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2010年1月28日 (木)

ライトレールの風景-広島電鉄本線・宮島線

安芸宮島へ出かけた。広島駅から宮島口まではヒロデン(広島電鉄)に揺られる。並行するJRなら30分足らずで着くところを、LRTで1時間以上かけて行くのが鉄道ファンのこだわりだ。全国で最大規模の路面電車網をもつ広島のこと、最新のグリーンムーバーマックスから、なつかしの京都や大阪市電まで、さまざまな形式の車両を車窓から見送る愉しみは他に代えがたい。旧市街を迂回するJRと違って、繁華街を貫き、(旧)市民球場と原爆ドームを左右に振って、ちょっとした市内観光ができるのもいい。さらにその先も、興味をそそるポイントが目白押しだ。

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(左)なつかしの京都市電 (右)天満川を渡る

その1。広い相生通りを走ってきた電車は、十日市の交差点で左折し、そのまま平和大通りへ出るかと思いきや、手前の土橋電停で右折して脇道に入り込む。天満川を専用橋で渡り、観音町でまた左折してやっと大通りの中央に飛び出していく。幅100mの立派な通りがすぐ南を並行しているというのに、不経済な鉤形のルート設定はいかにも訳がありそうだ。

地元の方なら周知のことだが、最も狭い土橋~観音町の区間こそ開通した時からのオリジナルルートなのだ。1925(大正14)年測図の1:25 000地形図(下図)を見ると、旧堺町電停の南の角から、省線の己斐(こい、現JR西広島)駅前まで専用軌道で直進していたことがわかる(右上図)。この地図ではすでに沿線の市街地化が進んでいるが、本線が開業した1912年ごろは市街の西縁が天満川で、その先は山陽道沿いに街村の風情が残っていた。それでこそ、南側の畑か空地を遠慮なく突き進むことができたのだ。現在の経路は、太田川(放水路)開削に伴って、1964年に平和大通り上の併用軌道に付け替えられたものだ。鉤型を廃止して大通りに移設する計画はあるが、まだ実現していない。

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広島中心部の1:25 000地形図 1925(大正14)年
(最新地形図は下記サイト参照)

■参考サイト
広島中心部の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.395100/132.457700

その2。本線己斐と宮島線西広島(当時は己斐町)、上記の地形図では両線は東と南から鉢合せする格好で止まっていて、線路はつながっていない。宮島線自体は1931年に全通したが、直通の営業運転が始まったのは30年も後になってからだ(1962年広電廿日市まで、翌63年広電宮島へ延長)。2001年にホームが改築されて、イメージががらりと変わった。トラスの大屋根が架かる広く明るい空間には、新型LRVがよく似合う。ちなみに、横川駅と広島港も同じようなタイプに移設改築され、面目を一新している。

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(左)広電西広島のホーム
(右)荒手車庫をかすめるグリーンムーバーマックス

その3。西広島からは路面を離れて専用線となり、終点までJRと並行する。棲み分けが明確だった国鉄時代はさておき、民営化以降は近距離輸送でも競合関係にある。JRの西広島~宮島口間には、むかしは五日市と廿日市(はつかいち)しか駅がなかったのに、1980年代、立て続けに新駅が3つも造られ、増便も図られて様相は大きく変わった。しかし、単に客を奪い合うのではなく、新井ノ口(JR)と商工センター入口(広電)、五日市(JR)と広電五日市のように、乗換えできる駅も整備されている。足の速さで勝るJRと、電停のきめ細かさや都心へ乗換えなしが売り物の広電。目的に応じて使いこなせる沿線の人々がうらやましい。

その4。広電の線形は決して悪くない。先述の商工センター入口から五日市付近の並走区間など、爽快なくらいの直線コースだ。JR電車が涼しい顔で追い抜いていくのを強く意識する区間でもある。両者がこれだけ近接している理由は簡単で、建設当時は山が海岸に迫っていたため、他に通す場所がなかったということに尽きる。1970年代までは国道を隔てて、現在の商工センター地区のある場所には遠浅の海が広がっていた。

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(左)グリーンムーバーと対向
(右)海岸線をなぞる(阿品東の跨線橋にて)

