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2009年4月 9日 (木)

ギリシャ 失われた4線軌条

Blog_volos_map ギリシャには、メーターゲージ(軌間=線路幅1m)の列車が独占的に活躍していた地方がある。地中海に突き出たペロポネソス半島と、今回のテーマであるギリシャ中東部のテッサリア Θεσσαλία / Thessalia (Thessaly) だ。長らくメーターゲージ王国だったペロポネソスは現在、1435mm標準軌への変更と交流電化が進行中で、すでに首都アテネ Αθήνα / Athina (Athens) から半島北岸のキアト Kiato 間の改軌が完成している。その先も、西海岸のピルゴス Πύργος / Pyrgos までが計画に盛り込まれているそうだ。

一方、北の王国テッサリアは、ペロポネソスよりも早く、2001年までに改軌の波に洗われてしまった。その過程で一時期、ヴォロス Βόλος / Volos の町に軌間の異なる3つの鉄道が乗り入れていたことがある。2種の軌間を合流させる3線軌条はおろか、3種を1本の線路に集約した4線軌条まで存在していた。このユニークな饗宴はどのようにして形成され、なぜ解消してしまったのだろうか。その背景をさぐるために、少し視点を引いて、この地方の鉄道網の変遷を俯瞰してみたい。

Blog_thessalianrailways ギリシャの鉄道は1869年、アテネとその外港ピレウス Πειραιάς / Peiraias (Piraeus) 間9kmの開通で幕を開けるが、議論の末、線路幅(軌間)1mのいわゆるメーターゲージが採用された。当時のギリシャは国土が今の4割ほど(ラミア以南とキクラデス諸島)の小国で、産業も未発達であり、輸送量は小さくても、建設コストが抑制できるほうが有利と考えられたのだ。

初期の鉄道の起点は、港に置かれるのが常だ。建設資材の陸揚げはもとより、長距離輸送の主役であった海運と連絡をとるのが使命だからだ。テッサリア地方の場合、エーゲ海から回り込んだパガシティコス湾の奥に位置するヴォロスがその場所となった。1881年、この地方がオスマン帝国の支配から解放され、ギリシャに併合されると、まだ人口5000人足らずだった村の港から、内陸の諸都市へ向けて鉄道建設が始まる。

まず1883年に、フランス資本のテッサリア鉄道 Σιδηροδρόμι Θεσσαλίας / Sidirodromi Thessalias が、ヴォロスから、地方の中心都市ラリッサ Λάρισα / Larisa (Larissa) までの61kmを完成させた。ついで1884年には途中のヴェレスティノ Βελεστίνο / Velestino で分岐して西方へ向かう路線に着手する。数次の延伸を経て、1886年に、いまは世界遺産メテオラの玄関口となっているカランバカ Καλαμπάκα / Kalambaka までの142kmを全通させた。狭軌鉄道網の完成とともにヴォロスの町も発展を遂げる(図の1段目参照)。

一方、アテネから北をめざした国鉄幹線は、バルカン半島の鉄道網に接続することを視野に入れて(当時マケドニア地方はまだトルコ領)、標準軌を採用していた。路線は、テッサリアの内陸部を南北に貫いて1907年、ラリッサに到達する。メーターゲージとの連絡は、ラリッサと、ヴォロス~カランバカの中間にあるパレオファルサロス Παλαιοφάρσαλος / Paleofarsalos の2ヶ所で行った(図2段目)。幹線の開通は、テッサリアの物流が海運から内陸の鉄道経由へと移行するのを促し、これ以降、線区相互の接続の改善が重要な課題になっていく。

テッサリア鉄道の標準軌化を求める声は早くからあり、1920年から始まったカランバカ以北、コザニ Κοζάνη / Kozani までの延伸工事(未成に終わる)もそれを想定して行われていた。しかし、世界恐慌とその後の政治混乱、そして第二次世界大戦と続く内戦のために一向に進捗しないまま、1955年に会社は倒産し、事業は国鉄に引き継がれた。ラリッサ~ヴォロス間の標準軌化工事が完了するのは、ようやく1960年のことだ(図3段目)。

