« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月25日 (木)

立山砂防軌道を行く

Blog_tateyama_sabo1
応募パンフ
Blog_tateyama_sabo2
富山地鉄で立山へ
(常願寺川を渡る)

今年(2008年)9月、立山カルデラ砂防体験学習会に参加した。アルペンルートの西の起点、富山地鉄立山駅にほど近い立山カルデラ砂防博物館が毎年夏のシーズンに募る、砂防工事の現場を見学する1日ツアーだ。

そのうち「トロッココース」は、現場まで片道トロッコ列車、片道マイクロバスで移動する。原則として毎週水曜日催行、40名限定なので、希望者が多ければ抽選になる。工事関係者専用で一般営業をしていない立山砂防軌道に乗車できるとあって人気が高く、前年の平均倍率は3.6倍という狭き門だ。当選しても、天候や軌道や林道の状況によっては中止がありうる。HPによると昨年の実施率は72%で、参加予定者は4回に1回の割りで涙を飲んだことになる。

その日は幸いにも天候に恵まれた。40名を半数ずつに分け、筆者は第2班に割当てられた。第1班は往路がマイクロバスで復路がトロッコ、第2班はその逆のコースをたどる。2008年度の第2班の日程表は次のとおりだ(一部省略)。

9:30 博物館集合
10:10 立山砂防事務所
10:20~11:55 トロッコ乗車
11:55~12:45 水谷平(昼食)
13:05 天涯の湯でバス乗車
13:30 白岩下流展望台
13:55 六九谷展望台
14:20 泥谷砂防堰堤群
14:40 立山温泉跡地
16:00 有峰記念館(休憩、アンケート記入)
16:50 博物館帰着

指定の9時30分、博物館玄関に設けられた受付へ行く。危険承知の宣言文に署名捺印して提出し、参加費1700円を納めると、ガイドブックと日程表を手渡された。ガイドブックは、見学スポットを写真つきで解説したものだが、地図ファンが注目したのは、裏表紙のポケットに挟んである国土地理院地形図の複製だ。全ルートの1:50 000とカルデラ周辺の1:25 000が両面に印刷され、原図では略されている地名や展望台、発電所、トンネルなどが詳しく書き込まれている。用紙は水に強い合成紙で、野外に携帯することを考慮してある。筆者はいつもどおり、オリジナルの地形図を持参していたが、即座にこれに持ち替えた。

素人の集団を7時間もの間引率してくれるのは、ボランティアのH氏と作業衣姿のF氏で、別に、現場で説明に加わってくれる人たちもある。出発に先立って、予備知識を得るため、博物館の有料エリアを駆け足で巡った。俯瞰写真や模型でカルデラの全体像を確かめ、映像で、今からちょうど150年前、安政5(1858)年の大地震で起きた土石流災害が、砂防事業のきっかけとなったことを知った。

Blog_tateyama_sabo3
トロッコ列車が待機中
Blog_tateyama_sabo4
狭苦しい車内
Blog_tateyama_sabo5
車窓から基地を望む
Blog_tateyama_sabo6
砂防ダムの見える
スイッチバック
Blog_tateyama_sabo7
オーバーハングの
手前を迂回
Blog_tateyama_sabo8
小さなスイッチバック
の繰り返し
Blog_tateyama_sabo9
樺平の18段連続
(博物館展示パネル)
Blog_tateyama_sabo10
樺平の路線変遷
(博物館展示パネル)
Blog_tateyama_sabo11
真川谷の眺望
Blog_tateyama_sabo12
終点水谷平到着
Blog_tateyama_sabo13
徒歩で軌道跡の
トンネルを抜ける
Blog_tateyama_sabo14
橋の上に残るレール
Blog_tateyama_sabo15
足湯で小休止
Blog_tateyama_sabo16
博物館の
レイアウト展示

10時20分、いよいよ隣の砂防事務所構内に移動する。建物を抜けて裏に出ると、待望のトロッコ列車の姿があった。軌間はわずか2フィート(610mm)、小型のDLの後ろに3両のミニ客車が連結されている。ここからは工事現場なので、乗車前にヘルメットを着用しなければならない。狭い車内には、枕木方向に座席が3列並んでいる。各列に3人掛けでと言われて、縮こまるようにして着席した。終始視界が開ける進行方向右側に席が取れるかどうかは、運次第だ。短くない乗車時間だが、低速なので乗り心地は悪くない。

