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2010年7月22日 (木)

スウェーデン 内陸鉄道-1270kmのロングラン

Blog_inlandsbanan_brochure スウェーデンの鉄道時刻表、Resplus の索引地図(下記参考サイト)で、一点鎖線(-・-・-)を使って描かれた路線が気になる。南北の長さはざっと国土の半分にも及ぶから、かなりのロングランであるのは間違いない。一点鎖線の記号は観光用の鉄道 Järnväg med turisttrafik を表しているのだが、私たちがイメージするせいぜい数kmから数十kmの観光鉄道と比べて、明らかに桁違いだ。この鉄道の正体はいったい何なのだろうか。ウェブサイト(下記)やパンフレットの情報を参考に、プロフィールを追ってみた。

■参考サイト
Resplus の索引地図 http://www.resplus.se/Resplus/Tidtabeller/Sverigekarta/
  北部は Linjekarta Nord、南部は Linjekarta Syd からPDFファイルにリンクしている。

鉄道の名は、スウェーデン語でインランツバーナン Inlandsbanan という。訳すと、内陸鉄道だ。全線非電化かつ単線で、起点は同国最大のヴェーネルン Vänern 湖畔にあるクリスティーネハムン Kristinehamn、終点は北極圏にある鉄鉱山の町イェリヴァレ Gällivare、その間1270kmある。ただし、現在、起点から40kmのニークロッパ Nykroppa と、ダーラナ地方、シルヤン湖畔 Siljan にあるムーラ Mora の間188kmは、線路が残されているものの旅客列車の設定はない。観光列車が運行されているのはムーラ以北で、しかも夏季限定(6~8月)だ。車両は、気動車が使用される。

*注 南端のクリスティーネハムン~ニークロッパ間には、ルドヴィーカ Ludvika 方面を結ぶ列車がある(時刻表番号75)。この区間は今年(2010年)から電化工事が始まった。また、クリスティーネハムン~ムーラ間には、夏季のみ代行バスが1便運行されている。

残存区間の運行は、エステルスンド Östersund で二分されている。南側のムーラ~エステルスンド間311kmは1日1往復(ハイシーズンはもう1往復増)が設定され、約6時間かかる。北側のエステルスンド~イェリヴァレ間731kmも1往復(エステルスンド~ストゥールマン Storuman 間のみハイシーズンに1往復増)だが、北行き14時間30分、南行き13時間50分の長旅だ。今年(2010年)夏のダイヤでは、朝7時15分にエステルスンドを出発して、終着イェリヴァレは21時49分、白夜の時期なので行動に差し支えないとはいえ、乗り通しは体力を消耗しそうだ。

時間がかかるのは、走行距離の長さもさることながら、途中駅での停車も影響している。たとえば、南側区間ではオーサナ Åsarna という小駅で計30~40分停まり、軽食が取れる。北側区間では同じような食事・休憩停車が数回あるほか、ソールセレ Sorsele で20分の内陸鉄道博物館見学、モスクセル Moskosel でも15~30分の工夫博物館見学(いずれも駅舎に併設)、さらにヨックモック Jokkmokk のすぐ南にある北極圏(北極線)横断地点で5~10分の記念写真タイムがある。確かに、長旅には気分転換も必要だろう。

Blog_inlandsbanan_map 車窓は、とりたてて絶景と言えるところはなさそうだが、どこまでも続く大自然を思う存分満喫できるのは確実だ。

南側区間は、ムーラから13kmのオーシャ Orsa まで、オーシャ湖 Orsasjön の湖面に沿っている。それから人家が途絶え、うっそうとした森林をひたすら上り続けて、同48kmで、早くも路線最高地点の標高524mに達する(地形図には Koppången という地名がある)。以後は、森の中にときどき小さな湖と川を見ながら、同136kmのスヴェーグ Sveg に向かう。

スヴェーグ駅の手前で渡るユスナン川 Ljusnan のトラス橋(町出身の推理作家ヘニング・マンケル Henning Mankell の名を取って、マンケル橋 Mankellbron という)は、鉄道の名物の一つで、道路と共用している。路面軌道のように、1.5車線幅程度の橋の上にレールも敷かれているので、列車と車がすれ違うことはできない。ウィキペディアのドイツ語版によると、「かつては、列車通過時に道路通行を遮断する見張りが配置されていた。その後、列車が接近したときに道路用の赤信号が点滅する半自動の安全装置(訳注:踏切警報機と同じもの)が設けられた。列車が停止し、橋が空いていることを運転士が確認すると、遮断機が降り、鉄道の信号が緑に変わる」。

■参考サイト
Wikimedia - マンケル橋(併用橋)の写真集
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Mankellbron

スヴェーグを出ると再び森の中だが、同254kmのスヴェンスタヴィク Svenstavik で、ストゥー湖 Storsjön(大湖の意)に出会う。南と北の列車がまみえるエステルスンドは、湖に面したイェムトランド Jämtland の中心地だ。

一方の北側区間は、氷河期のモレーン(堆石)で堰き止められた湖が北西~東南方向にいくつも横たわっているので、ルートはそれらの湖尻を縫う形に設定されている。1時間ほど走れば森が開けて小さな町がある、という繰返しだ。エステルスンド中央駅から167kmのフーティング Hoting を出るとまもなく、スウェーデン最奥部のラップランド Lappland に足を踏み入れることになる。森林の密度が下がり、ところどころ湿地が混じるようになっていく。

