« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月27日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-イエローヘッド峠

Blog_yellowheadpass_map1 カナダ最初の大陸横断鉄道となったカナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway (CPR) は、市場から離れ、遠回りになるとして、最終的にイエローヘッド峠 Yellowhead Pass を選ばなかった。峠に列車が通るようになるのは、CPRの開通後30年近く経ってからのことだ。

20世紀に入って、大草原(プレーリー)の開発がより北方へと進展すると、CPRの本線からはずれた地域をつなぐ路線の建設が切望されるようになった。これらの地域から太平洋に出るには、イエローヘッド峠が最短の経路だ。好景気を反映して、峠には2本の鉄道が競合するように建設された。プリンスルパート Prince Rupert の港をめざすグランド・トランク・パシフィック鉄道 Grand Trunk Pacific Railway (GTPR)、そしてバンクーバーへ向かうカナディアン・ノーザン鉄道 Canadian Northern Railway (CNoR) だ。前者は1911年に峠まで線路を延ばし、1914年に全線開通した。後者は少し遅れて1913年に峠に達し、1915年に全通した。

Blog_canadianrockies_railway_map
カナディアンロッキーを越えた鉄道 路線図
緑線がGTPR、青線がCNoR

カナディアンロッキーを越えるイエローヘッド峠は標高1133m、リゾート都市ジャスパー Jasper から西へ24kmの地点にある。その名は、ハドソン湾会社の探検隊を峠に案内したメティ Métis(原住民とヨーロッパ人の混血)の猟師にちなんでいる。彼は金髪で、隊員からテト・ジョーヌ Tête Jaune(黄色い頭を意味するフランス語)と呼ばれていた。

大陸分水界をなすとはいえ、ジャスパーの町と峠との標高差は70m程度しかない。ハイウェーを飛ばすドライバーは、案内標識を見ない限り、ほとんど意識することもなく通過するだろう。一方、峠の西側は、バンクーバーに流れ下るフレーザー川 Fraser River の最上流域に当たっている。途中、広いロッキー山脈峡谷 Rocky Mountain Trench に出るまで約80kmの間に、川は370mの高度差をゆっくりと下降していく。地形は開放的なU字谷で、勾配も許容限度に収まり、鉄道の通過に最も適したルートであったことに間違いない。

下の地形図をご覧いただこう。右端にイエローヘッド峠がある。峠を斜めに横切る太い破線は、ブリティッシュコロンビア州(左側)とアルバータ州の境界で、同時に大陸分水界をも意味する。ここからおよそ西向きに延びる廊下のような谷が自然の通路で、中央に見えるムース湖 Moose Lake を経て、左端のロッキー山脈峡谷へ通じている。谷の北方には、カナディアンロッキーの最高峰ロブソン山 Mount Robson(標高3954m)が見える(図の中央左寄り上部、12972フィートの標高点あり)。線路はハイウェー(16号線)とともに、谷に忠実に沿って走るが、かつて敷かれた2社の線路のうち、ムース湖より東では片方が撤去されてしまい、今は存在しない。

Blog_yellowheadpass_map2
峠から西側の1:250,000地形図
グリッド(方眼)10km間隔、標高データはフィート単位

2社はどちらも、第一次大戦下の経営不振に苦しんだあげく、1918~19年に相次いで国有化されてしまった。そのことが路線の一本化を促進したように思えるが、実はそうではない。参戦中のイギリスが、自治政府に対して、フランスの前線で使用するレールの供出を求めたのが原因だ。要請に応じてカナダでは、1916年12月から順次、鉄道路線の整理統合 Consolidation が実行されることになった。ジャスパー周辺でも1917年から、重複区間約200マイル(320km)のレールがはがされていった。各社は撤去命令に従うより他なかったが、関係者の回想では、回収された資材のほとんどが大西洋を渡らないままに終わったそうだ。

GTPRとCNoR、どちらの線路が整理の対象とされたかは区間によって異なる。資料「アルバータ鉄道地図帳」(下記参考サイト)によれば、ジャスパー駅付近では、構内が広く整っていたGTPRの線路が残された。峠の前後は最初CNoR線が生かされたらしいが、1924年にGTPRが敷いた線路に切替えられて、そのまま現在に至っている。GTPRは連邦政府が建設の後ろ盾となっていて、線路規格が高かったことが選択の主な理由だろう。