出発するといきなり、3段のスイッチバックがある。かつて手操作だったポイント切換えは1986年に全線自動化が完了しており、列車が折返し線に入りきるとすぐ反対側へ動く。列車は、踏切に一旦停止するような感覚で軽快に切り返していく。さっきいた千寿ケ原のホームが見る見るうちに眼下に遠ざかり、森の向こうに消えていった。線路はこのあと林に包まれた急斜面をひたすら這い上がり続ける。寄り添う常願寺川は名だたる荒れ川だ。客車の山側は落石などの危険防止のために扉を閉めてあるが、川側は開けっ放しで、ロープ1本渡しているに過ぎない。足下に奈落の谷底が透けて見え、鉄橋を渡るときはとりわけスリルに満ちている。

おばさんが緑の旗を振る中小屋連絡所を通過する。トロッコに運行上の連絡をするこの施設は、列車の交換所を兼ねている。しばらく、まだ真新しいトンネルをいくつもくぐり抜けていく。崩落の危険がある個所を迂回する安全対策工事が今もなお進められているのだ。雨が降らなくても落石があるそうで、線路際に転がっている大きな岩が、先日落ちてきたばかりと聞いて肝を冷やした。路線変更により、岩の横っ腹をくりぬいた天鳥、桑谷のオーバーハング2個所を含む区間がすでに廃止されている。桑谷の堰堤の下を抜けていた区間も常願寺川寄りに直線化されて、車窓から眺めるだけになった。

軌道始点の標高は476mで、終点は1116m。標高差640mを距離18.0kmでクリアするので、平均勾配は35.5‰になる。最も急な個所は50‰もあるという。名物のスイッチバックは全部で38段(改良前は42段)あり、一度に何段も重ねて高度を稼ぐのだが、川はいつのまにか追いついてくる。出発当初は珍しがってしきりに写真を撮るのだが、中盤では見慣れてしまい、手が止まる。ただし、七郎からクズ谷にかけて連続するそれは、最上段に小さな谷川を急カーブで巻くデッキガーダー橋が控えていて、模型のレイアウトかと思わせた。こうした橋桁や標識などは冬の間撤去するそうで、簡素なつくりになっている。

終盤近くの樺平では、18段連続スイッチバックという驚異の見せ場が待っている。気が遠くなるほど前進後退を続けて、200mもの高さをよじ登っていくが、木々が視界をじゃまして、せいぜい自分の位置から2~3段しか見えない。

ろくな実景写真がないので、代わりに博物館の展示資料を右に掲げておいた。意外にも、18段を構えたのはそれほど古い話ではない。1929~44年の初代ルートは樺平スイッチバックの3段目から直進したあと、インクラインで現軌道の水谷トンネル出口付近へつないでいた。1951~64年の2代目は樺平から複線の空中ケーブルでこの間を短絡したが、いずれにしても貨物の積替えが必要だった。この不便を解消するために、1965年、現在のルートに切り替えられたのだ。トロッコは立山カルデラの砂防現場に入る唯一の交通手段だったが、1974年に有峰林道が開通して、トラックで乗り入れることが可能となった。現在、トロッコが担当するのは、主として道路が未整備の中流域だ。

連続スイッチバックの8段目で、右手に薬師岳が姿を現す。全段を通過してトンネルを抜けたところで、一旦下車の指示が出た。窮屈な車内を脱出した解放感に浸りながら、南に延びる真川の青い谷を展望した。

11時45分、終点水谷平に到着し、昼食タイムとなる。参加者は思い思いにちらばって、持参したおにぎりや弁当をほおばった。ドロノキの綿毛の胞子が風に舞っている。日差しは夏の名残りの強さがあるが、そよぐ風は涼しく心地よい。水谷平は崩壊土砂(トンビ泥と呼ばれる)が残った山の中腹のひら地で、背後にはカルデラ壁の急斜面がそそり立つ。仰ぎ見る柱状節理の岩壁から、落差60mの滝が落ちている。向こうに建ち並ぶプレハブの宿舎は、シーズン中、100~200人の工事関係者が生活する場なのだそうだ。冬は深い雪に埋もれるため、作業は6月から10月の5ヶ月に集中して行われる。携帯電話がなかったころは、長期滞在する作業員が麓の家族の声を聞くために、公衆電話に長い列を作ったという。しかし、いまはこんな秘境でも圏内だ。

