bc.ca/bcparks/explore/parkpgs/myra/
マイラ峡谷のトレッスル群の写真集
http://castanet.firewatch.net/firepics2/firepics2/KVR - Myra Canyon/Before the fire/Summer/
マイラ峡谷6号トレッスル付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=49.7757,-119.3235&z=16
マイラ峡谷トレッスル修復協会 Myra Canyon Trestle Restoration Society
http://www.myratrestles.com/
(右写真はリーフレット表紙)
マイラ峡谷の路線図(PDF)
http://www.myratrestles.com/images/pdf/kvr_map-03.pdf

本稿は、Dan and Sandra Langford "Cycling the Kettle Valley Railway" Third Edition, Rocky Mountain Books, 2002、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Kettle Valley Railway, Kettle Valley Rail Trail)を参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM9_10 Vancouver, NM11 Kootenay Lake, 1:50,000 地形図82E/11, 82E/12, 82E/14, 92H/6, 92H/9, 92H/10, 92H/15(いずれもGeoGratis - Scanned Mapsからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

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 カナダ ケトルバレー鉄道 I-歴史

2011年2月17日 (木)

カナダ ケトルバレー鉄道 I-歴史

Blog_kettlevalley_map1鉄道の誕生にはさまざまな必然性が絡んでいる。地形に逆らって直線的に引かれた国境線がなければ、ケトルバレー鉄道はおそらく現れなかったに違いない。

ケトルバレー鉄道 Kettle Valley Railway(KVR、下注)とは、カナダ、ブリティッシュコロンビア州の南部で路線網を巡らせていた鉄道会社だ。本線と呼ぶべきものは、カナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway (CPR) のホープ Hope とスペンシズブリッジ Spences Bridge で分岐して東へ進み、ミッドウェーまでの約530kmで、1915~16年に全通した。後にCPRが運営を引き継ぎ、クローズネスト峠 Crowsnest Pass を経由する南部本線 Southern Mainline の一部を構成したが、1989年に全廃されてしまった。

*注 本記事内では、表記をケトル「ヴァ」レーではなく「バ」レーに統一した。

筆者がKVRに注目したのは、そのルートが常識では考えられないような山あり谷ありの連続だったからだ。下の地図をご覧いただきたい。KVRのルートを赤の実線で示してある。

Blog_kettlevalley_map2
図中1~6の詳細図は次回掲載

図の左下にフレーザー川に面したホープ Hope の町(標高41m)がある。ここを発した鉄道は、険しい山肌を縫いながらコキーハラ峠 Coquihalla Pass(地形図による付近の標高点1104m)に上り詰める。北方のスペンシズブリッジ Spences Bridge からやってきた線路(下注)に合流し、その直後のブルックミア Brookmere でも別の分水界(同961m)を横断する。いったんプリンストン(同638m)まで降りるものの、川の流れに逆らって再び山へと向かっている(サミットは同1098m)。

オカナガン湖畔のペンティクトン Penticton(同343m)は沿線の中心都市だが、線路は湖岸に沿いもせず、ヘアピンカーブを繰り返しながら、またも山腹を上っていく。ケローナ Kelowna 南方に居座る山塊を、巻くようにして通過するあたりに、全線の最高地点(1274m)がある。ここで針路を南に変え、社名の由来であるケトル川の谷(ケトルバレー Kettle Valley)に入って、ようやく終点ミッドウェー Midway(同584m)に達する。

このようにKVRは、蒸気機関車の時代に4回の大きな峠越えをこなし、高度差も1200mに及ぶ名うての山岳路線だった。完成した時に、それまでで最も費用のかかった鉄道と評されたのも道理だ。これほど険しいルートを採用してまで、何のために鉄道を建設する必要があったのだろうか。その経緯を探ってみたい。

KVR計画はそもそも、西海岸の港バンクーバーへ通じるカナディアン・パシフィック鉄道(CPR)が州の南部を経由しなかったという事実に端を発する。1885年に開通したCPRは、経路をより南に寄せるため、予定のイエローヘッド峠を退けキッキングホース峠を選んだのだが、それでも国境に近い地方からはかなり遠かった。