Blog_yellowheadpass_map3
ジャスパー付近の1:50,000地形図
グリッド1km間隔、標高データはm単位

峠から西へ進むと、ムース湖の湖尻にあるレッドパスジャンクション Red Pass Junction で、線路が二手に分岐する(下図)。CNoRのほうが線路の位置はだいぶ高いものの、そのままつかず離れず30kmほども走り、ロッキー山脈峡谷に出るところでようやく北と南へ分かれていく。複線のようにも見える線路配置の不思議は、上の建設史を知れば納得できるはずだ。北側を走るのがもとGTPR、南側がCNoRの線路で、現在はどちらも後を継いだカナディアン・ナショナル鉄道 Canadian National Railway (CN) の所有となっている。

Blog_yellowheadpass_map4
レッドパス付近の1:50,000地形図
標高データは右下部のみm、他はフィート単位

トロントとバンクーバーを結ぶVIAレールの長距離旅客列車カナディアン号に乗れば、ちょうどこのあたりで最高峰ロブソン山の雄姿を拝むことができる。西海岸からジャスパーへ区間乗車する乗客にとっては、行路のハイライトとなるひとときだ。ただし、「雲の帽子をかぶる山 Cloud Cap Mountain」と称される雪山が実際に姿を現すかどうかは、きわめて運任せのことらしい。

本稿は、下記ウェブサイトを参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:250,000地形図 83D Canoe River, 83E Mount Robson、1:50,000地形図 82D/14, 82D/15, 83D/16, 83E/2, 83E/3(いずれもGeoGratis - Scanned Mapsからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

■参考サイト
アルバータ鉄道地図帳 Atlas of Alberta Railwaysのサイト http://railways.library.ualberta.ca/ に、イエローヘッド峠前後のGTPRとCNの路線整理状況図(画像)が収録されている。
http://railways.library.ualberta.ca/Maps-10-1-11/
Grand Trunk Pacific Railway, Canadian Northern Track Consolidation(画像への直接リンク)
http://railways.library.ualberta.ca/Images/Maps/GTPRCanadianNorthernTrackConsolidation.jpg
イエローヘッド峠付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=52.8923,-118.4621&z=13
カナダ公園管理局-イエローヘッド峠国定史跡
Parks Canada - Yellowhead Pass National Historic Site of Canada
http://www.pc.gc.ca/docs/v-g/pm-mp/lhn-nhs/yellowhead_e.asp

★本ブログ内の関連記事
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-序章
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-キッキングホース峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-ロジャーズ峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る

 カナダの鉄道地図 I
 カナダの鉄道地図 III-ウェブ版

2011年1月20日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-ロジャーズ峠

Blog_rogerspass_map1 西を目指す列車はキッキングホース峠の分水界を越えると、ゴールデン Golden で比較的広い谷に出る。ロッキー山脈峡谷 Rocky Mountain Trench と呼ばれる延長1600kmの大規模な断層谷で、中央をコロンビア川 Columbia River が悠々と流れている。しかし、それもつかの間、線路はキンバスケット湖 Kinbasket Lake(ダムによる堰止め湖)をかすめて、再び山間に入っていく。二つ目の峠、セルカーク山脈 Selkirk Mountains を越えるロジャーズ峠(ロジャーズ・パス)Rogers Pass へのアプローチだ。

馬に蹴られたキッキングホースと違い、ロジャーズの名は発見者の名字にちなんだもので、由来は一見平凡だ。ただ、次のような逸話が伝えられている。測量士A・B・ロジャーズ少佐は、設立間もないカナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway(CPR)に雇われ、その際、山脈を抜ける峠道を発見すれば5000ドルの報奨金と峠に彼の名をつけるという契約を取り交わした。2年越しの調査で、山並みの中に通路があることを確かめた彼に対して、会社はロジャーズ峠と命名し、約束どおり小切手を渡した。だが彼は、地図に名が刻まれたことに満足し、金が目的ではないと言って小切手を現金化せず、長い間自分の部屋の壁に飾っていたという。

彼の誉れとなったロジャーズ峠は、大陸の東西を結んだCPR本線にとって、ビッグヒルと並ぶ難所だった。その証拠に、峠には後年、列車運行を容易にするために2本の長大トンネルが掘られ、新しい方は北米最長の規模を誇っている。標高1332m(下注)と、先のキッキングホース峠に比べて300mも低い峠が、なぜ難所と呼ばれ続けたのか。開通時からの線路改良の歴史と合わせて見ていこう。

