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2009年6月28日 (日)

イギリスの鉄道地図 VI-コッブ大佐の鉄道地図帳

人気を博した「日本鉄道旅行地図帳」は、現役の鉄道を描いた地図もさることながら、今はなき路線を網羅した廃線地図にも大きな反響があったようだ。鉄道が陸上輸送を独占した時代、その存在は地域の都市形成や産業構造に計り知れない影響を与えている。廃線地図を見たことをきっかけにして、もっと詳しく歴史を知りたい、軌跡を追いたいという探究心が芽生えても不思議はない。

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同じような思いを抱いた人がイギリスにもいて、彼は、自らの半生をかけて類まれな鉄道地図帳をまとめあげた。「英国の鉄道-歴史地図帳 The Railways of Great Britain - A Historical Atlas」、スリップケースに入った全2巻、地図646ページ(両巻の間に8ページの重複あり)、資料・索引47ページにもなる大作だ。トレヴィシック Trevithick が最初の機関車を走らせた1807年から、国鉄 British Rail が民営化された1994年までに存在した鉄道路線と駅を、地形図上にすべて描き込んでいる。

ベースマップにしているのは、1:50,000地形図が登場する以前のイギリスの代表的な地形図である1マイル1インチ地図(いわゆるワンインチマップ 1-inch map、縮尺1:63,360)だ。イギリスの鉄道地図は何種類も刊行されているが、全国版でこれほど大縮尺のものは他に例がなく、いわば究極の鉄道地図帳だ。

なぜ、古い地形図を使ったのか。序文によれば、地名、道路網、河川など地誌的背景は、その場所に鉄道が計画された理由や駅が設けられた理由を読み取る際の参考になる。しかし、最近の地形図では、廃線跡に新しい道路や建物が載って、位置が不明瞭になっていることがある。その点、1971年限りで刊行が止まったワンインチマップには、改変前の状態が残っているというのだ。地形図原図は多色刷りだが、地図帳では黒と青の版だけを抽出してグレー1色で印刷してあり、等高線は入っていない。あくまで主題を引き立てる役回りということだ。

鉄道線は、1948年の国有化以前の4大会社、いわゆるビッグフォー The Big Four を構成した路線ごとに塗り分けている。ロンドンから東海岸を北上するロンドン・アンド・ノースイースタン London & North Eastern (LNER) は緑、西海岸を北上するロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ London, Midland & Scottish (LMS)は赤、西方へ向かうグレート・ウェスタン Great Western (GWR) は青、南部一帯のサザン Southern (SR) は茶色だ。路線が輻輳する場合は色の濃淡で識別できる。さらに開業時の所有会社名、途中で会社が変わったものは継承した会社名と年、軌間(後に改軌されたものは年も)、区間ごとの開業年、廃止年(clo 1900のように)が図上に注記される。

駅もしかり。すべての旅客駅が地形図と同じように丸印で示され、営業しているものは白抜き、廃止駅は中に斜線を施してある。路線と同時に開業したものは駅名の後にアスタリスクがつき、それ以外は開業年が(1872)、廃止年が[1972]のように注記されている。改称があった場合は、その履歴も付されている。

詳しい変遷を図示できるのも、この縮尺なればこそだ。鉄道のない地域はもとから省略されているが、そうでなくても周辺部では、見開きページに路線が1本のみということもしばしばある。しかし、縮小表示などはあえて行わず、読者に交通網の疎密度を実感させるに任せている。改廃のデータを表形式にしたものなら他にも存在するのだろうが、これは単なる文字の記録とは一線を画する。幹線の成立から培養線の拡大、はたまたライバル会社との絡み合いなど鉄道網のさまざまな事情が、空間と時間のコンテクストを通して把握できる、目で見るイギリスの鉄道発達史というべきものだ。

