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2010年2月25日 (木)

ノルウェーの絶景路線 ラウマ鉄道

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ドンボース駅でドヴレ鉄道と接続を取る
ラウマ鉄道の93形気動車

ノルウェー西部の海岸線を南から北へたどっていくと、主要都市ベルゲン Bergen とトロンハイム Trondheim の間にもう1か所、鉄道が海岸に現れる場所がある。オンダルスネス Åndalsnes という小さな港町だ。路線は、山中のドンボース Dombås 駅でトロンハイムへ北上するドヴレ鉄道 Dovrebanen から分岐した長さ114kmの支線で、並行する川の名を取ってラウマ鉄道 Raumabanen(下注)と呼ばれている。

*注 直訳でラウマ「鉄道」としたが、ドヴレ鉄道などと同様、鉄道庁 Jernbaneverket が管理し、ノルウェー鉄道 Norges Statsbaner(略称 NSB)が運行する路線の一つ。NSBでも英訳は Rauma Line(ラウマ線)としている。

通常は毎日4往復の旅客列車しか走らない非電化のローカル線なのだが、夏のシーズンに運行される観光列車はとりわけ人気が高い。ラウマ鉄道は何のために建設されたのか、何が観光客をひきつけるのか、少し探ってみよう。

なお、掲載した写真はすべて、2015年8月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

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ラウマ鉄道の位置

ラウマ鉄道の最終目的地は実はオンダルスネスではなく、フィヨルドの岸をさらに西へ120kmたどった先にあるオーレスン Ålesund だ。ノルウェー漁業の中心地の一つで、20世紀初めの大火から復興する過程で形成されたユーゲントシュティール(ドイツ語圏のアールヌーボー)の街並みでも知られている。鉄道の開通は、地域の人々にとって50年越しの悲願だった。オーレスンへの鉄道建設構想が地方議会を通過したのは1873年で、複数の候補の中から、建設費が最も安く、東部への最短ルートとなるロムスダール Romsdalen(下注)を通る案が採用された。

*注 dal、dalen は谷の意。語尾のenは定冠詞(後置定冠詞)で、dalen は英語なら the valley に当たる。鉄道路線の bane と banen なども同様。

本線であるドヴレ鉄道は、最後に残ったドンボース~オップダール Oppdal 間が1921年9月につながって全通を果たした。それと時をほぼ同じくしてラウマ鉄道も、最初の区間ドンボース~ビョーリ Bjorli 間が開通し、1923年にヴェルマ Verma まで延長、1924年11月にオンダルスネスの港に到達している。鉄道のオーレスンへの延長はついに実現しなかったが、連絡バスをNSBが走らせているのはその名残りらしい。

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ドンボース駅待合室にあったラウマ鉄道75周年(1999年)のパネル
右はヒッリング橋建設当時の写真

最近、ノルウェーでも高速新線(ノルウェー語で Høyhastighetsbane)の建設が進められていて、ドヴレ鉄道に並行するオスロ~トロンハイムのルートとともに、ドンボース~オーレスン間も候補に挙がっている。国内の主要都市を時速200km以上の列車で結ぶというあまりにも壮大な計画の一部ではあるが、将来、オーレスンへ列車で直接行ける日がやってくるのかもしれない。

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ラウマ鉄道の沿線風景
背景はトロールヴェッゲン
(オンダルスネスの観光パンフレットより)

ラウマ鉄道の2010年夏の時刻表(5月29日~8月29日)を見ると、全線を完走するのは2便のみで、あとの2便はオンダルスネスと中間駅のビョーリとの往復便だ(下注)。ふつうに走れば45分程度の距離にどの列車も1時間かけているのは、SL牽引と観光停車を見込んでのことだろう。見どころは確かにビョーリ以西に集まっているのだが、鉄道ファンとしては起点から順を追って見ていきたい。

*注 2015年夏の時刻表では、SL列車は姿を消し、平日は4往復(土曜2往復、日曜3往復)とも気動車による全線通しの運行になっている。

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地形図で見るラウマ鉄道全線

ドンボースは、ドヴレ鉄道がずっと遡ってきたグドブランスダール Gudbrandsdalen の途中にある小さな村に過ぎない。それで、駅も乗換え客のために存在するようなものだ。ホームは2面2線、ラウマ鉄道オンダルスネス行きの列車は駅舎寄りの1番線に停車して、接続列車の到着まで静かに待機する。

駅はすでにかなりの高みに位置していて、はるか下の谷底から緑の牧草地が足もとまで這い上がってきているのが見える。ドヴレ鉄道はこれからさらに山手へと坂を上っていく。ラウマ鉄道も一応峠を越えなければならないのだが、おもしろいことに、標高630m前後の峠よりもこの駅(同 659m)のほうが高所にある。峠までは等高線に沿うように山腹をたどり、川が高度を上げてくるのを待つような形だ。

