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2010年3月25日 (木)

ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道

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ヴォス駅

山地の西側を降りていくベルゲン行きの列車が初めて出会う町が、ヴォス Voss だ(右写真)。ここもまたウィンタースポーツのリゾートの一つだが、遠来の観光客にとっては、世界遺産に登録されたネーロイフィヨルド Nærøyfjord への玄関口としての印象が強いだろう。ヴォス駅の標高は57mしかなく、列車の山越えはこれで終わりだ。この後も険しい地勢が続くが、線路は谷底の水際にへばりつくように敷かれている。ベルゲンまでは86km、優等列車で急いでもまだ1時間以上かかる。

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ヴォス~ベルゲン間の地形図

ベルゲン鉄道の最初の開通区間がベルゲン~ヴォス間であったことは、前に述べた。この通称ヴォス鉄道 Vossebanen は1875年に認可され、1883年に開通している。鉄道建設が首都のある東海岸ではなく、山がちな西海岸で先行した理由は、この地方の産業事情が関わっている。19世紀中盤は、欧米諸国で工業化が進展した時代だ。交易の活発化で商船需要が高まって、海運国ノルウェーは豊かな富を得た。ベルゲンはその中心地の一つだった。この地方では、有り余る水力を背景にして繊維、製紙業が盛んになり、電力を使う化学工業も興っていた。資金集めに有利な条件が揃っていたことが、早期の事業化に道を拓いたのだ。

ヴォス鉄道の軌間は、日本のJRなどと同じ1067mmの狭軌だった。山間部が多い土地柄、建設費を抑えるために狭軌が適していると当局が考えたのも、わが国と共通している。フィヨルドの懸崖に沿う線路には、最急勾配20‰(1/50)、最小曲線半径192mという厳しい線形が採用されたが、それでもトンネルの数が、最長1286mを筆頭に計51本、総延長で全線の1割近くを占めた。

鉄道は、しばらくヴォスを終点とする孤立線だった。東方への延長計画が認可されたのは、それから15年も後になる。その1890年代はノルウェーでのゲージ(軌間)論争が決着した時期で、新線は標準軌1435mmとすることが決定した。接続するヴォス鉄道も改軌の対象となり、トンネル断面の拡張に加えて、急曲線の緩和が計画に盛り込まれた。1899年から始まった改修工事は1904年に完成し、列車を運休させることなく一夜で軌間の切替が実施された。

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ヴォス~ベルゲン間のルート概略図

ベルゲン鉄道は国の東西を結ぶ幹線とあって、歴史の古いベルゲン~ヴォスルートにはその後も大きく手が入れられている。その概略を描いたのが上図だ。危険個所に長大トンネルを何本もうがって直線化していく様子は、北陸本線糸魚川の前後を思い出させる。ヴォス始発のローカル列車に乗換えて追ってみよう。

14時35分、ヴォスを出発すると、左の車窓にヴァング湖 Vangsvatnet が広がる。しかしそれも束の間で、すぐに新しいトンネルに突っ込んでしまい、闇を抜けたブルケン Bulken はもう湖の端だ。湖から流れ出すヴォッソ川 Vosso を渡って左岸へ移り、峡谷の中をエヴァンゲル Evanger、ボルスターデイリ Bolstadøyri と進む。ここで鉄道はついに標高0mに到達する。川がボルスタードフィヨルド Bolstadfjorden に流れ込み、そのまま外洋につながっているからだ。しかし、中小のトンネルが断続していた旧線は放棄され、現在、線路は同鉄道で2番目に長い8043mのトロルコナトンネル Trollkonatunnelen に導かれる。これを出れば、地域の中心地ダーレ Dale に着く。

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ベルゲン近郊の地形図

ダーレを15時03分発車、次のスタングヘレ Stanghelle でヴェアフィヨルド Veafjorden に出合う。これから30km弱の間、波静かなフィヨルドの風景が右手車窓に続いて、旅の最後の景勝区間となっている。ソールフィヨルド Sørfjorden に渡された同国3番目の規模の吊橋、オステロイ橋 Osterøybrua(道路橋)が近づけば、のどかな眺めも見納めだ。列車は再びトンネルに吸い込まれ、アルナ Arna 停車後、7670mのウルリケントンネル Ulrikentunnelen を経て15時52分、ベルゲン駅に到着する。