著者のマイケル・コッブ大佐 Colonel Michael H. Cobb とはどんなプロフィールをもった人なのか。

書評の略歴によると、第2次大戦に従軍した後、軍で測量と地図製作に携わり、除隊後は陸地測量部 Ordnance Survey に勤めた。同時にイギリスの鉄道全線を乗り尽くした愛好家でもあったので、1978年に人に勧められて、この仕事に着手した。1916年生まれで当時62歳だった彼は、やり遂げるには今の一生と、次の一生の半分が必要だと言ったそうだ。資料の完成には18年かかり、さらに篤志家の援助を得て出版に漕ぎ着けたのはその7年後の2003年だった。

右上の写真は、誤りなどを修正した第2版(2006年)だ。大佐は2008年、この業績が評価されて母校のケンブリッジ大学から博士号を贈られたが、満91歳の授与は同大学では最高齢の記録だったという。

書評では、150ポンドという価格にもかかわらず、この地図帳は熱いケーキのように、つまり飛ぶように売れていると書くが、同時に、本屋へ自転車で買いに行こうとする人に対して、持ち帰るには大きくて重すぎると警告している。もちろん、イアン・アラン出版社のサイトで注文すれば、遠く日本までも届けてくれるので、興味と資金を持ち合わせている限り億劫がる必要はないのだが。

■参考サイト
イアン・アラン出版社による同書の紹介記事
http://www.ianallanpublishing.com/product.php?productid=55161
 書評へのリンクあり。ページの下部に地図のサンプル画像がある。

★本ブログ内の関連記事
 イギリスの鉄道地図 I-トーマス・クック社
 イギリスの鉄道地図 II-鉄道史を知る区分地図
 イギリスの鉄道地図 III-ボール鉄道地図帳
 イギリスの鉄道地図 IV-ベーカー鉄道地図帳
 イギリスの鉄道地図 V-ウェブ版
 イギリスの鉄道地図 VII-トラック・マップス社

2009年6月21日 (日)

ラ・ミュール鉄道、幻の延伸区間

前回紹介したフランスのラ・ミュール鉄道には続編がある。60年前はラ・ミュールが終着駅ではなく、その先へまだ30km以上も線路は延びていたのだ。まとまった資料を持ち合わせないが、ウェブ上の断片的な記述を照らし合わせると、全貌は以下のようなものだった。

サン・ジョルジュ・ド・コミエ St-Georges-de-Commier ~ラ・ミュール La Mure
 
延長30km、1888年開通、現存。
ラ・ミュール La Mure ~コール Corps
 延長32km、1932年開通、1949年休止、1952年廃止。
コール Corps ~ガップ Gap
 延長48km、未成のまま1942年、公式に工事中止。

また、ラ・ミュール~コール間のシエヴォから次の支線が分岐していた。

シエヴォ Siévoz ~ヴァルボネ Valbonnais
 延長3km、1932年開通、1949年休止、1952年廃止。

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グルノーブル Grenoble から地中海岸方面へ抜ける街道は2本ある(右図参照)。ラ・ミュールからドラック川 Drac を遡りガップを経由するナポレオン街道 Route Napoléon(現在のN85号線)と、西側のラ・クロワ・オート峠 Col de la Croix Haute を越えるルート(D1075号線)だ。古くからの主要道路は前者だが、標準軌鉄道は後者を選択し、1878年にグルノーブル~ガップ間(アルプス線 Ligne des Alpes)が完成した。

これに対してナポレオン街道沿いの村々でも、鉄道の建設を求める声が高まる。1888年のラ・ミュール鉄道(起終点の頭文字をとって SG-LM という)はその先駆けとなったが、ガップまでの延長(同じく LM-G)は1906年の県による公共事業化まで待たなければならなかった。工事は1910年(1911年とも)から始まり、1932年にようやくコールまで部分開通を果たした。

着工から22年もかかったのは、第1次大戦の影響とともに、この区間が山間部で、人口的にも産業的にも投資効果が疑問視されて、資金調達が難航したためだ。加えて、途中の深い谷を越える難工事に時間と資金を費やしたという。いったいLM-Gはどんなルートを通っていたのだろうか。

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ラ・ミュール~コール間路線図

図1
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ロワゾンヌ橋とボンヌ橋周辺
(c) IGN, 2009