改良方法も興味深い。ラリッサ~ヴェレスティノ間は旧線を単純に改軌したが、ヴェレスティノ~ヴォロス間はカランバカ方面へメーターゲージの直通列車を走らせるために旧線をそのまま残し、新たに標準軌の別線を建設した。この間には標高140mほどの峠がある。ヴェレスティノから峠までは新線を旧線に腹付け(すぐ脇に新設)したが、峠から下るルートは旧線の線形が悪く、新線は山側を迂回させたうえで大きな逆S字カーブを切って、ヴォロスへ降ろした。旧線と合流するヴォロス駅構内の前後では、3線軌条が生じた。

ところで、ヴォロスの東には、標高1000mを越えるピリオ山地(ピリオン Πήλιο / Pilio (Pelion))が横たわる。山地は半島状に長く連なり、エーゲ海とパガシティコス湾を隔てている。時代は戻るが、テッサリア鉄道は1895~1903年の間に、この地域の足となる軌間600mmの小鉄道(いわゆるピリオン鉄道、下注)を敷いた。ヴォロス市内を走る路面鉄道に一部乗り入れながら郊外へ延長し、ミリエス Μηλιές / Milies まで29kmの路線としたものだ。これもヴォロス駅が起点だったので、その結果、3種の異なる軌間を走る列車が顔をそろえることになった。

*注 ピリオン鉄道については、本ブログ「ギリシャ ピリオン鉄道」で詳述。

港へ向かう一部区間では、3つの軌間が線路を共用する4線軌条が存在しており、証拠写真をウェブ上で見ることができる。饗宴は、標準軌が到来した1960年から11年間続いたが、自動車交通の普及に伴って小鉄道が1971年に休止されたことで終焉を迎えた。

■参考サイト
ヴォロス市内の4線軌条 http://apostolos.fotopic.net/p44916155.html
*注 その後このサイトに接続できなくなったため、あらかじめDLしておいた画像を下に掲載させていただく。

Blog_volos_quadruplegauge
ヴォロス市内の4線軌条 (c) Dimopoulos Apostolos

その後、ギリシャの幹線網整備は、1981年に加盟した欧州共同体(EC、現EU)からの財政支援を受けて再開された。メーターゲージのヴォロス~カランバカ間のうち、南北幹線と接続するパレオファルサロス以西を標準軌に転換する計画が決まり、2000年4月にカルディッツァ Karditsa、2001年1月に残るカランバカまでの全線が改軌された。

それに対して、幹線の東側のヴォロス~ヴェレスティノ~パレオファルサロス間は、改良の対象から外されてしまった。ヴォロスと幹線間の連絡機能をもっぱらラリッサに奪われて、輸送量の少ないローカル線と化していたからだ。そしてこの区間は廃止となり、ヴォロス駅の狭軌設備も2001年内に撤去された(図4段目)。

これが、テッサリア地方における鉄道の120年間にわたる栄枯盛衰の略史だ。かくして、ヴォロスに姿を見せるのは、標準軌の列車だけになった。しかし、地域の動脈であったかつての路線が完全に見捨てられてしまったわけではない。1996年からミリエスへ行く小鉄道の一部区間で、観光列車の運行が始まり、ゆくゆくはヴォロスまで全線を再建する予定になっている。ヴェレスティノ付近に残存するメーターゲージ線でも、愛好家たちがレールカーで特別運転を実施しているそうだ。

いったんは公式時刻表からも消え去った異軌間の列車だが、今、港町から少し足を延ばせばわけなく再会を果たすことができる。
(ピリオン鉄道については次回詳述する。)

■参考サイト
ギリシャ鉄道 http://www.ose.gr/
 英語版 "History" > "The Railway of Thessaly (STh)"
Wikipedia ドイツ語版「テッサリア鉄道 Thessalische Eisenbahnen」
http://de.wikipedia.org/wiki/Thessalische_Eisenbahnen

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