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ドンボース駅 (左)駅舎 (右)構内を区切るトンネルと円形機関庫
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牧草地が谷底から駅のある高みまで上がってくる

現在、ラウマ鉄道の旅客輸送を担っているのは、銀と赤に塗り分けたノルウェー鉄道の93形、2001年に導入されたボンバルディア社の連接式気動車だ。カーブの多い山岳線にふさわしく、振り子制御を効かせて走る。車内に飲み物やスナックの自販機を備えているのは、観光路線としてのささやかなサービスだろう。

ドヴレ鉄道の列車が隣のホームに到着し、乗客の移動が終われば、いよいよオンダルスネスへ向けて出発だ。駅構内を区切る短いトンネルを抜けると、すぐにドヴレ鉄道が右に分かれていき、ラウマ鉄道本来の孤独な旅が始まる。

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(左)発車を待つオンダルスネス行き (右)窓が大きく取られ開放的な車内

ヨーリ川 Joli を渡った後しばらくは、ドヴレ鉄道で見てきたのと同じような氷河由来の雄大なU字谷の風景が続いている。レスヤ Lesja 駅の前後が特に広々と感じられるのは、19世紀にかつての湖(レスヤ湖 Lesjavatnet)を排水した跡だからだ。標高633mのレスヤヴェルク Lesjaverk 駅からは左手に本物の湖(レスヤスコーグ湖 Lesjaskogsvatnet(レスヤスコーグはレスヤの森の意))が見え隠れし、しばらくそれに沿って走る。地名に Verk(英語の Work)とあるのは、17世紀から19世紀初めまで鉄の生産地であったことを示している。実は湖も1660年代に、輸送のために川の流量を調整する目的で堰止められた人造湖なのだそうだ。

湖を見送ると、川が逆方向、列車の進行方向に流れているのに気づくだろう。湖は半島分水界の上にあって、水は北海(スカゲラク海峡 Skagerrak)と大西洋の両方に流れ出ている。ベルゲン鉄道のような峠らしい峠を経験しないまま、線路は大西洋斜面の緩い下り坂に入り、ビョーリ駅に到着する。

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レスヤ湖の跡は緑豊かな耕地に変貌
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(左)レスヤスコーグ湖が見え隠れする(帰路写す) (右)ビョーリ駅舎

昼間の観光列車の運行区間がビョーリ以西である理由は、スカンジナビア山脈が西に大きく偏っていることと関係している(下注)。オスロから延々 390kmも走って稼いだ高さをわずか60数kmで下りきらなければならない。この急激な高度の変化がさまざまな見せ場を提供してくれる。ビョーリを出て2つ目の橋、鉄道写真にも登場するストゥグフローテン Stuguflåten 橋を渡れば、車窓ドラマの幕開けだ。

*注 先述のとおり、2015年現在、ビョーリ折返しの列車はない。

■参考サイト
Wikimedia - ストゥグフローテン橋の写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stugufl%C3%A5ten_Bridge.jpg

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(左)ストゥグフローテン橋を渡る (右)向かいの谷壁を流れ落ちるヴェルマ川

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ヴェルマ付近の地形図

ゆったりと流れてきたラウマ川がここから俄かに荒々しい急流へと変貌する。それに対する鉄道は20‰の下り勾配を維持したまま、谷の東斜面を進むので、谷底との高度差がすぐに100m以上開いてしまう。これを克服するために設計者が採用したのが、反転を繰返して谷を下りる方法だ(右の地形図)。スイスのゴットハルト鉄道 Gotthardbahn やレッチュベルク鉄道 Lötschbergbahn が有名だが、スカンジナビア半島ではここにしかない。

これにより、ヴェルマ Verma 旧駅をはさむ7.4kmで高度を120m下げる。馬蹄カーブの半径は275mだが、狭い山中のため上部側はトンネルで、下部側は橋で対岸に渡ることにより回転スペースを確保している。

反転に入る前、向かいの谷には、高さ380mの谷壁を滝となって流れ落ちるヴェルマ川が眺められる。下方で水流が二又に分かれているが、そこを横一文字に横断しているのが、これから降りていく線路だ。と思う間に列車は、長さ1340mのスタヴェムトンネル Stavemstunnelen に突入する。1回目の反転が、この闇の中で行われる。トンネルを出たらすぐに、右の車窓に注目してほしい。ラウマ川が潤す緑の谷を、比高200m近い高みから俯瞰できる沿線屈指のビューポイントが待っているからだ。車内のアナウンスがあり、列車も(おそらく)徐行するので見逃す心配はない。