【図1】ナポレオン街道は、ラ・ミュールの町を出ると、ドラック川の支流が刻んだ深さ200mの峡谷を横断するために、つづら折りの道を谷底まで降りては登る。こうした芸当ができない鉄道は、街道から大きく東にそれて、距離にして約2倍の迂回を強いられた。それでも、その間に横たわるロワゾンヌ川とボンヌ川の谷に、大きな石造アーチ橋を構える必要があった。2つの橋は、短命に終わった鉄道の最大の遺構で、歴史遺産となっている。

そのうち、ロワゾンヌ橋 Viaduc de la Roizonne (図の左円内、下注)は長さ260m、中央の大きなアーチが谷を80mの幅でまたぎ、岸と接続する小さなアーチが北側に2個、南側に6個並ぶ。川床から路面までの高さは110mもある。日本で最も高い高千穂鉄橋(廃線)が105mだから、石造なら相当の迫力だ。

*注 地形図は橋全体を弓なりに描いているが、写真でわかるように実際には中央アーチの部分は直線だ。

■参考サイト
ロワゾンヌ橋の現況写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Viaduc-Roizonne41.jpg
Wikipédia仏語版-ロワゾンヌ橋
http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Roizonne

一方、ボンヌ橋 Viaduc de la Bonne (図の右円内)は長さ180m、高さ55mで、7つのアーチが規則正しく並び、ラ・ミュール側から見て大きく右にカーブする(いずれもデータは下記参考サイトより)。いずれも設計は、ピレネーを上るル・トラン・ジョーヌ Le train jaune 線上の美しい橋で知られるポール・セジュルネ Paul Séjourné だ。着工は1913年と1921年だが、完成したのは1928年で、その間に橋梁は鋼製が主流となっていたため、フランス最後の大型石造橋といわれる。いずれの橋も廃線後、道路橋に再利用されて、今も渡ることが可能だ。

■参考サイト
ボンヌ橋の現況写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Viaduc-Bonne35.jpg
Wikipédia仏語版-ボンヌ橋
http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Bonne

また、ボンヌ橋の北詰めからは、橋を渡らずに谷を遡る支線があった。終点のヴァルボネ村は高山に囲まれた小盆地の中心だが、十分な需要は得られず、本線廃止時に運命をともにした。

SG-LMと違って、LM-Gの開通区間にはトンネルが一つもない。かといって、平坦な行程とはとうてい言えず、曲線の最小半径50m(SG-LMは100m)、最急勾配60‰(ヴァルボネ支線は73‰)が許容されていた。電気運転だからこそ可能な厳しい規格といえる。早くからアルプスの豊富な水量を利用して電力開発が行われており、ローカル鉄道もその恩恵を受けられたのだ。

図2
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レ・コート・ド・コール~コール間
(c) IGN, 2009

【図2】線路敷は現在、ほとんど道路に転用されてしまっている。しかし、谷を回り込む個所は、道路がヘアピンで短絡するため、大回りしていた鉄道用地が取り残されて、地形図に痕跡をとどめる。レ・コート・ド・コール Les-Côtes-de-Corps の下手では逆S字状にうねりながら坂をのぼっているし(図の左円内)、コール Corps 手前のそれはハイキング道になって、市街まで続いているのがわかる(同 右円内)。

終着駅コールはラ・ミュール以来のまとまった集落だ。ダムで堰き止めたソーテ湖 Lac du Sautet とオビウー Obiou の山塊を遠望する丘の上に、こじんまりと載っている。駅跡は集落の西側に隣接し(図に矩形で表示)、駅前広場 Place de la gare の名はそのままに、催し場や駐車場に使われているようだ。

実はLM-Gがコールまで開通したとき、そこから南の区間はすでに工事が中断してしまっていた(1930年)。ガップとの直通輸送の夢が潰えた以上、鉄道はこの村を経由する貨客に頼って、生き延びなければならない。この地域の中心地とはいえ、村の人口は近年では400人台、1962年の調査でも608人だったというから、かなり小さな村だ。どうやって採算をとるつもりだったのだろうか。