一帯は、鉱山開発のブームに沸いていた。両国国境の西半分は北緯49度線上で人為的に定められたもので、自然地形は一切考慮されていない。鉱脈は国境に関係なく広がっていたし、州南部は合衆国ワシントン州と同じコロンビア川 Columbia River の流域で、地勢はむしろ合衆国側へ開けていた。ノーザン・パシフィック鉄道 Northern Pacific Railroad(NP)やグレート・ノーザン鉄道 Great Northern Railway(GN)といった合衆国の鉄道会社は、当然のように自社の線路を越境させ、資源や生産物を南へ運び出していた。KVRに向けられた期待は、内陸部と海港を短絡する輸送路を整備して、こうした外資による蚕食から自国の利益を保護しようという動向を反映したものだった。

KVRの路線で最初に開通したのは、西側のスペンシズブリッジ~メリット Merritt ~ニコラ Nicola 間で、1907年のことだ。ニコラ・カムループス・アンド・シミルカメーン鉄道 Nicola, Kamloops and Similkameen Railway の免許(1891年認可)を利用して、ニコラで産する石炭を運搬する目的で造られたが、建設資金を提供したのはCPRで、実質的にその支線だった。一方、東側では、CPRの子会社となったコロンビア・ウェスタン鉄道 Columbia and Western Railway が、1900年にミッドウェーまで路線を延ばしていた。コロンビア・ウェスタンは、プレーリー(大草原)へ延びるCPRのクローズネスト峠線に連絡している。

CPRは、離れた2点をつないで南部本線を形成することを構想した。CPRが焦る理由はほかでもない。すでに合衆国側からグレート・ノーザンの子会社が、カナダ西海岸を目指して線路をじわじわと延ばしつつあったからだ。その名に意図があからさまなバンクーバー・ヴィクトリア・アンド・イースタン鉄道 Vancouver, Victoria and Eastern Railway(VV&E)は、1909年にプリンストンまで達している。対して、2点間すなわちメリット~ミッドウェーを連結するケトルバレー鉄道(KVR)の工事は、1910年に始まった。

ここでもう一度地図(上図)をご覧いただきたい。赤の実線がKVRのルート、その南に黒い旗竿線で描いたのがライバルのVV&Eだ。両者ともプリンストン Princeton とミッドウェー Midway を経由地にしていて、熾烈な競合関係を演じていたことが想像できる。国境を無視して合理的な経路を採用したVV&Eに比べて、後発のKVRはルートの大回りが目立ち、特にミッドウェーからペンティクトン Penticton までのいわゆるカーミ区間 Carmi Division は極端だ。

単にケトル川の谷筋からオカナガン川流域に出るのなら、既存のVV&Eに並行しながらオソイヨーズ Osoyoos を通る案もあり得たと思う。そうではなくまっすぐ北上したのは、VV&Eの沿線を避けたというより、オカナガン北部をめざしながら途中で倒産した別の鉄道の復活を、同時に夢見ていた可能性がある。それはミッドウェー・アンド・ヴァーノン鉄道 Midway and Vernon Railway といい、名の通り、ミッドウェーとオカナガン湖岸のヴァーノン Vernon を結ぶものだった。KVRのミッドウェー~ロッククリーク Rock Creek 間4kmは、未完となった同鉄道の路盤を利用している。しかし、その夢は実現せずに終わった。

さて、プリンストンへ先回りしたVV&Eは、この先の線路建設にも着手していた。最短経路は狭く険しいコキーハラの峠道しかなく、KVRも追いかけるようにそのルートを申請した。競合問題は法廷までもつれ込んだものの、1911年の総選挙で自由党が敗北したのをきっかけに、案外あっさりと決着した。それは次のようないきさつだ。

当時、ウィルフリッド・ローリエ Wilfrid Laurier 首相率いる自由党は、合衆国との間で自由貿易協定を締結しようとしていた。対立する保守党は、このままではカナダが合衆国に吸収されかねないと主張した。基本政策の賛否を問う選挙で、有権者は後者を支持したのだ。