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ラウマ川が潤す緑の谷の俯瞰

2回目の反転もトンネルで始まるが、すぐに抜け出て、深いラウマ峡谷をひとまたぎするヒッリング橋 Kylling bru にさしかかる。長さ76m、水面からの高さ59mのスリリングな石造アーチだ。むろんここでも列車は徐行して、遠来の乗客を飽きさせない。橋を渡ればまもなく左側に、さきほど見えていたヴェルマ滝 Vermafossen が現れる。目と鼻の先にある岩場を水しぶきを飛ばして落ちているので、迫力は抜群だ。しばらくそのまま谷の斜面を降りていき、再度ラウマ川を渡るフォス(滝)橋 Fossbrua でようやく線路は谷底に届く。

■参考サイト
Wikimedia - ヒッリング橋の写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kylling_bru_08062008.JPG

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(左)ヒッリング橋を遠望 (右)ヒッリング橋の上から見たラウマ川の上流側
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目の前にヴェルマ滝が

終盤は、ゆったりとした流れに戻ったラウマ川に沿って走る。中でも注目の一つは、右の岩壁にかかるモンゲ滝 Mongefossen だ。車窓には次から次と落差の大きな滝が現れては去っていくので、珍しくもないかもしれないが、これは高さ773mと、ロムスダールで最大どころか、世界でも第4位の規模とされている。残念ながら、水力発電に水を取られて、1年の大半は乾いてしまっているという。

このあたり、谷を取り囲んでいる山々は非常に急峻で、あたかも天を支える屏風を思わせる。車窓左側に連なるのがトロールティンデネ Trolltindene(下注)と呼ばれる峰々、右側は尖峰ロムスダールスホーネ Romsdalshornet を擁する山塊だ。中でも有名なのが、前者の一部を構成している断崖、トロールヴェッゲン Trollveggen(トロール岩壁の意)で、川向うにあるので車窓からもよく見える。谷底からの高さは何と1,100m、ヨーロッパ随一の垂直な岩壁として知られ、最上部は麓から50mほどオーバーハングしているそうだ。扇状に開いた大規模な崩壊地を従えているので、すぐに気づくだろう。

*注 下の地形図には Trolltindan とあるが、これはニーノシュク Nynorsk(西海岸で使われる公用語)による表記。

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崩壊地の左の断崖がトロールヴェッゲン
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緩やかに流れるラウマ川、背後の尖峰はロムスダールスホーネ
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トロールヴェッゲン付近の地形図

ダイナミックな景色を堪能しているうちに早や終点が近づいている。湾に突き出た岬を回りこむようにして、列車は1時間20分の旅を終え、オンダルスネス駅の構内に迎えられる。
(2015年9月2日改稿)

■参考サイト
Wikimedia - オンダルスネス駅構内の写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:0807_16c_taki_tam_widoczek_na_stacje_kolejowa_Andalsnes.jpg

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(左)河口間近 (右)オンダルスネス駅舎
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終点オンダルスネス周辺の地形図

■参考サイト
ノルウェー鉄道時刻表  https://www.nsb.no/en/timetables/timetables
 路線ごとのPDFファイルがある。
 ラウマ鉄道は Local 22 Åndalsnes - Dombås

本稿はJohn Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 をもとに、Wikipedia英語版、ノルウェー語版を参照して記述した。
地形図は地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した (c) www.avinet.no 2009, 2015

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2010年2月18日 (木)

ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道

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トルネトレスク湖畔を走る
ノールランツトーグ
(SJサイトより)

終点ナルヴィク Narvik 駅、北緯68度26分。オーフォート鉄道 Ofotbanen は、かつてノルウェーのみならずヨーロッパ最北の鉄道として知られていた。ソ連崩壊後は、開放されたサンクトペテルブルク~ムルマンスク線にその地位を譲り渡したが、車窓風景のすばらしさは数字上のランキングを補って余りある。ルートはスカンジナビア半島北部を縦断している。スウェーデン、ボスニア湾岸のルーレオ Luleå を発して、鉄鉱山の町キルナ Kiruna を経由し、国境を越えてノルウェーの港ナルヴィク Narvik に至る。大都会の雑踏を後にして、真夜中でも太陽が沈まないラップランドにある手付かずの聖域(サンクチュアリ)を旅しよう。鉄道会社の誘い文句に心が惹かれる。

路線名がノルウェーの地方名オフォーテン Ofoten から取られていることからわかるように、これはノルウェーにおける呼称だ。スウェーデン側ではその使命に照らして、ずばり鉱石鉄道 Malmbanan と呼んでいる。内陸のキルナとイェリヴァレ Gällivare 周辺に分布する鉄鉱石の鉱床を開発し、港と直結することが敷設の主目的だからだ。

