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2008年10月 9日 (木)

ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

ウィーン南駅でリュブリャーナ行きEC「エモナ Emona」号に乗り込んでから、1時間足らず。すでに左側の車窓にはアルプスの前山が連なり、その中腹にときおり架線柱や高架橋のアーチが見え隠れする。これからあそこへ上っていくのだと思えば、自然に心が躍る。パイエルバッハ=ライヒェナウ Payerbach-Reichenau の駅を見送ると、長い橋梁でシュヴァルツァ川 Schwarza を渡りながら180度方向を変えて、いよいよ列車は名にし負うゼメリング Semmering(下注)の難所にさしかかった。

*注 Semmering の日本語表記は、標準ドイツ語風の「ゼメリング」「ゼンメリング」、地元風の「セメリング」「センメリング」などさまざまだが、ここでは日本ユネスコ協会連盟のHPに従う。

Blog_semmeringbahn1
羊腸の道ゼメリングを行く

ゼメリング鉄道 Semmeringbahn は、ウィーン Wien からグラーツ Graz 方面へ向かうオーストリア連邦鉄道 ÖBB の南部鉄道線 Südbahn が、分水嶺を越える区間の呼称だ。日本語で「~鉄道」というと、会社名を連想しがちだが、ドイツ語の Bahn は路線名の感覚で使われている。

峠道はウィーン側、つまり東斜面が特に険しい。麓のグログニッツ Gloggnitz の標高が439mであるのに対して、路線の最高地点は898mと、450mもの高低差がある。この間の距離は直線で10kmしかないが、勾配を22~25‰に抑えるため、迂回によって3倍近い29kmに引き延ばされている。線路はできるだけ地形に逆らわず、半径190mの急曲線を入れて山襞を忠実になぞる。

そびえ立つ断崖と深い峡谷の間には、峠下のゼメリングトンネル Semmering-Tunnel(単線並列)を含めて16本のトンネルと、2層アーチのカルテリンネ橋 Kalte-Rinne-Viaduct に代表される16の高架橋が築かれている。列車は、荘重な構築物に敬意を払うかのように、時速60kmでゆっくりと通過していく。

■参考サイト
ゼメリング付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.6325,15.8339&z=13
 残念ながら峠付近の詳細空中写真はない。

Blog_semmeringbahn_map1
ゼメリング鉄道概要図

南部鉄道は、首都ウィーンとアドリア海の港町トリースト Triest、すなわち現イタリア領のトリエステ Trieste を結んでいた路線だ。皇帝フランツ1世の弟ヨハンがこの路線の建設を強く望んだので、「ヨハン大公鉄道 Erzherzog Johann-Bahn」とも呼ばれる。ゼメリングはルートの中でも、建設が最も難しいとされた区間だった。すでにグログニッツ以東は1842年に、西側のミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag ~グラーツ間は1844年に開通済みで、その間に立ちはだかるゼメリングの峠道は、最大12頭立ての馬車で中継していた。

この時代、まだ長い山岳路線の実績はなく、歯軌条(ラック)式か索道でなければ天下の険を越えることができないとさえ思われていたという。命を受けたカール・フォン・ゲーガ Carl von Ghega は、大規模な土木工事を起こす傍ら、勾配に強い機関車の開発競争を進めた。難工事で尊い犠牲者を出しながらも、1854年、ついに開通にこぎつけた。この区間を特に他と区別して呼ぶのは、それだけ工学的にも戦略的にも画期的な事業だったことの証しで、その後、ゼメリングの名は、蛇行しながら山を上る鉄道の代名詞にさえなった。

ゼメリング鉄道は最初にアルプスを越えた鉄道として紹介されることが多い。しかし、この表現から、氷河を戴く大山脈が列車の行く手を阻んでいるように想像したなら、それは無邪気な勘違いだ。この付近はフランス南東部から延々と続いてきたアルプスの東の果てで、周囲のピークもせいぜい1500m程度まで下がっている。峠の標高は984mに過ぎない。

路線と山地の位置関係を知るために、広域図を描いてみた(下図参照)。濃く塗った山地は厳密な標高データに拠ってはおらず、概略であることをご了解願いたいが、鉄道が通過するのは山脈の末端で、アルプス「横断」とは呼べないことが明らかだ。当時は、東に広がるハンガリー平原も帝国領内だった。仮にルートをもう少し東に寄せれば、山越えに伴う艱難辛苦も必要なかったはずだ。なぜ、ゼメリング鉄道はわざわざアルプスを越えなければならなかったのだろうか。