*注 カナダ官製1:50,000地形図データ Toporama の注記による。

Blog_kickinghorsepass_map4
3つの峠付近の1:1,000,000地形図

峠の周辺は、地形的に特徴がある。東側を南北に流れているビーヴァー川 Beaver River の谷は標高800~900m、それに対して峠の「廊下」は標高1300m前後と、かなりの高低差があるのだ。この段差は、かつて谷を埋めていた氷河の規模(下刻の圧力)の違いがもたらすものだが、勾配に弱い鉄道にとって、数百mの高低差は相当に挑戦的だ。実際、東側のアプローチは廊下の入口の15km以上も手前から始まり、2.2%の勾配で谷の東壁をじわじわと這い上がっていく。

途中、斜面を滑り落ちる深い渓流をまたぐために、大きな橋をいくつも架けなければならなかった。中でも被写体としてよく登場するのが、ストーニークリーク橋梁 Stoney Creek Bridge だ。オリジナルはトレッスル(木組みの橋)で建設当時、世界一高いと言われたが、列車の重量化に対応させるために1893年と1929年の2回架け替えられている。3代目は径間102.48m、谷底からの高さ90m(下注)の堂々たるアーチ鉄橋として、並走するトランスカナダハイウェー Trans-Canada Highway(1号線)からも目にすることができる。

*注 データはStructuae.deのサイトより
http://en.structurae.de/structures/data/index.cfm?id=s0007230

■参考サイト
ストーニークリーク橋梁の写真
Panoramio  http://www.panoramio.com/photo/4601565
Wikipedia  http://en.wikipedia.org/wiki/File:Eastbound_over_SCB.jpg

Blog_rogerspass_map2
峠付近の1:50,000地形図(縮小)。旧線と現在線の位置関係を示した

橋の南で、現在線から旧線(廃線跡)が分かれる。旧線はさらに上っていき、ビーヴァー川の支流で峠の方から流れ出すコノートクリーク Connaught Creek の谷へと入り込む。山が間近に迫るこの区間の最大の課題は、雪崩への対策だった。セルカーク山脈一帯は雪が深いため、急傾斜地はしばしば予期せぬ雪崩に見舞われ、工事段階からすでに犠牲者を出していた。開通の翌年に、線路を保護するスノーシェッド(雪覆い)の設置が追加され、その数は31か所、全長6.5kmにもなった。

しかし、夏にスノーシェッドは要らない。覆いの外側を迂回する線路が敷かれ、雪崩の危険がない季節は旅客列車をそちらに走らせて、氷河を望む雄大な山岳風景を乗客に提供した。峠にはホテルを建て、グレーシャーハウス Glacier House(氷河館)と名付けた。乗客はここで下車して食事をとることになっていて、列車は昼時に峠を通るよう設定されていたという。元来これは重い食堂車にビッグヒルをはじめとする急勾配を通過させないための措置だったが、氷河の見えるホテルはたちまち旅行者の人気を集め、やがて登山活動の拠点ともなった。

峠の西側も、東側ほどではないにしろ急な下り坂で、イルシルワト川 Illecillewaet River の谷につながっている。谷の下降に従えない線路は、まず東壁に沿って川の上流まで進み、180度回転して今度は南壁に張り付く。次のループブルック Loop Brook(ループ沢)と名付けられた支谷でも大きく南に回り込み、S字を描くようにもう半回転して、ようやく谷底に到達する。この巧妙な設定ルートの一部は、ロジャーズ峠上の一角とともに、現在、トレール(自然歩道)に指定されて、1号線からのアクセスも容易だ。

ちなみに地図資料(下注)によると、峠の駅は3度移転している(上図参照)。開業時の駅は峠のサミットに設けられたが、1899年2月に発生した雪崩の直撃を受け、壊滅してしまった。2番目の駅は危険な峠を避けて、東へ約3kmの位置に移された。しかし、勾配の途中で手狭だったのか、あるいはホテルへのアクセスの関係か、やがて現在のロジャーズ峠センター Rogers Pass Centre の場所に戻された。4番目、最後の移転は現場付近の線路の直線化に伴うもののようだ。

*注 Mike Walker "SPV's Comprehensive Railroad Atlas of North America" Western Canada, SPV, 2006 p.64の地図。