その5。廿日市の前後からは西から山脚がせり出してきて、それを避けるためのカーブが頻出する。廿日市市役所前と宮内の間には串戸トンネルが口を開けている。JRが山を避けて右へ迂回するところを、広電唯一の堂々たるトンネルが複線を一気に呑み込む。ところが、地御前(じごぜん)の後は立場が逆になり、JRがトンネルで小山を串刺しにしていくのに、広電は海岸線をなぞるように走る。このルート、単に建設費の削減が理由とは思えない。なぜなら、国道をくぐって海岸に躍り出るや、海を隔てて厳島(宮島)が想像以上の大きさで姿を現すからだ。きっと設計者は乗客に、車窓の劇的な展開をアピールしたかったに違いない。残念ながら現在は、広島ナタリーの遊園地跡に建つ高層マンションが、期待の眺望を妨げているのだが。

かくして、電車は広電宮島口の頭端式ホームに滑り込む。駅舎を出ると目の前が宮島への乗船場で、遠来の旅人は改めて、世界遺産の玄関口に到着したという感慨に浸ることだろう。こんなに心躍るLRTもめったにない。

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(左)宮島口に到着 (右)厳島神社の大鳥居

■参考サイト
広島電鉄 http://www.hiroden.co.jp/
宮島口駅付近の1:25,000地形図 
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.312300/132.304300

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図広島(大正14年測図)を使用したものである。

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2010年1月21日 (木)

ヴータッハタール鉄道 II-ルートを追って

前回は、丘のアルブラ越えともいうべきヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn の成立過程をたどった。全線61.7kmは、地勢から見て大きく3つの区間に分けることができる(下の地形図参照)。

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ブルームベルク=ツォルハウス駅で発車を待つ列車

東側のヒンチンゲン Hintschingen(廃止)から峠の駅ブルームベルクに至る15.7kmは、ドナウ川 Donau の小さな支流に沿って浅い谷を緩やかに遡る区間だ。

中央部のブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus ~ヴァイツェン Weizen 間25.6kmは全線のハイライトで、豚のしっぽ(ザウシュヴェンツレ Sauschwänzle)のあだ名どおり極端な蛇行を繰り返して丘を下りきる。

西側のヴァイツェン~ラウフリンゲン Lauchringen(旧オーバーラウフリンゲン Oberlauchringen)間20.4kmは、ライン川 Rhein の支流ヴータッハ川 Wutach が流れるのびやかな谷を下るごく平坦な行路になる。

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ヴータッハタール鉄道周辺の1:200,000地形図
(赤く塗った区間が保存鉄道)

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DB路線図
中央(番号743)が
ヴータッハタール鉄道

中央区間では、1977年から蒸気機関車が牽引する観光列車が運行されている。2010年の予定によると、運行期間は5月から10月初めまでで、日曜日と水曜日は午前と午後の計2往復、土曜日は午後に1往復だ。8月と9月は木曜も運転する(下記公式サイトに時刻表がある)。ブルームベルクから片道おおむね65分をかけてヴァイツェンまで降り、同じ道を戻ってくるというパターンだ。

■参考サイト
ヴータッハタール鉄道(公式サイト) http://www.sauschwaenzlebahn.de/
ヴータッハタール鉄道(ファンサイト) http://www.wutachtalbahn.de/

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ヴータッハタール鉄道路線図

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1987年当時のリーフレット

運行経路に従って、始発駅ブルームベルク=ツォルハウス(以下、ブルームベルクと略す)から見ていこう。

駅はツォルハウスの集落に面している。ツォルハウスというのは税関を意味し、ドナウエッシンゲンとスイス領シャフハウゼンを結ぶ街道の国境税関が設けられていたことに由来する。ブルームベルクの中心市街からは1.5~2km離れているが、路線バスが立ち寄ってくれるので、旅行者の足に問題はない。駅舎と続きの倉庫は、鉄道の資料を展示するミュージアムに改造され、列車出発前と到着後の1時間自由に見学できる。鉄道がたどるコースを再現したレイアウトが置かれているので、旅の予習としても必見だ。

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ブルームベルク駅の旧 信号転轍取扱所 Reiterstellwerk。内部を見学できる
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(左)駅舎併設の鉄道博物館 (右)同 内部の展示
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(左)豚のしっぽ鉄道を模したレイアウト
(右)同 正面がエプフェンホーフェン鉄橋