Blog_semmeringbahn_map2
広域図

以下は筆者の推論だが、答えの鍵となるのは、やはり提唱者のヨハン大公だろう。宰相メッテルニヒに疎んじられた彼は中央を離れて、後半生をオーストリア南東部、シュタイアーマルク州の発展に捧げている。州都グラーツには、彼が収集品を寄贈したことから、その名にちなんでヨアネウム Joanneum と通称される州立博物館がある。彼はまた、この町に学校や研究所、銀行や保険会社を設立し、州内で製鉄所や金属加工場の経営を行い、エルツベルク Erzberg の鉄鉱山やケフラッハ Köflach の炭鉱にも関与した。1851年には州都の市長に選出されている。鉄道の誘致は、彼にとって地域振興の大きな柱だったに違いない。

トリエステは、帝国が領土を減らした1860年代以降、自国領に残された貴重な海港として発展し、国内では「世界への窓」に例えられた。しかし、鉄道が構想された19世紀半ばまでは、アドリア海への到達が悲願というほどではなかったと言う説もある。それは1851年、北海沿岸のハンブルクからプラハを経由して、ウィーンまで鉄道が通じていたからだ。工業化が進展していた西欧諸国との交易には北回りのほうが距離的に有利で、期待をもって迎えられた。それに対して、580kmも離れ、港が未整備だったトリエステへ、莫大な費用を投じて鉄道を延ばす目的は、軍事以外にはあまりなかったというのだ。

南部鉄道のルートをたどると、当時スロベニアの東部に及んでいたシュタイアーマルク州 Steiermark(図中、緑の点線で囲んだ領域)を見事に貫いていて、大公の意図が如実に表れている。確かに、グラーツが実質的な目的地だったとすれば、ゼメリング経由が最短ルートになる。しかし、高度差の克服という技術上の難題を背負ってまで、峠越えに固執した理由はそれだけではないようだ。遠回りになっても建設が容易なハンガリー平原には、出たくても出られない事情があったのだ。

ハンガリーは16世紀以来、段階的に帝国に編入されてきたのだが、たびたび独立運動を起こしては鎮圧にあっていた。1848年にはフランス2月革命の影響を受けたブダペストでの蜂起が大規模化して、急進的な独立派が実権を握るなど、不安定な情勢がとみに強まっていた。その反乱軍は翌年降伏し、1867年にはアウスグライヒ Ausgleich(和議)により二重帝国として自治権が拡大されるのだが、産業の生命線を通過させるには、リスクが大きすぎただろう。そのうえ現在オーストリアの東端にあるブルゲンラント州 Burgenland は、1921年になってハンガリーからオーストリアに割譲された土地で、19世紀の境界線はもっと西寄りにあった(図中、赤の点線)。

つまり、鉄道を難なく敷けるような平地はオーストリア側には存在せず、アルプスを越えるほかに道はなかったのだ。

それから150年が経ち、エモナ号は今、ゲーガが造ったとおりのルートを走り抜けていく。ゼメリング鉄道は、鉄道初期の課題の解決に貢献したことが評価されて、1998年、世界遺産に登録された。第1次大戦のころにはもう迂回線の構想があったというし、長大な基底トンネルでバイパスする工事も着手されているが、いまのところ、現役引退の予定は示されていない。

■参考サイト
Wikipediaドイツ語版「ゼメリング鉄道」
http://de.wikipedia.org/wiki/Semmeringbahn
魔の山ゼメリング Zauberberg Semmering http://www.semmeringbahn.at/
 英語版あり。ゼメリング越えと鉄道建設の歴史など。
ゼメリング鉄道写真集
http://www.eisenbahnen.at/bilderalben/semmeringbahn.shtml
 Philipp Glitzner 氏の鉄道写真サイト。美しい写真多数。

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアのラック式鉄道-シュネーベルク鉄道
 オーストリアの鉄道地図 I
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版

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西ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事

コメント

機関車史的に横道ですが、
ゼメリング鉄道は開通の折、機関車を公開テストしたことで有名です。
1, Bavaria号、Maffei社(ドイツ)、チェーンを使ってテンダーへ動力伝達
2, Seraing号、Cockerill社(ベルギー)、フェアリー式元祖
3, Wiener Newstad号、Wiener-Neustadt社、メイヤー式元祖
4, Vindobona号、(State Railway in Vienna)、一等賞だが不採用だった。

いつもコメントありがとうございます。
図面によるとヴィンドボナ号は最も小型で、炭水車を従えたバヴァリア号の半分のサイズですね。素人目に見てもこれでゼメリングの長丁場は苦しいのではないでしょうか。

内容がとってもわかりやすくてすごいです!