ロジャーズ峠最大の悲劇は、1910年3月4日に起こった。その夜、作業員がロータリー車とともに、西側の山から崩れて線路をふさいだ雪の山を片付けていたところ、反対側の斜面からまたも雪崩が作業現場を襲ったのだ。一度に62名が亡くなった痛ましい災害は、CPRに峠の線路を放棄する決断を促したとされる。

バイパスとなる長さ8,082mのコノートトンネル Connaught Tunnel は、運行本数の増加に対応できるよう複線の設計で、3年の工期を経て1916年に完成した。これにより、連続する雪覆いとS字のループ線を含む23.3kmが廃止され、自然との壮絶な闘いとともに、氷河を仰ぐ絶景の車窓も昔語りとなった。なお、トンネル内は1959年に単線に戻されている。車高の高い貨物列車に適応させるために、線路をトンネル断面の中央に敷き直したのだという。

最近の改良はさらに抜本的なものだ。1989年に完成した単線のマクドナルド山トンネル Mount Macdonald Tunnel で、長さは14,723mもある。通常西行きの列車がこちらを通り、東行きは従来のコノートトンネルを経由している。トンネルの東側では、既存線の下方に新線を延長することで、複線化だけでなく平均0.82%(最大1%)という勾配の緩和が実現された。こうして、バンクーバー港に向けた貨物列車は、ついに補機なしでロジャーズ峠を越えられるようになったのだ。

本稿は、下記ウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Rogers Pass, Connaught Tunnel等)を参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM-11 Kootenay Lake(1978年版印刷図)、1:50,000地形図82N/3, 82N/4, 82N/5, 82N/6(いずれもToporamaからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural Resources, Canada. All rights reserved.

■参考サイト
ロジャーズ峠付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=51.2999,-117.5187&z=13
セルカーク山脈を横断するロジャーズ峠の歴史(歴史と見どころを紹介している)
The History of the Rogers Pass crossing of the Selkirk Mountains of B.C. Canada by the Canadian Pacific Railway and later by the Trans-Canada Highway
http://cdnrail.railfan.net/RogersPass/RogersPasstext.htm
カナダ公園管理局-ロジャーズ峠国定史跡
Parks Canada - Rogers Pass National Historic Site of Canada
http://www.pc.gc.ca/docs/v-g/pm-mp/lhn-nhs/kickinghorse_e.asp

★本ブログ内の関連記事
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-序章
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-キッキングホース峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-イエローヘッド峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-クローズネス ト峠

 カナダの鉄道地図 I
 カナダの鉄道地図 III-ウェブ版

2011年1月13日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-キッキングホース峠

Blog_kickinghorsepass_map1 カナダ最初の大陸横断鉄道として、1885年に全通したカナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway (CPR) が選択した山越えルートは、距離こそ短いが、最も険しいルートだった。

カナディアンロッキーは南東~北西に連なる大陸分水嶺で、西斜面に降った雨水は太平洋に流れ下る。しかし、ロッキーの西側にも折り重なるように山地が控えている(下注)ため、川は行く手を阻まれ、相当な大回りを強いられる。鉄道のルートは、川の流れる谷に沿わせるのが勾配の点で望ましいが、距離がいたずらに延びるのは避けたい。結果、目標のフレーザーFraser川流域へ出るために、列車は3か所の峠を克服することを運命づけられた。東から順に、キッキングホース峠 Kicking Horse Pass(標高1627m)、ロジャーズ峠 Rogers Pass(同1332m)、イーグル峠 Eagle Pass(同550m)という。このうち今回は、ロッキーを越えるキッキングホース峠について、地図と照合しながら訪ねてみたい。

*注 総称コロンビア山地 Columbia Mountains、ただし、アメリカでは、コロンビア山地も「ロッキー山脈 Rocky Mountains」の一部としている。

Blog_kickinghorsepass_map4
3つの峠付近の1:1,000,000地形図

キッキングホース、「蹴る馬」とは面白い地名だ。なんでもこの名は、19世紀半ばに中西部の調査を行ったパリサー探検隊 Palliser Expedition の一員、地質学者で外科医のジェームズ・ヘクター James Hector が、このあたりで自分の馬に蹴られ、しばらく気を失ったことにちなんでいるそうだ。未開の昔はともかく、現在では、東のバンフ Banff から1号線(トランスカナダ・ハイウェー Trans-Canada Highway)に乗り、レイクルイーズLake Louiseで北上する93号線(アイスフィールド・パークウェー Icefields Parkway)を右へ分けると間もなく、大した坂道もないまま、あっけなく到達する。