約1時間の昼食休憩を終えて、行動を再開した。上流側にうがたれた700mほどの白岩トンネルを徒歩で通り抜ける。レールが路面に残っていて、かつて軌道がさらに奥へと続いていたことがわかる。持参品の一つに挙げられていた懐中電灯は、ここで使うはずだったが、天井の蛍光灯が点っていたので用なしに終わった。トンネルの先は立山カルデラの底に相当する。天涯の湯がある広場で、林道をたどって来る第1班をしばらく待った。天涯の湯というのは、作業員の仕事の汗を流す浴場で、火山性の温泉を引き、雄大な山岳風景を眺められる露天風呂が用意されているのだ。最近できた足湯は、参加者も体験できるが、水を入れないとぴりぴりするほど熱い。

ここまででもけっこう堪能した気がしたが、見学は午後が本番で、ワゴン車の先導のもと、マイクロバスに乗って、展望台をはじめとするカルデラ内の見どころを移動する。しかし、ブログのテーマから外れるので、先を急ごう。

満々と水を湛えた有峰湖で休憩し、和田川が刻んだ千尋の谷壁を縫うように走って出発地点に戻ってきたのは、予定より早く16時20分ごろだった。地鉄の電車には少し時間がある。朝方見ることができなかった博物館の残りの部屋をさらっと巡ることにした。2階を右に進むと、SABO(砂防)展示室があり、本物のトロッコ機関車が置かれている。続く客車をかたどったブースには、前方展望ビデオを映して、乗った気にさせるコーナーがある。トロッコの模型が動くスイッチバックのレイアウトや、全線の詳細図面の前では、思わず足が止まった。しかし閉館時刻は迫る。短時間で見流そうとしたことを悔んだが、遅かった。

■参考サイト
立山カルデラ砂防博物館 http://www.tatecal.or.jp/
国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所 http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/
 左メニュー「立山軌道トロッコ」のページに、仕様、展望映像

立山駅付近の1:25 000地形図
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=363453&l=1372648
 立山駅南の博物館記号が砂防博物館。砂防軌道がその裏手を画面右下に向かって延びる。

| | コメント (2)

2008年12月18日 (木)

オーストリアの旅行地図-ドイツ・アルペン協会

Blog_alpenverein オーストリア官製の1:25 000地形図が1:50 000を2倍に単純拡大したものに過ぎないことは、以前に紹介した。アルピニストを誘ってやまない3000m級の雪山が連なっているというのに、詳しい地形図の需要がないのだろうか。いや、オリジナルの1:25 000は存在しているのだが、驚くべきことに民間の手で支えられているのだ。ドイツ・アルペン協会Deutscher Alpenverein(DAV)による、通称「アルペン協会地図Alpenvereinskarte」。国土の西部、チロル州からザルツブルク州にかけての山岳地帯を中心に、40点余の1:25 000、7点の1:50 000が刊行されている。

ドイツ・アルペン協会は、78万2千人の会員をもつ世界最大の山岳協会だ。山岳に関する知識や経験の共有を図り、登山道や山小屋を整備して山岳を開かれたものにすることを目的に、1869年に設立された。協会はこのほか山岳保険、装備レンタルなど関連事業も手がけていて、山岳地図やガイドブックの編集刊行もその一環だ。第二次大戦前の1938年まではオーストリア(ボヘミア、南チロルを含む)と合同の大組織だったことから、オーストリアアルプスに関する資料を、現在もオーストリアや南チロルの協会と共同で作成している。

協会地図は、クラシカルで職人的なスタイルを頑固に守り続けているのが、最大の特徴だ。その価値は、使いこなすほどに艶や風合いが出てくる革製品に例えることができるかもしれない。地図の沿革は1872年にまで遡れるそうだが、販売中の現役図も、ディジタル化の大波にあらがうかのように、数十年以上も前の図版に改訂を加えながら使い続けられているものが多い。

Blog_alpenverein_index 図歴が詳しく記載されているのも良心的だ。手元にある図番14「ダッハシュタイン山地Dachsteingebirge」の場合、1915年写真測量・図化に始まり、1924年部分改訂、1958年写真測量、氷河後退地その他の改訂などと続く。2005年まで9回の更新が記録されているが、原図は100年近く取り替えられていないように読める。人工物で覆われた都市部と違って、山岳地形は大規模な崩壊でもない限りあまり変わらず、氷河の成長衰退や植生の変化を追うだけで足りる。しっかり作っておけば100年後まで通用するということだろう。