案の定、鉄道は赤字がかさんで休止に追い込まれていくのだが、文字通りの救いはコール近傍の山中にあった。1846年、山中で2人の羊飼いの子どもの前に聖母マリアが出現したという奇跡に基づいて、その地に築かれたノートルダム・ド・ラ・サレット教会 Basilique Notre-Dame de la Salette だ。コールから15kmの山道を登り詰めた標高1760mにある教会には、今も年20万人が訪れるという。鉄道が現役の時代も、遠路はるばるやってくる巡礼者たちが重要な顧客だった。

しかし、石炭輸送という安定収入が得られるSG-LMに比べて、LM-Gの運営には常に困難がつきまとった。1939年に運行が一時止まり、第2次大戦後に再開したものの、1949年に再び休止、1952年2月に正式に廃止となり、地域開発に賭けた夢はついに消えた。

■参考サイト
コール市街遠望 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_of_Corps.jpg
ノートルダム・ド・ラ・サレット教会(公式サイト)http://lasalette.cef.fr/

最後に未成線のままとなったコール~ガップ間に触れておこう。工事が進んでいたのはショファイエ Chauffayer 村付近とサン・ボネ・アン・シャンプソール St-Bonnet-en-Champsaur に近いブリュティネルBrutinel以南だ。特に後者は路盤が完成していた。廃線跡はまっすぐガップに南下する国道から離れ、勾配がより緩くなるマンス峠 Col de Manse を越えており、ガップ駅に至るまでのほとんどの区間を地形図や空中写真でたどることができる。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)
http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/pages/histoire2.htm
 前回紹介したファンサイトの中に、コール延伸区間に関する記述 "De La Mure à Gap par Corps" がある

Wikipédia仏語版-シャンプソール鉄道
http://fr.wikipedia.org/wiki/Ligne_du_Champsaur
 LM-Gの未成区間に関する記述。なお、シャンプソールはドラック川上流の地域名称(Champのpは発音する)。

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 フランス ラ・ミュール鉄道を地図で追う

2009年6月14日 (日)

フランス ラ・ミュール鉄道を地図で追う

Blog_lamurerailway_map1ラ・ミュール鉄道 Chemin de fer de La Mure は、フランスアルプスの西縁に広がる山岳地帯のダイナミックな風景が堪能できることから、一般旅行者にも人気が高い保存鉄道だ。サン・ジョルジュ・ド・コミエ St-Georges-de-Commiers ~ラ・ミュール La Mure 間、延長は30.1kmある。

起点駅の標高は315mだが、終点では881mにもなり、メーターゲージ(1m軌間)で、18のトンネル、あまたのアーチ橋に半径100mの急曲線が延々と続くと聞けば、いかにも登山鉄道の要件を満たしている。しかし、意外にも勾配は27.5‰と、緩くはないものの幹線にもある規格だ。それというのも、これはもともと沿線で産出した石炭を運搬するために敷かれた産業鉄道だったからだ。

公式ウェブサイト以外にも詳しいデータを収めたファンサイトがある(下記参考サイト)ので、それらを参考に鉄道のプロフィールを紹介してみたい。

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ラ・ミュール鉄道とその周辺図

ラ・ミュールの町が載るマテジーヌ高原 Plateau de la Matheysine は、グルノーブル Grenoble の南20~30kmにある標高1000m前後のエリアだ。東西を山脈にはさまれ、北と南は深い谷で周囲と隔絶されている。そして南北に細長い平坦部には、氷河期の痕跡である小湖が連なる。ここは中世から、石炭の中でも純度の高い無煙炭を産する土地だったが、競合する他の産炭地に比べて交通の便が悪く、19世紀半ばから鉄道の開通が待たれていた。1878年、ようやくグルノーブルから南下する鉄道がPLM(パリ=リヨン=地中海鉄道 Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée、1938年に国有化)によって敷設されたが、ルートは川向こうに設けられ、高原を経由しなかった。

