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2009年4月16日 (木)

ギリシャ ピリオン鉄道

陽光きらめく波静かな内湾を見下ろしながら、機関車に牽かれた小柄な列車が、のんびりとオリーブの林を縫っていく。2006年9月の「世界の車窓から」で紹介された素朴な風情の狭軌鉄道は、筆者の心に深い印象を残した。ナレーションの記憶を頼りに地図を当たり、それがギリシャ中東部テッサリア地方、エーゲ海から山地を一つ隔てたパガスティコス湾沿いを走る、軌間600mmの観光鉄道であることを知った。

ギリシャ鉄道 Οργανισμός Σιδηροδρόμων Ελλάδος / Organismos Sidirodromon Ellados (OSE) が運行しているこの路線の正式名は定かでない。英語の文献には The Little Train of Pelion(ピリオンの小列車)と紹介されていることが多いが、ここでは仮に「ピリオン鉄道」としておこう。

Blog_pelionrailway_map

参考サイトによると、ハイシーズンの7~8月は毎日、9~10月は土日と休日に運行しており、アノ・レホニア Άνω Λεχώνια / Ano Lechonia(Anoは上の意)11:00発、途中、アノ・ガゼアス Άνω Γατζέας / Ano Gatzeas とオグラ Ογλά / Ogla で休憩して、ミリエス Μηλιές / Milies 到着は12:35だ。帰りはミリエス16:00発、アノ・レホニア17:00着となっている。運賃は往復で13ユーロだ(「地球の歩き方」A24 ギリシャ編p.14にも同鉄道の紹介があるが、運行日の記載が異なるので、乗車される方は現地での再確認をお勧めする)。現在は郊外の集落が起点だが、かつてはそうではなく、地域の中心都市ヴォロス Βόλος / Volos に発着する、小規模ながらも立派な地方鉄道だった。前回の記事とも一部重複するが、その生い立ちを記してみたい。

ギリシャの鉄道ブームは1880年代に起こり、ペロポネソス、アッティカなどギリシャ各地で相前後して建設の槌音がこだました。テッサリア鉄道もその一つで、港町ヴォロスから内陸のラリッサとカランバカへ通じる主要路線を一気に仕上げた。その後10年ほど遅れて手がけたのが、ピリオンへの支線だった。

しかし通過予定地は、標高1000mを越す山地の斜面で、平地が乏しく点在するのは小さな村ばかりだ。国の補助金がなく、輸送量も多くは期待できないため、ドコーヴィル Decauville と呼ばれる軽規格を採用して、建設費を抑えた。設計者の一人として、イタリア人のエヴァリスト・デ・キリコ Evaristo de Chirico が迎えられた。彼はあのシュルレアリスムの画家ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico の父親で、ジョルジョは一家がヴォロスに滞在中に生まれ、ここで少年時代を過ごすことになる。

ヴォロスとレホニアの間13kmは、1895年に開通した。路面鉄道と線路を共用することで、市街を縦断してヴォロス駅へ乗入れたので、メーターゲージ線との連絡も万全だった。この区間は町を抜けると小さな岬(Ακρ. Γορίτσα / Cape Goritsa)の波打ち際を進む。次いで、山から押出して海まで達した扇状地に載っていく比較的平坦な行路だ。

1903年にはさらに16kmを延長して、ミリエスまでの29kmが全通した。山地が海岸に迫るこの区間は、細かい山ひだを忠実になぞりながら上るので、最小半径30m、最急勾配28‰(30‰とした資料もある)という険しい道のりになった。この坂道をもくもくと煙を吐きながら時速25~30kmでゆっくりと登る列車に対し、人々は親しみを込めてムズリス Μουτζούρης / Moutzouris、「煙たい(列車)」と呼んだ。

機関車にとっては難路でも、乗客は煙さえ我慢すればすばらしい眺めを満喫できた。張り出した尾根の斜面では蒼い海原が視界いっぱいに広がり、谷を渡るときは重厚な石造りのアーチ橋が景色に華を添える。カーブした線路が載る上路トラス橋が一つ混じっているが、これは後年(1917年)の建造だ。