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オーフォート鉄道の位置

構想は1880年代に動き出した。事業は1882~83年に認可され、イギリス資本により、地形的に問題の少ない東のボスニア湾側で先行して建設が進められた。1888年に港町ルーレオ~イェリヴァレ間が開通して鉱石の運搬が始まった。ボスニア湾は冬に凍結してしまうため、年間を通して鉱山を安定的に稼動させるには、半島西側の不凍港ナルヴィクへの延長が不可欠だ。しかし、難工事が予想される西ルートを着工できないまま、会社は1889年に倒産してしまう。

鉱山開発を引き継いだ国有会社の資金提供で事業が再開されるまでに、9年の空白があった。その際、曲線半径の緩和や雪崩対策としてのトンネル化など、低規格で作られた旧計画の見直しが行われた。極北の地では、昼夜兼行で工事ができる夏の5ヶ月に対し、冬場はマイナス40度の強風に曝される。水が凍って水圧掘削機が役に立たず、ハンドドリルで掘り進まねばならないような過酷な条件下で、賃金を上げてもなお熟練工夫は不足した。1902年11月、キルナ~ナルヴィク間が完成に漕ぎつけたが、国王を迎えての開通式は翌03年7月まで行われなかった。暗い冬の間、国王が極北の地へ行きたがらなかったからだと伝えられる。開通時は蒸機運転だったが、1923年に早くも全線の電化が完了している。

今もキルナとナルヴィクの間では年間1590万トンの貨物を扱っていて、この数字はノルウェーの他の全路線の合計より多く、スウェーデンの貨物輸送量の25%を占めるほどだ。しかし、貨物ばかりでなく、旅行者にとっても一度は訪れる価値があるルートに違いない。キルナから北へ41kmのトルネトレスク Torneträsk の駅から先は、スウェーデンで最も美しい鉄道ルートと賞賛されている。トルネトレスク湖(下注)が車窓の右側に長く横たわり、国立公園の玄関口アビスコ Abisko も湖のほとりにある。ここで降りて、代表的なトレッキングルート「王様の散歩道(クングスレーデン Kungsleden)」をたどって、同国の最高峰ケブネカイセ Kebnekaise 方面を目指す人も多い。

*注 トレスク Träsk は沼地という意味なので、トルネトレスク湖と言わずトルネ湖とする文献もある。

アビスコから先も、眺望は終始右手に開ける。列車は高度をじわりと上げながら大小の湖が点在する広大なU字谷をしばらく進み、スウェーデン最後の駅、標高531mのリクスグレンセン(国境の意)Riksgränsen に停車する。スノーシェッド(雪覆い)が断続する中で両国を区切る分水界を通過した列車は、坂道をすべるように降りていく。1984年までキルナとナルヴィクの間は貫通する道路がなく、鉄道が唯一の交通手段だった。山中に使われなくなった駅を見かけるのはその名残りだという。

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地形図で見るノルウェー側のルート
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国境~ロンバークフィヨルド最奥部の地形図

オーフォート鉄道の最後の見どころはここから始まる。谷底から40mの高さがある長さ180mの鉄橋を渡ってすぐに突っ込むトンネルは路線最長607mのノールダールトンネル Norddaltunnelen だ。その後も連続するトンネルをはさんで、線路は急激に深まる谷壁の中腹を這っていく。工事用の道路を通すことができず、索道で資材を運んだというのはこのあたりだろう。ロンバークフィヨルド Rombaksfjorden の壮大な空間が見通せるようになるが、それもつかのま、オメガカーブで南谷Sördalを大きく巻いて、ひと気のない駅カッテラート Katterrat にたどり着く。ここでもまだ谷底との高低差は300m近くある。ゆっくりと山を下っていくと、まもなく真下の谷に海水が満ちてくるのが見える。フィヨルドを横断する国道E6号線の吊り橋、ロンバーク橋 Rombaksbrua を見送れば、終点まであと10分あまりだ。ナルヴィク旅客駅は標高40m、町外れの高台に位置しているが、貨物列車はさらに進んで海岸の港に至る。

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ナルヴィク周辺の地形図

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ルートを地形図で見るなら、スウェーデンの国土測量庁 Landmäteriet が発行する山岳地図 Fjällkartan の BD6:Abisko-Kebnekaise-Narvik  がいいだろう。表題の通り、アビスコ~ナルヴィクの景勝区間とケブネカイセの一帯が含まれ、王様の散歩道を訪れるのにも最適の地図だ。縮尺は1:100,000ながら、氷河が作った複雑な地形をぼかし(陰影)つきで美しく表現している(右写真は1994年版。現行版は表紙の意匠が異なる)。