ここはまた、地形に興味を持つ人にとって注目の場所でもある(上の地図参照)。駅裏の穏やかな谷は平らにしか見えないが、実はここにライン水系とドナウ水系の境界線、すなわちヨーロッパを南北に分ける分水界(谷中分水界 Watershed)が走っている。駅から北上する街道の左側(西)に降った雨はオランダへ流れ下って北海に、右側(東)に降った雨はルーマニアまで延々2800kmも運ばれて黒海に注ぐ。それだけでも雄大極まりない話だが、さらにおもしろいのは、左側の水も大昔はドナウ川に流れ込んでいた。

この浅い谷は、西2.5kmのブルームベルク市街の先で、ヴータッハ川が切り裂いた渓谷によって急に絶たれているが、この地点から西の流域もかつてドナウ流域だった。ところが、おそらくひどい洪水で浅いドナウの谷が溢れた折りに、南側から侵食していたヴータッハ谷に水が流れ込み、流路が変わってしまった。ヴータッハ谷のほうが標高が低かったため、侵食はどんどん進み、谷が深くなっていった。ライン川がドナウ川の縄張りを奪ったこの現象を、地形用語では河川争奪と言っている(下注)。

*注 堀淳一氏の「ドナウ・源流域紀行」(東京書籍、1993)p.38以降に、周辺の訪問記とともに地形の成立過程が詳述されている。

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(左)機関車を連結、ヴァイツェン方面はバック運転になる
(右)車内は満員御礼

さて、ブルームベルク駅を出ると列車はすぐに左カーブを切り、地面に潜り込むように高度を下げながら、長さ805mのブーフベルクトンネル Buchberg-Tunnel に突入する。ここは大陸分水界ではないものの、地勢がこれを境に一変するので峠越えのトンネルというにふさわしい。鉄道は現役のときから全線単線だったが、トンネルは将来を見越した複線仕様で設計されており、間口が広い。

トンネルの闇を抜けると右手の車窓に、すり鉢状をしたミュールバッハ Mühlbach の谷の風景が広がって、目を奪われる。谷のくぼみに架けられた魚腹トラスのビーゼンバッハ鉄橋 Biesenbach Viadukt からはすぐ右下に別の線路が並行するが、これが何を意味するかは間もなくわかる。列車はすぐにエプフェンホーフェン Epfenhofen の村の外縁を回り始め、ほぼ一周してから、長さ264mと路線最長のエプフェンホーフェン鉄橋 Epfenhofer Viadukt をしずしずと渡り始める。

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トンネルを抜けると地勢が一変(峠道の脇の展望台で撮影)
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魚腹アーチのビーゼンバッハ鉄橋(帰路写す)
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(左)これから渡るエプフェンホーフェン鉄橋
(右)同 鉄橋ごしに見る列車(左写真の反対側から撮影)
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エプフェンホーフェンの村と鉄橋を遠望

この2つの上路トラス橋は当初できるだけ短く計画されたが、脆弱な地質で工事中に取付け部分の築堤崩壊が続いたため、設計を変更して橋の部分を延長した。おかげで開通後は堂々たるランドマークになり、鉄道ファンに格好の被写体を提供している。橋を渡りきると、村の最寄のエプフェンホーフェン駅に停車する。待避線が必要以上に長いのは、長編成の軍用貨物の通過に備えたからだ。

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エプフェンホーフェン鉄橋の上から。画面奥にビーゼンバッハ鉄橋
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鉄橋を渡るブルームベルク行きの列車
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(左)エプフェンホーフェン駅 (右)信号機もレトロな腕木式

しばらく丘の中腹を走り、トンネルを出たところで旧ヴータッハブリック Wutachblick(ヴータッハの眺めの意)駅を通過する。名前の通り渓谷に面していて、谷底は見えないが、比高は100m以上ある。切通しを抜けてもとの谷に戻ると、右手がフュッツェン Fützen の村だ。列車は右に大回りして方向を変えてから、村の名を冠した駅に滑り込む。ここが保存鉄道全線のほぼ中間地点に当たり、機関庫と保守基地がある。

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(左)中間駅フュッツェンは有人駅 (右)機関庫と保守基地もここに
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復路では遠足(?)の子どもたちが乗ってきた