そこでまもなく、この路線がドラック川Dracを渡る手前のサン・ジョルジュ・ド・コミエで分岐して、高原に上る鉄道が企画される。建設工事は1882年に始まり、ドラック川が削り出した比高300mの断崖に、対岸から103発の大砲を撃って建設の足場をつくるという途方も無い難工事の末、1886年に路盤が完成した。車両その他の設備の調達が遅れたため、開通式が行われたのは2年後の1888年7月24日だった。当初は蒸機が牽引していたが、1日17往復が限界で輸送力の不足をきたした。1907年に峠の手前まで直流2400Vという高電圧電化が実現し、1912年に全線の電化を終えた。

標準軌のPLM線へは積替え作業を介するという弱点はあったものの、高品質炭の需要の高まりは鉄道を一気に活性化させていった。輸送量は第一次大戦前後から目に見えて増加し、1916年には30万トン、1940年には57万3千トン、ピークの1966年には79万1千トンに達した。しかし、燃料の主役が石油に移行し、外国産の低価格品の流入もあって、国内の炭鉱は急速に衰退する。1974年のオイルショックがなかったら、当時吹き荒れていた不採算路線閉鎖の嵐がここにも襲いかかったに違いない。石炭輸送が維持されたことで、鉄道は細々と命脈を保つことができた。結局、この地方の炭鉱は1997年に完全に幕を閉じたが、それより早く1988年10月に鉄道輸送は廃止され、ラ・ミュール鉄道は観光用として第二の人生を歩み始めていた。

Blog_lamure現在(2009年)の運行スケジュールは4月~10月の間、毎日1~4往復(月によって異なる)、所要は途中のフォトストップを含めて往路110分、復路は90~95分となっている。

公式サイトは、訪れればここがなぜ「アルプスで一番美しい路線 La plus belle ligne des Alpes」と呼ばれるかがわかる、と誘っている。いったいどんな景色が待つというのだろうか。1:25,000地形図を見ながら、起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ(標高315m)からラ・ミュール行きの列車に乗ったつもりで追っていこう。(IGN 1:25,000地形図なら、3336OT "La Mure"に全線が収まる)

図1
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起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ~ノートル・ダム・ド・コミエ
(c) IGN, 2009

【図1】起点駅では、意外にも列車はグルノーブル方、すなわち北向きに出発する。右回りしながらトンネルに突っ込み、180度向きを変えて始発駅の真上に現れる。しばらくは木の間に畑地を見ながら、河岸段丘のへりを上っていく。列車の速度は30km/hほどだ。

ノートル・ダム・ド・コミエ Notre-Dame-de-Commiers の村の手前にはトンネルと組合せたS字状の蛇行部があるが、こうした高度のかせぎ方は後で大きく展開されるだろう。村の駅(標高471m)からは、遠方にアリゾナのモニュメント・ヴァレーを思わせる切り立った岩山が初めて眺められる。西を限るヴェルコール山地 Vercors の中でもひときわ異様な風貌で知られる2086mのモンテギュイーユ(エギュイーユ山)Mont Aiguille だ。ドーフィネ地方の七不思議 Sept merveilles du Dauphiné に数えられる。

■参考サイト
モンテギュイーユの写真
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Mont-Aiguille.jpg
モンテギュイーユの地質構造
http://www.geol-alp.com/h_vercors/lieux_vercors/mont_aiguille.html

図2
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ノートル・ダム・ド・コミエ~モンテナール・アヴィニョネダム手前
(c) IGN, 2009

【図2】ノートル・ダム・ド・コミエ駅を過ぎると、右手車窓にはしばらく、深い青色をした湖面が続く。村の名を付したダムによるドラック川の堰止湖だ。線路は谷の斜面にへばりつきながら、じわじわと上っている。ドラックDracとは土地の言葉でドラゴンを意味し、洪水でグルノーブル盆地を苦しめる荒れ川だったことをしのばせる。支谷を利用した180度転回のトンネルを抜けた後はいよいよ高度が増して、水面との高低差は280mにもなり、対岸の山を見下ろせばまるで空中を飛んでいるような感覚だ。

図3
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モンテナール・アヴィニョネダム付近~ラ・フェスティニエールトンネル入口
(c) IGN, 2009