1:25 000の場合、等高線は20m間隔(一部10m、25mもあり)だ。官製やコンパス社と同等の精度だが、一部の図幅では、スクライブのスムーズな描線とは対照的な、細かく震えるペン描き(?)の等高線が見られる。一方、露出した岩肌の表現は特筆すべき職人芸だ。精緻なだけでなく、現代の地図よりも濃くなまなましく描かれ、ドラマチックとさえ形容したくなる。その代わり、地勢を立体的に見せるぼかし(陰影)を採用した図は少ないので、等高線から地形を読む力が試される。肝心の登山道は赤の実線で加刷されている。アルペン協会の山小屋が赤丸で、その他の山小屋や宿泊施設が緑で囲んであり、旅行情報といえるのはそれだけだ。

このように1:25 000の個性が際立つのに対して、1:50 000は官製図を集成したものに過ぎない。旧来の官製BMN版は図郭が比較的小さかったので、ワイドな集成図の刊行はそれなりに意味があったのだろう。リニューアルした官製図(UTM版)に比べても、協会のほうが図郭はまだ大きいが、価格を考慮すると競争力は弱まる傾向にある。

発行元が山岳団体だけに、登山目的に特化した実用図であることは疑いないが、1:25 000の原図はアルペン協会製だけでなく、廃刊になって久しい官製オリジナルの1:25 000由来のものが存在し、地図自体が放つ魅力にも抗しがたいところがある。図幅ごとのサンプル画像を、オーストリアアルペン協会のオンラインショップのサイトで見ることができるので、参考にしていただきたい。

■参考サイト
ドイツアルペン協会 http://www.alpenverein.de/
オーストリアアルペン協会 http://www.alpenverein.at/
トップページ > "SHOP" > "KARTEN" > 各図のページにサンプル画像あり

ここまで、官製を含めオーストリアに関する4種類の旅行地図を紹介してきた。筆者が見立てるなら、一般向けには、観光情報が豊富で多目的に使えるコンパス社(1:50 000)がいい。地形図の使い方を心得た人には官製(1:50 000)、さらに極めるならアルペン協会(1:25 000)ということになろう。民間会社の地図は海外の主要な地図販売店で扱っているほか、日本でも紀伊國屋書店BookWebで比較的安く入手できる(洋書で"Kompass Karten" "Alpenvereinskarten"で検索。ただし扱っていない図幅もある)。

| | コメント (0)

2008年12月11日 (木)

オーストリアの旅行地図-コンパス社

Blog_kompass 「自然に親しむ人がみな、わが社の製品を使ってよかったと思うように」 50年以上にわたって旅行地図を送り続けてきたコンパスKompass社のモットーが、公式サイトの1ページに掲げられている。

同社のルーツは1946年、ドイツのミュンヘンで設立された地図研究所だ。7年後の1953年、羅針盤や方位磁石を意味するコンパスのブランド名で、最初の旅行地図が刊行された。その後、本社はオーストリア西部、チロル州インスブルックInnsbruck, Tirolに移り、ドイツの旅行情報業界を束ねるマイアドゥモント(マイアデュモン)Mairdumont出版グループの傘下に入った。現在、旅行関連地図のタイトル数は500に達して、この分野ではヨーロッパ最大規模となっている。索引図を見ると、北は北海沿岸から南は地中海までいくつもの国境を越えるエリアをカバーしているばかりか、中心となるアルプスとその周辺では、各種の縮尺が用意され、登山からサイクリングまで幅広いニーズに応えている。

ところが、これほど世に出ているコンパス地図が、筆者の地図棚にはほとんどない。なぜなら長い間、前回紹介したフライターク・ウント・ベルント社(F&B)の亜流程度にしか考えていなかったからだ。記憶は定かでないが、10年以上前にはコンパスも、F&Bに似た等高線間隔100mのいささか精度が粗い地図を売っていたはずだ。アルプスを擁する国々は官製地図の水準が非常に高いうえに、日本と違ってハイキングルートまで図示されている。民間地図の存在意義は、実用情報をより一層充実させることにしか見出せない。どの社も、詳しい旅行ガイドを地図の裏面に載せたり、別冊付録として付けたりして、懸命に官製図との差別化を図っている。しかし、肝心のベースマップがあまりに見劣りするようでは、もっぱら鑑賞派である筆者の購買意欲を刺激するには足りないのだ。