ミュールバッハ谷を渡る鉄橋の後は森に入って、車窓の見通しは途切れがちになる。シュトックハルデのスパイラルトンネル Stockhalde Kreiskehrtunnel では、線路が半径350mで時計回りに一回転する。トンネルは路線で最も長く1700mもあるが、勾配が10‰ではたったの17mしか高さを稼げない計算だ。

また待避線に差し掛かる。この地にあったグリメルスホーフェン Grimmelshofen 駅は、利用者が少ないという理由で1926年に早々と廃止されてしまった。列車は、ようやくヴータッハ川本流の谷(ヴータッハタール)の斜面に躍り出るのだが、森に遮られたまま、実は進むべき道とは反対の、上流へ向かっている。そして川を斜めに渡って、左回りのトンネルに突っ込む。実はこれが「豚のしっぽ」の最後で、次に闇を抜けた列車はさきほどと同じ谷の対岸に、今度は下流を向いて出てくるのだ。

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(左)スパイラルトンネルに続く小トンネルを抜ける
(右)グリメルスホーフェン駅跡

停まった駅はラウスハイム=ブルーメック Lausheim-Blumegg、1955年に南から来る旅客列車の終点になった駅だ。発車してすぐ左手にグリメルスホーフェンの村が見える。先述したとおり村の駅はなくなったが、村人たちは一向に困らなかったそうだ。彼らは、坂を攀じ登った先にある村の駅よりも、線路が降りてきた後のこの駅をずっと便利に使っていたからだ。森が切れてヴータッハ川の谷が広くなり、国道314号線を斜めにまたぐと、まもなく終点のヴァイツェンに到着だ。この付近では、ヴータッハ川がスイスとの国境になっていて、川の向こう、手の届くところにスイス領がある。

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終点ヴァイツェンにて

公共交通機関によるヴータッハタール鉄道へのアクセスは、前回記した東と西からの列車便のほかに、ドナウエッシンゲン Donaueschingen からブルームベルク行きの路線バス(7277系統、所要45分)がある。なお、スイスのシャフハウゼン Schaffhausen からも路線バスが運行された時期があったが、2012年10月31日をもって廃止されたため、現在は鉄道で迂回するしかない。

■参考サイト
東側区間:ドリッター・リングツーク http://www.ringzug.de/ 743系統参照
中央区間(ヴータッハタール鉄道)の時刻表は、上記公式サイトのFahrplan参照。
西側区間:DB公式サイト http://kursbuch.bahn.de/
 Suche nach Kursbuchstreckennummer(時刻表路線番号で探す)で743 を入力
VSB(シュヴァルツヴァルト・バール運輸連合)バス http://www.v-s-b.de/ 7277系統参照

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(左)ドリッター・リングツークの接続列車が入線
(右)駅前に立ち寄るVSBバス

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地形図は、スイス官製1:25,000の1011番 Beggingen に保存鉄道区間がすっぽり収まるので重宝する。ブルームベルク~ヴァイツェン間にはハイキングルートもある。下記サイトか、ドイツ、バーデン・ヴュルテンベルク州の1:35,000ハイキング地図 Wanderkarte の Klettgau Wutachtal図葉(右写真)を求めるといい。

(2015年11月16日一部改稿、写真追加)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Wutachtalbahn)、ブルームベルク市公式サイト http://www.stadt-blumberg.de/ を参照して記述した。

地形図は、ドイツ連邦官製1:200,000 CC8710 Freiburg-Süd(1985年版), CC8718 Konstanz(1978年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.
路線図はドイツ鉄道「旅客線一覧図 Übersichtskarte für den Personenverkehr」2007年12月版を用いた。

掲載した写真はすべて、2012年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

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2010年1月14日 (木)

ヴータッハタール鉄道 I -丘のアルブラ越え

スイス東部を走るレーティッシェ鉄道 Rhätischebahn の見どころの一つに、アルプスの分水嶺に挑むアルブラ越え Albulapass がある。ペンの試し書きをそのまま設計図に落とし込んだようなループが連続し、氷河急行で旅する観光客を喜ばせている。これはラックレールを使わずに急傾斜の山道を克服するための仕掛けだが、実はドイツにもそれを引き写したような路線が存在する。それが今回のテーマ、ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn だ。路線の一部がヴータッハ川の谷筋(ドイツ語でヴータッハタール Wutachtal、下注)に沿っているのだが、その中間部は別名ザウシュヴェンツレバーン Sauschwänzlebahn、すなわち「豚のしっぽ鉄道」という。ルートがくるくると巻いているのをそう見立てたのだ。

注:Wutachtal の日本語表記は、ヴタハタール、ウータッハタールなども見かける。

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ヴータッハタール鉄道路線図
(赤線の区間は現在、保存鉄道として運行)

大陸分水界を越えるところも、峠の片側だけが急坂のいわゆる片坂であるところも両者よく似ている。しかし、アルブラ越えが標高1815mに達する山岳鉄道であるのに比べ、ヴータッハタール鉄道の舞台はライン川Rheinの北のおだやかな丘陵地帯で、サミットはせいぜい700m台だ。線路を何度も引き回すほどの険しい峠道など、とうていあるようには見えない。いったいなぜ、このようなところに豚のしっぽが必要だったのだろうか。

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エプフェンホーフェン鉄橋を遠望
橋を渡った線路は左の山裾を回って撮影者の背後へ戻ってくる

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その理由を説明する前に、まずこの鉄道の地理的位置を地図で確かめておこう(下図)。西のバーゼル Basel 対岸からシャフハウゼン Schaffhausen を経てコンスタンツ Konstanz まで、ホーホライン(高ライン)鉄道 Hochrheinbahn が延びている。もとはバーデン大公国 Großherzogtum Baden の領内を貫く幹線(バーデン幹線鉄道 Badische Hauptbahn)として建設されたものの一部だが、スイスのシャフハウゼン州がライン川の右岸(北側)に張り出しているため、列車は国境をまたいで走っている。それに対してヴータッハタールは、スイス領を通らずにライン川 Rhein とドナウ川 Donau の流域をつなぐ通路を形成する。本来ローカルな迂回路に大仰とも思える土木工事が行われた背景には、ある国家戦略上の要請があった。

現在、観光用のSL列車を走らせている同鉄道のサイト(下記)には、開設から保存鉄道となるまでの経緯が記されている。それを参考に、豚のしっぽの由来を紐解いてみよう。

■参考サイト
ヴータッハタール鉄道(公式サイト) http://www.sauschwaenzlebahn.de/ (ドイツ語)
 時刻表は Fahrplan、経緯は Geschichte を参照

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ヴータッハタール鉄道を巡る19世紀後半の鉄道連絡計画

ヴータッハタール鉄道(下注)は、高ライン鉄道のオーバーラウフリンゲン Oberlauchringen(現在のラウフリンゲン Lauchringen)で北東へ分岐する。しかし、具体化した1870年の時点では、現在のルートではなく、ヴァイツェン Weizen から北に転じて、シュヴァルツヴァルト(黒森)鉄道 Schwarzwaldbahn のドナウエッシンゲン Donaueschingen へ向かうことになっていた。黒森鉄道沿線や北のシュトゥットガルト Stuttgart をゴットハルト鉄道 Gotthardbahn に接続する構想の中に組み込まれていたからだ。ゴットハルト鉄道は当時、アルプスを貫通してイタリアに通じる動脈として、計画が進行していた。

注:日本語で「~鉄道」というと会社名を連想しがちだが、ドイツ語の Bahn は路線名の感覚で使われている。

ヴータッハタール鉄道の建設工事は西側から進められ、1875年にオーバーラウフリンゲンとシュテューリンゲン Stühlingen の間17.4kmが開通し、翌年、ヴァイツェンまで3.0km延長された。しかし、その先の谷が狭まる区間は地質が不安定で、土砂崩れが頻発したため工事が中断してしまい、全通の見通しはまったく立たなかった。

ところが1880年代に入り、ヴータッハタールが改めて注目を浴びるときが来る。その動機となったのは隣国フランスとの緊張関係だった。1870~71年の普仏戦争に勝利したドイツ(プロイセン)は、賠償としてアルザス、ロレーヌ両地方を獲得していた。さらに宰相ビスマルクは、フランス以外の諸国と同盟関係を結び、フランスを国際的に孤立させる政策をとった。両国の関係は悪化の一途をたどることになり、ドイツは再戦争に備えて、国境地帯への補給路となる鉄道の整備を急務と考えた。

ドイツ最大の要塞都市ウルム Ulm から黒森の南側を抜けてアルザス南部へ通じるルートの確保も、その一環だった。しかし、既存の最短経路である高ライン鉄道は、1852年に建設に際して結んだスイスとの条約の中で軍事利用を除外していた。そこで、スイス領を通ることなく、かつ長大編成の軍用列車が走れるルートを新設することが戦略上必須だと考えられた。いったん頓挫した鉄道の構想は、こうして息を吹き返したのだった。

ウルムとアルザス南部を結ぶ軍用ルートには、既存路線を極力利用しつつも、4本の新たな路線が含まれていた(冒頭の地図参照)。東から順に、

1.ドナウタール鉄道 Donautalbahn の未完成区間(インツィヒコーフェン Inzigkofen ~トゥットリンゲン Tuttlingen)37.1km
2.ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn の未完成区間(イメンディンゲン Immendingen ~ヴァイツェン)44.6km。 ただし、既存線との接続点にヒンチンゲン Hintschingen 駅が新たに設けられたため、実際の新設区間はヒンチンゲン~ヴァイツェン間41.3km
3.ヴェーラタール鉄道 Wehratalbahn(ショプフハイム Schopfheim ~ゼッキンゲン Säckingen)19.7km
4.ガルテン鉄道 Gartenbahn(レアラッハ Lörrach ~ヴァイル・アム・ライン Weil am Rhein)6.3km

だ。1と2は一部未開通で残っていた区間をつなぐものだが、3と4は、高ライン鉄道が同じように通過するスイス領のバーゼル Basel 市域を避ける目的で、新設されることになった。ヴァイルからライン対岸のアルザス地方へは、すでに1872年から川を渡る鉄橋を介して連絡線が存在しており、これによって延長250kmを越える南方補給路が完成する。

軍事路線に指名されたことで、ヴータッハタール鉄道の設計は一から見直しとなった。東側の接続先は、当初予定していたドナウエッシンゲンの町から、ウルムにより近いイメンディンゲン Immendingen 付近へ大きく変更され、線路勾配は軍用列車の牽引定数から10‰(1000m進んで10m上る)以内と決められた。開通済みのヴァイツェンから東の延長区間には、ライン川とドナウ川の流域を分ける分水界がある。冒頭にも述べたようにドナウ水系へ向けては一方的な上り坂で、ヴァイツェンと、峠の向こう側のブルームベルク Blumberg の間で231mの高度を稼がなければならない。両地点間の直線距離は9.6kmに過ぎないが、勾配を規定内に収めるためには約25kmの路線長が必要で、それが丘のアルブラ越えと呼ぶべき複雑な線形となった理由だ。

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ブルームベルク=ツォルハウス駅(駅名標は旧称)
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不安定な地質のため、盛土に替えて延長されたビーゼンバッハ鉄橋

1887年に着手された事業は例の不安定な地質に苦しめられながらも、1890年に完了し、同年5月から運行が開始された。もとより山間部で人口の張り付きは小さく、平時の利用は閑散としたものだった。全線を完走する旅客列車は日に3本と貨客混合列車が1本のみで、ルートを引き回した分、運賃にも割高感があった。

二度の大戦では想定どおり軍用列車や救護列車が行き交うシーンが見られたものの、終戦後は衰退の一途をたどることになる。1955年5月、営業成績の特に振るわない山越えのラウスハイム=ブルーメック Lausheim-Blumegg ~ツォルハウス=ブルームベルク Zollhaus-Blumberg 間で休止の措置が取られた。残る両端部では1953年、一時的にレールバスが導入されていたが、技術的な難点が判明して早々に姿を消した。

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冷戦下の1962~65年に、再び重量列車の受入れが可能になるよう、NATOの資金協力で路線の修復が行われたことがあった。しかし、実際の運行は再開されないまま、1967年に東側のツォルハウス=ブルームベルク~ヒンチンゲン間で旅客列車がなくなり、1971年には西側のオーバーラウフリンゲン~ラウスハイム=ブルーメック間も運命を共にして、ついに全線で旅客輸送が廃止となった。貨物輸送だけは、ヴァイツェン以西で2001年ごろまで細々と続いた。

一方、中央区間のヴァイツェン~ツォルハウス=ブルームベルク(下注)は、1976年にドイツ連邦鉄道 Deutsche Bundesbahn により正式廃止の手続きがなされた後、翌1977年に保存鉄道の運行が始まった(右上のDB路線図の中央)。変化に富んだルートを走る蒸気機関車の旅は、収支が賄えるほどの評判を呼んだ。これが現在も続いている「ヴータッハタール鉄道」だ。1988年には路線が国の産業遺産に指定されて、続く数年間でトンネルと橋梁の改良工事が行われた。

注:開業以来、駅名はツォルハウス=ブルームベルク Zollhaus-Blumberg だったが、現在は市名を先にした、ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus が正式名称。ただし駅舎の表示は旧駅名になっている。

さて、いったんは壊滅した一般旅客輸送だが、東側の区間では、2004年から軽快気動車レギオシャトル Regio Shuttle による1時間に1本の運行が復活している。これはドリッター・リングツーク 3er Ringzug(第三環状列車の意)と呼ばれ、ホーエンツォレルン地方鉄道 Hohenzollerische Landesbahn(HzL)が、鉄道を地域の足として再生させるために始めた事業だ。「第三環状」は3つの郡を環状に巡るという意味を表すそうだが、今のところまだ環の欠けた部分がある。

東方のトゥットリンゲンから来る列車は、イメンディンゲンから旧ヴータッハタール鉄道区間に入り(旧分岐駅のヒンチンゲンは廃止)、ブルームベルク方面へやってくる。ふだんは2駅手前のガイジンゲン=ライプフェルディンゲン Geisingen-Leipferdingen(旧 ライプフェルディンゲン Leipferdingen)で代行バスに乗換えになるが、土・日曜日は、保存鉄道訪問者の便宜を図って、列車がブルームベルク=ツォルハウス駅まで足を延ばす。

西側区間には現在も定期列車はないのだが、保存鉄道の運行がある日曜に限って、高ライン鉄道のヴァルツフート Waldshut からヴァイツェンまで直通の接続列車が設定されている。これにより、該当の日だけは、ヴータッハタール鉄道全線を列車に乗って旅することができる。20年前の路線図では、保存鉄道だけが陸の孤島のように描かれていた「豚のしっぽ鉄道」だが、いまや地域の観光振興の核となり、そのおかげで、久しく途絶していた往年の交通網が部分的ながら復元されているのだ。

次回は、その保存鉄道区間を詳しく見ていきたい。

(2015年11月16日一部改稿、写真追加)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Wutachtalbahn)、ブルームベルク市公式サイト http://www.stadt-blumberg.de/ を参照して記述した。路線図はドイツ鉄道「旅客線一覧図 Übersichtskarte für den Personenverkehr」2007年12月版を用いた。

掲載した写真はすべて、2012年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

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2010年1月 7日 (木)

グリーンランドのハイキング地図

北極圏のグリーンランドでハイキングのための地図が刊行されているとは、意外だった。しかも、前回紹介したサーガマップス Sagamaps のような、制作年代の古い官製地図の複製ではない。独自の編集によるクリアな印象の中縮尺図で、地形図として見ても十分なクオリティを持っている。刊行元はグリーンランド・ツーリズム Greenland Tourism で、スカンジナビア観光局のサイトで「グリーンランド自治州観光協会」と訳されている組織だ。

Blog_greenland_hikingbrochureまずは、公式サイトにある紹介文を引用しよう。「グリーンランド・ツーリズムは、当地で最も人気のあるハイキングエリアをカバーするハイキング地図を多数刊行している。地図にはルートと難易度が記載され、裏面にはルート紹介、周囲の自然、動物群その他知る必要のあることは何であれ詳しく記述されている。また、多くの図葉には、1:10,000による主要エリアの拡大図もある。長い徒歩旅行を計画しているのでなくても、ぜひ地図を持って行くことを薦めたい。」(写真右はグリーンランド・ツーリズム発行のハイキングのパンフレット表紙)

地図の縮尺は1:100,000(一部は1:75 000)で、首都ヌーク Nuuk をはじめ、主要居住地とその周辺について21面作成されている。また、これ以外にヌークとイルリサット Ilulissat 北部および南部については、さらに詳しい1:20,000がある。内容は、おもて面が多色刷りのハイキング地図、裏面は単色で当地のハイキングに関する総合情報(表記は英語)と居住地周辺の拡大図が配されている。野外に携行できるよう、用紙は耐水紙を使っている。

シリーズの中で筆者がぜひ見てみたいと思っていたのは、イルリサット図葉(右下の写真はその表紙)だ。この町は、グリーンランドで唯一ユネスコ世界遺産に登録されているイルリサット・アイスフィヨルド Ilulissat Icefjord(現地語でカンギア Kangia)の観光拠点として知られている。アイスフィヨルドとは耳慣れない用語だが、Googleの航空写真を見れば一目瞭然だ。

■参考サイト
イルリサット付近のGoogleマップ(航空写真)
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=69.1950,-51.0796&z=11

イルリサット(デンマーク語でヤコブスハウン Jakobshavn)の町の南側で、白い氷河が海に注いでいるように見えるのは、実は氷河ではなく、大小の氷山が幅5~7kmもあるフィヨルド(氷河に削られた谷が沈降してできた湾)を埋め尽くしている光景だ。氷で覆われたフィヨルドなので、アイスフィヨルドと呼ばれる。画面を右にスクロールしていくと、町から約45km東で、フィヨルドに大陸氷河が没する場所、いわゆる氷河の舌先が見えてくる。

地図の解説によれば、この大陸氷河、セルメク・クヤレーク Sermeq Kujalleq(イルリサット氷河ともいう)は北半球で最も活発なものの一つで、一日平均19mの速さで流下し、年間約35立方kmの氷(氷山)をフィヨルドに押し出している。氷山は平均約1年半かかって湾口まで移動する。氷山の高さは最初1000~1500m(大部分は水面下)もあるが、湾口近くでは融けたり、分離したり、湾底のモレーン(氷堆石)に圧縮されたりして200~300mになり、先端はディスコ湾 Disko Bugt に流れ出す。

Blog_greenland_100k1:100,000ハイキング地図のイルリサット図葉は、ちょうどフィヨルド全体が収まる大きさだ(用紙サイズは横70×縦42cm)。地図は、等高線と段彩で地勢を表現している。等高線間隔の25mは、この縮尺としては精密なほうで、急傾斜でも省略せずに描き込まれているので、氷河起源の複雑な地形が手に取るようにわかる。焦点のアイスフィヨルドは、氷山をデザインした大小の記号が一面に配置されているのがユニークだ。フィヨルドの奥には、白地に青の等高線で圧倒的なボリュームの大陸氷河が描かれている。

図化に使用された航空写真は1985年の撮影なので、当時の「舌先」が海岸線と見なされているが、その位置は地球温暖化の影響で急速に後退しているのが実態だ。地図には2001年以降の位置も年を追って示されていて、2006年には1985年より9kmも内陸に移動し、2008年はついに図郭の外にはみ出してしまった。

一方、地図のテーマであるハイキングルートは、目印のある短距離ルート marked route を破線で、推奨長距離ルート recommended route は点線で示し、さらに難易度に応じて緑、青、赤、黒と色分けしている。それとは別に、より長めの破線で描かれているのは犬ぞり道 dog sledging route だ。地図の裏面に載っている注意書きを読むと、居住地域外でのハイキングは経験者向きで、長距離ツアーともなれば、最も近い居住地から何マイルも離れて手付かずの自然を経験することになるので、肉体的なコンディションと方向感覚、そして地図とコンパスの扱いが必須のようだ。地図では、北東へ40km以上縦走する上級者ルートから、イルリサット市街南郊のアイスフィヨルド展望台へ向かう1km余りの遊歩道まで、さまざまなルートを案内して旅人を誘っている。

出色の出来栄えを誇るこれらの地図は、現地の書店や旅行案内所、欧米の主要地図商で扱っているが、筆者の調べた範囲では、現地以外ではロンドンのスタンフォーズ Stanfords が比較的安い。

■参考サイト
グリーンランド・ツーリズム http://www.greenland.com/
 トップページ > Plan your trip > Practical travel info > Maps and Geography に、グリーンランドの地図について紹介がある(英語版)。
同サイトにあるイルリサット・アイスフィヨルドの紹介
http://www.greenland.com/en/things-to-do/naturoplevelser/ilulissat-isfjord.aspx
スタンフォーズ(ショッピングサイト) http://www.stanfords.co.uk/
 左上の検索窓で "Greenland Tourism" を検索。索引図、サンプル図あり。

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