自由党の下野は、VV&Eとグレートノーザンにとっても敗北を意味するものだった。なぜなら、保護主義回帰で規制が強化されれば、国際輸送で大きな利益は見込めず、投資を回収するめどが立たなくなる。両者は話合いのテーブルに就き、1913年にコキーハラ協定 Coquihalla Agreement が交わされた。協定で、VV&Eが敷設済みの区間はKVRが使用権を獲得し、未着手の区間はKVRが建設して、VV&Eは一定の使用料を払って線路を使うことになった。

懸案が解決したことで、工事のペースは速まった。1915年、ミッドウェー~メリット間が開業して、KVRに最初の旅客列車が走った。翌1916年には、コキーハラ峠を経由するブローディ Brodie ~ホープ Hope 間の短絡線も開通し、CPR本線に連絡を果たした。海岸と内陸を直結するという鉄道の目的からして、以後こちらが主たるルートになったことは言うまでもない。

KVRを介して南部本線が全通したことによる恩恵は、ブリティッシュコロンビア州南部にとどまらず、バンクーバーの港に農産物を送り出すプレーリー諸州も等しく享受した。東西間を結ぶ急行列車が設定され、北回りの本線以上によく利用されたし、本線が自然災害で不通になった折りには有用な代替ルートとなった。ただし、実際にケトルバレー鉄道と名乗った期間は長くなく、1931年初めにCPRが事業を継承して、南部本線の運営は一体化されている。

1949年に、鉄道に並行するクローズネストハイウェー Crowsnest Highway が開通すると、それを境として、地域における鉄道の優位性は自動車交通に奪われていく。しかし路線の運命にとどめを刺したのは、1959年の冬にコキーハラ峠越えの線路を襲った雪崩のほうだった。カスケード山脈 Cascade Mountains は年間積雪量が4mを越える豪雪地帯で、急斜面を削って建設された線路はしばしば雪崩や土砂崩れに見舞われていた。線路の大規模な流失で運行休止を余儀なくされた同区間は、復旧の手が加えられないまま、1961年に廃止の宣告を受けた。

これがある種の引き金になったことは否定できないだろう。スペンシズブリッジ経由の迂回線で運行が続けられたものの、線内の旅客列車は、利用者の減少により1964年に姿を消した。次の撤退は、コキーハラに次ぐ険しい山越えのあるミッドウェー~ペンティクトン間で、1973年に運行休止、1978年に廃止となり、これで東西の連絡が絶たれた。旧KVRで最後まで残されていたのは、1930年に開通した支線上にあるオカナガンフォールズ Okanagan Falls から、ペンティクトン、プリンストンを経てスペンシズブリッジまでの線路だった。しかし、同区間に設定されていた貨物列車も、ついに1989年限りで見納めとなった。

KVRは過去帳入りし、線路もすっかり撤去されてしまった。しかし幸いにも、路床の大部分がハイカーやサイクリストのためのケトルバレー・レールトレール Kettle Valley Rail Trail に転用されたため、今も廃線跡をたどるのは容易だ。また、ペンティクトン近郊の一部区間だけは、蒸機牽引の保存鉄道(ケトルバレー蒸気鉄道 Kettle Valley Steam Railway)として運営され、訪問客に往年の雄姿を伝えている。

CPRのクローズネスト峠越えに劣らず、山中を果敢に切り開いたKVRのルートには、見るべき遺構が点在する。次回、保存鉄道を含めてそうした名所をいくつか訪れることにしたい。

本稿は、下記ウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Kettle Valley Railway, Kettle Valley Rail Trail, Columbia and Western Railway)を参照して記述した。地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM9_10 Vancouver, NM11 Kootenay Lake(いずれもGeoGratis - Scanned Mapsからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