この項を準備するにあたり、改めてコンパス社の近刊を二三購入した(上の写真はその一つ、左は地図、右は添付のルートガイド)。地図を拡げるやいなや、その進歩ぶりに、古い記憶は捨てなければならないと直感した。記号がスリムになり、地勢表現もすっきり読みやすく、ずいぶんと垢抜けた感じがする。オーストリアの山岳地域の場合、縮尺1:50 000の等高線間隔は40mと少々粗いが、視覚的に許容できる範囲だ。1:25 000は中間に1本足して20mとなり、官製並みの精度に上がる。官製図と比較観察すると、等高線は細かい屈曲もほぼ一致し、露岩や崖地の手描き描写は完全に同一だ。つまり官製図の測量成果をそっくり利用しているわけで、美しいと感じたのも道理なのだ。

そのうえで観光に関する情報量は、官製図を軽く突き放している。ハイキングルートが赤の線で、難易度によって3段階に分けられるほか、スキールートは水色、サイクリングルートは黄緑、マウンテンバイクのルートは緑で示される。もちろんルート番号や名称も入っている。表示状況を同じ地域のF&B地図と照合したが、およそ相違はないようだ。官製図やF&Bで実線1本で描かれる小道を、黒のくくりに白抜きした道路記号としたのは、独特の工夫だろう。これにハイキングルートの赤線をぴったり沿わせることで、道路記号を潰さず緑の中に浮かび上がらせることに成功している。

地図記号の種類では、コンパスがF&Bをもしのぐ。数の多さに配慮して、凡例がジャンル別にくくられているのも親切だ。交通(車道、駐車場など)、スポーツ・余暇(競技別ピクトグラム)、ハイキング・サイクリング道(上述)、旅行関連(休憩所、山小屋、見晴台など)、地勢・植生、その他(境界など)と整理されている。凡例の使用言語は、官製(UTM版)が独・英、F&Bが独・英・仏、コンパスはこれにイタリア語を加えて4ヶ国語としている。アルプスの南側にも刊行範囲を拡張していることと関係があるのだろう。

今世紀に入り、コンパス社は、GPS対応に絡めて地図のディジタル化を積極的に推し進めてきた。オーストリア周辺は印刷図もすでにこの新版に置き換わり、これが旧来のイメージをがらりと変える要因になっている。さらに地図の裏面に美しい鳥瞰図(パノラマ)を載せ、ルートを説明するフルカラーの小冊子まで添付するサービスぶりを見せる。アメリカの地図専門店オムニマップOmnimapは自社サイトの中で、ハイキングや旅行情報が付加されている分、官製地形図以上にコンパスをお薦めする、と言っている。官製図は特定の用途に限らない汎用図としての役割があるので、一概には言えないのだが、このように内容が進歩してくると、いくら官製図を評価する人でも、野山歩きの必携用具に加えないわけにはいかない。

■参考サイト
コンパス社 http://www.kompass.at/
 地図索引図 http://www.kompass.at/service/downloads/
  "Blattschnittübersicht - Wanderkarten(地図一覧図-ハイキング地図)"のリンクから
 地図サンプル http://www.kompass.at/lizenzen/kartenmuster/

オーストリアの旅行地図-ドイツ・アルペン協会 へ

| | コメント (0)

2008年12月 4日 (木)

オーストリアの旅行地図-フライターク&ベルント社

Blog_fb1 ウィーンやザルツブルクのような華麗な文化都市はそれだけで十分魅力的だが、街の周囲に広がるのびやかな野山、それに続く気高いアルプスへと足を向ける人も多いだろう。オーストリアの旅の案内役となる地図をいくつか紹介したい。今回は、一番の老舗であるF&B、フライターク・ウント・ベルント社Freitag & Berndtの旅行地図Wanderkarteについて(写真はシリーズの1点、左は世界遺産ハルシュタットをあしらった表紙、右は裏面)。

自社ブランドをつけた地図は、縮尺の大小を問わなければ全世界をカバーしているが、レパートリーの中心はやはりオーストリアだ。1:50 000で国土の大半が揃い、北部に少し残る空白部も順次、作成が進んでいる。人気の山岳地域には、2倍に拡大した1:25 000がある。歴史的経緯で現在はイタリアに属する南チロルSüdtirol(イタリア語では上アディジェAlto Adige)地方にも、刊行範囲が及んでいる。

