« オランダの地形図地図帳 I | トップページ | 新線試乗記-阪神なんば線 »

2009年9月24日 (木)

オランダの地形図地図帳 II

スペインからの独立を戦っていた16世紀後半から17世紀前半にかけてのオランダ(スペイン領ネーデルラント)は、最初の近代的地図帳を出版したオルテリウス Ortelius を筆頭に、ホンディウス Hondius、ブラウ Blaeu ら、次々とアトラス製作者を輩出した。地形図地図帳 Topographic atlas の出版が盛んな現状を見るにつけ、この国に伝統が脈々と受け継がれているのを実感する。

Blog_netherlands_historicalatlas1
旧版大地図帳
第1巻 1990年刊

前回は、出版時点で最も新しい地形図を収録した地図帳をいくつか紹介したが、勢いは現行図の紹介にとどまらず、近代測量の初期段階である19世紀の地形図の復刻へと拡大している。おそらくその最初の例は、1990年に刊行された「オランダ旧版大地図帳 Grote Historische Atlas van Nederland 1:50 000」(右写真。以下、旧地図帳と記す)だ。出版元はヴォルテルス・ノールドホフ社 Wolters-Noordhoff、縮尺は1:50,000、オランダ全土を4巻に分冊して、右の写真が第1巻の西部編だ。と書けば、前回を読まれた方はお気づきだろう。これは、現行図を扱った「オランダ地形図大地図帳 Grote Topografische Atlas van Nederland」(前回紹介したもの。以下、新地図帳と記す)と対になる刊行物なのだ。

*注 旧版地形図を扱った地図帳のことを、英語で Historical topographic atlas のように言う。これを歴史的…と翻訳すると、いわゆる歴史地図帳 History atlas (Atlas of history) と紛らわしいので、本稿では、いささかこなれない言い方だが「旧版地形図地図帳」と表現している。

Blog_netherlands_historicalatlas1_m
使われている
地図記号

現在のオランダ(ネーデルラント王国)の成立は、ナポレオン後の政治体制を取り決めた1815年のウィーン議定書に遡る。隣国との国境を画定するために始まった測量事業は、1820年から縮尺1:10,000~1:40,000で国内へも広げられ、東部各州などではかなりの進捗を見せていた。当時の領土は今のベルギーとルクセンブルクを含むものだったが、1830年のベルギー独立に伴う混乱で図稿が失われ、調査局もヘント Gent からの移転を余儀なくされて、中断する。新体制による国土測量事業は1834年に南部のティルブルフ Tilburg 周辺で再開された。当初は1:25,000の縮尺が採用されたが、その後1:50,000で着々と作成が進められ、1845年には全土に及ぶ規模となった。

上記の旧地図帳に収録されているのは、この測量成果から調製された手彩色の測量原図(1839~59年作成)だ。各ページを新地図帳と同じ図郭、同じ図版番号にしてあり、5分単位の経緯線も入れてあるので、両者を並べれば、約150年間の時空を超えて今と昔をたやすく照合することができる。

この測量原図は手描きのため、当時、複製として石版による印刷図が作られた。1850~64年を作成年とする1:50,000ネーデルラント王国軍用地形図(Topographische en Militaire Kaart van het Koningrijk der Nederland、略称 TMK)は、全土をカバーした最初の公式地形図シリーズとして知られている。TMKは確かに原図を忠実に再現したものだが、黒の1色刷であり、現代の鮮やかな地形図と対比させるにはインパクトが弱い。その意味で、カラーの原図を写真版で復刻した旧地図帳は、待望の刊行物といえるものだった。

筆者もこの地図帳で、ほんのひととき19世紀のオランダを旅してみた。第1巻にはアムステルダム Amsterdam、レイデン Leiden、デン・ハーフ Den Haag、ロッテルダム Rotterdam、ユトレヒト Utrecht などオランダの主要都市が含まれるが、どの都市も「旧市街」の状態で、短冊状の水路が無数に走る広大な干拓地の中に、ぽつんぽつんと浮かぶように立地している。当時のオランダの人口は全部で300万人で、現在の南ホラント州1州よりも少なかったのだ。

Blog_netherlands_historicalatlas1_s
新旧地図比較
現スヒポール空港周辺

ナールデン Naarden のような多稜郭の遺構をもつ都市は今では貴重な存在になっているが、この時代、主要都市はもとより各地に点在する町は、どれも多かれ少なかれお堀に囲まれていた。そのような町と町を、心細げな一本道が結んでいる。独立国家となって間がなく、道路網の整備にはほとんど手が付けられていなかったのだ。道の両脇に延々と樹木が植えられている様子もきちんと描写されていて、17世紀の画家ホッベマが描いた並木道の情景がまだ生きていたことを証言している。新地図帳ではすっかり干拓されて跡形もなく消えてしまったが、アムステルダムの南西には大きな内陸湖ハールレム湖 Haarlemmer Meerがあった(右写真)。オランダの空の玄関口スヒポール Schipol 空港はその一角に建設されたものだ。

この時代、自動車も自転車も出現しておらず、鉄道がようやく建設ブームを迎えていた。旧地図帳ではすでにアムステルダムから西方と南方に鉄道が通じているが、市街の外に別々の始発駅を構えていて、双方は連絡していない。新橋と上野で折り返していた初期の東京の鉄道のようなものだ。その後、街の北側の水面を埋め立てて中央駅を作り、2つの路線をつなげてスルー運転を可能にしたのだが、それは1889年で、まだたいぶ先の話になる……。

この旧地図帳を筆頭にして古い地図を扱った地図帳が次々と刊行され、オランダの出版界で一つのジャンルを築いたように見える。これについては「オランダの地形図地図帳 III」で詳述しよう。なお、旧地図帳は2009年現在、絶版になっているようだが、ウェブサイト(下記)では、この測量原図から作成された1色刷の軍用地形図(TMK)を閲覧することができる。

(2006年3月31日付「オランダの古地図帳」を改稿)

■参考サイト
ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあるホッベマの「ミッデルハルニスの並木道」
http://www.nationalgallery.org.uk/server.php?show=conObject.1533
オランダの古地図(旧版地形図含む)の閲覧サイト
http://watwaswaar.nl/
 表示はオランダ語のみ。使い方は英語による説明があるが、「官製地図を求めて-オランダ」のURL・地図閲覧の項も参照。
 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_netherlands.html

★本ブログ内の関連記事
 オランダの地形図地図帳 I
 オランダの地形図地図帳 III
 オランダの地形図

« オランダの地形図地図帳 I | トップページ | 新線試乗記-阪神なんば線 »

西ヨーロッパの地図」カテゴリの記事

地形図」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« オランダの地形図地図帳 I | トップページ | 新線試乗記-阪神なんば線 »

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

BLOG PARTS


無料ブログはココログ