■参考サイト
ケトルバレー鉄道路線図(概略) http://www.kettlevalleyrailway.ca/map.html
ケトルバレー蒸気鉄道 Kettle Valley Steam Railway
http://www.kettlevalleyrail.org/
ケトルバレー鉄道(資料集)
http://www.hectorturner.com/kettlevalley/
BC州における初期のCPR(資料集)The Early Years of the CPR in BC
http://canyon.alanmacek.com/index.php/Canadian_Pacific_Railway_in_British_Columbia
ケトルバレー鉄道のサイクリングCycling the Kettle Valley Railway
http://www.kettlevalleyrailway.ca/

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 カナダ ケトルバレー鉄道 II-見どころ

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 カナディアンロッキーを越えた鉄道-イエローヘッド峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る

2011年2月10日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-クローズネスト峠

Blog_crowsnestpass_map1 鉄道が横断するカナディアンロッキーの峠道の中で、最も南にあるのがクローズネスト峠 Crowsnest Pass だ。標高は1357mでイエローヘッド峠を上回るが、東側から緩い坂道で到達できる点は変わらない。そしてここは、穀倉地帯のプレーリー(大草原)と、豊かな鉱脈が眠るブリティッシュコロンビア州南東部を結ぶ最短の通路だった。

カナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway(CPR)が敷いた路線は、かつて南部本線 Southern Mainline あるいは第二本線 Second Mainline と言われて、バンクーバーからの長距離便の主要経路になった時代もある。旅客列車が全廃されたため、現代の旅行者にはなじみがないが、CPRは今も路線の東半分を維持していて、沿線には特筆すべき鉄道構築物が存在している。今回は、クローズネスト峠とその周辺を、地図とともに訪ねてみよう。

全体図
Blog_crowsnestpass_map2

キッキングホース峠経由のCPR本線と異なり、南部本線は一気に完成されたわけではない。ルーツは1885年、CPR本線のダンモア Dunmore(アルバータ州南東部メディシンハットMedicine Hat東郊)から分岐して西へ、現在のレスブリッジ Lethbridge 近郊にある炭鉱まで敷かれた3フィート軌間の狭軌鉄道だ。レスブリッジ市街はこれ以降、鉄道駅の周りに形成されていく。ロッキー山脈の向こう側へ通じる第二の路線を検討していたCPRは、1893年にこの路線を借り受けて標準軌に改軌し、直通列車を走らせた(1897年に路線買収)。

連邦政府との間で、農産物の運賃を低く固定する代わりに建設費の国庫補助を引き出す、いわゆる「クローズネスト峠協定 Crow's Nest Pass Agreement」が1897年に結ばれると、いよいよ峠を越えて、水運と接続できるクートネー湖 Kootenay Lake 南岸までの路線建設が開始される。レスブリッジ~クートネー桟橋 Kootenay Landing 間、325マイル(523km、下注)は1898年に開通した。埠頭からは船で湖上を走り、ネルソン Nelson に上陸する。そこで、1891年に開通済みのコロンビア・アンド・クートネー鉄道 Columbia and Kootenay Railway(実際はCPRがリースしていた)に接続し、コロンビア川と出会うキャスルガー Castlegar(書類上は対岸のロブソンRobson)へと続いていた。

この時点でレールが途切れていたクートネー桟橋~ネルソン間のうち、ネルソン~プロクターProcter間は1901年に延長されたが、残るプロクター~クートネー桟橋間は、湖岸に山が迫る難所で、1931年初頭にようやく開通を果たした。

*注 「アルバータ鉄道地図帳」のサイトによる線路距離。290マイル(480km)としている資料もある。http://railways.library.ualberta.ca/Chapters-7-4/

図1
Blog_crowsnestpass_map3
レスブリッジ市街と鉄橋(1:50,000地形図)
グリッド(方眼)1km間隔、標高データはm単位

南部本線の見どころの最たるものは、レスブリッジ駅のすぐ西に架かる巨大な鉄橋だろう【図1】。平原をオールドマン川 Oldman River が刻んだ深くて広い谷を、軽々とまたいでいる。現地でハイレベルブリッジ High Level Bridge と呼ばれるトレッスル橋は、外観が山陰本線の旧 餘部鉄橋とそっくりで、建造時期も1909年と、餘部(1912年)とほぼ時期を同じくする。だが、長さは1624m(餘部は311m)、高さが95.7m(同41.5m)と、桁違いのスケールだ。