旅行地図のベースマップは独特の様式だ。地勢表現は100m(平野部は50m)間隔の等高線に、手描きの露岩や崖地を加え、大まかなぼかし(陰影)を薄くつけただけだ。森林は、官製図のようにアップルグリーンのベタがかけられている。道路や市街地はグレーで、拡大コピーのようにかなり太い線を使っている。等高線間隔が20mの官製地形図と比較すれば、精度はかなり粗いといわなければならない。

この上に、テーマである旅行関連の表示が加刷されているのだが、「旅行地図」と言っては少し誤解を招くだろう。より的確に表現するなら、自分の足で移動するあらゆるレクリエーションのための地図だからだ。地図の表紙にWander-, Rad-, Freizeitkarte(登山・ハイキング、サイクリング、休暇地図)と、効能を並べているのがそれを物語っている。

最も目立つのは赤色を配したハイキングルートWanderwegで、難易度により易しいほうから実線、破線、点線と区分がある。その他、サイクリングルートは青の点線、マウンテンバイクルートは濃緑の点線、スキールートはラベンダーの実線、クロスカントリーのルートは水色の実線で、それぞれ示される。ルート番号、キャンプサイトが明記され、山小屋は赤丸で囲んで目立たせる。こうして、記号や地名表記が集中する地域は、視覚的に相当賑やかな様相を呈していて、明らかに見栄えより実用を優先した地図といえる。

Blog_fb2 冒頭で老舗と紹介したF&Bだが、これまでどんな歴史を歩んできたのだろうか。筆者の手元に、同社が1890年に刊行したオーストリア=ハンガリー二重帝国全図の複製がある(写真は表題部分)。精緻なケバ式で地勢を表現した美しい地図で、表題には、彫版師グスタフ・フライタークGustav Freytagの名が刻まれている。F&Bは、フライタークが1885年に、共同経営者ヴィルヘルム・ベルントWilhelm Berndtとともに立ち上げた地図研究所がルーツで、この帝国図は設立間もない時期の代表作だ。

研究所はその後1920年に、アルタリア社Artariaの地図商部門を併合して、まもなく社名をフライターク・ベルント・ウント・アルタリア合資会社Freytag-Berndt u Artaria KGに変更した。アルタリアが店を構えていたのは、ウィーン市街のコールマルクトKohlmarkt 9番地で、銅版画を商うために1775年に開いて以来の由緒ある場所だ。その店は今なお盛業中で、官製地形図を含むさまざまな地図や旅行書を扱う専門店として、オーストリアと周辺諸国を巡ろうとする人にとっては必訪の存在になっている。

Blog_fb3 F&Bは1990年代に、社会主義を脱した中欧諸国でグループ会社を次々と立ち上げて、国際企業に成長する礎を築いた。筆者にとっても同社の地図は、中欧圏を知る手がかりとなったことで印象深い。先述の帝国図もそうだが、代表的な旅行先、たとえばチェコとポーランド国境のリーゼン山地、スロバキアとポーランド国境のタトラ山地、ハンガリーのバラトン湖(写真)、スロベニアのユリアンアルプスなどは、いち早く縮尺1:50 000前後の地形図(等高線が入った地図)が提供された。図式が国ごとに全く違ったのは、現地の地図会社と提携して、図版をまるごと流用していたからに他ならない。

しかし今では、このような他流地図のいくつかはカタログから姿を消してしまった。現地発のオリジナルな旅行地図の入手が容易になり、しかもたいていドイツ語が併記されているので、あえて維持し続ける意味がなくなったのだろうか。F&Bの公式サイトにある製品カタログの最新版を見ると、守備範囲がヨーロッパを超えてグローバルに拡大しているのが確められる。味わいのある地方色がそっくり残っているのは、もう旅行地図の中だけのようだ。

■参考サイト
フライターク・ウント・ベルント http://www.freytagberndt.at/
 出版カタログ:トップページの"f&b Produkte" > "freytag & berndt Verlagskatalog"
 索引図: "f&b Produkte" > "Wanderkarten Blattschnitt"

オーストリアの旅行地図-コンパス社

| | コメント (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »