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2010年2月 4日 (木)

ライトレールの風景-万葉線

富山はLRT(次世代型路面電車システム)の先進地として、昨今目が離せない存在だ。2006年に開業した富山ライトレールは、都市近郊のローカル線を再生するモデルケースになり、2009年12月には中心街の環状線が、新型車両を導入して華々しく復活した。

しかし、注目スポットは富山市内だけではない。県西部にもう一つ、万葉線がある。JR高岡駅前と富山新港に面した越ノ潟の間12.8kmを結ぶ路線だ。アイトラムと名づけられた真っ赤な車体は遠目にも鮮やかで、街の景色に一点のアクセントを添えている。2004年に導入された当初は、脱線続きでどうなることかと気を揉んだが、今では6編成に増備され、運行はほとんどこの新型車で賄われるようになった。

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アイトラム、越ノ潟駅にて

筆者が久しぶりに万葉線を訪れたのは2008年9月のことだ。JR氷見線の伏木駅で下車し、万葉線に乗り継ぐのに、小矢部川を渡し船で越えた。このささやかな川越えは、源義経の故事を引き「如意の渡し」として親しまれていたのだが、道路橋(伏木万葉大橋)の完成により昨年(2009年)8月に廃止されてしまった。コスモスが風にそよいでいた最寄りの無人駅、中伏木を利用する旅行者の姿もこれで消えたかと思うと残念だ。

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(左)如意の渡しの乗り場 (右)船の背後に道路橋

終点まで行って折り返すつもりで、越ノ潟行きに乗り込んだ。一日乗車券(渡船も可だった)を買ってあるし、運転間隔も15分毎と短いので、気軽に乗降りできるのがうれしい。明るく気持ちのいい車内だが、平日の昼間はみごとにすいている。工場の裏手を右に大きくカーブすると、六渡寺(ろくどうじ)駅に停まる。以前は新湊(しんみなと)と称した。ここから庄川に架かる長い鉄橋を渡って新湊市街(現 射水市)に入っていく。

ところで、市街から見れば川の向こう岸の駅をなぜ新湊と言ったのだろう。それに、万葉線の公式サイトによると、この駅を境に、西側が高岡軌道線7.9km、東側が新湊港線4.9kmと名称が違う。何やらいわくがありそうだ。

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高岡・射水地域の鉄道網の変遷

成立過程をひも解くと、意外にも電車は最初、高岡からではなく、東の富山からやってきたことがわかる(上図参照)。1933(昭和8)年に新富山から新湊(当時は新伏木口)まで全通した越中鉄道がそれだ(1943年の戦時合併で富山地方鉄道射水線となる)。ここにはすでに、氷見線の能町で分岐した省線(新湊線)が延びていて、貨物の連絡運輸が行われた。まもなく駅名も省線に合わせて新湊になる。一方、高岡から路面軌道が来るのは戦後になってからで、1948年に高岡~伏木港、1951年に途中の米島口から新湊までの支線が開通した。新湊では旅客営業を廃止した国鉄新湊線の代わりに射水線と接続して、高岡~新湊~富山市内という長距離の直通運転が開始された。

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新湊付近の1:50 000地形図 1930(昭和5)年
越中鉄道が新湊東口まで開通している
(最新地形図は下記サイト参照)

■参考サイト
高岡駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.741700/137.014600
越ノ潟駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.774900/137.111900

射水線に転機が訪れたのは、高度成長期の1960年代だ。潟湖である放生津潟(ほうじょうづがた)に富山新港の建設が決まり、港口の開削で陸路が分断されることになったのだ。1966年に堀岡と越ノ潟の間が廃止され、渡船による連絡に切替えられた。高岡軌道線のほうは1959年、すでに加越能鉄道へ移管済みだったが、越ノ潟以西の射水線もこのとき譲渡された。万葉線に軌道と鉄道が混在しているのは、こうした経緯による。その後、伏木港への路面軌道も、新港以東の射水線もともに廃止されたため、万葉線だけが建設時の経緯を伝えているのだ。

その万葉線も10年前には存続の危機に瀕していた。利用者の減少が続く中、1998年、加越能鉄道が欠損補助の期限切れを理由に、バス転換の方針を打ち出したからだ。それに対して地元自治体は、路線をまちづくりに活用すべき都市施設と位置づけ、一般市民や団体の参画を得て協議を重ねた。そしてついに2002年、第三セクター方式による再スタートに漕ぎ着けた。

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(左)中伏木駅 (右)庄川を渡る

さて、庄川の鉄橋を渡り終えた電車は、市街の南の縁をなぞるように進む。専用軌道で直線区間も多いが、駅間距離が短いせいかノッチを倒しては緩めの繰り返しで、性能をフルに発揮しないまま走り続けた。中新湊で対向列車と交換した後は、左カーブで築堤に上って内川をまたぎ越す。かつて放生津潟から流れ出ていた川の岸辺には桜が植わって、車窓につかの間の潤いをもたらしてくれる。

終点の越ノ潟は、港に向けて右に首を振った状態で、線路が途切れている。目前に県営渡船の乗り場があり、対岸に渡る客を待つ小型フェリーの姿があった。しかし、ここでも湾口をまたぐ巨大な橋(新湊大橋)が建設中で、いつ廃止になるやもしれぬと、急かされる思いで記念乗船してきた。頬に当たる風が冷たく感じられる。

帰りは1つ目の海王丸駅で早くも下車した。駅名に惹かれて船を見に行こうと思い立ったのだ。1989年に現役を引退した練習帆船の海王丸が、駅の北方にあるだだっ広い公園の掘込みに係留されている。おおむね月に一度すべての帆が張られるそうだが、ふだんでも内部の見学が可能だ。甲板から操船室、宿泊室、機関室と巡ったあと、食堂で流されている現役時代のビデオの前で足を休めた。テレビの画面で見るだけでも、風に帆を膨らませて大海原を進む船の姿は優雅で絵になる。なお、地形図の駅の位置は旧越ノ潟口駅のもので、現在は200mほど西の踏切東詰めに移設されている。

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(左)終点の突当りに県営渡船の乗場
(右)堂々たる姿の海王丸
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(左)車内 (右)高岡市街を行く

再びアイトラム車中の人となった。海王丸駅を出たときは私一人だったが、中新湊で女子高生が大勢乗り込んできた。往路で乗車した区間を過ぎるとすぐ道路上に出るが、なにも併用軌道にしなくても、と呟きたくなるようなひなびた風景だ。それも長くは続かず、能町口から再び専用軌道で築堤にのし上がり、JRの2線を一気に乗り越していく。降下したところで高伏道路(県道24号伏木港線)に合流したあとは、終点まで車道の中央をしずしずと進んだ。

広小路までは複線化されている。線路敷が改築されている個所も多くて、乗り心地は良好だ。日が傾き始めて人の動きが出てきたらしく、車内の立ち客は絶えることがない。周囲は徐々に街らしさを増していき、交差点で左折したと思ったら、まもなく高岡駅前のアナウンスが聞こえてきた。50分ほども乗っていたはずなのに、つい時の経つのを忘れていた。

■参考サイト
万葉線(公式サイト) http://www1.coralnet.or.jp/manyosen/
北陸の私鉄 万葉線の沿革 http://www.atw.ne.jp/~suwa_h/MANYO/MREKISI.html
 港口切断前の風景を含む往時の写真多数あり。
海王丸パーク http://www.kaiwomaru.jp/

【追記 2015.7.13】
車両運用がアイトラム中心となってからも、高岡駅前には、昔ながらの広告看板がぶらさがるパッとしない電停が残っていた。しかし、その光景も2014年3月29日から過去の記憶になった。JR橋上駅舎(下注)の隣りに開業したクルン高岡(新ステーションビル)の地上階に、新しい乗り場が造られたからだ。それに伴い、電停名も「高岡駅」に改称された。

*注 2015年3月、旧 北陸本線の経営分離で、あいの風とやま鉄道との共用になった。

万葉線の線路は、旧高岡駅前電停から0.1km延伸され、左に急カーブしながら、ビルに吸い込まれていく。新発着場は2面2線で、隣接して路線バスなどと兼用の広い待合室も設けられている。2階にある鉄道線の改札とは少し距離があるものの、雨や雪の日も濡れることなく両線間の行き来ができるようになった。トラム先進県の面目躍如というところだ。

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旧電停位置から駅ビルへアプローチする急曲線
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「高岡駅」電停 (左)頭端式ホーム (右)一新された乗り場

掲載の地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図富山(昭和5年修正)を使用したものである。

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コメント

こんにちは。
いつも緻密な分析を楽しまさせていただいています。
以前は高岡駅前駅と国鉄高岡の貨物ホームが線路で繋がっていました。
1980年代初め頃に新湊高校の甲子園応援列車が新湊駅から出発したことがありました。長編成の12系(DE10牽引)だったそうです。
臨時・団体の長編成の客車列車と言えば、筑波鉄道、鹿島鉄道、茨城交通線にも入っていたシーンが思い起こされます。

コメントありがとうございました。
貨物だけでなく旅客列車も臨時・団体で乗入れていたのですね。三セクになったとたん線路を分断して乗継客を遠回りさせる近年のやり方とはまるで発想が違います。

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