■参考サイト 
レスブリッジ鉄橋付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=49.6975,-112.8628&z=15
 地表に鉄橋の長い影が映っている
Flickr レスブリッジ鉄橋の写真
http://www.flickr.com/photos/amanda_white_photography/2978632960/
You Tube レスブリッジ鉄橋を渡る
http://www.youtube.com/watch?v=uAJR1M8-MRs
架橋100周年記念サイト  http://www.highlevelbridge.com/

一昨年(2009年)、現地で架橋100周年が祝われたとおり、鉄橋の完成は1909年になってからだ。では、全線開通(1898年)から11年の間、列車はどこを走っていたのだろうか。

図2
Blog_crowsnestpass_map4
旧線と新線の位置関係(1:250,000地形図)
標高データはフィート単位

上の地図を見ていただこう。赤の点線が旧線の位置を示している。レスブリッジから西のマクラウド(現 フォートマクラウド Fort Macleod)の間、現在線とは全く違うルートが採用された【図2】(下注)。2つの町とも、主流たるオールドマン川の右岸に立地しているから、本来、川を渡る必然性はないはずだ。その証拠に旧線はオールドマン川の谷を一度も横断していない。しかし問題は別のところにあった。南からこの川に合流する2つの支流、特に本流と同じ幅と深さの谷を作っている東側のセントマリー川 St. Mary River を、どのようにして渡るかだ。

*注 右図の旧線位置は下記「アルバータ鉄道地図帳」収載の路線図を参照した。このあたりは乾燥地域のため、平原に敷かれた線路の痕跡が、100年を経過してなお空中写真で確認できる。Mike Walker "SPV's Comprehensive Railroad Atlas of North America" Western Canada, SPV, 2006 p.38の地図にも旧線位置が示されているが、セントマリー横断後も終始、オールドマン本流の右岸に沿うように描かれており、明らかに誤りだ。

図3
Blog_crowsnestpass_map5
セントマリー川付近の旧線(1:50,000地形図)
標高データはm単位

結論として旧線は、スイッチバックを避けるため、東方に移設したレスブリッジ駅から南下し、本流の谷の南斜面を降りる。そして低い位置でセントマリーを渡り終え、再び斜面を上って大平原に出るという方法を選択した【図3】。線路がたどろうとした斜面は、長年の浸食により無数の大きなひだ(涸れ谷、クーリー Coolee)を生じている。これを深い切通しと木製トレッスルの連続でこなし、セントマリーも長さ894m、高さ20mの気の遠くなるような大トレッスルを組んで横断した。当時の写真から、新鉄橋にも劣らない大規模な構築物のようすを想像していただきたい。

■参考サイト
セントマリー川南岸に連続するトレッスルと切通しの写真
http://www.crowsnest.bc.ca/images/1ma260.jpg
セントマリー橋の写真(東北望) http://www.crowsnest.bc.ca/images/1ma253.jpg

これほどの大工事にもかかわらず、わずか11年で旧線が放棄された理由はいくつかある。1.2%の坂道とカーブの連続で、早々に運行上のボトルネックとなっていたこと、乾燥した峡谷では野火が発生する危険があり、保線に注意を要したこと、さらに工事に間に合わせようと生木を多く使ったため、トレッスルの劣化が早かったことだ。トレッスルを取り換えるだけでは運行状況が改善せず、まったくの新線を造るほうが費用対効果の点で優れていると考えられた。当時、国中が好景気に浴していたことも決定に力を貸しただろう。

新線は駅からそのまま西へ向かい、いきなり本流の谷の上空に躍り出る。ハイレベルブリッジは一直線だが、0.4%の上り勾配がついている。空中散歩を終えると、しばらく平原を突き進み、再びオールドマン川を長さ579m、高さ44.5mの鉄橋で渡ってマクラウドに至る。新線は勾配、曲線とも最小限に抑えられ、路線長自体8.5kmの短縮になったという。