画像貰っていきます。

喜んでいただけて光栄です。画像は自作ですのでどうぞお使いください。

 今年の8月にゼメリング鉄道に乗りに出かけるためWebを探していました。くわしい解説に出会い、宝物を掘り当てたような気がします。
 ところで列車に乗っていただけではゼメリング鉄道の一番の見所は見られないのではないかと思います。橋or高架橋、トンネル出入り口、駅舎など、ここがゼメリング鉄道のセールスポイントだというところは、最寄り駅で降りて、歩いて写真を撮りに行きたいと考えています。
 どこで下りて、どこを見に行ったらよいか、教えていただけませんか。

サイトをご訪問くださりありがとうございます。
お尋ねの件ですが、
「ゼメリング鉄道遊歩道Semmering Bahnwanderweg」が整備されているので、それを利用されるといいと思います。
http://www.semmeringbahn.at/bahnwanderweg.php
から、地図のついたリーフレットがダウンロードできます。
ゼメリング駅で下車、お立ち台として有名なドッペルライターヴァルテDoppelreiterwarte、旧20シリング札に描かれた眺めのヴォルフスベルクコーゲルWolfsbergkogel、そしてカルテリンネ橋のたもとを経て、ブライテンシュタインBreitenstein駅へというのが、ゼメリング鉄道のハイライトが楽しめて、最も手軽なコースではないでしょうか。

有難うございました。ご案内のWebからルートマップもダウンロードしました。ドイツ語の説明文は分かりませんが、この地図があれば大丈夫です。
ところで、ドイツ内の鉄道で、TribergのΩループ線とWutachtalbahn鉄道も尋ねる予定ですので、いろいろお伺いしたいこともあるのですが、適当なサイトがありますか、それともメールで直接お問合せしてもよろしいですか。

ヴータッハタール鉄道Wutachtalbahnについては、このブログでも少し書きましたのでご参照くだされば幸いです。
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2010/01/i-d3b5.html
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2010/01/ii-024c.html
トリベルクTribergにあるシュヴァルツヴァルト鉄道の連続オメガループも、乗り鉄には楽しい区間です。これについてはまだ書いておりませんが、調べておきますのでメールでご照会ください。

ゼメリング鉄道に乗ってきました。Semmering駅→Breitenstein駅まで2時間半で歩くつもりが5時間もかかってしまいました。沿線を歩きながら気がついたのですが、この区間は日本と同じ左側通行ですね。オーストリア国鉄は右側通行なのに、なんでゼメリング鉄道だけ左側通行にしているのでしょうか。Webマスターでも、このWebを覗きに来た方でもどなたでも結構です。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

Webマスターです。ご報告ありがとうございました。
下記記事
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2008/10/i-5866.html
でも少し触れましたが、オーストリアはドイツと同じで右側通行ですが、ゼメリング越えを含む南部鉄道Südbahnだけは当初から左側通行でした。
しかし、ウィキペディアのドイツ語版によると、2012年8月にウィーンからパイエルバッハ=ライヒェナウ(ゼメリング越えの手前の駅)までが右側通行に変更されました。これは同年12月にウィーン市内にラインツトンネルLainzer Tunnelが開通して、ウィーンとザルツブルクを結ぶ西部鉄道Westbahnが南部鉄道と接続される(西部鉄道の優等列車がウィーン中央駅=旧南駅発着になる)のに合わせて行われたものです。
別の資料によると、現在、ゼメリング峠の下に基底トンネルが工事中ですが、これが完成するとパイエルバッハ以西も右側通行に変更されるとのことです。

 Webマスターさん、早速教えていただき有難うございます。そういうこととは知りませんでした。これで安心して寝られます。

 左側通行に気がついたので、ゼメリング駅でしばらく列車運行の様子を見ていましたが、①下り列車を、わざわざ、駅本屋のあるホームに着発させ、その後、本線を横断して左側のトンネルに入ってゆく。②ゼメリングを通過する上り列車が、わざわざ駅本屋から一番遠い着発線(下り線の一番外側の着発線)を駆け抜けて、登り本線側に出て行っていました。

 ①は乗客の便のため、②は乗客の安全のため、というところでしょうか。OBBも、なかなかきめ細かい心遣いをしていますね。

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