【図3】2つ目のダムを過ぎたことに、長めのトンネルを連続で抜けたところで気づくだろう。右後方にアーチの堤が見えるこのダムは、流域で最大規模のモンテナール・アヴィニョネダム Barrage de Monteynard-Avignonet で、堤高153m、湖は上流10kmにも及ぶ。これが1962年に完成するまで、リヴォワール橋梁 Viaduc de la Rivoire を通過する線路は、谷底まで300m以上の高さがある斜めの崖に張り出していた。対岸から陸軍の大砲を打ち込んで足場を確保したというのはここだ。湛水してから高さの恐怖は多少減じただろうが、息をのむ景観は変わらず、緑青の湖水とベルコールの山並みを俯瞰する「大バルコニー Grand balcon」として、乗客期待のフォトストップがある。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道の写真があるサイト
http://www.linternaute.com/sortir/chemins-de-fer/chemin-fer-mure/diaporama/1.shtml

起点から寄り添ってきたドラック川ともこれでお別れだ。線路は大きく左へ向きを変え、支流ペライエ川 Pérailler の谷へ入っていく。ラ・モット・レ・バン La Motte-les-Bains の駅跡(標高705m)は、全行程のおよそ中間地点にあたる。終点まで直線距離であと8kmに迫っているのに、まだ線路長が15kmもあるのは、これから何度も折返しながら峠まで200mの高度をかせいでいくからだ。

最初の折返しは長さ170mのヴォー川橋梁 Viaduc de Vaulx で、路線中最長、かつ全体が右に急カーブしているので、誰もがカメラを構える。少し行くと、これも名所になっている上下並んだルーラ橋梁 Viaducs de Loulla aval et amont にさしかかる。列車は下の橋を渡った後、180度転回して脚が長く伸びた上の橋を通過していく。

上手にアヴェイヤン Aveillans の村が見えてくるが、そこまで一気には上ることができない。広い谷を大回りし、さらにトンネルで180度方向を変えてようやく、ラ・モット・ダヴェイヤン La Motte-d'Aveillans(標高867m)の駅に到着だ。ここでは15~20分停車する。駅から北向きにノートル・ダム・ド・ヴォー Notre-Dame-de-Vaulx の炭鉱へ行く2kmの支線が分岐していたが、電化対象からもはずされたまま1936年に廃止された。地形図にはサン・ジョルジュ方向に少し戻った地点から、北へ延びる廃線跡の小道が明瞭に描かれている(図では、廃線跡に薄赤のマーカー線をつけ、abandoned の注記を添えた)。

休憩を終えた列車は村の家並みをかすめ、峠の下を貫通するラ・フェスティニエールトンネル Tunnel de la Festinière に入って行く。長さ1021mはいうまでもなく路線で最も長く、暗闇を利用して鉱山の歴史を紹介する影絵のアトラクションがある。

図4
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終点ラ・ミュール付近
(c) IGN, 2009

【図4】トンネルの出口付近が路線の最高地点924.5mで、ついに列車は24kmもの間続いた片勾配を上りきって、マテジーヌ高原の上に到達した。後ろの山を振り返ると、もう一つのドーフィネの七不思議、ピエール・ペルセー Pierre Percée(穴あき岩)が見えるそうだ。最後の区間はこれまでとは違って開けた土地を淡々と走るが、車窓右手にはこの地方で最後まで稼動していた鉱山の廃虚が点在している。終点ラ・ミュールの駅は長い直線路を走り抜けた先にある。

ところで、もしグルノーブルからクルマでラ・ミュールを訪れるなら、N85号線が近道だ。ナポレオン・ボナパルトが1815年に幽閉先のエルバ島から帰還する際に通ったルートで、別名ナポレオン街道 Route Napoléon という。ヴィジール Vizille でロマンシュ川 Romanche を渡って、マテジーヌ高原の北端ラフレー Laffrey へ、高さ600mの谷壁を斜めに這い上がる。ナポレオンと王党派の軍隊が対峙した有名な「出会いの草原 La prairie de la rencontre」を過ぎた後は、点在する湖のへりを行く平坦な道だ。

ラ・ミュール鉄道が最初から旅客用だったなら、きっとこのルートに沿っていたに違いない。6kmのラフレー坂をラックレールで克服すれば、残り17kmは平地に線路を敷くようなものだからだ。貨物鉄道だったがために、勾配を一定にできるルートを探さなければならず、険しいドラック峡谷が選択された。後世に残された大胆で巧妙な設計図を列車でたどれば、ドーフィネの8つ目の不思議がここにあると確信するだろう。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(公式サイト) http://www.trainlamure.com/
 英語版あり。基本的な情報はここでわかる。
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/
 詳しいデータが盛り込まれており、本稿のデータの多くはこれに拠っている。
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト) http://www.railfaneurope.net/lamure/
 英語版あり。本稿で省略した車両に関するデータはこのサイトを参照。

Wikipediaフランス語版 Chemin de fer de la Mure
http://fr.wikipedia.org/wiki/Chemin_de_fer_de_la_mure
ラミュール鉄道の紹介ビデオ Spectaculaire chemin de fer de la Mure en Isère
http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=Ca4oNuRL44U

「大バルコニー」付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=44.9580,5.6994&z=15

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 ラ・ミュール鉄道、幻の延伸区間
 フランスの1:25,000地形図

2009年6月 7日 (日)

フランスのワイン地図

フランスという国は、温暖な気候のもと、豊かな農産物に恵まれている。中でも種類といい、品質といい、名実ともに世界の特産品の地位を確立しているのがワインだ。生産地域は海岸から内陸まで全土に広がっていて、その分布を表した地図を眺めながら、グラスを傾けるのも一興だろう。このような地図はフランス語でカルト・デ・ヴィニョーブル carte des vignobles と呼ばれ、直訳すればブドウ畑地図だが、以下の記述ではワイン地図(ワインマップ)としておく。

Blog_france_winemap1 フランス国土地理院 IGN のカタログには10点ものワイン地図が含まれている。そのうち、「フランスのワイン Vins de France」(写真左)は全国版で、縮尺1:1,000,000(100万分の1)で統一されたフランス発見 Découverte de la France シリーズの1点だ。

大判用紙全面を使ったメインの地図には、主要道路や水部(川、湖)、地名を表示したベースマップの上に、アペラシオン appellation(正確には原産地統制名称A.O.C.)ごとの栽培地の範囲が塗り分けられている。余白には生産地域別のアペラシオン一覧があり、白、ロゼ、赤の別とともにワイン、スパークリングワイン vin effervescent、ヴァン・ドゥー・ナチュレル vin doux naturel の種類がわかる。さらに、仏、独、英の3ヶ国語によるセパージュ cépage(ブドウの品種)の紹介や、生産地域別に1985~2005年の作柄を20段階で評価したヴィンテージ・チャートも用意されていて、参考地図の域を超えて楽しめる。

IGNの残り9点は生産地域 région viticole 別の地図で、ボージョレ Beaujolais、ジュラ Jura、シャンパーニュ Champagne、トゥレーヌ Touraine、プロヴァンス Provence、ブルゴーニュ Bourgogne、アルザス Alsace、ボルドー Boldeaux、コート・デュ・ローヌ Côtes du Rhône と主な産地を揃えている。いずれも等高線かぼかし(陰影)の地勢表現を施したベースマップに、アペラシオンの詳しい分布を示したものだ。

手元にあるブルゴーニュのワイン地図を例に紹介すると、タイトルは「ブルゴーニュのワイン-コート・ドール Vins de Bourgogne - Côte d'Or」(写真右)。縮尺1:55,000で、コート・ドール(黄金の丘の意、斜面のブドウ畑が一斉に黄葉する様から)、あるいはラ・グランド・コート La Grande Côte(大いなる丘)と呼ばれるディジョン Dijon 南郊からボーヌ Beaune、シャニー Chagny にかけての一帯を掲載範囲とする。

当地方は畑を厳格に格付けしていて、優れたものから順にグラン・クリュ grand cru(特級)、プルミエ・クリュ premier cru(一級)、村を示すコミュナル communale、それ以外の地域のレジオナル regionale と区別がある。地図でもこれを赤、白の別と組み合わせて塗り分けている。この縮尺ならアペラシオンごとの畑の位置まで特定できるので、たとえば高名なシャンベルタン Chambertin やロマネ・コンティ Romanée-Conti の区画がどこにあるのかを探すのも訳はない。20m間隔の等高線と照らし合わせると、特級畑は、栽培地の中でも山裾の緩斜面に狭い帯状に分布していることが読み取れる。テロワール terroirs(産地の個性)の理解にも役立つだろう。

国の測量局がこのような地図群を刊行するというのは、ワイン文化が浸透したフランスならではだが、地図の表紙のロゴが示すように、地図原版は、ワイン地図を専門とするエディシオン・ブノワが提供したものだ。

■参考サイト
IGN boutique loisir(オンラインショップ) http://loisirs.ign.fr/
 検索窓(Recherchez=Searchボタンの左)で、"vins"を検索するとよい。

Blog_france_winemap2 エディシオン・ブノワ Éditions Benoit(ブノワ出版社)自体からも、同じようなワイン地図が目にも鮮やかな表紙を付けて刊行されている。IGNのようにフランス全図(正式名は「原産地別フランスワイン及びブランデー地図Carte de France des Vins et Eaux-de-Vie d'Appellation d'Origine」)や生産地域ごとの地図があるが、内容はIGNと全く同じというわけではない。

フランス全図(写真左)は使われているベースマップも生産地表示のデザインも別物だし、ブルゴーニュ編(写真右)はIGNの地形図データベースによる非常に詳細な等高線が入れてある。よく見ると、等高線の版が他の版とは1cmほどもずれていて役に立たないのだが、ともあれブノワのオリジナル仕様であることは確かだ。公式HPには地図の縮小画像が挙がっているから、およその雰囲気はつかめるだろう。

写真は折図 carte pliée だが、もともとポスター、つまり壁貼り用として製作されたものなので、折らずに丸めて筒に入れたもの carte poster や、額縁つき carte contrecollée sur support bois でも販売している。白地図に色だけ置いたものとは違い、栽培地をはぐくむ地勢が浮かび上がって見栄えがする。好みの生産地の地図を部屋のインテリアにすれば、客人との話が弾みそうだ。

IGNと重複しないものでは、「フランスワインの品種地図 Principaux Cépages des Vignobles de France」や「ヨーロッパワイン地図 Vignobles d'Europe」があるが、極めつけは、1冊にまとめた「フランスワイン大地図帳 Grand atlas des vignobles de France」だ。18の生産地域の450を超えるアペラシオンの地図とデータ、4000の生産地のリストと場所が掲載された320ページの大作で、フランスワインマップの決定版となっている。

■参考サイト
エディシオン・ブノワ http://www.benoitfrance.com/
 自社製品のオンラインショッピングが可能。

Blog_france_winemap3 市街図で知られたブレー・フォルデクス社Blay Foldexにも、「フランスワイン地図 Carte Vins de France」がある。両面使用で、片面に生産地域ごとの拡大図をコラージュし、もう片面は一般的な全国道路地図を使った索引図になっている。

拡大図のデザインはブノワとは一線を画したおしゃれなスタイルで、壁貼りしても美しいし、IGNでは省かれ、ブノワでも軽く扱われているブランデーの二大産地、コニャック Cognac とアルマニャック Armagnac が、ワインと同じ詳しさで図示されているのが特徴だ。特定の産地にこだわる人でなければ、1枚で全土のアペラシオン分布が把握できるブレー版はお薦めだ。

■参考サイト
ブレー・フォルデクス社 http://www.blayfoldex.com/
 Nos produits のページで"vins"を検索するとよい。購入はアマゾンフランスやFNAC(フランスの有力ショップ)にて。

ヴォーヌ・ロマネ Vosne-Romanée 付近のIGN 1:25,000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 ロマネ・コンティの畑は、村の西はずれ「260」の数字(標高260m)が書かれた一角にある。

フランス政府観光局オフィシャルサイト(日本語) http://jp.franceguide.com/
 テーマ別の旅 > ワインをめぐる旅
 少々画像が粗いが、ワイン地図も見ることができる。

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