図4
Blog_crowsnestpass_map6
クローズネスト峠付近の1:50,000地形図
グリッド1km間隔、標高データはフィート単位(図5も同じ)

さて、レスブリッジから先へ進もう。170kmほど西に行くと、クローズネスト峠が現れる【図4】。峠の廊下は例によってほとんど勾配がついていないが、仲良く並ぶ3つの小さな湖のうち、東の2つ、クローズネスト湖 Crowsnest Lake とアイランド湖 Island Lake から出た川はハドソン湾側へ、西の1つ、サミット湖 Summit Lake からは正反対の太平洋側に流れていく。列車は、大陸分水界をまたいで、いよいよブリティッシュコロンビア州に足を踏み入れる。

峠の西側には、勾配を制限内に収めるための特徴的な長いループが控えている。線路はここで突然南へ向きを変える。ミシェルクリーク Michel Creek の谷の東斜面を約3km逆行してから、180度回転して北へ向かう。設計者の名を取ってマッギリヴレー・ループ McGillivray Loop と呼ばれる迂回路は、両端の標高点で見て272フィート(83m)の高度をかせいでいる。Googleの空中写真(下記参考サイト)では、ループの上端にあるきれいな半円カーブを走行中の貨物列車が写っている。設計ではこの尾根をトンネルで抜ける予定だったが、地質が非常に悪く、大回りのルートに切替えられた。1901年に再度トンネル化が図られたものの、1948年に現在のオープンカット方式に戻されたという経緯がある。

■参考サイト
マッギリヴレー・ループの当時の写真  http://www.crowsnest.bc.ca/loop.html
 右上にループの上路と列車が、左下に下路が見える。
クローズネスト峠西方ループ付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=49.6643,-114.7703&z=16

図5
Blog_crowsnestpass_map7
クートネー桟橋付近の1:50,000地形図

最後に、開通から30年以上も線路の終点であったクートネー桟橋 Kootenay Landing を見ておきたい【図5】。ここはクートネー湖の南端で、ロッキー山脈を発したクートネー川が南から流れ込み、湖面とも陸ともつかない浅瀬が一面に広がる場所だ。鉄道は東の山裾から、谷に対してほぼ直角に設けた長大なトレッスルでこの平地を思い切りよく横断した。そのようすが古い写真に残されている(下記参考サイト)。

川の流入口には、汽船と連絡する桟橋駅が設けられたが、遠浅のため、乗換え用の桟橋は沖まで長く伸ばさなければならなかった。後に、横断部は土の堤防に置き換えられ、全線開通に際して、駅も廃止された。クートネー川を渡る部分はトラス橋とされ、河川航行を妨げないように中央部は可動式(昇開橋)で造られた。貨客が行き交い、多忙を極めたはずの駅跡では、一部の杭材が今も朽ちるままに残されている。

■参考サイト
桟橋に向かう当時のトレッスルの写真  http://www.crowsnest.bc.ca/c_00578.html
可動橋および湖岸に残る杭材の写真  http://www.crowsnest.bc.ca/crowtoday04.html
旧 クートネー桟橋付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=49.2528,-116.6788&z=15

以上見てきた東部本線の東側では、貨物専用ながら現在も列車が日夜行き交っている。その一方、西側については廃止の後、レールも剥されてしまった。だがここでも興味をそそる遺構がいくつかあって、カナダ屈指の山越えルートだった当時をしのぶことができる。次回はそのケトルバレー鉄道 Kettle Valley Railway の話をしよう。

本稿は、下記ウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Canadian Pacific Railway in BC, Lethbridge Viaduct, Crowsnest Pass)を参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM11 Kootenay Lake, NM12 Lethbridge、1:250,000地形図 82H Lethbridge、1:50,000地形図 82F/2, 82F/7, 82G/10, 82H/10(いずれもGeoGratis - Scanned Mapsからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