懸命に上りきった終点ミリエス駅は、標高約280mに達する。りんごの木を意味する地名のとおり、山手をりんごと栗の木々、谷側をオリーブの林に囲まれた古く静かな村だ。しかし、線路は手前の森の中で止まっているので、18世紀の教会がある中心部へは、急な坂道を登っていかなければならない。駅には簡素ながらも転車台が設置され、機関車はここで向きを変えてつなぎ直され、復路の出発を待った。

計画では、鉄道はさらに山を越え、エーゲ海を眼下に望むピリオン最大の村邑ザゴラ Ζαγορά / Zagora まで延長される予定だったが、資金不足で着工には至らなかった。ザゴラへの道程は遠く険しく、どのみち実現は困難だったに違いない。唯一の公共交通機関として地域開発に貢献した小鉄道だが、いずこも同じ自動車の普及によって採算が悪化し、ついに1971年6月、運行休止に追い込まれた。

しかし、復活を求める運動は地道に続けられていた。残存する施設に歴史的な価値が認められ、1985年に文化財に登録されたのも一つの成果といえる。それだけでなく、海岸線が複雑で美しい海景に事欠かないギリシャでも、ピリオン鉄道のようにみごとな展望をもつルートは貴重だ。

1990年代に入り、観光資源としての再生計画にゴーサインが出される。文化財指定が幸いして、旧状が保存されていた後半の区間で、駅舎や橋梁の修復や線路の敷設が行われた。そして1996年、アノ・レホニアとミリエスの間で、列車の運行が再開されたのだった。かつて5両あった蒸機のうち2両は残存しているが、沿線火災の危険を排除するためにディーゼル機関車に切替えられている。時速20kmで素晴らしい眺望をゆっくり堪能できるとあって、週末は予約必須の人気だという。

ピリオン鉄道にはさらなる構想がある。ヴォロスまで全線の再興だ。すでに2004年からヴォロス市街に接したアナヴロス Άναυρος / Anavros(古代ギリシャ神話でイアソンがサンダルをなくしたという小川がある)からアグリア Αγρία / Agria までの海岸線でも整備が終了し、列車が走り始めている。次はアグリア~アノ・レホニア間を接続することになるのだろう。ケンタウルス族の故国として、神話ゆかりの地であるピリオンの山々に、往年の列車の響きが蘇るのを人々は心待ちにしている。

■参考サイト
鉄道の公式サイトは存在しないが、以下のサイトで概略がつかめる。
ギリシャ鉄道 http://www.ose.gr/
 ギリシャ語サイトに比較的詳しい紹介がある(英語版はない)
 ΤΡΑΙΝΟΣΕ(車両運行会社TRAINOSE) > Τουριστικά(旅行)> Πήλιο(ピリオン)
Pelion Nature-Tradition-Legend-Culture
http://www.leventis-hospitality.gr/catalogue/
 観光パンフレット(英語版)の中に "Little Train of Pelion" のページがある。

Ferienhäuser in Pilion http://www.pilion-direkt.de/trenaki.html
 "Fahrplan(時刻表)" から、鉄道の運行スケジュールにリンクしている(ドイツ語)
Youtube  Greek Pelion railway video
http://www.youtube.com/watch?v=yPljYIMZXHg
 石造りアーチ橋の俯瞰や、狭軌がカーブする上路トラスの映像を含む。
アノ・レホニア付近のGoogleマップ 
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=39.3264,23.0547&z=15

Blog_anavasi_pelion ちなみに、ピリオン鉄道が掲載されている最大縮尺の地図は、アナーヴァシ社 Anavasi のTopo25 "Central Pilion" 1:25,000だ。10m間隔の等高線が入っているので地形図としても使える。同社のショッピングサイトで購入できる。アナーヴァシ社については、本ブログ「ギリシャの旅行地図-アナーヴァシ社」を参照。

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