同473kmのアルヴィッツヤウル Arvidsjaur はイェーン鉄道 Jörnbanan(休止中)との接続駅だが、ちょうど石北本線遠軽駅のような線路配置のため、内陸鉄道はスイッチバックになって、列車の走行方向が変わる。ここはまた蒸機保存運転の拠点でもある。今通ってきたばかりのスラーグネス Slagnäs まで距離にして53kmを、夏の間、蒸気機関車が1930年代の客車を牽いて往復している。途中、乗客は湖畔で水浴とバーベキューも楽しめるそうだ。ツアーは、アルヴィッツヤウルを17時45分に出発し、22時ごろ戻ってくるという、北極圏周辺の土地ならではの時間設定だ。

同533kmには2つ目の道路併用橋があり、ピーテ川 Piteälven(älv、älven は川の意)をまたいでいる。

■参考サイト
Wikimedia - ピーテ川併用橋の写真集
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Pite%C3%A4lvsbron_(Moskosel)

同646 kmのヨックモック Jokkmokk は、世界遺産に登録されたラポニア Laponia の玄関口の一つだ。町の名は、サーミ語で川の曲がり角を意味するらしいが、日本では洋菓子店の名称にされて耳に親しい。また、この5km手前には、「地理的北極圏 Geografiska polcirkeln」という簡易乗降場が設けられ、看板の前で北極圏入り(または脱出)の記念写真に収まるのが、乗客にとっての「通過儀礼」になっている。

鉄道が最後に通過するルーレ川 Luleälven は、今までになく大きな谷だ。深さ100m以上あるので、線路は渡れる位置まで谷壁に沿って遡る。逆S字のルートで支谷をいなした後、ハールスプロンゲット Harsprånget の堰堤の脇に出て、ようやく湖面にトラス橋を架ける。この川はスウェーデンの年間電気需要の1割を生産できる電源地帯で、ハールスプロンゲットは国内最大の水力発電所だ。同じ川沿いにあるポルユス Porjus(同693km)から先は、鉱石鉄道 Malmbanan の支線として先行開業した区間で、鉄道電化に必要な発電所を建設し、維持するために、作業員や資材を運搬していた。もうまもなく、その鉱石鉄道と合流する終点イェリヴァレが見えてくる。

最後に、内陸鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。スウェーデン内陸部を縦断する鉄道は、1907年になって着工された。国内の鉄道網の骨格が完成したので、ようやく人口の希薄な地域への延伸に、世間の関心が向き始めたのだ。内陸には木材、鉱物、水力など未開拓の資源が眠っており、産業振興の牽引役として鉄道への期待は大きかった。

最初の開通区間は1911年、エステルスンドから北へ、ヘーゲノース Häggenås まで38kmの区間だった。1917年までにスヴェーグ以北の全区間の建設が決定すると同時に、1916~18年には、スヴェーグ以南にあった既設私鉄の国有化が行われた。全線開業は1924年に予定されていたが、第1次大戦とその後の不況のために計画は遅れ、結局、最終的な開通式が挙行されたのは、1937年8月だった。

第2次大戦中、ノルウェーを占領下においたドイツは、鉄道がつながっていないノルウェー北部と中南部との間の軍事輸送路として、完成間もない内陸鉄道を利用しようとした。スウェーデンは中立を宣言していたが、対立回避のために、ドイツ軍の国内移動を許可せざるを得なかった。戦後になると、公共輸送の自動車交通への移行が加速し、内陸鉄道も大きな打撃を受けた。1969年、ついにムーラ以南の一部区間で旅客列車の廃止が実行された。

しかし、1990~92年の一連の動きは、鉄道の運命をさらに変えるものとなった。このとき政府は、鉄道を全廃してバスに転換することを提案したのだが、沿線自治体や住民の抵抗を受けた。そこで、施設は国が保有するものの、国鉄は運行から手を引き、自治体出資の内陸鉄道株式会社 Inlandsbanan AB が代わりに引き受けるという上下分離の形で、存続を図ることになった。2003年には旅行サービス部門として、現在のグランド・ノルディック社 Grand Nordic の前身が設立され、同鉄道の営業活動を担っている。また、木材などの貨物輸送も再開された。交通庁のサイトによると、鉄道施設は現在、ニークロッパ以南を除いて内陸鉄道株式会社に移管されているが、北部のアルヴィッツヤウル~ヨックモック間で交通庁が線路容量を増やす工事を実施するなど、再活用の計画も進められている。

冒頭写真に掲げたのは、グランド・ノルディック社が送ってくれた鉄道のパンフレットだ。冊子はオールカラー、全28ページの充実した内容で、スウェーデン語のほか、英語、独語の3種類が用意されている。時刻表の索引地図から長い一点鎖線を消さないように、内陸鉄道沿線で地道なPRの努力が続けられていることを、読んで実感した。

■参考サイト
内陸鉄道(公式サイト) http://www.inlandsbanan.se/
グランド・ノルディック社  http://www.grandnordic.se/
 英語版あり。紹介したパンフレットはPDFファイルでも見ることができる。
交通庁による「内陸鉄道」の紹介
http://www.trafikverket.se/Privat/Vagar-och-jarnvagar/Sveriges-jarnvagsnat/Inlandsbanan/

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