■参考サイト
「アルバータ鉄道地図帳 Atlas of Alberta Railways」クローズネスト線 The Crow’s Nest Line
http://railways.library.ualberta.ca/Chapters-7-4/
同 クローズネスト線の建設 Building the Crow’s Nest Pass Line
http://railways.library.ualberta.ca/Excerpts-7-4-2/
クローズネスト峠線の詳細な路線図(画像への直接リンク)
http://railways.library.ualberta.ca/Images/Maps/CrowsnestPass.jpg
クローズネスト峠鉄道ルート The Crowsnest Pass Railway Route
http://www.crowsnest.bc.ca/
 同線の過去と現在に関する詳細な記述とともに、写真、路線図等を含む。

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2011年2月 3日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る

Blog_fraserriver_map1 カナディアン・ノーザン鉄道 Canadian Northern Railway (CNoR) が建設した線路(下注)は、広いロッキー山脈峡谷 Rocky Mountain Trench に出たとたん、南に針路を変える。この後、北西のプリンスジョージ Prince George へ大回りするフレーザー川を見送って、自らは近道をするのだ。川のお供をグランド・トランク・パシフィック(GTPR)に譲り、CNoRの列車は、支流トンプソン川 Thompson River の谷へ入っていく。

*注 現在はCNoR、GTPRとも、カナディアン・ナショナル鉄道 Canadian National Railways (CN) によって運営されているが、以下の記述では旧称で通す。

だが、CNoRの一人旅は、途中のカムループス Kamloops の町までだ。その先、今度は、ロジャーズ峠を越えてきた大陸横断の先駆者、カナディアン・パシフィック鉄道(CPR)と絡み合うことになるからだ。線路が統合されたイエローヘッド峠とは違い、この競合区間は現在も残っている(下図)。カナディアン号 The Canadian で通る場合は、東行、西行とも夜中の走行となってしまうのが残念だが、沿線には興味深い個所もあるので、少し触れておこう。

全体図
Blog_fraserriver_map2

川下りに際して、CNoRが採用したルート設定方針は明確に読み取れる。すなわちそれは、可能な限りライバルの対岸を通るということだ。CPRが左岸(河口に向かって左側の岸)に陣取っていれば、新参のCNoRは右岸に回る。この原則は、双方共通の目的地であるバンクーバーに入るまで、終始一貫している。狭い谷あいでは、列車が運行されている線路の傍らで安易に工事の発破をかけるわけにいかないから、このような配置になったのだろう。

ただし、400kmを越える並走の間で、原則を崩す場所が4か所だけある。いずれの場合もCNoRのほうから川を渡ってきて、一定距離、CPR線の傍らに寄り添う。極端なのは、カムループスから70kmほど下ったアシュクロフト Ashcroft の東【図1】で、左岸に移ったかと思うとすぐに右岸に戻ってしまう。この間、1km強しかない。工費のかさむ鉄橋を構えてまでそうする理由は、地形図や空中写真を読めば推測できる。CNoRの本来の陣地である右岸に、険しい崖(下注)が迫っているのだ。前後2か所の「寄り添い」も同じような構図になっている。

*注 地図では崖の記号が使用されておらず、等高線の混み方で判断するしかないので、空中写真も参照。

図1
Blog_fraserriver_map3
アシュクロフトの東 1:50,000地形図
グリッド(方眼)1km間隔、標高データはフィート単位(以下同じ)

図2
Blog_fraserriver_map4
リットン付近の1:50,000地形図

■参考サイト
アシュクロフト東部のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=50.7485,-121.2381&z=15

最後の1か所は、フレーザー川本流と再会するリットン Lytton の町【図2】にあるが、ここだけは地形が理由ではなさそうだ。図の左手からフレーザー川が合流するので、橋1本は必須なのだが、わざわざ岸を移動したのは、町あるいは河港のある側に線路を寄せたかったとしか考えられない。おかげで、鉄橋の取付け部に急曲線が生じ、線形はCPRに比べてかなり不利になってしまった。