ルート改修の中でも、1964年に完成したトゥネスヴェイテン Tunesveiten(地名。駅はない)~ベルゲン間の直線化はとりわけインパクトが大きかった。この区間の旧線は自然地形に忠実に沿って造られたため、延長33kmの大回りをしていたが、2本の長大トンネルによって11kmとなり、所要時間で30分もの短縮効果があった。両トンネルにはさまれたアルナ Arna は都心へ10分以内となって都市化が進み、ベルゲンとの間に毎時2~3本のシャトル列車が設定されている。

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旧ヴォス鉄道
リーフレット

一方、列車の姿が消えた旧線のその後だが、フィヨルドの岬の先端ガルネスGarnesと迂回路の南端に近いミットゥン Midttun 間18kmは保存鉄道「旧ヴォス鉄道 Gamle Vossebanen、英語名 Old Voss Line」となり、ノルウェー鉄道クラブ Norsk Jernbaneklubb がSL列車を走らせている(右写真はリーフレット表紙)。運行期間は6月中旬から9月中旬の毎日曜日で、1913年製造の蒸機が1920~30年代の木造客車を牽いて走る片道50分の旅だ。途中、湖岸を眺め、古いトンネルでは煙の匂いを嗅いで、旧線時代の雰囲気をたっぷり味わうことができる。拠点駅はガルネスで、構内が復元され、博物館も併設されている。アクセスとしては、アルナで乗り継ぐ(新駅から旧駅まで300m)か、アルナからガルネスへバスもあるそうだ。

ミットゥンから先、クロンスタ Kronstad までは自転車道などに転換されてしまったが、クロンスタ~ベルゲン間は2000年ごろまで貨物営業があったため、レールが残されている。

実は、現在のベルゲン駅もヴォス鉄道当時のオリジナルではない。オスロ直通で手狭になるため、1913年に移築拡張されたのが現在の姿で、旧駅は新駅の西側、小ルンゲゴース湖 Lille Lungegårdsvannet に面していた(現在の湖は埋立てで縮小・整形されている)。線路も、旧駅からまっすぐ南下し、大ルンゲゴース湖 Store Lungegårdsvannet の西端を鉄橋で渡ってミンデ Minde に達していた。しかし、新駅開設と同時に、湖の東を回る形に付替えられて廃線となってしまった。100年も前の話なので、今その跡を追うことは難しい。

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ベルゲン駅

ところで、ベルゲンではLRTの開業が話題になっている。2010年6月22日に、都市公園 Byparken と南郊のネストゥン Nesttun を結ぶ9.8kmの区間で走り始める予定だ(下記参考サイト「ベルゲンライトレール」参照)。これを第1期として、今後、空港や北郊への延長も計画されている。市内には1897~1965年の間、路面電車が存在したので、45年ぶりの復活ということになる。今回開業する区間は、起点から終点までちょうどヴォス鉄道旧線に並行している。旧線跡との間に直接、ルートの重複はないのだが、もしあの時レールが撤去されなければ、鉄道線をそっくりLRTに転換するという選択肢があったかもしれないと想像するのも、興味深いことだ。

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ベルゲンライトレール

(2015年4月28日写真追加)

本稿は"OSLO - BERGEN The Bergen Railway" NSB brochure および John Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000、Wikipedia英語版、ノルウェー語版を参照して記述した。
冒頭のヴォス駅の写真は、1990年代に現地を訪れたT.T.氏から、ベルゲン駅とベルゲンライトレールの写真は、2014年に現地を訪れた海外鉄道研究会の松本昌太郎氏からそれぞれ提供を受けたものだ。ご好意に心より感謝したい。
地形図は、地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した © www.avinet.no 2009

■参考サイト
ベルゲン鉄道の参考サイトは、下記「ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ」の末尾にまとめた。
ノルウェー鉄道クラブ 旧ヴォス鉄道 http://www.njk.no/vossebanen/
ベルゲンライトレール Bybanen i Bergen  http://www.bybanen.no/

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2010年3月18日 (木)

ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて

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ヤイロ~ヴォス間の地形図

11時45分にヤイロ Geilo を発ったベルゲン行きの列車は、約10分でウスタオセ Ustaoset に停車する。標高991m、左の車窓いっぱいに広がるウステ湖 Ustevatnet(ウステヴァトネ、vatn、vatnet は湖の意)の湖面が、正午の陽光を跳ね返してくるだろう。ここから約100km、ラウンダール Raundalen(dal、dalen は谷の意)に入ったミョルフィエル Mjølfjell 駅までが山越えの区間に当たる。

1907年10月、西と東から延ばされてきた線路が結合されたこの地で、ささやかな祝賀行事が行われた。さっそく郵便輸送から始めてみたものの、その冬は荒天続きだった。除雪車も用意しないまま運行を続けることは不可能となり、結局、積雪が少なくなる翌年の6月まで開通が延期されたという経緯をもつ。

列車は別荘が点在する湖畔に沿って進み、ハウガストル Haugastøl 駅を通過する。この緯度帯の森林限界は標高1000m前後のため、針葉樹はほとんど姿を消す。線路は再び上り坂となり、スノーシェッド(雪覆い)も現れる。1995~98年に雪害対策を兼ねて、長さ2710mのグロスカレントンネル Gråskallen-tunnelen 建設を含む線路改良が実施され、カーブの緩和が図られた。途中から列車の速度が上がったのは、そのせいだ。

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トーガ湖と旧線、サミットから南東望
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ラッラルの道
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サミット北方の廃トンネル
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モルドー川の早瀬

峠の駅フィンセ Finse は標高1222m。左の車窓はフィンセ湖 Finsevatnet の向こうが開けて、平べったいハルダンゲル氷河 Hardangerjøkulen の舌先が見え隠れする。かつてフィンセは、峠道の保線と除雪を担って、蒸気動力のロータリー除雪車や推進用機関車が配備された作業基地だった。常駐する多くの鉄道員と家族のために、小学校さえ設けられていた。古い機関庫は、工夫博物館 Rallarmuseet に再利用されている。

現在、夏のシーズンにこの駅で降りる客の多くは、サイクリングが目的だ。夏から秋のシーズンには毎年2万人が訪れるといい、線路脇の小道を走るマウンテンバイクの群れは、列車の窓からもよく見かける。ノルウェーのほとんどの列車は自転車搬送が可能だが、主要駅にレンタサイクルも用意されている。

ラッラルの道 Rallarvegen と呼ばれるこの小道は、もともと鉄道建設のために造られたものだ。アウルランフィヨルド Aurlandsfjorden に面したフロム Flåm を起点に谷を遡り、ミュールダール Myrdal、フィンセを経て、ハウガストルまで延びている。ラッラル Rallar とは工夫のことだ。各地から集められたラッラルは、この道を通って人里離れた工事現場に赴いた。船で運ばれてきた建設資材も、フロムで荷馬車に積み替えられ、この道を運ばれていった。

ラッラルの道が自転車道として再生されたのは、ずっと後の1974年になってからだ。1980年代後半に国内のテレビ番組で紹介されたのをきっかけに、一躍人々に知られることになった。高度差1200m、延長80km以上、一部を除いて未舗装の極めてハードなコースだが、万年雪や青い湖、早瀬、高山植物を愛でながら、見渡す限りの大自然を漕ぐ爽快さには換えられない。休憩や宿泊の施設も整っているし、鉄道に沿っているので体力に応じた区間のチョイスも可能だ。何より筆者には、フィンセトンネル Finsetunnelen の開通で廃止された峠越えの旧線を間近に追えるのが、とても魅力的に映る。詳しくは下記参考サイトを参照されたい。

■参考サイト
Haugastøl 1000 m.o.h(ハウガストル標高1000m) http://www.rallarvegen.com/
 トップページ > Rallarvegen に詳しい紹介がある(英語版あり)
 右上の写真4枚は、同サイトの Gallery の画像を使用した。© Haugastøl 1000 m.o.h, 2008