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オーフォート鉄道はノルウェーの他の路線網とは接続しておらず、ノルウェー鉄道の路線図にも載っていない。優等列車はスウェーデンの首都ストックホルムから夜を徹して北上してくる。長らくノルドピレン Nordpilen(北の矢の意)の愛称で旅行者に親しまれていた夜行便だが、その後、ノールランツトーグ Norrlandståg(北部地方の列車の意)と名称が変わった。両国国鉄がそれぞれ国境までを担っていた旅客列車の運行も、オープンアクセス方式が導入されて以降は変動が激しい。

スウェーデン側は2000年から列車会社 Tågkompaniet という民間企業が参入し、2003年に国際的な交通事業者であるコネックス社 Connex(後のヴェオリア交通 Veolia Transport)に引き継がれた。このとき、ノルウェー側もオーフォート鉄道会社 Ofotbanen が運行権を獲得した。しかし、オーフォート社の経営状態は芳しくなく、たびたび安全性の問題も指摘されたため、ついに契約は取り消され、2008年6月からスウェーデン鉄道SJが代わって、ノルウェー側まで通しで運行することになった。

2010年上期の時刻表を見ると、ルレオー~キルナ間には4往復、キルナ~ナルヴィク間は3往復の列車が設定されている。ヴェオリア交通も臨時の夜行列車を6~8月に週2便、マルメ Malmö またはイェーテボリ Göteborg とナルヴィクの間に走らせている。

■参考サイト
スウェーデン鉄道SJ http://www.sj.se/
スウェーデン鉄道時刻表 http://www.resplus.se/
 時刻表は Tidtabeller。ナルヴィク~ルレオー間は時刻表番号30。
オーフォート鉄道会社 http://www.ofotbanen.no/
 現在は貨物列車を運行する会社につき、旅行情報はない。
アビスコ観光案内 http://www.abisko.nu/ なんと日本語版も用意されている。
オーフォート鉄道の写真集 http://www.arctictrains.com/

本稿はJohn Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 をもとに、Wikipedia英語版、スウェーデン語版を参照して記述した。
冒頭の列車写真はSJ公式サイト > Om SJ > Press > Bilder > Andra tågで提供されている「SJノールランツトーグ、ナルヴィクからのIC95、トルネトレスクを通過 SJ Norrlandståg, IC 95 från Narvik, passerar här Torneträsk」を使用した。Foto: Kasper Dudzik.
地形図は地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した (c) www.avinet.no 2009, 2015

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 スウェーデン 内陸鉄道-1270kmのロングラン

2010年2月11日 (木)

ノルウェーの地形図

スカンジナビア半島の自然は東と西で対照的だ。冬には凍結してしまう東のボスニア湾に比べて、西のノルウェー海は北上する暖流のおかげで海が凍らず、気候もそれだけ優しい。しかしその反対に、地勢は東岸が低くて、西に向かって徐々に高度を上げていき、西岸では標高2000m以上に上昇した山塊が一気に海に落ち込んでいる。農地に適した平地はわずかしかない。半島の西側を占めるノルウェーが漁業を伝統的な主要産業としているのも、必然性のあることなのだ。

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1:50,000索引図の一部

万年雪から流れ下る氷河、岩山に点在する大小の湖、フィヨルドの静かな入江とそそりたつ岩壁。ノルウェーの国土には、ダイナミックかつ千変万化の造形が南北2000kmにわたって続いていて、筆者がこの国の地形図に強く惹かれる理由もそこにある。ただし、全土にわたって整備されている地形図は縮尺1:50,000(M711シリーズ)が唯一のもので、ヨーロッパ諸国では例外的にシンプルな体系だ。他の縮尺もあるにはあるが、地形図として刊行されておらず、主題図のベースマップでしか見ることができない(下注)。

*注:紙地図はこれだけだが、デジタル地形図としては、1:50,000~1:5,000,000のラスタデータ、ベクトルデータが整備されている。

国の測量機関は、環境省に属する地図局 Statens Kartverk(英語名称 Norwegian Mapping Authority)で、1986年に前身のノルウェー地図測量局 Norges Geografiske Oppmåling を引継ぐ形で設立された。改組以前から地形図のほかに旅行地図や道路地図のような主題図も手がけていたが、紙地図についてはデジタル化の進行に合わせて大幅な見直しがかけられた。現在も1:50,000地形図は地図局が刊行元になっているものの、印刷はユーグランITグループ Ugland IT Group、販売は民間出版社であるカペレン・ダム社 Cappelen Damm AS に委ねられている。それ以外の主題図は完全に地図局の手を離れ、ユーグランITグループが製作・販売を行うようになった。

【追記 2011.9.1】ユーグランITグループは、2011年2月からノーデカ社 Nordeca AS に改称した。

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1:50,000地形図表紙
(左)オスロ 1976年修正
(中)ベルゲン 1986年修正
(右)オスロ 2007年修正

旅行地図などの詳細は稿を改めるとして、ここでは1:50,000地形図を紹介しておこう。本土全域(スヴァールバルなどの離島は除く)を計727面でカバーするこのシリーズは、旧米国陸軍地図局AMSの支援を得て1950年代に刊行が始められたものだ。広げると横55.5×縦74.0cmの縦長サイズになる。図郭は縦方向が緯度15分刻みで一定だが、横方向は北緯62度以南が経度22度30分、62~68度までが同30分、68度以北は同36分と変えている。これほど刻みを広げても、最南端に近いクリスチャンサン Kristiansand と最北端ノールカップ Nordkapp の図葉を比べると、横幅は後者のほうがやや狭く、南北方向の長さが実感できる。

地勢表現は20m間隔の等高線だけで、ぼかし(陰影)などの直感的な描写は加えられていない。しかし、いくら急傾斜でも等高線は間引かれないので、フィヨルドの断崖などはほとんど塗り潰したようになり、おのずと立体感が現れている(サンプル図は下記参考サイト参照)。

Blog_norway_50k_legend 一方、地図記号は筆者の知る20年ほどで劇的といえるほどの変貌を遂げてきた。もともと軍用地図の転用からスタートしているので、1980年代まではAMSの図式を準用していた。市街はグレー(黒色の網掛け)、耕作地は白抜きで、赤で塗った道路がアクセントとなるほかは地味な色調だった。

1988年に実施された図式改訂はデジタル編集に対応するもので、印刷方式もスポットカラー(特色インクを使用)からプロセスカラー(CMYKの4色)に変わった。網点の解像度が低めのため等高線のシャープさが若干落ちたが、耕作地にゴールデンイエローのベタ塗りが配されたので、図の印象はぐっと明るくなった。あまり目立たないものの、山小屋やキャンプサイト、スキーコースなどのレジャー情報も加えられている。

2005年の改訂はさらに目覚しく、市街地の配色がグレーの濃淡からサーモンピンクの濃淡に置き換えられ、街路にも茶色の塗りが施された。これらを組合せるといささかくどい色彩になる。この国では市街地の範囲が限られるのでまだしも、日本の地形図に適用したら錯雑感のほうが勝るだろう。

軍用地図で試作されていたコンビ・マップ Combi-Map(M711LWシリーズ)の仕様に基づいて、海域の情報が大幅に拡張されたのも、このときからだ。以前から水深と10mの等深線は表示されていたのだが、等深線が沖合いまで拡大され、段彩が施された。それだけでも地形図では他に類例を見ないのに、灯台の光が角度ごとに色分けされ、隠顕岩、浅瀬、ブイの種別など記号が海図並みに増やされた(右上写真は凡例の一部、サンプル地図は下記サイト参照)。

日本のように青い網掛けのみという地図も多いなか、ノルウェーの地形図に描かれた海は陸地顔負けの賑やかさで、海洋王国らしいデザインといえるだろう。もとより海図を代替するものではないので、「この地図は航海用にデザインされていない。正式海図を使用のこと」と、利用者に釘をさすのを忘れてはいない。

最後に地形図の入手についてだが、各図葉には図番 Kartbladnummer(ベルゲン Bergen図葉なら 1115 I)とは別に独自の発注番号 Bestillingsnummer(同 29)が付されている。この番号は、同じ図葉でも折図と平図で異なり、セット販売する場合も別の番号が与えられる。索引図にも記されているので見つけるのは容易だが、発注する者にとって体系の異なる2つのコードが並存するのは紛らわしかった。文書で注文を出していた頃は、発注番号だけではなんとなく不安なので、結局、図番も併記したことを思い出す。

購入先としては、ノルウェー国内では、上記のカペレン・ダム社のサイトの価格が最も安く、国外へも送ってくれる。しかし、扱っているのは1:50,000地形図だけで、ユーグランITグループが刊行する主題図は対象外だ。おそらくそのジャンルはカペレン・ダムのオリジナル編集図と競合するからだろう。一方、ユーグランは国営時代の名を引き継ぐカルトブティッケン(地図販売所の意)Kartbutikken.no という販売サイトを運営しており、1:50,000も扱っている。しかし、サイトのユーザ登録が国内仕様のため、国外からは別途文書かメールでの発注を余儀なくされる。また、残念なことに2社のサイトともノルウェー語のみだ。旅行地図などは他国からの需要も見込めるのだから、せめて英語サイトの構築を望みたい。

■参考サイト
ノルウェー地図局 http://www.statkart.no/
1:50,000索引図(PDFファイル、9.56MB)は、トップページ > Norge 1:50 000/M711 > 右メニューの"Kartbladinndeling (Map sheet index)"。
直接リンク(リンク切れご容赦)
http://www.statkart.no/filestore/Landdivisjonen_ny/Kart_og_produkter/bNorge__/Kartbladinndeling_2008_20090121.pdf
サンプル地図(PDFファイル、3.47MB)は、トップページ > Norge 1:50 000/M711 > 右メニューの"Se på produktet (View the products)"
直接リンク(リンク切れご容赦)
http://www.statkart.no/filestore/Landdivisjonen_ny/Kart_og_produkter/bNorge__/Bre_fjell_Kyst_Skog.pdf
地図閲覧サイト、販売店については「官製地図を求めて-ノルウェー」にまとめた。
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_norway.html

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2010年2月 4日 (木)

ライトレールの風景-万葉線

富山はLRT(次世代型路面電車)の先進地として、昨今目が離せない存在だ。2006年に開業した富山ライトレールは、都市近郊のローカル線を再生するモデルケースになり、2009年12月には中心街の環状線が、新型車両を導入して華々しく復活した。

しかし、注目スポットは富山市内だけではない。県西部にもう一つ、万葉線がある。JR高岡駅前と富山新港に面した越ノ潟の間12.8kmを結ぶ路線だ。アイトラムと名づけられた真っ赤な車体は遠目にも鮮やかで、街の景色に一点のアクセントを添えている。2004年に導入された当初は、脱線続きでどうなることかと気を揉んだが、今では6編成に増備され、運行はほとんどこの新型車で賄われるようになった。

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アイトラム、越ノ潟駅にて

筆者が久しぶりに万葉線を訪れたのは2008年9月のことだ。JR氷見線の伏木駅で下車し、万葉線に乗り継ぐのに、小矢部川を渡し船で越えた。このささやかな川越えは、源義経の故事を引き「如意の渡し」として親しまれていたのだが、道路橋(伏木万葉大橋)の完成により昨年(2009年)8月に廃止されてしまった。コスモスが風にそよいでいた最寄りの無人駅、中伏木を利用する旅行者の姿もこれで消えたかと思うと残念だ。

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(左)如意の渡しの乗り場 (右)船の背後に道路橋

終点まで行って折り返すつもりで、越ノ潟行きに乗り込んだ。一日乗車券(渡船も可だった)を買ってあるし、運転間隔も15分毎と短いので、気軽に乗降りできるのがうれしい。明るく気持ちのいい車内だが、平日の昼間はみごとにすいている。工場の裏手を右に大きくカーブすると、六渡寺(ろくどうじ)駅に停まる。以前は新湊(しんみなと)と称した。ここから庄川に架かる長い鉄橋を渡って新湊市街(現 射水市)に入っていく。

ところで、市街から見れば川の向こう岸の駅をなぜ新湊と言ったのだろう。それに、万葉線の公式サイトによると、この駅を境に、西側が高岡軌道線7.9km、東側が新湊港線4.9kmと名称が違う。何やらいわくがありそうだ。

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高岡・射水地域の鉄道網の変遷

成立過程をひも解くと、意外にも電車は最初、高岡からではなく、東の富山からやってきたことがわかる(上図参照)。1933(昭和8)年に新富山から新湊(当時は新伏木口)まで全通した越中鉄道がそれだ(1943年の戦時合併で富山地方鉄道射水線となる)。ここにはすでに、氷見線の能町で分岐した省線(新湊線)が延びていて、貨物の連絡運輸が行われた。まもなく駅名も省線に合わせて新湊になる。一方、高岡から路面軌道が来るのは戦後になってからで、1948年に高岡~伏木港、1951年に途中の米島口から新湊までの支線が開通した。新湊では旅客営業を廃止した国鉄新湊線の代わりに射水線と接続して、高岡~新湊~富山市内という長距離の直通運転が開始された。

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新湊付近の1:50 000地形図 1930(昭和5)年
越中鉄道が新湊東口まで開通している
(最新地形図は下記サイト参照)

■参考サイト
高岡駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.741700/137.014600
越ノ潟駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.774900/137.111900

射水線に転機が訪れたのは、高度成長期の1960年代だ。潟湖である放生津潟(ほうじょうづがた)に富山新港の建設が決まり、港口の開削で陸路が分断されることになったのだ。1966年に堀岡と越ノ潟の間が廃止され、渡船による連絡に切替えられた。高岡軌道線のほうは1959年、すでに加越能鉄道へ移管済みだったが、越ノ潟以西の射水線もこのとき譲渡された。万葉線に軌道と鉄道が混在しているのは、こうした経緯による。その後、伏木港への路面軌道も、新港以東の射水線もともに廃止されたため、万葉線だけが建設時の経緯を伝えているのだ。

その万葉線も10年前には存続の危機に瀕していた。利用者の減少が続く中、1998年、加越能鉄道が欠損補助の期限切れを理由に、バス転換の方針を打ち出したからだ。それに対して地元自治体は、路線をまちづくりに活用すべき都市施設と位置づけ、一般市民や団体の参画を得て協議を重ねた。そしてついに2002年、第三セクター方式による再スタートに漕ぎ着けた。

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(左)中伏木駅 (右)庄川を渡る

さて、庄川の鉄橋を渡り終えた電車は、市街の南の縁をなぞるように進む。専用軌道で直線区間も多いが、駅間距離が短いせいかノッチを倒しては緩めの繰り返しで、性能をフルに発揮しないまま走り続けた。中新湊で対向列車と交換した後は、左カーブで築堤に上って内川をまたぎ越す。かつて放生津潟から流れ出ていた川の岸辺には桜が植わって、車窓につかの間の潤いをもたらしてくれる。

終点の越ノ潟は、港に向けて右に首を振った状態で、線路が途切れている。目前に県営渡船の乗り場があり、対岸に渡る客を待つ小型フェリーの姿があった。しかし、ここでも湾口をまたぐ巨大な橋(新湊大橋)が建設中で、いつ廃止になるやもしれぬと、急かされる思いで記念乗船してきた。頬に当たる風が冷たく感じられる。

帰りは1つ目の海王丸駅で早くも下車した。駅名に惹かれて船を見に行こうと思い立ったのだ。1989年に現役を引退した練習帆船の海王丸が、駅の北方にあるだだっ広い公園の掘込みに係留されている。おおむね月に一度すべての帆が張られるそうだが、ふだんでも内部の見学が可能だ。甲板から操船室、宿泊室、機関室と巡ったあと、食堂で流されている現役時代のビデオの前で足を休めた。テレビの画面で見るだけでも、風に帆を膨らませて大海原を進む船の姿は優雅で絵になる。なお、地形図の駅の位置は旧越ノ潟口駅のもので、現在は200mほど西の踏切東詰めに移設されている。

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(左)終点の突当りに県営渡船の乗場
(右)堂々たる姿の海王丸
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(左)車内 (右)高岡市街を行く

再びアイトラム車中の人となった。海王丸駅を出たときは私一人だったが、中新湊で女子高生が大勢乗り込んできた。往路で乗車した区間を過ぎるとすぐ道路上に出るが、なにも併用軌道にしなくても、と呟きたくなるようなひなびた風景だ。それも長くは続かず、能町口から再び専用軌道で築堤にのし上がり、JRの2線を一気に乗り越していく。降下したところで高伏道路(県道24号伏木港線)に合流したあとは、終点まで車道の中央をしずしずと進んだ。

広小路までは複線化されている。線路敷が改築されている個所も多くて、乗り心地は良好だ。日が傾き始めて人の動きが出てきたらしく、車内の立ち客は絶えることがない。周囲は徐々に街らしさを増していき、交差点で左折したと思ったら、まもなく高岡駅前のアナウンスが聞こえてきた。50分ほども乗っていたはずなのに、つい時の経つのを忘れていた。

■参考サイト
万葉線(公式サイト) http://www1.coralnet.or.jp/manyosen/
北陸の私鉄 万葉線の沿革 http://www.atw.ne.jp/~suwa_h/MANYO/MREKISI.html
 港口切断前の風景を含む往時の写真多数あり。
海王丸パーク http://www.kaiwomaru.jp/

【追記 2015.7.13】
車両運用がアイトラム中心となってからも、高岡駅前には、昔ながらの広告看板がぶらさがるパッとしない電停が残っていた。しかし、その光景も2014年3月29日から過去の記憶になった。JR橋上駅舎(下注)の隣りに開業したクルン高岡(新ステーションビル)の地上階に、新しい乗り場が造られたからだ。それに伴い、電停名も「高岡駅」に改称された。

*注 2015年3月、旧 北陸本線の経営分離で、あいの風とやま鉄道との共用になった。

万葉線の線路は、旧高岡駅前電停から0.1km延伸され、左に急カーブしながら、ビルに吸い込まれていく。新発着場は2面2線で、隣接して路線バスなどと兼用の広い待合室も設けられている。2階にある鉄道線の改札とは少し距離があるものの、雨や雪の日も濡れることなく両線間の行き来ができるようになった。トラム先進県の面目躍如というところだ。

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旧電停位置から駅ビルへアプローチする急曲線
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「高岡駅」電停 (左)頭端式ホーム (右)一新された乗り場

掲載の地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図富山(昭和5年修正)を使用したものである。

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