図3
Blog_fraserriver_map5
シスコ・クロッシングの1:50,000地形図

さて、ここまで基本的にCPRが左岸、CNoRが右岸という配置が続いてきた。しかし、リットンの川下約10kmの地点で、ついに位置関係が逆転するときが来る。CPRが右岸に場所を変えるため、CNoRはその直前で、フレーザー川とCPRの線路をアーチ橋で一気にまたいで、左岸に出るのだ。鉄橋が2本重なるこの場所【図3】は、地名からシスコ・クロッシング Cisco Crossing と呼ばれ、鉄道写真の絶好の被写体になっている。列車運行が時刻どおりとはいかない中で、YouTubeには、鉄橋を渡るCNoR(CN)上の車窓から、真下を通過するCPRの貨物列車をとらえた、千載一遇の映像も投稿されている。

■参考サイト
シスコ・クロッシング付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=50.1496,-121.5793&z=16
Wikimedia シスコ・クロッシングの写真
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Canadian_Pacific_Railway_train_crossing_Fraser_River_on_Cisco_bridge_at_Siska,_British_Columbia_(2010-Jun-13).jpg
You Tube シスコ・クロッシングにおける列車同士の交差
Rocky Mountaineer CN Railway Cisco Crossing British Columbia
http://www.youtube.com/watch?v=Qyo6gsfGTCM

図4
Blog_fraserriver_map6
地獄の門付近の1:50,000地形図

最後の見どころは、近辺の観光名所にもなっているヘルズゲート Hell's Gate、すなわち地獄の門だ【図4】。左岸の高みを通過するトランスカナダハイウェー(1号線)から対岸にあるCPRの線路際まで、観光用のロープウェー(下注)が架けられている。ここは、リットン~イェール Yale 間のフレーザー峡谷が最も狭まる地点に当たり、両側の岩壁がせり出して35mの幅しかない水路に、ロッキー山脈などを源とする豊かな水量が殺到する。

*注 エアトラム Air Tram と称する。地図では Aerial Cableway と表記。

地獄の門がとりわけ有名になったのは、1914年に行われたCNoR線の建設工事が原因だ。鉄道の路盤を造るために、切り立った左岸に発破をしかけたところ、予期せぬ大規模な崩壊が起きた。多量の岩石が直下の川を埋め、狭い川幅がさらに狭められた結果、流れに6m以上の滝のような落差が生じてしまった。

この災害は、思わぬところに影響をもたらした。次の夏、地獄の門から上流で、遡行するサケの姿がほとんど消えてしまったのだ。沿岸漁業への打撃を懸念した連邦政府と州政府は、掘削と爆破によって川を開こうとしたが、川底に沈んだ岩を取り除かない限り、問題は解決しそうになかった。調査検討の結果、難所を迂回する人工魚道が有効ということになり、1944年から設置工事が開始された。その後、水位に応じて数段の魚道が継続的に整備されていき、ようやくサケはもとの産卵場所に到達できるようになったという。地図にも Fish Ladder という注記が見える。

■参考サイト
フレーザー川の魚道構造物 Fish Passage Structures on the Fraser River
http://www.saxvik.ca/
地獄の門付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=49.7799,-121.4495&z=16

現在この並行区間は、所有会社がCPRとCNに分かれている。しかし、両社が方向別に共用することで、事実上複線として扱われているようだ。日本の例で言うと、名鉄名古屋本線・JR飯田線の豊橋~平井信号所間のようなものだろう。地図資料(下注)から読み取る限り、その区間はアシュクロフトの南方に位置するバスクジャンクション Basque Junction(東から数えて3番目の「寄り添い」区間内)からバンクーバー都市圏までで、CPR線が東行、CN(旧CNoR)線が西行となっている。カナディアン号やロッキーマウンテニア号などの旅客列車も例外ではない。CNoRの壮大な構想は泡と消えてしまったが、少なくともイエローヘッド峠の西側では、夢の跡を今も列車でたどることができるのだ。

*注 Mike Walker "SPV's Comprehensive Railroad Atlas of North America" Western Canada, SPV, 2006 p59, p65, p71の地図。

本稿は、下記ウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Hell's Gate, British Columbia)を参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM9_10 Vancouver、1:50,000地形図 92H/11, 92H/14, 92I/4, 92I/11, 92I/14(いずれもGeoGratis - Scanned Mapsからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

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