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フィンセトンネルと旧線

さて、フィンセ駅に戻って12時25分発の列車で旅を続けよう。トンネルは、フィンセ駅の正面に口を開けている。長さ10589mで、ベルゲン鉄道では最も長い。トンネルの内部に、標高1237mの同国鉄道最高地点がある。列車は最高時速170kmで難なく通り抜けてしまうが、1993年にこの短絡線が開通するまでは、トーガ湖 Tågavatn 湖畔の標高1301mをサミットとする羊腸の線路をたどっていた。区間の半分をスノーシェッドで覆ったにもかかわらず、冬場の積雪で再三、運行が止まるような難路だった。廃止後すでに20年近く経つ。スノーシェッドは撤去されたが、レールはまだ残されており、地形図ではあたかも現役路線のように描かれている(右図参照)。

旧線はトーガ湖の北端で、半島の東西を分けるごく低い分水界をトンネルで抜け、モルドーダール Moldådalen へ左回りで降りていく。山地東側のなだらかさに比べ、西側の谷は階段状に高度を大きく下げるので、線路は20‰(1/50)の下り勾配の連続だ。フィンセトンネルを抜けた新線に、右から旧線が合流する。改良区間はここで終わり、以後は20世紀初めに敷かれた線路が、スノーシェッドを伴って急傾斜の危険な斜面を刻んでいる。

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ミュールダール周辺

通過するハリングスカイド Hallingskeid は途中の交換駅だ。ミュールダールの手前4kmはいよいよ谷底との高低差が広がり、山の中腹を、長さ1820mのラインウンガトンネル Reinungatunnelen をはじめとするトンネルの連続で切り抜けている。右の車窓に注目していると、わずかな明かり個所で、山懐に抱かれたラインウンガ湖 Reinungavatnet と深いフロムスダール Flåmsdalen の谷を俯瞰することができるはずだ。

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ミュールダール駅

ミュールダール Myrdal は標高867m。列車がなければ静かな山中の駅だが、観光路線のフロム鉄道 Flåmsbana が接続しているので、シーズンともなれば大勢の乗換客で賑わう(下注)。

*注 フロム鉄道については、本ブログ「ノルウェー フロム鉄道 I-その生い立ち」「ノルウェー フロム鉄道 II-ルート案内」で詳述。 

フロム行き13時00分発(冬時刻、夏は13時27分発)が右のホームで待機しているのを見ながら、12時58分発車。列車は右カーブで、グラヴハルセントンネル Gravhalstunnelen、5311mに突入する。当時、路線最長だったトンネルは、計画の成否を占う最大のプロジェクトに位置づけられていた。ハンドドリルで掘り始めたものの、硬い片麻岩の地質に歯が立たず、豊富に得られる水力や電力を使った水圧式あるいは圧縮空気式の削岩機を導入して、6年で掘り抜いたとされる。

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ヴォス周辺

トンネルを抜けると、舞台はラウンダール Raundalen の谷に移る。ヴォス Voss までに14の中間駅があるのだが、ミュールダール~ベルゲン間にはローカル列車が設定されているので、オスロからの長距離列車はすべて通過の設定だ。線路は終始谷の北側斜面を舐めるように降りていき、ときどき北から注ぐ支谷を巻くように渡る。左の車窓に目を注げば、荒々しい岩山が上方に遠のき、谷底は瑞々しい緑の回廊に変わっている。ミュールダールから40分あまりで、ヴァング湖 Vangsvatnet のほとりに広がるリゾート都市、ヴォス Voss に到着だ。

次回(最終回)は、フィヨルドに沿っていよいよ目的地ベルゲンに接近する。

(2015年4月27日写真追加)

本稿は"OSLO - BERGEN The Bergen Railway" NSB brochure および John Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 を参照して記述した。
ミュールダール駅の写真は、2014年に現地を訪れた海外鉄道研究会の松本昌太郎氏から提供を受けた。ご好意に心より感謝したい。
地形図は、地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した © www.avinet.no 2009

■参考サイト
ベルゲン鉄道の参考サイトは、本ブログ「ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ」の末尾参照。

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2010年3月11日 (木)

ベルゲン鉄道を地図で追う II-旅の始まり

ベルゲン鉄道は、スカンジナビア半島の東西を分ける標高1200m以上の高地を越えて走る。全行程で6時間半から7時間もかかる長旅だが、そのうちオスロから分水界へ上って行く東側の区間だけで4~5時間を費してしまう。旅行者が期待する万年雪やフィヨルドの景色は残りの約2~3時間にあり、しかも線路改良で長いトンネルが増えたため、絶景は途切れがちだ。それだけに、オープンな序盤の車窓を楽しむ術を仕込んでおくとおかないでは、列車旅を終えた後の印象が全く違ってくるだろう。

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ベルゲン鉄道の旅の友にと、ノルウェー鉄道 NSB がパンフレット(英語版)を発行している。全線にわたる車窓のチェックポイントはもとより、駅、トンネル、鉄橋など鉄道施設に関する蘊蓄もふんだんに紹介されていて、一読しておけば山を上る長い時間も退屈せずに過ごせるに違いない。ウェブサイトにもPDFファイルで提供されている(下記参考サイト。上写真はその表紙)。

■参考サイト
NSB  http://www.nsb.no/
英語版トップページ > Travel Inspiration > Bergen Railway > The Bergen Railway > 右メニューの Attachments
直接リンク(リンク切れご容赦)
http://www.nsb.no/getfile.php/www.nsb.no/nsb.no/Bilder/Severdigheter/Bergensb%20%20Eng.pdf

変化に富んだ氷河由来の地形を終始走るので、車窓風景はどこも甲乙つけがたいとは思うのだが、パンフレットの記事や地形図を参照するかぎり、山地の東側で大きな変化がある場所が3か所ほどありそうだ。オスロ中央駅8時11分発の列車に乗ったつもりで順に紹介しよう(下注)。

*注 以下は2009 - 10年冬の時刻表による。

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オスロ周辺(再掲)
中央がティリフィヨーレン湖
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ヘーネフォスのUターン

1つ目は、ヘーネフォス Hønefoss に着く手前で右手に広がる、ティリフィヨーレン Tyrifjorden の湖面だ。

オスロを後にした列車は断続する複線の長いトンネルを経て、港湾都市ドランメン Drammen に着く。時刻表ではこうした近郊駅は「乗車のみ取扱い Bare for pàstigning」とある。8時48分発車。ここを境に内陸に入り、悠々と流れるドランメンセルヴァ Drammenselva(elv、elva は川の意)の岸辺をしばらく遡っていく。その眺めにも飽きた頃、向こう岸がすうっと遠のいて、湖のほとりに来たことを告げる。この列車は停まらないが、ヴィケルスン(ヴィケシュン)Vikersund 駅を出たあたり、9時10分過ぎだろうか。ティリフィヨーレンは同国で5番目の面積をもつ大きな湖で、はろばろとした眺めに心が和む。オスロ周辺にはこうした低地の湖が点在しているが、ベルゲン行きの車窓ではこれで見納めになる。

列車が速度を落とし、ヘーネフォス Hønefoss 市街をかすめながら左に大きく回り始めると、右手からは、以前主たる経路だったロア Roa への連絡線が、石のアーチ橋で川を渡ってきて合流する。駅はUターンを終えた地点にある。ヘーネフォス9時38分発車。駅の先で別の線路が右へ離れていくのは、たどってきたランスフィヨルド鉄道 Randsfjordbanen の続きだが、旅客営業はとうに廃止され、貨物専用になっている。前回紹介したように、ここから先が正式のベルゲン鉄道だ。進むにつれて山の深まりが感じられるようになる。

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ハリングダールの全貌

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ハーヴェシュティンゲントンネル(右下)とクレーデレン湖

2つ目の変化は、10時10分ごろだろうか。開通当時2番目に長かった2312mのハーヴェシュティンゲントンネル Haverstingtunnelen を抜けたところで始まる。列車は、暗闇からいきなりクレーデレン湖 Krøderen の水面から130mの高みに飛び出し、左の車窓いっぱいに山と湖が織り成すパノラマが広がるのだ。鉄道が暫定開通した時、細長い湖の両端を蒸気船がつないでいた(前回紹介)。北端の船着場だったグルスヴィク Gulsvik まで10km以上、列車が小トンネルをいくつも介して降りる間、湖面はずっとついてくる。