Blog_kickinghorsepass_map2
峠付近の1:50,000地形図
グリッド(方眼)1km間隔、標高データはフィート単位

峠付近の地形図(上図)をご覧いただきたい。図の右端に峠の名が記されている。列車交換用の側線があるスティーブン Stephen 駅があり、傍らに Great Divide(大分水界)の注記も見える。ここが大陸の東西を分ける地点ということだ。ここより西側は太平洋斜面だが、東側の水は五大湖ではなく、ウィニペグ湖 Lake Winnipeg を経て北のハドソン湾 Hudson Bay に達する。峠は東西に延びる平坦なU字谷で、分水「嶺」のイメージには合わないかもしれない。

実は、ハイライトはこの先にある。馬に蹴られた当人の名を取ったヘクター Hector 駅(跡)で、線路の右側に小さなワプタ湖 Wapta Lake が現れる。ここから流れ出た川は見る見る渓流となり、ヨーホー川 Yoho River と合流するまで高さにして300m近く滑り落ちるのだ。線路はとても追随できないので、2か所のスパイラルトンネル(日本でいうループトンネル)を介して、Z字状に降りていく。

まず、カテドラル(キャシードラル)山 Cathedral Mountain の山腹に沿って南西へ進んだあと、上部トンネル Upper Spiral Tunnel の中で反時計方向に回転する。下記資料によれば、トンネルの長さは991m(3255フィート)、半径175m(曲線度数10度、下注)の急カーブで2/3周している。入口と出口の高低差は17mだ。今通った線路の真下に顔を出すと、進行方向は逆になる。ワプタ湖から落ちてきたキッキングホース川を渡って、オグデン山 Mt. Ogden の裾にうがたれた下部トンネル Lower Spiral Tunnel に突っ込む。こちらは時計回りで3/4周する。長さ891m(2923フィート)、カーブの半径は同じで、高低差15mという。これで再び南西に向きを戻して、フィールド Field 駅までなおも下っていく。

*注 曲線度数は、鉄道の場合、曲線の弦が100フィート(30.48m)のときの中心角の数値。したがって度数が大きいほど急カーブになる。中心角10度のとき、半径は573.7フィート=174.9m。

Blog_kickinghorsepass_map3
「ビッグヒル」付近拡大図。旧線と現在線の位置関係を示した

この間、勾配は2.2%(1:46、下注)を維持しているが、開通当初からこうなっていたわけではない。歴史を繙くと、もとの計画もやはり2.2%勾配だったが、途中で折り返さずに北斜面の高い位置を通って西のオッターテール Otter Tail に向かおうとしていた。カテドラル山の西隣にあるスティーブン山 Mt. Stephen の張出尾根、いわゆる鼻には430m(1400フィート)のトンネルをうがち、フィールドでも線路はまだ約90m上方にあるはずだった。

ところが、路線の完成を急いだ会社は、費用と時間がかかるこの案を諦め、4.4%(1:23)の急勾配を用いて、スティーブン山の鼻の手前で谷底まで一気に降りる解決策を採用した。これが実際に1884年に建設されたときの姿だ。旧線は、ワプタ湖を過ぎてキッキングホース川の左岸を降り始めるが、急流にさしかかるところで、トレッスル橋(木組みの橋)で右岸に渡り、カテドラル山の北斜面を急降下した。現路線とは、両スパイラルのほぼ中間で、たすきがけに交差する形になる。

*注 勾配は資料の原文に従い、%で表示した。2.2%は、水平距離100mで高低差が2.2mとなる勾配。分数表示1:46は、水平距離46に対して高低差1となる勾配。なお、ビッグヒルの1:23勾配は百分率では4.3478%になり、4.3%と書くべきところだが、資料原文のとおりとした。

4.4%(千分率で44‰)は、蒸気機関車にとってあまりに過酷な条件だった。上り坂では、牽引定数を710トンに抑えたうえ、前後に2両ずつ、計4重連の機関車を必要とした。坂下のフィールドに機関庫が置かれ、推進用の補機が配備された。下り坂の運行は危険と隣り合わせだった。列車速度は旅客が時速8マイル(13km/h)、貨物は6マイル(10km/h)に制限され、暴走した場合に備えて、逆勾配のついた3か所の安全側線 Safety Switch が設置してあった。運転士は、坂の手前で入念にブレーキテストを行ったという。CPR最大の難所となった坂道は、いつしか「ビッグヒル Big Hill」と呼ばれるようになった。

輸送量が増加するにつれ、ビッグヒルは運行上のボトルネックとみなされ、1906年、ついに抜本的な改良計画が始まった。勾配を緩和するための迂回路がいくつも提案されたが、焦点は建設費用もさることながら、雪崩の危険性をいかに回避するかだった。ロジャーズ峠をはじめ、山腹の急斜面を通過する線路では、冬から春にかけてしばしば雪崩に襲われていたからだ。一つの斜面を器用に折り返す現ルートはこのようにして選択され、1909年9月に難所から運転士を解放した。

1号線を車で走ると、峠の西9km、フィールドからは東8kmの位置に展望所があり、下部スパイラルトンネルを針葉樹の間から望むことができる。案内によると、1日25~30本の列車が通り、カリフォルニア州の有名なテハチャピ Tehachapi ループのように、長大編成の貨物列車がトンネルをはさんでとぐろを巻く様子が観察できる。一方、かつて蒸機が格闘を重ねた旧線跡は、森の中で一部トレール(自然歩道)になっていて、キッキングホース川を渡る上路トラスも現存するそうだ。2009年はスパイラルに切替えられてから100周年にあたり、現地では記念行事が催された。森の中に埋もれた旧線の遺跡も、このときばかりは人々の注目を浴びたことだろう。

本稿は、D.J.Mitchell "All Aboard! - The Canadian Rockies by Train" Great Canadian Railtour Company Ltd., 1995 、ならびに下記ウェブサイト、Wikipedia英語版の記事(Kicking Horse Pass, Big Hill, Field Hill等)を参照して記述した。
地形図は、カナダ官製1:1,000,000国際図 NM-11 Kootenay Lake(1978年版印刷図)、1:50,000地形図 82N/8 Lake Louise(上:1980年版印刷図、下:Toporamaからのダウンロード)を用いた。(c) Department of Natural  Resources, Canada. All rights reserved.
また、旧線の位置は下記アルバータ地図帳所載の路線図画像を参照した。

■参考サイト
アルバータ鉄道地図帳 Atlas of Alberta Railways のサイト http://railways.library.ualberta.ca/ の中に、峠道の詳細な路線図(画像)が収録されている。
Kicking Horse Canyon, the “Big Hill” and the Spiral Tunnels(画像への直接リンク)
http://railways.library.ualberta.ca/Images/Maps/BigHillandSpiralTunnels.jpg
ビッグヒル付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&sll=51.4289,-116.4102&z=15

カナダ公園管理局-キッキングホース峠国定史跡
Parks Canada - Kicking Horse Pass National Historic Site of Canada
http://www.pc.gc.ca/docs/v-g/pm-mp/lhn-nhs/kickinghorse_e.asp
カナダ公園管理局-ヨーホー国立公園-スパイラルトンネル100周年
Parks Canada - Yoho National Park of Canada - Spiral Tunnels Centennial
http://www.pc.gc.ca/eng/pn-np/bc/yoho/natcul/natcul12.aspx
You Tube  スパイラルトンネル一列車三態一望
CPR Spiral Tunnel 3 parts of same train at once in shot
http://www.youtube.com/watch?v=gEe9d69NpyM

★本ブログ内の関連記事
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-序章
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-ロジャーズ峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-イエローヘッド峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-クローズネス ト峠

 カナダの鉄道地図 I
 カナダの鉄道地図 III-ウェブ版

2011年1月 6日 (木)

カナディアンロッキーを越えた鉄道-序章

Blog_canadianrockies_map アメリカ大陸の西側を限って南北に連なるロッキー山脈、そのカナダ領部分がカナディアンロッキーCanadian Rockiesと呼ばれる。大陸の中央に広がる乾いた大草原、カナディアンプレーリー Canadian Prairie から太平洋岸に出ようとするなら、この万年雪を戴く険しい山の連なりをどこかで乗り越えて行かなければならない。

19世紀以来、山脈を横断して敷設された鉄道は全部で4本ある(北部の産業鉄道を除く)。歴史の古い順に、1885年全通のカナディアン・パシフィック鉄道 Canadian Pacific Railway(略称CPR、日本語の正式社名は「カナダ太平洋鉄道」)、続いて1899年に開通した同じCPRの南部本線 Southern Mainline、1914年全通のグランド・トランク・パシフィック鉄道 Grand Trunk Pacific Railway (GTPR)、そして翌1915年全通のカナディアン・ノーザン鉄道 Canadian Northern Railway (CNoR)  だ。

ちなみに、アメリカ合衆国で鉄道が大陸の東西を結んだのは1869年、そして世紀の変わり目までに、さらに4本の大陸横断ルートが確立され、数々の中小鉄道もロッキーの分水嶺を克服していた(下注)。それに比べれば、カナダの出足はかなり遅い。これから数回にわたって鉄道が山越えする現場を地図上で訪れようと思うが、その前に、これらの鉄道が開設されるに至った当時の国内事情を振り返るとともに、路線網の全体像を確認しておきたい。

*注 コロラド州の大陸分水嶺を越えた鉄道については、本ブログ「ロッキー山脈を越えた鉄道-序章」以下を参照。

イギリスの自治領としてカナダ連邦が成立したのは1867年だ。しかし、その範囲は大西洋岸とセントローレンス川からスペリオル湖北岸にかけての地域(現在のノヴァスコシア州、ニューブランズウィック州とケベック州南部、オンタリオ州南部)に過ぎず、緯度の高い北部はもとより、中央に横たわるプレーリーも、ヨーロッパ系の人々にとってはほとんど未知の土地だった。ただ、ロッキーを越えた太平洋側の山中では1858年と1861年に金鉱の発見があり、ゴールドラッシュを経験していた。西部がもつ将来的な価値は、常に東部の人々の関心を集めていたのだ。ちなみに、この地域は現在のブリティッシュコロンビア州に当たるが、当時は英領ブリティッシュコロンビア Colony of British Columbia で、カナダ連邦には含まれていない。

一方、アメリカでは1865年に南北戦争が終結したばかりだった。南部連合国を支援したイギリスに対して、合衆国は巨額の損害賠償を求めていた。アラバマ・クレーム Alabama Claims と呼ばれるこの提訴の傍らで、賠償金に代えてブリティッシュコロンビアを含む英領カナダを併合しようとする計画も進行していた。この動きに対して、英領カナダの世論は賛否沸騰し、カナダ連邦はアメリカの拡張主義を警戒して、巻き返しを画策した。当時、ブリティッシュコロンビアはゴールドラッシュの後遺症である負債の処理に悩んでいた。そこでカナダ連邦は、自分たちの連邦への参加を促し、その見返りに負債を引受けるだけでなく、東西間の連絡鉄道を10年以内に整備することをも約したのだ。

こうしてブリティッシュコロンビアは1871年に連邦の一員となり、公約通り大陸横断鉄道の建設計画がスタートした。しかし、保守党と自由党の政争に巻き込まれ、そのうえ資金不足も手伝って、事業はなかなか捗らなかった。約束の1881年になって、ようやくカナディアン・パシフィック鉄道会社が設立され、実行体制が整った。政府は、公債発行による多額の融資に加えて、鉄道周辺の土地2500万エーカー(約10万平方キロ、北海道の1.3倍)を無償提供するなど破格の条件を揃えて、会社を支援した。

ここで、各路線がどの峠道を選択したか、地図で確かめてみよう。現在、アルバータAlbertaとブリティッシュコロンビアの州境になっているカナディアンロッキーは、標高3000m前後の大山脈であり、急勾配に弱い鉄道が横断できる場所は限られている。

Blog_canadianrockies_railway_map
カナディアンロッキーを越えた鉄道 路線図

カナディアン・パシフィック(以下CPR)は、最終的にキッキングホース峠 Kicking Horse Pass とロジャーズ峠 Rogers Pass を抜けるコースを選択した。しかし、当初の計画ではもう一つ北のイエローヘッド峠 Yellowhead Pass を通ることになっていた。こちらのほうが、高度が200mあまり低く、峠の前後の坂道も勾配が比較的緩やかで、路線設計には理想的な地形だからだ。だが、目的地のバンクーバー(開業当初は、20kmほど湾奥のポートムーディ Port Moody 止まり)を目指すには遠回りになるうえ、ルートから離れた国境近くの最南部地域をアメリカの鉄道会社に侵食される懸念があった。ビッグヒル Big Hill と称された急勾配や、雪崩が常襲する急斜面に沿う悪条件のルートは、こうした政策上の理由で敢えて選ばれたのだ。

鉄道が最南部にこだわったのは、一帯に有望な地下鉱脈が存在したためだ。事実これ以降、国境をまたいで銀、銅、亜鉛、石炭などの鉱山が次々と開発されていった。1893年にアメリカ側で国境至近のルートを採るグレート・ノーザン鉄道 Great Northern Railway が開業すると、CPRも対抗上、カナダ側の鉱業地帯をダイレクトに結ぶ鉄道を敷かないわけにはいかなくなった。それがクローズネスト峠 Crowsnest Pass を越える第2の山越えルートとなる。後にケトルバレー鉄道 Kettle Valley Railway などの地方鉄道を介して、ホープHopeでCPR本線に合流し、バンクーバーとアルバータ州メディシンハット Medicine Hat との間に直通の旅客列車も走った。

世紀の変わり目から20世紀の最初の10年は、大草原の各地で人口増加が進み、カナダ全体が空前の好況に沸いた時代だ。北西部では、ゴールドラッシュも再燃していた。国を覆う熱気は、CPRに次ぐ第2の大陸横断鉄道実現の期待をいやがうえにも煽った。CPRが選ばなかったイエローヘッド峠に、2本の鉄道が同時並行で建設されたのは、こうした理由による。先行したのは、連邦の意向を受けて設立されたグランド・トランク・パシフィック鉄道だ。この鉄道だけは分水嶺を後にして北西へ向かい、アラスカとの境界に近いプリンスルパート Prince Rupert で、太平洋岸に達する。CPRの恩恵にあずからない北部の振興と、アジアにより近い貿易港の開発が意図されていた。

ラストランナーとなったカナディアン・ノーザン鉄道は、CPRの独占に対抗しながら、連邦とは手を組まず、州の補助金を受けて分水嶺に挑んだ。結果として、ルート設定は多分に挑発的なものになった。アルバータ州の州都エドモントン Edmonton から峠へは、グランド・トランク・パシフィックと至近距離で絡み合う。峠を抜けると南へ針路を変え、カムループス Kamloops から今度はCPRと並行し、同じ谷の反対側を下る。フレーザー川 Fraser の峡谷では、通しやすい側にすでにCPRの線路が走っているため、わざわざ工事の難しい反対側を使わなければならず、工費がかさむ原因となった。

しかし、遅れてきた2つの鉄道にとって不運だったのは、完成と前後して第一次世界大戦が始まったことだ。入植活動が中止され、戦時輸送はCPRに集中したため、たちまち破産の危機に陥った。1918~19年には、政府が設立したカナディアン・ナショナル鉄道 Canadian National Railways (CNR、のちCN) に統合され(国有化)、会社は早々と消えてしまった。

では、山脈横断路線の現状はどうなっているだろうか。キッキングホース峠経由のCPR本線は今も変わらずメインルートとして残っている。ここを走っていた長距離旅客列車カナディアン号 The Canadian は、VIAレールの事業整理に伴い、北のイエローヘッド峠(CN線)に移されてしまったが、景色の良さで優ることから、ツアー列車のロッキーマウンテニア号 Rocky Mountaineer が後を継ぎ、人気を博している。

CPRの南部本線は、クローズネスト峠を越えてコロンビア川の本流と出会うトレール Trail まで貨物営業しているものの、以西は廃止された。一部が保存鉄道に使われているほかは、自然歩道(ケトルバレー・レールトレール Kettle Valley Rail Trail)に姿を変えた。

一方、イエローヘッド峠越えは、プリンスルパート方面、バンクーバー方面ともに、CNによって運行され続けている。ただし、重複していたエドモントン~峠間は、区間によっていずれか片方が廃止され、一本化されてしまった。

これが、カナディアンロッキーを越えた鉄道の概要だ。では次回から、路線上のハイライトである峠越えを地図上で一つずつ見ていこう。

■参考サイト
Canadian Encyclopedia  http://www.thecanadianencyclopedia.com/
 Railway History,  Canadian Pacific Railwayその他の項
Wikipedia in English  http://en.wikipedia.org/
 History of British Columbia,  Canadian Pacific Railwayその他の項
Canadian Pacific Railway  http://www.cpr.ca/
  General Public > Our History

★本ブログ内の関連記事
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-キッキングホース峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-ロジャーズ峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-イエローヘッド峠
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-フレーザー川を下る
 カナディアンロッキーを越えた鉄道-クローズネス ト峠
 カナダ ケトルバレー鉄道 I-歴史

 カナダの鉄道地図 I
 カナダの鉄道地図 II
 カナダの鉄道地図 III-ウェブ版

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

BLOG PARTS


無料ブログはココログ