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2009年6月28日 (日)

イギリスの鉄道地図 VI-コッブ大佐の鉄道地図帳

人気を博した「日本鉄道旅行地図帳」は、現役の鉄道を描いた地図もさることながら、今はなき路線を網羅した廃線地図にも大きな反響があったようだ。鉄道が陸上輸送を独占した時代、その存在は地域の都市形成や産業構造に計り知れない影響を与えている。廃線地図を見たことをきっかけにして、もっと詳しく歴史を知りたい、軌跡を追いたいという探究心が芽生えても不思議はない。

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同じような思いを抱いた人がイギリスにもいて、彼は、自らの半生をかけて類まれな鉄道地図帳をまとめあげた。「英国の鉄道-歴史地図帳 The Railways of Great Britain - A Historical Atlas」、スリップケースに入った全2巻、地図646ページ(両巻の間に8ページの重複あり)、資料・索引47ページにもなる大作だ。トレヴィシック Trevithick が最初の機関車を走らせた1807年から、国鉄 British Rail が民営化された1994年までに存在した鉄道路線と駅を、地形図上にすべて描き込んでいる。

ベースマップにしているのは、1:50,000地形図が登場する以前のイギリスの代表的な地形図である1マイル1インチ地図(いわゆるワンインチマップ 1-inch map、縮尺1:63,360)だ。イギリスの鉄道地図は何種類も刊行されているが、全国版でこれほど大縮尺のものは他に例がなく、いわば究極の鉄道地図帳だ。

なぜ、古い地形図を使ったのか。序文によれば、地名、道路網、河川など地誌的背景は、その場所に鉄道が計画された理由や駅が設けられた理由を読み取る際の参考になる。しかし、最近の地形図では、廃線跡に新しい道路や建物が載って、位置が不明瞭になっていることがある。その点、1971年限りで刊行が止まったワンインチマップには、改変前の状態が残っているというのだ。地形図原図は多色刷りだが、地図帳では黒と青の版だけを抽出してグレー1色で印刷してあり、等高線は入っていない。あくまで主題を引き立てる役回りということだ。

鉄道線は、1948年の国有化以前の4大会社、いわゆるビッグフォー The Big Four を構成した路線ごとに塗り分けている。ロンドンから東海岸を北上するロンドン・アンド・ノースイースタン London & North Eastern (LNER) は緑、西海岸を北上するロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ London, Midland & Scottish (LMS)は赤、西方へ向かうグレート・ウェスタン Great Western (GWR) は青、南部一帯のサザン Southern (SR) は茶色だ。路線が輻輳する場合は色の濃淡で識別できる。さらに開業時の所有会社名、途中で会社が変わったものは継承した会社名と年、軌間(後に改軌されたものは年も)、区間ごとの開業年、廃止年(clo 1900のように)が図上に注記される。

駅もしかり。すべての旅客駅が地形図と同じように丸印で示され、営業しているものは白抜き、廃止駅は中に斜線を施してある。路線と同時に開業したものは駅名の後にアスタリスクがつき、それ以外は開業年が(1872)、廃止年が[1972]のように注記されている。改称があった場合は、その履歴も付されている。

詳しい変遷を図示できるのも、この縮尺なればこそだ。鉄道のない地域はもとから省略されているが、そうでなくても周辺部では、見開きページに路線が1本のみということもしばしばある。しかし、縮小表示などはあえて行わず、読者に交通網の疎密度を実感させるに任せている。改廃のデータを表形式にしたものなら他にも存在するのだろうが、これは単なる文字の記録とは一線を画する。幹線の成立から培養線の拡大、はたまたライバル会社との絡み合いなど鉄道網のさまざまな事情が、空間と時間のコンテクストを通して把握できる、目で見るイギリスの鉄道発達史というべきものだ。

著者のマイケル・コッブ大佐 Colonel Michael H. Cobb とはどんなプロフィールをもった人なのか。

書評の略歴によると、第2次大戦に従軍した後、軍で測量と地図製作に携わり、除隊後は陸地測量部 Ordnance Survey に勤めた。同時にイギリスの鉄道全線を乗り尽くした愛好家でもあったので、1978年に人に勧められて、この仕事に着手した。1916年生まれで当時62歳だった彼は、やり遂げるには今の一生と、次の一生の半分が必要だと言ったそうだ。資料の完成には18年かかり、さらに篤志家の援助を得て出版に漕ぎ着けたのはその7年後の2003年だった。

右上の写真は、誤りなどを修正した第2版(2006年)だ。大佐は2008年、この業績が評価されて母校のケンブリッジ大学から博士号を贈られたが、満91歳の授与は同大学では最高齢の記録だったという。

書評では、150ポンドという価格にもかかわらず、この地図帳は熱いケーキのように、つまり飛ぶように売れていると書くが、同時に、本屋へ自転車で買いに行こうとする人に対して、持ち帰るには大きくて重すぎると警告している。もちろん、イアン・アラン出版社のサイトで注文すれば、遠く日本までも届けてくれるので、興味と資金を持ち合わせている限り億劫がる必要はないのだが。

■参考サイト
イアン・アラン出版社による同書の紹介記事
http://www.ianallanpublishing.com/product.php?productid=55161
 書評へのリンクあり。ページの下部に地図のサンプル画像がある。

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コメント

 先日は丁寧なお返事を有難うございました。今回は二つの意味で驚いたということでコメントします。

 一つは、緑の箱入りのこの重い2冊本を、私以外にも入手された方がいらっしゃったこと。そしてもう一つは、こんなに高価であるにもかかわらず第2版が出たということでした。

 鉄道発祥の地である英国は流石に趣味の幅も広く、鉄道路線地図帳も OPC から数年おきに出ているものや、Ian Allan の各年代別のものなど、ハンディサイズのが数多く刊行されていますし、また Alan Jowett 氏の手になる手書き地図帳も数冊出ています。しかしコッブ大佐のこの地図帳は、新潮社の言葉を借りればまさしく「正縮尺」それも1哩1吋の地形図に書き込んだということだけでなく、路線や駅の改廃年や社名も網羅したという意味で、他とは比べ物にならないほどの資料性があると思います。ただ図体が大きく重いものですから、索引を巻末ではなくて別冊子のようにしてあれば、もっと使い勝手が良かったのにとは感じています。
 古い Bradshaw 時刻表(復刻版もあり)や鉄道年表、更には駅名の変遷や廃駅をまとめた Butt 氏や Clinker 氏の書物などと合わせ見ると、英国鉄道の全貌が見えてくるような気がします。

コメントありがとうございます。
この鉄道地図帳を楽しんでおられると知ってうれしいです。1ポンドが200円を越えていた頃は私もさすがに手が出なかったのですが、昨今のポンド安に勇気づけられて、ついに清水の舞台から飛び降りてしまいました。確かに鉄道といい、地図といい、イギリスほど歴史的な資料が出版事業として成立しているところはないように思います。関心の高さ、層の厚さが窺えます。

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