鉄道はこれからハッリングダール Hallingdalen(dal、dalen は谷の意)をひたすら上り詰めていく。グルスヴィクを出てすぐ入るトンネルは1972年に完成したもので、旧線は左手の川べりを大回りしていた。廃線跡は国道の拡幅に使われ、鉄道用から改築した短い道路トンネルは、ハッリングダールの門 Hallingporten と呼ばれて、車窓からも見える。

谷は初めのうち尾根が突き出し幅も狭く、線路は翻弄されるように左右に曲がりくねる。しかし、ネスビエン Nesbyen あたりからは谷筋が縦に通るようになり、列車の速度も上がる。11時01分のゴール Gol で進行方向が北から西に変わり、次はオール Ål に停車する。オスロとベルゲンの双方から3~4時間の場所にあるこの駅は、かつて機関庫があり列車配膳の基地が併設されていた。現在もここで上下列車がしばしば交換し、わが列車の隣にも、ベルゲン7時58分発のオスロ行きが入線しているはずだ。対向列車を見送って11時24分、オールを発車する。

まもなく湖が見え、ここで3つ目の変化が現れる。線路がハッリングダールの谷底を這うのをやめて、山裾をじわじわと上り始めるのだ。右の車窓は川から離れて、広いU字谷を俯瞰するようになる。谷底からの高度およそ140mまで上ったところで左のほうへそれていき、一段高いウステダール Ustedalen に入る。

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スキーリフトが延びるヤイロ

まもなくヤイロ Geilo 駅だ。標高794m、同国屈指のウィンターリゾートの玄関口で、町をとりまく山は11月後半から4月初めまで大規模なゲレンデに変身する。夏はハルダンゲルフィヨルド Hardangerfjorden へ行くバスに乗継ぐ人たちが下車するだろう。オスロを発って3時間半になる。11時45分ヤイロ発車。森林限界が近づき、山登りもいわば七合目にさしかかる。

次回は、鉄道建設最大の難所、万年雪に埋もれた峠をいかに越えたのかを見てみよう。

■参考サイト
ベルゲン鉄道の参考サイトは、下記「ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ」の末尾にまとめた。

本稿は"OSLO - BERGEN The Bergen Railway" NSB brochure および John Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 を参照して記述した。
地形図は地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した © www.avinet.no 2009

★本ブログ内の関連記事
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 ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて
 ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道

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2010年3月 4日 (木)

ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ

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ベルゲン鉄道の位置

ノルウェー南部を東西に横断するベルゲン鉄道 Bergensbanen は、首都オスロ Oslo と第二の都市ベルゲン Bergen を結んでいる陸上輸送の動脈だ。同時に、万年雪を望む標高1200mの峠を越えて、旅行者をフィヨルドの美しい風景のもとに送り届けてくれる観光ルートでもある。最重要路線の一つとして改良が重ねられてきたので、路線変遷の跡をたどるのも興味深い。1909年の全線開通から昨年で100周年を迎えたベルゲン鉄道を、4回にわたって図上旅行してみよう。

*注 本稿ではベルゲン「鉄道」としたが、鉄道庁 Jernbaneverket が管理し、ノルウェー鉄道 Norges Statsbaner(略称 NSB)が運行する路線の一つ。NSBでも英訳は Bergen Line(ベルゲン線)としている。

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オスロ周辺の地形図

オスロ中央駅 Oslo Sentralstasjon (Oslo S) を出発したベルゲン行きの列車はそのままトンネルに吸い込まれる。オスロトンネルと名づけられた3.6kmの長いトンネルは、1980年に中心市街の直下を貫き、それまで東西に分断されていた鉄路を一本につなげた。

中央駅はかつて東駅 Østbanestasjon (Oslo Ø) と称し、スウェーデン方面の国際列車や北、西、南東へ延びる国内線が発着するノルウェーで筆頭の駅だった。それに対して南西方面に向かう列車のターミナルとして、西駅 Vestbanestasjon (Oslo V) も存在した。いずれも行止りの頭端駅だったため、相互に往来できるように大規模な改良が施されたというわけだ。残念ながら、西駅は新ルートからはずれてしまい、1989年に廃駅となった。瀟洒な駅舎は残され、ノーベル平和賞の資料館(ノーベル・ピース・センター Nobel Peace Center)などに転用されている。

実は、ベルゲン鉄道のオリジナルプランはこの西駅を首都のターミナルに想定していた。実際に、暫定開業のいっとき、ここからベルゲンへ向かう人々が旅立ったこともある。しかし、正式開業した路線は東駅のほうに接続され、それから約80年間、列車は東に頭を向けて出発してきた。現在も東駅改め中央駅が始発だが、最初の構想に沿うかのように、正反対の方向、西向きにホームを離れる。極端なこの変化には、どのような事情があったのだろうか。

それを探る一つの鍵は、ベルゲン鉄道の戸籍上の起点にある。旅行書などではオスロから通しで紹介され、列車もそのように走っているのだが、意外にも鉄道の起点はオスロの北西40kmにあるヘーネフォス Hønefoss だ。そこからベルゲンまでの381kmが正式な区間で、根元のオスロ~ヘーネフォス間は厳密にはまだ完成していない。それが、運行ルートがたびたび動く原因になっているということもできるだろう。将来まで含めると4期にわたるルートの変遷は、次のとおりだ(下の変遷図も参照)。

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ベルゲン鉄道-オスロへのルートの変遷

1908年6月 グルスヴィクGulsvik~ベルゲン間の暫定開業
ベルゲン鉄道のルーツは、1883年にベルゲン~ヴォス間で開業した1067mm軌間(狭軌)のヴォス鉄道 Vossebanen で、現在の路線で言えば最も西寄りの区間に相当する。その後、1894年から標準軌による本格的な東西横断線が段階的に着工されていった。東と西から敷設が進められたレールは1907年に連結され、1908年6月に暫定開業に漕ぎ着けた。暫定とは、東側で未開通の区間が残っていたことを示している。ヘーネフォスの西にクレーデレン湖 Krøderen という湖があるが、その北端グルスヴィク Gulsvik までしか完成しておらず、南側の、当時路線で2番目に長かったトンネル(2312m)のあるハーヴェシュティンゲン Haverstingen の山越えは、目下工事中だった。

なぜこのような変則的な開業ができたかというと、湖の南端クレーデレン Krøderen に、1872年以来、鉄道(クレーデル鉄道 Krøderbanen)が来ていたからだ。ベルゲン鉄道を降ろされた乗客は、湖上を渡る蒸気船でクレーデレンに上陸し、狭軌線の路線網を使ってヴィケルスン(ヴィケシュン)Vikersund、ドランメン Drammen 経由でオスロ西駅(下注)へ到達した。

*注 オスロは、1925年に改称されるまでクリスチャニア Christiania と称していたが、本稿ではすべてオスロと記す。

1909年11月 全線開業
クレーデル鉄道 Krøderbanen にとって、ベルゲンルートを代替した期間は後々の語り草となった。田舎のローカル線に突如1日700人以上の乗客が押寄せたため、駅にはレストランさえ設けられた。しかし、繁栄はわずか1年数か月しか続かず、湖岸に沿って本線が開業すると、湖の上流に住む客まで奪われて輸送量は一気にしぼんだ。鉄道は1958年に旅客営業を止め、現在は保存鉄道として命脈を保っている。

それはさておき、ヘーネフォスから首都へはサンヴィカ Sandvika 経由が最短で、計画にもそう示されていた。すでにヘーネフォスには1868年からランスフィヨルド鉄道 Randsfjordbanen(ドランメン Drammen ~ランスフィヨーレン Randsfjorden)が通じていたので、それと接続すれば、計画よりは遠回りながら首都へのアプローチが可能なはずだ。しかし、致命的だったのは、オスロの西側の鉄道が当時すべて1067mm軌間だったことで、改軌しない限り列車を直通させることはできない。

目を東に向けると、標準軌の北部鉄道 Nordbanen(現在のヨーヴィク鉄道 Gjøvikbanen)が、オスロ東駅につながっていて、こちらに乗り入れたほうが工事費が少なくて済む。それに、東駅でスウェーデン方面を含む多くの路線へ直接乗換えられる点も有利だった。ヘーネフォスと北部鉄道の途中駅ロア Roa を結ぶ連絡線は1909年11月に完成し、この日からオスロ~ベルゲン間で直通列車の運行が始まった。しかし、連絡線の名称はロア・ヘーネフォス線 Roa-Hønefosslinjen とされ、ベルゲン鉄道に組み込まれたわけではなかった。

1980年代後半 オスロトンネル経由に切替え
ロア経由の東回り時代は長く続いた。オスロトンネル開通後の1984年版の時刻表を見ても、まだすべての優等列車がこのルートを通っている。しかし、1980年代後半から、旅客列車は西回りに切替えられていった。その主な理由は、高速運転が可能なことと、人口密度の高い地域で乗客増が期待されることだ。

北部鉄道は標準軌とはいえ単線で、オスロ背後の山地を越えていくため、線形は決してよくなく、周辺の人口も少ない。それに比べて西回りのドランメン鉄道 Drammenbanen、ランスフィヨルド鉄道は、第1次大戦前後に標準軌化され、特に前者の沿線は都市化が進んで、複線化や長大トンネルの建設による線路改良が行われている。距離は23km長くなるが、高速走行により所要時間にほとんど差はない。この結果、今や東回りで運行されるのは、貨物列車だけになってしまった。

将来 初期計画線の実現
初期構想以来、長年の懸案であるヘーネフォス~サンヴィカ間をショートカットする路線に、昨今またスポットライトが当てられている。ヘーネフォス周辺の地域名から、リンゲリケ鉄道 Ringeriksbanen と呼ばれる路線だが、大半円を成すオスロ都市圏北側の公共輸送を、自動車から鉄道に呼び戻す切り札として注目されているのだ。

今回は、ガーデモエン(空港)鉄道 Gardermobanen に続く高速新線の整備計画の中に位置づけられ、具体的なルートも発表されている。それによれば、延長40kmで、時速200km走行が可能な高規格線となる。単線だが、6~8kmごとに長大貨物列車が交換できる750mの待避線が設けられる。現在、オスロ~ヘーネフォス間は列車で90分程度かかるが、完成すればわずか30分と、画期的な時間短縮が図られる予定だ。

これによってベルゲンまでのトータルの所要時間もかなり改善され、今度こそベルゲン鉄道の起点が首都オスロに変わる日が来るかもしれない。残念ながらまだ着工のめどは立っていないものの、東西交通の新時代到来を予感させる一大プロジェクトの進展に期待したい。

次回は、ベルゲンへの道中、分水嶺の東側にある見どころを紹介する。

■参考サイト
NSBのベルゲン鉄道紹介サイト(英語版あり)
http://www.nsb.no/travel_inspiration/
 左メニューにBergen Railwayがある
ノルウェー鉄道時刻表  http://www.nsb.no/timetables/
 路線ごとのPDFファイルがある。
 ベルゲン鉄道は時刻表番号41 Oslo S - Bergen(長距離列車)、43 Bergen -Arna(ベルゲン近郊シャトル)、45 Bergen - Voss - Myrdal(区間列車)
鉄道庁 Jernbaneverket のサイトにあるベルゲン鉄道写真集
http://www.jernbaneverket.no/no/Jernbanen/Virtuell-togreise/Bergensbanen/

ベルゲン鉄道前面車窓ビデオ Download Bergensbanen in HD
http://nrkbeta.no/2009/12/18/bergensbanen-eng/
 イントロにいわく、「2009年11月27日、120万のノルウェー人がNRK2チャンネルで『ベルゲン鉄道』の一部を視聴した。史上最長のドキュメンタリー? 少なくとも我々が製作したものでは最長の、7時間半近くに及ぶ作品では、ノルウェー西海岸のベルゲンから、山地を横断して首都オスロまでの美しい列車旅の風景を全編ノーカットで収めている。」 ダウンロードは自由だが、ファイルサイズが22GB(!)もあるので注意。同ページ末尾に、フィンセ東方を走る10分間のお試し映像がある(YouTubeへリンクしている)。

本稿はJohn Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 をもとに、Wikipedia英語版、ノルウェー語版を参照して記述した。
地形図は、地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した © www.avinet.no 2009

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 ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて
 ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道

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 ノルウェーの鉄道地図

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